<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020版

<灯台紀行・旅日誌>2020愛知編

 


灯台紀行・旅日誌>2020年度版

 愛知編#1~#17

 

#1 プロローグ~往路       1P-6P

#2 野間埼灯台撮影1      6P-12P

#2 野間埼灯台撮影2      12P-17P

#4 野間埼灯台撮影3~宿         17P-23P

#5 野間埼灯台撮影4        23P-29P

#6 野間埼灯台撮影5        29P-35P

#7 宿~移動          36P-42P

#8 赤羽根防波堤灯台伊良湖岬                  43P-49P

#9 伊良湖岬灯台撮影1                                  49P-55P

#10 伊良湖岬灯台撮影2~土産物屋              55P-60P

#11 伊良湖岬灯台撮影3                                60P-66P

#12 ホテル~伊良湖岬                66P-72P

#13 伊良湖岬灯台撮影4~ホテル                  72P-77P

#14 伊良湖岬防波堤灯台撮影                    77P-83P

#15 伊良湖岬灯台撮影5                                 83P-89P

#16 ホテル                                                      89P-94P

#17 伊良湖岬灯台撮影6~エピローグ            94P-101P

  

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#1

プロローグ~往路

 

時間を戻そう。今は、2020年12月4日、金曜日だ。おそらく、十日間天気予報を見たのだろう。というのも、14日の月曜日は伊良湖ビューホテル、15日16日17日は、三重県鳥羽磯部付近のビジネスホテルをすでに予約してあったからだ。前回の<福島・茨城旅>の旅日誌をやっと書き上げた直後で、次回七回目の<灯台巡り>を、愛知県渥美半島伊良湖岬灯台三重県紀伊半島の安乗埼灯台、大王埼灯台などに照準していたのだ。

 

四泊五日の旅日程も、ほぼ頭の中で確定、あとは、出発までの時間で<福島・茨城旅>の撮影画像の補正を終わらせるつもりだった。ところが、この夜、晴れマークがついていた14日の天気が怪しくなってきた。せっかく<伊良湖ビューホテル>の予約が取れていたのに、しかたない、キャンセルだ。むろん、その後の鳥羽のビジネスホテルもキャンセルし、旅の日程を再考した。

 

十二月の前半から全国的に晴れが続いていた。<灯台巡り>をするには絶好の日和だ。だが、自分に課した、旅日誌の執筆と撮影画像の補正を終わらせなければ、旅には出られない。と、思い込んでいる。しかし、今回は、自分で決めた約束を破った。6日7日8日9日と、愛知県には四日連続で晴れマークがついている。この日程をやり過ごしたら、十二月の灯台は流れてしまうかもしれない。

 

おおよそ、十二月の中盤までは、寒さもそう厳しくない。だが、後半、クリスマス前後には、毎年寒波がやってきて、寒い思いをしている。したがって、中盤がだめなら、前半に行くしかないだろう。それに晴れマークもついている。四日の金曜日の夜も更けて、日付が五日に変わっていたと思う。つまり、六日から宿泊するのなら、前日予約になってしまう。いまから、ホテルは予約できるのか?

 

楽天トラベル>でさっそく調べ出した。調べているうちに、気持ちが変わって、予定を変更した。つまり、フェリーで三重県側には行かないで、巡る灯台は、愛知県の野間埼灯台伊良湖岬灯台だけにした。初日に一気に知多半島へ移動し、その先端に位置する野間埼灯台へ行く。そこで二泊して、そのあと、戻る感じでぐるっと回り込み、渥美半島伊良湖岬灯台へ移動する。突然の予定変更の理由には、いまだ確実な下準備ができていない三重県側の灯台たちを、この期に及んで、調べなおすのが億劫になった、ということもある。

 

伊良湖岬灯台野間埼灯台は、それぞれ、愛知県の渥美半島知多半島の先端にあり、普通なら、セットにして巡るべきだろう。ところが、移動が大変なのだ。距離にして150キロ、時間にして三時間半もかかる。少し前までは、半島間にフェリーがあったのが、今は廃止されている。そうした理由で、伊良湖岬から出ているフェリーで三重県側にわたり、渡航時間は小一時間ほどらしい、紀伊半島の南西部の灯台たちを見て回ろうという気になったわけだ。その方が効率的だと思ったような気がする。

 

灯台巡り、とくに灯台写真を撮るには、下調べが大切だと思い知らされている。事前に、撮影の位置取りを、ほぼ確実に頭に入れておいても、現場では右往左往することが多い。下調べもせず、手ぶらで行くのは愚の骨頂だろう。一応、伊良湖岬灯台の下調べは終わっている。それに、新たな照準とした、野間埼灯台もネットで検索する限り、さして難しいロケーションではない。それに、今回は、一つの灯台に二日かけることにしたので、極端に綿密な下調べは必要ないのだ。

 

野間埼灯台も、伊良湖岬灯台と同様、夕日がきれいな所らしい。これまでの経験から、灯台に夕日や朝日を絡めて撮るには、とにもかくにも、灯台に近い宿に泊まるのがよろしい。ま、近いといっても、四、五キロ離れていても問題はない。というわけで、該当する宿を探し、日程に合わせる作業を、夜中の三時頃までやった。

 

頑張った、というか、夢中になっていた。その甲斐あって?まあまあ、満足のいく結果を得られた。すなわち、野間埼付近の、食事つきの旅館を二泊、伊良湖岬のすぐ近くのビジネスホテルを二泊、予約した。前者の食事つきは、これまでの慣例に反するが、一泊二食付きで12000円、その上<Goto割り>で安くなるので問題ない。とにもかくにも、灯台に近い宿がいいのだ。

 

旅の前日、五日の土曜日の朝は、前の晩、夜更かしたにもかかわらず、眠気はなかったと思う。それよりも、旅の準備を頭の中で、ざっと思い浮かべ、直ちに実行していった。慣れたもので、車への荷物の積み込みなど、午後の二時前にはすべて完了していた。ゆっくりくつろいで、早めの夕食、夜の八時すぎには寝ていたと思う。もっとも、いつものように、夜間トイレで一、二時間おきに起きている。だが、興奮して眠れないということはなかった。

 

出発の日、六日の日曜日は、午前三時半に、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。頭も覚めていて、ためらうことなく起床、ゆっくりと自分のペースで出発の準備をした。お茶づけなどを食べ、便意を催促したが、いつもの排便時間よりは、そうとう早い。うんこは出なかった。玄関ドアを出る前に、お決まりのように、虚空のニャンコに向かって、行ってくるよ、と声をかけた。一瞬、もうこの家に帰ってこられないかもしれない、という不安を感じた。いや、ちょっと、思ってみただけだ。

 

午前五時出発。まだ真っ暗だった。最寄りの圏央道のインターから入り、六時には、厚木に到達していた。青梅からの断続的なトンネル走行は、トンネル内が外より明るいので、むしろ外よりも走りやすかった。そのあと、東名、第二東名と乗り継いだ。たしか御殿場あたりだっただろうか、富士山が右手に見えた。それも、なんというか薄赤紫色の幻想的な富士だった。

 

左側の稜線がものすごく急で、北斎の<赤富士>を想起した。頭に少し冠雪している程度で、赤土色の斜面に朝日があたっている。その周辺に、雲なのか靄なのか、白いもやもやしたものが漂っている。幽玄を感じた。北斎の<凱風快晴>の稜線は、やや誇張しているなと思っていたが、まさに、その通りの、切り立った稜線が、目の前に見える。というか、横に見える。第二東名を走っているわけで、現地点はほぼ山の中だ。北斎がこの位置から富士を見たとも思えないが、この近辺だったことに間違いないだろう。

 

北斎は、どこで朝日のあたる富士を見たのだろうか。数百年の間<赤富士>を超える富士は出現していない。そして、今後も出てこないだろう、とひそかに思った。

 

・・・理由はない。単なるミスだ。ナビに従って、高速から降りてしまった。古いナビだから、第二東名が貫通していることを知らないのだ。<第二東名 豊田方面>の標識がちらっと見えたが、後の祭りだった。ま、いい。高速走行にも飽きていた。気分転換に一般道を走るのもいいだろう。というわけで、次の高速入口までたらたら走って、また高速に乗った。その後は、伊勢湾岸道路に乗り、一気に、知多半島を南下した。野間埼灯台に着いたのは、午前十一時半頃だったと思う。およそ400キロ、六時間半かかった。だが、さほど疲れてもいなかった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#2

野間埼灯台撮影1

 

野間埼灯台は、国道沿いの海岸に立っていた。その対面、道路左側に有料駐車場があり、車を入れた。すぐに係のおばさんが寄ってきた。出たり入ったりするつもりだったので、一日分¥1000を払った。隣にもレストランの駐車場があった。むろん利用者専用だろうから、むやみに止めることはできない。もっとも、この有料駐車場は、灯台のほぼ真ん前にあり、道路を渡れば、海側にせり出した広場へとすぐに行ける。位置的には、ベストと言っていい。

 

装備を整え、といっても、カメラ二台を、それぞれ斜め掛けと肩掛けしただけだが、気分的には撮影モードに入った。真っ白な灯台の胴体が、すでに目の前に見えていて、写真を撮れる位置取りになっている。だが、余計なものがありすぎる。まずは電線だ。それに、道路と横断歩道、さらには、広場に立っている大きな椰子の木やベンチなどで、どう見ても、灯台写真が撮れるような状況ではない。

 

道路を渡って、海にせり出した広場へ足を踏み入れた。言うまでもなく、この広場は、灯台を眺めるための場所だが、たいして広くもないのに、いろいろな物体がひしめいている。大きな椰子の木が三、四本あり、ベンチも五、六脚ある。右の方には<絆の鐘>があり、南京錠を取り付けるモニュメントもある。さらには、立派な石の記念碑などもあり、まさに、所狭しといった塩梅なのに、観光客が、あとからあとから押し寄せてくる。変な話、物だけでなく人間も<蜜>な状態になっている。

 

ま、それでも、この正面ロケーションの中で、ベストポジションを探しながら、狭い広場をうろうろしていた。歩道沿いのベンチが一番いいだろうなと思ったが、カップルがどっかと座っていて、なかなかどかない。仕方ないので、その後ろで、一応、カメラを構えてみた。だが、普通の記念写真にすらならない。大きな椰子の木に挟まれた灯台、その左右には、<絆の鐘>だの、石の記念碑だの、ベンチに座っている人間だので、まったく絵になりまへん!

 

まあいい、まあいい。ここで写真を撮ろうとしたのが間違いだ。と思い直して、今一度道路を渡り、道の向こう側から、カップルの座っているベンチを手前に入れて、何枚か、適当にシャッターを押した。どんな絵面にしろ、記念写真くらいは撮っておきたいと思ったからだ。意味のないことだとわかってはいるが、このままやり過ごせば、あとになって、何か忘れ物をしたような気がするに決まっている。

 

広場の横から、砂浜に下りた。灯台の全体が見えた。下の方が、なぜかステン?の柵でぐるっと囲まれている。灯台に直接触れられないようになっている。景観的にはよろしくない。あの時にはそれがやや不満だった。が、いま思えば、灯台を不埒な連中から防御しているわけで、灯台に落書きされるよりはましかもしれない。ところが、いまネットで調べると、この柵に南京錠をつける恋愛ジンクスが広まり、なんと、その重みで柵が倒壊したことがあるそうな。世の中、何が起きるかわかったもんじゃない。

 

この教訓を生かしたのだろうか、その後、南京錠をつけるモニュメントができたので、今現在は、柵に南京錠はついていない。もっとも、注意書きがあったような気がする。柵に南京錠をつけてもすぐに撤去する、と。これは、効果てきめんだろう。恋愛成就を願ってつけた鍵が、そのうち切り取られてしまうのなら、いくらなんでも、そこに鍵をつけることはしないだろう。ましてや、正規?に鍵をぶら下げておくモニュメントがあるのだから。

 

しっかし、おじさんの感想を述べさせてもらうのなら、南京錠で結びつけておく男女の仲や、家族や友人の絆とは、いったいどういったものなのだろう。本当は、結び付けておくことができない、と思っているからこそ、南京錠という手段に出るのではないか。だとするならば、海風に晒され、風化していく南京錠たちは、人間のはかない希望を形象化しているオブジェと見ることもできそうだ。

 

深く考えもしないで、ちょっとした洒落のつもりで、南京錠を柵に取り付け、その後、何年かして、錆びついた南京錠を目の当たりにしたとき、人間は、何を思うのか。ましてや、恋愛が成就されず、家族や友人の絆がほどけてしまったのなら、これはもう、まともに見ることすらできないだろう。そんな悲しみを直感する想像力を、灯台のそばに座って、波音に耳を傾けながら、取り戻してほしいと思うばかりだ。

 

ところで、唐突だが、灯台の正面とは、やはり、扉のある方なのだろうか。扉は、ほとんどの場合、陸地側にある。当たり前だ。人が出入りするわけで、陸地側にある方が合理的だ。だが、いつも思うことなのだが、灯台の機能面から考えると、海側が正面なのではないか。光を海に投げかけているのだからね。となれば、扉は、玄関口というよりは勝手口になるわけだ。

 

なんでこんなことを言い出したのか?というのも、野間埼灯台は扉のある方、つまり勝手口の方が、景観的には優れているからだ。つまり、正面であるはずの海側の胴体には窓もなく、のっぺりした感じなのに、背面であるはずの陸側の胴体には、ちゃんと窓がついていて、明らかに見栄えがいい。玄関口が勝手口よりも立派なのは常識だろう。したがって、こと、野間埼灯台に限って言えば、扉のある方、いわば勝手口が玄関口になっているようなのだ。

 

広場から砂浜に下りて、灯台を横から俯瞰する位置に立つと、そのことがよくわかった。つまり、側面ゆえに、灯台の窓はほとんど見えなくなってしまうわけで、胴体ののっぺり感が際立ってしまう。だが幸いなことに、この位置取りは、砂浜や海や空などのロケーションが素晴らしいのと、下の方が柵に囲まれているものの、灯台の全体像が俯瞰できるので、その立ち姿、というか、美しい構造が、のっぺり感を相殺してくれる。ま、それにしても、側面に、窓がひとつでもあれば、とないものねだりをしながら、撮り歩きを始めた。

 

波打ち際を五、六歩進んでは振り向き、灯台を主役にした構図を瞬時に見つけてシャッターを押した。砂浜に打ち寄せる波や、広場に聳え立つ椰子の木なども、画面に取り込もうとした。そのうち、岩場が露出してくる。波しぶきを受けている岩場には近寄らないで、渇いている岩場に登って、標準、望遠、二台のカメラでかわるがわる、少し遠目だが、真白な灯台を撮りまくった。もう、胴体ののっぺり感などは、ほとんど気にならなかった。ただし、観光客が、次から次へと来るので、画面に、人影が写り込んでしまう。これは致し方ない。十二月だというのに、さほど寒くもない、素晴らしい天気の日曜日なのだ。

 

灯台の垂直や、水平線の傾きなども、さして気にならなかった。というのも、野間埼灯台は、岬の先端でもなく、さりとて、海に突き出た岩場でもなく、そのずっと手前の、極端に言えば、砂浜に立っているような感じなのだ。したがって、自分の立っている波打ち際と、ほぼ平行関係にあるわけで、灯台の垂直はあらかじめ担保されている。それと、水平線は岩場に隠れてしまい、少ししか見えない。こちらも、多少の傾きは気にならない。

 

問題は、右端にある、少し高台になっている広場の椰子の木やモニュメント、ベンチ、その他もろもろだ。できれば、灯台写真は、海と空と灯台だけで完結したい。だがそうもいくまい。苦肉の策として、一番大きな椰子の木を、画面の右端に取り込むことで、構図全体のバランスを取った。ただし、広場の土留めコンクリが少し入ってしまう。なんとなく釈然としない。それに、海側にせり出してくる、背景の山が、なんか変なのだ。灯台の垂直や水平線とは<ねじれ>?の関係にあるようで、画面に取り入れるとあきらかに不自然だ。結局、背景の山と、広場の大部分は、画面から立ち退いてもらうことにした。

 

さらに、岩場と砂場が混在する砂浜を行けるところまで行った。これ以上行くと、灯台が見切れてしまうその場所に、少し小高い岩場があった。迷うことなく、よじり登った。みると、今歩いてきた海岸全体が見渡せる。灯台はさらに遠目になったが、ここは望遠カメラの出番だ。灯台を画面のほぼ真ん中に位置して、まさに、灯台そのものを撮った。だが、手前に観光客がいる。砂浜で子供が遊んでいて、親たちが座りこんでいる。それに、灯台の前を横切って、岩場の先端に行こうとする観光客があとを絶たない。

 

望遠400ミリの精度の高いレンズだ。表情までが、手に取るように見える。だがいまは、そんなことを面白がっている場合じゃない。人間が点景なら、風景写真的には、さほど気にならない。いや、致命傷にはならないだろう。しかし、表情までもがはっきり見えていたら、これはもう写真以前の問題だ。つまり、肖像権の問題で、ぼかすとか何らかの処理をしなければ、たとえアマチュアでも、発表することはできないだろう。と、ここでふと思った。SNSなどに写真をアップすることが、写真行為の必須条件になっている。

 

撮った写真を、自分一人で眺めるだけでは、もはや満足できない。そもそも、写真を撮ること自体に、撮った写真を人に見てもらいたい、見せたいという欲求が内在している。大袈裟に言えば、いわば、自分を世界に開示したいのだ。とはいえ、だから、どうだというのだ。頭の片隅で、人間がこれほど大きく映り込んでいては、補正で消すこともできないなと思った。それでも、真っ青な冬空を背景に、一分の揺らぎもなく垂直する、真白な灯台を撮り続けていた。モノになるか、ならないか、そんなことはこの際、どうでもいいような気がした。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#3

野間埼灯台撮影2

 

小高い岩場での、至福の時間が終わった。灯台に向かって歩き始めた。今度は、波打ち際ではなく、砂浜の奥の方、つまり、高さ五、六メートルほどの切り立った防潮堤?のそばまで行った。ちなみに、この防潮堤の外側が道路になっている。往路とは違った角度で、灯台を見てみたかったのだが、案の定、灯台の垂直が確保できない。灯台を斜め後ろから見ていることになるので、灯台の先にある岩場との平行関係も崩れてしまう。灯台の垂直を無理に確保すれば、むろん、天地の水平が確保できない。無理して撮る必要のないアングルなのだ。

 

ま、でも、一応確認しておく必要がある。何しろ、基本は?灯台の周りを、できうる限り回って、その中からベストポジションを見つけることなのだ。見なくてわかることでも、しっかり見ておけば、あとで後悔することもない。

 

砂浜をぶらぶら撮り歩きしながら、灯台の真下にまで来た。正面に、コンクリ階段が、五、六段あり、その上が広場だ。たしかこの時だと思う。若造がドローンを飛ばしている。広場の上空を飛び回っている。なんでこんなところで飛ばしているんだ、とちょっと眉をひそめて、若造の顔を見たような気がする。だがすぐに気分を変えて、性懲りもなく、灯台正面から何枚か撮った。まるっきりの逆光で、眩しくて、灯台がよく見えなかった。

 

さらに今度は西側?の砂浜に下りた。こっちは、半逆光。灯台の右側の縁が、少し光っている。明かり的には、イマイチだ。ただし、先ほどの東側?の砂浜と同じで、灯台の垂直も、水平線の水平も確保されている。カメラの性能がアップしたのと、補正の腕が多少上がったのとで、半逆光、いや、逆光の写真でも、構図さえしっかりしていれば、最近はモノにできるようになっていた。しっかり構図を決めて慎重にシャッターを押した。

 

西側の砂浜は、東側に比べて、極端に狭い。すぐに断崖で遮られてしまう。もっとも、断崖沿いに、岩場を伝い、さらに行くこともできるが、灯台が見切れてしまう。それに、波しぶきをかぶった岩場は濡れていて、なんだか危なっかしいぞ。写真を撮りながら、引き返した。

 

あと残るのは、海側からの灯台だ。灯台の前は、うまい具合に岩場になっているので、灯台を背景に自撮りができる。観光客がひっきりなしだ。しかし、岩場といっても、それほど海に突き出ているわけでもない。灯台全体を画面に入れるとするならば、かなりの広角撮影になる。それに、背景がよくない。至近距離に特徴のない山がせまっているし、巨大な灯台の胴体には、窓一つなく、のっぺり感がきつい。要するに、野間埼灯台は、正面も背面も、写真にはならない。となれば、左右、というか東西からの側面からの写真で勝負するしかないだろう。

 

ふと思って、岩場からは早々に引き上げ、砂浜を横切り、上の道路に出た。ガードレールはあるものの、歩道としては狭すぎる。ま、いい。狙いは、少し先にある、道路沿いの施設だ。廃業しているようで無人。その施設に歩道から登りあがった。年甲斐もなく、なぜそんなことを!要するに、一段と高くなった、海を見渡せるその施設の敷地、いや、断崖の縁から灯台を撮ろうというわけだ。

 

何と記述すればいいのだろう。海を臨んで、こ洒落たバンガローのような建物が、間隔を置いて、幾棟も並んでいる。その一坪ほどの建物の前には、日光浴用の木製の長いすがあり、大きなパラソルが差してある。要するに、日帰りのリゾート施設だろうな。だが、設備もまだそう古くのないのに、廃業だ。素人考えだが、この場所に、セレブっぽいリゾート客を呼び込むのは、無理なのではないか。ここは、知多半島の先端、最果て感はないものの、ややさびれた観光地といった雰囲気なのだ。

 

話しを戻そう。その、海に突き出た、断崖上のリゾート施設の縁に陣取って、灯台を撮った。もっとも、先ほど、この真下で写真を撮っているので、構図的には、ほぼ変わらない。とはいえ、高い分、水平線がよく見える。景観的にはこちらの方がよろしい。それに、下界を?見下ろす感じなので、気分はいい。カメラをしっかり構えて、ここでも慎重にシャッターを押した。そのあとは少しの間、断崖の縁に腰かけて、ぼうっとしていた。朝っぱらから動き回っていて、少し疲れたのかもしれない。灯台の背後の海が、きらきら光っていた。ふと、いま、大地震が来たら、と思った。この場所は瞬時に崩落するだろう。うしろ手に囲い石をつかみながら、下をこわごわ見た。そうだ、高い所は苦手だったんだ。

 

この高みの見物も、自分がサル山の猿のような気がしてきて、じきに興ざめしてしまった。夕景の撮影までには、まだ時間があった。車に戻って、バナナでも食べよう。腹は空いていなかったが、栄養補給だ。もっとも、今日の宿は食事つきだ。なんとなく、気が楽だった。駐車場に戻り、トイレで用を足した。出てくると、係のおばさんに声をかけられた。<コーヒーでも飲んでいかない、インスタントだけど>。

 

係のおばさんと思っていた女性は、この有料駐車場を取り仕切っている、ま、いわば所有者だった。売店らしき雑然とした小屋に入っていくと、カウンターらしきものがあり、おばさんがコーヒーを作ってくれた。砂糖とミルクは自分で、その辺にあった瓶から入れた。どこから来たの、とか雑談していると、小柄な爺が入ってきて、おばさんにコーヒーを作らせている。旦那なのか、身内なのか、定かではない。が、おばさんとはかなり気安い間柄なのが話しぶりでわかる。物静かな漁師といった雰囲気を漂わせていた。そして、しばし、三人で<川越>とか<翔んで埼玉>などの話をして盛り上がっていた。

 

と、そこに、さっきのドローンの若造がやってきて、目の前の台に、ドローンを置いて、おばさんと気安く話し出した。知り合いなのか?黙って聞いていると、何やら、先生とか言っている。え、と思って、腰パンっぽいジャージーにパーカの若造をちょっと見た。どうやら、何回もここにきて、ドローンを飛ばしているらしい。今日の朝は、カワウの群れを撮ったとか話している。

 

自分としては、めずらしく気分がよかったのだろう。若造にドローンのことを少し聞いた。その時、マスクの上の目を見た。やや知的な感じがした。おばさんが言うには、歯医者さんらしい。しかし、その後の話ぶりや内容が、どうもうさん臭さかった。今使っているのはと、台の上に載せたドローンをいじりながら、16万のドローンで、8万も出せば、性能のいいものが買える。自分の知り合いも、カメラからドローンに転向した。操作方法は簡単で一日でマスターできる。自分が教えた。広告収入が30万ほどあり、それがこれだ。とスマホを見せてくれた。

 

なるほど、ユーチューブに、かなりたくさんの作品をアップしているようだ。内容的には、いろいろで、うける感じのものを狙っている。アカウント名を聞いた。<LL>とか言ったが、言葉を濁した。見ればわかるとか言っている。話しぶりが、やや尊大で、これ以上話していると嫌な気持ちになりそうなので、おばさんに、ごちそうさまと言って、小屋を出た。歯医者か!話しかけたのが間違いだった。

 

車に戻った。バックドアーを開け、車体に腰かけ、持参したバナナを一本食べた。おそらく給水もしたと思う。それから、夕景撮影のことを少し考えた。おばさんが言うには、<絆の鐘>の右横あたりに陽は沈むらしい。となれば、撮影ポイントは、広場に隣接する西側の砂浜で、しかも、道路に近い所だろう。時計を見たに違いない、三時半を回っていた。陽は大きく傾き、地上の事物がかなり赤っぽくなっていた。日没は四時半だ。さあ行くか、靴の紐をしめなおした。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#4

野間埼灯台撮影3~宿

 

灯台広場は、依然として観光客でごった返していた。とはいえ、何十人いようが、関係ない。日没前後になれば、みなシルエットになってしまうのだ。広場の敷地をまたいで西側の浜へ踏みこんだ。波打ち際には下りないで、道路との境、幅の狭い、腰高のコンクリ塀のそばに立った。ま、これは、防潮堤の一種と考えてもよろしい。この位置取りは、灯台を斜め後ろから見ているわけで、画面の左側には、<絆の鐘>とか椰子の木などが見える。しかも、灯台は水平線と垂直していない。言ってみれば、構図的には、難がありすぎるが、灯台と夕日を絡めようとするならば、致し方のない、ベストポジションなのだ。

 

太陽は、水平線に徐々に近づきつつある。だが、いまだ光が強すぎて、画像的には白飛びしてしまい、その円形の姿は捉えられない。水平線ぎりぎりになって、はじめて、線香花火の火の玉のような夕日が、画像に定着できるのだ。要するに、まだ少し時間がある。ほかに、もっといい場所はないのかと思い、砂浜を、切り立った岩場の方へ移動した。

 

岩場の前まで来た時に、その陰から、黒っぽいコートを着た三十代くらいの青年が現れた。大きめの黒いカメラバッグを肩にかけ、その手には、一眼レフが握られていた。あきらかに、灯台と夕日を撮りに来たアマチュアカメラマンだ。すれ違いざま、ちらっと顔を見たが、向こうは目を合わせない。思い切って、話しかけた。<夕陽が撮れる場所はどのへんでしょうか>と。というのも、この期に及んで、砂浜を歩き回って、灯台に夕日が絡む、そのベストポジションを探し出すのは、自分だけでは、ほぼ不可能だと思ったからだ。

 

色白で、髭が濃い、おとなしい、どちらかと言えば、オタクっぽい青年は、すぐに話に乗ってきてくれた。尊大な感じはみじんもなく、言葉も丁寧だ。二、三分か、五、六分か、立ち話した。だが、その間にも、太陽は、刻一刻と、水平線に近づいている。実のところ、お互い、気が気ではない。そのうち<向う側の浜を見てくるので、いいところがあったら、伝えにきます>と言って、去って行った。

 

これで、少しの間、バタバタせずに、今いる西側の浜で、ゆっくり写真が撮れる。再度、午前中に目星をつけておいた撮影ポイントを回って、写真を撮った。むろん、構図はほぼ同じだが、明かりの具合が全然違うので、撮っても無駄、意味がないとは思わなかった。ただ、切り立った岩場の上、つまり、廃業したリゾート施設に行こうとは思わなかった。景観的には、水平線が見える分、多少いいが、うす暗くなっていたし、時間的にも無理だろう。それに何よりも、またサル山の猿にはなりたくなかった。

 

そうこうしているうちに、髭の濃い彼が、黒いコートの前をなびかせて、こっちに向かってきた。戻ってこないんじゃないかな、と頭の隅でひそかに思ったことを少し恥じた。やはり、律儀で、誠実な、いい奴なのだ。彼の報告によれば、向こう側の、道路際の防潮堤の上がいいらしい。カメラのモニターを見せてくれた。なるほど、画面の右端に灯台、左端に夕日が写っている。といっても、夕日は白飛びして、中心が白色の黄色っぽい大きな同心円になっていた。

 

この時も、二、三分か、四、五分話して、別れた。彼は、灯台の根本の岩場の方へ行き、見上げながら、写真を撮っていた。一方自分は、東側の砂浜と道路との境になっている、幅の狭い防潮堤の上を歩いて、彼の話していた場所で止まり、カメラを構えた。しかし、残念なことに、夕日は、最大限の広角にしても、画面にはおさまらなかった。おそらく、彼のカメラは、自分より広角なのだろう。とはいえ、灯台と夕日が、画面におさまる位置取りの限界はわかったわけで、その後は、そこから、灯台付近までの数メートルの範囲で、ベストポジションを探しながら、時間も、暑さ寒さも忘れて撮りまくった。

 

そして、まさに、太陽が、燃え尽きて、水平線にかかる刹那、西側の浜に戻って、広場の椰子の木や<絆の鐘>を写し込んだ、自分だけのベストポジションで、最後の時を楽しんだ。

 

夕日は、いつも思うのだが、水平線にかかると、あっという間に沈んでしまう。その間、どのくらいの時間なのだろうか?計ったことはないし、計ろうとも思わないが、とにかく、短いことだけは確かだ。そうそう、案の定、この日没の瞬間には、文字通り広場は人間でごった返していたようだ。しかし、画像には、黒いシルエットが、端に少し映り込んでいただけだ。自然の美しさに感動する、人間の謙虚な姿、と思えないこともない。

 

落日。急に辺りがしらけた感じになる。とはいえ、これからの数十分が<ブルーアワー>だ。陽が落ちた後も、広場や灯台周辺の人影が消えないのは、劇的な落日とは好対照の、かそけなく美しい夕空を見たいからなのだろうか。今一度、いや、今三度くらいかな、七色に染まる夕景を撮るために、波打ち際の方へ行った。言わば、今日一日の、最後の最後の仕事だ。そう、なぜか、水平線の近くがオレンジ色で、上にあがるにしたがって、徐々に淡い水色に変わっていく。これまで、気づきもしなかった、静かな美しさだ。その真ん中に、灯台が立っていた。

 

引き上げる前に、反対側の浜に行った。撮影場所を教えてくれた律儀な青年に、一言、声をかけたかった。彼は、狭い防潮堤の上で、写真を撮っていた。またしても、二、三分、いや、五六分、立ち話をした。ニコンのD750という本格的な一眼レフカメラを持っていたので、なにか、SNSでもやっているのか、と聞くと、以前はやっていたが、最近はほとんどアップしていないとのこと。

 

カメラ一台で給料が吹っ飛ぶ、とも言っていたので、独身のサラリーマンなのだろう。昨日はセントリアで撮っていて、今日は、夕日を年賀状に載せるために撮りに来たとも言っていた。<セントリア>?と聞き返した。中部国際空港のことらしい。なるほど、昨日は土曜日、飛行機で来たんだ。<ありがとうね>とちょっと手をあげて別れた。いい青年だった。

 

駐車場へ戻った。小屋の明かりがついていたので、ちょっと寄って、おばさんと話した。明日も早朝から来るので、駐車代¥1000を先払いしておきたかったのだ。マスクをしていたから、たしかなことは言えないけど、小柄だが、しっかりした顔立ちの美人だった。年は、六十前後で、おそらく漁師の女将さんなのだろう。だが、話しぶりが知的だった。そういえば、昼間、小屋に居た爺さんも、話し方が穏やかでちゃんとしていた。

 

愛知県知多半島名古屋弁は関係ないのだろうか、言葉の抑揚、アクセントなどにも、まったく違和感がなかった。おばさんと、心からの挨拶を交わして、小屋を後にした。<お気をつけて><ありがとうございました>。辺りはほぼ暗くなっていた。疲労感はなく、心がやや軽い感じだった。さあ、引き上げだ。

 

宿にはすぐについた。灯台から四、五キロのところにあるので、ものの十分とかからなかった。国道からはそれて、海の方へ細い道をうねうね行くのだが、曲がり角ごとに、案内板がある。ナビに従わなくても、間違えることはなかった。

 

半官半民のような組織が全国的に持っている宿泊施設の一つで、建物はしっかりしている。手入れもよく、きれいだった。一泊二食付きで¥12000だから、食事はさほど豪華なものではないが、特筆すべきは、温泉が広くて、きれいで、しかも、ほぼ貸し切り状態だったので、非常に良かった。

 

コロナ対策も万全で、バリアフリーも完備。従業員は、ほとんどが六十代以下の女性で、顔立ちのしっかりした都会的な人が多かった。応対も、それなりに丁寧で問題はない。それどころか、翌朝の、朝食終わりで、コーヒーを飲みながら、窓の外の海を眺めていたら、若い、しかも美人の従業員が<今日はいい天気ですね>と、声をかけてきた。その後、二、三分、言葉を交わした。こんなことは、これまで七回の灯台旅で初めてだ。広い食堂で、五、六組、食事をしていたが、一人で食べていたのは、自分一人だった。後姿に、ジジイの悲哀が漂っていたのかもしれない。

 

部屋はベッドが二つ並んでいるツインで、設備、調度品もみなきれいで、新しい。食堂で夕食を済ませたあとは、ちょこっとメモ書きして、おそらく、すぐに寝てしまったようだ。何しろ、今日は、朝の三時半に起きて、400キロの道のりを六時間半運転して、その後も手を抜くことなく、陽が沈んだ後までみっちり写真撮影だ。ま、それでも、初回の、犬吠埼旅のような、身も蓋もない疲労感はなく、元気だ。撮影旅に慣れてきたのだろう。

 

そうそう、もう一つ、書き記しておこう。それは、例の<地域クーポン券>のことで、ここでは、二泊分でなんと¥4000!ゲットした。のみならず、なぜか、宿の売店だけで使える¥1000券もくれた。正規で泊まれば、二泊で¥24000だが<Goto割り>もあり、クーポン¥5000分を差し引くと、実質一泊¥7500くらいで泊まれたことになる。廃墟のような安ホテルでも素泊まり一泊¥5000取る今日日、これは安いだろ。しかも、お食事つきですからね!

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#5

野間埼灯台撮影4

 

二日目の朝は、<6:30 起床 8時朝食 8時30分出発>とメモにある。朝食の時間は、コロナ対策で、受付であらかじめ決めさせられていたわけで、そう、八時しかなかったのだ。撮影に出るにはやや遅い。したがって、朝食前に支度を全て済ませて、食べたらすぐに出られるようにしておいた。もっとも、野間埼灯台に関しては、山が邪魔して朝日は望めない、と駐車場のおばさんから聞いていたので、さほど早く出る必要もなかった。とはいえ、午前の明かりでの撮影は必須で、明日は移動日だから、今朝しかないのだ。のんびりはしていられない。

 

九時前に、野間埼灯台前の駐車場についた。小屋は閉まっていて、二トン車が一台駐車している。運転席に人影が見えたので、休憩しているのだと思った。車は、昨日とほぼ同じ場所に止めた。真正面に灯台が見える。装備を整え、歩き出した。途端に、横からガタガタの白い軽トラが来た。すぐ横で止まり、運転席側の窓から、おばさんが話しかけてきた。今日は小屋をあけないので受け取れない、と言って千円札を一枚渡してきた。昨夕、自分が先払いした分だ。

 

いちおう、遠慮したが、向うの意志が固いので、すぐに受け取って、ポケットにしまった。それから、五、六分、世間話をした。灯台の向こうの海には、小さな漁船が行ったり来たりしていた。親類の船だ、とおばさんが言った。なにが捕れるのですかと聞くと、タコが捕れると答えた。おばさんの服装は、作業着に変わっていた。明らかに、漁港か畑へ行って、仕事をする雰囲気だ。その後、ちょっと話が途絶えたのをきっかけに、今朝も、心からの挨拶を交わして別れた。<お気をつけて><ありがとうございました>、と。

 

快晴だった。文字通り雲一つない青空だ。灯台正面の広場に、人影はない。平日月曜日の、朝九時だ。してやったりと思った。人がいて、昨日は撮れなかった位置から、灯台の正面写真をゆっくり撮った。何とか一枚くらいは、モノになりそうだ。あとは、東西の浜を、端から端まで移動して、撮り歩きした。昨日みつけたポイントで立ち止まり、再度、構図を確認した。同じ絵面でも、明かりや空の様子が違うので、灯台が新鮮に感じられた。それに、画面に人影が入らない。観光客がいないからね。風もなく、暑くも寒くもない。良い天気だった。

 

午前の撮影が一通り終わった。時計を見たのだろう、十一時だった。九時から撮り始めたのだから、二時間たっている。あっという間だった。休憩方々、隣の漁港へ移動しよう。国道をホテルの方へ少し戻ったところに漁港への出入り口がある。昨日来るときに確認していた。それに、防波堤が見えるということは、あそこから、灯台も見えるわけだ。漁港だから防波堤灯台もある筈だ。

 

注釈 この漁港は<冨具崎漁港>という釣りの名所。国道は、247号線で、常滑街道ともいう。

 

国道を左折して、漁港に入っていくと、左手に広い駐車場があり、車がたくさん止まっていた。釣り人だろうなと思いながら、適当なところに駐車して、外に出た。<名古屋>とか<豊田>とか愛知県ナンバーが多い。防波堤に沿って、細長い芝生広場があり、さらに、その防波堤には、何か所か上にあがる階段がついている。要するに、この一角は、駐車場、芝生広場、防波堤とをひっくるめた公園なのだ。

 

防波堤の上にあがった。もろ、逆光の中、野間埼灯台が小さく見えた。望遠で狙ったが、空の色が飛んでしまう。写真的には、さほど期待できない。とはいえ、きらきら光っている海、彼方に大きな船も見える。いい景色だ。灯台が眺められる場所はすべて回る、という自分の撮影流儀に従って行動している。この位置取りから、灯台を見たということが重要なのだ。無駄足を、意味ある行為だと思いたかった。

 

少し行くと、防波堤は右直角に曲がっている。右下が係船岸壁で、小さな漁船が数珠なりだ。灯台に背を向けて、さらに行くと、小さな防波堤灯台らしきものが見えた。赤と白だ。ただし、何と言うか、機能的には灯台なのだろうが、フォルム的には、単なる円筒形の物体で、ロケットのような形だ。上の方に、太陽光蓄電池がついていて、頭のてっぺんが、ランプになっている。ま、いわば、安価な<灯台ロボット>だ。

 

それでも、夜の港では、ぴかぴかぴかぴか光って、漁船の安全を確保している。機能一点張りの物体だが、彼らとて、一応は灯台の範疇に入るのだろう。それに、ここまで歩いてきて、一枚も撮らないで帰るのもシャクだし、何よりも、彼らに失礼ではないか。一応は記念写真だ。望遠カメラをしっかり構えて、何枚か撮った。

 

そうだ、書き込むのを忘れたことが、二つある。一つは、若い女の子二人連れが、派手な肩掛けで寒さをしのぎながら、防波堤で釣りをしていたことだ。男の連れがいたとは思えなかったので、なんだかおもしろい感じがした。自分がガキの頃には、釣りと言えば男の子の遊びで、女の子は、怖がって、エサもつけられなかった。それが、半世紀以上たった今、<釣り女子>が普通の光景になった。

 

もう一つは、小太りの父子が、変な色のタコを釣り上げた瞬間にでっくわしたたことだ。ぽっちゃりした顔の父親が、人に聞こえるような声で、<なんか変な色だな>と言っている。そばで、体形も服装も、ほぼ相似形の息子が、少し引いた感じで見ている。通りすがりに、ちらっと、防波堤にべったり張り付いている手のひら大のタコを見た。やや透明で黒い筋が入っている。形はタコだが、タコらしくない。父親が、いたずらっぽい目で見上げて、そのあと、ニヤッとした。童顔だった。こんな人懐っこい釣り人には、初めて出会ったような気がする。

 

野間埼灯台に再度戻ったのは、十二時すぎだった。メモに書いてある。正面、それから左右の砂浜を行き来して、側面の撮影ポイントで丹念に写真を撮った。同じ場所で、同じような写真を、何度も何度も撮っているが、やはり明かりと空の様子が違うからだろう、飽きはしなかった。だが、おのずと、撮影ポイントが絞られてきて、一回りする時間が短くなったような気がする。

 

おそらく、少し疲れたのだろう。一時半過ぎに、砂浜から上がって、駐車場の隣のカフェレストランに入ったようだ。夕方の撮影にはまだ時間があったし、コーヒータイムだな。それに、どんなところか、一度は入ってみたかった。入り口で、コーヒーだけでもいいですかと聞いた。大丈夫です、ということで中に入った。店内は、わりと広く、ゆったりしている。それに客もまばらだったので、ゆっくりできそうだ。壁に、アフリカの仮面などが飾ってあり、まずまずの雰囲気の店だった。

 

ホットコーヒーを頼んだ後で、アイスコーヒーにすればよかったと思った。季節的には十二月上旬だが、服装的には真冬仕様なので、少し暑くなり、のどが渇いたのだ。ま、いい。テーブルの下で靴を脱いだ。さすがに靴下まで脱ごうとは思わなかった。それほどには暑くない。窓際の席には、二組先客がいた。話し声はほとんど聞こえない。こちらは、通路を挟んだ、壁際の長いソファー席に一人で座っている。ぼうっとしていてもしようがないので、カメラのモニターを始めた。

 

そのうち、窓際の一組が出て行った。店内はさらに静かになった。ところが、その静寂も長続きしなかった。入れ替わるようにして、おばさん四人組が入ってきて、窓際の席に陣取った。自分からは、斜め前方になる。なんで、おばさん連中というのは話声が大きいのだろうか!それに、あることないこと、次から次へと話題が尽きない。店内に、いわば、おばさんたちの話し声が響き渡っている。しばらくは我慢して、カメラのモニターを続けていた。だが、もうコーヒーも飲んでしまったことだし、限界だ。席を立った。ま、それでも、二十分くらいは店に居たようだ。

 

その後は、車に戻り、後ろの仮眠スペースに滑り込んで、少し横になっていた。車の中は、窓を閉め切った状態でも、さほど暑くなかった。そのうち、隣に黒っぽい車が入ってきた。ドアの開け閉めの音や人の話し声がうるさい。起き上がった。そのあと、お菓子を少し食べたような気がする。そして、再度時計を見たのだろう、<2:00~昼寝 2時30分 撮影>とメモにある。三十分ほどは車の中に居たことになる。

 

 

灯台紀行 旅日誌>2020年度版 愛知編#6

野間埼灯台撮影5

 

装備を整え、野間埼灯台の最終撮影に出発した。ちょっと大袈裟かな。今回は、カメラバックに三脚を装着した。というのも、夕景、さらには夜景の撮影に、三脚は必須なのだ。遅ればせながら、先ほど、灯台の根本にライトがあることに気づいた。気づくのが遅すぎるだろう!今日は、灯台がライトアップされる瞬間も撮ろうというわけだ。

 

まずは、道路を渡って広場に入り、灯台の正面に出た。太陽は、すでに灯台の頭の辺りにまで降下していた。しかし、まだまだ、光が強い。目に危険なので、ファインダーはほとんど見ないようにして、いわば、ほぼ<ノーファインダー>でシャッターを押した。いま思えば、カメラにも危険なのではないか!どうせ、モノにならない写真なんだ、今後は慎もう。その後は、左右の砂浜を行ったり来たりしながら、刻一刻と変化する、空の様子や、灯台の様子を写真におさめた。撮影二日目なので、気持ちに余裕があり、この時間帯、昨日はゆっくり撮れなかったポイントでじっくり撮った。

 

再度、広場に上がった時には、太陽はさらに下降し、灯台の胴体の真ん中あたりで、最後の輝きを見せていた。そろそろ陽が落ちるなと思った。地上の色も明らかに赤っぽくなり、落日が近づいている。と、先ほどから、目の端で気になっている点景がある。それは、若い女の子で、小さなコンデジを手に持って、浜を行ったり来たり、あるいは、例の幅の狭い防潮堤に登ったりして、陽が沈む位置を確認している。灯台を見に来たついでに写真を撮っているという感じでない。

 

画面に何度も何度も入り込んでしまうので、なんとはなしに観察していた。小柄でベージュのコートを着ていて、地味な感じだ。表情に少し影があるような気もする。見たところ、連れはいない。少し、心が動いた。まだ二十歳そこそこの女の子が、一人で夕陽を撮りに来た。余計なお世話だが、何か悲しいことでもあったのか、とついつい考えてしまう。

 

いつもの自分なら、話しかけることはしなかったろう。ただ、今回の旅は、なぜか気安い感じのおじさんになっていた。昨日も髭の濃い青年に話しかけたばかりだ。すれ違いざまに、サングラスを外して<夕日の沈む場所を探しているの>と声をかけた。少し警戒した目でじっと見られたが、<絆の鐘>の辺りに沈むよ、と言葉を続けた。さらに、昨日もそこで撮ったんだ、と言うと、彼女は目を輝かせて、写真を見せてください、と元気よく応じてきた。警戒心が解けたようだ。その後、五、六分立ち話をした。

 

いまさっき撮った、コンデジの写真も見せてくれた。アンダーな感じだ。本人もスマホの方がきれいに撮れる、と言っている。ちょっと考えて、コンデジを<夜景>モードにすることを教えた。ためしにと、彼女はすぐに、目の前の夕景を撮った。画像はスマホ並みに明るく、きれいになった。彼女の、驚いたような、うれしそうな声が聞こえた。

 

さらに<絆の鐘>付近の、落日ポイントまで連れて行き、ベストな構図を教えてあげた。あとで考えると、これは余計なお世話だった。おそらく、この時の彼女の心情は、<絆の鐘>とは正反対なものだったに違いないからだ。いや、これもおじさんの妄想だろう。そのあと<それじゃ、頑張って>と言って別れた。<ありがとうございました>と応じた彼女の表情が、少し明るくなったような気がした。

 

そうこうしているうちに、穏やかになった太陽が、水平線にかかりはじめた。と思ったが、なんだか様子が変だ。水平線近くに、雲がたなびいていて、太陽は、その雲の中に落下しつつある。昼間は雲一つない快晴だったのに、まいったな。完全な意味での日没は拝めない。昨日のような完璧な日没は、僥倖だったわけで、撮れてよかったと思った。

 

こうなった以上は、水平線に沈む太陽、いや違った、水平線近くの雲間に隠れる太陽に執着する必要もあるまい。価値があるのは、水平線にかかる、線香花の火の玉のような太陽なのだ。これも思い込みだな。ま、とにかく、<絆の鐘>付近からの写真はあきらめて、昨日撮れなかった<ブルーアワー>時の西の空を撮るべく、東側の浜へと移動した。

 

広場を通過する際、思いのほか人がいるのにちょっと驚いた。平日の月曜日、午後四時二十分頃、灯台の向こうの海に太陽が沈む、というそのことだけで、人間が集まってくる。日の出、日没が好きなのは、日本人特有のことなのか、いやそうでもなさそうだぞ。外国の写真にも、朝日や夕日が主題になっているものが多い。これは、500pxという、世界中のアマチュア写真家が投稿してくる画像サイトでも感じることだ。

 

この500pxには、自分も、数年前から投稿している。ただし、<花写真>のみである。というのも、とくに、風景写真はレベルが高くて、いまでも、とてもじゃないが太刀打ちできない。<花写真>に関して言えば、これは、まあ、互角に勝負できる。と自惚れているので、投稿を続けている。<太刀打ち>とか<勝負>とか言っているは、大袈裟だが、自分の写真が、あまりに見劣りするのは、気分がよくないものだ。

 

ちなみに、ポートレイトやヌードの写真なども、驚くほどレベルが高い。プロの予備軍といった感じだ。総体的に見て、<花写真>は、それらの写真に比べると、かなりレベルが落ちる。理由は、明瞭だ。カネになる写真か、そうでないかの違いだろう。風景、ポートレイト、ヌードは、500pxの、その先にプロの世界がある。だれが、どう考えたって、お花の写真でカネと名声が得られるとは思えないのだ。

 

話しを戻そう。東側の浜へ着いた後も、太陽は、水平線の少し上の雲間で、ぐずぐずしていた。だが、正確な意味での、日没ではないが、雰囲気的にはすでに日没で、急速に暗くなり始めた。空の様子は、下の方の雲が青灰色になり、その少し上の空が淡いオレンジ色、上に行くにしたがって、これまた淡い水色に諧調していく。その真ん中に、やや無表情の、多少しらけた感じで灯台が立っていた。

 

全体的には、もの静かな雰囲気で、何と言うか、日暮れの、敬虔な祈りの時間といった感じだった。もっとも、カップルが一組、それに、若い女の子の二人連れが、画面に入り込んでいた。ほとんど点景に近いから、さほど気にはならなかったが、それでも、やはり居ない方がいいに決まってる。もっとも、この値千金の時間、立ち去る様子もないわけで、致し方ないのだ。

 

あとは、カップルが、灯台の手前の大きな流木の上に、肩寄せあって座っている姿は、ほほえましいが、写真的には排除したいところだ。とはいえ、うまく消去できないかもしれない。少しじりじりしていたのかもしれない。このあと西側の浜へ移動して、灯台のライトアップに備えなければならないのだ。

 

カメラを装着したままの三脚を肩に担いだ。カップルが立ち去らないのを確認して、西側の浜に戻った。砂浜と岩場が、混在する場所に三脚を立てた。灯台からは、二十メートルくらい離れていただろうか。要するに、近すぎず、遠すぎずで、余裕をもって、灯台全体を、画面におさめられる位置取りだ。ファインダーを覗くと、画面の雰囲気は劇的に変化していた。全体がうす紫色。よくよく見ると、水平線近くの雲は青灰色で、その上の空がきれいなオレンジ色に染まっている。さらに、上に行くにしたがって、オレンジ色はうす紫色へと微妙に変化していく。美しい、というほかに、言葉が見当たらない。

 

その光景にうっとりしながら、いや、夢中になりながらも、リモートボタンを慎重に押し続けた。と、一瞬、ぱっと目の前が明るくなった。真白な灯台が、うす暗い海岸に浮かび上がった。ライトアップだ。してやったり、と思った。ほぼイメージしていた通りの光景が、目の前にあった。ただし、灯台の頭の方がやや暗い。この事態は想定していなかった。

 

そのあと、さらにあたりが暗くなり、うす紫の、敬虔な祈りの時間、<ブルーアワー>も終わった。その時はじめて、事態の深刻さ?に気づいた。どういうことなのか、つまり、灯台の胴体と頭とのつなぎ目?が、嵩張っていて、人間で言えば首の部分だろうか、下からのライトを遮っているのだ。結果、頭の方には光が当たらず、真っ暗なのだ。

 

その嵩張りは、ピエロが首のまわりにつけている蛇腹のひらひらしたものをイメージしていただきたいのだが、むろん、デザインとしては、一分の隙もない、灯台の、素晴らしい造形の一部だ。昼間は、所与のものとして、当たり前だった、この灯台の形が、下からのライトアップで、はからずも、頭のない、胴体が長くて白い、異様な建造物に見えてしまったわけだ。

 

さらに悪いことに、側面からの仰角、つまり、灯台を横から仰ぎ見ているので、頭の方が小さくなり、見えづらくなっていた。結果、灯台の命とでもいうべき、目からの光線も見えず、目=レンズが光っていることさえ、はっきり目視できなかった。

 

それでも一応、辺りが漆黒の闇になるまで、その場にとどまり、ライトアップされている灯台の写真を撮った。これは、写真的には、到底納得できるものではなかったが、状況証拠、というか記念写真として撮っておくべきだと思ったのだ。

 

無駄で、意味のない行為ではあったが、真っ暗になった砂浜でたった一人、額にへッドランプをつけ、灯台の夜間撮影をしている人間が、それほどバカにも思えなかった。自宅から400キロ離れた海岸で、誰にも知られず、灯台などを撮っていることが、わけもなく愉快だったからだ。人生の、時間の、自分というものの桎梏の中で、せめて、あがいてみせる、くらいのことはしているつもりだった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#7 宿~移動

 

漆黒の闇に佇む灯台は、たしかに魅力的であるにはちがいない。だが、頭部が見えないことで、魅力は半減どころか、ほとんどなくなってしまった。灯台の全体像、機能美の極致ともいうべきその造形に魅かれていたことが、はからずも理解できたわけだ。もういいだろう、引き上げよう。

 

暗い砂浜を、ヘッドランプの光で照らしながら、広場に上がった。周囲は、街灯などの明かりで、意外に明るかった。正面から、灯台をちらっと見た。頭がうっすら見える。おやっと思って、肩に担いだ三脚をおろし、何枚か撮った。だが、露出差の関係で、頭部は真っ黒だった。それよりも、下からのライトを受けた胴体の窓などが、目だの口だのに見える。ちょうど、シャンプーハットをつけた、縦に目が二つ並んだお化けのような感じで面白い。すでに、灯台は不可思議なオブジェと化していた。

 

時計を見た、と思う。五時半は過ぎていたような気がする。六時二十分が夕食の時間だ。受付の女性にもらったメモを財布から取り出して確認した。10分あれば宿にはつける。陽は完全に落ちて、外は真っ暗、街灯や車のヘッドライトが眩しい。どことなく、夕方のせわしなさを感じたが、気持ち的には余裕があった。すぐ近くの国道沿いにガソリンスタンドがある。昨日来た時にインプットされていた。<地域クーポン券>が使えれば、ベストな消化方法だ。寄ってみるか。車を出した。正面の、ライトアップされた灯台が目に入った。お化けが、バイバイしているように見えた。ハンドルを右に切って、国道に出た。ちょっと名残惜しかった。

 

ガソリンスタンドはすぐだった。ハンドルを左に切って、中に入ると、おじさんが誘導してくれた。ややつっけんどんな感じ。窓を開けて、<地域クーポン券>使える?とたずねた。使えるよ、とおじさんの声が聞こえた。そのあと、なんかごちゃごちゃ言っているが聞き流して、¥2000分いれて、と言って券を渡したような気がする。

 

車を給油位置につけ、給油口をあけて、外に出た。制服を着た従業員が一人いて、彼が、ガソリンを入れている。となると、おじさんは、バイトかな?いや、あの口の利き方は、経営者かも知れない。私服だしな。そのおじさんが、<川越か>とこっちに聞こえるように言った。その後、給油が終わるまでの数分間、立ち話をした。駐車場のおばさんも<川越>のことは知っていたようだし、<川越>も有名になったもんだと思った。

 

宿についたのは六時頃だった。夕食まではあと二十分しかない。受付で部屋のキーを受け取り、狭いロビー内に併設されている、縦長の売店でお土産品を物色した。何しろ、クーポン券がまだ¥3000もあるんだ。品ぞろえは悪くないが、これといったものがない。と、一番端の棚に、<招き猫>が数種類ならんでいた。おっと思い、立ち止まった。大きな物はいらない。中くらいの物を手に取り、値段を見た。¥4000。意外に高いな。入り口に座っていた係の女性に声をかけ、そばまで来てもらった。

 

質問事項は二つ。ひとつ目は、本物?の<常滑焼>なのか?ふたつ目は、右手を上げているのと、左手を上げているのがあるが、その違いは?ひとつ目の答え、間違いなく<常滑焼>です。ふたつ目の答え、右手を上げているのはお金を招く、左手を上げているのは人を招く、とのこと。この、二つ目の答えには感心した。そういう意味があったとは、今のいままで知らなかった。ふと、壁に貼ってある、観光案内ポスターを見た。招き猫が、左手をあげている。なるほど、と二度感心した。

 

結局、招き猫は<中の中>の大きさの¥3000の物を買った。あとついでに、焼き海苔も買った。海苔は、宿の前の海で養殖されているのを見て、食べてみたくなったのだ。それに夕食に出た<岩のり>の小鉢が、淡い味付けでおいしかった。だが、帰宅後、この焼き海苔は失敗したと思った。常食しているスーパーの佐賀県産の物より、かなり味が落ちる。ともに¥500前後だが、愛知産の方は、量が倍くらいあった。その分、質が落ちるのかもしれない。一方、招き猫の方は、大正解だった。大きさ的にはちょうど、ベッドの頭の上に置けるくらいで、しかも、ニャンコの骨壺と並べると、ぴったりだ。三毛の招き猫には、ニャンコのお友達になってもらおう。

 

<地域クーポン券>¥5000分を、かなり有効に消化したので気分がよかった。部屋に入って、すぐ浴衣と丹前に着替えて、食堂へ向かった。その際、アメニティーの手ぬぐいを一本手にした。食事終わりに、温泉に入ろうというわけだ。予約してあった時間、すなわち六時二十分、少し前に食堂の入り口に立った。昨晩と同じ席に案内され、昨晩と同じように、食前の飲み物は断り、さっと食べて、さっと引き上げた。二日目の夕食は、多少目先が変わったものの、味が同じなので、さほどうまいとも思わなかった。むろん、この宿でおいしいものが食べられるとは思っていないので、不満はない。

 

温泉は、それに比べて、今日もグッドだった。入っているあいだ、誰一人姿を見せず、広い、きれいな温泉を独り占めした。透明で少しぬるっとした温泉は、肌に優しく、臭いもほとんどない。ちょうどいい温度で、縁に背中をつけ、両足を前に伸ばして、ゆっくりくつろいだ。十分満足して、気分良く部屋に戻った。その後は、冷えたノンアルビールを飲んだのだろうが、よく覚えていない。メモ書きが残っているから、メモだけは、しかたなく書いたような気もする。おそらく、八時すぎには寝ていたにちがいない。

 

三日目

<6:00 起きる ほぼ一時間おきにトイレ 眠りが浅い>とメモにある。その通りなのだろう。ちなみに、<眠りが浅い>のは物音のせいではない。ホテルは、やはりというべきか、朝の六時すぐまでは、しんと静まり返っていた。朝食の予約時間は、七時だった。それまでに、宿を引き払う支度を済ませたのだと思う。朝食は、昨日と同じで、納豆以外はすべて完食。うまい、まずいは関係ない。今日一日のエネルギー補給の意味でがっつり食べた。ただ、小さなプラ容器に入っていた納豆は、まずすぎて食べられなかった。そもそも、納豆は嫌いなのだ。だが、発酵食品でもあるし、体のためを思って、スーパーのプライベートブランドで、三個ワンパック¥80の格安納豆?を毎朝常食にしているのだ。それよりも、はるかにまずかったのだから、食品ロスになるとはいえ、お引き取り願うのは、致し方のない話だ。

 

<7:45 出発>。ナビを伊良湖岬灯台手前の、赤羽根防波堤灯台にセットした。この灯台は、ネットで見る限り、周囲のロケーションが素晴らしいので、寄ることにしていた。それと、ルート選択で<高速優先>を選んだ。というのも、三河湾沿いの一般道を走っていくルートもあるからだ。高速代¥2000をケチって、およそ140キロ、三時間半もの道のりを、一般道でたらたら行けないでしょう。もっとも、高速を使っても三時間半くらいはかかる。だが、半分以上は高速走行だ。疲労度が全然違う。目的地に着いた後には、ジジイには過酷な?写真撮影が待っている。移動で体力を消耗するわけには行かないのだ。

 

最寄りの美浜インターから南知多半島道路に入り、伊勢湾岸道を北上。豊田ジャンクションで東名に入り、音羽蒲郡インターで降りて、知多半島の一般道を南下する。というナビの示したルートを眼で確認して、出発した。ところが、楽勝と思っていたこの移動は、朝からとんでもない緊張を強いられる結果となった。

 

まずもって、時間帯が悪かった。ちょうど、通勤時間帯と重なってしまった。ということは、車の量が多いうえに、みんな急いでいるということだ。県民性云々の話はしたくないのだが、名古屋、豊田ナンバー、運転が荒い!さして広くもない片側二車線の有料道路を、自分としては、左側を謙虚に90キロくらいで走っていた。なのに、バックミラーに、黒いワンボックス車が迫ってくる。運転している若い女性の表情まで、手に取るように見える。と、その瞬間、女性の顔が消えて、今度はすぐ横を黒い物体が走りぬけていく。

 

おいおい、あさっぱらから勘弁してくれよ。ところが、彼女だけではなかった。次から次へ、後ろから後から車が迫ってくる。もうバックミラーで相手の顔を確認する余裕もない。何しろ、90キロ前後で走っている自分の車をさっと交わし、ほとんど車間距離もとらず、みなして車列を組んで?右車線を100キロ以上ですっ飛ばしている。自動車の種類とか性能とか関係ない。おそらく、性別年齢も関係ないと思う。何しろ、おとなしく左車線を走っているのは、タンクローリーと<川越>ナンバーだけなのだ。

 

名古屋、豊田ナンバーたちは、よそ者の川越ナンバーに、嫌がらせをしているわけでもあるまい。みんな通勤で急いでいるのだ。それはわかる。ただ、だあ~~~と、車間を詰めてくるのはやめてもらいたいものだ。朝っぱらから、血圧が上がってしまった。おかげで、標識を見間違え、降りてはいけないところで、高速を降りてしまったのだ。

 

最初は、少し焦ったが、ま、そのあとは、腹を決めて、片側四車線の、高速道路が頭上に入り組んでいる、国道を走った。思いのほか道が広いので、一般道にもかかわらず、みな、70、80キロで走っている。といっても、適度の車間距離を保っているので問題はない。肩の力が抜けて、少しホッとしたのを覚えている。そのうち、この道が、国道一号線だということに気がついた。おそらく、名古屋の中心地を走っていたのだろう。なるほど、都心の道と遜色ない。広くて立派だ。だが、トラックが多いせいだろうか、排ガスが充満しているようにも感じた。

 

周囲はほとんど名古屋ナンバーだった。だが、あおるような運転をしている車は一台もないし、車間距離をつめられこともなかった。あの、悪夢のような、知多半島有料道路の、朝っぱらの三十分間は何だったんだ。ちょっと、キツネにつままれたような気がした。そのうち、大きな標識に導かれ、豊明インターから東名高速に復帰した。岡崎を過ぎ、音羽蒲郡インターで降りた。

 

その後も、ナビを全面的に信じて、その指示に従った。交通量の多い一般道を走ったが、いつもの自分の運転で、ほとんど神経を使うことはなかった。知多半島を南下し始めたのが、ナビの画面でわかった。交通量が少なくなり、片側一車線の地方道だ。田原街道からそれて、半島の南岸?の道に入った。とたんに、道の両側にはビニールハウス、そのうち、一面のキャベツ畑だとか、なぜか、この時期に菜の花畑も見える。知多半島は房総半島のように温暖な気候なんだ、と思った。念願の、というか、多少因縁のある、伊良湖岬灯台に、かなり近づいていた。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#8

赤羽根防波堤灯台伊良湖岬

 

渥美半島の太平洋岸、赤羽根海岸についたのは、<11:00>頃だったと思う。正確には、<道の駅あかばねロコステーション>の駐車場に入ったわけだ。まず、そのアカぬけた施設のトイレで用を足した。自販機で缶コーヒーを買って飲んだような気もする。見回すと、あった。防波堤の先端に、もろ、逆光の中、お目当ての赤羽根防波堤灯台が見えた。だが、かなり遠いぞ。車を海岸沿いの駐車場へと移動した。ほんの二百メートルほどだが、灯台までの距離を稼いだことになる。ジジイの発想だ。

 

周辺は、芝生広場になっていて、整備されていた。トイレの建物も、公衆便所とは呼べない感じで、多少凝ったデザインだ。いまネットで調べて知ったのだが、この辺りは、<太平洋のロングビーチ>と言って、サーフィンの名所だそうな。外に出た。あまり気乗りしなかった。というもの、逆光なのだ。どう考えたって、きれいには撮れないでしょう。それに、遠すぎないか!

 

ぶつぶつ言ってもだめだ。ここまで来て、撮らないで帰るわけにはいかないだろう。防波堤灯台へ向かって歩き始めた。何やら工事をやっている。さらに近づくと、防波堤は立ち入り禁止、工事用のバリケートで仕切られていた。だが、簡易的な可動式のバリケートを並べているだけだから、簡単に突破できる。それに、灯台の近くには釣り人が何人かいる。立ち入り禁止など、まったく関係ない。ほとんど、何の罪悪感も感じないで、バリケートをまたいだ。

 

灯台に近づくにつれ、逆光よりも、その根本あたりにいる釣り人が気になってきた。なぜって、画面に、もろ入り込んでしまうのだ。赤羽根防波堤灯台は、よくよく見ると、赤羽根港の右岸側の先端にある。つまり、カタカナの<コ>の字の、下の横線の左側の先端に位置しているのだ。むろん、<コ>の字の開いている方に海があり太陽がある。いま自分はその<コ>の字の下の横線上にいて、左に向かって歩いている。先端に灯台があり、その手前に釣り人いる。邪魔なのだが、どうしようもないではないか。

 

だが、さらによくよく見ると、その<コ>の字の下の横線の、左側先端から、真下に少しだけ防波堤がある。つまりどういうことか、釣り人を少しかわして、灯台を横から撮ることができるということだ。ま、その位置取りに一縷の望みを託して、とりあえずは、強風の中、危ないからなるべく防波堤の真ん中に寄り、撮り歩きしながら先端に近づいた。灯台の根本に着くと、その周りを、ぐるっと360度回った。柵があるわけでもなく、すぐ後ろは海だ。突風が来て、よろよろっと、そのまま海の中へドブン、という可能性がなくもない。強風だったが、幸いにも、突風は来なかった。

 

先端の赤い灯台は、防波堤灯台とは言え、自分の背丈の三倍以上はあった。その根元に居るのだから、魚眼レンズでも使用しない限り、その全体は撮れない。要するに、写真が撮れる位置取りではない。したがって、灯台の周りをまわる必要もなかった。回ったところで、面白くもおかしくもなかった。

 

だが、ここまで来た記念だ。灯台の、赤いぶっとい胴体をアップで撮った。一応は、被写体に可能な限り近づき、その周りを360度回って撮影ポイントを探す、という写真撮影に関しての、自分なりの流儀を貫いたわけだ。だが、この時は、まったく意味のないことだった。<流儀>などよりも、身の安全や体力の温存を優先すべきだ。同じような過ちを、これまで、幾度となく繰り返してきたような気がした。

 

防波堤に座って釣りをしている爺を見た。こちらの思惑など、千に一つも理解していないだろう。ま、いい。逆光だし、この位置取りでは、灯台の見栄えもさほど良くない。いまだ可能性が残っている短い防波堤の方へ行った。ま、たしかに、多少はいい。だが、逆光も釣り人の爺も、さほどかわすことはできず、灯台のフォルムもイマイチだ。無駄足だった。苦労して、ここまで歩いてきた自分が、もう自分でも理解できなかった。

 

戻った。はるか彼方に、車を止めた駐車場が見えた。あそこまでまた歩くのかと思って、うんざりした。とはいえ、辺りの景色は素晴らしかった。とくに、弧を描いた砂浜がきれいで、波打ち際がエメラルド、海の色はマリンブルーだった。人影がほとんどないのに、もの悲しい感じはせず、南の島のような雰囲気が、自分にはそぐわないが、いやではなかった。

 

<11:45 出発>とメモにある。と、これ以前の出来事をひとつふたつ付け加えておこう。駐車場に戻って、着替えをして、こじゃれたトイレで用を足した。着替えに関して言えば、寒いのに、歩き出すと背中にだけ汗をかく。この現象は、カメラバックなどを背負っていればなおさらで、背中だけが、なぜこれほどまでに蒸れるのだろうかと、今更ながら思った。こじゃれたトイレに関しては、野次馬根性というか、冷やかし半分、中がどんな感じか見てみたかったのだ。どこか、ワンコが片足を高く上げて、電信柱にオシッコをひっかける、マーキングに似ていないこともない。

 

<12時30分 伊良湖 着>。八時ころ出発したのだから、四時間半たっていた。途中、赤羽根灯台で小一時間引っかかっていたのだから、実質、三時間半かかった。ま、予定通りだな。と、気まぐれだ、少し時間を戻そう。赤羽根海岸を後にして、伊良湖岬へ向かっていくと、じきに、見上げるような岬のてっぺんに白い大きなホテルが見える。なるほど、あれが<伊良湖ビューホテル>か。旅に出る前、一度予約に成功したホテルだ。値段的には、<Goto割り>適用で、確か一泊素泊まりで¥10000ほどだった。下を通り過ぎながら、泊まってみたかったなと思った。ちなみに、キャンセルしたのは、日程上の問題で、致し方なかったのだ。

 

さてと、伊良湖岬に着いた。灯台へ行くには、<恋路ヶ浜駐車場>に車を止めて、海岸沿いの遊歩道を10分ほど歩いていくしかない。駐車場は無料、広くて、トイレもあり、ちゃんと管理されている。土産物店などが五、六軒、敷地の外に並んでいて、食事もできる。外に出て、まず、太陽の位置を確認した。正面の海の上、冬だから、角度的にはさほど高くない。きれいな写真が撮れる位置にある。

 

おそらくは、カメラ二台を肩にかけ、三脚を手に持って、歩き始めたのだと思う。砂浜沿いの遊歩道は、途中、ちょっとだけ砂で覆われていて歩きづらかったが、おおむね石畳の道で、問題はない。うしろを振り返ると、きれいな砂浜が弧を描いていて、断崖の上、岬のてっぺんに伊良湖ビューホテルが見える。右側は、崖で、山が迫っている。五分ほど歩くと、左側の砂浜が切れて岩場になる。だが、岩場が続くわけでもなく、波打ち際は、じきにテトラポットでガードされるようになる。

 

波打ち際と遊歩道との高低差、ないしは、距離は十メートルくらいある。テトラが波際の最前線で、二重、三重の防御だ。さらに本隊は、大きな石たちで、遊歩道の縁まで段々に積み上げられている。が、いま思えば、この大きな石たちは、波際対策のみならず、景観を配慮しての配置だったようにも思える。というのも、かなり広い遊歩道の左側、すなわち海側には、腰高の大きな石を並べて作った塀があり、狭いながらも、その上を歩こうと思えば歩けるほどだ。

 

要するに、かなり金のかかった、凝った作りともいえる。その石塀のすぐ外側に、無機質なテトラポットが積み上げられていたら、これはもう興ざめだろう。波際最前線のテトラは、致し方ないとしても、目の届く範囲は、やはり、石塀や石畳と同じ材質の石を配置して、全体的な統一感を演出する必要がある。つまり、この遊歩道は、単なる遊歩道ではなく、ある一つのコンセプトに基づいて制作された芸術作品だったのかもしれない。

 

だが、この遊歩道は、よいことばかりでもなかった。灯台に近づくにつれ、なにかが刻字されている石が目立ち始めた。近寄ってよく見ると、俳句らしきものが刻字されている。それも、一つや二つではない。軒並みだ。塀の役割を担って並んでいる、大きな石の表面を削って平らにし、そこに、俳句を彫り込んでいるのだ。俳句に興味がなく、鑑賞できない者にとっては、ほとんど無視するほかあるまい。だが、ためしに、一つの石に近寄って、刻字されている俳句を眼で追った。やはり、何のことかよくわからない。むろん説明もない。お手上げだった。

 

いま調べてわかったことなのだが、遊歩道の石に刻字されていたのは、江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>の<まじない歌>だったらしい。そして、この石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>というそうな。てっきり、伊良湖岬に関係する俳句や和歌だと思っていたが、ああ、勘違いでした。

 

とはいえ、句碑、歌碑が多すぎないか?ありていに言えば、いくら地元の有名な歌人とはいえ、石塀の表面に、軒並み俳句や和歌を刻字して並べるのは、あまりに心無い。もう少し、配列の美しさ、読みやすさへの配慮があってもよかったのではないか。たとえば、数を減らして、石塀の石とは別個の石に刻字し、歌碑、句碑とすることもできたろう。そもそも、和歌や俳句は、石にではなく、心の中に刻字されてしかるべきものだ。無筆の歌人<糟谷磯丸>も、観光客がふと立ち止まって、自分の歌を心の中で反芻することを、望んでいるのではなかろうか。

 

広い石畳の道、巨石を並べた腰高の長い石塀、膨大な波消し石、それに波の音、海、空。伊良湖岬灯台への道は、清々しい。それだけに、句碑、歌碑の設置、展示方法の齟齬が残念だった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#9

伊良湖岬灯台撮影1

 

海沿いの広い石畳の道を歩いていくと、ススキの生えた崖の横から、伊良湖岬灯台が、突如として現れる。なるほどこれが、と一瞬立ち止まり、さらに少し歩いて、よく見える場所まで移動した。意外に小ぶりで、こじんまりしている。防波堤灯台よりは大きいが、巨大な沿岸灯台の三分の一くらいしかない。しかも、丸っこいから、可愛い感じがする。ただ、長い間、強い海風や雨に晒されてきたのだろう、全体的に少し汚れている。手すりや扉などの錆が流れて、シミになっている箇所もある。

 

真っ白な灯台は、むろん好きである。とはいえ、多少経年変化している灯台は、それにもまして好きだ。やはり、画像よりは実物の方がはるかにいい。これはと思い、一気に撮影モードに入った。下調べの段階では、撮影ポイントは二つ、東西の側面からで、まずは、西側の腰高の石塀に登った。少し高い所から、目の前に広がる<灯台のある風景>を見回した。

 

伊良湖岬灯台は、まさに、波打ち際に立っていた。といっても、人間の背丈くらいの、コンクリの土台の上にあるから、直接波を受けることは少ないだろう。灯台の背後には水平線が見えた。ただ、今いる位置からだと、灯台も水平線も、傾いているように見える。つまり、灯台を垂直に見立てると、水平線がもっと傾き、水平線の水平を確保すると、灯台がさらに傾いでしまう、というおなじみのジレンマに直面した。

 

補正作業の、最近の傾向としては、<灯台の垂直>が最優先で、<水平線の水平>は、そのためには多少妥協する、という感じになっている。ま、それにしても、灯台と水平線が十字クロスする地点がベストポイントなわけで、その場所を探すべく、腰高石塀から海側の大きな波消し石の上に飛び移った。むろん、波消し石は、その上に、人間が都合よくのれるよう形をしているわけでもなく、配置されているわけでもなかった。

 

となれば、<沢登り歩行>を選択せざるを得まい。足を置ける場所を、目であらかじめ選択して、一歩一歩移動することになった。ただし、今回は、その選択がなかなか難しい。というのも、ランダムに置かれている波消し石の間には、大きな隙間がある場合もあり、飛び移るのに危険を感じることがあった。もちろん、その場合、たとえ足をのせる場所があっても、その石は選択から除外せざるを得ない。

 

しかも、波消し石のほとんどが、一抱えほどの大きさだ。なので、行きたい方向に存在する石の数が少ない。いきおい、足場を選択できる場所も少なくなり、行きたい方へ行けないこともしばしばだった。その時は、迂回するしかない。しかし、迂回したとて、当初に目指した方向へ行けるとは限らない。むしろ、これまた、行けないことの方が多く、さらなる迂回を強いられた。ときどき、石の上に斜めに立って、周りを見まわした。だが、目指していた方向には、なかなか近づけなかった。

 

いまこの瞬間、あの時の自分の行動を思い返してみると、なんだか、かわいそうな気もするし、滑稽な感じでもある。というのも、あの膨大な波消し石たちは、全体としては、多少の傾斜を伴って、波打ち際のテトラポットへ向かって配置されていたわけで、要するに自分は、おおむね斜めに敷き詰められた、大きな石の間を登ったり下りたり、飛び移ったり、飛び下りたり、さらには、へっぴり腰で、四つん這になって、這い上がったりしていたことになる。<この世は舞台、人間は、そこで右往左往する役者だ>。まいったね。

 

話しを戻そう。目指した所へ、正確にはたどり着けなかったかもしれない。だが、目指す方向へは、おおよそ近づけた。しかも、迂回に次ぐ迂回で、写真的には、膨大な波消し石たちの、どの場所がだめで、どこがより有効なのかが理解できた。ま、いわば、足で稼いだわけだ。もっとも、灯台と水平線が十字クロスする地点は存在せず、あくまでも、その近似値で満足するほかなかった。ま、多少は補正ができるので、問題はない。

 

西側からの、ベストポジションを、おおむね確定できたので、その場所の石の形とか、全体の布置を記憶した。今日の午後、そして明日の撮影のためだ。いましがたの作業、大きな波消し石の間を飛び歩くことなど、もうやりたくなかった。そう、肝心の灯台の写真だが、波消し石の間を移動する際、その都度こまめに撮っていたので、枚数的にも、構図的にも、不安はなかった。一枚や二枚、気に入った写真が撮れているはずだ。

 

腰高の石塀から、下の石畳の道に下りた。その際、一気に飛び下りることはしなかった。あぶないでしょ。まず、塀の上に尻をつき、腰かけるようにして、両足を下に垂らした。ちなみに、腰高塀の上は、五十センチ幅くらいあった。それから、片手を尻の脇について、その手のひらを支点にして、ひょいと体を浮かせ、足を石畳におろした。そこでまた、灯台に向き直った。構図としては、右側に石畳の道が大きく入り込んでしまう。やや人工的な感じがして、気に入らない。ま、それでも、撮り歩きしながら、灯台に近づいていった。

 

灯台の正面、ちょっと手前、石畳の道が、山側に少し広くなっている。土留め石に(おしゃれなことに石塀などと同じ質感の大きな石だった)体をあずけながら、カメラを灯台に向けた。レンズの最大広角24ミリで、ぎりぎり、画面におさまる。とはいえ、画面の中での灯台が大きすぎる。大きく写し込んでも、かならずしも、被写体が際立つということにはならない。逆に、圧迫感が生じて、しつこい感じになることもある。撮影画像の選択作業の中で、最近得た知見だ。先に進もう。

 

灯台の正面に来た。と、山側にコンクリの階段がある。見上げると、もう少し高い所まで行けそうだ。気持ちが動いた。下調べでは見つけられなかった、ポイントだった。数段上がっては振り向き、その都度、構図を決めて写真を撮った。背景に大きく海が広がっていて、すごくいい。この階段は、幅は一メートルほどで、高さは三階くらいだったと思う。登りきったところは、いわゆる、踊り場で、一息つける。この一番高い位置からだと、水平目線が灯台の頭とぶつかる。灯台の高さも、やはり三階くらいだったわけだ。

 

踊り場の左手には、かなり急なコンクリ階段があった。幅は人間一人が通れるほどで、しかも、中央に金属の手すりがついている。階段が、手すりで縦に二分割されているので、歩ける幅はさらに狭くなり、かなり歩きづらい。もっとも、手すりは下りる時の滑落防止、および、登るときの補助としてちゃんと機能していた。実際に上り下りしてみると、歩きづらさを補ってあまりあるほどの効果があった。

 

手すりにつかまって、階段を登り始めると、灯台は死角になる。しかも、両脇は鬱蒼たる樹木で、左右の視界も全くない。階段は、おそらく三階ほどの高さだが、半端なく急なので、途中で一息ついたほどだ。上りきったところは、開けていた。山側を見上げると、さらに一段と高い所に、レーダー塔(伊勢湾海上交通センター)のようなものが見える。ただし、海側は樹木で覆われ、展望はない。

 

さらに見回すと、何やら、歌碑もある。右手には舗装路が見え、どうやら、ここが行き止まりらしい。だだし、正面の崖、というか山の斜面を登って、レーダー塔まで行けそうだ。とはいえ、ネット検索した限りでは、施設の中には入れそうにもない。それに、なんだか疲れていたのだろう、全然行く気になれなかった。歌碑にもちょっと近寄ってみたが、名前の知らない歌人で、案内板も読む気になれなかった。灯台は見えないし、レーダー塔に行くには大変だ。無駄骨だった。

 

急な階段を、手すりにつかまって下りた。金属の手すりがありがたかった。踊り場で立ち止まり、右を向くと、目の前に灯台があった。階段を下りながら、1メートル間隔で、灯台の写真を撮った。むろん、その都度モニターしたが、どの場所がベストポイントなのか、やや決めかねた。どの構図の写真にも、海を背景にした灯台の、何と言うか、優しい佇まいが写っていたのだ。もっとも、ちゃんと決める必要もなかった。短い階段だし、全部撮っておけばいいんだ。大した手間じゃない。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#10

伊良湖岬灯台撮2~土産物店

 

階段から降りて、灯台の正面に立った。伊良湖岬灯台が、いくら小ぶりとはいえ、至近距離では上半分、画面に入らない。ま、そういうことは、この際関係なかった。あくまでも記念写真だ。上半分が写っていなくても問題はない。あとは、扉とか手すりとか、細部をじっくり見た。ただし、ほとんど記憶されていない。ただ、近くで見ると、錆が流れている箇所が意外に多かったような気がする。灯台50選に選ばれている、有名な灯台なのに、やや、ほったらかしだ。もっとも、何年かおきに修繕しているのだろうから、修繕前だったのかもしれない。

 

その後は、来た方とは反対方向、つまり、フェリー乗り場の方へ少し歩いた。遊歩道は、右側の山の縁に沿って、ゆるい右カーブだ。ふと振り向くと、灯台はすでに死角になっていた。ということは、もうこれ以上、前に進む必要はない。回れ右。少し戻った。山側が広くなっていて、ちょっとした広場になっている。ベンチもある。座って休憩した。

 

ベンチに座った位置からでも、灯台は、見えることは見える。ただし、左から山の斜面がせり出していて、写真にはならない。景観ともいえない。少しの間、ベンチに座って、体を休めた。が、静寂はすぐに破られた。がやがやと観光客が来た。立ち上がった。気まぐれだろう、そばにあった、モニュメントや歌碑のそばに寄って、ちらっと眺めた。初めて見る名前だ。疲れていて頭が働かなかったのだろうか、覚えようともしなかった。

 

さてと、今度は東側の波消し石の上から、灯台を見てみよう。石塀に近づいた。見ると、一個一個の石の表面に、和歌なのか俳句なのか、なにか刻字されている。伊良湖岬に関する、万葉集の歌かなと思い、近寄って、文字を眼で追った。まったく意味が取れない。和歌なのか俳句なのか、文字は、石塀を構成している石に、一首ずつ、軒並み刻字されている。あの時は、それが何を意味するのか分からなかったし、わかろうとも思わなかった。

 

注釈 伊良湖岬灯台へと至る石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>と呼ばれている。<磯丸>とは江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>のことで、石に刻字された句は、磯丸の作品<まじない歌>だったらしい。

 

まず、カメラを二台、肩から外して、石塀の上に置いた。身軽になり、両手を石塀の上についた。次に、右足をあげて石塀の上に、足先をのせた。その足先を支点にして、ぐいと踏ん張り、石塀の上に飛び乗った。そのあとは、身をかがめてカメラを一台ずつ手に取り、一台は肩掛け、もう一台は首にかけた。そして、灯台を眺めた。ごくろうさん!灯台も水平線も、斜めにかしいでいる。波消し石の上を飛び歩くのは、もううんざりだったが、しかたない、やるしかないだろう。どの石の上から見れば、灯台の垂直と水平線の水平を確保できるのか、この目で確認しなければならない。

 

もっとも、今回は、多少手抜きした。というか、灯台との距離が、おのずと決まってきて、さほど前後に動く必要がなくなった。のみならず、構図的な問題で、左右の動きも、狭い範囲内でおさまった。つまり、灯台の左側からせり出している山を、どの程度画面に取り込むかが最大の問題で、この問題に決着がつけば、すなわち、その位置が東側のベストポジションになるのだ。

 

灯台からの距離は、およそ20メートル。足を置く波消し石は、石塀と波際のテトラポットのほぼ真ん中辺り。波消し石の形や、周囲の布置、特徴を頭に入れて、石塀に戻った。さほど時間はかからなかった。いま思えば、かなり疲れていて、ややいい加減になっていたような気もする。

 

撮影画像で確認すると、時間は、午後の二時前だ。朝六時に起きて、四時間ほど運転、小一時間赤羽根灯台を撮り、その後も、ずっと伊良湖岬灯台の撮影。とくに、波消し石の飛び歩きがきつかった。石畳の道を、駐車場の方へと戻った。右手には、美しい恋路ヶ浜が広がっていた。だが、何か他のことを考えていたのだろう。景観に感応することもなく、うつむき加減に歩いていた。足が少し重い。疲れを感じた。

 

駐車場に着いた。そこそこ車が止まっていた。風は強いが好い天気で、さほど寒くもない。観光地の雰囲気が漂っていた。カメラを車の中において、目の前の公衆トイレへ行った。まずまずきれいだった。<大>の方は、洋式で温水便座がついていた。もっとも、公衆トイレの便座に座るのは、さすがに抵抗がある。とはいえ、切羽詰まっているときには、関係ない。幾度となくお世話になったことがあるじゃないか。

 

車に戻って、運転席で一息入れた。そういえば、今晩食べる食料を買いそびれている。ホテルの場所は、来るときに確認していていた。ここから車で二、三分のころにある。素泊まりだから、夕食は調達しなければならなかったのだ。すっかり忘れていたよ。駐車場の敷地外に、道路を隔てて、五、六軒土産物屋が並んでいる。<大あさり定食>の文字が目に入った。夕飯には早すぎるが、食べておいた方が無難だな。なにしろ、渥美半島に入ってからは、コンビニの看板を、ほとんど見ていないのだ。

 

コロナ禍の中、できれば外食はしたくなかった。だが、致し方ない。構えの一番いい店を選んで中に入った。だが、中は雑然としていた。一組客がいたが、食べ終えるところだった。<大あさり定食>を頼んだ。なかなか出てこない。テーブルを一つあけて座っていた先客も引き上げた。まだ出てこない。とはいえ、ゆっくり構えて待っていた。夕方の撮影までには、まだ時間があったのだ。

 

店頭で、愛想のいい女将さんが、さっきからなにか焼いている。あれが<大あさり>なのだろうか。そうらしい。女将さんが声をかけると、奥の方から、ご飯とか味噌汁とかがのった四角い盆を持ったあんちゃんが現れて、女将さんから<大あさり>を受け取り、盆にのせて持ってきた。ようやく飯にありつけた。

 

デカいハマグリのような感じだが、味が大振りで、やはり<あさり>だと思った。しかも、焼き方が下手で、固くなっている。まあ、いい。あさりの味噌汁があったので、ご飯のおかずはそれで十分だ。むろん、ゴムのような<大あさり>四個、完食いたしました!あと、デザートのかわりだろう、小さなみかんが半分、それにメロン半切れが小鉢に入っていた。そのみかんが、わりとおいしかった。

 

食べ終わって、店の真ん中に、雑然と並べてある土産品を見ていた。女将さんがすっと寄ってきて、バイクで来たの、と声をかけてきた。いや、車でと答えると、そうよネ、これじゃさむいわよネと言って、自分の服装を下から上へと眺めなおした。たしかに、下は紺のウォーマー、上も紺パーカ、髪の毛が伸びていて、ざんばらだし、爺のバイク野郎と見られても不思議はない。

 

そのあと<あさりせんべい>のことなどを聞くと、まだ多少色香の残っている女将さんは、聞かれもしないことまで元気よく喋っている。見ると、小粒みかんの箱がいくつも置いてあって、小分けして売っているようだ。小分けをさらに小分けして売ってくれないかと、女将さんに言うと、息子に聞いてみないとわからないと言葉を濁した。折りしも、店頭に客が来て、女将さんは、<大あさり>を焼きはじめた。

 

二十代そこそこの息子が、どこからともなく現れた。小粒みかんの<小分けの小分け>の件を女将さんから聞いたにもかかわらず、シカとしていて、こっちに返事が返ってこない。めんどくさいので、それでいいわ、と言って、小分け袋を買った。息子は急に愛想がよくなって、箱の中のみかんを二、三個手でつかんで小分け袋に入れ、渡してきた。

 

定食代込みで¥1800くらい払った。帰り際、息子は、かん高い元気な声で<おとうさん、はいこれ>と言って、串刺しのパイナップルを、冷蔵庫の中からさっと取り出し、手渡してきた。おそらくは漁師の息子なのだろうが、商売慣れしている。まだ若いが、女将さんにとっては頼もしい息子なのかもしれない。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#11

伊良湖岬灯台撮3

 

串刺しパイナップルを、食べ歩きしながら、車に戻った。パイナップルもうまかった。来るときに見かけたビニールハウスで作っているのかもしれない。その後は、車の中で時間調整したような気がする。日没は四時半だから、三時半に灯台に着いていればいい。運転席で少しぼうっとしていた。

 

窓の外に、土産物屋や旅館などが見える。何軒かは休店している。さらに、よくよく見ると、左端の五階建てくらいの旅館も休店しているようだ。すべての部屋の窓に白いカーテンがかかっている。一階の入り口、自動ドアもカーテンで覆われている。コロナの影響か、季節的なものなのか、夏場だけの営業なのか?あそこに泊まれれば、最高だな。おそらく、伊良湖岬灯台に一番近い宿だろう。

 

時計を見た。三時十分を回っていた。さてと、夕景の撮影だ。カメラ二台を肩掛け、首掛けして出発した。陽が落ちた後の寒さ対策で、ポシェットに、ダウンパーカの小袋も結びつけた。ちょっと説明しておこうか。ユニクロのコートタイプのダウンパーカで、色は黒。たたむとかなり小さくなって、付属の小袋に収納できる。軽くて暖かい、優れ物だ。

 

じつは、これは、自分が、デイサービスへ行く老父のために買ったものだ。週二回、ほぼ九時前後にデイサービスの白いバンが迎えに来る。冬場の、玄関から車までの防寒対策だ。軽くて暖かいので、老父も気に入っていた。白いバンに乗り込む、黒いダウンパーカの、老父の後ろ姿が思い出される。甲種合格の元日本兵は、97歳まで生きた。親父が死んですでに五年以上たっていた。

 

伊良湖岬灯台へと至る、遊歩道を歩き出した。太陽は思いのほか低くなっていて、海が、黄色っぽくなっている。きらきら光っているのは、海面が強風にあおられているからだろう。といっても、さほど寒くはなかった。防寒対策は万全で、そうだ、たしか、ネックウォーマーもしていたし、指先の出ている手袋もしていたと思う。むろん、パーカのフードをきっちりかぶり、上下、デサントの最強ウォーマー、ブレスサーモを着用していた。これでなお寒いのなら、小袋からダウンパーカを取り出して着込めばいい。何しろ、寒さの中、ふるえながら、おしっこを我慢して撮ったって、誰もほめてはくれないし、風邪をひくのが関の山だ。

 

灯台に着いた。太陽は、真正面の海の上、目線よりやや高い位置にあった。ためしに、太陽を画面に取り込んで、灯台を撮ってみた。むろん、ほぼ<ノーブラインド>で。目に悪いからね。モニターすると、案の定、太陽の中心部は白色、というか白飛びしていて、空白、と言った方がいいだろう。これはいただけない。もっとも、同心円状に、少しずつ黄色っぽくなるが、それでも、写真として成立しない。となれば、太陽は画面から出てもらおう。

 

波消し石の上、石塀の上、さらには、灯台正面付近の土留め石の辺りで、写真を撮った。みな、下調べした撮影ポイントだ。そのポイント間の移動なので、体は楽だった。その場その場で立ち止り、画面をじっくり見て、ベストの構図を探った。一番楽しみにしていた、山側の階段を登った。振り向くと、灯台の横で太陽が黄色に燃えている。位置的に、太陽は画面から外せない。灯台のすぐ横にあるからだ。これでは写真にならない。水平線ぎりぎり、線香花火の火の玉になるまで待つしかない。

 

だが、このままぼうっと、階段に腰をおろして待っているわけにも行かない。また下に下りて、ポイント間を移動しながら写真を撮った。ほぼ同じ位置取りだが、刻一刻と明かりの具合が変わっている。灯台の見え方も、周囲の色合いも変わっている。撮っても撮っても追いつかないような気がした。時々姿を見せる観光客の目に、バタバタ動き回っている自分が、どう映っているのか、などとは考えもしなかった。なにゆえに、目の色を変え、夢中になっているのだろう?余人には理解できないと思う。正直言って、自分にも理解できないのだ。

 

そうこうしているうちに、太陽はさらに低くなり、黄色の丸が小さくなってきた。とはいえ、直接見るとかなり眩しい。それに、中心部が白飛びしているから、形はまだ見えない。それでも、ファインダー越しに見ると、なんとか写真にできるかもしれない、と思った。山側の階段に急いだ。階段を登りながら、写真を撮った。太陽は、灯台の左横にあり、中心部は空白、その周りが黄色の輪になっている。さらにその周辺の空と海がオレンジ色に染まっている。灯台はといえば、画面のほぼ中央、やや下に位置している。沈む太陽を、腕組みしながら眺めている、といった感じだ。まさに思い描いていた絵面だった。

 

階段を登り切って、踊り場に着いた。太陽が線香花火の火の玉になるまで、まだ少し時間があった。ここでゆっくり眺めていてもいいのだけど、気が急いていた。バタバタっと階段を下りて、灯台の正面付近、遊歩道の山側の土留め壁に体を寄せて、今度は、遊歩道越しに灯台をしつこく撮った。むろんその左横には、いままさに水平線に落ちる太陽があった。この時、すでに、太陽は、小さな火の玉になっていた。要するに、いつ地面に落下しても不思議はない。こうしちゃいられない。また、階段に急いだ。

 

階段を登りながら、下調べしたポイントで、じっくり構図の微調整をした。すなわち、カメラのファインダーを見ながら、幅1メートルほどの階段を、右に左に少しずつ動いて、ベストの構図を探した。背景は、オレンジ色に染まる海と空、それに、晴れた日の夕方、水平線近くに、数分間だけ現れる小さな火の玉だ。そんなロケーションで、伊良湖岬灯台を、なんとしても撮りたかった。むろん、撮れたところでカネになるわけでも、褒められるわけでもない。趣味で撮っているだけだ。しかし、趣味だからこそ、妥協は許されないのだ。

 

火の玉が、水平線にかかり、少しずつ欠けていき、とうとう消えてしまった。最後の最後まで、きっちり撮った。撮れたと思った。それに、たとえ撮れていなくても、まだ、明日があるさ。暗くなった階段を、悠々たる気分で下りた。さてと、今度は<ブルーアワー>だ。

 

遊歩道に下りると、そうだ、書くのを忘れていたが、日没前後、どこからともなく観光客が集まってきて、灯台の正面付近は、ちょっとした<蜜>になっていた。だが、その観光客たちも、陽が落ちた途端、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていた。いや、辺りがかなり暗くなってきたから、人影が目立たなくなったのかもしれない。それはともかく、いまは観光客にかかずらわっている時ではない。西側のポイント、東側ポイント、それから正面付近のポイントから、灯台の背景となる空の様子、色合いを見て回らなければならない。

 

陽が落ちた後の数十分間を、写真用語で<ブルーアワー>という。何度も同じことを書くなよ。ま、その<ブルーアワー>になれば、当然のことだが、灯台に陽射しはない。したがって、灯台は、暗がりの中に立っているだけだ。となれば、せめて、背景の空が、とびきり、とまでは言わないけど、かなりきれいでないと、写真としては面白みがないだろう。

 

というわけで、今回は西側ポイントから灯台を撮ることにした。そう、昨日の野島埼灯台も、西側ポイントから撮った。なぜか、日没後は、東側の空の方が、きれいな色合いになるようだ。おそらく、陽が沈んだ後も、西の空からは、まだかすかに光が出ていて、その光が、東側の空に反射するからだろう。それと、その西側からの光は、かすかながら灯台にもあたるわけで、露出的にもいいのかもしれない。

 

ところが、<ブルーアワー>が終わって、ほぼ暗くなると、今度は、西側の空がきれいになる。水平線の近くが、濃いオレンジ色になり、空の色も、群青色だ。その諧調は美しいが、灯台は、ほぼシルエットになってしまう。と、ここまでは、手持ちで撮れた。だが、さらに暗くなり、灯台の目が光り始め、夜の海に船の明かりが見えだすと、極端にシャッタースピードが落ちて、手持ちでは撮れなくなった。というか、モニターしてみて、ピンボケしているのに気づいたのだ。

 

あ~あ、なぜ三脚を持ってこなかったのか!夜まで粘って、がんばって撮るつもりでいたのに、三脚のことは、すっかり忘れていた。あたりは、すでに真っ暗になっていた。撮影終わり!強風の中、遊歩道を駐車場の方へと戻った。足取りは重かったが、先ほど、西側ポイントでダウンパーカを着込んでいたので、寒くはなかった。と、波音が聞こえてきた。耳をすませた。生れてはじめて聞く、波音のハーモニーだった。

 

ちなみに、恋路ヶ浜潮騒は<日本音風景100選>に選ばれている。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#12

ホテル~伊良湖岬

 

メモには<夜の撮影 5時15分までねばる>とある。となれば、恋路ヶ浜駐車場にたどり着いたのは、五時半前だろう。すでに、完璧な夜になっていた。とはいえ、駐車場は真っ暗ではなかった。街灯が光っていたし、トイレの明かりが煌々としていた。土産物店はすべて閉まっていたが、車がけっこう止まっている。暗い浜辺で釣り人の姿を見ていたので、夜釣りをしている連中の車だと思った。この雰囲気なら、車中泊ができそうな気がした。

 

ホテルまでは、ほんの一、二分だった。三叉路沿いに、駐車場があり、その奥に五階建ての建物が見える。駐車場には何台か車が止まっていた。見上げると、明かりのついている窓がいくつかあった。入口付近はうす暗い。自動ドアを入ると、中もうす暗い。と、目の前に螺旋階段があった。階段の手すりの間から、下の明かりが見える。受付らしい。階段を下りた。

 

なんだか、雑然とした狭いロビーだ。受付には誰もいない。カウンターの上に視線を落とし、呼び鈴を眼で探した。サビていて色が変色している。鳴るのかなと思って、指でたたいた。<ち~ん>という金属音ではなく、<ぢん>!こもった音がした。様子を窺がった。三拍ほど間があいて、正面のドアの向こうから女性の声がした。

 

出てきたのは、中年と老年の間くらいの女性だった。愛想はいい。館内の説明をひと通り聞き終え、コロナ関係の書面に署名した。その際、免許証を見せた。二泊分¥10400を前金で支払い、その後に<地域クーポン券>¥2000分を渡された。こちらが聞く前に、従業員なのか女主人なのか判断に迷う、その女性が、クーポンの使える店を教えてくれた。前の道をちょっと走ったところにファミマがあるから、そこで使ってしまった方がいい。前の道って?とうしろを振り返り、そのファミマの方向を指さした。そうそう田原へ行く方よ、と間髪入れず女性が答えた。

 

渥美半島に入り、自分が走ってきたのは、太平洋岸だ。伊良湖岬灯台へは、本来なら、三河湾側の<田原街道>を南下するルートが一般的らしい。自分の場合、赤羽根灯台に寄ったので、太平洋岸を走らされたわけだ。とにかく<田原>と言われてピンと来なかったのは、来るときに通過していなかったからだと思う。女性のほうは、てっきり、自分が<田原街道>を南下してきたのだろうと思っている。片方の思い違いだけなら、まだ会話になる。この時がそれだった。

 

部屋に入った。意外に、というか、かなり広い。ベッドが二つ、それに、八畳ほどの畳の平台が真ん中に置いてある。座卓やテレビはその平台の上にある。この和洋折衷の変なつくりは、明らかにリフォームしたものだろう。本来は和室の部屋だったものを、壁も床も天井も、いったんすべて取りはらい、その一角にユニットバスを設置し、洋室っぽい感じに仕上げたのだ。完全に洋室にして、ベッドをずらっと並べるよりは、畳の平台を置いて、布団で大人数が泊まれるようにした。これなら、かなりの人数、七、八名の大家族でも大丈夫そうだ。

 

照明とか、カーテンとかを、ちらっと見た。明らかに女性の趣味だなと思った。ぼろホテルを誰かが買い取って、内装だけはほぼ全面リフォームして、営業しているのだろう。ただし、一点だけ、この部屋には優れたところがあった。それはバスタブで、体を横たえて入れる洋風タイプだった。ユニットバスのバスタブは、そのほとんどが、膝を曲げて入るタイプらしい。たしかに、これまでのホテルで、足を伸ばして入れるバスタブはなかった。それに、バスタブが長いということは、その分、ユニットバス全体が広い、ということだろう。たしかに、ある意味、不釣り合いなほど、このホテルのユニットバスは立派だった。洗面台の鏡も大きいし、便座周辺にも余裕がある。したがって、風呂、洗面、排便、この三つに関しては、かなり快適だった。

 

風呂から上がり、ノンアルビールをあおって、カレー味のカップ麺やせんべい、ビスケット、小粒みかんなどを食べた。何しろ、三時頃に<大あさり定食>を食べた後、何も食べていないわけで、夕食抜きで寝るわけにもいかないでしょう。

 

土産物屋で買った小粒みかんは、思いのほかうまかった。小さいから、五、六個食べたと思う。この、ほのかな<あまみ>。ふと、先日食した柿のことを思い出した。友人に温泉に連れて行ってもらったとき、彼が、冷凍保存した庭の柿を持って来ていて、一緒に食したのだ。何と言うか、自然の<あまみ>だ。柿の木とまわりの風景が目に浮かぶようだった。翻って、旅先で食べた小粒みかんの<あまみ>が、渥美半島の自然や風土、そこで暮らす人間の生活を想起させてくれた、のか?あり得ない話でもない。

 

<7:00 ねる>とメモにある。ずいぶん早寝したものだ。疲れていたのだろうか、いや、そればかりではない。明日の朝、六時に起きて、伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行くのだ。そうそう、その件を、受付の女性に話したら、24時間、表のドアは開いてますから、鍵は持って出て下さい、とのことだった。不用心だなとちらっと思ったが、その方が、こっちも世話なしでいい。

 

あくる朝、目覚まし時計の助けは借りず、六時前に起きて、くすんだ灰色の、厚手の花柄カーテンを開けた。じゃ~~~ん、曇り空。なんで!とすぐにスマホのお天気サイトを見た。なんと、午後の二時過ぎまで曇りマークがついている。話が違うだろう。今回の旅は、四日連続で晴れマークがついているから、わざわざ予定を前倒しして来たんだ。がっくり、ベッドに倒れ込んだ。このまま二度寝しようか、と思ったが、すでに完全に目が覚めている。また眠れるとも思えなかった。

 

ふてくされた気分だったのか、時間がなかったのか、髭もそらず、歯も磨かず、顔も洗わないで、もちろんウンコもしないで、畳の平台に、きれいに並べて脱いだ衣服を、ひとつずつ取り上げて身に着けた。水くらいは飲んだのかもしれない。カメラ二台入っているカメラバックを背負い、しずしずと部屋を出た。

 

たしか、受付の女性は、二階から出られると言ってたな。エレベーターを二階で降りた。だがしかし、螺旋階段の向こうにある自動ドアには近づけなかった。というのも、階段そのものが、廊下の透明な仕切り板で、ぐるっと、きっちり囲われている。廊下を行ったり来たりした。檻に入れられているみたいだった。誰かに、こんなところを見られたら、怪しまれるだろう。二階から出られますよ、という女性の声が、頭の中で聞こえた。あれは何だったのか、自分の聞き違いか、それとも、ほかに、自動ドアに近づく手立てがあるのか。もう一度、二階全体を見回した。絶対無理だ。エレベーターに乗って一階に下りた。

 

説明しておこう。このホテルは、実は一階が地下一階で、二階が一階なのだ。要するに、斜面に立っているのだろう。となれば、一階ではなく、地下一階から、螺旋階段を登って、これまた、二階ではなく、一階に上がり、自動ドアを手でこじ開けて、外に出たことになる。この記述の方が正確だろう。そもそも、二階から出られますよ、というのも変な話ではないか。二階から<も>出られますよ、というのなら、変ではないが。

 

とにかく、外に出た。まだうす暗かった。だが、どこを見回しても、雲が厚く堆積していて、朝日が昇ってくる気配はない。ほんと、灯台が近くでよかったよ。これが、車で三十分走るとしたら、絶対に行かない。朝日は見えないし、きれいな写真が撮れっこない。なのに、伊良湖岬灯台へと向かっていた。まあ~、朝の散歩だよ。自分の不条理な行動に言い訳した。いや、ふてくされた気分をなだめたのだ。

 

駐車場に着いた。思いのほか、車が止まっている。夜釣りならぬ朝釣りだな。ま、たしかに、日の出前後は、魚がよく釣れる。ガキの頃、休みの日は早起きして、近くの池によく釣りに行ったものだ。早朝と夕方が、釣りの<ゴールデンタイム>だったような気がする。遊歩道を歩き始めた。砂浜にも、岩場にも、釣り人がいる。なかでも目についたのは、ほとんど海の中にある岩場に、10メートル間隔で並んだ、全身黒づくめの釣り人達だ。五、六人が、横一列に並んで、盛んに竿を振っている。と、すぐそばを、小型漁船が横切る。とたんに、波しぶきが上がって、釣り人が見えなくなるほどだ。

 

漁船は、釣り人達に嫌がらせをしているのか?と思うほどに、至近距離をこれ見よがしに走りぬけていく。むろん、釣り人達は、抵抗できない。なかには、危うく、岩場から、海の中へ落ちそうになっている奴もいる。たしかに、小型漁船の方は、生活がかかっている。一方、釣り人の方は、ま、言ってみれば<遊び>だ。自分が漁師だったら、生活費や子供のことで、女房と喧嘩した翌朝などは、平日に釣りなんかしている連中に、波しぶきのひとつも浴びせかけたいと思うかもしれない。いや、気の荒い漁師だ。海に落としたろうか、くらいのことは思うかもしれない。ま、ほかにもっと正当な理由があるのだろう。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#13

伊良湖岬灯台撮影4~ホテル

 

灯台に到着した。まだうす暗かった。灯台の目がときどき光っていた。とはいえ、朝日が見えない以上、気合が入らない。おざなりな感じで、シャッターを押した。それでも一応、撮影ポイントはすべて回った。東側の石畳の道、石塀の上、波消し石の上にも立った。ただ、西側の波消し石の上では、ちょっとした不注意で、尻もちをついた。飛び歩きした際、下の波消し石が濡れていたのだ。そこに勢いよく足をおろしたものだから、まるで絵に描いたように、すってんころりん。幸い、怪我もせず、カメラも無事だった。おそらく、カメラを持っている状態で転ぶのは、これが初めてだろう。常々、転んだら一巻の終わり、と自分を戒めていたのだ。とくに、高価なカメラを買ってからは、最大限の注意を払っていた。にもかかわらず、この体たらくだ。

 

身体もカメラも無事だったからいいではないか、とは思えなかった。そういう問題じゃない。カメラを破損したら、撮影旅行は即中止。それに、石の角に頭でもぶつけて、意識でも失ったら、この時間帯、誰にも発見されず、助かる命も助からない。あるいは、足の骨でも折ったら、車の運転もできない。400キロの道のりを、どうやって、骨壺の中で待っている、ニャンコがいる自宅に戻ればいいんだ。

 

とはいえ、一方では、この朝の椿事を、冷静に分析した。昨日来の、波消し石の飛び歩き、階段の上り下りで疲労がたまっている。いわゆる、足にキテいる。それに、早朝、頭と体が、まだ目覚めていなかった。不注意は、たんなる不注意ではなく、ある意味、必然だった。くわばら、くらばら。

 

西側の石塀の上に戻った。夜が完全に明けて、白けた感じだった。加えて、曇り空だから、風景に色合いがなく、写真的には、撮ってもしょうがない感じだった。だが、何枚かは撮った。最後に、山側の階段に登って、灯台を撮った。朝っぱらの曇り空が背景だ。ごくろうさん!まったくもって、写真にならない。すぐに階段を下りた。無駄足だった。だが、無駄骨だとは思わなかった。曇り空でも、来ないわけには行かなかったろう。後悔するよりはましだ。

 

石畳の道を、右手に恋路ヶ浜を見ながら、駐車場へと戻った。夜があけて、釣り人の数も少し減ったように見えた。頭の中では、この後の予定を考えていた。まずは、食料の調達だ。昨晩、ホテルの女性が教えてくれた、田原街道のファミマに行こう。その後いったんホテルに戻り、朝食。問題はその後だな。伊良湖岬港の防波堤灯台を撮りに行く。そのついでに、フェリー乗り場を下見しよう。伊良湖岬からフェリーで対岸の鳥羽へ渡り、周辺の灯台を撮る。次回の灯台旅は、もう決まっていたのだ。

 

ホテルの前を通過した際、車の時計を見たような気がする。八時ちょっとすぎていた。ま、五、六分走ればつくだろう。<田原街道>を北上して、ファミマへ向かった。ところが、走れども、走れども、ファミマの看板が見えて来ない。多少、不安になったころ、やっとありました!20分以上かかった。ちょっと走って、という女性の言葉を思い出した。この辺りでは、車で20分走ることが、ちょっと走って、ということなのか?それとも、彼女の言葉の選択が間違っていたのか?ま、どっちでもいいか。

 

ファミマで、しこたま食料を仕入れた。<地域クーポン券>を¥2000分、ほぼきっちり消化した。戻り道は、さほど長く感じなかった。ホテルまで、どのくらいかかるか、わかっていたからね。ま、それにしても、ちょっとコンビニに行ってくるだけで、小一時間かかった。渥美半島先端部の人口密度が、いかに低いかを、はからずも、実感したわけだ。

 

ホテルに着いた。自動ドアは、手でこじ開けようとする前に、目の前ですっと開いた。中に入った。その際、踊り場?に、大きなユリの鉢植えがたくさんあることに気づいた。いや、昨晩来た時から、気づいてはいたが、それが何なのか、よく見なかっただけだ。

 

じっと見た。白に赤の斑が入った大輪のユリの花だ。どの鉢の花も、ほぼ満開で、踊り場の右半分くらいがお花で埋まっている。それに、ブーゲンビリヤの大きな鉢植えもある。こちらも深紅のお花がこぼれんばかりだ。ほかにも、プランターの中で黄色いお花が咲いている。明らかに、このホテルには、お花の好きな人がいて、丹精しているのだ。

 

螺旋階段を下りた。明かりはついているが、受付には誰もいない。にもかかわらず、カウンターの上に、プラ棒の鍵が、四、五本置いてある。どういうことなのか、早朝に出ていった客の物としか考えられないだろう。サビた呼び鈴を押すべきかどうか、ちょっと迷った。つまり、鍵は持っているわけだし、受付を呼び出す必要はない。早朝に出ていった客もそう思ったからこそ、黙って鍵を置いていったのだろう。

 

もっとも、あの時、もう一つの理由を思いついていた。それは、ホテルの受付が、カウンターに鍵を置くことで、これから出勤してくる掃除係りに、きょう掃除する部屋を、いわば無言で指示しているのだ。そういえば、四、五本あった鍵は、乱雑にではなく、比較的きれいにまとめて置いてあった。ま、どちらでもいいことだが、とにかく、両者に共通することは、要するに、人手がない、ということだろう。つまり、必要もないのに、呼び鈴を鳴らすのは、迷惑なのだ。

 

エレベーターに乗って、部屋に戻った。花柄のカーテンを開けた時、あっと思った。踊り場のお花を丹精している人と、この部屋の内装を選んだ人は、同一人物だろう。それに、人手のないことを考えれば、昨晩の受付の女性が、このホテルの女主人に間違いない。

 

なるほどね、と思いながら、朝飯を食べた。おにぎりと菓子パン、牛乳、それに小粒みかんを何個か食べた。それで十分だった。食べ終わった途端、眠気がしてきた。ベッド際の灰色の花柄カーテンを、今度は閉めて、横になった。小一時間、いや、午後になっても曇りマークがついている、ゆっくり、昼寝ならぬ、朝寝だな。

 

静かだったせいもあって、すぐに寝込んでしまったようだ。目が覚めたのは、九時半過ぎだった。持ち込んだ目覚まし時計を見たような気もする。小一時間ねむったわけだ。眠気はなく、元気になっていた。すぐに身支度を整え、部屋を出た。一階に下りて、受付の錆びた呼び鈴を押した。一拍半くらいおいて、声が聞こえ、昨晩の女性が現れた。朝から晩までいるのだから、間違いない、彼女が、このホテルの女主人だ。出かけてきます、と言って鍵をあずけた。その時、何か聞かれたような気もするが、忘れてしまった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#14

伊良湖岬港・防波堤灯台撮影

 

ホテルの駐車場を出た。<田原街道>をほんの少し北上して、すぐ左折した。ファミマ往復の際、車からちらっと灯台が見えたのだ。閑散とした港の中に入って行った。正面は海で、行き止まり。右に曲がって、魚市場の前をそろそろ走っていくと、駐車場があった。公共の施設であることを確かめて車を乗り入れた。どんぴしゃり、すぐ目の前に、白い防波堤灯台が見える。

 

車から出た。右手はきれいな砂浜で(ココナッツビーチ伊良湖、というらしい。)そばに大きなホテルが立っている。正面には防波堤があり、その先端に灯台が立っている。迷わず、防波堤の上に登り、歩き撮りしながら近づいていった。

 

だが、近づくにつれ、根本に居る釣り人が邪魔に思えてきた。釣り人は、灯台の台座に座ったり、立ち上がったりしながら釣りをしている。明らかにその場所が気に入っているらしく、釣り道具や荷物を回りにとっちらかしている。占拠しているわけだ。写真としては、灯台と釣り人が重なってしまい、絵面が汚い。まあ~、これは宿命なのだろうか。防波堤灯台の周り、とくに根元には、平日だろうが休日だろが、必ず釣り人がいるんだ。

 

結局、根元まで行かないで、途中で引き返した。というのも、根本まで行って、釣り人と目を合わすのも嫌だったし、ロケーション的にも、灯台のフォルム的にも、是が非でも撮りたい、というほどでもなかったからだ。それに何よりも、曇り空だ。写真が撮るような天気じゃない。

 

移動。いま来た道を戻った。ただし<田原街道>へは戻らないで、そのまま、まっすぐ、フェリー乗り場の方へ向かった。と右手、岸壁側に、広い駐車場がある。雰囲気的に、駐車しても大丈夫そうな感じだ。車を乗り入れた。

 

車から出て、辺りを見回した。高速船の係船岸壁が目の前にある。なるほど、あれで<神島>に行くことができるわけだ。ちなみに<神島>には、灯台50選に選ばれている、神島灯台がある。それに、この灯台伊良湖岬灯台のペア灯台だ。

 

あと、<神島>は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった島らしい。今回訪問を見送ったのは、次回の旅で<鳥羽>へフェリーで渡るわけで、その鳥羽港から、市営の船が出ているようなのだ。<菅島>という島にもシブい灯台があるようなので、一日かけて、この二島を巡るつもりでいる。

 

立ち入り禁止の岸壁際に立った。隣では爺さんが釣りをしている。海の向こうに、さっきの白い灯台と、別の防波堤の先端部にある赤い灯台が見えた。目に映っているのは、左側に赤い灯台、右側に白い灯台だ。だが、頭の中で、瞬時に、陸に向かって、右は赤い灯台、左は白い灯台と判断した。なるほど、これが防波堤灯台の決まり事だ。赤いのも見に行ってみるか。なぜか、そっちの方の空だけが青空だった。

 

赤い防波堤灯台を目指して走りだした。途中にはフェリー乗り場がある。その手前の、大きな建物の前が駐車場だ。建物は<道の駅 伊良湖クリスタルポルト>。車から出て、入口へ行った。自動ドアが開かない。扉に額をくっつけて中を覗くと、電気がついていない。閉店中なのか、休業中なのか、何の張り紙もなく、告知もされていない。

 

実は、昨日も、この建物には、ちょっと寄っている。その時も閉まっていた。今日と全く同じ状態だった。休業中なのだ。と、腰の曲がった婆さんが近寄ってきて、自分と同じように、自動ドアに額をくっつけて、店内を見回している。やってないみたいよ、と声をかけると、じろっと見ただけで返事もしない。ぶつぶつ言いながら、立ち去っていった。

 

そうそう、どうでもいいことだが、昨日この建物に寄ったとき、建物内にあるトイレに寄って、大きなウンコをしたのだ。建物には入れないが、なぜか、トイレだけは、24時間使用できるようになっている。つまり、トイレの扉は、駐車場に面していて、鍵がかかっていないのだ。それに、予想外だったのは、温水便座だったことだ。ただ、座るときには、やや抵抗感があった。が、便意には勝てなかったわけだ。

 

とはいえ、昨日の、どのタイミングで、トイレに寄ってウンコをしたのか、正直な話、よく覚えていない。いや、昨日は<小>で、この日が<大>だったのかもしれない。気持ちを集中して、思い出そうとすれば思い出せるだろう。しかし、今はそんなことに、エネルギーを使っている場合ではない。この旅日誌を早く書き終えることの方が重要だ。そもそもの話、ウンコをした日を確定することに、さほど意味があるとも思えない。

 

移動。フェリー船の、乗船口の前を通って、岸壁の行き止まりまで行った。そこは、防波堤で区切られた、駐車場、というか駐車スペースで、その防波堤の、はるか彼方に、赤い防波堤灯台が見えた。一瞬たじろいだ。あそこまで歩いて、撮りに行きべき灯台なのか?

 

とはいえ、時間的な余裕があった。つまり、スマホの天気予報を見る限り、二時までは曇りマークがついている。もっともこれもおかしな話で、朝見た時には、曇りマークは十一時までだった。まだ、昼前だった、とにかく、伊良湖岬灯台は、二時までは写真にならないわけで、時間調整が必要だったのだ。

 

車の中でぼうっとしていてもしようがないだろう。防波堤の上、というか下を歩くだけで、危険もない。体力を消耗することもない。すいません、すいませんと言いながら、釣り人の前を通って、赤い灯台に近づいた。ところが、やっぱり、根元に釣り人がいた。今回も、根元の手前で、これ見よがしに写真を撮った。

 

なぜか、赤い灯台の背後だけが青空になっていた。写真的には、さっきの白い灯台よりはましだろう。だが、フォルムがパッとしない。撮影位置が局限されているわけで、防波堤の先端に立っている灯台を、真正面から撮るだけだ。それに、防波堤の上は、さほど広くないから、左右に少し動いて、横にふったとしても限度がある。何よりも、釣り人が灯台の根本に居座っているのだから、絵面汚い。こっちも、写真にならないだろう。

 

引き返した。短時間に、二度も同じ釣り人の前を通ることに、少し気が引けた。防波堤の下の通路は、人一人が通るのがやっとの幅で、釣り人が座りこんでいれば、まったく通れない。だが、釣り人たちは慣れたもので、こっちがすいませんと言う前に、体をよけてくれた。プロレスラーの<蝶野>みたいなおじさんも、指にタバコをはさんで手で、自分の足をまたいで行け、と合図を送ってきた。気配を感じて、かなり前から、立ち上がっている人もいた。恐縮したふりをして、五、六組の釣り人の前を通った。

 

駐車場が、かなり近くに見えてきた辺りで、爺さんに声をかけられた。この爺さんには、さっきも声をかけられていた。なにを撮りに行くんだ。この先の灯台です。黄緑色のウィンドブレーカーを着て、白髪だった。そばに、同じような年恰好の奥さんがいた。今回は、うまく撮れたかい、ときた。その後、かなり長い立ち話をした。あまりに長くて、途中で、防波堤に座りこんで、話を聞くことになってしまった。

 

結局は、この爺さんも、釣れない釣りをしていて、暇だったのだろう。そこに、自分が、ニコンのでかいカメラを二台ぶら下げて、のこのこやってきたわけだ。恰好の、暇つぶし相手が、ネギまで背負ってきたのだから、話しかけないわけには行かないだろう。つまり、爺さんも写真をやっているようなのだ。だから、話の中身は、だいたいは写真に関することだった。

 

鳥を撮っているとか。ミラーレスカメラがどうのこうの、型落ちのカメラの方が得だとか、あるいは<伊良湖ビューホテル>には、年に一回、珍しい鳥を撮るためにカメラマンが終結するとか、こちらが聞いてもいないのに、ホテルの展望台からの景色が最高なので、撮りに行けばいいとか、延々としゃべっている。途中、奥さんも参戦してきて、スマホで撮った写真などを見せてくる。何度も、腰を上げかけたが、その都度、獲物を逃すまい、と言わんばかりの話しぶりで、引き留められた。ま、こっちにも時間的余裕があったからね。

 

十五分くらいは、爺さんと、ある事ないこと、話していたような気がする。流石に飽きてきて、爺さんの話している最中に、腰を上げ、では、と言って、その場を後にした。

 

車に戻って、一息入れた。来た時に止まっていたキャンピングカーはなかった。さっきの黄緑色の爺さんの車かもしれない、と話の途中でふと思い、もしそうならば、キャンピングカーには多少興味があったので、その話がきけるかもしれないと思い、長話に付き合っていた、という気がしないでもない。ま、いい。また、外に出た。二時までにはまだ時間があった。岸壁の前に立ち、フェリーが入港してくる様を、面白半分に観察しだした。

 

まずは、係船岸壁で、作業員がフェリーの接岸準備をしている。門型クレーン?を使って、大きな鉄板を下におろしているように見える。おそらく、あの上にフェリーの車両ゲートがのっかるんだ。準備が整うと、フェリーが、バックでゆっくり入ってくる。作業員が、動き回っている。と、船尾が開いて、ゲートがゆっくり下りてくる。思った通りだ。作業員が、そのゲートを、岸壁にぴったり固定する。少し間があって、始めは徒歩の人間が十名ほど、次に、乗用車が、これまた十台ほど、最後に、バイクが五、六台、フェリーの腹から飛び出してきた。人間も車もバイクも、どこか、晴れがましく、元気に明るい世界へ出て行った。

 

この一部始終を見終わって、意味もなく、感動していたような気がする。風もなく、十二月にしては、暖かい陽気だった。防波堤の彼方に、黄緑色がみえた。さっきの爺さんと奥さんが、連れ立って、こっちに向かってくる。釣れない釣りを終わりにしたようだ。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#15

伊良湖岬灯台撮影5

 

<12時30~2時 イラコ 撮影>。メモの走り書きは、自分にすら読めないようなヘタクソな字だ。なぜ、字がこれほどヘタクソなまま、一生を終えることになったのか?やはり、小学生の頃、ちゃんと字を書くことを覚えなかったからだろう。勉強などは大嫌いだったのだ。もっとも、その後も、きれいな字を書くための努力は、一切してこなかった。野球やバスケのためには努力したが、きれいな字を書く努力は、不遜にも、努力するに値しないと思っていたのかもしれない。

 

人生の半ば過ぎにワープロができ、その後、パソコンを使うようになった。字が下手だ、というコンプレックスからはほぼ解放された。自分の書いた字を、人に見られること、見せることがなくなったからだ。だが、それが、いいか悪いかは、微妙な問題だ。字をきれいに書く必要がなくなったからには、おそらく、今後、字がうまくなる可能性はほとんどない。ひるがえって、かりに、ワープロもパソコンもなかったなら、人生の最後、やることもなくなった頃に、ひょっとしたら<ユーキャン>か何かで、硬筆講座を受けてみよう、などと思ったかもしれないのだ。

 

益体もないことだ。話しを戻そう。二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いかもしれない。曇り空なら、12時30分から、撮影を開始するはずがない。いや、ちょっと待ってくれ。この日の午後の、一発目の撮影画像は、恋路ヶ浜駐車場にあった石のモニュメントで、時刻は<12:55>になっている。しかも、その後の画像を見ると、雲は多いものの、多少陽射しが差している。ということは、まずもって、二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いだった可能性がある。それとも、天気予報がころころ変わって、頭が対応できなかったのか?あり得ない話ではない。もっとも<12:30>に撮影を開始した、ということに関しては、これは、メモしたときの完全な思い違いだ。

 

撮影画像がなければ、こうした思い違いが、思い違いとみなされず、看過されていっただろう。ならば、いっそのこと、撮影画像の時間など無視して、書き進めようか。その方が、気楽だ。だが、そうなると、この旅日誌は、ますます、日誌らしからぬ、フィクションの領域に近づいてしまう。ひとつの思い違いに、さらなる思い違いを重ねていけば、内容的には、これはもう、正確な意味での旅日誌ではなく、旅日誌風のフィクションになってしまう。

 

自分としては、できるかぎり<思い違い>のないように書いていきたい。でなければ、あとで読んだときに、<思い違い>が<思い違い>ではなくなり、実際にあったことのように印象されてしまう。結果、さらなる<思い違い>を重ねてしまうことになるわけで、そういうデタラメなことだけは、避けたいのだ。

 

雲は多いが、多少の陽射しがあった。と書き出せばよかった。ま、いい。曇天でなくて、よかったよ。そう思いながら、石畳の道を歩いたような気がする。太陽の位置は、すでに、目線、45度くらいのところにあった。この時間、夏場なら、真上にある筈だ。景観的には、いい感じで、海が、黄金色に輝いている。さほど風もなく、心地よい。

 

伊良湖岬灯台が見えてきた。東側から始めて、下調べした撮影ポイントを回り始めた。石壁の上、波消し石の上、正面付近の土留め壁の前、階段、さらには、西側からも撮った。だが、どのポイントも、空の様子がよろしくない。日差しも弱く、写真に元気がない。こういう時は、ムキになって撮ってもだめだ。一応、昨日は撮れたと思っている。がっかりはがっかりだが、致命的ではない。あっさり引き上げた。

 

<2時30~3時30 車で休ケイ>。これは、撮影画像のファイル情報で裏が取れている。ほぼ、間違いない。さて、それにしても、小一時間、車の中で何をしていたのだろう。後ろの仮眠スペースで、横になっていたのか?それとも、運転席で靴をぬぎ、体を横にして、ドアに背中をつけ、助手席の窓やダッシュボードに足を投げ出していたのだろうか?よくは思い出せない。ただ、駐車場の奥の方にある、<幸せの鐘>を見に行こうかな、とちょっと考えた。鐘の音が聞こえたのかもしれない。たが、行かなかった。車の中でぼうっとしているほうが、心地よかった。

 

時計を見た。三時十五分くらいだったかな?外に出た。車のリアドア―を開け放して、装備を整えた。ポシェットに、ダウンパーカの小袋を結びつけ、カメラ一台、肩掛けにして、手に三脚を持った。ネックウォーマーも指先の出る手袋もしていた。陽は、大きく傾き、ややオレンジ色っぽくなった海がきらきら光っている。風がないので、寒くはなかった。ただ、水平線近くにたなびく雲が気になった。きれいな日没、昨日のような、線香花火の火玉は出現しないかもしれない。

 

これでもう何回、灯台の周辺を巡ったのだろう。今回も、撮影ポイントを律儀に回った。夕陽は、思った通り、分厚い雲にさえぎられ、ほとんど見えない。だが、もうダメかなと思った刹那、水平線のほんの少しうえあたり、雲と雲の間だ。不定形の太陽が、オレンジ色に輝き始めた。おっと!気合が入った。カメラのファインダーに目を押し付けた。そして、ほんの一瞬だった。不定形の太陽が、ほぼ水平線上で、黄色に閃光した。海も空も灯台も、おもいっきり、オレンジ色に染め上げられた。

 

その後は、時間が目に見えるようだった。少しずつ、少しずつ、かすかに、かすかに、光と色が消えていった。静寂。しかし、その静寂を破るように、西側の水平線上に、なぜか、濃いみかん色の帯が現れた。夕陽が落ちた後の、まさに<ブルーアワー>だった。念のため、東側の空の様子も見に行った。深い、濃い青だった。だが、好みとしては、西側の空だ。何枚か慎重に撮って、西側に戻った。ほんの数分にもかかわらず、空の様子が、かなり変化していた。暗くなり、みかん色の帯は、諧調しながら群青色になっていく。空の上の方へ吸い込まれていくようだった。

 

三脚を立てた。シャッタースピードを見て判断したのではない。あたりの暗さから、手持ちで撮るのはもう無理だ。自然に体が動いた。ファインダーを見て、構図を決めた。高い群青色の空に、オレンジの光をまとった、横一文字の雲が流れてきた。時間の経過とともに、その雲は、しだいに竜のような形になって、空に覆いかぶさった。しかし、それも一瞬だった。オレンジ色の竜がしだいに霧散していき、そのあとには、さらに暗くて深い群青色の空が広がっていた。

 

ほぼ、完全に陽は落ちて、<ブルーアワー>も終わった。暗い海に、船の明かりが小さく見える。みかん色の帯も、色が暗くなり、細くなった。灯台の目が、なおいっそう明るく光り出し、対岸の小島からも光が届く。神島灯台から光だ。そろそろ、引き上げ時だな。最後に、もう一度、ファイダ―をじっくり見た。画面左上に、二つ、三つ、小さく何か光っている。星、か?カメラから目を放して、夜空を見上げた。三つ、四つ、西の空に、星が光っていた。

 

真っ暗な石畳の道を、ヘッドランプで照らしながら、駐車場へ戻った。充実した心持だった。それに、全然寒くない。むしろ快適だった。途中、またしても、波の音が聞こえた。立ち止まって、耳をすませた。すぐ近くでザブ~ン、すると、こだますようにサブ~ン、サブ~ン、ザブ~ンと聞こえる。だが、その間にも、どこかザブ~ン、サブ~ン。さらにその間にも、今度は遠くの方でザブ~ン、ザブ~ン、ザブ~ン。これが、まさに<潮騒>だったのだ。恥ずかしながら、<潮騒>というものが、どういうものなのか、いまのいまに至るまで、存じ上げませんでした。

 

波の音を聞きわけられたので、さらに気分がよくなった。ふと、夜空を見上げた。いや、<ふと>じゃない。ネットで見た、伊良湖岬灯台の写真を思い出したのだ。背景に、天の川と無数の星が写っていた。伊良湖岬は、星空がきれいで有名なんだ。ほんとにそうなのか?夜空を見上げた。目を凝らした。いやというほど、たくさんの星が見えた。立ち止まって、しばらく眺めていた。真ん中へんで、光ってるのが北極星かな?また波の音が聞こえてきた。闇の中で、サブ~ン、サブ~ンと、こだましていた。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#16 ホテル

 

駐車場に戻ってきた。リアドアを開け放し、ゆるゆると装備を解いて、車の中を整理していた。自分の車の後ろあたり、バイクと車のヘッドライトが眩しい。大柄のバイク野郎は、何やらスマホで調べている。隣は、黒い<レクサス>だった。今晩泊まる宿でも調べているのか?アイドリングの音が気に障る。星を眺め、波音に耳にすませていたことが、ウソのように思えた。そのうち、轟音を響かせ、バイクは出て行った。あとに四輪の<レクサス>がぴったりついている。やっぱり連れだったんだ。暗闇に、ちょっと、ギャング映画のワンシーンのようだった。

 

ホテルの駐車場に着いた。車が数台止まっている。建物を見上げると、数か所、窓に明かりが見える。なんとなく、車の台数と、窓の明かりの勘定が合わないような気がした。おそらく、裏手のシングル部屋に客が泊まっているのだろう。少し説明しよう。今日の昼間、ホテルの裏側の道を通った際、このホテルが崖際に立っているのを発見した。つまり、自分の今いる駐車場と裏の道との間には段差があり、いわゆる<崖屋造り>になっていたのだ。

 

崖に建っているのだから、表から見た一階は、裏から見れば二階になる。したがって、このホテルの受付は、見た感じでは、駐車場のある一階から、地下一階に下りたところにあったのだが、じつは、裏の道から入れば、そこが一階であり、駐車場のある上の階は、まさに二階だったわけだ。そういえば、エレベーターにも、地下一階という表示はなく、一番下の数字は<1>だった。

 

ついでに、もう一つ付け加えるならば、自分の宿泊した広めの部屋は、すべて南向きで、窓も広い。一方、裏側の部屋はすべてシングル部屋で、窓も小さく、北向きだった。値段的にも、¥2000以上の開きがあった。常日頃の<セキネ>の習性を考えれば、なぜ安い方に泊まらなかったか?答えは、たんに空いていなかったからにすぎない。それに<Goto割り>も適用されるからね。ちなみに、このホテルのシングル部屋に泊まって<Goto割り>を適用すれば、素泊まり一泊で約¥3500。さらに<地域クーポン券>も¥1000ほどはゲットできるから、いわば<ゲストハウス>並みの値段で泊まれたはずだ。

 

うす暗いホテルの出入り口に立った。自動ドアが開いて、中に入った。と、仄かな、上品な匂いだ。下にずらっと並んでいる大きめな植木鉢、ユリのお花たちだった。意外だった。というのも、以前実家で咲いていたユリの匂いは、まるで公衆便所並みだったからだ。ま、匂いというものは、きつすぎると、耐えられん!だが、この時は違った。暗がりの中で、静かに咲いている、ユリのお花たちは、かそけく、甘く切ない香りを放っていた。美人の匂いだった。

 

螺旋階段を下りた。そこだけが明るい受付カウンターの前で、トートバックを下におろした。<ぢん>と呼び鈴を鳴らした。今回は、一拍半おいて、声が聞こえた。反応が、段々早くなっている。女主人は、機嫌がいいのか、愛想がよかった。どうでした、と聞いてきた。そうだ、昨晩、いや、今日の朝だったかな?灯台や朝日や夕日などを撮りに来たことを、ちょっと話したのだ。

 

くもってて、朝日は出なかった、と答えた。その後、カウンター越しに、五、六分話をした。女主人は、かなり雄弁で、星空を撮りに来たプロの写真家の話をしながら、その写真家から送られてきた星空の写真を、カウンターの後ろから取り出して、見せてくれた。写真には、灯台が写っていなかった。正直な話、星空の写真に、それほど興味はない。自分としては、ユリのお花たちの話を聞きたかった。すごく良い匂いで、素晴らしく咲いている、と話を向けた。

 

案の定、女主人が丹精しているようだ。花好きのお友達からもらったもので、そう言われるとうれしい、初めて言われた、と顔がほころんだ。ほかにも、ブーゲンビリヤもきれいに咲いているし、入口付近が、温室のような感じになっているんでしょうね、と応じた。さらに、カウンターに、深紅のバラが活けてあったので、お花が好きなんですね、と改めて、女主人の顔を見ながら言った。彼女は、聞かれもしないのに、私は赤が好きなんです、と答えた。情熱的なんですね、と立ち去り際に言葉を残した。女主人の、まんざらでもなさそうな表情が、ちらっと見えた。伊良湖岬の、女丈夫だった。

 

ホテルに着いたのは、夕方の六時頃で、食事をして、メモを書いた。さらに、その後、風呂に入って頭を洗ったらしい。そのようなメモ書きがノートに残っている。夕食は、その日の朝、ファミマで買った弁当だった。旅先で、わざわざ頭を洗ったのは、ちょうどその日が木曜日で、洗髪の日にあたっていたからだ。ほぼ、一日おきの洗髪は、多少長髪になった今日日、欠かせない日課になっていた。何しろ、二日、ないしは三日あけると、頭がくさい。もっとも、旅先だったから、念入りには洗わなかった。

 

そうだ、風呂では体を横たえ、昨日にもまして、ゆっくりくつろいだ。そして、風呂あがりには、二本目のノンアルビールを痛飲した。そのあと、荷物整理をして、明日の朝、すぐに出られるようにした。もっとも、朝食用の食材は座卓の上に置き、飲み物は冷蔵庫に入れたままだ。

 

と、その時だった、というのはウソだが、とにかく、灰色の厚手のカーテンを閉めた時に、プリントされている花柄をちらっと見た。何と、深紅のバラだった。この部屋は窓が大きい上に、都合四枚ものカーテンがかかっている。目の前に、手のひら大の、少しくすんだ深紅のバラが、滝のように流れている。<私は赤が好きなんです>。女主人の言葉が、頭の中で聞こえた。

 

さて、寝るか。明日は帰宅日だが、今朝撮れなかった伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行く。もうひとがんばりするつもりだった。幸いなことに、明日は、すべての時間帯に、晴れマークがついている。日の出は、たしか六時四十五分くらいだったと思う。目覚まし時計を五時にセットした。夜の八時過ぎには寝ていたと思う。

 

・・・灰色の厚手のカーテンを開けた。深紅のバラは、もう目に入らなかった。外はまだ真っ暗だ。まず着替えた。その次に洗面を済ませ、朝食。ウンコは、多分出なかったと思う。持ち込んだすべての持ち物を、ゴミは別として、カメラバックとトートバックに詰めこんだ。そのあと、ベッドや座卓まわりを、ざっと整頓した。忘れ物はない。と思ったが、念のため冷蔵庫と金庫を開けてみた。カラだった。静々と部屋を出た。うす暗い廊下を少し歩いて、エレベーターで一階に下りた。というか<1>を押した。

 

いつ来ても、このホテルの一階はうす暗くて、受付カウンターだけが明るかった。プラ棒についている鍵を、カウンターの上に置いた。ほかに鍵は置いてなかった。サビた呼び鈴をちらっと見た。<ぢん>と鳴らして、女主人に挨拶していくか、ちょっと迷った。

 

目の端に、大きな花瓶が映った。胴のまるっこいその花瓶の絵柄も、たしかお花だった。首を少し回して、差してあるバラのお花たちを見た。昨晩と同じで、カウンターからの白熱電球の光を受けて、深紅がくすんでいる。とはいえ、そのお花たちが、みなこちらを向いて、少し笑っている。カウンターの鍵を、手で、きちんとそろえた。女主人を起こすのはやめて、静かに螺旋階段を登った。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#17

伊良湖岬灯台撮影6~エピローグ

 

自動ドアの前に立った。仄かな、上品な香りがした。ユリのお花たちをちらっと見たが、暗くて、はっきり見えなかった。外に出た。まだ真っ暗だ。目の前の交差点の青信号が、やけに鮮やかだった。恋路ヶ浜の駐車場までは、ほんの一分だった。車が数台止まっている。装備を整え、カメラ一台、肩掛けして、三脚を手に持った。左側の砂浜と海を見ながら、遊歩道を歩きはじめた。釣り人は、居るにはいるが、ほんの数人だった。

 

予定通り、日の出前に、灯台に着いた。迷わず、西側撮影ポイントに向かった。石塀をよじ登り、乗り越え、波消し石たちの間に下り立った。たしか、磁石を見たような気もする。くるくる回る針の赤い方を、文字盤の<北>に合わせるのだ。そのときの文字盤の<東>が、東方向だ。間違いない、灯台の左下あたりから、陽が昇ってくるはずだ。ただし、左側の山がせり出していて、灯台との間に見える水平線の範囲が狭い。はたして、あの狭い所に、本当に陽が昇ってくるのか、確信はなかった。

 

数個の、大きな波消し石にまたがった形で、三脚を立てた。その際、垂直を確保するために、三本ある足のどれかを、この時は二本だったが、短くして、安定を図った。思い出していただきたい、波消し石たちは、全体的に見れば斜めになっている。したがって、個々の波消し石の関係も、これに準じるわけだ。斜めの場所に、三脚を置けば、当然、三脚も斜めになるか、あるには、傾斜がきつい場合には倒れしまう。真っすぐに立てるには、足の調整が必要だ。

 

三脚を真っすぐに立てる、ということは、写真撮影においては、基本中の基本だ。ただし、この基本を守るのは、なかなか難しい。つまり、何をもって、垂直の基準にするのか?ふつうは、地面だろう。だが、地面が水平なら、わざわざ、三脚の垂直を確保するまでもない。三本の足を均等に伸ばして、そのまま置けばいいのだ。

 

しつこいようだが、斜めの場所に三脚を立てる場合は、三本ある足の長さを調整するしかない。だが、その際、垂直の基準をどこに置くのか?これは、足ではなく、三脚の真ん中の棒(センターポール)だ。この棒が、真っすぐ下に向かっているならば、三脚の垂直は確保されている。だが、棒が下に真っすぐ向かっているかどうか、どう判断すればいいのだ。棒を横から見て、天地に対して真っすぐになっていれば、ま、一安心だ。

 

だが、その辺の判断が微妙だ。一例をあげれば、この棒を、反対側、ないしは、左か右から見ると、やや曲がっていることが、非常に多い。そうなると、また、三本の足の調整をしなければならない。経験的には、一発で、三脚の垂直が確保されたことはない。二回、三回と、この作業を繰り返すことが多い。厳密になればなるほど、この作業の回数はふえるわけで、いつまでたっても、写真撮影が始まらない。したがって、ある程度のところで妥協して、撮影を開始する。この時もそうだった。

 

日の出は、六時四十五分頃だ。昨晩、スマホで調べた。とはいえ、すでに、五十分を過ぎている。山側の水平線が、少しオレンジに染まっているが、まだ太陽は見えない。あれ~と思っていると、そのオレンジが、見る見るうちに濃くなって、いわばみかん色だ。おお~と思いながら、リモートボタンを押していた。と、おいおい勘弁してくれよ。人影だ。それも、いままさに、太陽が出てくる水平線の真ん前と、灯台の横だ。

 

伊良湖岬灯台の、というか伊良湖岬の日の出を見に来たカップルだな。というのも、灯台のすぐ下の波消し石の上で、男が、石塀や階段の上でポーズを取る女を撮っているからだ。あの位置からでは、日の出は入っても、灯台は画面におさまらない。灯台には興味がないわけで、ひたすら、日の出をバックに、彼女の写真を撮っている。二人の姿は、黒いシルエットだったが、その行動は、手に取るようによく見えた。

 

おりしも、みかん色が極まって、日が昇ってきた。水平線ぎりぎりの、小さな火の玉。まさに、この瞬間を撮りに来たのに、男女の黒いシルエットが、邪魔をしている。早くどかないかな、と思いながら、写真を撮り続けていた。幸いなことに、火の玉が少し大きくなって、水平線から、二、三センチ上に上がった頃に、二つの黒いシルエットは消えた。だが、火の玉はそろそろ限界に近づいていた。<丸>は、しだいに<空白>になり、その周辺を黄色の輪が取り巻き始めた。

 

あとで、この時の写真をよく見ると、正確な意味での日の出は見られなかったようだ。つまり、太陽は、水平線近くにたなびく雲の上から出てきたように見える。ま、それでも、この時は、帰宅日は撮影しないですぐ帰る、という自分なりの旅の流儀を反故にし、なおかつ、天気予報にも、男女の黒いシルエットにもめげずに、伊良湖岬灯台の日の出を撮った、と思っていた。

 

戻そう。不思議なもので、水平線の、ほんの数センチ上に来ただけで、太陽は、<火の玉>から、一気に黄色い光の環に変身する。もう<丸>は見えず、中心が<空白>の黄色い同心円が光り輝いている。光が強すぎるのだ。こうなった以上は、日の出の撮影を終了せざるを得まい。移動して、東側の撮影ポイントで、朝日に染まる灯台を撮ろう。

 

愚痴を言っても始まらないし、言いたくもないのだが、もういい加減、この動作は勘弁してもらいたい。足を石塀にあげるたびに、足のどこかがツリそうになる。だが、そうもいくまい。また石塀によじ登り、乗り越え、危なっかしい足取りで、波消し石たちの中に立った。

 

思った通り、灯台の胴体が、ほんのり赤く染まっている。海の色は深い群青色で、水平線付近が白っぽい。だが、空は上に行くにしたがって、しだいに、暗い水色へと諧調していく。目にも、心にも優しい色合いだ。そして、全体的には、夜明けの、というか早朝の、静かで、厳かな雰囲気が漂っていた。日の出の時ほどは、劇的でないにしても、撮らずにはいられない光景だった。

 

東側でひと通り撮り終え、今度は、階段へ向かった。登るとき、多少足が重かった。だが、多少だ。撮ることに夢中、アドレナリンが出ていたのだろう、肉体的な疲労に関しては、鈍感になっていた。一、二回、登ったり下りたりしながら、これ以上、もううまくは撮れない、と思えるまで撮った。千載一遇の機会、いや、ひょっとしたら、もう二度と来られないかもしれない。万全を期した。

 

これで、三つの撮影ポイントをすべて回ったわけだ。階段に腰かけ、一休みした。目の前には、しだいに赤みが消えていく、伊良湖岬灯台があった。一応、仕事?は終わったわけで、少しぼうっとしていた。灯台のすぐ後ろを、小型漁船が、勢いよく横切っていく。元気なもんだ、と思っていると、少し間隔を置いて、次から次へと現れる。なるほど、ツルんで仕事をしているんだな。その小さな船団が、どこへ向かい、なにを捕っているのか、ふと思ったが、皆目見当がつかなかった。頭が働かなかったのだ。ただ、波しぶきをあげてを疾走する、おもちゃのような漁船が、見ていて楽しかった。

 

そうこうしているうちに、小さな漁船たちは、目の前から消えて、海は静寂を取り戻した。灯台は赤みがすっかり取れ、白っぽくなっていた。立ち上がった。引き上げた。だが、階段を下りたら、未練が出た。最後にもう一回だけ、三つのポイントを回って帰ろうと思った。

 

まず、西側ポイント。また石塀によじ登り、乗り越え、斜めになった波消し石たちの中に立った。太陽は、すでに、灯台の首のところまで登っていた。この場合、画面に太陽を入れたら、写真にならない。ので、灯台の頭で太陽を遮って、写真を撮った。この方法?は、ここ何回か試している。自分では面白いと思っている。画面全体が黄色くなり、もろ、逆光なのに、灯台もかすかに黄色に染まる。いわば、浅黄色だ。この世の光景とも思えないが、良しとした。

 

次に階段に、また登った。しかし、全体的な見た目は、先ほどと、ほとんど違わなかった。ただ、灯台がさらに白っぽくなっていて、白でも朱でもない、何とも形容しがたい色になっていた。明らかに、朝日に染まっている灯台の方がいい。もう、撮ってもしょうがない。だが、なおしつこく、階段を下りながら撮っていた。あとは、最後にもう一回、石塀によじ登り、乗り越え、波消し石の上に立って、東側ポイントから、灯台を撮った。撮りながら、ここも、もう撮ってもしょうがないなと思った。

 

実質的には、伊良湖岬灯台の撮影は、終わっていた。とはいえ、気分的には、立ち去り難く、遊歩道を、後ろ向きに歩きながら記念写真を撮った。もちろん時々ふり返って、後方の安全は確認した。いよいよ、山影で、灯台が見えなくなる時がきた。立ち止まった。やはり、立ち去り難かった。あの時、何を思っていたのだろうか、よく思い出せない。また来る、あるいは、絶対また来る、とは思わなかったような気がする。ただただ、立ち去り難かっただけだ。

 

前に歩き出した。五、六歩歩いて、ふり返った。灯台は、山影に隠れてしまい、もう見えなかった。さてと、これから、六、七時間、車の運転だ。うんざりはしなかった。今回で七回目の灯台旅、高速運転に慣れてきた。六時間くらいは、へっちゃらだ。気分が変わって、帰宅モードになっていた。

 

そうだ、<あさりせんべい>を買っていこう。うまいようなら、小粒みかんと合わせて、友人へのお土産にできる。<柿>へのお礼だ。というか、<自然の甘味>には<自然の甘味>で応えたかった。だが、<田原街道>沿いに、土産物屋の女将が教えてくれた、<あさりせんべい>の店はなかった。聞き間違えたのか、それとも、見過ごしたのか、どちらにしても、もうどうしようもなかった。とはいえ、六、七個の小粒みかんだけでは、理由はともあれ、お土産とは言えないだろう。なので、高速に乗った後も、サービスエリアごとに止まって、<あさりせんべい>を探した。

 

しかし、どこにもそのようなものは置いてなかった。渥美半島の名物、銘菓だと思っていたが、これも勘違いだったのかもしれない。とにかく、もうこれ以上は無理だと思い、浜松のサービスエリアで、<エビせんべい>を買った。うまいかどうかは、試食できなかったのでわからない。とはいえ、小粒みかんを手渡す体裁が整ったわけで、気持ち的には多少すっきりした。

 

伊良湖岬恋路ヶ浜駐車場を<8:40 出発>。事故渋滞もなく、午後三時過ぎには、友人のオフィスに着いた。うまい、と小粒みかんを食べながら、友人が言った。<自然の甘味>を知る人間だ。お愛想ではあるまい。それに、少し歓談したら、運転疲れがとれた。その後<16:00 帰宅 片付け 夕食>、とメモにあった。

 

<愛知旅>2020-12-6(日)7(月)8(火)9(水)10(木) 収支。

 

宿泊四泊 ¥25900(Goto割)

高速 ¥16900 

ガソリン 総距離940K÷20K=47L×¥130=¥6100

飲食等 ¥5100

合計¥54000

 

灯台紀行・旅日誌>2020愛知編#1-#17 2021-1-10終了。 

 

<灯台紀行 旅日誌>2020 福島・茨城編

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<日本灯台紀行・旅日誌 >2020 福島・茨城

見出し

#1プロローグ~往路               1P-7P 

#2鵜ノ尾埼灯台撮影1             7P-12P

#3鵜ノ尾埼灯台撮影2            12P-18P

#4鵜の尾埼灯台撮影3~ホテル       19P-23P

#5高速走行~塩屋岬灯台撮影1       23P-29P

#6塩屋埼灯台撮影2              29P-36P

#7塩屋埼灯台撮影3              36P-39P

#8塩屋埼灯台撮影4              40P-45P

#9 ホテル                             45P-49P

#10 番所灯台                       50P-55P

#11日立灯台撮影1               55P-61P

#12日立灯台撮影2               61P-66P

#13日立灯台撮影3               66P-71P

#14 安ホテル                       72P-76P

#15日立灯台撮影4              77P-82P

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編  #1

プロローグ~往路

 今日は、2020-11-11日の水曜日。昨日の昼頃、旅から帰って来た。これから、福島・茨城編の旅日誌を書くつもりだ。

 …塩屋埼灯台と日立灯台は、この計画、つまり<日本灯台紀行>を構想したときから、第一候補群に挙がっていた灯台だ。ちなみに、<第一候補群>というのは、ロケーションのいい、生きているあいだに絶対行くぞ、と思った灯台である。今回の<鵜ノ尾埼灯台>は、残念ながら、その候補からもれた、いわば第二候補群だった。ようするに、機会があれば、ついでに寄ってみようか、といったほどの灯台だった。ま、<鵜ノ尾埼灯台>には失礼な話だが。

この<鵜ノ尾埼灯台>を、今回の旅に加えた理由の一つに、距離的な問題がある。自宅からは340キロ、塩屋埼灯台からは100キロくらいの距離にあり、全行程ほぼ高速走行で、自分のペースでも、五時間以内で到着することができる。ここ何回かの旅で、多少なりとも、運転に自信がついてきた。片道五時間の運転は、さほど苦にならない。

二つ目の理由は、直前のネット画像の再確認で、灯台付近の枯れ果てた樹木が、やけに気になったからだ。<第一候補>選出の際にも、むろん、この光景は見ていたはずである。おそらく、その時は、景観的によろしくない、として却下したのだろう。だが今回、おそらく<ベストポジション>ともいうべき、その画像を見た時、即座に<大津波>を想起した。ちなみに<鵜ノ尾埼灯台>は、福島県相馬市に位置している。

一つ目の<うかつさ>に気づいて、早速、ユーチューブで、相馬港に押し寄せる<大津波>の動画を見た。今回現地入りして、灯台へ行く際に渡るであろう<松川浦大橋>が映っていた。その下を<大津波>が押し寄せてくる。灯台は映っていなかったが、おそらく、あの日の一部始終を、灯台は見ていたに違いない。…いや、その後の、今日までの復興の様子もだ。

もっとも、灯台は断崖の上にあり、津波に襲われたとも思えないが、そうすると、付近にあった枯れ果てた樹木たちは、<大津波>とは関係ないのかもしれない。その辺は、よく考えなかった。いや、考えられなかった。なにしろ、動画での<大津波>のインパクトが強すぎる。

ところで、灯台旅も今回で六回目になる。画像と違い、現地で、巨大な灯台に対面すると、圧倒されるのはもちろんのこと、最近では、その個体差?というか、個性を感じ取ることができるようになった。灯台、という概念ではなく、何々灯台、という唯一無比の存在であることが、なんとなく了解できるようになった。そして、灯台は、その構造物が単体で存在しているのではなく、周囲の環境と一体化しているのだ、ということも理解できるようになった。

ある意味、日当たりの悪い、見通しのない、見映えのしない場所にある灯台もあれば、その逆もある。むろん、写真を撮りたいのは、後者なのだが、だからといって、前者の灯台を無碍にすることができなくなってきた。それも、灯台の個性なのだ。自分が、だんだん<灯台オタク>になっていくのを感じる。ま、いいや。<ミイラ取りがミイラになる>という言葉もあるではないか。

とにかく、景観的にはイマイチと思っていた<鵜ノ尾埼灯台>が、あの<大津波>の目撃者だったということを理解したとたん、俄然撮りに行きたくなった。写真的にはよろしくない、あの枯れ果てた樹木さえもが、灯台の個性と思えるようになったわけだ。

一日目

2020-11-7(土)午前二時四十五分起床。昨晩は、九時すぎに消燈したものの、寝付いたのは日付が変わったころだったと思う。つまり、いくらも寝ていないわけだが、眠くはなかった。着替え、洗面、軽く食事(お茶漬け)。排便はといえば、でなかった。四時出発。一応のお決まり、ニャンコに<行ってくるよ>と声をかける。外はまだ真っ暗だった。

十五分くらいで、最寄りの圏央道のインターに入る。走り出してすぐに菖蒲パーキング、念のためのトイレ。もっとも、出発してからいくらもたってないので、ほとんど出ない。さてと、対向車のヘッドライトが眩しい。夜中の対面通行だ。80~90キロくらいで走っていたのに、バックミラーに、大型トラックのヘッドライトが二つ、みるみる大きくなってきた。おっと、ぶつかってくるのではないか!と恐怖を感じる。あおっている、としか思えないような車間距離だ。

90キロは出ている。振り切るには100キロ以上出せねばなるまい。視界の悪い対面通行では、危険な速度だろう。少なくとも自分にはできない。恐怖の時間がどのくらい続いたのか、よくは覚えていない。だが、そんなに長くはなかったと思う。そのうち、車線が二車線になる。バックミラーを見ると、大型トラックが、ハンドルを切った。自分の脇に来る。だが、俺の車だって、90キロ出ている。トラックは、なかなか前に出られず、高速道路上で、少しの間、並走した。と、その瞬間、目の前にトラックが出てきた。オレンジ色のウィンカーが点滅していたようにも思う。反射的に、アクセルから足を離し、ブレーキを踏みそうになった。

はあ~!!!外はまだ真っ暗だった。なんて野郎だ!若いころに見た<激突>という映画を思い出したよ。道路はまだ二車線だったので、脇を黒っぽいワゴン車が、猛スピードで走り抜けて行く。その小さな赤いテールランプを、何となく目で追っていると、彼方むこうで、ワゴン車のスピードがやや落ちたように思えた。前方に、さっきの大型トラックがいるのだ。ざまあみろ、とまでは思わなかったが、<あおった者が今度はあおられる>。人間社会の縮図だな。少し冷静になった。

その後も、断続的な対面通行や、片側一車線の高速走行が続いた。だが、極端に車間を詰めてくる車は一台もなかった。たまたま、嫌な野郎に出っくわしたんだ。そう思うことにして機嫌を直した。

走り始めてから二時間ほどで、つくばジャンクションに到達した。たしか、辺りが少し明るくなっていたと思う。常磐道下りに入ると、車線が片側三車線になり、急に運転が楽になった。真ん中を、90キロくらいでずうっと走って、水戸、日立、北茨城、と見知った名前の案内板を次々に追い越していった。

単調な高速走行で、いささか飽きた。トイレ休憩したのは、小さなパーキングだった。そこに、何やら、プレハブ小屋が立っていた。<放射線量>がどうのこうのと書いてある。三畳ほどのその小屋に入った。壁に、べたべたといろいろポスターが貼ってある。近寄ってみると、ここから相馬あたりまでだったかな、とにかく、一回走り抜けると0.25デシベル放射能を浴びることになる、と図解してあった。

ここで初めて、二つ目の<うかつさ>に気づいた。そうだ、<鵜ノ尾埼灯台>へ行くには、あの福島原発の横を通り抜けて行かねばならないのだ。0.25デシベルというのが、どのくらいの放射能なのか、この時は皆目見当もつかなかった。ただ、恐怖を感じたことは確かだ。走り出すとすぐに、高速道路上に掲示板があり、現在の放射線量0.1、と数字が点滅している。おいおいおい、大丈夫なのかよ!その後、広野・楢葉・富岡と通過するに従い、この線量は次第に上がって行った。そしてついに、2.2デシベル!場所的には、あの双葉・浪江あたりだった。

身を乗り出すようにして、両脇の風景を眺めた。もちろん、運転しているので、ちらちらと見ながら走っているわけだ。とにかく、何というか、田畑が荒廃している。点在する民家は、建物自体は健在なのだが、その敷地に、車が一台も止まっていない。なにしろ、ひとの気配が全くしない。ここは、映画の中でしかお目にかかったことのない、放射能で汚染された地域なのだ。

慄然とした。たかだか?2.2デシベル放射線量でビビった自分が情けなかった。日本の中に、放射能で汚染され、人の住めなくなった場所が、実際にあり、それを目の当たりにしていたのだ。ここで生まれ育った人たちのことを思った。もし、生まれ育った土地を、理不尽にも、追われなければならないとしたら、この緑豊かな場所が、放射能で汚染されてしまったら、自分ならどう思うだろう。はらわたが煮えくり返る思いだ。誰が、どう責任を取るというのだ!

だがしかし、これほどのことをしておきながら、いまだに、だれも責任を取らず、事態がよい方向へ進んでいるとも思えない。日本の中に、空白地域が依然として存在し、先祖代々営々と作り上げ、丹精してきた山間の田畑は、恐ろしいほどに荒廃したままだ。気持ちが暗くなった。人間とは、これほどに愚かなものなのか。

あの南相馬を通り過ぎた。やや、放射線量が落ちてきた。それに、何やら、民家の庭先に車が止まっている。田畑に、かろうじて緑が戻り、丹精の跡が見える。ふと、山間の道に車が走っているのが見えた。正直、ほっとした。とはいえ、この帰宅困難区域は、いったい何十キロ続いていたのだろう。少なくとも、30キロ以上はあったような気がする。ありえない!少し冷静になった頭で考えた。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#2

鵜ノ尾埼灯台撮影1

常磐道相馬インターで降りた。料金は休日割りで¥5500くらいだったと思う。一般道に出ると、そこには、見慣れた光景が広がっていた。車が忙しく行き交い、人の姿が見え、大きな看板が連なっている。目の前には自転車に乗った高校生だ。日常だ!肩の力が抜け、心が軽くなったような気がした。ナビに従い、市街地を抜けた。

相馬港が見えてきた。その向こうの岬、断崖の上に白い灯台が小さく見えた。あれだな、と思った。港に沿って、広い道路を走り、短いトンネルをくぐった。出てすぐ左側に駐車場があった。車を止めて、とりあえず外へ出た。時計を見たのだろう。まだ九時前だった。五時間はかからなかったわけだ。

反り返った、真新しい防潮堤の前に立った。目の前は、日本海灯台は、左手の断崖の上にあり、ここからは見えない。右手は、ずうっと開けていて、広い道路が海と湖を隔てているような感じ。あとでわかったのだが、道路になっているところは、砂州だったらしい。むろん<大津波>で流されてしまったようだが。

風が冷たく感じた。岬の上はもっと寒いだろう。念のために、ジーンズの上にウォーマーをはき、パーカの上にダウンパーカを着た。真冬の装備だ。しかし、これは間違いだった。小さな神社の前から、急な坂道を、いくらも登らないうちに、汗がどっと出た。迷わず、ダウンパーカは脱いで、わきに抱えた。正確には、カメラバッグの肩紐に引っ掛けて落ちないようにした。ただ、ウォーマーの方は、脱ぐのが面倒なので、そのままにした。だいたいにおいて、汗のかくところは上半身なのだ。

神社の脇を抜けて、そのまま登ると、すぐに突きあたり。案内板がある。左矢印は展望台、右矢印は<へりおす>?と書いてある。<へりおす>何のことかわからなかったが、気まぐれで、そっちへ行った。と、いくらもしないうちに、平場に出た。枯れ果てた大きな松だろうか、くねくねしたのが何本もある。岬の上で、周りは柵で囲まれていた。左方向には、お目当ての灯台、正面には、大きな碑が見えた。

まずは、対岸?の岬に立つ灯台を撮り始めた。やや遠目。それに、あろうことか、ひょろひょろした背の高い、上の方にだけ葉のついた樹木が一本、灯台の前にある。柵の前をゆっくり歩きながら、撮り歩きした。だが、どうしても、このひょろひょろの木が灯台と重なってしまう。見た目、よろしくない。灯台の立っている岬を、よくよく見ると、至る所に、同じようなひょろひょろ君が立っている。それに、なぜか斜面がえぐられた感じで、そこに、苗木が植林されている。枯れ果てた樹木の残骸も目に付く。

何が原因で、このような地形、状況になってしまったのか?はじめは、能天気にも<大津波>が押し寄せたのだろうと思った。だが、断崖はかなり高く、ここまで津波が押し寄せたとは思えない。あと考えられるのは、過酷な気象条件しかないだろう。その証拠に、柵際にも、枯れ果て、途中で折れてしまった樹木がたくさんあった。いま思うに、強い海風にあおられた結果の、塩害なのかもしれない。

ともかく、朝の三時に起きて、高速を五時間突っ走ってきたんだ。しかも、放射能に汚染された区域を通過して!もう、撮るしかないだろ。気持ちを切り替えて、撮影に集中した。柵沿いを、そろそろと歩き撮りしながら、大きな碑の横にまで来た。さらには岬の先端にまで行った。要するに、灯台が見えるすべてのアングルを網羅した。ひょろひょろ君のことは、ま、既成の事実として受け入れた。それよりも、右端に、海を入れることができたので、多少は写真になったと思った。

一息ついた。大きな碑の裏側だった。そこに説明文が刻み込まれていた。概要としては、1986年6月16日、海洋調査船<へりおす>は、処女航海として、清水港から羽幌港へ向かう途中、福島沖で悪天候に遭遇、遭難、沈没。九名の乗組員は全員死亡、みな20~30代の若者だった。痛ましい海難事故が、すぐ目の前の海で起きていたのだ。まったく知らなかったこととはいえ、厳粛な気持ちになった。ちなみに、事故の原因は、船体の欠陥との説もある。

移動。大きな碑と、曲がりくねった松に背を向け、歩き出した。灯台正面へと至る道は、すぐ見つかった。ただし、両脇は背の高い樹木。松だろうな。灯台をサンドイッチしている。小道の先に五、六段のコンクリ階段が見えた。この辺が限度だ。これ以上先に進むと、灯台の全景がカメラにおさまらない。

ま、いい。灯台の敷地に入った。ほとんど引きがないので、むろん全景写真は無理だ。<鵜ノ尾埼灯台>は、四角柱に近いが、何とも記述しがたい形で、写真を見てもらうしかない。自分的には美しいフォルムだと思う。ただ、どことなくうす汚れている。正面裏側?の、扉周辺の壁の塗料が剥げかけていて、毛羽立っている。大切にされているとは言い難い状態で、ちょっと残念な気持ちになった。その塗料の剥げかけた、灯台の胴体をスナップした。いま思えば、半ば無意識の、誰に対してでもない、無言の抗議だったのだろうか。

灯台を左回りにぐっと回って、敷地の外に出た。北側?の柵沿いの小道は鬱蒼としていて、樹木の間から、かすかに相馬港が見えるといった感じだ。少し行って、柵を左側にして、ふり返る。たしか、ネットで見たベストポジションはここだろう。だがしかし、樹木が生い茂っていて、灯台をほとんど隠している。ネット写真では、樹木が枯れ果てていて、その隙間から灯台が見えていたはずだ。…今調べた。幻覚、というか幻視だったのか、いや、単純に勘違いだろう。そのような画像は見当たらない。いや、たしかに見たのだ!とにかく、この位置取りからはまるっきり写真にならなかった。

柵沿い、樹木の隙間から、漁港が見える。おそらく相馬港だろう。いの一番目についたのが、海の中にある防波堤で、白い、豆粒ほどの防波堤灯台が立っている。ほとんど反射的に、何枚か撮って、先に進んだ。と、木製の小さな展望台があった。あ~、さっきの案内板にあった<展望台>とはこれだな。

トントントンと、五、六段階段を登った。展望台、というよりは、展望スペースだな。広さが二畳ほどで、高さが1mほど。ま、たしかに展望はいい。カメラバックをおろし、一息入れた。ついでだ、望遠カメラを取り出した。柵に肘をつけ、カメラを固定して、性懲りもなく、豆粒大の防波堤灯台を撮った。あまりに遠目で、写真にならないのはわかり切っていた。だが、なぜか、撮らずにはいられなかった。いい景色なのだ。この時、眼下の相馬港にも、あの<大津波>が押し寄せたのだ、ということはまったく忘れていた。

…おそらく、理由はこうだ。上半身、とくに背中の辺が汗だくで、かなり不快だった。パーカを脱げばいいのだが、どっこい、冷たい風に、湿った身体がさらに冷やされ、なおさら不快だ。夏場と違い、汗で湿った衣類の乾きが遅く、体の体温を奪う。うまく対処しないと、風邪をひく。早く車に戻って、着替えよう。などと考えていたのだろう。そくそくと展望台を後にした。ただ、念のために、ベストポジションであろう、<へりおす>の碑があるところに戻った。今一度、この場所での、最良のポジションで、ということは、右側に海を入れて、何枚か撮った。念には念を、というわけだ。

車に戻った。さっそく着替えた。上半身裸になって、長い綿マフラーで背中をふいた。と、そばに、ハーレーのようなバイクが止まっている。なんとなく、アメリカの白バイ仕様だ。あれっと、ふり返ると、高い防潮堤に、白髪、サングラスの爺が座りこんでいて、こちらを見るともなく見ている感じ。にこやかな雰囲気で、友好的だ。こちらから、挨拶してもよかったのだが、どうも、体調がよくない。それもそのはず、いくらも寝ていないうえに、五時間の高速走行、その後、重いカメラバックを背負い、大汗かいての写真撮影だ。だいたい、朝のウンコもしていない。下っ腹が張っているし、眠いし、頭が重い。人と話す気分じゃない。シカとして、駐車場を出た。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#3

鵜ノ尾埼灯台撮影2

短いトンネルをくぐって、すぐに右折。相馬港に入った。右側に

高い堤防があり、その下に車を縦に止められる駐車スペースがあった。ちょうどいい。というのも、その堤防越しに、岬が見え、その上に灯台が立っているのだ。海の中には、たしかサーファーが二、三人いたような気もする。外に出た。カメラ二台を手にして、岬の灯台を狙った。だが、ちょうど逆光だ。青空が白茶けている。今は無理だなとすぐに諦めた。

車を出した。今度は、だだっ広い漁港の中を、岬の上から見えた灯台はどこかな、ときょろきょろしながら、ゆっくり走った。目の前には、係船岸壁が何本もあり、釣り人で盛況だ。ただその先は、いずれも高い防波堤になっているような感じ。灯台は見えない。それに、体調不良で、もう写真なんか撮る気がしない。昼寝だな。

日差しが強いので、日陰はないかと見まわした。だが、そのような場所は、どこにもない。左手に、そう、あの<松川浦大橋>があるではないか。半信半疑で近づくと、背の高い橋脚の下に駐車できるようになっている。ただし、橋があまりに高いので、日陰にはならずカンカン照り。橋の影は道路にかかっている。ま、いい。一応車を止めて外に出た。駐車場から、コンクリ階段を数段登ると、だだっ広い公園だ。ベンチはあるものの、日陰はない。

見ると、橋の下には、運河のような流れがある。いま、地図で確認すると、この場所は、<松川浦>という砂州で区切られた湖?と海がつながっている唯一の場所なのだ。だから、<松川湖>ではなく<松川浦>だったのだ。この時は、そんなことは思いもよらず、柵沿いに数珠なりの釣り人達を見て、よく釣れるのかな、くらいにしか思わなかった。

公園の端には、真新しい簡易トイレが数基並んでいた。用を足したいような気もしたが、婆さんや爺さんが、出入りしているのが目に入ったので、行く気がなくなった。どうしてかって、野外に設置された簡易トイレほど、気持ちの悪い物はないではないか!むっと暑くて、汚くて、臭っている。しかも密閉空間だ。車に戻った。もう限界だった。日陰を探すのも面倒で、すぐにも、後ろの仮眠スペースにもぐり込みたかった。

正面からの陽射しがきつい。フロントガラスにシールドをかけようとしたら、自分がさっき上がって行ったコンクリ階段に、スケボーを手にした、三十代くらいの、人相の悪い男が見えた。ちらっと、こっちを振り返ったので、目が合ったような気もする。なんなんだよ、あの野郎は!気分がよくないので、すぐに移動。といっても行く当てもなく、漁港のだだっ広い駐車場の、周りにほとんど車の止まっていない場所を選んで車を止めた。むろん、カンカン照りの中だ。

だが、この否応のない選択は、間違いでもなかった。というのも、季節はもう、完全に秋だった。カンカン照りといっても、夏場とは違い、エアコンなしでは車内にいられない、というほどの暑さではないのだ。左右四枚の窓ガラスを少し開けた。涼しい風が入ってくる。持ち物、荷物でごった返している、うしろの仮眠スペースに滑り込んだ。

荷物どもを脇へ寄せ、自分のスペースを確保して、横になった。横になった瞬間、おしっこがしたいような気になり、再び起き上がり、例の<おしっこ缶>を取り出して、用を足した。その際、ちらっと、外が見えた。というのも、面倒なので、すべての窓にシールドを張ったわけではないのだ。と、さっきのスケボー男が、すぐそこにいる。俺の後をつけてきたのか?と一瞬勘ぐった。そうでもない感じなので、両ひざをついたまま、前をはだけた状態で、奴を観察した。

十メートルほど先にいたが、それ以上は近づいてくる気配はなく、下手なスケボーを転がしている。どう見ても、辺りの雰囲気からは浮いている。だって、ここは漁港で、ほとんどの人は釣りに来ているんだ。しかも、スケボーなんて、十代の坊やがやるものだろう。野郎は、まさか自分が、車の中から観察されているとは、夢にも思っていない感じだ。人に見られているかもしれない、という警戒心がない。無防備だ。人相の悪い、薄青っぽい服装の男は、そのうち、向こうへ行ってしまった。

体調的には、もう限界だった。ゴロンと横になって、目をつぶった。いわゆる、<側臥位=そくがい>だ。耳栓をしようかな、と思ったものの、面倒なのと、辺りが静かなのとで、そのままじっとしていた。そのうち、うとうとしたようだ。途中で、窓からの風が冷たく感じた。

起き上がって、コンソールボックスの横の<同行二人>棒を手に取り、その先っちょをブレーキペダルに押し当てた。そして、ハンドル左横のスタートスイッチを、身を乗り出し、人差し指で押した。<ブレーキペダルを踏んでスタートボタンを押す>。最近の自動車には、<キー>はないのだ。これでエンジンがかかった。さらに、運転席側のドアの側面にある、パワーウィンドウのスイッチを押して、少し開いていた、後部ウィンドーをきっちり閉めた。安心して、またうとうとした。

メモによると<昼寝―限界 便意、ほおがほてる、ねむけ、11:30~12:30 いくらもねむれない>とある。熟睡はできなかったとはいえ、小一時間、うとうとしたわけだ。少し元気が回復したのだろう、先ほどの、入り口付近の堤防の前に行き、車を止めた。外に出て、リアーウィンドーを開け、カメラ二台を取り出した。よいしょ、と堤防によじ登り、<鵜ノ尾埼灯台>を撮り始めた。太陽は少し西に傾き、逆光は、さっきよりはきつくなかった。

陽が差し込んでいるので、波しぶきが目に眩しい。サーファーの数も増えていたような気がする。写真の中に、何が面白いのか?波に翻弄される黒い人影が点在してしまう。この時は、さほど気にもならなかった。だが、あとで補正する段になって、サーファーさんたちには恐縮だが、写真的には、消し去る方がいいような気がした。

標準と望遠で、もうこれ以上、この位置からでは無理だろう、と思えるまで、しつこく撮った。要するに、撮れた気がしなかったのだ。とはいえ、撮り飽きて、今一度、岬の下あたりをじっくり眺めた。テトラポットに守られている感じで、狭い浜があるようだ。歩いて、岬の真下まで行けるかもしれない。灯台の、まだ見たことのない姿が期待できるわけだ。

堤防には、ご丁寧なことに、何か所か、砂浜に下りられる階段がついていた。むろん、サーファーたちはここを下って、海に入るわけだ。この狭い砂浜は、おそらく、相馬港で唯一の砂浜だろう。砂の上を歩いて、岬方向へ向かった。ふと右手を見上げると、岬のどてっぱらを貫いている短いトンネルの入り口が見えた。その手前には、そそり立つ防潮堤が見える。

問題はその下だ。というか、波際のテトラポットと防潮堤の間にある白っぽい石がごろごろしている場所だ。そこを通過しなければ、岬の真下には出られない。いやな予感がしたんだけれども、行けるところまで行くことにした。というのも、カメラを、一台は首に、一台は肩に掛けているので、万が一にもズッコケたら、カメラがだめになる。いきおい、慎重に歩かざるを得ない。ところがだ、これが、かなりの苦難の道で、足を出すところを目で確認してから、一歩進むという、いわば、<沢登り>に近い感じになってしまった。

波際には古いテトラポットがあり、それらは、あの<大津波>に襲われて、ひっくり返ったり、破損したりしている。なので、新しいテトラが、投入された。だが、新しいテトラが、びっしり、防潮堤まで積まれているわけではない。その間に、大小の石が敷かれている、というか、撒かれているのだ。大きいのは、一抱えもあり、小さいのでさえ、こぶし大だ。非常に歩きづらい。

それに、防潮堤は、岬の先端に向かっているのではなく、どてっぱらを貫通しているトンネルの前あたりで、中途半端なまま切れている。となれば、その後は、むき出しの断崖絶壁がそそりたっているわけで、その下のわずかな空間、ま、言ってみれば、多少の砂地なのだが、そこに大小の石がばら撒かれているだけだ。

岬の先端に近づけば近づくほど、足場は悪くなり、しかも、灯台は見えにくくなる。当たり前だ。思いっきり見上げたところに灯台があるわけで、すでに半分くらいは樹木に隠れて見えない。そんなことはあり得ないのだが、一瞬、今地震が来たら、一巻の終わりだと思った。なぜって、断崖が崩れ落ちてきたら、逃げようがないだろう。足場は悪く、走れない。そのうち、あせって転んで、カメラをだめにする。しかも、足に怪我をして、なかなかこの海辺から避難できない。サーファーたちは、とっくに避難して、周りには誰もいない。声を限りに助けを呼んでも、無駄だ。そのうち、大津波が来て、一気に飲みこまれてしまうのだ。

やめよう!妄想だ。だが、これほど極端ではないが、嫌な予感が当たってしまった。ほぼ岬の先端にまで到達して、樹木にほとんど隠れた灯台を、これでもかと撮って、引き上げた。テトラや大小の石の間を、例の<沢登り>の要領で、渡り歩いていた時、足の裏が変な感覚になった。踏ん張りがきかないのだ。あれ~、と思って、下を見ると、黒いコールタールのようなものが目に入った。なんだろう、と摘み上げてみると、足形だった。なんで?一瞬、間をおいて、気づいた。左足の靴の底がつるつるしていたのだ。

おわかりだろうか、過酷な<沢登り>歩行により、靴底が剥がれてしまったのだ。<ダナー>というブランドで、本革の、底が凸凹しているウォーキングシューズだった。ただ、購入したのが、十年以上も前だった。ま、それにしても、靴本体と底が、接着されているとは思いもしなかった。経年劣化で、その接着剤がきかなくなり、剥がれたのだ。まさに、青天の霹靂だった。仕方ない、帰宅したら、接着剤で張り合わせてみようかと、その黒いコールタールのような足形を、指先でつまんだまま、引き返した。何しろ、ポケットにしまうにはデカすぎたのだ。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#4

鵜ノ尾埼灯台撮影3~ホテル

悪路、というか、人間の歩行の限界を試しているかような場所から、やっとのことで、滑りも転びもせず、砂浜にたどり着いた。陽が少し西に傾いている。海の中にいるサーファーの数も減っていた。週三日のジム通いで、年寄りなりに、足腰は鍛えているつもりだったが、その根拠のない自信はもろくも崩れていた。膝がガクガクなのだ。 

だが、もうひと頑張りだ。いや頑張ろうとすら思わなかった。あたりまえのように、また、<鵜ノ尾岬灯台>へ向かった。漁港を出て、先ほど浜辺から見た短いトンネルをくぐった。今日二回目の灯台下の駐車場だ。車がけっこう止まっている。たしか、カメラ二台だけ持って岬を登り始めたのだと思う。いや、忘れた。カメラバックに三脚は取りつけず、中に飲料水だけを入れて背負っていたのかもしれない。

残念なことに、雲が出てきた。午前中と同じ道順で、灯台を撮りながら、岬を巡った。家族連れに何組か遭遇した。印象に残っているのは、<へりおす>の碑から、とって返した時、向こうから来た、老年夫婦と会釈して、二言三言、言葉を交わしたことだ。はじめ、十メートルくらい先に、旦那が見えた。勘違いかも知れないが、こちらに何度も、会釈しているように見えた。そのあと互いに近づいて、すれ違いざまに、<こんにちは>と言葉を交わした。腰の低い、純朴で穏やかな旦那だった。

さらに、旦那の少し後ろにいた奥さんが、<どちらから来たんですか>と話しかけてきた。<埼玉からです><そうですか>。気弱な旦那を支えている、気丈な農家の母ちゃん、という感じがした。自分としては珍しく<今日は、風もなくていい天気ですね>とお愛想を言った。

老夫婦が柵沿いに並んで、岬の灯台を見ている。立ち去りながら、その姿を背中で感じた。よい人たちに出会ったと仄かに思った。

一度、正確には二度、灯台の周りを巡っているので、今回で三度目だ。撮影ポイントは、おおよそわかっていたから、あせることもなく、余裕をもって撮り歩いた。午前の撮影と違い、雲が出てきて、明かりの具合がよくない。そのうち、これ以上撮っても無駄、と判断した。そのあとは、少し観光気分になって、写真撮影を楽しんだ。

引き上げ際、岬の中ほどの山道で立ち止まった。眼下の<松川浦>がオレンジ色に染まりかけている。静かな湖面に、規則正しく細い棒のようなものが並んでいる。あとで知ったが、海苔の養殖をしているようだ。ただ、その中の浮島には、枝だけになった樹木たちのシルエットが見えた。<大津波>に襲われ、生き残った樹木たちだと思った。さらに、ほかにも、やや大きめな浮島がいくつかある。じいっと見た。コンクリで周囲を修繕してある。景観的にどうのこうの、というよりは、なにか無残な感じがした。と同時に、郷土の美しい景観を愛し、懸命に保存しようとしている人間の心を感じた。

さらに、岬を下りたあたり、断崖の窪みに、比較的新しいお地蔵さんたちが、いっぱい並んでいた。案内板を斜め読みしたが、頭に入ってこなかった。幸い写真に撮っておいたので、帰宅後に読むことができた。一度目は戦争、二度目は<大震災>で荒廃してしまった地蔵尊を、その都度、地元の有志が再興してきたようだ。最果ての岬に、ひっそりたたずむ石仏たちには、人間の祈りが込められていたのだ。

静かで、美しい夕景だった。最後に、もう一度、漁港に入って、防波堤から、岬に立つ灯台を狙った。もしかしたら、雲間からの夕陽が、白い灯台をオレンジ色に染め上げるかもしれない、と期待した。ま、そんな奇跡は起きなかった。時間は、午後の三時過ぎだったと思うが、空は、雲に覆われ、ややうす暗くなっていた。防波堤の下では、サーファーたちが帰り支度をしていた。

さあ、引き上げよう。ナビに宿泊するホテル名を読み込ませた。今日は、朝の三時前から動き始めて、車の運転と写真撮影、ほぼ十二時間活動したわけだ。われながら、この歳で、よくやれたと思った。というか、さほど疲れていない。昼の小一時間の仮眠がきいたなと思った。ただ、下っ腹が張っていて、やや不快。ホテルの温水便座で排便したかった。

相馬駅近くのホテルまでは、すぐだった。どこをどう走ったのか、途中でセブンに寄って食料も調達したのだが、ほぼその一切の記憶が飛んでいる。ホテルの受付には、黒いスーツを着た若い女性が二人いた。いや、まだ女の子といった方がいいかもしれない。コロナ関連の書面に署名して、説明を受けた。その説明が、たどたどしくて、客慣れしていない。ちょっと前までは、地元の高校生だったのだろう。前金で一泊¥4147だった。そうそう、それから最後に<地域クーポン券>¥1000分を受け取った。

エレベーターに乗って、部屋へ行った。やや狭いが、こぎれいな感じで、備品などはきちんとそろっている。念のため、冷蔵庫の中に手を入れてみると、ややヒヤッとした。大丈夫だ、冷えている。おそらく、その次には、ユニットバスの中に入って、温水便座で排便したのだと思う。どのくらい出たのか、確認はしなかったが、下っ腹がすっきりしたような覚えがある。

その後、ホテルのパジャマに着替えて、荷物整理。と、空気清浄機が床と細長い机の上に、それぞれ一台ずつあった。さらに、その机の上には、コーヒードリップのような器具もあったが、ひと目見た感じでは、使い方が理解できなかった。あとで見てみよう。それよりも、先にメシだな。保冷バックで冷やしておいた、ノンアルビールの栓を指で開け、セブンで買ったハンバーグ弁当を食べた。あたためてもらったので、まだ少し暖かくて、まずくはなかった。そのあとは、<昼寝 5時>、とメモにあった。

<7時頃おきる 少し体力が回復 風呂・頭を洗う 日誌をつける モニターなど 九時すぎにはねるつもり>。ノートに記したメモである。比較的マメに書いている。ボールペンで文字を書く習慣がなくなって久しいが、灯台旅を始めて、日誌をつけるにあたり、メモ書きの必要に迫られたわけで、少し慣れてきたのだろう。何しろ、記憶力が弱っている。まったく思い出せないことが多々あるのだ。そんな時、メモ書きを読むと、思い出せることもある。

ところで、少しつけ加えよう。旅先、それも初日にホテルの風呂場で頭を洗う、などとは、自分の常識にはないことだった。だが、何というか、融通が利かなくなったのだろう、火木土はジムの日で、その日は頭を洗う、という習慣が身に沁み込んでしまっているのだ。もっとも、一日おきの洗髪は、最近の習慣で、これは、自分の加齢臭にうんざりして、決めたことだ。頭をかいた指先を鼻に持っていくと、独特の臭いがする。この臭い、加齢臭は、洗髪を二日あけると、強烈になる。一日おきが限界だ。世間や他人が、問題なのではない。年寄りくさい臭いのする、自分が嫌なのだ。 

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#5

高速走行~塩屋埼灯台撮影1 

二日目

<6時前に起きる 昨晩夜8時前後に物音 人の出入り うるさい 夜中になってからは静か ほぼ1時間おきにトイレ>。あまり、よく眠れた感じでもなかった。だが、何しろ、寝たのが早い。おそらく、九時過ぎには寝ていただろう。眠りは浅いが、時間的には十分だ。それに、お決まりのように、六時過ぎたころから、ガタガタうるさいのがビジネスホテルだ。ぐずぐずしないで、さっと起きた、ような気がする。まずテレビをつけ、さっと洗面をすませた。朝食は菓子パンと牛乳、それと、持ち込んだ、皮をむくと、ところどころ黒くなっているバナナ。たいして腹も空いていない。これで十分だ。

排便を試みたが、ほんの少ししか出なかった。着替えて、荷物整理。それと、ざっと部屋の整頓。最後に、これもお決まり、部屋の写真を撮った。窓は嵌め込み式で、細い針金の入った強化ガラスだった。見ると、街並みの向こうに低い山並みが見える。少し紅葉している。左から朝日が昇っているようで、町全体が仄かなオレンジ色に染まり、建物に長い影ができている。いわば、地方都市の、静かな朝だ。窓越しに、何枚か撮った。この時<大震災>のことは、まったく失念していた。

<7:00 出発 近くのローソンで地域クーポン¥1000 消化 (鯖缶3 牛乳 おにぎり)>。付け加えよう。地域クーポン券で、夕食などの食料を調達するのが、一番経済的だと思った。だが、朝っぱらから、夕食の弁当を買うわけにもいかないだろう。車の中に置いておく時間が長すぎる。それと、クーポン券は相馬市でしか使えないのだ。このまま高速移動してしまえば、無駄になる。で、常備食糧である<鯖缶>なら、買っておいても無駄にはなるまい、と考えたわけだ。小者の考えそうなことだ。何とでも言え!

<7:20 高速>。相馬インターから小一時間、高速走行。今日は、昨日来た時とは違い、放射線量に対する恐怖心もなく、興奮もしていなかったので、帰宅困難区域の惨状を、運転しながらではあるが、じっくり見定めた。まずもって、整然と区画されている田畑が、草ぼうぼう。住居は健在だが、人の気配が全くしない。これは昨日も見た光景だ。さらに今日は、変にのっぺりした、更地になった田畑だ。そのすぐ横は草ぼうぼう。なるほど、そばに除染した土嚢袋が並んでいる。

なんだか、頭がくらくらした。あんなことをやっても、無駄なのではないか。いや、無駄ではないかもしれないが、どのくらいの時間と労力がかかるのだろう。おそらく、誰も答えることはできまい。田畑の除染がいかほど有効なのか。さらに、広大な森や林は、除染の対象にはならないのか。畢竟、除染は田畑だけでいいのか。放射能で汚染された土地と空間はどうなるのか。もっと言えば、そこで生息している生き物や植物はどうなるのか。何もかもがデタラメで、小役人が小細工を弄しているようにしか思えなかった。世界の空白、喪失、人間への不信感で、頭が膨れていくような気がした。

<四倉>で高速を降りた。たしか、来る時にトイレ休憩した小さなパーキングの名前も<四倉>だった。料金は¥1500くらいだった。一般道に入った。そこは、田畑の中をうねうね行く、交通量の少ない地方道だった。すぐそばに低い山並みが見える。旅に出れば、よく出くわす、見慣れた光景で、刈り取りの終わった稲田は、どこか清々していて、長閑だ。生命力がありすぎて、刈り取られた後でも成長し続け、青葉が出てくる。以前、農夫から聞いた話で、秋冬に、稲田が緑になっている理由だ。唐突だが、<いのち>のかけがえのなさを思った。それゆえに、なおさら、憤怒した。

塩屋埼灯台の案内標識が出てきた。左手に海が見えてきたと思う。と、彼方向こうの岬の上に、逆光でぼうっとしている灯台が見えた。防潮堤沿いに広めの駐車場があり、トイレらしき建物も見える。車を入れる。外に出て、望遠で灯台を狙うが、遠目過ぎて勝負にならない。しかも、モロ逆光だ。用を足して、すぐに道に戻る。

さらに、海岸沿いの広い道を進んでいくと、何やら、ガードマンがいて、通行禁止らしい。窓開けると、女性のガードマンが来て、この先は、灯台までしか行けません、と言う。灯台を撮りに来たんで、と言って通してもらう。左側は依然として巨大な防潮堤。駐車スペースはあるものの、柵で仕切りがしてある。止めることはできない。そのまま突き当りまで行く。

土産物店らしき建物があり、駐車場になっている。ネットで見た、美空ひばりの碑と、写真付きの大きな掲示板もある。ちなみに、なんで<美空ひばり>なのかと言えば、<みだれ髪>という曲が塩屋岬を題材にしているからだ。写真付きの黒御影の碑の前に立つと、あとで知ったことだが、センサーがついていて、ひばりちゃんの歌声が流れる仕掛けになっている。若い頃、美空ひばりの歌はひと通り聞きこんでいたので、むろん、<みだれ髪>も知っている。サビの♪塩屋の岬♪の部分は、頭にこびりついている。昭和の大歌姫、日本の女性歌手の中では一番好きかもしれない。なにしろ、歌がうまい! 

戻そう。ちょうど、灯台への上がり口の前が空いていた。駐車して、装備を整え、いざ出発、灯台に登り始めた。これが意外に急で長い。途中に眺めのいい所があったので、一息入れた。北東側の海だ。きれいに弧を描いた砂浜があり、海の中に、白い防波堤灯台らしきものが見える。ここにも<大津波>が押し寄せてきたのだろう。海沿いの、今さっき通ってきた広い道は、真新しい高さ五メートル以上もある防潮堤で、がっちり守られていた。いちおう、首にかけているカメラで、この光景を何枚か撮った。ただ、新設された道路や防潮堤は、いまだに、この景観の中に溶け込めていないようで、少し違和感を感じた。

さらに登っていくと、視界が開け、目の前に、背の高いステンレスの柵が見えた。どうやら、灯台敷地の入り口だ。その手前は、やや広い、コンクリのたたきで、まず目に入ったのは、白い大きなラッパだ。これは、灯台巡りを始めてからは、よく目にするもので、<霧笛>だね。あとは、断崖側に柵があり、その向こうに、岬に立つ白い灯台が見える。長い紐にくっついている万国旗が風になびいている。十一月の一日が、<灯台の日>だそうで、なにか催しをやったのだろう。その名残だな。

さっそく、柵に肘を立てて、何枚か撮った。だが、逆光気味で、よろしくない。ポーチに結び付けている<磁石>を見たのかもしれない。太陽の位置を確かめた。おそらく、午後になり、陽が傾けば、順光になり、灯台に日が差すはずだ。余裕だった。何しろ、今日は、陽が沈むまで、灯台で粘るつもりだったのだ。

灯台の敷地をがっちりガードしているステンレスの門をくぐった。左手が受付、正面右には、東屋があり、その下にテーブルとベンチも置かれている。なるほど、目の前は海だから、最高の休憩場所だ。受付で、念のために聞いてみた。あとでまた灯台を撮りに来るので、再入場できますか、と。大丈夫です、と受付のおばさんの声が聞こえた。しぶしぶ、というよりは、快く承諾してくれた感じが声音でわかった。ちなみに、自分のおばさんへの言葉は、実際には、ここで記述したようなものではなかったはずだ。もっと、何というか、要領を得ない、まどろっこしい日本語だったと思う。もっとも、こちらの真意は伝えられたのだから、問題はない。だが、もう少し、ゆっくり、言葉を選んでちゃんと話すことだってできたはずだ。それができない自分が、バカに思えることもある。しかし、また一方では、真意が伝われば、バカに思われてもいいや、と開き直っている自分もいるのだ。

¥300払って、建物の横から灯台へ向かう広めの階段道に入った。両側が、やはりステンレスの柵で、そこに、地元の小学生たちだろう、子供たちが描いた灯台の絵がずらりと並べられていた。その絵たちに興味を持ったが、まずは灯台撮影だ。いつもの作戦で、撮り歩きを始めた。しかしね~、これはむずかしい!まずもって、階段道は、灯台と直線で結ばれているわけではなく、正確には、灯台入り口前の、ちょっとした広場へ向かっているのだ。

どういうことかと言えば、画面に、必ず、階段道の柵が入ってしまうのだ。断崖側の柵から身を乗り出してもだめで、いっそのこと乗り越えようかとさえ思った。だが、さすがにこれは自制した。人目をはばかる行為で、観光客がひっきりなしだ。それに、柵と断崖との間は、きれいに整地された、二メートル幅くらいの赤土で、足場の確保もおぼつかない。柵があるのには理由があるのだ。

なるほどね、ネットで見た写真が、みなイマイチなのが、よ~く理解できた。つまり、この階段道からの写真は、誰がどう撮っても写真にならないんだ。ま、それに、明かりの具合も、やや逆光気味。なんだか、緊張の糸が切れてしまった。いちおう、海側の柵に寄りかかりながら、眼下の、防波堤灯台を望遠で狙ったりもした。もっとも、こっちは、まるっきりの逆光で、全然写真にならない。

おそらく、ここまで、これといった写真は、一枚も撮れないまま、灯台本体の入り口まで来てしまった。もう、灯台の全景は撮れない。巨大すぎて、カメラの画面にはおさまらないのだ。ま、それでも、灯台の周りを、360度歩いた。白い胴体を見上げては、風になびく万国旗などをしつこく撮った。灯台写真というよりは、素人の観光写真だね。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#6

塩屋埼灯台撮影2

ところで、塩屋埼灯台は参観灯台といって、登れる灯台である。だが、今回も、登らなかった。理由は三つだな。ひとつ、登るのが大変。螺旋階段が急なうえに狭い。カメラバックが邪魔になるんだ。二つ目、観光客が多くて、密になる。三つ目、灯台からの眺めは、おそらく最高だろうが、自然の景観は、すでに満喫している。これ以上はノーサンキュー。それに、高い所がやや苦手。

さらに付け加えれば、観光に来ているんじゃない、写真を撮りに来ているんだ、という気持ちがどこかにある。まだ仕事?が残っているわけで、今度は、階段道を下りながら、海沿いの柵側から、撮り歩き、というか、撮りながら後退していった。結果としては、もっと悪かった。まったく写真にならん。とはいえ、時間には余裕があった。このまま、あっさり、灯台を下りるのも何となく、もったいないような気がした。そうだ、子供たちの灯台の絵を写真に収めて、帰ったらゆっくり見よう。というわけで、ワンカットに、三枚くらいおさめて、順次、撮り始めた。

ところが、柵の両側に、それも、思いのほかたくさんあったので、撮るのに骨が折れた。絵の飾ってある位置が、目線より低いので、その度、片膝をついて撮らざるを得なかった。途中でやめてもいいのだけれども、やり始めたことを最後までやり遂げたかった。つまらん意地を張ってしまったわけだ。ま、たしかに、子供たちの絵は、素朴で楽しい。色使いも鮮やかだ。もっとも、先生が?そういう絵を選んだのだろう。ということは、幼い目に、というよりは、一般的に、人間の目に、灯台がどのように映っているのか、というふうに考えてもいいわけだ。なるほど、興味を持った所以である。

残念ながら、帰宅後も、子供たちの絵をちゃんとは見ていない。というのも、この旅日誌と、千枚を越える撮影画像の選択や補正に追われているからだ。誰に追われているのかって、自分にだ。この二つの仕事?を終わらせない限りは、次の旅には出ないと決めている。むろん、決めているのも自分だ。

話しを戻そう。とにかく、最後の方はうんざりしながらも、柵に並べられた子供たちの絵を、すべて撮り終えた。もっとも、海側の絵は、デイライト撮影したから、絵に光が映り込んで、見づらくなったものもある。だが、そのくらいの手抜きは、勘弁してもらおう。

受付の裏というか、横に展示室のような部屋があった。通路際のドアが開いたままなので、何となく、二、三歩中へと踏みこんだ。うす暗い感じで、人が何人かいた。<蜜>になるのも嫌だったし、それに、資料などを見る気分でもなかったので、すぐに出た。まあ、灯台には登らない、展示室も見ない、ただただ、灯台の写真撮影のことしか頭になかったわけだ。

それでも、一息入れる余裕はある。何と言っても、体が資本だからね。敷地内の端の方、海に面した柵際の屋根付き休憩場へ行った。一番手前のテーブルに、カメラバックをおろし、ベンチに腰かけたかも知れない。よくは覚えていない。ただ、三つあるテーブルの上に、何やら、張り紙ある。要するに、コロナ禍の中、ここで食事をするのはやめてください、それでもやるのなら、<自己責任でお願いします>とのこと。なにか、ちょっと引っかかった。最後の<自己責任云々>の文字は必要なのだろうか、と。

アルミの門をくぐって、敷地を出た。何と言うか、正確には、敷地外敷地とでもいうべきか、おそらく、灯台撮影のベストポジションであろう場所に、今一度立ち寄った。柵の向こうは断崖で、岬の上に立つ白い灯台のほぼ全景が、横から見える場所だ。だが、来た時と同じ、いや、もっと悪かったかもしれない。逆光、それに背景の空には、うろこ雲がびっしり。青空はほとんど見えない。二、三枚撮って、踵を返した。ある意味では、灯台の全ての敷地?を後にして、階段を下りた。下りは楽だった。あっという間だった。

駐車場に降り立った。海辺側の、コンクリ階段を五、六段下りると、見るからに汚い公衆便所があった。ま、そういうことは、考えないことにして、用を足した。ジーンズの前のチャックが、ちゃんとしまっているか、半ば無意識のうちに確かめたと思う。そう、なぜか、このジーンズ、閉めたつもりが開いていることがあるのだ。<社会の窓>が、もう死語かな、開いているのほど、おかしなことはない。それも、ちゃんとした服装をしていればいるほど、そのおかしさは増大する。おそらく、一度ならずとも、自分も笑われたことがあるに違いない。もっとも、親切心を出して、見ず知らずの人に、あいてますよ、と言うのも変だろう。自分も、これまでに、注意されたことはない。

え~と、薄暗い、臭い公衆便所を出た。ふと、見上げると、切り立った断崖の上に、灯台が少し見えた。もう少しよく見える位置があるはずだ。砂浜の方へぶらぶら行った。小さな船溜まりがあり、砂浜とは、低い防波堤で区切られていた。その先端の方には、釣り人が何人かいた。船溜まりの手前で止まった。まるっきりの逆光だった。灯台の、ちょうど頭の上あたりに太陽がある。写真は無理だ。振り返って、高い防潮堤に守られている、砂浜の方を見た。あとで、明かりの具合がよくなったら、あっちの方にも行ってみようと思った。

引き返した。どこからともなく、歌声が聞こえてきた。もちろん、ひばりちゃんの<みだれ髪>だ。駐車場に上がった。海側の柵の前に、立派な碑と大きな写真看板がある。迷うことなく、一枚だけ撮った。だが、碑や看板には、それ以上近づかず、掲載されている写真や文字もみなかった。何しろ、今の関心は<灯台>なのだ。ただ、心地よい海風の中、かすかに聞こえてくる歌声に、一瞬耳を傾けた。<淡谷のり子>のような歌声だなと思った。それに、たしかに、最果ての岬にはぴったりだ。やぼったい、貧乏だった昭和の時代を思い出したのかもしれない。

車に戻った。たしか、着替えたと思う。背中が汗びっしょりだった。そのあと、駐車場を出て、海沿いの広い道を走った。行先は、塩屋埼灯台から見えた、海の中の白い防波堤灯台だ。来るときに、<賽の河原>という看板があり、面白そうだと思った。方向としては、同じだ。右折して、うねうね走っていくと、何となく行き止まり。右手を見上げると、岬の上に、墓石のような、石仏のようなものがたくさん見える。<賽の河原>なのだろう。だが、どのように行くのか見当もつかない。それに、お目当ては、防波堤灯台なのだ。

回転して、今来た道を戻った。カンを働かせて、工事中のだだっ広いところを走っていくと、漁港らしきものが見えた。ちょこんと灯台の頭も見える。中に入っていくと、けっこう車が止まっている。係船岸壁が釣り場になっていて、釣り人がたくさんいる。たらたら、辺りを見ながら走って、突き当りの防波堤の前まで行った。辺りに車がたくさん止まっているので、かまわず駐車した。

カメラを持って、背丈以上ある防波堤の前に立った。都合の良いことに、短い梯子が立てかけてある。上には釣り人が何人かいた。臆することなく、まず、カメラを防波堤の上に置き、身軽になって、その梯子を上った。ま、カメラを落とさないように、用心したのだ。防波堤は、何というか、海に向かって、コの字型に伸びていて、その先端に灯台がある。もっとも、登ったすぐ横に金網があり、仕切られている。要するに、そこから先は立ち入り禁止で、灯台には近づけないのだ。いや、灯台の根本あたりに、何人か釣り人がいるぞ。

まあいい。金網の反対方向へ向き直り、お決まりの、歩き撮りだ。明かりの具合も良く、いい天気だった。と、女性が一人、座りこんで釣り糸を垂れている。タバコを吸っているらしく、臭いが、どこからともなくしてくる。ちらっとみたら、おばさんではあるが、どことなくあか抜けている。ま、言ってみれば、さばけた感じの、美人だった。一人で来ている筈はないと思った。一応、防波堤上での、ベストポジションを見つけて、何枚も写真を撮った。灯台の根本に釣り人がいて、映り込んでしまうのが、気になったのだ。

ところで、この時点では、この防波堤灯台の名前を知らなかった。ちなみに、今調べました。<豊間港沼之内沖防波堤灯台>。ただ、あの時も思ったのだが、ペアである<赤い防波堤灯台>が、見当たらない。今一度、ネットでよく見ている、二つの<灯台サイト>で確かめたが、それらしきものの記載はない。防波堤灯台が、白と赤のペアであるということを知ってからは、知らず知らずのうちに、白の相手の赤、赤の相手の白が気になるようになっていた。

ある程度のところまで行って、引き返してきた。防波堤を下りようとしたら、すぐそばにいた釣り人が、金網をうまくかわして、向こう側の堤防に飛び移った。なるほど、手で金網をつかんで体を支え、右足を脇にあるテトラポットの尖った部分におき、そこを支点に回転しながら、向こう側に飛び移るわけだ。やってやれないこともないなと思った。しかし、以下三つばかりの理由で、実行しなかった。カメラを首から下げているわけで、身軽に飛び移るわけにもいかない。爺だしね。それから、灯台の根本には、依然として釣り人がいるのだし、写真的にも、ベストポジションではないような感じがする。

それに何よりも、立ち入り禁止だ。先日、テレビで見た、立禁の堤防に出入りする釣り人の映像を思い出した。自分が釣り人で、よく釣れるのがわかっているなら、そして、みんなやっているのなら、金網や柵を乗り越えるだろう。だが、モノになるかならないか、おそらくロクな写真しか撮れないだろう。そんなことのために、わざわざ、多少の危険を冒し、多少の罪悪感を感じながら、立禁の網を乗り越えることもあるまい。と、大人の判断をしたのだ。

先ほどの、中年のさばけた美人は、同じ場所で釣り糸と垂れていた。そばに大柄な、黒っぽいオヤジがいて、何か話しかけていた。連れではないなと思った。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#7

塩屋岬灯台撮影3

港を後にした。海沿いの道に戻り、少し走り、高い防潮堤沿いの駐車場へ入った。朝来た時にも寄った場所だ。外に出ると、太陽が眩しかった。塩屋埼灯台の立っている岬を見た。ぼうっと霞んでいる。モロ逆光。ということは、岬の反対側へ行けば、順光だろう。比較的きれいなトイレで、用を足し、駐車場を出た。

海沿いの道を、ガードマンのいるところまで行って、右折し、回り込むようにして、岬の反対側に出た。ところが、岬の真下へと続く道に、またしてもガードマンだ。漁業関係者以外、立ち入り禁止だと言う。窓を開けて、すぐそこに見えている、防波堤灯台を撮りに来たんだ、と言ったが、褐色に日焼けた小柄な爺は、要領を得ない。立ち入り禁止の一点張りで、そのうち、少し離れた立看板のそばにしゃがみこみ、迂回路の地図を指さしながら、なにやら、塩屋岬灯台へ行く道順を説明している。ラチが明かない。わかったわかったと、フロントガラス越しに、手で合図して、車を回転させた。

さてと、ここからは、カンを働かせていくしかない。ナビのセットなんか、いちいち面倒なのだ。適当なところで、信号のない交差点を左に曲がった。なんだか、辺りが、だだっ広い。きれいに整地されている感じで、ところどころに、新築の住宅が建っている。なるほど、あの<大津波>に襲われた区域なのだろう。さらに、周りをきょろきょろしながら走っていくと、左手に、がっちりした、巨大な土手だ。ひと目でわかった。防潮堤だ。

辺り一帯が、公園化されているようで、少し先に、休憩所や駐車場らしきものが見えた。少し考えて、土手下の道に路駐した。すでに、灯台を背中に背負っているわけで、これ以上、遠ざかるわけにはいかない。幸い、交通量は全くない。むろん、駐禁の紙を張られたり、タイヤに線を引かれることもあるまい。何しろ、すべてが押し流されてしまった場所なのだ。外に出た。カメラ二台、それぞれ首と肩にかけ、整備されている土手の階段を登った。

土手の上は広い道になっていた。灯台とは反対方向へと、その道は、砂浜に沿って伸びている。ちょうど、昨日見た、<鵜ノ尾埼灯台>の下にあった巨大な防潮堤と、同じようなロケーションだ。ただ、ここの方が、はるかに規模が大きい。万里の長城を、一瞬、想起したほどだ。眼下には、穏やかな、暖かい褐色の、きれいな砂浜が広がっていた。天気も最高だ。ここに居るだけで幸せだ。だが、その砂浜の背後に、<万里の長城>が聳え立ち、連なっている。<大津波>が、人間にどれほどの恐怖と被害を与えたのか、よく理解できた。

土手の下は、広い道路になっていた。左方向は、塩屋岬の下で行き止まりのような感じ。ただ、右方向は、どこまでも続いている。はるか彼方に、小さく岬が見える。あそこがどこなのか、見当もつかない。広くて長い階段を下りた。正面からの太陽が眩しかった。新設の道路と砂浜の間にも、コンクリの真新しい防潮堤があった。これは、さほど高いものではない。見回すと、砂浜に下りる専用の階段が、間隔を置いて設置されていた。

やっと、砂浜に到達した。左手、岬の先端に、灯台の姿がちらっと見えた。位置的に、波打ち際まで行けば、もう少しよく見えるかも知れない。きれいな砂をゆっくり踏みしめながら、歩いた。と、おそらく、一つ手前の岬に隠されていたのだろう、断崖に立つ、白い灯台の全景が見えた。断崖の斜面は、一部、コンクリで固められていた。だが、ま、それにしても絶景だ。二台のカメラで、これでもかというほど撮った。ほとんど同じ構図なのだが、撮って撮っても、撮り足りないような気がした。

アドレナリンが少し収まって、岬の下あたりを、よくよく見ると、そうか、先ほど、<漁業関係者以外、立ち入り禁止>と言われた場所だ。カラフルな道路標識などが見える。さらに、そこから先の防潮堤は工事中だ。ブルーシートなどが、海風にあおられている。ということは、岬の西側?の漁港を守る工事をしているわけだ。なるほど、あのあたりが、下調べした、塩屋埼灯台を西側から撮るポジションだったんだ。

あとは、海の中にある防波堤灯台だ。灯台の上から見た奴だが、ロケーションが変わると、全くの別物。手前に、打ち寄せる波などを入れて、気持ちよく撮った。そう、波の音が聞こえていたと思う。夏場のような暑さではなく、心地よかった。海の色、というか波が緑がかっていて、それが、真っ白に砕けながら、キリもなく押し寄せてくる。

遠くの方から、波打ち際を、サーファーがボードをわきに抱えて、歩いてくる。カメラから目をはなして、どこへ行くのか見ていると、例の<漁場関係者以外、立ち入り禁止>の方へ向かっていく。そうか、ちらっと見えたが、爺のガードマンの背後、断崖の下に乗用車が何台も止まっていた。サーファーの車だったんだ。

引き上げよう。時間的には午後一時前だったようだ。いま撮影画像のラッシュを見て確かめた。なるほど、ちょうど、塩屋埼灯台の午後の撮影時間になったわけだ。砂浜から上がるために、防潮堤の階段を目で探した。階段はかなりの距離をあけて、等間隔に設置されている。だが、みな同じに見えて、自分が下りた階段が、どこなのか少し考えた。付近の空間全体を見直し、目星をつけて歩き出した。

防潮堤の階段を登り、広い道路を横断して、今度は、<万里の長城>の階段を登った。階段の上の辺りに、中年の黒っぽい男が座りこんでいて、そばに牛乳パックのようなものが置いてあったような気もする。昼食を取っているのだろう。その、防潮用の巨大な堤防の上に、変な像が立っていた。海に向かった、見上げるような男子のブロンズ像で、顔の辺りが焼け爛れている。いたずらされたのか?いや、おそらく、銅が錆びて、緑青が頭から垂れてきたのかもしれない。それにしても、異形な感じがしたので、説明書きなども読まず、ちらっと見ただけで、通り過ぎた。<大津波>による大惨事が脳裏をよぎったのかもしれない。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#8

塩屋埼灯台撮影4

堤防の階段を下りた。車に乗った。回転して、塩屋埼灯台へ向かった。灯台下の駐車場は、午前中に比べ、やや混んでいた。ひばりちゃんの碑の辺りには、観光客の姿が目立った。ふと思い出したのだろう、カメラ二台をぶらさげて、砂浜に下りた。岬の反対方向へ、少し歩きながら、灯台を見上げるようにして何枚か撮った。さらに、砂浜を歩いて、振り返り、岬の上の灯台を見た。う~ん、景色としてはイマイチだな。引き返した。

車に戻り、カメラバックに、ペットボトルの水と、ロンTの着替えを突っ込んだ。灯台の敷地で、日が暮れるまで、粘るつもりだった。といっても、そんなに長い時間じゃない。時計を見たのだろう、午後の二時前だったような気がする。日没時間は四時半だ。岬の階段を登り始めた。上から降りてくる観光客が意外に多い。ま、階段は、ぎりぎり、すれ違い出来るくらいの幅だから、さほど神経を使うこともない。とはいえ、体力的には、やはり、途中で一回息を入れた。

階段を登りきって、灯台の<敷地外敷地>に入った。断崖沿いの柵に寄りかかりながら、岬の、繁茂した樹木の中から飛び出ている白い灯台を狙った。長い紐に連なっている万国旗が、灯台にまとわりついている。風をうけて、勢いよく揺れている。一通り撮って、移動した。後でもう一度、夕日に染まる灯台を撮りに戻ってこよう。

ステンの門をくぐって<敷地内敷地>にはいった。受付を覗きこみながら、先ほど受け取った入場券?の半券を示した。即座に、おばさんの機嫌のいい声が聞こえた。快く、入場を許可してくれた。さてと、午前と同じく、灯台までの、数十メートルの階段道を、撮り歩きしながら進んだ。明かりの具合と、空の様子はよくなっているものの、灯台の布置が変わったわけではない。もどかしい写真しか撮れない。何しろ、灯台へと向かう階段道の設置場所が悪い。いや、悪い、というのは、写真を撮るうえで悪いのであって、建築上の問題とか、安全面とかでは、ベストなのかもしれない。常識的に、そういった問題が優先されるのはあたり前の話だ。

いちおう、灯台の根本まで行き、午前と同じく、灯台を見上げながら、周りをぐっと一回りした。いま思えばだが、この時も、灯台に登る気にはならなかった。というか、そういうことは思いもしなかった。夕陽までには時間もあるのだし、考えるくらいのことはしてもよかった筈だ。そうだ、観光客が、たくさんいたような気もする。<蜜>が気になっていたのかもしれない。

お決まりのように、撮り歩きしながら階段道を後退して戻った。しかしこの行為も、整地された断崖に一本だけ植わっている樹木の前までだ。そこからは、灯台の胴体と樹木が重なってしまう。せめて、この木だけでも、どうにかならないかと思った。

受付け前の広場にも、何やら人影が多い。あとからあとから、観光客が階段を登ってくる。端にある、屋根付き休憩所まで、迷うことなく歩いた。カメラバックやカメラをテーブルの上に置き、たしか、着替えたはずだ。背中が汗でびっしょりだった。給水して、柵越しに目の前の海を見た。黄金色に染まっている。何枚か撮った。

少し休憩して、<敷地外敷地>の柵の前に戻った。つまり、夕日に染まる灯台を狙えるポジションだ。どっかとその場に座りこんだ。夕日にはまだ少し時間が早かったのだ。背中に観光客のざわめきを感じながら、この日初めての、静かな時間を過ごした。というか、なんとしても、夕日に染まる灯台を撮るつもりだった。

時々、すぐ横に、観光客たちが来て、わあわあ~、たわいのない話をしていた。こちらは、ほぼシカと状態で、灯台を眺めていた。そのうち、灯台の胴体が、白から、薄いオレンジ色に変わってきた。振り返って、西の空を見ると、陽がだいぶ傾いてきて、茜色に染まっている。ここぞとばかり、数分間隔で写真を撮った。みるみるうちに、あたりがうす暗くなってきた。<秋の夕日はつるべ落とし>か。

ジーンズのベルト通しにくっ付けた腕時計と西の空とを交互に、再三見た。時間は、三時半過ぎになっていた。西の空には、なぜか、大きな雲がかかってきて、その雲が夕日を時々隠してしまう。むろん、そういう時は、灯台もうす暗くなり、写真としては、何となくさえない。かっと、西日が差す瞬間を、カメラを構えて待つわけだが、その待つ時間がじれったい。いや、考えようによっては、楽しいのかも知れない。

小一時間粘ったようだ。なんだか、退屈になってきた。というか、明かりの具合からして、これ以上粘っても、今以上の写真が撮れるとは思えなくなってきた。夕日を覆っている巨大な雲が、このあと、一気に霧散することもあるまい。それに、灯台の背景の空が西側なら、きれいに染まる可能性もあるだろうが、残念なことに、東側なのだ。青空が、少しオレンジ色っぽくなっている程度で、さほどの魅力はない。となれば、そろそろ限界で、引き上げようか。

そう思いながらも、ぐずぐずと、なかなか決断できなかった。というのは、前回の<爪木埼灯台>のことが思い出されたからだ。あの時は、あと三十分、粘りきることができなかったがゆえに、夕日に染まる灯台を撮り損ねたのだ。今回も、なんか嫌な予感がした。とはいえ、もう集中力が切れていた。未練がましく西の空を見上げたものの、すでに、それすらが、自分に対するポーズだった。

決断ができない、中途半端な気持ちのまま、カメラバックを背負った。階段を下りようとしたとき、すぐそばにいた爺・婆が、人に聞かせるような感じで、話をしていた。たしか、小柄でおしゃべりな爺さんと、婆さん二人連れだった。爺さんは小さなカメラを持っていて、多少、カメラや三脚などに興味がありそうだ。<ジッツォ>という名前も口にしていた。婆さんたちは、俺がでかいカメラバックを背負っていることに感心していた。

階段の降り口で、爺・婆たちとの距離が最大限接近した時、横で、<あのお兄さんが>という声が聞こえた。つい、その婆さんに向かって<もう、おじさんなんですけど>とサングラスを取って、軽口をたたいた。たしかに、ジーンズ姿で、頭にバンダナなどを巻いているのだから、婆さんたちから見れば、俺も<お兄さん>なのかもしれない。なんだか、うれしいような、気恥ずかしいような、気がしないでもなかった。

駐車場に降り立った。そのまま、公衆便所に直行して、用を足した。そうだ、灯台の敷地にトイレはなかった。看板にもその旨書いてあった。まあ~、年寄りが多いからね。そのあと、少し砂浜の方へ歩いて、岬を見上げた。なんと、灯台の白い胴体が、オレンジ色になっている。予想はみごとに外れて、自分が去った後も、灯台は夕日に照らされ続けている。だが、もう後の祭りだ。こうなったらからには、ひばりちゃんの碑に灯台を絡めて撮ってみようか。

碑の前に行った。ところが、観光客で、ごった返している。とまでは言えないが、次から次へと、記念撮影だ。ここまで来たんだから、ひばりちゃんと一緒に記念写真を撮りたい。ま、それが、人情ってもんだろう。それほどのファンでもない自分がそうなんだからな。少し脇によって、碑の前から人影が消えるのを待っていた。わあ~わあ~わあ~わあ~、家族連れも、爺婆たちも、カップルも、楽しそうに、スマホで記念写真だ。見ていて、嫌な光景じゃない。むしろ、ほほえましい。

だが、いささか長い!少し焦れてきたその瞬間、碑の前に人影がなくなった。すすっと前に出て、片膝をついて、手前にひばりちゃんの碑、上の方に黒いシルエットの岬と、その上に飛び出ている灯台を、一瞬のうちにアングルして、撮った。目の端、頭の中に、少しオレンジ色っぽい、傾いだ灯台と、ひばりちゃんの白黒写真がフラッシュした。なるほど、この碑は、灯台がちゃんと写り込むような位置に設置されていたんだ。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#9

ホテルに宿泊

辺りはうす暗くなっていた。車に乗り込んで、ナビを、今晩泊まるホテルにセットしたと思う。小名浜の市街地だ。走りだして、燃料メーターが、短くなっていることに気づいた。たしかに、昨日今日だけで400キロ以上走っている。帰宅する前に、どこかで給油しないわけにはいかない。それに、コンビニで食料の調達だ。

塩屋埼灯台や海辺からも遠ざかって、小名浜へと向かう広い道路に入った。ガソリンスタンドがあれば、値段的なことは考慮しないで、入れるつもりだった。むろん、地元の埼玉より高いのは決まっている。だが、高速のスタンドよりはましだろう。と、長い下りの坂道だ。フロントガラスの向こうには、市街地の明かりが見える。うまいことに、左手にスタンドが見えた。リッター¥139の看板も出ている。

すっと車をスタンドの中に入れた。給油位置に寄せると、日に焼けた短髪のあんちゃんが、誘導してくれた。<セルフ>ではないのだ。窓を開けて、ちょっと考えて、満タンで、と言った。そのあと、何となく車の外に出た。アンちゃんが、窓を拭いてもいいですかと言いながら、室内拭きを渡してくれた。ニコニコしている。バンパーにくっついている虫の死骸などを拭いていると、高速走って来たんですか、と気安く声をかけてきた。そのあと、少し会話した。

自分が車で観光していることを知ると、あんちゃんは、羨ましそうに、いいですね~と言った。その顔に、まだあどけなさが残っていた。この先にコンビニはあるかと聞くと、丁寧に教えてくれた。純朴で、親切だ。最近は、めったに出会うことのなくなった若者のタイプで、気持ちが和んだ。

坂を下り終わると、小名浜の市街地に入った。なるほど、コンビニが目の前にあった。車を止めて中に入った。弁当や菓子パンなどを買って、レジに行った。レジ袋は、と言われたので、車から取ってくるといって、その場を離れた。その際、お弁当はあたためますか、とレジの女の子がきいてきた。どことなく伏目勝ちの、まじめそうな、額の秀でた、大柄な女の子だった。言葉遣いには、優しさがあり、親切な感じがした。

そういえば、昨日のコンビニの女の子もそうだった。一見愛想がないように見えるが、そうではなく、奥ゆかしさというか、東北人特有の、いや、それに加えて、若い女性にありがちな<はにかみ>なのではないのだろうか。なんとも言えない上質な色気=エロスを感じる。幾つになっても、スケベな爺さんだ!何となく得をしたような気分になって、店を出た。

ホテルには暗くなる前に着いた。片側二車線の広い道路に面していて、出入り口前に、車が数台止められるようになっている。幸い、空いていたので、何回が切り返しして駐車した。外に出て、なんとなく見まわすと、隣が平場の駐車場になっているような感じ。それに、道路のはす向かいに、コンビニがあった。

車の中に身をかがめ、ぐずぐずと、部屋へ持っていく荷物などを整理した。疲れているのだろうか、行動が遅い、動作が鈍い。よいしょとカメラバックを背負い、受付へ行った。狭いロビーで、受付カウンターも小さめ。黒い服を着た若い女性が二人いて、そのうちの一人が応対してくれた。ま、ビジネスライクで、一通りの説明だ。コロナ関連の書面に署名して、支払いをした。その際、車はどこに止めたのかと聞かれた。出入り口の向こうを指さした。すると、駐車代が¥500かかりますと言われた。ええっと思ったが、<Goto割り>で、それでも一泊¥4434だった。

駅に近いビジネスホテルでは、立地の関係なのだろう、駐車料金を取ることがよくある。だが、ここは駅前ではないし、解せぬことではあるが、楽天トラベルでのネット予約の際、その旨記載されていた。文句を言う筋合いではない。はいはいと言って、鍵だったか、カードだったか忘れたが、受け取って、受付を済ませた。最後に、受付の横の棚を示され、パジャマを持って部屋へ上がるように言われた。

実を言うと、昨日応対してくれたホテルの受付の女の子と、今日の受付の女の子の顔が、というか印象がごちゃごちゃになっていて、分別できない。どちらも、黒い服を着て、アクリル板の向こうに居たし、口調も似通っていて、説明内容もほぼ同じだった。共通項が多すぎるということもあるが、この時間帯、こっちは疲労の限界にあり、注意が散漫になっていたのだろう。ま、それにしても、双方ともに、そっけない応対ではあったが、嫌な感じは全然しなかった。

部屋に入った。狭苦しい感じだ。サンダルを脱いで、アメニティーの、使い捨ての白いふにゃふにゃスリッパを探した。あるはずだと思い込んでいる。たが、ない。ないわけはないのだからと、少し考えた。そうか、パジャマ置き場の棚だ。自分で持ってこなければならなかったわけだ。ま、取りに行くのも面倒だな。靴下を脱いだ後は、はだしのままでいた。

その後は、着替え、荷物整理、弁当を食べ、風呂。ノンアルビールを飲みながら、ノートにメモ書き。撮影写真のモニター。それから、明日の予定をちょっと考えた。六時起床、七時出発。高速に乗って、日立灯台へ向かう。ここから、一時間くらいだろう。…何か、忘れ物をしたような感じだった。はっと、思い出した。そうだ、小名浜にもう一つ撮るべき予定をしていた灯台があったのだ。

とっさに、名前が出てこなかった。スマホでガチャガチャ調べだした。小名浜港の北東に岬があり、その一帯が公園になっていて、<いわきマリンタワー>などもある。その三崎公園の中に、<番所灯台>がある。そうだ、思い出した、番所(ばんどころ)灯台だ!

とはいえ、日程的に調整できるのか?明日の午前中は、<番所灯台>を撮って、移動、午後からは日立灯台を撮る。そして、翌日の帰宅日に、午前の日立灯台を撮る、という手がある。こうなると家に帰るのは午後遅くになる。帰宅日は<帰るだけ>、となんとなく決めていたので、ちょっと引っかかる。あるいは、<番所灯台>はパス、明朝、即移動して、午前中から日立灯台を撮る、という手もある。

番所灯台>?今一度スマホで、画像検索した。まあ~難しいところだ。というのも、ついでにちょこっと寄れるのならば、当然、お寄りさせていただく灯台クンだ。だが、わざわざ、あるいは、日程を変更してまで、撮りに行くべきなのか、決断がつかない。ロケーションがイマイチなのだ。それに、そもそも、当初の予定は、どうだったのだ?いや、当初から、三日目の午前中に撮る予定だったのではないか?なんだか、よくわからなくなってきた。

疲れていたんだろう、<番所灯台>は次の機会にしよう、ということに何となく決着したようだ。いや、メモ書きは<7時すぎにはねるつもり 備 小名浜 マリンブリッジ 番所灯台>で終わっている。何のための備考なのか?やはり、番所灯台へ行くつもりだったのか、今となっては、推測することさえできない。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#10

番所(ばんどころ)灯台

<5:30 起床 1時間おきにトイレなど 物音は無>。翌日、つまり、2020/11/9(月)のメモ書きの第一行目だ。少し付け加えよう。

そもそもが、五時半に起きるつもりはなかったのだ。ま、せめて六時までは、ベッドに居るつもりだった。だが、何の因果か、頻繁な夜間トイレの最後が、五時すぎだった。ということは、白々と夜が明けてくる時間帯だ。よせばいいのに、カーテンをちらっとめくって、外を見た。夜明け前の静けさが漂っている。そのまま、ベッドに戻ったが、早めに寝ている、さほど眠くはない。目がさえてしまった、というほどではないが、腕くみしながら横になっていた。

このまま、うとうとしてしまえば、それはそれでいい。朝方の、意地汚い眠りにしがみつくだけだ。だが、この時は違っていた。カーテンの隙間から、しだいにオレンジの光が差し染め始めた。日の出が五時半ということは、事前に調べていた。夕日は撮ったことがある。だが、朝日に染まる灯台を撮ったことはない。早朝は苦手なんだ。ベッドの中でイジイジしていた。寝返りを打つたびに、朝日が気にかかる。耐えかねて、すくっと起き上がった。窓際へ行き、カーテンをあけ放った。市街地に朝日が差し込んでいる。なんとも美しい、厳粛な光景だ。いったんは、ベッドに戻った。だが、もう無理だった。朝日に染まる灯台を撮りに行こう。今この瞬間しかない!

決断してからの行動は早かった。洗面、食事、排便は、なぜか普通に出た。着替え、部屋の写真撮影、ざっと部屋の整頓、エレベーターで下に降り、受付でチェックアウト。外に出て、歩いて、道路の向かい側のファミマへ行き、<地域クーポン券¥1000>を消化。鮭缶などを買う。車に戻り、ナビに番所灯台と打ち込む。出発。

朝まだきの小名浜の市街地を突っ切り、岬へと向かう。三崎公園の<みさき>は岬の<みさき>なんだ。くだらないことに感心しながら、あっという間に、その岬に到着。坂を上る。途中、朝日を受けている港が見える。防波堤灯台や<キリン>なども見える。ちなみに、<キリン>とは、本物の麒麟ではなく、港などに並んでいるクレーンのことで、今調べたら、正式には<ガントリークレーン>というらしい。なぜか、自分にとっては気になる存在で、ま、好きなんだな。

戻そう。ナビに従って、くねくねと坂道を登っていくと、なんとなく頂上近くになり、木立の間に駐車場があった。ナビの案内もここで終了。ほかに車は一台もない。外に出た。道はあるものの、灯台らしきものは見えない。少し歩き始めて、思い直した。車に戻り、ナビの画面を拡大してみた。なるほど、ここよりも灯台に近い駐車場がありそうだ。ナビの画面を見ながら、ゆっくり車を動かした。

なんだかよくわからないまま、木立の間を走っていくと、身障者用の駐車スペースが二台あった。ナビをじっと見ると、灯台はすぐ目の前だ。路面に描かれた車いすのマークが気になったが、誰もいないことだし、いうことで駐車した。

装備を整えていると、どこからともなく、少し小さめなトラ猫が姿を見せた。おいでおいで、と手を出すと、怪訝そうな目で見て、茂みに隠れてしまった。と、そこに、ほかの猫がいたようで、威嚇しあっている。ちょっとたって、トラ猫が、ぱっと茂みから出てくると、その後を追うようにして、大きな茶トラが出てきた。こちらは、人に慣れているようで、ふてぶてしい感じだ。ま、いい。灯台の話に戻そう。

木立の間を少し歩いていくと、突き当りに、番所灯台が見えた。そこは、こじんまりした公園になっていて、小さなマウンドの上に、デザインチックな東屋があった。海側は金網の柵できっちり仕切られていて、灯台は、朝日を受けた逆光の中、その前に立っていた。真っ白な、角ばった(六角形の)とっくり型で、表面は、四角に切った石を組み上げているようにも見えた。おしゃれな感じがして、ひと目で気に入った。

…今、番所灯台を記述するにあたって、ちょっとネット検索した。そもそも名前の読みかたからして、間違っていた。番所=ばんどころ、と読むらしい。それに、自分の撮った灯台は二代目で、昭和三年初点灯の一代目は、無念にも<東日本大震災>で亀裂が入り、六、七年前に、建て替えらえたようだ。どおりで、おしゃれで、きれいなわけだ。

灯台の姿形も気に入ったが、五時起きしてきた甲斐があって、海からの朝日をもろに受けた灯台を、初めて、間近で見た。少し興奮していたと思う。一気に撮影モードに突入。灯台の周りを180度、回りながら撮り歩きした。これは、いわば下見で、灯台の全景が写真に収まる、すべての地点を逐一見て回るのだ。それが終わると、今度は、頭に残った、写真になりそうな撮影ポイントを、重点的に撮る。さらに最後には、ベストポイントを決めて、しつこく、しつこく、撮る。撮影画像を調べてみると、109枚、四十五分ほどかかっていた。ま、撮りっぱなし、という感覚なのだが、枚数的には意外に少ない。

この間、幸いなことに、この<公園内公園>には、誰も来なかった。おそらく、昼間の時間帯なら、散歩などで、必ずや人が来るだろうから、撮影は、こんなに早く終えられなかったろう。なにしろ、狭い公園なのだ。人が来れば、灯台とカメラの間に、人影が入ってしまう。中断せざるを得ない。

もっとも、朝の七時台、街中の公園なら、人の来る確率は非常に高い。だがここは、市街地からは離れた、岬の上の、さらに奥まった公園だ。オレンジ色の神々しい朝日が、辺り一面、贅沢なほどだった。逆光の中に佇む、黒いシルエットになった灯台を仰ぎ見た。立ち去りがたかった。後退しながら、木々の葉で、灯台が見えなくなる所まで来た。そこでやっと、写真を撮るのをやめた。

なんだか、朝っぱらから充実した時間を過ごしてしまったな。眠気もなし、気分良く、車に戻ってきた。と、また、どこからともなく、トラ猫がでてきた。こいつは、同じトラでも、さっきのトラ猫ではなくて、体の大きい、ふてくされた面相だ。鳴きながら足元に近づいてきた。あげる物はないんだよ、などと声をかけながら、カメラバックを車に積み込んでいると、今度は、先ほどの小さなトラも出てきた。ついでに、茶トラも、どっからか現れて、大きなトラとひと悶着起こしている。喧嘩なんかするんじゃないよ、と声掛けしていると、脇を、体操姿の婆さん二人連れが、朝の散歩なのか、大きな声で話しながら、通り過ぎていく。

小さなトラの姿が見えないので、車の下を覗いてみた。案の定、居た。こっちを見て、さっと茂みの方へ逃げ出した。ふと、仏心が出て、食べ物をあげたくなった。その辺に、空き缶が置いてあったのは、誰かが、エサをあげているのだろう。そういえば、三匹とも、きれいで、比較的太っている。かわいそうに、捨てられたんだろう。そう思ったら、余計かわいそうになった。

ちょっと考えた。ニャンコにあげるような食べ物は持っていないよな。いや、と思い返して、トートバックの中を引っ掻き回した。たしか、食べ残したブドウパンがある筈だ。ニャンコが、ブドウパンを食べるとも思えなかったが、他に何もないのだから、しょうがない。ニャンコたちも、死ぬほどおなかがすいたら、食べるかもしれない。そう思って、小さなトラが逃げ込んだ茂みの方へ行き、ブドウパンをちぎって、その辺にばらまいた。隠れていた小さなトラが出てきて、ちょっと口をつけた。でも、食べなかったようだ。

いま、俺にできることは、その程度なんだよ。岬を下りた。その際、小名浜港だろう、朝日に照らされた港が見えた。防波堤灯台もいくつか見えた。そして、その向こうにはキリンだ。また、ゆっくり来たいと思った。<いわき>なら、そんなに遠くない。またいつか来られるかもしれない。

ニャンコたちのことは、もう忘れていた。いや、その時思い出した。<地域クーポン券>で、鯖缶や鮭缶を買ったんだ!車は、すでに岬を下りかけていた。ニャンコたちのところへ戻りたいと思ったのかもしれない。だが、戻らなかった。鯖缶や鮭缶は人間の食べ物だろう。それに、次の撮影場所、日立灯台へ早く行きたかった。いま思えば、どちらも、自分に対する言い訳だ。わざわざ戻って、ニャンコたちに缶詰をあげれば、立ち去るのが、なお一層辛くなるだろう。それが嫌だったんだ。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#11

日立灯台撮影1

岬を下りた。小名浜の市街地を抜け、常磐道いわき湯本インターへ向かった。むろんナビの指示に従ってだ。この間、二、三十分かかったのだろうか、高速に入るまでが長かったような気がする。あとは、日立北を過ぎてからの、断続的なトンネル走行だ。少し気を使ったし、難工事だったのだろうな、などとも思った。<どこまで行っても日立>という言葉も頭に浮かんできて、走りながら、思い出し笑いしていた。

若い頃、生活のために、軽トラの運転手をやっていた。時々、日立や北茨城へ行く仕事が回ってきた。行きは、荷主が高速代を負担してくれる。だが、帰りは出ない。したがって、のんびり一般道を走って帰ってくる。当時、常磐道は、日立南太田あたりまでだったと思う。あとは、6号線を行くしかない。ナビなどない時代、地図を見ながら走っている。日立という文字が出てくると、着地がそろそろだなと思う。ところが、そこからが長い!日立の市街地は、六号線沿いに、延々と続いている。<どこまで行っても日立>の所以だ。

配車センターでの、退屈まぎれの雑談で、この話になると、運転手はみな経験しているから、中には、面白おかしく、この言葉に抑揚をつけて、おどけて見せる奴もいる。狭い部屋が、どっと笑いに包まれる。もっとも、首都圏から日立辺りまでの仕事なら、御の字で、帰りの高速代が出ないとしても、悪い仕事ではない。むろん、運転手たちはそれを承知しているから、笑いの種にもできるわけだ。もっとシビアな仕事なら、その方が多いのだが、冗談も出ないし、話題にさえしたくない。

常磐道下りを、日立南太田で降りた。たしか¥1500くらいだったと思う。運転手をやっていたころは、料金所で払う高速代が、いちいち気になっていた。だが、今は、ほとんど気にもならない。と、どこかで見たような光景が目の前に広がっていた。正面に海が見える。日立灯台は、もう間近で、何回もマップシュミレーションした道路を実際に走っている。海沿いの広い道から、普通なら見落としてしまうような狭い道へと、当たり前のように右折した。さらに右折すると、お目当ての公園の駐車場が見えた。

日立灯台は、古房地(こぼうち)公園の中に立っている。ここは、断崖沿いの、縦長の公園で、きれいに整備されている。付近が住宅地なので、七、八台は止められる駐車場がありがたい。さっそく駐車して、装備を整え、撮影開始。と、その前に、駐車場の横にある公衆便所で、用を足した。それなりの臭いはした。

まずは、灯台の周りを、360度、左回りに回りながら、撮り歩きした。敷地が広いので、灯台付近にあるテーブルやベンチ、遊具などは、さほど気にならない。ただ、北側が狭く、しかも、松の木や街灯などがあり、全景写真がやや難しい。あとは、公園を囲っている柵が低木に覆われているうえに、多少の高さがあるので、海が見えない。

もっとも、北側の柵越しに、海が少し見えるところもある。自分としては、できれば、灯台写真には、海を入れたいので、少し残念な気持ちになったわけだ。だが、その後すぐに、駐車場の後ろにある、見晴らし用の小山から、海が少し入ることがわかった。ま、この時は、知らなかったのだ。さらに、公園の北西側には道路があり、道沿いに住宅が並んでいる。この辺りからは、松の木や遊具が多少邪魔になる。

いちおうひと回りして、撮影ポイントを、三、四か所、頭の中に入れた。そこで、公園に背中を向けて、下調べしてあった、南側の<久慈浜>の方へ行った。その時に、駐車場の後ろにあった、見晴らし用の小山を見つけて登ったわけだ。唯一、日立灯台が水平線とクロスする場所で、しかも、小山の上には、コンクリの正方形のテーブルとベンチが置かれていた。三脚を立てて、ゆっくり撮れる場所だ。カメラバックをおろして、一息入れたような気もするが、どうだろう、そのまま通り過ぎ、公園を出て、広い道路の歩道から、ふり返って、岬の中ほどから飛び出ている灯台を試写したのかもしれない。

もっとも、その前に、公園を出たところに、下の浜へと下りる階段があった。覗きこむと、かなりの高さの断崖で、階段も長い。下りるのは簡単だが、登ってくるはしんどいなと思った。それに、あとで、車で回りこんで、下の砂浜沿いの駐車場へ行くつもりだった。今下りることもない。それに、岬全体をアングルした場合、主役の灯台が小さすぎる。この構図にこだわることもあるまい。来た道を戻った。

ふと真下を見た。断崖の下は、砂浜に併設された駐車場になっている。ほとんど車などないのだが、黒っぽい車が二台止まっている。普通の乗用車だ。と、車と車の間で、男女が、今まさに抱き合い、キスをしようとしている。いや、べったり抱き合ってキスをしている。背後は高い壁、左右は車、前方は人のいない砂浜だ。要するに、本人たちは、死角だと思っているのだろう。まさか、上から見られているとは思っていない。平日の、まだ午前中だったと思う。はっきり顔は見えないが、男女とも三、四十代だろう。あきらかに<不倫>の匂いがする。

いや、<不倫>が悪いと言ってるんじゃない。それに、見ず知らずの赤の他人が、自分に危害を加えない限りは、別に何をしようが関係ない。ただこの時、自分が、でかい望遠のカメラを肩にかけていたので、なんだか、浮気調査を依頼された探偵のような気に、一瞬なったのかもしれない。まあ~、それよりも、真昼の情事?を、はからずも目撃してしまい、柄にもなくどぎまぎしている。何かいけないことを見てしまった小学生のような心持だ。テレビや映画で男女の色事を見るのは、慣れっこになっているが、実際となると、少し違った興奮があるものだ。

しかし、すぐに冷静になった。なぜ、車の中で情事をしないのか?わざわざ、外に出て、イチャイチャ、抱き合ったり、キスをしたり。と、ここで思い至った。まだ、そういう関係ではないのかもしれない。いや、ちがうだろう。お互い仕事中で、時間がない。けれども会いたい、イチャイチャしたい。ま、恋愛中の男女の心情だな。わからないこともない。おそらく、そうだろう。でもね~、くだらん、じつにくだらん!と思いながら、当人たちに気づかれないように、また、崖の下を覗き見た。まだ、イチャイチャしているよ!

公園に戻ってきた。見晴らし用の小山にのぼった。備え付けのテーブルにカメラバックをおろし、少し汗をかいたロンTを脱いだような気がする。そのあと、休憩方々、上半身裸でベンチに座り、水平線と灯台がクロスする風景を眺めていた。崖の下の男女のことは、きれいさっぱり忘れていた。清い心?で<灯台のある風景>を何枚か写真に撮った。撮りながら、ここに陣取って、灯台の夕景を撮ろうと思った。磁石を見て、西を確認した。うまいことに、背後が西だ。ということは、灯台に、もろ西日が当たるということだ。

四角いテーブルの上に干したロンTを着た。まだ湿っているが、脱ぐ前よりはましだ。すぐそばに車があるのだから、新しいロンTを取りに行くという手もあったはずだ。それをしなかったのだから、さほど汗はかかなかったのだろう。暑いとはいえ、真夏のような暑さではなかったのだ。

さてと、先ほど下見した、公園内の灯台撮影ポイントを回りながら、写真を撮り、北側のはずれまで行った。というのも、今度は、北側から公園を出て、広い道路沿いの歩道から、岬の灯台を狙おうという腹だ。このアングルは、マップシュミレーションで発見したもので、一度は確認しておきたい撮影ポイントだった。

公園の北のはずれは狭まっていた。そのうえ、松が密集している。灯台は、すぐに見えなくなった。海側の柵にも木々が繁茂していて視界がない。だが、すぐに、住宅が連なる道路沿いにレストランが見え、少し下り坂になっているのだろうか、広い道路が見えた。ただ、なにか、工事中で、歩道が切れている。どうも立ち入り禁止のようだ。様子を窺がいながら歩いていくと、工事現場から作業員たちが全員引き上げていく。その後ろ姿が、小さく見える。はは~ん、昼休みだな。そういえば、レストランにも人影が見えた。

無人になった崖っぷちの工事現場に入り込んだ。長い巨大なコの字型の鉄板が積まれている。歩道の改修工事なのだろうか。ま、そんなことよりも、ふり返って、岬を見た。灯台も見えたが、小さい。それに、なんというか、岬と正対できず、斜めから見ているので、構図的によろしくない。岬の下に砂浜も見えるが、テトラポットなどが連なっていて、雑然としている。まるっきり、写真にならない。無駄足だったわけで、来た道を、そろそろと引き返した。南も北も、歩道沿いからの写真は無理だ。だが、これで撮影ポイントを絞れたわけで、ま、一概に無駄足だったとは言えまい。むしろ、気分的にはすっきりしたわけで、徒労感はなかった。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#12

日立灯台撮影2

車に戻った。次は、<久慈浜>から岬の灯台を狙う。こっちからの画像は、ネットにも多少上げられている。<久慈浜>は海水浴場として有名らしいが、今年は、コロナ禍で閉鎖されたようだ。もっとも、今は秋、時期的には関係のない話で、浜に海水浴客はいない。ゆっくり撮影できそうだ。駐車場を出た。海沿いの広い道に出て、少し行って信号を左折。日立港の中に入って行く。すぐ左折して、今度は漁港の中を走る。突き当りが<久慈浜>だ。

砂浜沿いの広い駐車場には、何台か車が止まっていた。目ですぐ数えられるほどだ。日陰はない。ということは、どこに止めても同じだ。ならばと、砂浜に一番近いところに止めた。カメラ二台を、一台の軽い方は右肩から斜め掛け、もう一台の重い方は、右肩にショルダー掛けで、撮り歩きを始めた。これからの旅では、このスタイルが定着しそうだ。車が目の前にあるのなら、ほかの物は必要ない。着替えにしろ、水にしろ、三脚にしろ、カメラバックに入れて背負う必要はないのだ。身軽だし、このスタイルは、何よりも、望遠カメラを多用できるという利点がある。

砂浜に下り、岬の方を見た。灯台が、半分くらいしか見えない。しかも、岬の先端にではなく、中ほどに突き出ていて、バランスが悪い。断崖は、むき出しの岩壁でもなく、かといって、すべてが樹木に覆われているわけでもない、なんだか、中途半端な風景だ。魅力がない。位置取りが悪いのかと思って、水たまりのできている砂浜を、岬の方へ向かって歩いた。だが、岬と灯台の布置は変わらず、これ以上近づいたら、もっと悪くなるような気がした。

と、水たまりに、灯台が写っている。文句なしに、このような光景が好きだ。なので、かなりしつこく撮った。だが、やはり、実像がよくないと、ダメなようだ。水に写る灯台を見て、人の目は必ず、その上の本物の灯台を見る。そのとき、灯台が美しいのなら、その美しさは、水の上の、いわば虚像の灯台にもバウンドする。光景全体が何か印象深いものとなる。そんな、ちょっとした奇跡は起こらなかった。そもそもが、岬の中ほどに、中途半端な形で突き出ている灯台に、<美>を印象しなかったのだ。こっち側からもモノにならない。それに、岬と灯台を、横から撮る構図そのものに、少し飽きが来ていた。どの灯台も遠目で、似通っていて、同じような写真になってしまうのだ。

少し重い足取りで、砂浜から車へと戻った。昼寝をするために、車を、崖際に移動した。いくら秋になったとはいえ、フロントガラス越しに太陽と対面していては、暑くてしょうがないだろう。メモには<12:30 限界 すこしうとうとする>とある。だが、この時は、仮眠スペースに入ったもの、ちゃんと横になって寝なかったような気がする。積み上げている蒲団に背中をもたせ、膝を少し曲げたままの態勢で、目をつぶった。散乱している荷物を脇に寄せ、横になるスペースを作るのがめんどくさかったような気もする。それほど疲れていたとも思えないが。

<1:30 赤い防波堤灯台をとりにいく>。とメモにある。要するに、小一時間、窮屈な態勢のまま、 うとうとしたようだ。少し元気が回復していた。先ほど、公園の見晴らし台から見えた、日立港の赤い防波堤灯台が気になっていた。というか、見えた時から撮りにいくつもりでいた。時間もちょうどいいではないか。つまり、この後の予定としては、三時頃に、公園に戻って、西日を受けている日立灯台を撮る。そのうち、陽が沈むだろうから、うまくいけば、夕陽に染まる灯台も撮れるかもしない。というわけで、それまでの時間が有効に使えるわけだ。

駐車場を後にした。その際、男女がイチャついていた崖の前を通った。むろん、車は止まっていなかった。何の感情もイメージも出てこなかった。閑散とした漁港の中を、係船岸壁沿いにゆっくり走りながら、赤い防波堤灯台に近づいていった。じきに、プレジャーボートがずらっと並んでいる岸壁の行き止まりに、赤い灯台が見えた。周りに、けっこう釣り人がいる。

広めの岸壁で、空いているところに駐車した。軽いカメラを一台だけ、肩に斜め掛けして、防波堤に掛けられた、五、六段の、木の頑丈そうな梯子を登った。灯台は目の前にあった。だが、モロ逆光で、まぶしくてよく見えない。ただうまいことに、灯台で行き止まりにはならず、左方向へ突き出る感じで防波堤が少し伸びている。つまり、逆光を避け、灯台を横から撮ることができるのだ。ただし、なかば、海を背中に背負うことになり、灯台の背景には、対岸の建物や重機などが映り込んでしまう。むろん、灯台付近の釣り人もだ。

雑駁な感じの画面だ。だが、ほとんど気にならなかった。というのも、写真としてモノにしたい、という野心?は端から薄い。あの赤い防波堤灯台、どんな感じになっているのかな?いわば、近くで見たいという無垢な好奇心があるだけだ。うまく撮れればそれに越したことはない。だが、写真として撮れなくても、現物を見ただけですでに十分満足なのだ。

とはいえ、写真は慎重に何枚も撮った。しかも、そのうち、今いる防波堤の反対側からも撮ることができる、ということに気づいた。つまり、係船岸壁は、アルファベットの<C>を逆にしたような形をしていて、その口の開いたもう一つの地点が、すぐそこに見えるのだ。しかも、岸壁に車も見える。行けるなと思った。

戻り際、太陽を灯台の胴体で遮った、逆光写真を何枚か撮った。今朝、小名浜番所灯台で試した構図だ。けっこう、カッコいいと思っている。防波堤の梯子を慎重に下りて、岸壁に降り立った。陽はすでに傾き始めていて、明かりの具合が、なんとなく、オレンジ色っぽい。見ると、岸壁の向こう、はるか彼方、岬に立つ、真白な日立灯台が見えた。なぜか灯台は、先ほど浜辺で見た時よりも、背丈がぐんと伸びていている。あれ~と思いながら、写真を撮った。遠目ではあるが、なかなか美しいのだ。

今いる場所が、さっきの砂浜より遠いのに、砂浜で見た時よりも、灯台がよく見えていることが、ちょっと不思議だった。むろん、距離的には遠目だが、全体像としては、こっちのほうがはるかにいい。要するに、岬に近づきすぎて、灯台が、断崖の影に隠れてしまい、よく見えなくなったわけだ。この逆説が、面白かった。ただし、よく見えているとはいえ、物理的には離れているのだから、超望遠でない限り、今見えている灯台をモノにすることはできない。いずれにしても、写真にはできないわけで、無駄に不思議がり、無駄に面白がってしまった。

漁港の中をぐるっと左回りに走って、向かい側の岸壁に来た。向い側というのは、先ほど、写真を撮っていた防波堤灯台から見て、海を挟んで向かい側なのだ。ま、いい。縦長の直方体に円筒が接続している、よく見る形の、赤い防波堤灯台の付近には、釣り人の姿がかなり目立つ。先ほどより増えたのか?そうではなくて、防波堤で死角になっていた、岸壁の釣り人達が、見えているだけだ。防波堤の向かい側の岸壁に来ているのだからね。

岸壁に立って、カメラを赤い防波堤灯台に向けた。釣り人が、かなりの数、画面に入っている。これは致し方ない。かまわず撮っていると、釣り人がこちらに気づいて、中にはチラチラ見ている奴もいる。たしかに、写真はNGの人間だっているはずだ。これは失礼!それに、赤い灯台も、風景も、執着するほどのこともない。バシャバシャと撮って、すっと引き上げた。

世界が、というか、辺りがなんとなくオレンジっぽい色に包まれ始めた。時計を見たと思う。三時過ぎていた。日立灯台の夕景を撮る時間だ。と、その前に、忘れるところだったよ。港をいったん出て、すぐの交差点沿いにあるセブンで、食料の調達をした。宿は日立灯台のすぐそばだったが、近くにコンビニがあるのか、どこにあるのか、調べていなかった。だから、気づいた時点で、早めに処理しておけば、世話なしだ。したがって、弁当は、食べるまでにはまだ時間があった。だが、一応あたためてもらった。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#13

日立灯台撮影3

夕方、暗くなって、灯台の夕景を撮り終えた後の移動が、なんとなく嫌なのだ。むろん、チェックインが遅くなるのも、嫌だ。何しろ、暗くなってくると、もの寂しくなって、家に帰りたくなる。旅に出ている場合は、早く宿に入って、ゆっくりしたいのだ。こうした理由もあり、灯台と宿が近いというのは、すごくありがたい。今回の場合は特別で、灯台から車で五分くらいの住宅街にビジネスホテルがあった。近くに日立製作所があるので、仕事で来る客を見込めるわけだ。

撮影旅行なのだから、夕景、朝景?の撮影は、昼間の撮影同様、優先されるべき事柄だ。それが、いまだに、観光旅行の気分が払しょくされていないのだろう、どうしても、昼間の撮影に偏ってしまう。もっとも、これには、ほかにも理由がある。出たてのデジタルカメラで、風景写真を撮り始めた頃、画像投稿サイトなどを覗くと、夕焼け、朝焼けの鮮やかで、きれいな写真が幅を利かせていた。なるほど、たしかに、フォトジェニックだ。とはいえ、ど素人にとっては、なかなか難しい撮影で、たやすくは撮れない。

それに、そのころ自分が撮りたかった写真は、橋とか川とか、河原の植物とか、要するに、昼間、普通に目にしている事物だ。朝夕は、うす暗いわけで、こうした事物は、どうしても、露出不足になり、黒くなってしまう。きれいに撮れない。もちろん、撮影技術という問題もあるが、出たてのデジタルカメラの画素数では、光学的に処理できないのだと思った。

で、朝夕の写真では、地上の事物は黒っぽいシルエットになり、朝焼け、夕焼けの、鮮やかなオレンジ、ないしは朱色が、画面全体を占領する。となれば、何を撮っても、似たり寄ったりの写真になってしまうではないか、と生意気にも考えた。加えて、朝起きが苦手、暗くなったら早く家に帰りたい、という小市民的性分だから、それ以上は考えもせず、朝夕写真の撮影を自分に禁じてしまった。屁理屈をこねて、逃げたわけだ。

それが、今回の灯台巡りで、少し考えを改めることになった。正直なところ、撮影の腕が上がった、と自惚れてもいるのだが、それだけではない。デジタルカメラが、圧倒的に良くなったのだ。朝夕写真が、黒か朱か、というように単純化されることがなくなり、その中間の色合いが、微妙に再現できるようになった。要するに、銀塩写真の諧調にほぼ近づいてきたのだ。したがって、素人にとって、いやアマチュアという言葉を使わせてもらおう、自分のようなアマチュアでも、地上の事物がさほど<黒つぶれ>しない感じの、諧調豊かな写真が撮れる可能性が出てきた。むろん、画像編集ソフトで補正するという手も併用するわけだが。

とにかく、朝夕の光でも、灯台の写真を撮ろうと思えば撮れるまでに、写真の腕も上がり?カメラの性能もよくなったのだ。あとは、小市民的な性分の克服だけだ。公園に戻った。装備を整え、駐車場背後の、見晴らし用の小山にあがった。今から小一時間、ここで、夕日に染まる灯台を撮るつもりだった。三脚に、望遠カメラを装着した。自分の足で見つけた、日立灯台が水平線とクロスする風景を、レンズを回して構図化した。

陽が完全に沈んで、辺りが暗くなるまで、じっくり粘るつもりだった。ところがだ!テーブルの四方にある、コンクリのベンチにどっかと腰掛けて撮っていると、後ろから、やかましい声が聞こえてきた。おばさん三人連れで、とくに一人のおばさんの声が、極端に大きい。しかも、あろうことか、テーブルの横で立ち止り、おしゃべりを始めた。

すぐ行くだろうと思って、シカとしていた。だが、しばらくたっても、立ち去る気配がない。撮影どころじゃない。ほかにも、場所はいっぱいあるんだ。なぜ、わざわざ、写真を撮ってる人のすぐそばに立ち止まって、大声でおしゃべりしなければならないのだろう。少し疑問に思った。いやがらせなのだろうか?翻って、自分が嫌がらせを受けるようなことをしているのだろうか?なるほど、おばさん三人組、この四人掛けのテーブルに座って、存分におしゃべりをするつもりで来たんだ。それなのに、変な男が座っていて、写真を撮っている。そのうち立ち去るだろうと思って、横でおしゃべりしてるんだ。なるほど、まいったね!ま、それにしても、なんという、図々しさ。だからおばさんは嫌いなんだよ。

少し腹が立った。ガチャガチャと、これ見よがしに、テーブルの上に広げた荷物やカメラを、バックに詰めこみ、その場を離れた。案の定、自分が離れたその瞬間、入れ替わるようにして、おばさんたちがテーブルを占領した。ま、いいや、一回りして、またあとで来よう。小山を下り、駐車場を通って、灯台の前へ行った。

日立灯台は、今まさに、西日に照らされていた。だが、公園全体も、西日に晒されているので、地面の芝生や樹木などが、やや変な緑色になっている。画面全体もやや変な色合いだ。ま、これは致し方ないだろう。メインは灯台なのだ。さっそく、左回りに、撮り歩きしながら、ぐるっと一周した。今日これで何回目だろう。すぐには答えられなかった。おそらく三回目だろう。自力でみつけた撮影ポイントで立ち止まり、そこで何枚か撮り、次のポイントに移動した。午前に比べて、大きな浮雲が、灯台の背景に流れてきて、ダイナミックな光景だ。夢中になっていたと思う。

今、撮影画像のラッシュを見ると、三時頃から、三回目の撮り歩きをして、四時前に、見晴らし用の小山に戻っている。そこで何枚か撮って、また灯台の撮り歩きを始めている。それが四度目になるのだが、三度目と四度目は、時間が一時間ほどずれているので、明かりの具合が全然違う。したがって、同じ位置取りから撮った写真でも、全く別物になっていた。当時のことが少し脳裏によみがえってきた。

三度目の撮り歩きを終えて、見晴らし用の小山に戻ってきた。おばさん三人組は、いなかった。当たり前だ。小一時間たっている。いたら、ほんとに怒っちゃうよ!おそらく、カメラバックをテーブルにおろし、一息入れて、水平線に垂直する灯台を撮ったのだろう。いや、刻一刻変化する明かりの状態に、敏感になっていただろうから、一息入れる間もなく、というのが実情だったかもしれない。

とにかく、ファインダーを覗いた。辺りがだいぶ暗くなっていたので、灯台周辺の、地上の事物がかなり黒くなっている。いや、中途半端に黒くなっている感じで、画面が汚いのだ。もうすこし暗くなれば、事物は、暗闇の中に沈みこんでしまう。すでに太陽の光は、西日から夕陽に変わっていた。柔らかいオレンジ色の灯台は、辺りがもっと暗くなった方が、際立つだろう。おそらくそう思ったから、すぐに四度目の撮り歩きに出発したのだろう。

太陽が、今まさに、西の空に沈みかけている。いや、西の端にある建物の影に、という方が正確だ。そのあたりの空が、ピンピンのオレンジ色に染まっている。灯台は、その光を受けて、凛として、事物の上に君臨していた。犬のお散歩の時間帯なのだろうか、人と犬の影が、灯台の下で交錯している。だが、暗くてもう、ほとんどその表情は見えない。地上にあるものはすべて、暗がりの中で生気を奪い取られ、あやふやな影となって、揺らめいている。画面の左下に夕日を入れて、灯台を撮った。灯台の左の縁がオレンジ色に染まっていた。流れている雲も、画面の左半分はオレンジ色だ。そして、あっという間に、厳粛で、高貴な時間は燃え尽きた。

西の空が暗くなり、灯台は白茶けた。だが、次の瞬間、海側から、美しい光が差し込んできた。今度は、灯台の右半分が、やさしいオレンジ色に染まった。なるほど、太陽は、まだ落日していない。単に建物の影に隠れているだけだ。その証拠に、日没の時間、四時半にはなっていない。夕陽が、ぐるっと海の上を迂回して、灯台を照らしに来たというわけか。

こうしちゃいられない、と思ったのかもしれない。急いで、再再度、見晴らし用の小山にあがった。おそらく、カメラバックから望遠カメラを取りだし、素早く三脚に装着して、まさに、自分が見つけたベストポジション、灯台が水平線とクロスする光景を、狙い撮りした。予想していた通り、地上の事物は暗がりの中に沈み込み、灯台だけが、美しい、高貴なオレンジ色に染まっていた。ただ、残念なことに、その範囲が、上半分だった。そして、次第にその範囲は狭まり、というか上の方へ移動していった。落日なのだろう。海からの光が途絶えた。生気を失った、白っぽい灯台が暗がりの中に残された。

 灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#14 安ホテル

ひと仕事終えたような気分だった。午前、午後、夕方と、変化する灯台の姿を写真に撮り終えたのだ。これだけの時間をかけ、これだけのエネルギーを使い、これだけの数の写真を撮ったのだから、二枚や三枚は、気に入った写真が撮れた筈だ、と信じたかった。さらに、体力にも気力にも、まだ余裕があったのだろうか、明日の朝、朝日を受けた灯台を撮り来ようとさえ思った。思った瞬間に、朝五時起きすれば、五時半までには、公園に来られるなと算段した。今の時期、日の出は五時半なのだ。

辺りは暗くなっていた。車のライトが自動点灯していたと思う。安ホテルはすぐ近くにあった。駐車場がわからなくて、入り口付近に路駐し、受付のおばさんにたずねた。要領を得ないので、繰り返し聞いた。おばさんの方も、なぜ聞き返されているのか、わからない感じだ。一緒に外まで来て、指さしながら教えてくれた。

駐車場は、100m位離れた道沿いだった。さほど遠くはない。だが、ほぼ満車状態で、トラックなども止まっていた。いつものように、カメラバックを背負い、トートバックに食料、飲料水を入れて、ホテルに入った。出入り口付近には、何台かの駐車スペースがあったが、すべて満車。まだ五時すぎなのに、<入り>が早いなと思った。

受付には、品のいい小柄な、年齢的には、<おばさん>と<ばあさん>の間くらいの初老の女性が、先客のチェックイン対応をしていた。丁寧なのだが、まどろっこしい。なかなか終わらない。と、先ほど、駐車場を案内してくれたおばさんが、受付カウンターの斜め前あたりで、コピーを取っている。それも何枚も。やっと番が来て、今度は自分が、施設使用などについての、バカ丁寧な説明を延々と聞かされている。

そのうち、受付カウンターの中から、長身の浅黒い男が出てきて、コピーおばさんに、それほど険悪な感じではないが、<コピーは一枚取ってくれって言ったんです、こんなに何十枚もとっちゃって、どうするんです>と言っている。コピーおばさんの方は、自分のミスを謝ることもせず、なにか言い返している。息子が怒っているのに、まるで意に介さない母親のような感じだ。

チェックイン対応も最終段階になり、支払いも済ませ、<地域クーポン券>の話になった。¥1000分の券をもらった。どこで使えるのかと、受付の初老の女性に聞くと、なんだか、要領を得ない。すぐさま、近くいた、さきほどコピーおばさんを叱責していた、背の高い、顔立ちのいいインド人が、悠長な日本語で説明してくれた。なるほど、彼の話はすぐに分かった。同時に、おばさんたちと彼の関係も理解できた。おばさん二人はパートだ。顔立ちのいいインド人は、純粋な日本人か、さもなければ日本で育ったインド人で、というのも、その日本語から確信したのだが、ホテルの従業員だろう。

ここ何回か遭遇した、安ホテルで働く高齢者たちは、人手不足の折、パートで採用された人たちなのだろう。受付の応対に、それぞれの人生経験が色濃く反映してしまうのは、面白いといえば面白いし、致し方ないといえば致し方ないことなのだ。そんなことを思いながら、エレベーターに乗り、部屋に入った。値段相応の設備と内装だ。だが、埃だらけということはなかった。掃除は、パートの律儀な高齢者が、手抜きせずにやっているのだろう。

<17:00 ホテル 弁当 フロ ノンアルビール 日誌>とメモにあった。その通りで、ほかに何かあるかと言えば、なにも思い浮かばない。物音もせず、静かに眠れたのだろう。そうだ、おそらく、朝の五時に目覚ましをセットしたのだと思う。朝日を受けた灯台を撮る。やる気十分だった。それに、明日は帰宅日だが、朝撮り?しても、日立からなら三時間くらいで帰れるはずだ。高速走行も、今回で六回目になる。三時間くらいなら、ほとんど苦にならなくなっていた。

翌朝は、目覚ましが鳴る前に起きたと思う。窓の外は、まだ真っ暗。洗面も食事も排便も、要するに朝の支度は何もせず、着替えて、すぐに部屋を出た。出入り口の自動ドアが開かないので、明かりのついていた食堂を覗くと、賄いの優しそうなお婆さんが居て、裏口を教えてくれた。鍵はかけてないから、帰って来た時もそこから入っていい。それから、自動ドアは手でこじ開ければ開くとも言っていた。たしか、鍵をお婆さんに預けたと思う。

唐突だが、ここで、時間をワープしよう。この旅日誌は、一応、現実の時間軸にそって書いているのだが、構成上というか、枚数的にというか、要するに、この<安ホテル>の章を完結させるには、ここであと一、二枚、紙数を埋める必要があるのだ。なんでそんなことになったのか?以下、理由を説明しておく。

旅日誌も、今回で六回目になり、おのずと、構成が決まってきた。それは、ブログ形式で発表するという条件に、大きく影響を受けた。つまり、ブログ一回の分量が、あまりに多すぎても、読みづらいだろう。ということが次第にわかってきたので、適当な分量でおさめようと思ったのである。では、<適当な分量>とはどのくらいの量のことかといえば、およそ、今書いている紙数で五枚程度、400字詰め原稿用紙に換算すれば、10枚くらいだろうと考えた。

そこで当初の、字数制限なし、見出しなしで、延々と書き流していくスタイルを改め、見出しをつけ、章分けして書いていくことにした。つまり、読み物としての体裁を、多少整えたのである。というか、自分にとっても、書きやすく、読みやすくしたつもりである。

というわけで、時間的には、次の章の最後の方に出てくる、ホテルの従業員の態度についての記述を、内容的にはこの章にいれてもおかしくないな、と<我田引水>的に考えて、枚数的な均衡を保とうとした。要するに、体裁の問題で、どうでもいいことなのだが、一応言い訳しておく。

…朝の撮影終え、ホテルに帰って来た。八時ころだったと思う。すでに、駐車場の車は、半分くらいになっていた。カメラバックを背負った。ホテルは道路の斜め向かい側にあった。さっき出た<従業員用の出入り口>と、少し遠い正面玄関、どちらから入ろうかと一瞬考えた。少し近い前者を選択した。賄いのお婆さんも出入りしていいと言っていたしな。あとから考えれば、この選択が間違いだったのだ。

<従業員出入り口>からホテルの中に入った。食堂を覗いて、中のお婆さんに一声かけて、受付カウンターへ行った。誰もいないので、呼び出しベルを押した。すぐに、奥から男が顔を出した。名前と部屋番号を言って、鍵を受け取った。その瞬間、怪訝そうな顔をした男が言った。いま、あっちから入ってきましたよね、と<従業員出入り口>を指さした。監視カメラで見ていたのだろうか?ええ、おばあさんが・・・と言いかけたのに、その男は、にこりともしないで、<あっちは、従業員出入り口なので使わないでください>とぐっと睨みながら言い放った。頭ごなしのこの言葉と、威圧的な態度にイラっとしたが、自分の迂闊さにも気づかされた。

ホテルの防犯上の問題もあるわけで、部外者が立ち入ってはいけないところに平気で立ち入ったわけだ。四十代くらいの黒っぽい男は、ホテルの従業員というよりは、ガラの悪い麻雀屋の店員といった感じだが、安ホテルを仕切っているのかもしれない。でなければ、客に対して、あんな横柄で、威圧的な態度が取れるはずがない。部屋に上がった後も、この一件で心が動揺していた。なんて野郎だ!安ホテルに泊まったがゆえの代償なのか。今もって、思い出すと不愉快になる。この安ホテルにはもう二度と泊まらない、と心に決めた。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#15

日立灯台撮影4

真っ暗な中、車に乗り込んだ。灯台はすぐ近くだが、一応ナビをセットした。道順は頭に入っていないのだ。それから、日の出前、すごく冷えていたので、ウォーマーをはいて、上はダウンパーカを着た。これで、防寒対策はばっちりだ。ついでに、ネックウォーマーもしたような気がする。

公園の駐車場には、時間制限があり、たしか、チェーンが外れているのは八時から六時ころまでだったと思う。昨日確かめておいた。ということは、今の時間、横の道に路駐するしかない。早朝だから、大丈夫だろう。あっという間に、公園についた。まだ暗かった。周りは住宅街だ。そろそろと駐車して、音を立てないようにして外に出た。公園の中に入って、太陽の位置を確認した。目の前の海から昇ってくる感じだ。ところが、水平線に、雲がかかっていて、朝日を隠している。残念!海から昇る朝日は拝めない。

ま、それでも、水平線付近は、少し朱色に染まり始めた。何と言うか、朝日を隠している雲は、横にたなびいているわけで、もう少し時間がたてば、その雲の上に朝日が出てくるだろうと思った。たしか、軽いカメラを三脚に装着して、望遠の方は右肩から斜め掛けしていたように思う。カメラバックを背負わない、今回の旅で味をしめたスタイルだ。

朝夕の撮影に、三脚は必須だが、露出設定などは、全く頭から飛んでいた。したがって、ピンボケだけは防止できるかもしれないが、それ以上の写真は期待できないだろう。なので、ろくにモニターもしなかった。もっとも、三脚に装着したカメラの、しかも、暗い時のモニターは手間がかかり、面倒なのだ。しかし今思えば、面倒とか、そういうことを言っている場合ではなかった。日立灯台の早朝撮影は、おそらく、これが最初で最後になるだろうと予感していたのだから。

三脚を担いで、公園内をうろうろ、撮り歩いているうちに、待望の朝日が顔を見せてくれた。まだ、半分くらい、たなびく雲に隠れている。だが、それでも十分に朱色だ。いや、みかん色、と言った方がいいかもしれない。どこか温かみがある色合いなのだ。夕日の撮影と違って、朝日の場合は、刻一刻と明るくなっていくので、なにか、気分的にも明るくなっていく。

昨日下調べした、撮影ポイントは、まったく参考にならなかった。何しろ、太陽の位置が全然違う。今は、真正面の海の、少し上あたりにあって、灯台を真横から照らしている感じだ。期待していた、朝日がもろ灯台にあたる状況にはなっている。だが、イマイチ、感動がない。思うに、周りが明るすぎる。空の色も、すでにきれいな水色になっている。事物は地上に長い影を引き、芝生や樹木の緑色は、みかん色に中和され、変な色合いなっている。画面全体が、期待していた灯台も、スカッと抜けたみかん色に染まるわけではなく、なんとなく、ぼうっとしていて冴えない。それでも、撮らないわけにはいかないだろう。全エネルギーを傾注して、公園内をバタバタ移動しながら、撮りまくった。

かなりの時間がたって、犬のお散歩などで公園を訪れる人が多くなった。朝日は、あっという間に成長して、もうすでに立派な太陽になっていた。見晴らし用の小山に行く前に、太陽を灯台の胴体で隠して撮る、逆光写真を撮った。<番所灯台>に続いて、いわゆる、二匹目のドジョウを狙ったわけだ。だが、全然よくない。理由は、灯台の胴体が巨大な分、その影はもっと巨大になり、したがって、画面に占める割合が多すぎて、目障りなのだ。それに、辺りが明るくなってきたので、人影が気になってきた。なかには、公園の縁をぐるぐる歩いているおじさんもいる。朝の日課なのだろうけど、白い上着を着ているので、画面に入り込んだときに、目立つんだ。まあまあ、世界は君一人の物じゃないんだよ。

夜明けから、小一時間たっていた。撮影モードが解除され、アドレナリンが引いてきたのだろう、周りのことが少し見えてきた。まず、自分の車の前に黒い車が路駐している。撮影中にもちらっと眼に入った光景だ。その黒い車を、いま改めて見ると<ポルシェ>だった。早朝の公園と<ポルシェ>の取り合わせが、ちょっと面白かった。公園内の誰かの持ち物には違いないが、それが誰なのか、よくわからなかった。というのも、犬の散歩などで、けっこう人がいるのだ。

それから、でかいバイクの若い男だ。彼の存在にもかなり前から気づいてはいた。大柄で、黒い革ジャンを着ている。スマホで、盛んに朝日に絡めて灯台を撮っている。要するに、インスタか何かにアップする写真を撮っているのだ。最大限近づいた時に、と言っても二十メートルくらいはあったかな、顔をちらっと見た。やや長髪で、角ばった感じの顔だ。人懐っこさや、如才なさはなく、無表情、いかにもバイク野郎という感じだった。こっちから、声をかけてもよかったのだが、シカとした。というのも、まだ、見晴らし用の、小山からの撮影が残っていたし、明かりの具合も、刻一刻と変化している最中だった。立ち話をしている暇はない。こっちのそんな雰囲気を察知したのか、彼も話しかけてこなかった。そのうち、ポルシェの前に止めた、大きなバイクの方へ行ってしまった。

そういえば、前回の<爪木埼灯台>でも、陽が落ちる直前に、どこからともなくバイク野郎がきたっけ。年齢も同じくらいだ。二十代後半の若者だ。すんなり就職しなかったのだろうか、それとも、就職できなかったのだろうか、あるいは、会社勤めにうんざりして、退職届を上司にたたきつけ、バイクに乗って、旅に出たのだろうか、いずれにしても、朝日や夕日に染まる灯台を、スマホ撮影とはいえ、きっちりその時刻に撮りに来るからには、それなりの理由があるのだろう。バイクのエンジン音が、轟いた。あるいは、これから、バイトに行くのかもしれない。旅をしている割には、荷物がなかったな。いや、荷物は、自分と同じで、まだ宿に置いてあるのかもしれない。

小山に上がった。灯台が水平線にクロスする、お気に入りのベストポジションだ。海から出てきた太陽は、あっという間に灯台より高い所に昇ってしまった。要するに、明かりの具合は、斜光だ。早朝の厳粛な雰囲気は霧散して、辺りには、朝の生気が漲り、人間や生き物の気配がする。地上に描かれた、事物の黒い影は、しだいに薄くなり、その長さも、刻一刻と短くなるだろう。空の様子はと言えば、紫雲たなびく、というか、静かで、美しい瑠璃色だ。どこかで見たような、やさしい浮雲が漂っている。

天空はやすらぎの空間で、地上には生気が満ち満ちている。その真ん中に、灯台が立っている。わずかに、右側が光っている。光ることによって、その輪郭が、ますます確信できる。ローソク型の白い灯台は、もはや、地上の事物ではなく、かといって、天空に回収されもしない。ただただ、天地の間に佇立しているだけだ。写真を撮りながら、目の前に広がる光景に感動していたのだろう。

立ち去りがたくはなかった。十二分に撮ったような気がした。時計を見たのだろう。七時過ぎだった。いま撮影画像で確認した。引き上げるつもりで、小山を下りて、車へ向かった。と、灯台の前に来た時に、ふと立ち止まった。なにか、先ほど撮った同じ位置なのに、灯台が、というか公園全体の雰囲気が、違って見えた。なるほど、明かりの具合が変わっていたわけで、これはもう撮るしかないでしょう。構図的には同じだが、明らかに、今の方が、写真としてはきれいに撮れると思った。

そうこうしているうちに、画面の前を、犬を連れた老年の夫婦連れが、<ポルシェ>の方へ歩いていく。あ~、公園の周りをぐるぐる回っていた爺さんだ。なるほどね、長時間止まっている訳がわかったよ。朝の日課、公園の周りを小一時間歩く。その間、奥さんは、犬のお散歩をしながら待っている、というわけだ。見るともなく見ていると、二人とも、車の周りで、ぐずぐずしていて、なかなか出て行かない。が、二人の姿が消えた。やっと車に乗ったのだ。少しあって、腹に響くような、野太いエンジン音が響き渡った。さすが<ポルシェ>だ、エンジンの音からして、ちがう。ただね~、爺さんに<ポルシェ>って、どうなんだろう?おそらく、金持ちで、車が好きなんだろう。例えば、俺が金持ちで、車好きで、なおかつ<ポルシェ>が好きなら、やはり、爺になっても、<ポルシェ>に乗っているかもしれない。<ポルシェ>か~、貧乏人の僻みだ。自分には、やはり、<灯台巡り>の方があっているような気がした。

 

<福島・茨城旅>2020-11-7(土)8(日)9(月)10(火)収支。

宿泊費三泊 ¥12100(Goto割)

高速 ¥13400 

ガソリン 総距離720K÷19K=38L×¥130=¥4900

飲食等 ¥4100

合計¥34500

 

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#1~#15

2020-12-11 脱稿。

 

<灯台紀行・旅日誌>2020 南伊豆編

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灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編 #1~#12

目次

#1 出発                                                     1P-6P

#2 爪木埼灯台神子元灯台、午前の撮影。            6P-11P

#3 石廊埼灯台撮影              11P-16P

#4 移動~爪木埼灯台撮影1                   17P-21P                         

#5 爪木埼灯台撮影2            21P-25P

#6 海辺のホテル             25P-32P 

#7 下田観光1               32P-37P

#8 下田観光2               37P-42P

#9 下田観光3 黒船遊覧船           43P-47P

#10 下田観光4 まどが海遊公園        48P-53P

#11 ホテル宿泊                                   53P-58P

#12 帰路                      58P-62P

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#1出発

 

2020/10/10(土)

おとといの木曜日、お昼過ぎに南伊豆から帰って来た。今回の旅も天候に悩まされ、前々日まで予定が立たなかった。九月の後半から十月の前半にかけては、晴れマークが、二日、ないしは三日以上続くことがほとんどなかった。毎日カレンダーを見てはため息をついていた。そのうち、いささか焦れてきて、となれば、ここは<ヒットアンドウェイ>で行くしかない、と思い始めた。

 

二日以上の晴れマーク、という撮影日程の原則を曲げて、今一度カレンダーを眺めた。と、六日の火曜日だけは広範囲に晴れマークがついている。火曜日はおそらく大丈夫だ。それに、午前中ではあるが、翌七日にも晴れマーク。要するに、一日半の晴れマークだ。ちょっと考えた。

 

今回行くのは、静岡県伊豆半島南端の爪木埼灯台と、ややロケーションは悪いが、有名な石廊埼灯台の二つだけ。この二つの灯台は、比較的距離がちかい、三十分ほどで行ける。しかも、石廊埼灯台の撮影ポイントは、ほぼ二か所だけで、歩き回る必要もない。となれば、当日フル稼働すれば、両方撮れるだろう。宿も、爪木埼灯台に近いわけだしね。

 

幸い、爪木埼灯台へ行くならここだろう、と以前から決めていたホテルの・前日予約が取れた。しかも、<Goto>割りが適用、そのうえ、何やら<地域クーポン券¥2000>も当日宿でもらえるそうな!気持ちが固まった。出発前日の昼過ぎから旅の準備を始めた。二、三時間で終了。もう慣れたもんだ。その後は、時間つぶし方々、道順や灯台周辺のマップシュミレーション、画像検索などをして、夜の九時過ぎには消燈。翌朝は、三時起きするつもりだった。ま、いつものように、眠りは浅かった。正味二、三時間しか寝てないかもしれない。

 一日目。

午前三時に起きた。目覚まし時計が鳴る前で、スイッチを解除した。覚えている限りでは、午前一時過ぎに壁の時計を見ている。となれば、まともに寝たのは二時間か。ま、それにしては眠くなかったし、気分も悪くなかった。ざっと整頓、洗面、朝食はお茶漬けに牛乳。排便はほとんど無し。二階置きの枕、目覚まし時計、携帯の充電器、それに、保冷剤入りのペットボトルとか、その他いろいろ、トートバックの中に放り込んだ。忘れ物はない。完璧だ。

 

出る前に、ニャンコに向かって、<行ってくるよ>と声をかけた。玄関ドアを開けると、まだ真っ暗だった。夜明け前の静けさが漂っている。車に乗って、ナビをセットした。行先は、伊豆半島爪木埼灯台。最寄りの圏央道のインターまでは、10分くらいしかかからなかった。なにせ、車がほとんど通っていない。

 

真っ暗な中、圏央道を厚木方向へ向かって走った。青梅からの断続的なトンネル走行は、地上走行より楽だった。これは、初めての経験だった。地上走行は、対向車のライトがかなり眩しいのだ。そういえば、眼病が増悪していた時には、夜間走行ができなかった。ライトが眩しすぎて、前方がほとんど見えない。あれ以来、ずっと夜走ることを半ば無意識のうちに避けてきた。知らず知らずのうちに、行動時間や範囲が狭まっていたわけだ。とはいえ、発症してから、今年で二十年になる。これ以上、悪くなることもあるまい、という楽観論が優勢だし、事実、さほど眩しくない。恐怖を克服したのだと思った。

 

八王子を抜け、相模原に差しかかると、辺りが仄かに明るくなりだした。灰色がかった青い雲が左右にたなびいている。静かで美しい夜明け。午前五時前後、いつもならベッドで寝ている時間だ。おそらく、年に数回しか見られない光景だろう。旅が始まることを実感した。

 

東名に入る前に、圏央道厚木パーキングで、トイレ休憩した。出発してから、小一時間たっていた。朝のコーヒーも飲みたかった。何にしようかな、とめずらしく自販機の前で迷っていた。そのうちめんどくさくなって、あろうことか、ボトル缶の<冷たい>方のボタンを押してしまった。肌寒い。<あたたかい>方が飲みたかったのに!ま、しょうがない。その場で蓋をひねって、一口飲んだ。さほど冷たくなかった。うまくもなかったが、少しほっとした。

 

片側三車線の東名では、真ん中の車線を、90キロくらいで走った。遅すぎず、速すぎず、自分のペースで走れるので楽だ。と、<東名>と<新東名>の看板が出てきた。ナビは無言。どっちだって同じだろうと思って、<東名>の方へハンドルを切った。まあ~、これは間違いだった。帰路で初めてわかることなのだが、そのことは、あとで書こう。

 

沼津で東名を下りた。というかナビの指示に従った。車のインパネを見たのだと思う。ここまで約150キロ、二時間。予定通りだ。料金所のETCラインを通り抜け、一般道に出た。その時、目の端に、ちらっと<伊豆縦貫道>の文字が見えた。一瞬あれと思った。というのも、下調べでは、東名沼津から伊豆縦貫道に入ることになっていた。でももう遅い、このまま国道を行くしかない。朝っぱらで一般道が空いているから、ナビが料金のかからない道を指示したのかもしれない。いや、この考えも間違いだったことが、あとになってわかった。

 

ともかく、沼津の市街地を走った。けっこう広い道で、走りやすい。それに、早朝だ。車も少ない。街並みも立派で、かなり大きな町だった。いい加減走ったところで、道が狭くなってきた。右手に、高架が見える。高速道路のようだ。あれが<伊豆縦貫道>かな、とちらっと思った。

 

そのうち道がさらに狭くなり、上り坂になった。山の中へ向かっている。道路標識に<天城>の文字が何回も出てくる。なるほど、これから<天城越え>なんだ。<石川さゆり>の<天城越え>の一節を、思わず口ずさんでしまった。ま、歌謡曲の中では好きな曲だ。<石川さゆり>も女性演歌歌手の中では一番好きだ。そのあとは、少し気分が上向いて、いろいろなことが頭に浮かんできた。なかでも、田中裕子主演の<天城越え>という映画のワンシーンが、まざまざと想起された。後ろ手に縛られ、裸馬に乗せられて、連行されていく。あれは、少年の罪をかぶったからなのだろうか?思えば、よくわからないストーリーだった。

 

・・・いま調べました。まったくの勘違い。主人公<ハナ>は、情夫である<土工>を殺した罪で捕まったようだ。少年は、川端康成の<伊豆の踊り子>を意識したうえでの人物設定らしい。これで、<石川さゆり>の<天城越え>の歌詞が理解できるというわけだ。女の業というか情念というか、そういったよくわからないことが主題になっている。ま、まじめに考えると、これは女性蔑視だろう。いまの時代では、到底受け入れられない歌詞だ。とはいえ、<石川さゆり>の熱唱には、女性の美しさを感じる。魅力的であることに間違いはない。

 

峠の中ほどに<浄蓮の滝>があった。土産物屋などが並んでいて、駐車スペースも大きい。ちょっと寄ってみようかな。気持ちが揺れた。いやいや、観光に来ているじゃない。灯台の写真を撮りに来ているんだ。一刻でも早く、目的の爪木埼灯台に着きたかった。何しろ、明かりの具合が、どうなっているのか皆目見当もつかない。寄り道をしている暇はない。

 

やっと下りになった。登り始めて、ここまで小一時間かかっている。しかも、下りの方が、運転に神経を使う。カーブの度に、減速・加速の繰り返しだ。登りよりもさらに長い時間かかっているような気がする。と、何やら、変なものが見えてきた。<ループ>橋だ。ぐるぐるぐるぐる、目が回る。しかも下りだから、余計神経を使う。高低差が45メートルもあるそうな。これで山場は越えたと思ったが、その後も下りが続いた。沼津から爪木崎までは75キロもある。一般道、しかも山越えの道だから、どう考えたって、二時間半はかかるだろう。出発から、すでに四時間たっていた。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#2

爪木埼灯台神子元灯台、午前の撮影。

 

視界のない山間(やまあい)から、少し開けたところに出てきた。といってもまだ山中で下り坂だ。いい加減疲れた。一息入れよう。車を止められそうなところを目で探しながら坂道を下った。と、道路沿いに、ちょっとした駐車場がある。ハンドルを切った。車の外に出て、深呼吸。ついでにスマホを見た。いい知らせが入っていた。もっとも、これは数日後に<ぬかよろこび>だったことがわかり、かなりがっかりした。ま、いい。長い<天城越え>で気分が低調になっていたが、このメールで俄然元気になった。

 

山道を下りきった。目指す爪木埼灯台は、もうすぐだ。左手に海が見える。ナビの画面をズームして覗きこんだ。海沿いの道から左折。マップシュミレーションした、見たことのある光景が目の前に広がった。駐車場はガラガラ。入り口に料金所があり、横づけすると、黒ぶちメガネの短髪、髭の濃い・浅黒い男性が上半身を出してきた。¥500払った。<今日は風が強いですね、お気をつけて>と、愛想のよい土産物屋の主人のような声だった。ちょっと意外だった。

 

かなり広い駐車場で、岬というか・山というか、その先端を整地している。崩れかけた売店が二、三あり、すたれた観光地の駐車場といった感じだ。外に出た。だあっと前が開けている。眼下には浜辺があり、整備された公園があり、右手からは岬がせり出している。お目当ての爪木埼灯台が小さく見える。ただし、残念かな、モロ逆光だ。なるほど、海から日が昇るのね。

 

だがまあ、ここまで来たんだ、行くしかない。駐車場を後にして、灯台へ向かった。坂を下りると、大きな案内板がある。なぜかその横に赤いポストもある。木製のアーチには<爪木崎>と大きく書かれていた。アーチをくぐると、海浜公園よろしく、そこかしこが花壇になっている。といっても、今の時期、花は咲いていない。ちなみに、冬には水仙が咲くらしい。

 

目についたのは、おそらく<アロエ>だろう、肉厚の細長い葉っぱの縁に・ぶつぶつがついている。<アロエ>の花?すぐには思い出せなかった。赤い細長い花が・閉じた傘のように密集している。そう、好きな花の一つだった。できれば、咲いているのを見たかったなと思った。ついでに言うと、水仙はノーサンキュー。何度挑戦しても、気に入った写真が撮れない。今ではすっかり諦めている。

 

花壇の中を行くと、道が二つに分かれる。岬へ登る道と・浜辺へ出る道だ。ちょっと迷ったが、浜辺方向へ歩いた。砂浜沿いに花壇がまだ続いているのだ。むろん、花は咲いていない。が、目の前が海、広々していて気持ちがいい。

 

ところで、爪木埼灯台の、撮影ポイントは、ネット検索したところでは、ほぼ二か所しかない。ひとつは、灯台正面?というか、扉のある方だから、正確には、背面と言うべきか?ともかく、灯台に続くコンクリの道があり、その周辺だ。もう一つは、東屋のある付近で、岬の上に立つ灯台を俯瞰する場所だ。東屋は、たしか二つあり、周りはちょっとした広場になっているはずだ。

 

浜辺の花壇が尽きたところに階段があり、岬の上に登れる。さして長い階段ではなく、息切れすることもない。登り切ったところに幅一メートルくらいのコンクリの道がある。表面がほとんど剥がれていて、その赤っぽい痕跡が、なんだか汚らしい。両脇に背の高い植え込みがあり、その間に灯台が見えた。逆光になっているので、真っ白というわけでもない。

 

この辺りから、いつものやり方で、本格的に、撮り歩きを始める。二、三歩行っては、必ずファイダーを覗き、シャッターを押す。すぐにモニターして、次に進む。植え込みの切れたところが、一つ目のベストポイントだろう。大型のススキが海風になびいていて、左右が開けている。ただし、通路上にいる限り、このコンクリ通路が映り込んでしまう。どうも気にいらない。脇によけるしかない。ちょうどススキの手前に、おあつらえ向きの場所があった。

 

なかば腐りかけた・枯草の堆積の中に踏みこんだ。大型のススキを左側に入れて、かなりしつこく撮った。要するに、この辺りがベストポジションなのだ。とはいえ、逆光。空の色が飛んでいる。写真にはならない。でもまあ、今この瞬間、自分が灯台と対面しているという雰囲気は出ている。写真の良しあしは、さほど気にならなかった。

 

コンクリ通路に戻り、撮り歩きしながら、さらに灯台に近づいた。根元まで行き、灯台に沿って、まさに<灯台の正面>に出た。目の前には、海が広がっていた。ただし、しつこいようだが、逆光なので、海の青さは感じられず、眩しすぎて、長くは見ていられない。すぐに引き返した。今度は、戻りながら、二、三歩行っては立ち止り、ふり返ってシャッターを押した。いわば、撮り歩きの復路だ。

 

ちょうど、灯台の頭に、太陽が来ている。これは都合がいい。つまり、太陽を灯台の頭で隠すことができる。多少減光することができるので、同じ逆光でも、またちょっとニュアンスが違う。ま、それでも、空の色は飛んでしまっている。写真的には無理だろう。だが、逆光の中で見る灯台、このタッチは好きなのだ。

 

背の高い植え込みまで、戻ってきた。写真はこれまで。すたすたとそのままコンクリ通路を歩いて、東屋に着いた。横に、ステンパイプの大きなハートがある。正面にまわって、ハート形に区切られた空間の中を、ちょっと腰をかがめて覗く。なるほど、背景に灯台がきちんとおさまっている。記念撮影のスポット、であるわけだ。一応、ハート形とその向こうに見える灯台をスナップした。灯台若い人たちにアピールするための、あれやこれやの方策の一つで、おじさんには関係のないことだが、別に悪い感じはしなかった。

 

奥にある、もう一つの東屋へ行った。岬の上の灯台を撮るなら、どちらかといえば、ここからのほうが、写真的にはいい。おそらく、ここが二つ目の撮影ポイントだろう。ただし、手前の柵が邪魔で、何となく気に入らない。それよりも南西方向の海の中にある、神子元島=みこもとじま灯台が気になった。まさか見えるとは思っていなかったので、少し気持ちがざわついた。

 

下田湾からは、約10キロ先の海上にある、この白黒の灯台にはチャーター船を仕立てて上陸するほかない。いまの自分にとっては、近づくことのできない灯台の一つだ。ささっと三脚を組み立て、望遠カメラをセットした。最大400㎜の望遠でも、全然とどかない。豆粒のようだ。最低でも1000㎜は必要だろう。そんなレンズは100万円以上する。慎重に構図を決め、レンズ側のVRをオンにして、手で三脚を押さえつけ、指でゆっくりシャッターボタンを押した。要するに、海風が強くて、三脚が揺れる。ミラーアップのリモート撮影だと、逆にぶれるのだ。

 

海は少し荒れていた。ところどころに白波が見える。白黒の灯台は、茶色い岩礁の上で凛として動かない。一瞬、自分がプロのカメラマンなら、100万以上するレンズを買うかもしれないと思った。撮った写真がカネにつながるわけだからな。でも今は、この豆粒大の灯台で十分だ。けっして、近づくことができないということに、満足していた。灯台だけじゃない、手の届かぬものは山とある。だが、手にした瞬間、指の間からこぼれ落ちてしまうことだってあり得るのだ。ならば、じたばたしないで、静かに見ているほうが、悲しいことではあるが、幸せなのではないか。強風で青い海の表面が逆立っていた。写真がぶれないように、三脚とカメラをぐっと押さえつけ、またシャッターを切った。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#3 石廊埼灯台撮影

 

次の撮影場所、石廊埼灯台には<10:45>前には到着していたことになる。というのも、駐車場の端から撮った、一枚目の石廊埼灯台の写真に<10:45>と記録されているからだ。ちなみに、爪木埼灯台の、午前中最後の写真には<9:56>とあった。

 

爪木崎から、どこをどう走って、石廊崎まで来たのかは、よく覚えていない。ナビに従って走っていたわけだけれども、何か考え事でもしていたのだろうか。それすら思い出せない。記憶にあるのは、道路左側に見えた<石廊崎灯台入り口>と書かれた案内板だ。ナビは無言だった。道を間違えたのか?そう思ったが、ナビに従った。そのうち何やら、工事中っぽい道へと大きく左折されられた。そこにも大きな看板があった。

 

今調べると<石廊崎オーシャンパーク>と書かれていたようだ。石廊埼灯台、という名称がないことに、一瞬首をかしげた。だが、すぐに、マップシュミレーションした光景が目の前に広がってきた。左手の、背の高い植え込みの向こうには、おそらく無料の駐車場がある筈だ。案内板もあった。と、視界が開けて、大きな駐車場が見えた。ガラガラといった感じではない。そこそこ車が止まっている。

 

スピードを落として入っていくと、料金所が見えた。前に一台車がいて、係のおばさんが窓越しに何か話している。運転手が、なかなか金を出さない。バックウィンドー越しに、後部座席の人間が、何やら、財布などを取り出している様子が見える。灰色のくたびれた乗用車で、たしか剥げかけた紅葉マークがついていた。<私が払う、いやいや自分が払う>とかなんとか、小銭を払うのに大騒ぎしているんだ。そのうち、その車は駐車場には入らないで、脇に寄った。すかさず、係のおばさんが自分のところに来た。駐車料金¥500を払って、先に進んだ。

 

適当なところに車を止め、外へ出た。陽が出てきて暑かった。何と言うか、残暑だな。カメラバックを背負い、歩き出そうとしたとき、大型バスが駐車場に入ってきた。要するに、ここは観光地になっているわけだ。そうそう、さっき、係のおばさんが言っていた。灯台へ行くには、そばにある、きれいなレストランのような建物を通り抜けていくようなのだ。目端の利く開発業者のやりそうなことだ。石廊崎周辺を灯台もひっくるめて観光地化したのだ。

 

ま、あとで気づいたことではあるが、来るとき道路で見た案内板<石廊崎灯台入り口>というのが元々のルートで、これは、急な坂道を15分ほど登らなければならないようだ。そんなんじゃ、今日日、観光客なんか来ないだろう。というわけで、灯台までの平場な道を造成し、ついでに、広い駐車場やフードコートも併設して、儲けちゃおう、いうわけだ。少し荒れ果てた所に、寂しく佇む灯台が好き!という者にとっては、ややありがたくないことだ。だが、急な坂道を登らなくて済む、という恩恵は受けたいわけで、なんとも複雑な心境である。

 

しゃれた、今流行りの広いフードコートのようなところを通り抜けて、灯台へ向かった。なんだか大きな石の鳥居があり、そばに神社があった。興味を示さず、直進。すぐに、灯台が見えてきた。といっても、全景じゃない。そうそう、石廊埼灯台は、灯台50選に選ばれている。だが、ロケーションがよくない。ネットでも、同じような書き込みがあった。まあ、撮影ポイントは、おそらく二か所しかない。そのうちの一か所は、立ち入り禁止の場所だ。むろん、周りに誰もいなければ、<立禁>なんか関係ない。自己責任で行けるところまで行くつもりだ。

 

もう一か所は、今自分が立っている通路上で、灯台と海が同時に見える場所だ。ただ、左側の土留めコンクリが邪魔。それに通路が坂になっていて、人間がたくさん行き来しているのが見える。つまり、実際に来てみると撮影ポイントというほどの場所ではなかった。となれば、左の土留めコンクリの上、すなわち<立ち入り禁止>の場所しかない。そこには、小さめな鉄塔と、白い灯台のようなものが立っている。

 

今調べました。<石廊崎指向灯>という名前で、灯台の機能を備えていました。つまり、東京方面から下田湾に入ってくる船舶に、三種類の光源を向けて、航行の安全に寄与しているのだ。すなわち、真ん中の白い光は航路、赤い光は右舷危険側、緑の光は左舷危険側を表示している。なるほど、赤と緑は、防波堤灯台と同じだ。あの時は、ちょっと<モアイ>に似ているなと思った。失礼しました。

 

それはともかく、その<指向灯>のある高台が、石廊埼灯台を正面?から見下ろせるベストポジションなのだ。誰もいなければ、柵を乗り越えて登って行くこともできるだろう。だが、この混雑だ。そうもいくまい。と、中国人っぽい若い男が、通路左側、土留め塀の上、なにかのコンクリの残骸のようなところに登っている。立ち入り禁止のロープをくぐって、行けるところまで行って、灯台スマホ向けている。それも結構長い間。ちょっと迷ったが、若い男の後に続いた。だが、さほど良いポジションではなかった。何しろ、画面の真ん中にブロック塀が映り込んできて、邪魔なんだ。

 

残骸から下りて、灯台の敷地に入った。ここも、実によろしくない。引きがないうえに、左側の縁が、灯台と自分との線上にある。しかも低木が密集した岩で盛り上がっているので、左側の視界が遮られている。地面は灰色のコンクリで覆われていて、そこに人間が出たり入ったりしている。まあ~写真にはならない。

 

だが頑張って、何とかその中での最高のポジションを見つけた。すなわち、左側の縁が尽きる所に、肩の高さほどのコンクリの残骸がある。その上に登れないまでも、三十センチほどの高さに少し窪みがあるので、そこに踵(かかと)をかけ、壁に背中を押し付けるようにして、へばりついたのである。これで、多少目線は高くなる。中途半端な、不安定な姿勢ではあるが、ま、そこで粘った。

 

その間、これでもかこれでもかと、観光客が押しかけて来る。灯台周りには必ず人影が動いているし、左手の縁にも、すぐに人がたまってしまう。伸びあがってみると、眼下にすばらしい景色が広がっているのだ。スマホで写したり、しばらく眺めていたりで、カメラを構えたおじさんのことなど、まったく関係ない。ま、しようがない。かなりその場で粘っていたが、いっこうに人間がいなくならないので、思い切って移動することにした。灯台の写真を撮りに行くんじゃない。この先に<石廊崎>という断崖絶壁があり、神社などもある。太平洋を一望できる絶景で、灯台より、むしろ、そっちの方が、観光客のお目当てだ。

 

観光気分になって、灯台脇の細い道を、観光客の後について歩いて行った。といっても、例のソウシャルデスタンスは取っている。だが、岬の先端に近づくにつれ、ものすごい強風。しかも、通路は狭い階段となり、急角度で曲がっている。そこに、身動きできず立ち往生している年配の男女がいる。こっちは完全装備で軽登山靴を履いている。なんなく、彼らの横をすりぬけ、階段を下りた。

 

と、そこは、神社の一角で、お守りなどがずらっと並べられている。おみくじなどもある。よくある神社の物品販売所だ。ふと思って、並べられたお守りを一つ一つ吟味した。いちばん高い、といっても¥1000だが、<塩守>をお土産に買った。

 

<塩守>?初めて見る文字だったので、販売所の奥に仏頂面して、突っ立ってる神主に、ちょっと訊ねた。<塩守>ってどういうものなんですか?神主は、めんどくさそうに、お守りの一般的効用をぶつぶつ言っている。だから、<塩守>の特徴的な効用を聞いているんだ、と大きな声で問いただしたい衝動に駆られた。あの神主は、バイトだろう。<天ぷら学生>ならぬ<天ぷら神主>に違いない。

 

ちなみに、この<塩守>は勾玉(まがたま)の形をしていて、その中に本物の塩が入っている。塩は身を清めるという意味があるらしい。ま、そんなことはどうでもいい。まずもって、神仏の御利益など信じていないこの自分が、お守りを買った理由はほかにある。そのうち、誰かにあげるため、とだけ言っておこう。ただし、その希望も、帰宅後幾日もたたないうちに潰えた。したがって、この<塩守>は、お蔵入りになった。自分が死んだ後には、ほかの遺品ともども、黒いゴミ袋の中へ放り込まれてしまうだろう。いやその前に、なぜ<塩守>を買ったのか、思い出せなくなってしまうだろう。それでいいのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#4

移動~爪木埼灯台撮影1

 

神社の物品販売所のすぐ横が通路になっている。五、六歩行くと賽銭箱がある。奥は神殿だ。色の褪めた太い紐が二本垂れさがっていて、視線を上に向けると、変色した大きな鈴が見える。財布を出し、中にあった一円玉と五円玉を投げ入れた。紐をひっぱって鈴を鳴らそうとしたが、うまくいかず、間抜けな音しかしなかった。

 

ところで、この神社のロケーションについて一言だけ記述しておこう。何と言うか、絶壁の途中の、大きな窪みの中に建っている。いわば、巨大な岩の中に象嵌されている。見た目、なんでわざわざ、と思ったが、深くは考えなかった。というのも、絶壁とか岩の窪みとかにある神社は、これまで何回か写真で見ているし、実際に見たこともある。もっとも場所や名前は正確に思い出せないが。とにかく、信心の薄い者にとっては、野次馬的興味があるだけで、由来や謂れを頭に刻み付けておこうとまでは思わないのだ。今回もそうだ。むろん記念写真は撮った。撮るには撮ったが、やはり感動の薄い事物に対しては、案の定、写真もおざなりだった。

 

神社を後にして、まさに<観音崎>の先端の岩場に来た。断崖絶壁で強風。まあ、ゆっくり太平洋を眺めるというわけには行かなかった。それに、観光客が次から次に来るので落ち着かない。岩場を一周する通路も狭くて、立ち止まっていると邪魔。まじめに写真を撮る気にはなれない。気のないシャッターを数回切って、急き立てられるように岩場を後にした。

 

また、灯台の敷地に戻ってきた。ベストポジションは、コンクリの残骸に背中をべったり付けて立つ、中途半端な所だ。幸い、人波みは去って、敷地内の人影はまばらになった。そうか、さっきの混雑は、あの大型バスの観光客だったんだ、と思った。無駄なシャッターを切りながら、人影が完全に消える瞬間を待った。その時が訪れた。気合が入って集中して、連続的に何枚も撮った。写真的にはイマイチな構図ではあるが、この瞬間にベストを尽くしたことに満足した。

 

大きな石の鳥居をくぐった。正面にフードコートの建物が見えた。テラス越しに行けば、中を通らなくてもいいことに気づいた。でも、半自動ドアのタッチスイッチ?を手の甲でチョンと押して中に入った。ソフトクリームでも食べたい気分だったのだ。カウンターの横を通りながら、メニューなどをちらっと見た。だが、シンプルなソフトクリームはなく、何かごてごてと飾り付けたスイーツまがいのものばかりだった。食べるのをやめて、出入口付近の案内コーナーに立ち寄った。ざっと見まわした。見るべきものもないので、置いてあるパンフレットなどをちらっと見て、車に戻った。

 

駐車場を出た。突き当りを大きく右折した。その後、どこをどう走ったのか、ほとんど記憶にない。記憶が戻るのは、ナビの指示で、国道の信号を左折して、<爪木崎>に入ったあたりからだ。坂を登った。途中に介護施設があったような気がする。視界が開けて、目の前に駐車場の料金所が見えた。助手席に置いてあった、先ほどもらった<駐車場整理券>なる紙切れを手に取った。

 

料金所に横づけすると、例の土産物屋の主人が、いや、顔の濃い係の男性の上半身が見えた。手にした紙きれを、彼に見える位置でひらひらさせながら、こう言った。<朝来たんだけど、また払わなくちゃまずいかな?><いいですよ>と土産物屋の主人は言った。が、その声音には、しょうがない、といったニュアンスも含まれていた。朝の時と比べて、声がちょっとうわずっていたからな。

 

駐車場には、ほとんど車がなかった。ただ、端の方に、青みがかった軽のバンが止まっていた。朝来た時にもあったから、<土産物屋の主人>のものだろう。車から出て、カメラバックを背負った。暗緑色の岬の上に、白い爪木埼灯台が、ちょこんと飛び出ている。お、陽が当たっている!灯台の胴体、縦半分くらいが真っ白だ。時間は、<13:07>、と午後一発目の爪木埼灯台の写真に記録されていた。ちなみに、午前中最後の石廊埼灯台の写真は<12:12>だった。ま、どうでもいいか。

 

灯台へ向かった。通路沿い群生している、大柄な<アロエ>さんたちに、ちょっと目配せしながら、今回は、浜へは行かないで、岬へと、いきなり登る道を選んだ。多少急だ。だが、週三回ジムへ行っている。この程度では息も切れない。これは年寄り発言で、自分が爺だと認めたようなものだ。

 

撮るべき撮影ポイントは、ほぼ把握していた。灯台正面のススキの横、それに、東屋付近の柵の辺だろう。この二か所を、そうだな、距離にして100メートルくらいかな、三、四十分おきに、行ったり来たりしながら、午後の撮影を楽しんだ。何しろ、狙い通り、右横から、灯台に陽が当たっている。見た目で言えば、胴体の右半分が真っ白で、左半分が少し暗くなっている。

 

と、今思えば、この午後の時間に、灯台の胴体に陽が当たっていることには、何の疑問も持たなかった。というのも、午後はトップライトになるわけで、おそらく見た目では、灯台のてっぺん辺りにだけしか陽が当たらず、胴体は暗いのだ。<犬吠埼灯台>しかり、<観音埼灯台>しかり、<鼠ヶ関灯台>しかりだ。だから、午後は休憩して、三時ころまで待って、太陽が傾き始めてから、また撮りだしていたのだ。

 

その貴重な経験が、いい意味で反故になっている。要するに、自然的条件により、灯台にあたる陽の具合は、日々刻々と変化しているのである。つまり、太陽の位置だ。夏場は高く、冬場は低い。また、日の出、日の入りの時間も影響している。さらには、人為的条件、すなわち、灯台の立地場所、撮影場所も、大きな要因になるだろう。だから一概に、午後はダメ、とは言えないのだ。

 

極端な話、同じ時刻であっても、365日、灯台にあたる陽の具合は違うのだ。灯台一つ一つに、撮影のベストポジションがあるように、明かりのベスト時間?もあるわけで、こう考えると、一つの灯台に、一年間張り付いていないと、文字通りのベストな写真は撮れないわけだ。いや、太陽の光には、地球温暖化とか、その他の気象条件も影響しているのだから、一年単位じゃない。十年、いや~百年単位で考えねばなるまい。なるほど、一つの灯台に、100年間張り付いて、写真を撮り続ければ、ベストな写真が撮れるかもしれない。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#5 爪木埼灯台撮影2

 

話しを戻そう。灯台前の通路と東屋の間を行ったり来たりしながら、灯台にあたる陽の具合を観察していた。陽が西に傾くにつれ、見た目、灯台は、全体的に白くなっていった。それでも、純白の灯台は、岬全体を俯瞰する風景の中で際立っていた。いわゆる、灯台写真というよりは、灯台の見える風景、といった感じだ。風景の中に溶け込んでいる灯台も、自分的にはそれなりに好きなのだ。

 

雲が出てきて、照ったり陰ったり、少し暗くなってきた。午後の灯台は、ほぼ見終わったな。と思ったら、とたんに気持ちが緩んだ。この場所にいるのが、すこし飽きてきた。ところが、時計を見のだろうか、四時過ぎだった。落日は五時半頃だろうな。宿が近いということもあって、そうだ、夕日に赤く染まる灯台を撮ろう、という野心?が出てしまった。

 

西の空を眺めた。まだら雲が一面にあって、太陽を遮っている。う~ん、きれいな夕日にはならないだろう。と思いつつ、粘っていた。と、何やら、あちこち、スマホでこまめに写真を撮っている若い女性がいる。目で追っていると、東屋だとか看板だとか、そういった設備的な所が主だ。紺のポロシャツだったか、その腕にオレンジの腕章があった。<下田市>。あ、市の職員ね。設備の確認だろうな。でも、かなりしつこく撮っている。時々スマホで誰かと話している。上司にでも報告しているのだろうか。生真面目な感じ、頭の良さが表情から読み取れる。だが、若いのに色香がない。能面のような面相は、内なる<女性>を抑圧しているからだろうか。いまの仕事がストレスになっているのかもしれない。

 

ところで、午後一番で来てから、もうかなり長い時間たつ。だが、灯台を訪れた人は、数えるほどしかいなかった。石廊埼灯台の、あの混雑と比べると、なにかウソのようだ。むろん、こっちの方が好きだ。印象に残っているのは、黒ずくめの若いカップルで、灯台の根本あたりでキスをしていた。あとは、中高年のくたびれたアマチュアカメラマンだな。一人は白髪交じりの猫背で、格子の長そでシャツを着ていた。安っぽいカメラで、かなり粘って撮っていた。SNSにでもあげるのだろう。もう一人は、剥げた爺さん。犬を連れた若い夫婦や、同じく太ったおばさんもいた。いま思うに、うんち袋を持っていなかったぞ。それにしても、今日日、観光地に犬を連れた人が多い。それも、ま、みな血統証付きのいいワンコだ。あの方たちの気持ちはなかなか理解できない。世の中には犬の嫌いな人だっているだろうに。

 

時計を見た。四時四十五分。依然として、西の空には雲がかかっている。粘りに粘ったが、辺りはうす暗くなり始めた。なんだか帰りたくなった。夕日に染まる灯台はあきらめよう。またの機会、と自分の気持ちをなだめながら、三脚をたたんだ。すたすたと、脇目もせずに、駐車場に戻った。

 

今日の撮影終わり。軽登山靴と靴下を脱いで、素足でサンダル履きになった。車を出入り口へと向けて、少し走りだした。左手の汚いトイレが目に入り、気が変わり、車を止めた。用を足しに、トイレに行った。古いが、わりときれいで、臭いも気にならなかった。そばに、大きな案内板があり、その剥げかけた絵地図をちらっと見た。横に赤い自販機があったので、なかば衝動的に缶コーラを買った。ボトル入りがなかったのだ。

 

車に戻った。と、一台のバイクが、料金所を覗き、係員がいないのを確かめてから、駐車場の先端の方へ行って、バイクを止めた。なんでこんな時間に来たんだ、と思って何気なく見ていた。黒い格好の、髪の少し長い若い男だったような気もする。スマホだったか、小さなカメラだったか、とにかく、岬の灯台に向けて撮っている。灯台をじっと見た。え!何と、ほんのり、オレンジ色に染まっている。西側を見た。夕日は岬の下に落ちて見えない。だが、そのあたりが茜色に染まっている。その柔らかい、優しい光が灯台に反射している。

 

一瞬、焦った。望遠カメラと三脚を持ち出して、駐車場の先端に急いだ。三脚を広げ、カメラをセットし、構図を決めた。だが、残念なことに、遠目過ぎる。後悔先に立たず、か!最後の三十分が我慢できなかったばかりに、この体たらくだ。一時から四時半過ぎまで粘ったのに、千載一遇の機会を逸したのだ。

 

装備を整え、灯台へ向かう気力は、もうなかった。ただ、あきらめきれず、その場で、無駄なシャッターを切りながら、かすかにオレンジに染まったり、うす暗くなったりする灯台を眺めるだけだった。その間にも、何人かの男たちが、バイクや車でやってきて、灯台へ向かって行った。あきらかに、この<ゴールデンタイム>に合わせて、つまり、夕日に染まる灯台を撮りに来たのだ。

 

その装備から見て、みなアマチュアで、インスタにでもあげるのだろう。だが、その彼らの方が、<ハイアマチュア>を自認している自分より、一枚上手だったわけだ。なにか、自尊心を傷つけられたようで、気分がよくなかった。と、脇を見ると、なぜかおまわりがいた。なんで、こんな時間に、こんなところにおまわりがいるんだ。一瞬、先ほどの<下田市>の女職員が、灯台に不審者がいる、と通報したのではない、と思ったりもした。だが、これは過剰反応だろう。デカいカメラで、写真を撮っているのが一目瞭然で、不審者に見えるはずはない。二、三メートル離れている、横のおまわりをちらっと見た。尋問してくる気配はない。当たり前だろう。この際、おまわりチャンなんか、シカとだよ。

 

西の空を、何回も振り向いた。岬の下に落ちた夕日が、今度は水平線に沈んでいったのだろう。かなり暗くなって来て、もの悲しい雰囲気が漂っている。灯台も心もとない感じだ。男たちが、岬から下りてきた。浜の公園の通路を歩いて、三々五々、こちらに向かってくる。まったく、そうまでして、夕日に染まる灯台が撮りたいのか。ほとんどカネにもならない、意味もないことに時間と金を費やしている連中だ。自分のことは棚に上げて、なかばあきれ、なかば感心しながら、三脚をたたんだ。

 

駐車場を出た。灯台の、どてっぱらがオレンジ色に染まるのを、ちょっとだけ夢想したのかもしれない。正直言って、撮り損ねたわけで、くやしかった。自分もまた、意味のないことに人生を費やしている。駄目だ、暗くなってくると、どうも頭の中も暗くなってきてしまう。

 

と、前方右側、道路端におまわりだ。肩の肉付き具合からして、駐車場にいたおまわりに間違いない。歩いている。なんでこんな所を?その瞬間、すべてを了解した。おまわりチャンは、すぐ近くの無料の駐車場にバイクを止めて、夕方の見回りに来たんだ。バイクで来なかったのは、あそこは一応有料駐車場だから、遠慮したんだろう。それ以上はもう考えたくなかった。やや猫背気味、坂を上っていく、中年のおまわりチャンをすれ違いざまにちらっと見た。こっちが車だからだろうか、意味不明の優越感を感じた。心の中で<ご苦労様>と言ったかもしれない。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#6 海沿いのホテル

 

岬を下りて、国道の信号に出た。左折して、坂を下ると下田湾東端に出る。少し行くと、道が広くなる。片側二車線、立派な中央分離帯がある。海岸沿いが整備されていて、公園になっている。宿は、右側の道路沿いにたっている。したがって、どこかでUターンしなければならない。だが、交通量が少ないので、中央分離帯の切れたところで、ある意味強引に回転した。

 

ホテルの前、道路沿いに何台か駐車できる。幸い空いている。切り返して、建物に対して垂直に車を止めた。そばにおじさんがいて、駐車場の案内をしているようだ。ホテルの従業員というよりは、小料理屋の大将、といった感じだ。車の中の荷物を整理して、いつものようにカメラバックを背負い、手にトートバックを持った。ちょっと会釈して、ホテルの中に入った。

 

透明なビニールで仕切られた、受付カウンターにいたのは、これまたホテルの受付というよりは、さびれた民宿の爺さん、といった感じの老人だった。手の甲で検温を受け、その後は、館内使用について、息を切らしながらの一生懸命な説明を聞いた。はいはいと受け流して、手渡されたコロナ関連の書面に署名した。最後にコロナ対策の<地域クーポン券¥2000>を受け取った。これは予期していたことが、ラッキーだった。ただし、どこの店で使えるかと尋ねると、爺さんの答えはあやふやだった。これが張ってあるところ、と指さす方を見ると、青っぽいステッカーに<地域共通クーポン 取扱店>とあった。

 

そういえば、署名するときに、身分証の提示は求められなかった。もっとも、楽天トラベルで<Gotoクーポン>をゲットして予約したのだから、身元はそこから割れるわけだ。あるいは、爺さんが忘れていたのかもしれない。

 

例の、プラ棒についている鍵を受け取り、エレベーターで四階まで行った。廊下は広く、余裕のある作りだ。だが、ひと昔、いや、ふた昔以上の前の、まさに、昭和のホテルで、古色蒼然としている。何よりも気になったのは、廊下に敷きつめられた絨毯だ。趣味の悪い赤い柄で、なんだか汚らしい。

 

廊下の先に五、六段の階段があり、それを下りた。これは明らかに、建物を継ぎ足したことによるものだ。事実、自分の泊まった部屋は<新館>らしい。部屋に入ってまず気がついたのは、がらんとした感じの十畳間に白い布団が一組敷いてあったことだ。床は畳でも板張りでも、フローリングでもなくて、何と言うか、表面がつるつるの、少し柔らかい、厚手のビニールとでも言っておこうか。今日日、お目にかからない代物だ。素足でぺたぺた歩くのが、やや憚れる。トートバックの中から靴下を取り出して、穿いた。もっとも、そのうちには、この床材にも慣れて、素足で歩き回っていたのだが。

 

むろん、値段相応で、不満はない。自分的には、古いよりも、汚いことが気になるのだ。まあ~、古くて汚いのは最悪だが、新しくて汚いよりは、古くてきれいな方がいい、とさえ思っている。幸い、この部屋は、古いが、汚くはない。それに、いわゆる<オーシャンビュー>で、道路越しに、下田湾が一望できる。前回の<南房総旅>で泊まったホテルも、海は見えたが、視界の三分の一だった。それに比べ、ここは、視界のほぼ100%が海景だ。

 

重いサッシ窓を開けてみた。たしかに、道路沿いだから、車の騒音がする。だが、視点を無限大にすると、湾の向こうに、水平線が見える。静かな、柔らかい海風が心地よい。ごきげんになった。ささっと荷物の整理をして、浴衣に着替えた。さて、温泉に行くか、と思ったが、その前に、食料を仕入れてくるのが先でしょ。そうだろう、温泉の後は、すぐに冷たいビールと夕食だ。

 

いま袖を通したばかりの浴衣を、敷いてある布団の上に、脱ぎ捨てた。ハンガー掛けしたジーンズやパーカを、鴨居からはずして、ささっと着替えた。貴重品の入っているポーチを肩にかけ、鍵を持って、部屋の外に出た。シーンとしている。人の気配がない。まあ、コロナ禍の平日、客がいなんだろうと思った。

 

受付には、爺さんがいた。なにか下を向いて、あたふたしている。出てきますと言って鍵を渡した。小料理屋の大将も、駐車場の前でうろうろしていた。ちらっと見て、左の方へ行った。コンビニとファミレスが至近距離にあるのが、このホテルの<うり>で、オヤジのひとり旅には好都合だ。食料を調達する手間が省ける。まず、<すき家>へ行って牛丼の特盛を頼んだ。むろんテイクアウトだ。注文の仕方や支払いが、すべて機械なので、ちょっと戸惑ったが、店員が親切に教えてくれた。一応、<地域クーポン券>を見せて、使えるか聞いてみた。使えないとのこと、ま、そうだろうな。

 

店を出て、ホテルの方へ戻った。駐車場のあたりでは、依然として、小料理屋の大将がうろうろしている。ついでに、ホテル一階のジムを見た。そう、道路側に面していて、ランニングマシーンなどが見えるのだ。ほとんど人がいなかった。ホテルを通り越していくと、ファミレスがあり、その先にコンビニがあった。朝食用の牛乳とか菓子パンなどを買った。レジのおばさんに、性懲りもなく<地域クーポン券>のことを聞いた。まだ準備中なんです、手続きが複雑で、と申し訳なさそうに答えてくれた。

 

レジ袋を二つぶら下げて、部屋に戻った。温泉に行こう。浴衣に着替えた。備え付けのバスタオルとアメニティのペラペラな手ぬぐいを肩にかけた、つもりだった。というのも、脱衣場に着いた時には手ぬぐいしかもっていなかったのだ。あと、貴重品を金庫の中に入れて、鍵をかけた。そのちゃっちい鍵を、部屋の鍵がついているプラ棒に絡めた。用心深いというか、小心というのか、これも身に染み付いた習性の一つなのだろう。

 

エレベーターで二階へ行った。男湯、と染め抜かれた紺の暖簾をくぐって、脱衣場に入った。タタキに館内用のツッカケが、一つ二つある。先客がいるようだ。ツッカケを、足で横に寄せ、上に上がった。横長だが、けっこう広い。それに裏返された脱衣籠がロッカーの上に整然と並んでいる。設備、内装はむろん<昭和>だが、きれいに掃除されている。

 

貴重品を入れるロッカーを見つけて、プラ棒をなかに入れた。鍵を抜いた。念のため、いま一度開けてみて、壊れていないか確かめた。前回の旅で、鍵の調子がおかしくなって焦ったことがある。まったく、念には念を、というわけか。

 

前も隠さず堂々と、浴室に入った。意外と広いし、きれいだ。それに何よりも正面に海が見える。ま、ガラスが少し曇ってはいたが。自分より年配のおじさんが二人いた。一人は、洗い場、鏡の前に腰かけて頭を洗っていた。もう一人は、六畳ほどの湯船の端でくつろいでいる。自分も、たしか頭を洗ったような気がする。火木土は、ジムへ行ってそのあと風呂で頭を洗うようにしている。二日あけると、頭がくさい!この日は、洗髪日の火曜日だったわけだ。

 

日常を非日常=旅に持ち込んでいるのだが、そんなゴタクはたくさんだ。ちゃんちゃらおかしい。旅に思い入れなんてない。日常も非日常もない。待っている時間が、死ぬほど退屈だから、気分転換に来てるだけさ。

 

手拭いを頭の上に、ちょこんと乗せて、湯船に入った。まじ、癖のない<いい湯>だった。温度も、自分にはぴったりで、湯の中の段差?に腰かけて、くつろいだ。三メートルほど離れたところに、おじさんもいたが、ほとんど気にならなかった。立ち上がり、湯船の中を少し歩いて、窓際へ行った。手でガラスをふいてみた。海は、といっても下田湾だが、水滴で優しくぼやけていた。素っ裸で突っ立ったまま、そのあやふやな光景をしばらく眺めていた。

 

部屋に戻った。外はもう暗くなっていた。と、海の中に緑と赤の点滅が見える。なになになに、と思って、サッシ窓を開けた。なるほど、防波堤灯台があるんだ。いかにも、間抜けな感想だ。下田湾に防波堤灯台があることを、思いもしなかったのだから。と、その緑の点滅の向こう、漆黒の海の中から、ぴかっと何か光った。それも二回。一回目はかなり明るく、すぐ続く二回目はやや弱い光だった。

 

はじめは石廊埼灯台かと思った。とっさに、三脚を部屋に持ってこなかったことを悔いた。明日は持って来よう、とその気持ちをなだめた。その後は、冷たいビールを楽しんで、<牛丼特盛>を食した。テレビはつけていたが、見る気にもなれず、食休み方々、撮影画像のモニターなどをした。いや、その前に受け付けの爺さんからもらった<地域クーポン券>を詳細に眺めた。なるほど、どこで使えるかは表示されていないし、使用期間は旅の最終日まで、静岡県限定だ。

 

ふと思って、スマホで天気予報を見た。なんと!明日は朝から曇り、しかも午後には雨が降りそうだ。おいおいおい、勘弁してくれよ。来る前の予報では、午前中には晴れマークがついていたんだぜ。お手上げだ。撮影は無理だろう、明日は下田観光だな。ちょうど、目の前には防波堤灯台もあるし。爺さんにもらった、下田湾周辺の観光案内のパンフを見た。これといった所もないが、<黒船遊覧船>が、ちょっと気になった。

 

明日は下田観光か!と立ち上がって、窓際へ行ったのかもしれない。前後のいきさつは思い出せない。おそらく、いきなりだと思う。正面でほぼ十四秒ごとに、ぴかっと光っている光が<神子元灯台>のものだと気がついた。これは、かなりの驚きで、自分の迂闊さを忘れて、少し興奮した。

 

神子元灯台は、離れ小島の岩礁の上に立つ、白黒の灯台だ。今日の昼間、望遠カメラでようやくその姿が確認できた。自分には、ほとんど近づくこともできない、手の届かない灯台だと思った。それゆえだろうか、何か特別な気持ちがしないでもなかった。その灯台の光が、これほど明るく、身近に感じられることに感動したのだろう。

 

しばらくの間、うっとりと夜の海を眺めていた。灯台たちの光だけが点滅している。赤、緑、オレンジっぽいのもあるぞ。それに何と言っても主役は、真正面の白色のピカリだ。たしか、陸地からは、10キロほど離れているはずだ。細長い座卓に押し込まれていた、木製の座椅子を、窓際へ向けた。そこに座って、この奇跡的とでもいうべき光景を、じっくり楽しんだ。何とまあ、このホテルは、下田湾をはさんで、神子元灯台と一直線に結ばれていたのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#7 下田観光1

 

夕食の後は、少し眠気がさしてきた。朝早かったからね。横になると、すぐに寝てしまったようだ。目が覚めたのは、夜の八時過ぎだろう。真っ暗な部屋の中、窓際へ行き、海を見た。灯台たちの灯りが気になったのだ。緑、赤、オレンジ、そして、少し間があって、沖の方でぴかっと光った。サッシ窓を開けて、手前の道路や浜沿いの公園も眺めた。シーンとしている。そんなことにはお構いなしに、暗い海の中、灯台たちは、規則正しい光の点滅を続けている。少しうれしいような、安心したような、微かな感情が流れた。

 

その後、部屋の電気をつけ、テレビもつけ、何かお菓子類を食べたのかもしれない。もう一度、明日の予定を頭の中で考え、観光案内のパンフで道順などを確認したような気もする。小一時間して、眠くはなかったが、やることもないので、また横になった。物音はなく、驚くほど静かだ。何か考えたのかもしれない。この瞬間、自分のいる場所は自分しか知らない、小気味よかった。

 

いつものように、一、二時間おきに、夜間トイレに起きた。そのたびごとに、いや朝方は行かなかったかもしれないが、窓際へ行って、灯台たちの灯りを確認した。緑、赤、オレンジ、ピカリ、問題なし。ちょうど、死の床についていた父や母、ニャンコの表情を、夜中にそっと覗き見た時のようだった。ちょっと大げさかな。

 二日目。

<8時起床>。窓際へ行って、厚手のカーテンを開けた。曇り空。どんよりしている。これじゃ~、写真は無理かな。ただ、灰色の雲が層をなしていたので、一縷の望みを持った。同じ曇り空でも、写真的には、空の部分が空白か、灰色の雲かの違いは、かなり大きい。要するに、空白は<不可>、灰色の雲は<可>なのだ。

 

朝の支度などの、細かいことは省こう。というのも、少し書き方を変えたのだ。つまり、印象に残っていることを中心に書いた方が、時間の節約になるし、文章的にも、よいのではないかと思ったのだ。あまりにも<旅日誌>に時間がとられるので、次の旅へなかなか出られない。それに、ベケットの<朗読>を再開したいという気持ちも出てきたので、そちらの方にも時間を割きたいわけだ。

 

時間軸にそって、のべったりの記述をしていきながら、印象した事柄にぶつかる、という記述方法も、嫌いではない。だが、まあ、冗長にならざるを得ない。書くことしか、残されていないのなら、そういった<ディスクール>を楽しむこともできる。だが、まだ、<旅>と<朗読>という楽しみが残っている。あれかこれかは、本意ではないが、背に腹は代えられぬ、という心境だ。

 

それはともかく、下田観光に話を移そう。身支度を整えて、エレベーターで下に下りた。受付の爺さんに、ふと思って、入り口付近で展示販売されている土産物を見ながら、<あれはクーポン券使えるの>と聞いた。<もちろん使えます>と爺さんは答えた。<どこで使えるのかわかんないからね>と言い足すと、聞かれもしないのに<書類の申請が複雑でね>と愚痴っぽく言った。なるほど、年寄りには大変な仕事だったのね。コロナ関係の申請書類が、この地域クーポンに限らず、複雑怪奇なことは、テレビ報道などで知っていた。悪事を警戒してのことなのだろうが、それでも、実際に<不正受給>が横行している。いつの世も真面目な?国民が損をしているわけだ。

 

車に乗った。ナビはセットしなかった。海岸沿いの道を伊豆急下田駅の方へ向かい、市街地の大きな信号を左折すればいいのだ。と、思って走り出した。行くべきところは、昨晩宿から見た、緑と赤の点滅を繰り返していた、二つの防波堤灯台だ。下田駅が右手に見えた。トンネルの前だったかな、信号を左折。ところが、なんだか、細い寂しい道だ。そろそろ行くと、なにかオブジェのようなものが左手に見えた。右手は狭い有料駐車場。その奥にも駐車場があり、そっちは広くてきれいだ。

 

右折して入っていくと、料金所から係の女性が出てきた。窓をあけると、¥600です、と言われた。ちょっと疑問に思ったので、訊ねた。<灯台を撮りに来たんだけど、ここでいいのかな?>女性は、すぐに合点したようで、<もう少し先に車をとめられるところがあります>と丁寧に教えてくれた。Uターンして、元の道に戻った。

 

やや行くと、左手にフェリー乗り場があり、どこかで見たような感じの船が止まっていた。ちなみに、ここから伊豆七島へ行くことができる。その斜め前が駐車場になっている。見ると、クレーン車が、背の高い椰子の木の上の方で、作業をしている。大きな葉が、強風にあおられている。いまにも降り出しそうな空模様。ちょっと危ないなと思った。作業車が何台か止まっていたが、運よく駐車できた。下田市管轄の無料の駐車場だ。ケチな話、¥600、得したわけだ。

 

季節は夏から完全に秋になっていた。ヒートテックのタイツをジーンズの下にはいてきた。シャツのほうは汗をかくのでTシャツにした。むろん替えを持ってきている。そして、長袖シャツの上に厚手のパーカを着た。フードもかぶって、きっちりひもで結んだ。これでサングラス、マススをしていたのだから、コンビニ強盗に間違われても、文句は言えないだろう。ただし、大きなカメラバックを背負い、デカいカメラを首から下げている。写真を撮りに来たことは一目瞭然で、怪しまれることはあるまい、と本人は思っている。

 

少し行くと、駐車場の女性が教えてくれた通り、海の中に防波堤が伸びている。その先には小島があり、どてっぱらがトンネルになっていて、向こうに抜けられる。位置関係からして、あの向こうに昨夜一晩中、というか、毎晩緑の点滅を繰り返している、白い防波堤灯台がある筈だ。

 

道沿い、防波堤の入り口に、なぜか、白いペンキで塗りたくった掘立小屋があって、そこに、三、四人、風体のよろしくない爺が座りこんでいる。ま、人のことは言えないが、防波堤は釣り場らしく、カネを取っているのかもしれない。たしかに、柵のような、バリケードのようなものがあって、爺たちの前を抜けて行かないと、防波堤には入れない。ちらっと見て、ま、いい、先に赤い灯台を見、に行こう。そう思って海沿いの狭い道を歩き出した。ところが、地形が湾曲しているので、当然道もそれに沿って曲がっているわけで、すぐ近くだと思ったのが大間違い、結構歩いてしまった。天気も良くないのに、とんだ朝の散歩だ。

 

結局、赤い防波堤灯台の近くまではいけなかった。というか、陸地から一番近いところへすら行けなかった。いや、それが、どこなのかもわからないまま、引き返した。まったくの無駄足だ。来るときにも思ったのだが、なぜか、ポツンと一軒、海沿いの道に料理屋があり、その脇に、つり橋があった。その先には小さな島がある。あそこから、赤い灯台が撮れるかな、無駄足を挽回しようとして、つり橋を渡った。

 

小島は、というよりは、極小の小島だ。周囲ほぼ20m。平らなところはほとんどない。朽ち果てたコンクリの手すりなどはあるが、逆に危なくて、つかむこともできない。日陰に、真新しい、小さなお地蔵様が三体、深紅の前掛けをつけている。それぞれの前に御影石の台があり、色鮮やかな手向け花だ。といっても造花だが。

 

右に下れば、赤い灯台に対面できそうだ。だが、先客がいる。釣り人だ。狭い場所だろうから、釣り人と顔を突き合わせることになる。気おくれした。わざわざ行くこともないだろう。となれば、左に下りるしかない。狭い崖っぷちの悪路で、その辺の岩につかまりながら、慎重に下りた。ところが、下り立ったところが、猫の額ほどの平場で、目の前、というか足の先がすぐ海だった。強風にあおられていた。落ちたら大変だ。へっぴり腰で、うしろの岩に手を付いて、体を支えた。長居は無用。写真はおろか、辺りの景色を眺めることもなく、来た道を戻った。

 

来た時は、変な感じがした三体のお地蔵さまたちだったが、少し陽が差してきたからだろうか、こっちの気持ちが軟化した。記念にと、一枚だけ、撮らせてもらった。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#8 下田観光2

 

朝から、無駄足の二連荘だ。海の中の赤い灯台は、ま、ほぼ諦めかけた。となれば、白い防波堤灯台だ。このまま素通りするわけには行かないだろう。掘っ立て小屋の前で、がやがやしている爺たちの前に歩み寄った。一瞬、爺たちが静かになった。サングラスを外しながらこう言った。<灯台を撮りに来たんですが、通ってもいいですか>。とたんに爺たちががやがやし始めて、その中のリーダー格?が、<そりゃあ~、いいですが、一応立ち入り禁止なので、自己責任ということで>というようなことを言った。

 

<はい、わかりました、どうも>と軽く会釈して、爺たちの前を通り、バリケート?の隙間から、防波堤に入った。ふと見ると、たしかに、行政の立ち入り禁止の看板がある。あとでわかったことなのだが、掘立小屋で、入場料というか、入漁料を払う、ということではない。釣り餌とか、ちょっとした食べ物を、まあ、釣り人相手に商っているのだ。小屋は閉まっていたのだから、爺たちの中にその主人はいなかったのだろう。おそらく、爺たちは、近所の知り合いで、暇にまかせて毎日集まり騒いでいるのだ。だとすれば、爺たちに、挨拶を入れる必要もなかったわけだ、と後になって少し悔いた。

 

そうそう、自分が、爺たちと話をしているときに、後ろにワイシャツ姿の初老の男性がいたらしい。というのも、話がついて、いざバリケートをくぐる際に、小声で<私も、ちょっと、灯台を>とかなんとかいう声が後ろで聞こえたのだ。あれっと思って、振り向くと、手にスマホを持った定年退職したばかりのような男性がいた。尻馬に乗りやがったな。なんなんだ!あえて無視して、防波堤へ向かった。

 

海の中に伸びる、およそ100mくらいだろうか(今調べたら330mほどあるようだ)、防波堤には、釣り人が二人いた。ちょうど胸の高さくらいで、意外に低い。幅が狭いので、強風の中、その上を歩くのは、いかにも危険だ。だが、堤防の陸地側が、幅三十センチほどの通路?になっていて、小島まで安全に歩くことができる。釣り人たちも、そこに陣取って、堤防越しに糸を垂らしている。

進んでいけば、当然、釣り人にぶつかるわけで、一言掛けて少し脇に寄ってもらわねばならない。もっとも、通路?の左側には平場のコンクリ護岸がある。強風であおられた波が、ちゃぱちゃぱしている。一人目の釣り人に関しては、たまたま、その平場のコンクリ護岸に波が届いていない部分があったので、そのままうしろを通過した。

 

二人目の釣り人は、防波堤のほぼ真ん中辺りにいた。見ると、こっちは、コンクリ護岸の全面に波が押し寄せている。ま、軽登山靴だから、無理して、波の中を突き進むこともできたのだが、いかにも滑りそうなのでやめた。ちょっと頭を下げて小声で<すいません>と言った。赤いジャンパーの愛想のない爺が黙って立ちあがった。横をすり抜けた。

 

小島は目前だ。ちなみに、この小島は<犬走=いぬばし島>という。今調べると、ネットにはこの島の情報がたくさん載っている。有名な所なのだろう。上陸!した。ちょっと冒険気分になっていた。ふと、うしろを見ると、例の定年退職したばかりの?初老の男性が、危なっかしい足取りで、堤防の下を歩いているではないか。あきらかに、島に上陸するつもりだ。

 

ま、いい。小島のどてっぱらには大きな風穴があいていた。いや、トンネルなのだが、小さな島なのに、トンネルの穴が、不釣り合いなほど大きいのだ。なぜだかわからない。洞窟のようなものもあり、覗くと、向こう側に海が見える。撮り歩きしながら、トンネルをくぐった。脇に大きな照明塔などもあり、垂れ下がっている木々の枝なども入れて、遠目に灯台をスナップした。

 

さらに、防波堤の先端にある白い、例のとっくり型をした灯台に近づいていった。と、ふり返った。トンネルを出たあたりに、初老の男性がいて、こちらにスマホを向けている。灯台を撮っているのかと思って、脇によけた。すると、男性から<そのままで>というような声が聞こえた。灯台と一緒に俺も撮られているのかな?向き直って<灯台を撮りに来たのですか?>と尋ねた。その声が聞こえなかったのか、男性は、依然として、スマホをこちらに向けて撮っている。

 

ま、いいや。背中を向けて、さらに、灯台の根本に近づいた。だが、あまりに近づきすぎて、写真にならない。少し引いて、何枚か撮った。いや、かなりしつこく撮ったのだろう、撮影写真の枚数でわかる。もっとも、いくら撮っても、ロケーションは良くないし、曇り空だ。ここまで来て、残念ではあるが、モノにはなるまい。

 

例の初老の男性は、灯台の根本までは近づいてこなかった。再再度振り返ったときには、灰色のズボンや白いワイシャツ、白髪交じりの頭の毛が、強風にあおられ、元の形態をとどめていなかった。体感的に、これ以上この場に留まるのは無理、という感じだった。

 

来た道を戻った。釣り人の赤いジャンパーの爺は、こちらが会釈をする前に立ち上がって、道をあけてくれた。掘っ立て小屋の前は無人になっていた。やはり、あの爺たちの中に、小屋の主人はいなかったんだと思った。白いペンキで塗りたくられた板壁には、拙い文字の張り紙がべたべた貼ってあった。なかには、<観光案内します>というようなものもあった。

 

小屋の前の狭い道路際に、ちょっとした駐車スペースがある。むろん来た時にも見たのだが、黄色の線で区切られていて、何台分かは、手前に赤い<カラーコーン>なども置かれていた。そこへ、いきなり灰色の車が来て、<カラーコーン>をどけて、バックで駐車しようとしていた。この五、六台止められる駐車スペースが有料駐車場なのか、それとも、賃貸駐車場なのか、にわかには判断できなかった。灰色の車の中から、釣り竿などを持った男が出てきた。この堤防で釣りをする気なのか?いまにも降り出しそうな空模様。それに、強風。海沿いの道をぶらぶら歩き始めた。

 

フェリー乗り場の見える駐車場に戻ってきた。クレーン車は、クレーンをたたんで、駐車場に止まっていた。背の高い椰子の木を見上げた。てっぺん辺りの大きな葉が、ぐらぐら揺れている。たしか作業していたようだが、何の作業だったのか?見た目全く変化がなかった。あるいは、強風で、その後作業を中止したのかもしれない。

 

と、その前に、横にあったトイレで用を足し、そばにあった、崩れかけたベンチに腰をおろしたのだ。その一角が、休憩所のようになっていて、たしか藤棚?があったような気がする。とにかく、その塗装が全く剥げて、白っぽくなった、地面に沈みかけたプラスチック製のベンチに、カメラバックを置き、用心しながら座りこんだのだ。休憩だな。ちょうど、幼稚園の小さな椅子に腰かけたような視界だった。

 

左手にフェリー乗り場。正面は下田湾。右手には、そうだ、<海保>の巡視艇が係留されていた。といっても、全体的に見れば、雑然たる風景で、写真など撮る気になれない。その上、空は鉛色で、灰色の雲が動き回っている。ただ、妙に静かだった。あたりに人の気配がしない。強風だったはずだが、風の音も聞こえなかった。というか、気にならなかったのだろうか。

 

曇り空で、写真にはならない。とわかりきっていた防波堤灯台の撮影は、予想通り、まったくの無駄足だった。しかも、赤い灯台には、近づくこともできなかった。この後の予定を考えたのかもしれない。下田観光!といっても、記念館とかには行く気もしなかった。やはり、気になっていたのは灯台なのだろう。

 

午後からは雨だ。灯台の正面に回り込んでみよう、と思ったのだろう。立ち上がった。一応、目の前に広がっている、何ということもない光景を写真に撮った。写真にでも撮っておかなければ、もう二度と思いだすこともない風景なのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#9

下田観光3<黒船遊覧船>

 

来た道を戻った。だが、気まぐれを起こし、途中で右折して、下田市の市街地<ペリーロード>などのある一角を抜けて行った。そろそろ走りながら、たしか<黒船遊覧船>の乗り場あたりに、海を臨めるところがあったはずだと思った。

 

海沿いの広い道に出て、そのまま、宿の方へ向かって走った。と右側に<遊覧船>の乗り場らしきところが見える。その隣にも、なにやら大きな施設ある。右折。なんだろうとおもって、施設の方へさらに右折。駐車場の入り口がなかなか見つからない。施設の切れたところに、看板があり、右折。ちょうど、施設の下が駐車場になっている。ゆるゆる走りながら、様子をうかがう。要するに、こ洒落た土産物店を集積した施設なのだ。ま、用はない。そのまま駐車場を出た。

 

今度は、<黒船遊覧船>の乗り場へ車を回した。駐車場には、意外にもたくさんの車が止まっていた。しかも、岸壁際は、ワンボックスカーなどが横付け、占領している。家族旅行だろう、子供がちょろちょろ、ガタイのいい若い父親は、釣り竿などを振り回している。防波堤灯台を見るには、あそこが一番いいとこなんだけどな。仕様がない、スペースを見つけて車を止めた。

 

とたんに、ぽつぽつ来た。おいおい、雨マークは三時過ぎからだろう。時計を見たのだろうか、今調べると、まだ午前中、十一時前だった。今日の予定としては、天気予報を信用して、雨の降る前に、つまり、三時前には宿へ戻るつもりでいた。なのに、雨かよ!再び、車の中に戻って、この後どうしようかと思案した。と、アナウンスが聞こえた。<黒船遊覧船>だ。あと五分で出航らしい。

 

<黒船遊覧船>など、乗るつもりはなかったのだ。だが、その時は、気持ちが一気に高揚して、バタバタと、乗船券売り場に駆け込んだ。料金は¥1250。意外に安いなと思った。それよりも、あわてていたので、マスクを忘れた。窓口の若者に、その旨告げると、脇から真新しい箱を取り出し、中から一枚くれた。しかも無料で。折りしも、アナウンスが、乗船をせかせている。もらったマスクをつけながら、船着き場へ急いだ。出航寸前で、乗客の姿は見えず、係員が四、五名、陸と船にいて、なにか仕方なく、自分を待っているかのようだった。

 

よくいるよな~、こういう奴!それが自分だった。船に乗り移った瞬間、即、出航と相成った。ふと見まわすと、一階には自分のほか客は誰もいない。その辺にいた係の若者に、灯台を撮りたいのだが、どの位置がいいのか、訊ねた。体格のいい若者は、右側かな、と人の顔も見ないでそっけなく言い放った。不愛想な奴だ、たぶん学生のバイトだろう。

 

自分が位置していたのは、今思えば、一階の船尾だ。二階?に上がることもできただろうが、これは、即座に却下した。一階の方が、目線が灯台と同じになる。動き始めてから、ふと思って、船の前の方へ行ってみた。座席が並んでいる。が、横にガラス窓がはまっている。これはだめだ。さらにその先、船首へ行こうとした。だが、ドアがあり、何となく行けないような感じ。そばに係員でもいたら、聞くこともできたろうが、船内に人影はない。その時は、乗客や係員はどこへ行ったのだろう、と疑問に思わなかった。

 

先ほど、この<遊覧船>のHPを見た。船の写真を見ると、二階が展望デッキになっていて、白い手すり柵の手前に観光客がたくさん乗っていた。そうだよな、みんな、眺めのいい二階へ行くのはあたり前のことだ。それと、この黒船の名前は<サスケハナ>という。現地で、船の横っ腹にあったこの文字を見た時は、なんかの冗談かと思った。無知より怖いものない!<サスケハナ>とは、ペリー来航時の旗艦船の名前で、アメリカ原住民の言葉で<広く深い川>という意味だそうだ。以上、ウィキペディアより。

 

船が出発した。たしかに、さっきの無愛想な若造の言っていた通り、船尾の右側が、灯台を見るには好位置だ。というのも、船は、下田湾を左回り、すなわち、時計の針とは反対の方向で航行し、湾をぐるっと一周して戻ってくる。要するに、灯台は、沖へ向かって、右側に位置していたのである。

 

白い防波堤灯台が、目の前に見えてきた。だが、背景がよろしくない。<犬走島>がバックになっている。しかも、空に色がない。とはいえ、海上からの眺めも一興で、これはこれで面白かった。カモメもいっぱい飛んでいたしね。

 

白い灯台の脇を通り過ぎ、沖へ向かっていく。が、今度は、赤い防波堤灯台の手前で、左に急カーブだ。これは、思いもかけないことで、まったく近寄ることができなかった、赤灯台を間近に見ることができた。もっとも、いまにも降り出しそうな空模様で、空も海も鉛色だ。写真的には、モノにはなるまい。と思いつつも、かなりしつこく、かつ慎重に撮った。赤灯台のフォルムと海の中にたたずむ姿が気に入ったのだ。

 

船が左旋回したので、船尾の右側から、真ん中辺に移動して、だんだん小さくなっていく、赤灯台を撮り続けた。尾を引く波しぶきに目を落とした瞬間、<モロイ>の一節を思い出しかけた。だが、正確には思い出せなかった。赤灯台はとうとう豆粒になり、もう判別できなくなっていた。もう一度、天気の良い日に、<黒船>に乗りに来る必要があるな。とはいえ、必ず来るぞ、という強い気持ちにはならなかった。もう来られないかもしれないと思ったような気もする。

 

<黒船>は、さらに左旋回を続け、陸へ向かった。低い山並みの下に、泊まっているホテルも見えた。その白い建物の四階あたりをじっと見た。あのあたりから、昨晩、漆黒の海に点滅する、緑や赤の光を見たのだ。かなり遠いなと思った。係船岸壁につけるために、船が陸と並行の位置になった。大きな貨物船が見えた。こいつは、湾の中に、昨日からずっと止まっていて、動かない。横を通るときに何枚か撮った。船の形が面白いのだ。まあ、この種の趣味趣向は、男児の残滓なのかもしれない。

 

およそ20分のクルージングだった、ようだ。船が岸壁にしっかり固定された後、係員が先導して、乗客が下りた。幾人もいなかった。一階に誰もいないのは当たり前だと思った。広めの岸壁に下り立った。と、向かいに<海保>の巡視艇が係船されていた。<黒船>に乗るときは、バタバタしていたからだろう、気づかなかった。ここにもあるのか?というのは、先ほど、ちょっと休憩したところにも同じくらいの大きさの巡視艇があったからだ。船全体を真横から撮った。横っ腹に<海上保安庁>の文字が目立つ。記念写真だよ。

 

雨がぽつぽつ落ちてきた。急いで、車に戻った。アナウンスが、午前中最後の乗船を告げていた。今度の出航は十一時半らしい。そうか、俺は十一時に乗ったわけだ。三十分おきの出航、採算が合うのか?などと余計なことを思った。雨じゃあ~、もう撮れないな。運転席に座って、これからの予定を考えた。雨でにじんだフロントガラス越しに、岸壁に依然として横付けされている家族連れのワンボックスカーが見えた。よちよち歩きの女の子を追いかけて、若い母親が走りまわっている。褐色に焼けていて、サンダル履きのラフな格好。海辺でよく見る、さばけた感じの女性だった。

 

時計を見たのだろうな。宿に戻るにはまだ早すぎた。そうだ、あの公園へ行こう。広い駐車場があり、正面に下田湾が見渡せる。車の中でひと寝入りしてもよし、空模様次第では、望遠で防波堤灯台が狙えるかもしれない。その整備された海沿いの公園は、ちょうど泊まっているホテルの真ん前だった。近すぎて、まだ行っていなかった。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#10

下田観光4<まどが海遊公園>

 

<まどが浜海遊公園>に着いた時には雨が降っていた、と思う。広い駐車場には、五、六台の車が止まっていた。まだお昼前だったような気がする。いくら何でもホテルに戻るには早すぎるだろう。一応、窓にシールドを張った。後ろの仮眠スペースに移動して、肘枕して少し横になった。だが、さして眠くない。じきに起き上がって、カメラを引き寄せ、撮影画像のモニターなどをした。<黒船>から撮った写真の数が多い。だが、そのほとんどが写真の体をなしていない。記念写真だよ、自分に言い訳をした。

  

また横になった。少しそのままでいたが、眠くならない。起き上がって、お菓子などを食べたりもした。退屈だ。シールド越しに外を見た。空が少し明るくなっていて、雨はやんでいた。気分転換!車から出て、装備を整え、海際の柵まで行った。三脚を広げ、望遠カメラをセットした。<犬走島>を貫通した防波堤の先端に、白い灯台が見える。左側にも小島があり、赤い鳥居が小さく見える。沖には、さらに小さく、真一文字の防波堤が海の中にあり、その右先端に赤い灯台が見える。

 

海上10キロ先の、自分にとっては、まさに伝説的な<神子元灯台>は、と言えば、視線の延長上にあるわけだが、残念ながら、その影がうっすら見える程度だった。天気が良くないのだ。しつこいようだが、空も海も灰色だった。それでも、この瞬間、眼前に広がる光景を写真におさめようと、少しは努力した。鉛色の雲が垂れ込める中、水平線の近くが若干明るかったからだ。

 

二、三枚撮って、モニターした。こりゃだめだな。写真は非情で、思い込みを写し撮ってはくれないのだ。だが、引き上げる気にもなれず、しばらく、柵に寄りかかったり、そばのベンチに腰掛けたりして、下田湾や、水平線の辺りを眺めていた。そのうち、空は、鉛色の雲すら霧散して、白っぽい、ただの空白になった。三脚から望遠カメラを外し、たたんだ。望遠と標準、二台のカメラをバックの中にきっちりおさめ、三脚をバッグの背中にしっかり固定した。南伊豆旅での撮影が終わったのだ。

 

車に戻った。時計を見たのだろう。まだ早いような気がしたが、宿に戻ることにした。と、ふと左手の方にあるトイレを見た。自販機も二台ほどある。ということは、ゴミ箱もあるわけで、空き缶などを捨てて行こうと思った。トイレに一番近いところまで車を移動して、外に出た。ゴミ箱の横には、たしか、ゴミは持ち込まないでください、とかなんとか書いてあった。ま、空き缶二つくらいいいだろう。

 

ついでに、トイレに入って、用を足した。このトイレはほとんど印象にない。ということは、臭くも汚くもなく、特別きれいでもなく、要するに、普通だったのだろう。雨はやんでいた。ふと気まぐれだ。時間に余裕があったし、オブジェのようなものもあったので、公園内をちょっと見物しようというわけだ。

 

三つほど、見て回った。一つは、海に向かう<坂本龍馬>の立像だ。なんで、ここに<竜馬>が?と思って、案内板を斜め読みした。ほとんど頭に入らなくて、勝海舟の名前と<龍馬>が下田に立ち寄ったことだけが頭に残った。…今その詳細をネットで検索したが、煩わしいので省略しよう。

 

二つ目は、大きな<錨>だ。また<錨>だ!というのも、灯台巡りの旅を始めてから、海沿いの公園などに、この本物の<錨>がオブジェとして鎮座している姿をよく目にするからだ。見るたびに、なんでこんなところに<錨>があるんだと思った。だが、今回はその疑問がすぐにとけた。台座だったかな、案内板に<横須賀海上自衛隊寄贈>とあったような気がする。さらに案内文には、すぐ目の前の海に、ペリーの艦船が、おそらく旗艦船<サスケハナ>だろう、<錨>を下したらしいのだ。なるほど、<錨>つながりか。それにしてもと、目の前の海を見た。こんなに近いところに停泊したのか!ちなみに、ペリーの旗艦船は、全長80メートル弱の大型フリゲート船だった。自分が乗った遊覧船<黒船サスケハナ>は35メートルで、その倍以上の大きさだったのだ。

 

三つ目は、何と<足湯>だ。公園内に、いくつかあるしゃれた東屋の一つが、車座に十人ほど腰かけられるようになっている。近寄って、ちょっと手を浸してみた。あったかい、ちょうどいい湯加減だ。足の甲に湿疹ができていなければ、間違いなく、軽登山靴を脱いで、腰かけたと思う。足を拭くためのタオルを車に取りに行く、という煩わしさも克服しただろう。まあ、次回だな。ただし、<次回>があるのかないのか、その辺は深く考えなかった。

 

さあ、本当に引き上げよう。雨は降っていなかったような気がする。歩いて、道路の反対側のコンビニへ寄って、朝食用の菓子パンとおにぎりを買った。そのあと、駐車場を出て、信号を右折。ホテル前の駐車場スペースに車を止めた。整理係の<小料理屋の大将>はいなかった。まだ三時前で、チェックイン前だ。

 

車から降り、歩いて<すき家>へ行った。今日は、機械での注文に迷うこともなかった。なんとなく、カレーが食べたいような気がして、<オム牛カレー>の大盛りを注文した。¥1000ほどだ。ちょっと高いような気もしたが、そんなもんでしょ。少し待たされた。きっと、オムレツの調理に手間取ってるんだ。レジカウンターに店員が出てきた。レジ袋に入った<オム牛カレー大盛り>を受け取り、カンターに置いてあった箸とか紅ショウガの小袋とかを取って、出ようとした。と、その若い店員が<スプーンはいいんですか>と声をかけてきた。なるほど、カレーを食べんるんだ。<お、忘れていたよ>と少し表情を崩して、袋の中に入れた。<すき家>で、これまでで一番愛想のよい店員だった。

 

駐車場に戻った。トートバックの中に、飲料水などを入れ、カメラバックを背負って、ホテルに入った。一階ロビーは薄暗かった。ふと思って、陳列してあった、土産物を眺めた。<地域クーポン券>¥2000で買ってしまおうというわけだ。受付の卓上ベル=呼び鈴を押すと、隣の部屋から爺がすぐに出てきた。財布から<地域クーポン券>を取り出し、その旨を言って爺に渡した。

 

爺を待たせて、陳列台の土産物を選んだ。ロクなものはなかったが、ま、なるべく日持ちするものがいい。などと、あれやこれや迷ってしまい、思いのほか、時間がかかった。ふと見ると、爺が、所在なげに、いや、ちょっとイラついた感じでカウンターの中に突っ立っている。

 

もう、どうでもよくなって、とりあえず¥2000分の土産物を手にして、カンターへ行った。それを、爺は電卓で律儀に計算した。¥2000、ちょうどにはならない。土産物の価格設定が、ちょうどにはならないようになっている。したがって、おつり分\180くらい、損したことになる。ケチケチしたこと書くなよ。ちなみに、買ったのは、<金目鯛スープ12食入り>を二袋、<漁師のふりかけ>一袋、それから、カツオの一口大のおつまみ、これは今手にないので正式な商品名はわからない。というのも、翌日、爺に無理を言って値段の同じ<漁師のふりかけ>と交換してしまったからだ。びっしりと袋に詰まった、こげ茶の、サイコロ型のおつまみは、いくら眺めても、固くて、まずそうだったのだ。

 

エレベーターで四階に上がった。ひとの気配は全くない。時間的には午後三時前だったと思う。ドアノブに、白いレジ袋がかかっていた。部屋に入った後で、中に入っているものを取り出した。浴衣とシーツとバスタオルとアメニティ類だった。シーツは、面倒なので交換しなかった。すぐに着替えた。糊のきいた浴衣にそでを通し、部屋を出た。貴重品のポーチは、金庫に入れたが、めんどうなので鍵は、部屋のどこかに隠した。どこに隠したのか、今となってはもう思い出せない。

 

温泉は、昨日にまして最高だった。というのも、一番風呂というやつで、誰もいない。広々した洗い場も湯船も、きれいに清掃されていて気持ちがいい。それに、ちょうどいい湯加減で、自分としては、これほど長時間、温泉につかって、くつろいだことはない。温泉めぐりも悪くないなと思ったほどだ。昨日と同じように、湯船の中を歩いて、窓際へ行き、窓ガラスを手でこすって、外の景色を眺めた。雨が降り出していた。それもかなり強い。風も強い。台風の影響だろうか。五回目の旅で、初めて雨に遭遇した。いままで、運が良すぎたのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#11 ホテル宿泊

 

温泉から戻ってきた。さあ、ビールだ。と、その前に、窓の外の下田湾を眺めた。ざあ~ざあ~雨が降っていて、ぼやけている。風も強くて、道路沿いの背の高い椰子の木がぐらぐら揺れている。早めに引き上げてよかったよ。ビールは冷えていた。初日に、備え付けの小型冷蔵庫を確認したら、当たり前のことだが、ちゃんと冷蔵できそうだ。とはいえ、真夏と違い、冷えたビールは、それほどありがたくなかった。この時は、むしろ、冷たすぎるなと感じたほどだ。

 

たしか、午後の三時過ぎだ。メモによると<14:30宿~温泉15:00>とある。夕食にはまだ早い。と思ったが、目の前のすき家のレジ袋から<オム牛カレー>を取り出した。ビールのつまみに、ちょっと食べたいような気がしたのだ。と、その時、袋の下に何かある。金庫のカギだった。隠したところを絶対に忘れない場所だ。いや、たとえ忘れたとしても絶対大丈夫な場所だろう、と思いついたのが<オム牛カレー>の下だったのだ。ただし、自分で隠した場所をすっかり忘れてしまい、鍵を見た時に<こんなところに!>とちょっと驚いたわけで、これはもう、トンマの極みだ。歳は取りたくないものだ。

 

<牛>も<カレー>も、まずくはない。だが、いつもの味だ。ただ、<オム(レツ)>だけが手作りの味がした。<つまみ>のつもりが、腹が空いていたのだろうか、半分くらい食べてしまった。そのまま、全部食べることも、もちろんできた。が、そこは少し自制した。夕食に取っておこう。しっかりふたを閉めた。いや、なかなかしっかりとは閉まらないので、少し手間取った。やや食い足りない感じがして、座卓の上に並べてある、お菓子類をなにか食べたような気もする。食べ終えると、少し眠くなってきた。取り立てて、やることもない。部屋の明かりとテレビを消して、布団に横になり、そのまま寝てしまったようだ。

 

<17:00>に起きた。部屋の中はもちろんのこと、窓の外もかなり暗くなっていた。近寄って、重いサッシ窓を開けた。雨が少しふきこんできたのかもしれない。あるいは、風が強かったのか、すぐに窓を閉めた。うす暗くなった海の中に、緑の点滅が鮮やかだった。それに比べ、少し沖の赤の点滅は、昨晩より弱々しい感じがした。周辺にあるオレンジの点滅にいたっては、ほとんど色が見えないほどだった。

 

ま、問題は<神子元灯台>の明かりだ。そのピカリの明かりを撮ろうと、今日は三脚を部屋まで持ってきているのだ。ところが、強い雨のせいなのだろうか<ピカリ>が、なんだか心もとない。光がこちらに届かないのだ。十数秒待って、今一度、じっと光の方向を見た。オレンジ色っぽく、にじんでいる。雨に打たれた裸電球のようだった。

 

だから!と、後悔した。昨晩、面倒でも、車に三脚を取りに行けばよかったんだ。いや~、もう一人の天邪鬼が言った。あんな弱い光じゃ、撮れっこないよ。ま、そうだ。前回の南房総旅で経験している。広大な夜の海、その中で点滅する、豆粒大の灯台の光。たとえ写ったとしても、写真にはならないのだ。そう納得して、三脚は広げなかった。

 

座卓の前に座って、残り半分の<オム牛カレー>を食べた。食い足りない感がして、コンビニで買った赤飯握りを一個食べたかも知れない。そのあと、ノートに、ざっとメモ書きした。文字を書くことがほとんどないわけで、まさに、ミミズが、のたくったような字だ。ま、自分が読めればいいのだ。

 

それにしても、字はへたくそだ。子供の頃に、字の書き方をちゃんと覚えなかったからだろう。そのことが、後々、人生に過大な影響を与えるとは、思ってもみなかった。つまり、字が下手な故に、はがきや手紙などが億劫になり、人との交通をないがしろにしてしまったのだ。いや、そうとばかりともいえない。たとえ、字が人並みに書けたとしても、はがきや手紙を、好んで人に出すことはしなかったろう。何しろ、<文章>はもっと苦手だったのだ。

 

ワープロ、パソコンのおかげで、下手な<字>で、恥をかくことはなくなった。だが<文章>は依然として、うまく書けない。いや、ついついウソを書いてしまう。そのことが、一番やりきれない。

 

立ち上がって、窓際へ行った。窓ガラスに雨がふきつけている。海は真っ暗だった。かろうじて、手前の緑の点滅だけが見える。赤やオレンジの点滅は、ほとんど見えない。十数秒おきの<神子元灯台>からの<ピカリの明かり>も、海上の強い風雨にさえぎられ、ほとんど見えなくなっていた。これといった、感慨もない。気持ちも動かなかった。厚手のカーテンを閉めた。おそらく、その後、テレビでもちょっと見たのだろう。そして、部屋の電気を消し、テレビも消して、寝てしまった。雨風の音は、ほとんど気にならなかった。

 

夜間トイレで、一、二時間おきに起きたはずだ。そう、たしか、一回だけ、窓際へ行き、カーテンをちょっとめくって、海を見たような覚えがある。依然として、雨風が強い。台風が、西日本に近づいている。その影響だろう。かろうじて元気だった緑の点滅も、心もとない。明日の帰路<天城越え>がちょっと気になった。

 三日目

<7:00起床>。まずテレビをつけ、洗面、朝食、排便。排便は、ほとんど出なかったような気がする。着替え、ざっと部屋の整頓。布団は敷きっぱなしのまま、掛け布団を半分めくっておいた。その上に、枕と、ざっとたたんだ浴衣をおいた。

 

そうそう、昨晩のことで書き忘れたことがあった。コップの水を、座卓の上の長細い敷物にこぼしてしまった。ティッシュですぐに拭いたが、なにか、茶色くなっている。座卓本体の塗装の色ではない。敷物から浸み出したものだ。今朝見ると、そのあたりが、少し茶色くなっている。まずかったな。といっても申告するほどのことじゃないだろう。すぐに頭から流した。

 

身支度など、すべてを終えて、カメラバックまで背負った。と、そうだ、宿泊した室内の写真を撮るのを忘れていた。バックをおろし、中からカメラを取り出した。丹念に、室内を撮った。これらの記念写真は、後々、いや、帰宅後に見た時ですら、なにがしかの感情を呼び覚ます。何と言うか、もう二度と訪れることもない、生涯に一度の空間と時間。人間的郷愁、とでも言っておこう。

 

廊下に出た。鍵はかけなかった。エレベーターに乗って、一階に下りた。と、大きな掃除機で、おばさんがロビーを掃除している。そのホースをまたいで、受付へ向かった。おばさんが、元気のよい声で<大丈夫ですか、すいません>と声に出した。<大丈夫、大丈夫>とおばさんの方へ顔を向けながら答えた。やけに愛想がいいなと思った。むろん、嫌な感じはしない。むしろ好ましく感じた。

 

受付カウンターには、爺がいたような気がする。精算を、と言って、ポーチから財布を取り出した。爺は、なにらや、下でごそごそしながら、書類を探し出し、計算した。たしか<Goto割りで>と言ったような気もする。一万円札を出して、お釣りをもらった。そのあと、前に書いたように、<カツオのつまみ>を<漁師のふりかけ>にかえてもらった。<値段は同じですよね>と、爺は自分に言い聞かせるように言った。嫌な顔一つしなかった。

 

精算を終えて<お世話さま>と声に出して、出入り口へ向かった。どこからともなく<小料理屋の大将>も現れて、<ありがとうございました>と会釈された。外に出た、雨がざあ~ざあ~降っている。急ぎ足で車へ向かった。トートバックとカメラバックをさっと車に積み込み、運転席に滑り込んだ。一応、ナビを自宅にセットした。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#12 帰路

 

まいったな。雨の中を走り出した。時間は<8時 出発>とメモにある。左方向へハンドルを切る。見覚えのある、爪木埼灯台入口の信号を通過。一気に急な坂道。雨が強いので、運転に慎重になった。と、バックミラーに、灰色っぽい<軽>がぴたりとついている。別にあおっているわけではないのだろう。だが、なんだか、嫌な感じだ。車間距離を詰めすぎだろうが!

 

気になって、チラチラ、ミラー類を見ながら走った。下り坂のカーブになったとき、<軽>の後ろにも、びっしり車が連なっているのが見えた。自分がネックになっている。ちぇ!ちょうど通勤時間帯だ。地元の人間だろう。毎日通っている道で慣れている。多少の雨だが、いつもの調子で走っていたら、前に白い車、県外ナンバーが行く手をふさいでいる、というわけか。

 

朝っぱらから、疲れるな。このまま、一般道で自動車レースをしていてもしょうがない。ちょうど、坂の下に、コンビニらしきものがあった。退避した。バックミラーで、あおってきた<軽>をちらっと見た。かなりのスピードで走り去っていった。イライラしてたのね。すぐに、コンビニの駐車場で回転して、再び道に戻った。

 

その後は、市街地走行、道は平たんになり、車の数も減ったように感じた。が、いくらもしないうちに、上り坂になった。<天城越え>だ。雨がじゃんじゃん降っている。最悪の展開だった。と、前に、高くした荷台に、荷物を満載した二トン車が、よろよろ走っている。これは歓迎だった。あとについていけばいい。こっちは全然急いでいない。風雨の強まる中、むしろゆっくり走りたいのだ。

 

しばらくは、ある程度の車間をあけて、あとについて行った。だが、山道が、次第に険しくなる。かなり急坂になってきた。カーブを曲がるたびに、二トン車のスピードが落ちる。いきおい、自分の車が、二トン車に接近してしまう。この繰り返した。ミラーで後ろを見ると、車列ができている。しょうがないだろう、前に危なっかしいトラックが走っているんだ。

 

俺はあおったつもりはない。だが、先ほど、灰色っぽい<軽>にあおられたと思ったように、二トン車の運転手も、白い車にあおられたと思ったに違いない。というのも、急坂の途中、ちょっとした路肩に、トラックが退避したからだ。あきらかに、道を譲っている。いや~、こちらとしては、譲ってほしくはなかったのだ。

 

ほぼ、暴風雨の山道。いまだに難所の<天城越え>、その登り坂で、車列の先頭に立ってしまった。悪夢が再び訪れた。今度は、同じ<軽>でも、白っぽいバンだ。おそらく仕事車だろう。バックミラーで急接近を確認。だが、どうしようもない。これ以上は早く走れないのだ。とはいえ、年甲斐もなく、上等だ!と、少し熱くなって、軽バンを引き離しにかかった。車の性能は、明らかにこっちの方が上だ。

 

カーブを曲がり切ったところで、アクセルを踏みこんで、軽バンを引き離す。だが、運転技術、土地勘、度胸で負けていた。軽バンも加速して、すぐに接近してくる。その都度、バックミラーで確認する。と、ほとんど追突されるのではないかと思えるほど、ぴったり後ろについている。これの繰り返しだ。狭い急な上り坂、退避場所を目で探したが、見つからない。

 

暴風雨の天城山中で、自動車レースに巻き込まれるとは、予想だにしなかった。が、その時、ふと思った。軽バンは、あおっているんじゃない。前の車についていこうとしているだけかもしれないじゃないか。だとすれば、こちらがスピードを上げれば上げるほど、たぶん、奴もスピード上げてくるわけだ。まさに、いたちごっこ!なのだ。

 

緊張して、いい加減、疲れた頃、幸運なことに、頂上が見えた。そこは大きな駐車場になっていて、土産物店やレストランなどがある。退避!ハンドルを切った。ミラーで確認すると、軽バンは無論のこと、あとに続く車列が、猛スピードで通り過ぎていった。ふ~~~、トイレ休憩しよう。ところが、比喩でなく、バケツをひっくり返したような土砂降りだ。ちょっとドアを開けたが、外に出るのは無理だと思った。

 

おしっこ缶を取り出して、車内で用と足したのだろうか。はっきりしない。だが、一息入れて、またすぐ山道に戻った。ここからは下り坂で、多少、道が広くなっている。カーブもそれほどきつくない。ある程度のスピードが出ていたので、後続車を気にせず、マイペースで走った。暴風雨の<天城越え>!あおり、あおられの<いたちごっこ>が脳裏から消えて、今度は、<伊豆縦貫道>へ間違いなく入ることに注意が向かった。だが、情けないことに、最初の入り口をやり過ごしてしまった。次は絶対見落とすまいと、自分にプレッシャーをかけ、注意深く、辺りを見回しながら走った。その甲斐あって?無事、<伊豆縦貫道>へ入った。

 

ナビは古いので、といっても五年前のものだが、<圏央道>同様、<伊豆縦貫道>の案内に関しても信用していなかった。何しろ、来た時には、別のルートを、それも遠回りのルートを教えられたのだから。

 

<伊豆縦貫道>に入ってから後のことは、あまりよく思い出せない。たしか二か所で料金を払ったような気がする。有料道路の区間が、まだ統一されていないのだろう。それと、雨は小降りになっていたようだ。要するに、天城山中だけが、極端に降っていたのだ。よくあることだ。

 

<12:30 自宅着 片付け>とメモにある。そうだ、帰宅した時には、ほとんど降っていなかった。いや、ぽつぽつだな。それで一気に、荷物をアトリエの中へ入れたんだ。旅疲れ、運転疲れということもなかったと思う。二階の部屋に入る時には、<ただいま>と声に出した。一応、ニャンコに言ったつもりだったが、ニャンコの顔は思い浮かばなかった。誰もいないのが、当たり前になった。気持ちは平静だった。

 

<南伊豆旅>2020-10-6(火)7(水)8(木) 収支。

 

宿泊費二泊 ¥8198(Goto割) 高速 ¥8770 

ガソリン 総距離500K÷20K=25L×¥125=¥3130

飲食 ¥3000 その他 ¥3300

合計¥26400

 

今回も妥当な金額だ。いや、これだけ楽しんで、三万円でおつりがくる。金額的にも、内容的にも、不満はない。土砂降りの<天城越え>ですら、今となっては、良い思い出だ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#1~#12

2020-10-26 終了。

 

 

<灯台紀行・旅日誌>2020 南房総編

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灯台紀行・旅日誌>2020 南房総編#1~#13

 #1 プロローグ                            

#2 往路                  

#3 野島埼灯台撮影1                      

#4 休憩・移動~洲埼灯台・船形漁港     

#5 移動~安房白浜灯台下見                   

#6 ホテル              

#7 野島埼灯台撮影2          

#8 移動~洲埼灯台                                 

#9 船形平島灯台撮影                             

#10 移動                                                

#11 安房白浜灯台撮影                          

#12 移動~ホテル         

#13 帰宅日                                           

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#1 プロローグ

 今日は、2020-9-16日、水曜日。昨日の昼頃、南房総灯台旅から帰ってきた。これから、旅日誌と撮影画像の選択、補正の作業にかかる。と、その前に、二、三書き記しておこう。

 八月二十二日に<新潟・鶴岡旅>から帰って来た。そのあと、お決まりのように、撮影画像の選択、補正。それから、旅日誌を書いた。画像編集作業は、枚数が少ないせいもあり、比較的あっさり終了。楽しくできた。一方、旅日誌の方は、かなり難儀した。というのも、少し方針を変更して<旅日誌>以上のものを書こうとしたからだ。少し自分を開示しようとしたので、肩に力が入ったのだろう。筆が進まない。

さらに、なんでもかんでも、手当たり次第に書きまくった一回目、二回目の旅日誌とちがい、文章構成に関する、いろいろな考えが出てきた。ようするに、全体的な構成やバランスを考慮しだした。だが、本来、そういう、頭を使う書き方は苦手なのだ。考えれば考えるほど、一行も書けなくなる。小学生の時の<作文>だ。あの恐怖体験?が<作文トラウマ>となって、その後、三十過ぎまで、まともな文章が書けなかった。何しろ、先生からは<作文>の書き方を、具体的には教わらなかったし、教えてもくれなかったのだ。

 ま、いい。<旅>という時間軸にそって、あることないこと書いていく<無手勝流>ではなく、文章の質を上げようとか、体裁を整えようとか、常識的なことを考え始めたのがよくなかった。<旅日誌>を書くことが、楽しみではなく、いわば苦行となった。何しろ、どこで何をしたのか、その時何を思ったのか、感じたのか、それを逐一書いていこうとしたんだからな。むろん、そんなことは実行できなかったし、でっちあげるのに、さらなる時間がかった。しかも、一日のノルマが原稿用紙で九枚もある。もちろん、ノルマも達成できなかった。

 旅日誌<新潟・鶴岡編>は、完成までにおよそ二週間、61時間かかり、原稿用紙にして95枚書いた。一日平均、四時間強、パソコンに向かっていたことになる。楽しい時間もあったが、そうでない時間の方が多かったような気がする。つまり、紙数を埋めるために、あれこれ調べて書いたこともあった。だが、今思えば、なぜそんなことをしているのか、自分でもよくわからなかったし、ありていに言えば、誰のために、何のために書いているのか、その肝心要のポイントがずれていたようなのだ。

 だから、今回の<南房総旅日誌>は、そうした常識的な文章の体裁や作法にとらわれないで、つまりは<無手勝流>に戻って、書いている時間が楽しいと思えるようにしたい。それが、<旅日誌>の唯一の意味であるような気もする。もっとも、ある程度の作戦はある。あえて思い出そうとしなくても、頭に焼き付いているイメージや、明瞭に記憶している事物や事柄を中心にして書いていく。書くことの取捨選択は、もうあらかじめできているはずなのだ。あとは、言葉に置き換えていくだけ。それゆえに<旅日誌>なのだろう。

 難渋した<新潟・鶴岡旅日誌>を書き終えたのが、九月の九日前後だったと思う。次なる四回目の灯台旅へと、やっと気持ちが切り替わった。候補は、三か所あった。<日立灯台・塩屋埼灯台>、<爪木埼灯台・石廊埼灯台など>、<野島埼灯台安房白浜灯台など>。それぞれの十日間天気予報や、宿の確認などをした。宿の方は、ま、どこも空いている。問題は天気だった。曇り、ないしは雨マークが多い。

 旅に出るには、最低でも二日間の晴れマークが必要だ。日差しのない時に撮ってもろくなことはない。なので、その基準を満たす場所、すなわち<野島埼灯台安房白浜灯台など>のある南房総に照準(しょうじゅん)を合わせ、下調べしてあった宿を二泊予約した。ところが、コロコロコロコロ天気予報が変わる。キャンセルを二回も三回もして、とうとう、二日前予約になった。もう変更はきかない。

金曜日には、ほぼ準備完了。慣れてきたので、準備は一時間くらいで終わった。旅前日の土曜日は、荷物を車に積み込むだけ。ゆっくりして、夕方シャワー、頭を洗って、夜の九時には寝る。翌日曜日は四時起床、五時に出発しよう。

 とその前に、今一度、南房総白浜、野島埼灯台への道順を調べた。都内を縦断するほかないないのだが、グーグルマップの方では、首都高中央環状一号線から羽田へ抜けるルートだった。ところが、ナビの方は、中央環状二号線、いわゆる山手トンネルを抜けていくルートになっている。どちらも、できれば走りたくないルートだ。つまり首都高は、狭いのにスピードは出すわ、合流は難しいわ、混んでるわの三重苦なのだ。でも、ここはナビに従うほかあるまい。圏央道を使って、都内を迂回するルートもあるが、遠回り過ぎる。

 軽トラの運転手をやっていた頃でも、首都高はやはり緊張した。すでに二十年以上経っているうえに、ジジイになっている。正直言って、運転がやや怖い。だが、そんなことも言ってられないだろう。座して死を待つようなタイプじゃない。その時はその時だ、寿命だと思ってあきらめるさ。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#2 往路

 九月十二日土曜日、寝たのは夜の九時過ぎだった。翌午前四時起きとはいえ、前回、寝るのが早すぎて、中途半端な時間に起きてしまい、失敗している。ところが、今回も、予定通りにはいかなかった。というのも、三時過ぎに目覚めてしまったのだ。もう、眠れない。首都高の件で、緊張していたのだろう。なるべく空いているうちに通過したいと思っていたわけだ。

 迷わずに起きた。外はまだ真っ暗。お決まりのように、洗面、食事(豆腐、梅干し入りのお茶漬け、牛乳)、身支度、排便。ウンコは、まったく出なかった。トートバックに、枕、目覚まし、シェーバー、携帯充電器、ノート、保冷剤入りバック、ペットボトルの水四本、ノンアルビール、バナナ二本を入れた。忘れそうになったが、ニャンコの骨壺に<行ってきます>と声をかけた。

 玄関を出た。車に乗った。ナビを<野島埼灯台>にセットした。よくみると、やはり、首都高・山手トンネル経由になっている。と、首都高に入ってからのトイレ休憩が気になった。パーキングがちょっと思いつかない。もっとも、アクアラインの<海ほたる>には寄るつもりだ。だが、そこまで何時間かかるか定かではない。一応、関越の三芳パーキングで用を足していこう。

 午前四時出発。真っ暗の中、関越道の最寄りインターへ向かった。すぐに三芳パーキング。まだ、出てから二十分もたっていない。出るかなと思ったが、便器の前に立つと、ちょろちょろと少し出た。ま、多少でも出しておけばな。だが、念のために、朝の缶コーヒーは控えた。カフェインの利尿作用なのか、おしっこが出たくなるからだ。

 大泉ジャンクションを左方向、圏央道に入る。さらに、美女木ジャンクションを右折、面白いことに、この地点には高速道路にもかかわらず信号がある。長い信号だった。直角に曲がって、首都高大宮線、五号線を走る。空いている。さらに、熊野町ジャンクションを右方向、中央環状二号線になる。ここからは、ずうっとトンネル。一番いやなところだ。とはいえ、空いている。怖さは全く感じない。案ずるよりも生むがやすし、か。山手トンネルを抜けると、空が少し白み始めていた。まだ朝の五時半過ぎだったと思う。空いているわけだ。三時起きして正解!気分は良かった。

 東京湾アクアライン<海ほたる>に入ったのは、まだ、午前六時前だった。というのも、スナップ用に持ってきたD200の、一枚目の写真の時刻が、五時五十二分になっているからだ。駐車場は空いていた。どこでも好きなところに止められるくらいだ。外へ出た。海風が予想以上に冷たかった。少し寒いほどだ。半袖を着ていたからな。まずトイレで用を足し、冷たい缶コーヒーを買って飲んだ。

 D200を取りだし、駐車場の仕切り壁沿いに、ぐるっと回りながら、東京湾の海景をスナップした。大好きな<スカイツリー>が見えた。白い煙をモクモク出している煙突もあった。おそらく東側だろう、今まさに朝日が昇りかけていた。海が金色に染まっている。思わずシャッターを押した。だが、きれいな色には撮れていなかった。ま、写真などはどうでもいい、いくらか観光気分になっていた。

 車に乗り込んだ。バックして出ようとした。と、隣に白い大きなワンボックスカーが入ってきた。見ると、助手席に女の子、運転席の男の子も、おそらく大学生だろう。朝の六時に<海ほたる>でデート。いや、この時間にここにいるということは、デートというよりは旅行かな?二人とも、横顔が笑っている。さわやかな感じがした。

 <海ほたる>、名前だけは以前から知っていた。一度行きたいと思っていた。だが、首都高がネックになっていた。今回は、否応なしに通過する場所だったので、ラッキーだった。とはいえ、好奇心が満たされしてしまい、何かのついででなければ、もう来ることもあるまい。いや、帰りにまた寄るつもりだ。その時は、上の階へ行って、東京湾の写真を撮ろう。

 そうそう、<アクアライン>は東京と千葉を結ぶ海底トンネルなのだが、山手トンネルからの続きになっているわけで、海の下を走っている実感はほとんどなかった。ま、トンネルだから、当たり前のことだ。とはいえ、<海下57m>という標識を見た時に、ちょっとだけ、今走っているところが海の下だということを想像してみた。もし仮に、トンネルが崩壊すれば、海水があふれてくる。ありうることかもしれない。想像すると、恐ろしくもあり、多少愉快でもあった。

 <海ほたる>を出て、木更津方面へ向かう。まさに、東京湾を突っ切っているわけだ。360度の海。少しスピード落として、周りを見ながら走った。海上の道の終わりには、料金所。¥800円くらいとられた。アクララインは別料金らしい。さらに行って、館山自動車道に入る。千葉県に入った。運転の山場は過ぎ、あとは、房総半島の西側を南下するだけだ。車もガラガラ。さらに、気持ちが楽になった。

 六時三十九分、君津のパーキングでトイレ休憩。時刻が、D200で撮った写真に記されている。<海ほたる>から三十分足らずだ。ま、用を足すというよりは、日焼け対策だ。ロンTに着がえたり、日焼け止めを顔と指さきに塗ったりした。確実に言えることは、出発時とは、明らかに気分が変わっていた。要するに、運転モードから撮影モードになってきたのだ。

 君津、富津、鋸南、冨浦と、次第にトンネルが増えた。さほど長いトンネルではないし、車はほとんど走っていない。緊張するほどでもない。富津館山道路を、冨浦で降りた。そのあとの道も、片側二車線の広い道で、両側に背の高い椰子の木が並んでいる。どこか南国ムードで、気持ちが和んだ

 館山の市街地を抜けると、道は一車線になり、やや上りになる。見通しのない山中を走り、狭いトンネルを抜けると、長い下り坂だ。依然として、道はガラガラ。下りきったところのT字路を右折、さらにすぐ左折。と、海沿いの道にでた。灯台は、もうすぐそこだ。そう、この辺りからは、マップシュミレーションしていて、初めて見る景色ではなかった。

 白い灯台の上半分が見えた。グーグルマップで何度も見ている、海沿いの駐車場に車を止めた。さほど広い駐車場ではない。車が五、六台止まっていた。たしか七時半過ぎだったと思う。自宅から、三時間半ほどで着いた。トイレ休憩とか<海ほたるで>で写真も撮ったのだから、実質、三時間くらいかもしれない。わりと近かったな。運転もさほど苦にならなかったし、全然疲れていない。

 サンダルを軽登山靴に履き替えた。装備を整え、いざ出発。ただし、空の様子がイマイチ、雲が多い。晴れの予報だったはずだがと、携帯で天気予報を確かめた。いちおう晴れマークがついている。まあ~、灯台は目の前だ。晴れだろうが、曇りだろうが、雨だろうが、もう撮るしかないだろう。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#3 野島埼灯台撮影1

 千葉県南房総市白浜、野島埼灯台の撮影ポイントは、おそらく二か所しかない。グーグルの画像検索を見る限りでは、ま、その二か所も、絶景とは言いかねる。ただし、景観であることに間違いはない。もっとも、灯台が見える地点をすべて見て回るのが、自分なりの撮影流儀だ。いまだ余人が、見落としているポイントがあるかもしれない。しかしこれは、あくまでも可能性の問題であって、実際のところ、画像検索でヒットした場所以外には、これといった撮影ポイントが見つかったためしはない。

 撮影の原則は、被写体の周りを可能な限り360度回りながら撮ることだ。もっとも、灯台の場合は、立地的に、海に面していることが多いので、海上から撮ることは、最初から考慮していない。また、断崖に立っていることが多く、敷地も狭い。したがって、ヒキが浅くなり、左右からの撮影も難しい。となれば、正面しかない。しかしこれとて、敷地が広くて、灯台との距離がある程度取れればの話である。あとは、灯台の立っている岬の両側に、浜辺や山などがある場合、遠目ながらも、この横から見た位置取りが有効な場合もある。要するに、灯台は、きれいに撮れる場所が非常に限られているわけだ。

 ちなみに、最近はやりの<ドローン>での撮影なら、これらの制約を越えて、これまで人間が見たことのない灯台の景色が見られるはずだ。だが、ドローンを操作して、空中から灯台を撮影するという技術は、生きているあいだに習得できそうもない。いや、その気もない。今のところ、ドローン撮影は、写真とは別物と考えて、その長所短所に関しても口を慎もう。

 話を戻そう。撮影ポイントは二か所しかないと書いた。一つ目は正面から、二つ目は西側の浜辺、というか浜辺沿いの道からだろう。そこから撮影したであろう画像の何枚かは、頭に入っている。ただし、運良く、その場所を見つけられたとしても、空の様子、明かりの具合が問題になる。チョロっと行って、ベストの写真が撮れるほど風景写真は甘くない。

 撮りながら、歩き始めた。はじめの一枚目は、七時三十九分だった。日が昇り始めていて、逆光だ。写真というよりはスナップだな。駐車場の下は、船溜まりのような感じになっていた。釣りをしている人がたくさんいる。小型の遊覧船も止まっている。灯台への入り口はすぐに見つかった。神社の参道と並行している薄暗い道だ。少し登り坂。目の先に、樹木などに両脇を挟まれた、白い灯台が見えた。

 ゆっくり登っていくと、左手から人の声。植え込みの間から、神社の社が見える。何やら、おしゃべりしながら境内を掃除している年寄りたちだ。いま思えば、日曜日の朝だった。神社の清掃の日なのだろう。灯台の正面に出た。見上げるほど巨大。だが、近すぎる。フォルムの全体像が見えない。案内板を見た。三浦半島の観音埼灯台とペアの灯台で、東京湾の入り口を房総半島側から照らしている。設計者も同じでフランス人の<ヴェルニー>だった。

 なるほど、どおりで形が似ている。どちらも、八角形の背の高い立派な灯台で、灯台50選にも選ばれている。ちなみに、観音埼灯台が、わが国最初の洋式灯台で、野島埼灯台は二番目らしい。もっとも、両方とも、初代は関東大震災で倒壊している。いまある灯台は、震災後に再建されたらしい。ま、それにしても、およそ百年近くたっているわけだ。

 <ヴェルニー>の設計した、初代の灯台は、白い煉瓦製の八角形だったらしい。したがって、いま現在の灯台は、そのフォルムを継承したのだろう。だが、二代目の設計者の名前が、容易にネット検索できない。よく調べれば、出てくるだろう。なにせ、百年たっても健在、なおかつ、美しい灯台の設計者なのだ。たぶん、名のある人なのだろう。こちらが知らないだけだ。

 時計を見た。まだ八時前だった。休日は八時半から、平日は九時から灯台に登れる、と案内板にある。まだ早い。後でもう一度寄ろうか、どうしようか、ちょっと迷った。というのも、一つは体力的なことだ。つまり、灯台内部の急な螺旋階段を登るのが億劫に感じた。二つ目は、たとえ上に上がったところで、確かに眺めはいいのだろうが、それだけだ。これまでの経験で多少利口になっている。灯台の写真を撮ることが目的で、灯台見物は二の次だろう。

 灯台に背を向けた。坂を下りて行くと、左側に階段があった。なるほど、いま来た道を戻る必要はない。ここを下れば、灯台前の広場に出られるわけだ。ちなみに、野島埼灯台は、海っぺりの断崖に立っているのではない。断崖の上ではあるが、その下は海ではなく、おそらく岩場をうまく利用したのだろう、遊歩道や彫刻作品などが設置された、芝生のきれいな公園になっている。つまり、海を背にして、かなりの距離を取って灯台を見ることができる。珍しいロケーションだ。

 灯台の背後には海がある、という概念がかるく裏切られた。背後には山が見える。しかし、どうも、灯台と山の取り合わせが、ピンとこない。アンマッチな気がする。お互い背の高い者同士だからね。とはいえ、灯台の背後には海が広がっている、という勝手な思い込み、幻想によって、目が曇っているのかもしれない。山並に突き出ている白い灯台も、美しいではないか。

 ところで、日曜日の朝、ということを忘れていた。ぼちぼち人が出てきた。観光客だ。面倒なので、どのような人たちなのか、いちいち見なかった。若い人もいれば年寄りもいた、とだけ言っておこう。それよりも、こちらの関心は、撮影ポイントに関することだ。灯台の前が広々とした公園なので、ベストポイントを探し出すためには、辺り一面くまなく歩き回らなければならない。より正確に言うと、灯台を中心点にした、大きさの違ういくつかの同心円の円周上を渡り歩きながら、一番絵面のいい地点を探すのだ。その一点がベストポイント、というわけだ。

 ま、この作業は、嫌いではない。むしろ、写真撮影の中では、楽しい部類に入る。何しろ、自分の感覚と感性だけで、任意の一点を探し出すのだから、いわば<宝探し>に似ていないこともない。もっとも、多少の経験があるので、雲をつかむような話でもない。今回も、さほど苦労はせずに、ベストではなく、ベターな場所を見つけた。つまり、灯台が垂直に見え、なおかつ天地も水平になっている場所だ。

 問題は、灯台の周りにある構造物とか、手前の芝生広場にある、彫刻とか記念碑とかベンチなどだ。要するに、目障りなわけだ。それらのものが、なるべく目立たないようにするには、カメラの画角を狭めるという手がある。ただし、狭め過ぎてもよくない。灯台だけをクローズアップしても面白くないのだ。心づもりしているのは、<灯台の見える風景>あるいは<灯台のある風景>というコンセプトではない。灯台が風景の中で屹立している感じが好きなのだ。灯台を際立てたいのだ。

 極端なことを言えば、灯台周りには、海と空だけでいい。ところがそうはいかない。周りにいろいろなものがある。だから、こちらにできることは、なるべくそれらの物体を目立たなくすることだけだ。ま、ある意味、それが写真の面白さでもある。とにかく、ベターな地点は見つけたので、今度は、その範囲内で、ベストな地点を見つけようとした。

 その場で<回れ右>をして、灯台に背を向けた。後退していく方向を確かめた。遊歩道を踏み越えると、一段と高い岩場がある。そのてっぺんに、白い塗装の剥げたひじ掛けベンチがひとつ、海に向かっている。房総半島最南端<朝日と夕日が見えるベンチ>だそうで、灯台より人気がある。なんと、観光客が数珠なりだ。

 なるほど、あの小高い岩場のベンチが、ベストポイントなんだな。いま一度<回れ右>をして、灯台を見た。そのまま、少しずつ後退しながら撮った。芝生広場の縁を回っている遊歩道に到着。うしろでは、ベンチに座ろうとしている観光客が、岩場の上に斜めに立って、並んでいる。写真は無理だな。あきらめて、目の前の黒光りしているモニュメントなどを、ちらっと眺めて、海沿いの遊歩道を歩き始めた。

 ベターな地点からは、はずれてしまった。だが一応、灯台が見える地点でのスナップは続けた。しかし、だんだん灯台から離れ行く。断崖の木立で灯台そのものが見えない。遊歩道がどこまで続くのか、少し気になったものの、引き返した。と、脇に入る道がある。五、六歩踏みこむと、何やら建物がある。看板に<白浜海洋美術館>とあった。伸びあがって、奥の方を見る。普通の民家のような感じ、しかもシーンとしている。

 そっちには行かないで、さらに踏み込んでいくと、芝生の何もない広場に出た。人の気配がしない。日当たりのいい、お屋敷の庭のような雰囲気だ。私有地に迷い込んでしまったかのような、バツの悪さを感じた。早々にいま来た遊歩道に戻った。

 たしか、遊歩道の柵沿いで休憩したような気がする。給水、着替えだ。日向だが、さほど暑くもなく、日射も厳しくなかった。そうだ、照ったり陰ったりの天気だった。おりしも、雲間から太陽が出てきた。柵に尻を押し付けながら、目の前の真っ白な灯台を撮った。空はきれいに撮れたものの、遠近感がなく、満足できる写真ではなかった。

 カメラバックを背負った。ぶらぶら歩いていま来た道を戻った。岩場のベンチ付近には、さらに人影が増えた。また曇ってきた。それでも、灯台の垂直が感じられる間は、歩きながら写真を撮ったような気がする。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#4

休憩・移動~洲崎灯台・船形漁港

灯台横の芝生広場に戻ってきた。東屋に人影はなかった。休憩しよう。広さ的には六畳くらいあるものの、縁の腰掛の幅が狭い。横になることは不可能だ。というのも、少し眠い。時間は、九時半ころだったと思う。上半身裸になって、ロンTを二枚、腰高の仕切り壁に干した。裸足になり、浅く腰かけた。足を投げ出し、目をつぶった。頭の上の方で、ぴ~ひょろひょろと聞こえた。トンビかなと思った。

 ほんの数分で、姿勢を変えた。どうも座りがよくない。とてもじゃないが、眠れるような場所じゃない。でも、せめて、あと三十分くらいは、休んでいよう。これからの予定を考えた。房総半島の先端を海沿いに西へ移動。洲埼(すのさき)灯台へ行く。時間はここから三十分くらい。そのあとは、北上。また三十分くらい走って、船形平島灯台を撮りに行く。一通り撮り終えたら、すぐ戻ってくる。一時間ほどかかるだろう。野島埼灯台に戻って、海沿いの道を東へ走る。二十分ほどで安房白浜灯台に到着。明かりの具合がよければ、落日まで粘る。盛りだくさんだ。予定通りに行動できるだろうか。

 とここまで考えて、頭も体もしゃんとしてきた。さほど暑くないことが幸いしていた。午前三時から動き出しているにもかかわらず、体力的にも、気力的にも、まだ全然大丈夫だった。身支度をしていると、観光客が二組、東屋にやってきた。ちらっと見た。老年の夫婦連れに、親子だろうか女性の二人連れ。人間には全く興味がなくて、印象が薄い。ただ、去り際に振り返ると、女性二人連れの若い方が、腰掛に二十センチくらいの人形を置いて、スマホで撮影している。やはり娘だったのか。一人前の女性に見えたが、無邪気なもんだ。

 車に戻った。ナビを洲埼(すのさき)灯台にセットして、海沿いの道<房総フラワーライン>を走った。たしかに、道の両側にオレンジや黄色のマリーゴールドが植えてある。背の高い椰子の木も見えた。ま、それよりも目についたのは、ところどこにあった、深紅のカンナだった。気持ちのいい道だ。と、ナビに促されて、左折。マップシュミレーションで見た光景が広がった。もう着いたのか、という感じだった。

 左折するとすぐ左手に、公衆便所がある。比較的きれいで、駐車スペースも二台分ある。黒い軽のバンが止まっている。運転手はいない。用を足して、ふと見ると、岬の上に灯台が見える。車からカメラを取りだして、何枚か撮る。写真的にはイマイチだな。

 民家が立ち並ぶ狭い道をさらに行く。<灯台下駐車場>の看板。¥200らしい。灯台入口の脇に商店がある。私設駐車場の管理者だろう。手前の駐車場がいっぱいなので、奥の商店母屋の庭のようなところに車を止めた。なぜか、住宅の工事をしている、その前だ。

 商店の主らしき爺さんが出てきた。自分の後に、駐車場に入って来た車に、なにやら止め方の指図をしている。かまわず、窓から、¥200を手渡した。愛想が悪いというほどでもない。車から出た。望遠カメラ、三脚は置いていくことにした。灯台の敷地が狭いことは下調べしてあった。カメラ一台を首から下げて、いざ出発。

 商店横の階段を登った。登り始めてすぐに、商店母屋の屋根の上に、ブルーの土嚢がたくさん置いてあるのが見えた。ちょっとピンとこなかった。両脇は木立、だが、すぐに灯台が見えた。と、上の方に何人か、階段で待機している。要するに、すれ違い出来ないので、自分のことを待ってくれているわけだ。脇を通る際<すいません>と声をかけた。

 灯台の敷地に入った。目の前に灯台がある。その横、というか前をすり抜けると、ちょっとした広場になる。緑の芝生が鮮やかだ。もっとも、さほど広くはない。かろうじて、灯台が写真の画面におさまるくらいの広さだ。それよりも、予想以上に人が多い。たしかに、西側以外は、ぐるっと海に囲まれていて、展望はいい。それに日曜日ということもある。だが、これほどまでに観光客が絶えないのは、なぜなのか。ちょっと首をかしげた。

 敷地の端に、二畳ほどの木製バルコニーがある。方角の案内板も設置されている。灯台見物に来た人は、必ず、そこに上がって、周りを見回す。バルコニーは広場をはさんで灯台と正対している。記念写真を撮るにはよい場所だ。自分も最初は、そこで撮った。だが、行き帰りの観光客が、灯台の前で長居する。おちおち撮っていられない。狭いバルコニーをいつまでも占拠しているわけにもいかず、しかたなく、ほかの観光客に場所を譲った。

 洲埼灯台と、先日行った剱埼灯台はペア灯台らしい。つまり、東京湾の入り口を、それぞれ房総半島と三浦半島から照らしているわけだ。頭の中で関東地方の地図を思い浮かべた。なるほどと思った。だが、現地では、どうも方向がよくわからなかった。バルコニーの方角案内板で富士山の方向を確かめた。目を凝らすと、何やらそれらしいものが見えた。いや、雲だったのかもしれない。ま、とにかく、富士山が見えるということは、こっちが西側かな?なんだか、ますますわからなくなった。

 相変わらず、観光客は絶え間ない。ほとんどのみなさんが、長時間の滞在はしないのだけれど、あとからあとからなので、まったく撮影にならない。空模様もイマイチで、陰る時間帯の方が多い。撮影画像で、滞在時間を調べたら、それでも四十分くらい居たことになる。まあ~、粘った方だ。明日もあるということで、灯台を後にした。

 階段を下ったときに、また、屋根の上のブルーの土嚢袋が目に入った。・・・昨年の台風で被害を受けたのだ。それが、一年近くたっても修繕されず、応急処置のままなのだろう。経済的な問題なのか、それとも修理業者が足りないのか、いずれにしても、また台風の季節になる。自分だったら、気が気ではない。

 駐車場に戻った。依然として、あとからあとから、観光客が来る。ちょっと走って、さっき寄った公衆トイレの駐車場に車を止め、用を足した。ナビを船形平島灯台にセットして、また走りだした。道は、一応<房総フラワーライン>なのだが、民家が立て込んできて、さほどよろしくない。ただし、左手が海岸なので、見通しはいい。

 そのうち館山の市街地に入った。海岸沿いの道に広い駐車場がいくつもある。観光地になっている。館山の駅にも近いようだ。波が穏やかなので、サーフィンではなく、ジェットスキーのスポットらしい。それ用のトレーラーをくっ付けている車が多い。ナビの画面から推測して、左カーブしている砂浜の向こうに、目指す灯台がありそうだ。

 にぎやか場所を通り過ぎると、じきに<船形>の信号。左折して、漁港に入って行った。ナビの案内はここで終了。ゆっくり走りながら、漁港の中を覗きこんだ。比較的広々していて、人影はない。立ち入り禁止の看板もなく、ロープも張っていない。小山になった巻き網が、係船岸壁沿いに並んでいる。その手前に、車が何台か距離をあけて止まっている。釣り人の車だろう。大丈夫そうだ。空いているところに、適当に車を止めて、外に出た。

 撮影画像で確認したところ、船形漁港の防波堤灯台を撮り始めたのは、十二時ころだった。雲は多いものの、日ざしはあった。ただ、トップライトの、逆光になっていて、写真的には、きれいに撮れない。時間がよくないな。だが、日が傾くまで待つわけにもいかない。頭の中で、明日の予定を算段した。もう少し早い時間に来れば、今日よりはきれいに撮れるかもしれない。

 撮るのをあっさり諦めた。戻ろう。引き上げ際に、漁港の右端にある、二本の大きなクレーンが目にとまった。造船所なのか。なぜかそこだけが青空だった。寂れかけた感じがいい。迷わず、一枚だけ撮った。

 ちなみに、正式には、海に向かって左側の、真ん中のくびれた赤い方が、船形港東防波堤灯台、右側の角張った白い方が船形港西灯台だった。だがこの時、何を勘違いしていたのか、赤い方の防波堤灯台を船形平島灯台だと思い込んでいた。あとで勘違いに気づいて、がっくりした。そういえば、学校のテストでも、同じようなことをよくしていた。思い込みが強くて、失敗したり、痛い目を見たことが、思えば、多々あったような気がする。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#5

移動~安房白浜港灯台撮影1   

 車に戻った。ナビを野島埼灯台にセットした。復路は<房総フラワーライン>を通らず、館山の市街地を突っ切り、山越えの道を選んだ。ナビの指示だ。野島埼―洲埼―船形と、来るときは、三角形の二辺を走り、戻りは、残りの船形―野島埼の一辺を走ったことになる。当然距離は短くなり、時間もかからなかった。ただし、見通しのない退屈な道だ。朝来た時に一度走っているから、なおさらそう感じたのかもしれない。

 道を下りきったところの信号を右折すると、セブンイレブンが見えた。野島埼灯台の周辺に、コンビニはここしかない。来る前にグーグルマップで下見済みだ。まだ午後の一時台だったようだ。少し気が早いと思ったものの、夕食などの食料を買い込んだ。おにぎり三個、内一個は赤飯握り。あとは菓子パン類二個、500mmパック牛乳。それに唐揚げ。

 唐揚げは、レジのおじさん、というか爺さんに、いくつですかと聞かれた。二つ、と答えると、爺さんが揚げ物のケースを見て、おたおたしている。と、そばにいたおばさんが、すかさず、ちょっと待ってくれればすぐに用意します、とこちらに顔を向けた。爺さんも、一瞬、おばさんの方を見た。それから向き直り、商品のレジ打ち?を始めた。その手つきが、頼りない。あきらかに、間違えまいと努力している。入ったばかりのアルバイトだろう。

 店内は、日曜日の昼時だからか、意外に混んでいた。レジは三つあり、次から次へと客が並んだ。すぐに、おばさんから、爺さんへと箱入りの唐揚げが手渡された。爺さんは<唐揚げ、五個>と言いながら、目の前のレジ画面を慎重に指で触れた。可もなく不可もなく、会社を定年まで勤め上げたのだろうか。物腰の柔らかい、少し禿げ上がった、白髪頭の爺さんだった。

 はやっているコンビニには、さっきのような、テキパキおばさんがいることが多いような気がする。アルバイトの学生や若い女性、それに外国籍の店員などの、不愛想なレジ応対に慣れているので、こういう店に入ると、なにか、得をしたような気がする。おそらく、誰しもが感じていることで、はやっている店には、それなりの理由があるのだ。車を走らせながら、ふと思った。

 野島埼灯台の、道沿いの駐車場に着いた。あれま、満車だ。ほかに駐車場はない。となれば、灯台前の一方通行のロータリーに路駐するほかない。なるほど、土産物屋などの店先に、ぐるっと車が止まっている。どれどれ、とゆっくり走っていく。さいわい、ロータリーの出口付近に、一台だけ止めるスペースがあった。

 車から出た。雲の多い空模様ではあるが、ちょうど、陽が差してきた。暑かった。遊歩道を歩きながら、見上げるような感じで灯台を撮った。ベストポジションの<朝日と夕日が見えるベンチ>の辺りは、やや混雑している。観光客が多い。じっくり写真を撮るような雰囲気じゃない。早々に引き上げ。午後の二時ちょっと前だったようだ。

 さてと、本日最後の撮影場所、安房白浜港灯台にナビをセットした。海沿いの道を十五分も走れば着くだろう。走り始めるとすぐ、目の前に、赤い小さな防波堤灯台が見えた。何やら、漁港の奥だ。時間もまだ早い。見に行こう。係船岸壁をゆるゆる走る。片側にずらっと車が駐車している。見ると、正面は行き止まり。車列の空いているところに車を止めて、外に出た。

 何やら、奥が深い。岸壁が広がっている。釣り場になっているらしく、釣り人がかなりいる。右手の、やや高い堤防に、踏み石を利用して登りあがった。堤防を歩いて、赤い防波堤灯台に近づいた。突端に、釣り人が何人もいる。なんとなく、そばまで行く気になれず、少し手前で止まって、何枚か撮った。赤い防波堤灯台は、海の中の防波堤に立っていた。その防波堤は波消しブロックにがっちり守られている。歩いて行くことはできない。だが、全体のロケーションがイマイチで、見えている灯台の形にも、さほど魅力を感じなかった。正式の名前は、乙浜港南防波堤灯台、今調べた。

引き返した。車に乗った。漁港を出て右折。すぐ左手に、今日と明日泊まるホテルが見えた。さあ、ここからが問題で、次に行く安房白浜港灯台の付近には、駐車スペースがない。下調べした段階では、片側一車線のさして広くない、海沿いの道路に路駐するか、あるいは、砂浜沿いの道なき道を行くか、の二つだ。しかも、その道なき道の先が、どのような状態なのか、グーグルマップでは確認できない。

 どうしようか、と思っているうちに、マップシュミレーションした光景が広がってきた。やはり、路駐は気が進まない。気になって、じっくり撮影ができない。と、右手に浜へと入る道。あわてて右折。悪路に入る。すぐに突き当り。木立があって海への視界はさえぎられている。灯台は右方向。そろそろ行くと、左手に海が見えた。道が少し広くなっていて、車が三台止まっている。人影はない。釣りに来ているのだろう。そんなことより、スペースがいっぱいで、止められない。

 前に進むしかないだろう。いざという時は、バックで戻ってくればいい。ガタガタの水たまりの悪路を行く。タイヤまわりが汚れることが少し気になった。だが、今はそんなことにこだわっている時ではない。と、家が数軒見えた。こんなところになんで?と思いながら、ゆっくり脇を通り過ぎる。人影はない。悪路はさらに細くなる。停止してちょっと考えた。別荘だな。いや、それよりも、この先は無理だろう。道が細すぎる。それに、悪路が極まっている。

 道の真ん中に車を止めて、外に出た。お目当ての灯台が、海辺に見えた。見ると、悪路の左側に少し広くなったところがある。車一台分くらいはある。シカとしてここにぶっ止めようか。あたりの様子をうかがった。要するに、どん詰まりの別荘地だったのだ。悪路にT字する形で、右手に道があり、その両側に家が建っている。伸びあがってみると、どうやら、その道も行き止まり。さっき通った海沿いの道路には抜けられない。

 別荘の私道が砂浜沿いの悪路にぶつかるところが、少し広くなっている。おそらく、車の切り返しのためだろう、だとすれば、駐車はまずいだろう。と思ったが、辺りに人の気配は全くない。五、六軒ある別荘の雨戸はみな閉ざされている。物騒だな、コロナの影響かな、そんなことはどうでもいい。車を脇に寄せた。一、二回、切り返し、寄せるだけ寄せた。これなら、万が一にも、ほかの車が来ても通れるだろう。撮影中に、クラクションを鳴らされるほど、嫌なことはない。

 カメラバックは車に置いていこう。軽い方のカメラを首にかけ、悪路を歩き始めた。凸凹、深い水たまり、その上、車一台通るのがやっと、こんな道はできれば走りたくない。もっとも、以前乗っていたジムニーなら、迷わず突っ込んでいっただろう。ただし、高速を走ってここまで来ることはできない。やっぱ、<軽>じゃ高速は無理だよな。いや、無理ではないが、疲労感がひどい。と、視界が開けた。行き止まりではあるが、少し広くなっている。Uターンできるかもしれない。なあ~んだと思った。

 海の方へ向き直った。なるほど、波打ち際の岩場に、その灯台はポツンと立っていた。中ほどやや上が少しくびれた、<とっくり>に形が似ていないこともない。優しいフォルムだ。それにロケーションは最高。ただし、空の様子がよろしくない。ところどころに青空はあるものも、全体的には曇りで、暗い。とくに、灯台の背景は鉛色の曇り空だ。だが、ここまで来た以上、晴れていようが、曇っていようが、撮るしかないのだ。

 滑って転ばないように、慎重に岩場に上がった。岩場は、非常に複雑な形をしていた。単に凸凹だけでない。ノコギリの歯を横に並べた感じだ。幾層にも重なる、その歯の上を飛び歩きしながら、灯台に近づいていった。灯台は、陸続きの岩場ではなく、海の中の岩場に立っている。むろん、岩場の最先端まで行った。目の前は海だ。これ以上は近寄れない。灯台の扉が正面に見える。この位置がベストポジションのような気もした。

 しかし、わからんだろう?灯台を中心点にして、右へ、左へと、ノコギリの歯の上を移動した。ただし、深追い?はしなかった。というのも、明かりの具合がよろしくない。背景も鉛色の空だ。きれいに撮れているはずがない。まだ、三時過ぎだったが、明日の天気に期待しようと思った。早めにホテルに入って、温泉にでも入ろう。何しろ、今日は、朝の三時から動きまわっているんだ。岩場から上がった。今一度、行き止まりの広さを目で確認した。ま、ここなら、Uターンできそうだ。

 水たまりを避けながら、悪路を歩き出した。脇に、オレンジ色のユリのような花が数本、浜風に揺れている。カンゾウだと思う。その場にしゃがみこんで、お花たちを画面に入れた。灯台とお花のマッチングに、いつもながら心が和んだ。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#6 ホテル 

 車に戻った。何回か切り返して、Uターンした。海沿いの悪路を戻った。依然として、車が道沿いに三台止まっている。人影はない。雲が厚く、うす暗い。だが、時間はまだ三時過ぎだった。

 宿にはすぐ着いた。十階建ての白いホテルで、外観はまずまず。駐車場も空いていた。トートバックに、着替え、食料、水、洗面用具などを入れた。カメラバックを背負い、重いトードバックを肩にかけた。入り口で、手の消毒を促され、手首で検温を受けた。初老の男性だ。受付カウンターでは、これまた初老の女性から、丁寧な説明を受けた。そのあと、コロナ関連の書面に署名した。その際、身分証の提示を求められた。何の疑問も持たないで、免許証を財布から出して渡した。料金は、と聞くと、チェックアウトの時だという。あれっと思った。というのも、これまで泊まったホテルは、すべて前金だった。いま思えば、身分証の提示を求められたのも、今回が初めてだった。なるほどね、無銭宿泊はできないのだ。

お掃除はどうしますか、と聞かれたので、しなくていいと答えた。ありがとうございます、と受付の女性が小声で言った。そして、タオルや浴衣などは、廊下に出しておいてください、と付け加えた。さらに、浴衣はそこの棚にありますから、好きなものを持って行って下さい。ふ~ん、促す方向を見た。大きな棚だ。受付を終えて、壁際の棚の前へ行った。柄やサイズの違った浴衣が、整然と収納されている。Lサイズの青っぽい柄の浴衣を選んだ。帯は部屋にあるそうだ。

 そうそう、鍵は、細長いプラについた奴だった。エレベーターに乗った。張り紙がしてあった。ひとグループずつで乗りましょう、だったかな、内容的には間違いないと思う。少し感心した。たしかに狭いエレベーターで、赤の他人との同乗は、よろしくない。<三蜜>を避ける、ホテル側の対策だ。九階で降りた。さほど広くもないフロアーなのに、部屋の場所がわからず、少しうろうろした。ま、いい。

 部屋に入った。和室だ。ホテルというよりは安旅館の雰囲気だ。調度品なども古い。だが、埃だらけということもなく、そこそこに、掃除はしてあった。臭いもない。値段相応だ。とはいえ、いわゆる<オーシャンビュー>で、窓からの眺めは良かった。しかも、ちょっと前に撮った。乙浜漁港の赤い防波堤灯台が、豆粒大に見える。いまは曇り空だが、天気予報では、四時過ぎから夕方にかけて晴れマークがついている。方向的にも、ちょうど真正面に日が沈む感じだ。部屋の中から、ラクして夕陽が撮れるかもしれない。少し楽しい気分になった。

狭いユニットバスの洗面台で、手の甲と顔を、備え付けのボディーソープで念入りに洗った。日焼け止めがなかなか落ちないような気がしたのだ。そのあと、衣服を脱ぎ、一応、クローゼット?にあった木のハンガーにかけ、鴨居につるした。いや、その前に押し入れから、敷布団と掛布団と枕を出したのかもしれない。座卓を少し移動して、敷布団には洗い立ての敷布をかけ、テレビの前で寝られるようにした。服を脱いだのも、顔を洗う前だったかもしれない。いまとなっては、もう思いだすことができない。

 ま、とにかく、浴衣に着替えて、念のため、備え付けの金庫に、財布などの入っているポーチを入れて鍵をかけた。金庫の鍵は、部屋の鍵と一緒に細長いプラ棒についていた。エレベーターに乗り<B>のボタンを押した。地下一階が温泉なのだ。ところが、ささやかな期待は、すぐに裏切られた。脱衣所が狭い。人がいっぱい居た。のみならず、湯船も洗い場も狭い。そこにも人がいっぱい居た。

 少し距離を取りながら、湯船につかっていると、同僚なのか仲間なのか、至近距離で日焼けした男たちが話をしている。長居しないで、さっと出た。ところが、不幸は重なるもので、浴衣を入れたロッカーの鍵が開かなくなる。あたふたしていると、あとから来た男に、早くどけといわんばかりの、無言の圧力をかけられた。少し脇によって、男と小さな娘をやり過ごし、また、調子の悪い、小さなロッカーのカギをいじくった。さいわい、なぜか、鍵はあいた。一瞬、脱衣場に電話などないし、素っ裸なのに、どうしようかと途方にくれた。ま、よかった!

早々に部屋に戻った。おそらく、テレビをつけ、脇に寄せた座卓の上で、ノンアルビールを飲み、おにぎりと唐揚げを食べたのだ。唐揚げはまだ、少し暖かくてうまかった。そうそう、この宿の冷蔵庫は、型は古いが効き目はよかった。というか、部屋に入った際に、冷蔵庫の温度を<10>にしておいたのだ。ビールは保冷剤入りのバックに入れて来たから、それだけでも冷えていたのに、さらに冷蔵庫で冷やされ、おかげで、自宅で飲むような冷たさになっていた。うまかったと思う。

 メモによると、もっとも今回は<メモ>ですらない走り書きだが、午後四時にホテルに到着したことになっている。だが、窓から望遠で撮った写真の時刻が、17時になっていた。到着して、受付、部屋に入って着替え洗顔、カスタマイズ?温泉、食事。ま~、これだけのことを一時間でやってのけたとは到底思えない。そうだ、食事の途中で、漁港が夕陽に染め上げられたので、写真を撮ったのかもしれない。とはいえ、手持ち望遠で、ピントが危うい。一枚だけ撮ってすぐにあきらめ、また食事を続けた。これなら話が合う。いや、おそらくそうだったのだろう。その際、横着して三脚をもって部屋に入らなかったことを、少し後悔したのを覚えている。

 その後、食事を終え、撮影画像のモニターをした、と思う。だが、そのうち、六時ころ、少し寝てしまった。さすがに、朝の三時から動き回っていたのだから、疲れたのだろう。とはいえ、八時ころに起きて、持参したお菓子などを食べたような気がする。もっともまたすぐ、寝てしまった。

 夜中に、何回か、トイレに起きたはずだ。その際、窓の外の夜景を見た。右半分は海で真っ暗。ただし、赤いランプが三つ点滅している。うち一つは、間隔が短く、しかも光量が強い。すぐ近くの防波堤に設置されているのだろう。ただし、防波堤灯台でない。なぜなら、いま窓から見える範囲にある防波堤灯台は、乙浜漁港の、海の中の赤い防波堤灯台だけだからである。眼下の海っぺりは今日の午後、この目で見て回ったのだ。

 その、手前の光量の強い赤い点滅と、その奥の、やや小さな赤い点滅の間に、鮮やかな緑が点滅している。最近仕入れた知識が役になった。すなわち、防波堤灯台の陸へ向かって右側の赤い灯台は、赤い光を点滅し、左側の白い灯台は緑の光を点滅する。つまり、奥の赤い点滅は、乙浜防波堤灯台に間違いない。とはいえ、緑の点滅は、何なのだ?それらしき灯台は見当たらなかったが。もっとも、左奥には、もう一つ赤い点滅が見える。これも何なのか、よくわからない。

 ところで、いま一度、サッシ窓から見える夜景を見直した。右半分は暗い海、三つの赤い点滅と、一つの緑の点滅が見える。正面には、高層のマンションが建っている。階段や部屋の明かりが点々としている。明るい。ま、景観的には邪魔だが。左側は、おそらくは新興の住居地で、民家の光がまばら。その間をぬって生活道路の街灯が点々としている。さびしくもなく、にぎやかでもなく、普通の住居地の穏やかな夜景だ。

 要するに、正面、左半分は、さほど興味がないわけだ。重いサッシの窓を開けたのだろうか。少し冷たい海風、波音がはっきり聞こえる。視線を、暗い海に戻した。魅かれたのは、緑の点滅だ。これまで、一度も見たことない光景だった。しかも、その緑の意味を理解していた。むろん、その奥の、というか上の、赤い微かな点滅も気になった。真っ暗な海へ向かって、一晩中、ペアになって、赤と緑の点滅を繰り返すのだ。

 静かにサッシ窓を閉めた。遮光カーテンもしっかり閉めたと思う。朝日が眩しいはずだ。横になった。波音が微かに聞こえた。幸いなことに、物音はほとんどしなかった。いや、一度くらい、寝かかったときに、びくっとしたかもしれない。明日の予定を思った。七時ころまで寝ていようかな。七時起床、八時出発。波音が一段と高まった、ような気もする。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#7 野島埼灯台撮影2

 二日目

たしか、朝の五時か六時ころ、トイレに起きたついでに、窓へ行き、カーテンを少しめくって、外の景色を見たような気がする。曇り空で、朝日は見えない。ちょっとがっかりした。また横になり、すこしうとうとして、七時に起きた。洗面、食事、排便、身支度。朝食はブドウパンとあんパン、それに牛乳。ブドウパンはまずかった。一枚食べるのがやっと。排便、小、少し出た。八時ころに、エレベーターで下に下り、受付で、出かけてきますといって鍵を渡した。

 晴れマークがついているはずなのに、雲が多い。ナビを、洲埼灯台灯台にセットして出発した。途中、東側から野島埼灯台が撮れる場所に立ち寄った。道沿いに駐車場があり、公園のような感じになっている。昨日、横を通り過ぎた時に、目星をつけておいたのだ。遠目なので、望遠カメラも三脚も持った。朝から、ずっしり重かった。

 駐車場の向こうは海だった。手前が芝生広場で、浜辺沿いにちょっとした遊歩道がある。ベンチなども置かれている。灯台の垂直、正対という観点からして、なるべく、海にせり出した所がよい。見回すと、遊歩道は左へと、弓なりに続いている。その遊歩道の終点が何やら、展望スペースになっている感じ。柵もちゃんとある。まあ~、あそこしかないなと思った。迷わず歩き出した。

 時間は八時半ちょっと前だったようだ。行き止まりの展望スペースに着いた。脇に、大きな碑が立っていた。海難供養だと思う。正直言って、興味がなく、記念写真すら撮らなかった。それに、さしたる理由もなしに、朝っぱらから、供養碑にカメラを向けるのも、失礼だろう。重いカメラバッグをおろした。三脚を組み立て、柵の前に立てた。肩の高さほどの柵だった。望遠カメラを、彼方の野島岬に向けた。白い灯台が立っている。だが、雲が多い。日差しはほとんどない。全体的に暗い感じだ。スマホを取り出し、天気予報を見た。たしか、九時から晴れマークがついていた。日差しが出るまで、少し、粘ることにした。

 昨日の午後の撮影で、風が少し冷たかった。念のためにと、今朝は厚手のパーカを着こんでいる。辺りを見回した。一組か二組、朝の散歩だろう、老人とワンコが見えた。空は、ほぼ雲に覆われていた。写真的には、露出が足らない。暗い。でも、風はなく、静かだ。ファインダーを何度も覗きこみ、これしかないという構図を探しあて、陽射しを待った。その間、柵に肘をかけ、沖を眺めたりした。そういえば、待ちの撮影は、初回の犬吠埼旅以来だ。なんとなく、ほっとしたような気分だ。久しぶりに、撮り歩きの緊張から解放されたのだ。

 とはいえ、なかなか陽射しが来ない。やや焦れてきた。海を眺めるのにも飽きて、今度は陸の方を眺めた。砂浜沿いにホテルがあり、海沿いの道にも、大きなホテルが何軒か見える。そのうちの一軒は廃業している。そういえば、今回泊まっているホテルも、名前が変わっている。経営者が変わり、世慣れた、賃金の安い初老の従業員を雇ったのだろう。あり得ることだ。

 九時近くになった。ほんのすこし、陽が差し込んだ。だが、写真的には不十分だ。露出が足らない。今一度、空全体を見回した。雲が切れる気配はない。これ以上は無理だろう。ふと思って、スマホで明日の天気予報を見た。朝の八時、九時には曇りマークがついていた。今回は、東側からの写真は、あきらめるほかなかった。むろん、曇り空でもそれなりには撮れた。帰宅後の補正で何とかなるかもしれない。望遠カメラを三脚から外して、バックにしまった。

 駐車場に戻った。ちょっと先の、野島埼灯台に寄るつもりで車を出した。道沿いの、船溜に面した駐車場は空いていた。昨日は、日曜日だから混んでたんだ。外に出た。カメラ一台を首に掛け、軽装備で歩き出した。船溜の縁をぐるっと回る感じで、遊歩道に入った。遊覧船乗り場の脇を抜けると、赤い鳥居があり、飛び魚のモニュメントや、石の立派な案内板があった。観光気分で、一枚ずつスナップした。見ると、西の雲が切れて、ところどころに青空が見える。なんと、陽射しが出てきたのだ。

 野島埼灯台を、歩き撮りするコースはほぼ決まっていた。昨日、同じ場所を二度歩いている。だが、今日は人がいない。静かでいい。それに、何か、空の様子が不安定で、巨大な積乱雲が、灯台の背後にかかり始めた。ま、千載一遇のチャンスなわけで、ここぞとばかり撮りまくった。しかし、いくらもたたないうちに、どこからか、灰色の大きな雲が流れてきて、陽射しは遮られる。

 改めて思った。白い灯台に陽射しが当たるか、当たらないかは、灯台写真の良し悪しを決定する、と。ま、そのために、晴れた日を選んで撮りに来たのだ。まさに、原則に立ち戻って、陽が陰れば撮るのをやめ、陽が差せばまた撮るという、やや焦れったい<撮り歩き>をしながら、ベストポジションの岩場に登りあがった。

 昨日は行列のできた<朝日と夕日の見えるベンチ>に、一人、悠々と腰かけ、野島埼灯台を、心ゆくまで撮った。背後の雲の様子といい、陽の当たり具合といい、八角形の、真っ白な、背の高い灯台は、神々しく見えた。しかも、観光客は一人もいない。ベンチを早々に立ち去る必要はない。真っ青な、きらきら光る海をスナップしては、ため息をつき、また灯台に向かう。雲が流れて、空の様子が変わっている。

 二人用のベンチに、一人で腰かけていた。だが、寂しさは感じなかった。強がってはいない。360度見渡せる、絶景を独り占めしている。寂しいはずがないし、悲しいはずもない。なぜって、念願がかなっているじゃないか。すっからかんの自由だ。やるべきことからも、やらなければならないことからも解放されている。風と光と灯台と、海と空と無限大の眼差し。これだけで十分だろう。地球上の、ある一点に、今在ることを実感した。ここに来たこと、ここに居ることが、間違いでないと確信した。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#8 移動~洲埼灯台

 しかしながら、お決まりのことではあるが、幸せな時間は、長く続かなかった。遊歩道に、ガタイのいい男が現れた。一人だ。朝の散歩というか運動なのか?案内板などを気のない感じで見ている。<ベンチ>に座りたいのかなと思い、腰を浮かせた。だが、ガタイ男はこちらを振り向きもせず、また遊歩道を歩き始め、向こうへ行ってしまった。岩場の<ベンチ>を占拠して、どのくらいの時間がたっていたのだろうか。灯台も撮り、絶景も満喫し、哲学的思索?もした。潮時だな。引き上げ際に<ベンチ>の写真を丁寧にスナップした。

 岩場から降りようとしている時に、例のガタイ男が、消えた方向から再び現れた。そして、ちょうど下に降り立った時、案内板の辺りで鉢合わせになった。むろん、会釈などしない。互いにシカとだ。岩場に登るのかな、とちらっと様子を見た。かわいくない奴だ!男は無表情のまま立ち去った。くすんだ茶のスポーツウェアを着た、体格のいい男が一人、月曜日の観光地で朝の散歩をしている。男が、この時間に、なぜここに居るのか、直感できなかった。話をでっち上げることもできそうだが、それすら億劫だった。

 大きな雲が流れていた。不安定な空模様だ。遊歩道を駐車場へ向かって歩いた。何度か、歩きながら、灯台にカメラを向けた。<灯台は撮れた>と思っていたので、雑になった。真剣味に欠けていた。係船されている遊覧船を横眼でちらっと見た。むろん、客などいない。船長らしき爺が、所在ない感じでぶらぶらしている。爺の顔は、見事なほどに褐色だった。いかつい海の男、いや漁師の面構えだが、知性はまるで感じられなかった。

 車に戻る前に、脇にあった、公衆便所で用を足した。この便所では、何回も用を足した。むろん大ではなく小の方だ。汚くて、くさいのは、当たり前のこととして甘受していた。とはいえ、毎回使用するたびに目についたものがある。洗面台の横に立てかけられた、なかば破損している黒い安物の三脚だ。そいつは、昨日の朝もあり、今日の朝もある。毎日掃除をしているならば、片付けるだろう。あるいは、忘れ物だからと配慮して、あえてそのままにしているのだろうか?確かなことは、なにひとつわからない。だが、観光地の公衆便所に、破損した三脚が放置されていたことは事実だ。いや、ただちょっと気になっただけだ。

 駐車場に入った。何やら、おまわりが二人いる。車の下を覗きこんだりしている。黒い<ポルシェ>だ。隣にはベージュの<軽>が止まっている。それぞれ、若い男と若い女性がそばに立っている。一見して、事故だとわかった。たぶん、<軽>が<ポルシェ>に接触したのだろう。

 車をバックで出した。一人のおまわりが、目の前で、まだ<ポルシェ>の検分を続けている、Uターンして、別の出口から出てもいいわけだが、この時は、何となく、野次馬根性が出た。現場をよく見たかったのだ。車の進行方向に、おまわりが立ちはだかっている。いや、懸命に職務に励んでいる。<軽>のナンバープレート見た。<足立>ナンバーだった。<ポルシェ>の方は、ちょっと見えなかったような気もする。ただ、不愛想な表情で突っ立てる若い男は、いかにも金持ちの息子、といった感じだった。

 若い女性の方は顔面蒼白、おろおろしている。そばにもう一人のおまわりがいた。駐車場の通路の真ん中に車を停止して、ハンドルに腕をかけ、成り行きを見守っていた。じきに、女性とそばにいたおまわりが、この事態に気づき、検分を続けているおまわりに合図というか、目配せする。だが、検分おまわりは、気づいてか気づかないのか、無視している。

 気づかないはずない!通路で車が立ち往生しているのだ。それも自分が通路をふさいでいるがために。要するに、検分おまわりの言い分はこうだ。仕事中なんだ、Uターンして出て行け!ちょっとカチンときて、少し車を前進させた。目の前におまわりがいる。さすがに、検分君は、脇に寄った。ただし、すれ違いざまに、窓に顔を寄せ、睨みつけてきた。若い警察官だった。

 駐車場を出た。後味が悪かった。朝っぱらからの事故で、近くの駐在所からバイクで駆けつけた若い警官に、一瞬なりとも、腹を立てたのだ。むろん、警官にも落ち度はあるだろう。駐車場の通路で立ち往生している車に、何らかの指図をすべきだろう。ま、それにしても、年甲斐もないことをしたと反省した。

 見通しのいい<房総フラワーライン>を走った。車はほとんどいない。だが、気分は良くなかった。若いおまわりの権力的な態度、それから、<ポルシェ>の若い男の尊大な態度が思い出された。<ポルシェ>は大きく凹んではいなかった。ちょっとした擦り傷だろう。大げさなような気がしたし、何にもまして、若造が<ポルシェ>に乗っていることが気にくわなかった。いや、待てよ、父親から借りてきたということも考えられる。傷つけたら怒られる。物損事故扱いにして修理させようという腹なのか?

 もういいだろう。外の景色が目に入ってこなかった。気づいたら、洲埼灯台へと向かう分岐へ来ていた。右折して、昨日も寄った、多少きれいな公衆トイレの駐車場に車を止めた。用を足し、一息ついた。カメラを取りだし、道の方へ少し出て、岬の上にある白い灯台を撮った。背景に青空が広がっていた。とはいえ、構図的には、イマイチどころか、イマサンくらいで、写真にはならない。ま、記念写真だ。

 灯台下の駐車場へ行った。昨日とはうって変わって、車は一台も止まっていなかった。外に出た。カメラを一台首にかけた。駐車料金二百円を入れる木製の箱が、柱にかかっている。人の気配がしない。できることなら、所有者の爺さんに手渡したかった。階段脇の、商店の中を覗いた。し~んとしている。商店の脇には、ちゃっちい休憩所があった。その奥に続く、母屋の方を、伸びあがって見た。やはり人の気配はしない。金は帰りに払おう。用意した二個の百円玉をポケットにしまった。

 灯台へと向かう、狭い、暗い階段を登った。三階くらいの高さだから、息が切れることもない。それに軽装備だ。洲埼灯台には、誰もいなかった。月曜日の午前中に灯台観光する奴は居ないのだ。ベストポジションは、昨日下見している。といっても、敷地が狭いのだから、北東海側の仕切り壁の辺りしかない。したがって、問題は、いかにきれいに撮るかだ。幸い、背景には、青空が見える。といっても、全体的にはやや曇り空。照ったり陰ったりだ。誰もいないので、少し粘った。

 灯台の敷地は、南側と西側の展望がいい。海が見える。日が陰ると、灯台に背を向けて、海を眺めた。とくに、西側がいい。案内板によれば、富士山が見えるはずだ。その方向にじっと目を凝らす。と、何やら、それらしきものが見える。ダメもとで、一枚スナップした。その間、灯台には、二組の観光客がやってきたと思う。一組は老年の夫婦。この方たちは、ひととおり、静かに景観を眺めて、帰って行った。

 もう一組は、おそらく学生だと思う。ダサい感じの四人組。彼らは、かなり長居した。おしゃべりは、ま、致し方ない。閉口したのは、<コーラス>だった!木製の展望デッキに上がってきて、自分は、すぐ横の仕切り壁に寄りかかり、海を見ていたのだが、リーダーっぽい奴が、何を血迷ったのか、いきなり歌を歌い出した。一節歌うと、続けて、周りの連中がハモリ始めた。それが、結構長い。黒人霊歌とかブルースならまだしも、いわゆる学生の<コーラス>曲で、聞いていると背中が痒くなるやつだ。

 しかも、あきらかに、そばに人がいるのを意識している。否応なしに聞かされたこっちは、たまったもんじゃない。その、なんというか、これ見よがしの態度に、イラっとした。振りむきもせず、そばを離れて、完全無視を貫いた。ま、<コーラス>は、下手ではなかった。名の知れた大学の合唱サークルにでも入っているのだろう。それにしても、男四人で灯台見物とは、あきれたもんだ。そんなんだから、彼女ができないんだよ。ま、余計なお世話だな。

 海に向かって、みんなで一曲ハモッて、気分がよくなったのだろうか。歌い出した奴が、皆に、<行きますか>と促した。なんだか、その言葉遣いにすらイラっとした。そばにいたサングラスのおじさんが、君たちの<コーラス>をどんな思いで聞いていたか、少しは考えた方がいい。だが、おそらく、彼らは他人の思惑など歯牙にもかけず、自信満々、堂々と人生を歩んでいくのだろう。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#9 船形平島灯台撮影

 なんだか、気分が白けてしまった。依然として、照ったり陰ったりの空模様。これ以上粘ったところで、同じだ。それに、この後がある。時計を見たと思う。まだ十一時だった。これから三十分走って、次なる灯台、すなわち、昨日ポカして撮り損ねた船形平島灯台へ行くのだ。

 灯台を後にした。狭い、暗い階段を下りた。今日も、屋根のブルーの土嚢が目に入った。ちょっと立ち止まって、母屋の方をうかがった。三、四枚の、ぼろきれのような洗濯物が、風に揺れていた。人の気配はない。階段から降りて、念のために、もう一度商店の中を覗いてみた。薄暗い。誰もいない。駐車料金を入れる柱の箱をちらっと見た。パスすることにした。昨日払っているしな、と罪悪感をなだめた。

 走り出した。公衆トイレにまた寄って、用を足した。ふと、二百円払わなかったことを、すごく後悔した。いますぐ戻って、箱に入れよう、と思った。でも、実行しなかった。思い出したくもないが、似たようなことを何度もやってきたような気がする。カネのことじゃない。心の問題だ。駐車料金を踏み倒したのは、そのほんの一例なのだ。たかが二百円、されど二百円、か!

 あっという間に、館山の市街地に入った。平日の月曜日、昨日にぎやかだった海岸通りは閑散としていた。砂浜沿いの駐車場にも、ほとんど車が止まっていない。静かでいい。船形の信号をナビに従って左折した。漁港に入る手前を右折、左手の広々した係船岸壁をやり過ごし、少し行くと、視界が開けた。

ナビに指定した神社が道路際に見えた。左手には、腰高のコンクリ防潮堤が続いている。なんとまあ、都合のいいことに、道路の幅が広がっていて、防潮堤際に駐車できるようになっている。おそらく、これは、海の中の灯台を見るために造成されたのだろう。

 <船形平島灯台>。灯台本体は、例の特徴的な防波堤灯台の形だ。だが、そのロケーションが素晴らしい。海の中の岩場に立っている。しかも、陸からの距離が近い。ということはつまり、さほどの望遠でなくても、撮れるということだ。それに、夕日が、背後の海の中に落ちる。夕焼けの海に、シルエットになった岩場の灯台が浮かび上がる、という趣向だ。

 日没前から日没後まで、防潮堤際に車を止めて、その光景をじっくり狙えるスペースが確保されているのもうれしい。事実、そうして撮った写真を、ネットで見た。あわよくば、自分も撮りたいと思った。だが、今回はその心づもりができていない。今日の夕方は、白浜に戻って、安房白浜灯台を撮るのだ。次の機会だな。館山あたりに宿を取って、またゆっくり撮りに来るさ。

 さて、撮影開始だ。三脚に望遠カメラを装着した。防潮堤の縁を行ったり来たりしながら、ベストポジションを探った。しつこいようだが、問題は、灯台と水平線が、垂直に交わる地点を探すことだ。むろん、探せることができる範囲内でだが。はじめは、車を止めた真ん中辺で撮り、次に撮り歩きしながら、駐車スペースの右端まで行った。といっても五十メートルくらいか。だが、モニターすると、灯台が傾いている。あるいは、水平線が傾いでいる。

否応ない、三脚にデカいカメラを装着したまま、肩に担ぎ、右端から左端へ移動した。距離的には百メートルくらいか。駐車スペースの中ほどまで来た。防潮堤に並行に止まっている自分の車を見て、ちょっとの距離だが、このままバックして、左端に移動しようと思った。ま、暑かったということもあり、とりあえずは、車内で給水だ。と、黒いSUVがぴゅっと来て、その、今まさに自分が移動しようと思った左端に駐車した。ま、しょうがない。防潮堤沿いに、あまり近づきすぎない程度にバックした。

 車から三脚に装着したカメラを出した。と、黒のSUVから人が出てきた。上下グレーの地味な初老の男性だ。たしか、白髪だった。<撮影ですか>と十メートルくらい先から声をかけられた。感じは悪くなかった。意外であり、ちょっとどぎまぎした。海の中の灯台をちらっと見ながら、<あの灯台を>と答えた。そのあと、なぜか、言葉が出てこなかった。男性も、それ以上は声をかけてこなかった。そしてそのあと、すぐに車の中に引っこんでしまった。

 その場に三脚を立て、海の中の灯台を撮った。モニターしたが、まだ垂直が甘い。さらに、左端へ移動した。その際SUBのナンバーを見た。同じ埼玉の<大宮>だった。なるほど、ご同郷だったのね。SUBの横を通り過ぎた時、窓越しに気配をうかがった。し~んとしている。同乗者がいるのかも、定かでなかった。

 ちなみに、今回の旅で、唯一、話しかけられたのが、この男性だった。それもたった一言<撮影ですか>。これは会話になっていない。要するに、ホテルのフロント、あるいはコンビニでの会話は除外して、人間とほとんど話さなかったわけだ。ま、いつものことで、なんということもない。そもそも、人との出会いなど求めていないのだ。

 防潮堤の左端に来た。三脚を置いて、灯台にピントを合わせた。撮った画像をすぐにモニターした。灯台と海の、垂直・水平の関係は、先ほどより悪化していた。明らかに傾いている。ということは、さっきの場所が、ベストポジションということか。自分の車が止まっている辺りを目で確かめた。あそこだって傾いていた!補正できるのだろうか、心もとなかった。

 そうそう、明かりの具合と空の様子を記述するのを忘れていた。時間的には、お昼前後のトップライトで、全体的に、もあっとしていた。青空はなく、どんよりとした薄い雲に覆われている。写真的には、難しい感じだ。きれいには撮れていないだろう。もっとも、この<船形平島灯台>に関しては、さほど気落ちしなかった。次回、捲土重来して、美しい夕景を撮るつもりなのだ。

 三脚のカメラを左にふった。海の中の防波堤に、かわいい白い灯台が立っている。名前は、この時は知らなかった。昨日も、係船岸壁から撮っているが、見ている角度とロケーションが違う。今日の構図の方がはるかに良い。とはいえ、粘るほどの気持ちは出てこない。それに、雲行きがだんだん怪しくなってきた。引き上げよう。

 駐車スペースの左端に、黒のSUVはなかった。そのかわり、軽トラと軽が止まっていた。外で、中年の女性と遊び人風の漁師が立ち話をしていた。来た道を戻った。すぐ右折して係船岸壁に入った。釣り人の車はほとんどなかった。昨日は、赤と白の防波堤灯台を撮るのに、ちょうどいい位置に爺がいた。しめしめと思い、三脚付きのカメラも持って外に出た。水際すれすれに、三脚を立て、構図を探った。しかしながら、空の様子が、ますますおかしい。曇ってきた。いまにも降り出しそうな気配だ。スマホで天気予報を確認した。たしかに曇りマークになっていた。

 ほんの十分くらいで切り上げた。車に戻りかけると、どこからか、グレーの乗用車ひゅっと来て、すぐそばに駐車してきた。爺だ。昨日の爺だったのだろうか。確信は持てなかった。ただ、その態度、振る舞いから、明らかに、ここは俺の縄張りだ、ということが見て取れた。はいはい、わかりましたよ。すぐに車を出した。ついでだ、赤い灯台のそばまで行ってみよう。昨日は、釣り人がびっしり居たが、今日は、ほとんどだれもいない。漁港の中を走って、反対側の係船岸壁へ行った。

 岸壁は工事中で通行止めだった。だが、脇から抜けられるようになっていた。たらたら走っていくと、左側に高い防波堤が現れ、その突端に赤い防波堤灯台が見えた。岸壁には、大き目な漁船が二艘ほど停泊していた。付近の空いているところに、二、三台乗用車が止まっている。これは釣り人の車だろう。ということは、駐車しても大丈夫、ということだ。

 適当なところに車を止めて、外に出た。一応カメラを一台首にかけた。高い堤防の上には、釣り人が二人いた。知り合いのようだ。というのも、さっき、反対側の岸壁から、望遠カメラで親しげに話しているところを見ている。赤い防波堤灯台の前に来た。上の方が少しくびれている、とっくり型だ。そばで見ると意外に大きい。だが、ロケーションが悪い。左に無粋なコンクリの防波堤、右は小汚い巨大な筏のようなもの。それに、空も鉛色だ。

 二、三枚記念写真を撮って、すぐに引き上げた。車に乗って、今来た道を戻った。通行止めをかわして、脇の悪路を走った。岸壁には、えんじ色の波消しブロックが並んでいた。正確に言うと、波消しブロックの、おそらく、鉄製の型だ。その中にコンクリを流し込んで、波消しブロックを作る。おそらく、なかのコンクリが固まったら、型を取り除くのだろう。だから、ずらっと並べているんだ。こう解釈した。初めて見る光景で、少し愉快だった。波消しブロック=テトラポッドは、一個、二十トンほどもあるようだ。今調べて、<へぇ~>だった。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#10 移動

 さてと、これで今日の撮影の山場はほぼ越えた。あとは、宿泊地に戻り、波打ち際の安房白浜灯台を撮るだけだ。少し、ほっとした。漁港を出ると、小さな公園があり、赤い自販機が見えた。隣は、ほぼ廃墟化した土産物店だった。何か、甘いものが飲みたくなった。コーラのボタンを押した。と、取り出し口にあったのはカンのコーラだった。あれ、押したのはボトルのコーラだ。少ししゃがみこんで取り出し口を見ると、なんとボトルのコーラもあった。要するに、誰かが、クジの<当たり>コーラを取り忘れて行ったのだ。これはラッキーだった。カンの栓を上に上げ、口に持っていった。その刹那<まさか毒でも入ってないよな>と思った。が、時すでに遅し。冷たいコーラは口の中で泡を立てていた。うまかった!毒など入っているわけがない。

 今日は<房総フラワーライン>で戻るつもりでいた。というのも、館山から白浜までの山越えの道は、早いけど、面白みがない。海岸通りの駐車場に車を止めて、館山湾を見ながら、一息入れるのもいいだろう。五分ほど走ると、思い描いた光景が目の前に広がっていた。サングラスのオヤジが一人、砂浜の、打ち捨てられた白いベンチに座っていた。ボトルのコーラとカメラが脇に置いてあった。

 ベンチは誰かの忘れ物だろう。なぜか一脚だけポツンとしていた。こりゃあ~、都合がいい。日射もさほど強くない。ゆったり腰かけて目の前の海を眺めた。沖に大きな貨物船が、何隻も止まっている。館山港に接岸できないのかなと思った。気まぐれに、カメラのファインダーを覗いた。全体的に、薄い雲に覆われていて、ぼうっとしていている。それに、これといった被写体も見当たらない。ま、写真なんか、どうでもいい。

 と、砂浜の波打ち際で、何やら男が、スクワットなどをしている。その後ろ姿をよくよく見ると、男には違いないが、爺だ。体操、というか運動してるわけだ。外で運動するには、まだ暑いんじゃないの。余計なお世話か。それよりも、写真撮影から解放されていたからだろうか、館山に関する、記憶の断片が蘇ってきた。

これも実に、甘酸っぱい記憶だ。大学のセミナーハウスが館山にあった。二、三回、たしか上野駅から内房線に乗って来たんだ。記憶が断片的で、錯綜している。ま、比較的鮮明に思い出すのは、三、四人の女の子の顔と、演出ゼミの合宿で、嫌な奴から間違いを指摘されたことだ。だが、今の関心は、そこにはない。セミナーハウスが、どこにあったのか?もう一つは、夜、酔っ払って浜辺へ行ったことがあり、その浜辺とは、どこなのか?あらためて、目の前の情景を眺めた。この広大な館山湾の、どこか一点に、半世紀近く前の夏の晩、たしかに居たことがあるのだ。

 ボトルのコーラを飲んだ。もうぬるくなっていた。目の前の爺は、まだ運動をしていた。おいおい、スクワットはさっきやったじゃないか。余計なお世話だが。ベンチから立ち上がった。海を背にして、ベンチの写真を一枚撮った。記念写真だね。車へ向かって歩き出すと、バーベキューだろうか、若い男女数人が、それ用の荷物を抱えて浜へ向かって行った。車に乗った。バーベキューの用意をしている若い男女をちらっと見た。自分の好みとしては、かいがいしく、テキパキと用意をしてくれる女性が好きだ。いや、本気でそう思っているわけじゃない。

 走り出した。セミナーハウスはどの辺にあったのだろうか?なぜか、気になった。館山の市街地のはずれには、<館山港>がある。港なら、防波堤灯台がある筈だと思った。きまぐれだ。右折して、港に入って行った。だが、それらしき灯台は見えない。うかうか道なりに走っていくとT字路。正面は自衛隊だった。ええ~、と思いながら、右折。左折すれば、<フラワーライン>に戻ってしまうからだ。さらに岸壁沿いの広め道を走る。釣りなどしている。左手の金網の前では、漁師だろうか、網の手入れをしている。若い男が多いようにも見える。

 と、一本道は、通行止め。車から降りて、左方向への坂を見上げた。その時は、その先に何があるのかわからなかった。今調べると、<沖ノ島公園>になっていて、付近は海水浴場だ。要するに、今年はコロナ禍で、海水浴場が閉鎖されているわけだ。なんだか無駄足だ。釈然としない。Uターンした。

 途中、岸壁際にとまった。港が一望できた。といっても、さしたる景観でもない。ただ、右側の、山の上に城の天守が小さく見えた。館山城なのか?ちょっと寄ってみたい気もしたが、今回は無理だろう。それから、海の真ん中に、干潟なのだろうか、おびただしい数の海鳥だ。カモメなのか、遠すぎてよく見えなかった。…いま撮った写真で確認すると、干潟ではなく、何かの養殖筏=いけすだった。あと、鳥はカモメでなく、サギの仲間のようだ。つまり、サギたちのコロニーだったのだ。

 <房総フラワーラインに>戻った。ふと、昨日見かけた、道路沿いのかなり大きな黄緑色の塔のことを思い出した。見たことない形で、灯台ではないだろう。確かめたい、という好奇心に負けて、右折した。そこは、広い駐車場で、海に面して食堂があった。カメラ一台首にかけて、黄緑の塔に近づいた。そばに、黒い軽のバンが止まっていた。作業車のようだ。車の中には工具などが見えた。だが、人の気配はしない。

塔は金網に囲われていた。公共の建造物なら、門柱などに名前が掲げられているはずだ。金網にそって、周りを少し歩いた。だが、それらしきものは発見できなかった。疑問は増すばかり。奥の方にも行けそうだ。だが、何となく憚れる。小道があったので、塔と少し距離をとった。何しろ大きいのだ。近くにいては画面におさまりきらない。

 小道の両側は、荒れ果てた家庭菜園のような感じだった。振り返って、塔を画面におさめた。青空が見えた。だが、ロケーションは最悪。左側に背の高い木立、右側にも背の高い雑草が生い茂っている。それに、近くで見ると、それほど魅かれるフォルムでもない。なにしろ、下の方は、付属している大きな半円形の金属板によって隠されている。全体像が見えないのだ。

 ところで、今までの文脈を敷衍するならば、ここで、この塔に関する記述に入るわけだ。だが、今回は勘弁してもらおう。本意ではないが、写真で例示する。要するに、記述できないんだ。いや、しようと思えば、不十分ながら、できないこともない。これまでもそうだった。記述しようとすることが重要なんだ。とはいえ、それには頭を使う。いま、頭を使いたくない。モロイ風に言わせてもらえば、<もう働けません、と頭が言っているんだ>。

 来た道を戻った。黒いバンはまだ止まっていた。だが、無人。もう一度金網に近づいた。中を覗いた。名称らしきものは、やはり見つからなかった。ただし、灯台ではない。塔の頭にレンズはなく、無線のアンテナらしきものが、数本直立していた。電波塔なのか?坂を下りて駐車場に戻った。道沿いに少し歩いて、繁茂している植物越しに黄緑の塔を撮った。空の様子はすごくよかった。千切れ雲の間に青空が見えた。

 ちなみに、この塔は<伊戸ダイビングサービス>という施設に隣接しているようだ。海上の気象情報を、この大きな黄緑の塔で受信しているのかもしれない。とはいえ、施設のHPを見ても、たしかなことはわからなかった。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#11 安房白浜灯台撮影

 車に戻った。隣にグレーのワンボックスカーが止まっていた。サイドドアーが開いていて、その前で、日焼けした筋肉質の女性が、腰にタオルを巻いて、パンツを脱いでいる。む、一瞬見て目をそらした。水着に着替えているようで、これから<ダイビング>をするような雰囲気だ。美人で、贅肉のない均整の取れた体つき、健康的だ。今回の旅で、唯一<女性>を感じた瞬間だった。

 走り出した瞬間に、黄緑の塔も、ダイビング女性のことも頭から消えた。じきに、海にせり出した野島岬が見え、白い灯台も小さく見えた。右手に、広い駐車場が見えたので、急遽、車を寄せた。外に出て、望遠カメラで狙った。だが、遠目すぎる。それに、手前の民家が邪魔だ。写真にはならない。すぐに車を出した。

白浜の野島埼灯台に戻ってきた。海沿いの道だ。白い八角形の灯台に、ちょうど西日があたっている。思い描いていた情景だ。ところが、駐車するスペースがない。片側一車線で、右側は歩道、左側には、大きなホテルがびっしり並んでいる。ハザードをつけて路駐することすら憚られる。

 と、白いホテルの間に私道がある。そのわきに一、二台車が止められるスペースがある。むろん私有地だろう。だが、そこしかないのだ。ちょっと行き過ぎたのでバックした。私道に入り、車を私有地に少し寄せて止めた。ま、これなら、脇を車が通れる。なんか言われたら、ごめんなさい、だ。ハザードをつけた。急いでカメラ二台と三脚をもって、道路を渡った。

 海沿いの歩道で、ささっと三脚を組み立て、望遠カメラを装着した。瞬時に、アングルを決め、ピントを合わせた。ここぞとばかりシャッターを押しまくった。望遠の方は、すこし寄ったり引いたりもした。背景の雲の様子もいい。撮れたと思った。ものの五分くらいだろう。すぐに引き上げた。幸いにも、無断駐車を、咎められることもなかった。ヒットアンドウェイ!ジジイになったとはいえ、まだまだ素早い行動ができるんだぜ。気分は良かった。

 車に乗り込んだ。躊躇っていたことをやり遂げたような気分だった。今度来るときには、灯台に最も近い、このピンクのホテルに泊まるという手もあるな、とフロントウィンドー越しに左側を見上げた。野島埼灯台の前を通り過ぎた。西日。明かりの具合からして、今日はもう正面から撮る必要もあるまい。素通りして、道路沿いのスーパーに寄った。食料の調達だ。下調べの段階では、白浜にスーパーはこの一軒だけだった。

 店内は、閑散としていた。弁当売り場を探した。盛りだくさんで、意外に安い。¥500ほど。脇に惣菜コーナーがあり、何か小さな魚のフライがあった。買おうかな、ちょっと迷った。いや、弁当だけで十分だろう。さほど食欲があるわけでもない。あと、朝食用に菓子パンを二つほど買ったような気がする。レジの対応は普通。いや、中年の控え目な女性、おそらく奥さんパートだな、やや感じがよかった。

 さて、南房総旅の最後の撮影地。安房白浜灯台へ向かった。海沿いのやや見慣れた光景だ。乙浜漁港があり、泊まっているホテルが見えた。目印の、廃業している工場を右手に確認。その先の細い道を右折。浜沿いの悪路に入った。昨日車の止まっていた駐車スペースが空いている。もっと奥まで乗り入れるつもりだったが、気が変わって、車を寄せた。歩いても、大した距離じゃない。それに、ここなら、万が一にもクラクションを鳴らされる心配はない。

 三脚と望遠カメラは車の中に残した。車上荒らしの可能性はほとんどないのだ。何しろ、辺りには、まったく人の気配がない。カメラ一台首にかけ、悪路を歩き始めた。と、向こうからデカいSUVが来る。少し脇により、車をやり過ごした。その際運転者をちらっと見た。いわゆる<釣り人>で、それらしい格好をしていた。サングラスをかけ、すました感じで正面を見ている。なんだか気にくわない野郎だ。自分の縄張りに、でかい車で侵入されたような気分だったのかもしれない。釣り場の下見だろう、行き止まりまで行って、Uターンしてきたんだ。奥まで行かなく正解だったよ。

また、悪路の真ん中を歩いた。水たまりを避けながら、軽登山靴の恩恵を受けた。岩場に立つ灯台が見えてきた。天気がイマイチだった。雲が多い。日差しが少ない。だが、青空が雲間から少し見えている。その、青が尊かった。美しかった。オレンジのカンゾウも、昨日のままだった。しゃがみ込んで、挨拶代わりに一、二枚撮った。背景の灯台はぼかしてみた。

 今、撮影写真で確認した。撮り始めたのは午後四時。引き上げたのは午後五時だった。ということは、ほぼ一時間、灯台前の岩場を右往左往していたことになる。たしかに、この間、空の様子は、目まぐるしく変わっていった。とくに、背景の空は、まさに、刻一刻と変化した。雲が流れ、青空が見える。と、その刹那、どこからともなく、また雲が流れきて、青空を隠す。しかも、その雲の形、空の様子は、まさに不定形、変幻自在、一所にとどまることがない。

 岩場の間に、打ち捨てられたコンクリの構造物があった。何かの設備の残骸だろう。おそらく、海辺に建っている閉鎖された工場のものだ。だとすると、排水か何かを海に流していたのかもしれない。よいしょ、とその上にのぼった。平均台位の幅の上を少し歩いて、岩場の右側に回り込んだ。自分の背後が西。灯台の右側に、かすかに、西日が当たっている。ただし、少し横にフリすぎている。フォルム的には、さほどきれいな横顔ではない。

 その西日にも、しばしば雲がかかる。その度に辺りが薄暗くなり、灯台の魅力が半減する。こういう時は撮ってもしょうがない。と思いつつシャッターを押し続けた。ふと寒いなと思った。海風が冷たかった。薄手のロンT一枚だ。これからは、パーカが必要だな。夏が終わっていたのだ。

 遠くに、ぽつんと、豆粒大の白い車が見えた。悪路際に止めた自分の車だ。さらに視線を伸ばすと、海に突き出た岩場に、釣り人のシルエットが見えた。二人いた。海へ向かって竿を大きく振っている。さっきの野郎かもしれない。まだ若いのに、平日のこの時間帯に釣りをしている。いい気なもんだ。とはいえ、灯台の前をちょろちょろしながら、飽きもせず写真を撮ってる爺がいるな、と向こうからは思われていたかもしれない。この世界の中で、たしかに、孤立していた。だが、泣きたくなるような孤独は感じなかった。

 西の空を振り返った。勢力を失った太陽が、岬の中ほどに沈んでいく。落日だ。だが、夕日は雲に覆われ、辺りがオレンジ色に染まることはなかった。言ってみれば、中途半端な、そこそこの夕焼けだった。灯台は、断続的に、いくらかの波しぶきを受け、依然として岩場に立っていた。ただし、その表情は暗かった。もう写真にはならない。足元を確かめながら、そろそろと岩場を歩いて、引き返した。

 完璧な夕焼け時に、もう一度撮りに来る必要がある。それに、この灯台は、午前中の方が、きれいに撮れるかもしれない。しかしながら、絶対また来る、とは思わなかったような気がする。かといって、納得のいく写真が撮れたわけでもないだろう。見ると、オレンジのお花たちも暗くなっていた。水たまりをよけながら、悪路を歩いて車に戻った。

 <灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#12 移動~ホテル

 悪路では回転できない。直進して、別荘の所まで行って、スペースを利用してUターンした。海沿いの道に出て、ホテルへ向かった。と、道路際に、灯台が立っている。てっぺんで何やら光っている。むろん昨日も見たわけだが、通り過ぎた時間が早かったせいか、光ってはいなかった。形は、いわゆる<標準型防波堤灯台>。だが、頭にレンズがあるわけではない。長い蛍光管のようなものが縦に二本並んでいる。それが光っているのだ。はは~ん、ピンときた。これは<導灯>だ。いや、その時は名称を失念していた。ただ、概念というか、この灯台の役割は理解していた。つまり、上下、二つ光源に向かって航行すれば、狭い港に安全に入港できるというわけだ。<導灯>みちびくあかり、読んで字のごとし。

ということは、下にもう一つ灯台がある筈だ。そうそう、昨日見ている。高い防潮堤のすぐ下に相棒がいた。あり得ないロケーションで、これまで見たことがない。その時は、何かの冗談かと思った。無知ほどおそろしいことはない。冗談どころか、上の灯台と対になって、海の安全を守っているのだ。形は、道路際のものとよく似ている。岸壁に車を止めて、<導灯>を撮った。記念写真だよ。目の前の山の端に夕日が落ちて、辺りがオレンジ色にほんのり染まっていた。

ついでだ!乙浜漁港の赤い防波堤灯台も撮りに行こう。海沿いの道から、漁港へ入った。高い堤防を登ることはせず、広い係船岸壁に入り込んで、坂になっている砂地から堤防に上がった。釣り人が何人かいた。ただ、昨日のように、灯台の真ん前にいたわけじゃない。釣り人の後ろを静かに歩いて堤防の先端まで行った。明かりの具合、背景の空の様子は、まあ~、昨日に比べれば、多少マシだ。その場から動きようがないので、同じような構図で何枚か撮った。ロケーションからして、モノになるとは思えなかった。これも記念写真だよ。主要な撮影は終えていたので、気持ちが軽くなっていたのだろう。

 粘ることはせず、さっと引き上げた。すぐにホテルの駐車場についた。車がずいぶん止まっている。メモには、五時半宿、とあった。そうだ、今日の朝、出発するときに、駐車場からホテルを見上げた。自分の泊まっているのは九階。あの辺か、カーテンの閉まっている窓を眺めた。昨晩、あの高さから、夜の海を眺めたわけだ。明かりのもれている窓際に、一瞬、浴衣姿のシルエットが現れ、しばらく静止していた。何を見ていたのだろう。

 ホテルに入った。手首で検温を受けて、鍵を受け取った。壁際の棚から、昨日と同じ柄の浴衣を一枚取って、エレベーターに乗った。部屋のドアノブには、白いレジ袋がかけてあった。入ってから、中を確かめた。新しいバスタオルや足ふきマット、歯ブラシなどのアメニティーが入っていた。フェイスタオルがなかったが、流しの小さな布巾があった。なるほど、これも交換すべきだったのか、気づかなかった。流し台に、使い古された、くたくたの布巾を二枚並べた。

 温泉にはいかない、と決めていた。狭いうえに人が多すぎる。ユニットバスに入って、今日は頭も洗った。最近は、一日おきにジムの風呂で頭を洗っている。二日あけると、背後で加齢臭がする。指先で頭をごしごし掻いて、においを嗅いだ。犯人は、自分だった。さすがに、これには閉口した。…若いころは、三、四日、頭なんか洗わなくても、においなどしなかった。現実存在=実存を突き付けられたわけだ。不潔な感じの爺ほど、嫌なものはない。

 風呂上がりのビールはうまかった。冷蔵庫の温度を<10>にしておいたからな。もっとも、夜になって、モーターの音がうるさいことに気づいて<7>に下げた。スーパーで買った弁当は、安い割には・おかずがたくさん入っていて、満足した。食休みかたがた、撮影画像のモニターをした。接眼ルーペでじっとカメラ背面の小さな液晶画面を覗きこむ。いちいち拡大表示字などはせず、つぎつぎとコマ送りする。ざっと流す感じだ。ま、これは一種の儀式だ。うまく撮れていると思いたいのだ。

 立ち上がった。窓辺へ行った。カーテンを全開にして、九階の窓から暗い海を眺めた。速度も明度も違う、赤いランプの点滅が三つ、鮮やかな緑の点滅が一つ、昨日同様、同じ場所で、同じ仕事をしていた。そばに置いてあったカメラを取り上げ、構えた。ファインダーをのぞくと、都合四つの点滅は、まったくと言っていいほど、存在感がない。それに比べ、真正面にそびえる、高層マンションの階段や・部屋の明かりは、まばゆいほどだ。これでは写真にならない。気のないシャッターを一、二回切った。

 <8時ねる―10時起-11時ねる>とメモに走り書きしてあった。なるほどね~、十時に起きて十一時まで何をしていたのか、まったく思い出せない。テレビをつけて、カレー味のカップ麺をすすったのか、持参したビスケットやポテチを食べたのか、大方そんなところだろう。ただ、寝入りばななのか、夜間トイレに起きた時なのか、波音が聞こえたような気がする。一瞬、静寂に耳をすませ、また安心して寝たのかもしれない。

 三日目

翌朝は五時半に起床、したようだ。朝日を部屋から撮影しようというわけだ。思い描いていたように、朝日が海から出てきた。邪魔にならない程度に、雲がたなびいている。だが、朝日に染まる海景を・きれいに撮ることはできなかった。というか、にわか仕込みの<朝日の撮り方>を、すっかり忘れていたのだ。今回の旅で朝日を撮る予定はない。復習してこなかった。さほど難しくないことですら、新しいことは、なかなか覚えられない。記憶力には自信があったんだけどね。

 それでも、結構粘った。こんなにいい条件で朝日を狙えるのは、そうそうあることじゃない。露出やホワイバランスを、ほとんどデタラメではあるが、調整した。そのうち、というか、あっという間に朝日は昇り、もう眩しくて直視できない。写真にその輪郭すら写し撮れない。ま、技術がないからね。限界だ。撮影終了。それが何時だったのか、定かではない。そのあと、朝の支度をしたのだろう。髭剃り、洗面、食事、排便、身支度、部屋の整頓。

 食事は、おそらく、菓子パンと牛乳だろう。排便は、たしか、旅中にも関わらず、多少出たと思う。部屋の整頓に関しては、布団はたたまなかった。移動した座卓などもそのまま。そうそう、部屋を出る前に、写真を撮った。一応、二泊三日とはいえ、居住した空間を・もれなく画像におさめた。これは、初回の犬吠埼旅からのお決まりになっていた。時間がたって、自分が泊まった部屋の写真を見ると、なんだか、心にしみてくるものがあったのだ。

 浴衣とかシーツとかバスタオルとか、その他交換するものは、和室の前のたたきに、まとめて置いた。ゴミは、その横に並べた。カメラバックを背負い、トートバックを肩にかけた。振り向いて、忘れ物がないか、部屋の中を目で確かめた。よし!エレベーターで下に下りた。そういえば、ホテル内では、温泉は別として、まったく人に出会わなかった。駐車場には車がたくさんあったんだけどね。

 チェックカウンターには先客がいた。婆さん三人連れ。一人の婆さんが、宅配の手配をしているようだ。少し距離をおいて待った。その間、さして広くもないロビーを見回した。土産物コーナーがあり、これは品揃えが充実していた。窓際には大きなソファの応接セットが置いてあった。いや、マッサージチェアだったかもしれない。婆さんが立ち去った。受付で名前を言って、精算した。二泊で¥8800、<Gotoトラベル>の恩恵を受けるのは、これで二回目だ。一万円札を渡して、おつりと領収書をもらった。<お世話さま>と小さな声で、受け付けの初老の女性に言ったような気もする。ビジネスライクの<ありがとうございました>が聞こえた。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編#13 帰宅日

 外に出た。曇り空だ。晴れマークがついていたのに。車に乗った。車は、正面入り口付近に止めていた。フロントガラス越しに、ホテルの中から、浴衣姿の若い男女が出てくるのが見えた。足元はしっかりしたスニーカーだ。夫婦には見えなかった。海沿いの道に出た。その際、左手に広がる、緑の広場が目に入った。ホテルの前に、海沿いの公園があったのだ。婆さんたちが連れ立って歩いている。浴衣の男女の後姿も見えた。なるほど、朝の散歩というわけか。景色もいいしね。

 帰宅日の朝は、どこにもよらず、まっすぐ家に帰ることにしていた。特別な理由があるわけではない。気分的なものだ。だが、今回は、時間的にも、気持ち的にも余裕があったからだろうか、帰路につく前に、野島埼灯台を、もう一度東側から撮ろうと思っていた。昨日曇っていたからね。というわけで、道沿いの駐車場に車を入れた。そこは、今調べたら<磯笛公園>という場所だった。

 迷わず、一直線に、遊歩道、東側先端の展望スペースへ行った。昨日も来たところだ。ところが、薄い雲が空一面。日差しがほとんどない。これじゃ、昨日と同じだ。そう思ったが、ここまで来た以上撮るしかない。三脚に望遠カメラを装着した。アングルは、ほぼ決定している。野島岬のほぼ全体を、横一文字に画面に入れる。そして、上は空、下は海、という極めてシンプルな構図だ。まあ、これしかないのだ。

 今一度、空全体を見回した。太陽のまわりにも雲がかかっている。が、時々その雲の間から陽射しが差す。白い八角形の灯台が、遠目ながら、一瞬輝く。とはいえ、できることなら、岬全体に明かりが来れば最高だ。スマホを取り出し、一時間天気予報を見た。九時になれば晴れマークがつく。時計を見たのだろう。八時四十分頃だったような気がする。少し待とう。灯台から目をはなした。気まぐれた。そばにあった海難碑を入れて、海を撮った。いま撮った写真を見ると、白いお花が手向(たむ)けられていた。

 九時近くなった。やや焦れてきた。だがその瞬間、思い描いていたような光が降ってきた。岬全体が明るくなった。木々や植物の緑が蘇った。灯台も真っ白になった。慎重に、リモートボタンを何回も押した。満足だった。気分がよかった。その後、すぐにまた、岬も灯台も光を失った。長居は無用。三脚をたたんで、ようようと引き上げた。

 ほんの数分で、野島埼灯台の前に来た。寄るつもりはなかったのだが、船溜まり際の駐車場に車を入れた。西の空にきれいな青空が見えるのだ。天気が回復している。まさに天気予報通りだった。これで何回目だろう、なんてことは考えなかった。ベストポジションの岩場のベンチから、山を背景にした野島埼灯台を撮る。今日は今日だけの空模様。昨日流れた雲と今日流れる雲は、まったく別のものなのだ。

船溜まりの縁を回って、灯台の遊歩道へ入った。今日も赤い鳥居が目に鮮やかだ。撮り歩きしながら、岩場の<ベンチ>に上がった。今朝も、辺りに観光客はいない。ベンチに、どっかと腰をおろした。振り向いて、灯台に正対した。背景の空に大きな不定形の雲が見える。灯台は不動だが、空の様子が全く違う。思った通りだ。構図的には同じでも、今日だけの光景なのだ。来て正解だった。

 天気が不安定なのだろうか。そういえば、海風が強い。あっという間に雲が流れて、大きな青空が見えてきた。ただ、どうなんだろう?背景が青空だけ、というのも写真的には難しい。あっけらかん過ぎて、絵にならない。まあ~、好みとしては、多少雲が流れている方がいい。いい気なもんだ。さてと、引き上げよう。

 最後の最後に、岩場のベンチを、かなり真剣に何枚か撮った。白い塗装の剥げかけた、ところどころに錆の浮いている<朝日と夕日の見えるベンチ>。これまで、どれだけの人間が、どれだけの思いを抱いて、このベンチに座ったのだろうか。自分もその一人だろう。だが、こう思うことが嫌ではなかった。周りを見回してごらん。圧倒的な海だ。いまでは、この大海の一滴であることを受け入れていた。つまり<一滴にすぎない>のではなく<一滴である>わけだ。なぜか、この岩場のベンチには、哲学的な思索?を深める力があるようだ。

 岩場を下りた。撮り歩きしながら戻った。何人かの観光客とすれ違ったような気もする。高い椰子の木を左側に入れて、青空に伸びあがる八角形の白い灯台も撮った。半逆光で、構図的にもよろしくない。が、撮らずにはいられなかった。南房総の旅が終わりかけている。

 船溜まりに戻ってきた。念のために公衆便所に寄った。例の破損した安っぽい三脚が、まだ洗面台の脇にたて掛けられたままだ。外に出た。公衆便所を正面から一枚だけ撮った。何度この便所で用を足したことか?とはいえ、数えようとは思わなかった。ついでに、そばにあった、案内板も撮った。意味はない。ほんの気まぐれだ。船溜まりがあり、土産物屋の大きな看板があり、鳥居があり、木立があり、その上に白い灯台の頭がちょこんと見えていた。さ、家へ帰ろう。<9時 野島灯台 出発>とメモにあった。

 車に乗った。ナビを一応自宅にセットした。山越えして、館山の市街地に入った。広い二車線の道を走っていた。路肩にずうっと、高い椰子の木が見える。たしかに南国風の景色だ。その景色もトンネルの前で終わる。トンネルを出て、右折。高速道路に入った。一回、パーキングでトイレ休憩したような気もする。

 その後は、一気にアクアラインまで走った。天気は上々<10:30 海ほたる>到着。駐車場はさほど混んでいなかった。施設内のエスカレーターに乗った。見回すと、けっこう人がいる。最上階まで行った。展望デッキになっている。おいおい、平日だよな?ここにはもっと人がいた。みんな、観光気分なのだろう、楽しそうだ。展望デッキの先端が、最高の景観らしく、柵沿いに人が数珠つながりだ。ちょっと写真撮影は無理だ。

 戻って、人のいないところを探した。藤棚のような休憩所があり、日陰だ。縁が座れるようになっている。そこで、四、五分待機したのだろうか、立ち上がった。展望デッキを見に行った。少し空(す)いた。いまなら、柵際をゲットできる。階段を下りた。そう、なぜか、階段になっていた。その時は疑問に思わなかった。おそらく、あとから、エプロン型の展望デッキを施設本体に接続したのではないのか?いや、よくわからない。

 とにかく、展望デッキの先へ行った。東京湾を眺めた。天気は良かったが、二度目ということもあり、まあ、これといったこともなかった。いや、彼方にスカイツリーが見えた。あとは、黄色いブイのようなものが・手前の海中に何本が立っていた。目立つ!その時は、なにも考えずに、写真を撮った。だが、いま調べると、<東京湾アクアライン海ほたる灯標=とうひょうA.B.C.D>及び<同西方(にしがた)灯標>という立派な名前がついている。しかも、この五灯は、夜になれば光を出して、海ほたるの北側?を守っている。言ってみれば、灯台の機能を立派に果たしていたのだ。おみそれしました!

 海ほたるを後にした。何時ころだったか、メモにも書いてない。おそらく、三十分くらい、ぶらぶらしていたのだと思う。海底トンネルを走り抜け、なぜか、分岐を間違えたのだろう、中央環状一号線に入ってしまった。行きは、中央環状二号線・山手トンネルを走ったのだ。ま、いい。さしたる渋滞もなく、銀座まわりで、五号線に入った。この地点は合流が難しいので有名だ。しかし、それも難なく通過。いやだなあ~と思っていた首都高を、行きも帰りも完全制覇!気分は良かった。

 <12:30>帰宅。さほど暑くもなく、疲れてもいなかった。そのまま、一気に片付け。車から荷物を出して、所定の場所に収納。小一時間で終了したと思う。自室に入るとき、一応決まり事だ。ニャンコに<ただいま~、帰って来たよ、オヤジ帰還>と声をかけた。

 …最近は、ニャンコのことを思い出すことも、あまりなくなっていた。白い骨壺に話しかけることもめったにない。時間の経過とともに、悲しみや苦しみが、多少癒えてきたのかもしれない。

 <日本灯台紀行>四回目、2020-9-13.14.15

南房総旅>の収支。

宿泊 房総白浜ウミサトホテル 二泊¥8800・<Goto割り>

高速 ¥9970

ガソリン ¥3200

飲食等 ¥2500 

合計 ¥25000 以上、終了。

 

 

 

 

 

 

<灯台紀行・旅日誌>2020 新潟・鶴岡編

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 灯台紀行・旅日誌>2020 新潟・鶴岡編#1~#12

#1プロローグ                            1P-6P

#2往路                                       6P-10P

#3角田岬灯台撮影1                   11P-16P
#4角田岬灯台撮影2                   17P-22P

#5間瀬港西防波堤灯台              22P-26P

#6弥彦観光~ホテル                  26P-32P       

#7鼠ヶ関灯台撮影プロローグ    32P-36P

#8鼠ケ関灯台撮影1                    36P-42P

#9鼠ヶ関灯台撮影2                    42P-47P

#10鼠ヶ関灯台撮影3                  47P-53P

#11鼠ケ関灯台撮影4                  53P-57P

#12 復路                                     58P-63P

 <灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#1 プロローグ

 さてと、今日は八月の十九日、水曜日だ。灯台紀行、三回目の旅は、新潟の角田岬灯台、山形の鼠ヶ関灯台に決めた。昨晩、燕三条のビジネスホテルに、二十三日の日曜から、二泊、予約を入れた。

 …ほぼ予定通り、前回の三浦半島旅の画像補正と<旅日誌>は、二週間で終わった。画像補正は、選択枚数が少ないので、あっという間だった。<旅日誌>の方は、内容的に、多少の方向転換をしたので、つまり感じたことや思ったこと、考えたこと、事物や事柄を、もう少し正確に記述しようと思ったので、やや長くなってしまった。今在る<自分>にも触れてみようと思った。二泊三日の<旅日誌>が原稿用紙で100枚、長くなったゆえんである。

盆も過ぎ、依然としてコロナの感染者数も減らない。だが、もう限界だろう。やるべきことはやったのだし、また灯台巡りの旅をしよう。新潟の角田岬灯台へ行くことは、前々から心づもりしていた。ネット画像で見る、山の上から見下ろす灯台と海と空の景観。カネと時間をかけても、撮りに行きたい。文句なしだ。マップシュミレーションもほぼ完ぺきに済ませているし、どの位置から撮るのか、行ったこともないのに、完全にイメージされていた。

 片道270キロ、おおよそ四時間の行程。はじめは二泊するつもりでいた。一日目の午後に着いて、灯台周辺の下調べと撮影。二日目は午前・午後、ゆっくり撮影。三日目は帰路のみ。という大まかな計画だった。が、念のため、新潟県灯台を調べなおした。以前とは、少し、灯台についての考え方が変わっていたのだ。つまり、灯台の景観が、撮影選択の絶対的基準ではなくなった。というか、さほど景観が期待できない、ありていに言えば、写真としてモノにならない灯台でも、ついでに寄れるものなら、観光気分で撮りに行こう、というわけだ。

 翻って思うに、おおよそ、灯台は<…灯台>と<…防波堤灯台>に分類されている。<灯台>は陸地にあり、<防波堤灯台>は防波堤にある。当たり前のことだが、その形、フォルムにより分類するならば、この基準は絶対ではない。つまり<灯台>なのに、いわゆる<防波堤灯台的な形>をしているものもあれば<防波堤灯台>なのに、小ぶりながらも、いわゆる<灯台>の形をしているものもある。

 <灯台の形>?一般的には、白い細長い、先に行くにしたがって、やや細くなっていく円柱で、てっぺんのドームの中に、レンズが入っている。一方<防波堤灯台的な形>?とは、こちらもかなり多様ではあるが、ある類型がある。つまり、前に書いたが<直方体を縦にして、その上に細長い円柱がくっついている。そのてっぺんには、円柱の直径よりやや大きい、平べったい台座があり、光を出す機械が鎮座している>という形だが、見れば、おそらく誰もが<ああ>と了解する形だ。とにかく、これまで<防波堤灯台>は、似たりよったりの形なので、よほどの景観以外、ロクに調べもせず、撮影対象から除外していた。あまりに数が多いのだ。

 (2020-10-25 追記 <防波堤灯台的な形>は、上記のほかに、もう一つある。やや上の方、あるいは真ん中辺が少しくびれた、いわゆる<とっくり型>である。この形もよく目にする。)

 …せっかく新潟まで行くのだから、付近に寄れる可能性がある灯台防波堤灯台はないのか?と、覚書などを見ながら、調べなおした。だが、やはり佐渡は別にして、角田岬灯台以外、新潟県日本海側には、わざわざ行くほどの灯台はなかった。前回の三浦半島のように、すぐそばにあるのなら話は別で、観光気分でついでに、ということもあるが、残念ながら、どれもみな角田岬からは、かなりの距離がある。

 と、<鼠ヶ関=ねずがせき灯台>の文字が、地図上にある。よく見ると、新潟県山形県の、ほぼ県境だ。この灯台は、山形県灯台の中で、唯一、行ってみたい灯台だった。灯台のすぐそばに、というか斜め前に赤い鳥居がある。珍しい!灯台と鳥居の組み合わせ、面白い光景だ。

 調べた。角田岬灯台からは、およそ140キロある。住所的には山形県鶴岡市鼠ヶ関。むろん、付近にビジネスホテルはない。約40キロ離れた鶴岡駅付近にはたくさんあるようだが、遠すぎるだろう。ちなみに、この灯台は、自宅から400キロ以上離れた北東方向にある。車で行くつもりはなかったし、自分の体力では、一気に行くことなど、とうてい無理だろう。要するに、新幹線・レンタカーで行くしかない灯台なのだ。

 ところで、山形の上、秋田県男鹿半島には、いずれコロナがおさまったら<新幹線・レンタカー>を使って、行くつもりだった灯台が、二、三、ある。有名な入道埼灯台と塩瀬埼灯台だ。宿まで決めている。その時に、鼠ヶ関灯台にも行ってみようかな、とぼんやりと思っていた。とはいえ、にわかに撮影の射程に入ってきた、この灯台のことを詳しく調べてみた。男鹿半島からは200キロもある。ついでに、というわけにはいかないのだ。おそらく、この鼠ケ関灯台は、そのためだけに、新幹線で鶴岡まで行って、そこからレンタカー移動となる。それまでして行く灯台なのか、と思っていた。

 だが、新潟との県境、距離にして140キロ、半分は高速で、時間的には約二時間。一日目に角田岬灯台を撮って、二日目に行って行けないこともないな、と思い始めた。ベストは、灯台のある鶴岡に、二日目は泊まることだ。だが時すでにおそし。燕三条のホテルに二泊予約済み。140キロ行って、また140キロ、帰ってこなくてはならない。むろん、二日目は、戻らずに、鶴岡に泊まるという選択肢もある。コロナのキャンペーンで、宿代が安くなっているから、さして無駄にもなるまい。だが、この考えを実行しなくてよかった、と今では思っている。そのことは、あとで書こう。

 さて、日付は、2020-8-19日水曜日だ。予約キャンセルは明日が期限。旅の日程を最終決定しなければならない。旅中の天気を念のため確認した。あれ~、日曜月曜、二日とも、曇りマークになっている。昨日までは、晴れマークだったのに。土曜日に準備、積み込みして、日曜日の早朝に出かけるつもりだったのだ。再度、燕三条方面の十日間天気予報を確認した。明日、あさってに晴れマークがついている。そのあとは、曇りと雨ばかり。

 急いで、ホテルの予約状況をネットで確認した。幸いにも、明日、あさってと予約可能だ。決断した。前の予約をキャンセルして、新たに八月二十日、二十一日を予約しなおした。念のために娘に連絡して、ホテルの電話番号などをラインで送った。この時点では、まだ鼠ヶ関灯台へ行く決心はついていなかった。明日の撮影次第だ。

 急遽昼過ぎから、旅の準備、荷物の積み込みを始めた。猛暑、汗だく。でも、さほど暑いとは感じなかった。およそ一時間で完了。三回目だから、手際がいい。これなら、今からでも出かけられそうだ。とはいえ、さすがにこれは自制した。暗くなってからの運転が、いやだったし、何しろ、心の準備がまだできていない。

一息入れて、シャワー。冷たいノンアルビールがうまい。明日からの旅の日程を、今一度考えた。今晩は夜の八時に消燈、明日は四時起き。五時出発。おそらく、九時に角田岬灯台到着。そのあと撮影。急な階段だった。山登りになりそうだ。

 その後、気になっていた鼠ヶ関灯台のことをまた調べた。ネット写真など眺めて、どの位置取りがベストなのか考えた。灯台正面から、赤い鳥居を入れて撮るのが定番だな。ほかに、浜から撮ることもできる。でも、問題は明かりの具合だ。行ってみないとわからない、とひとまず結論して、早めに夕食。予定通り、八時過ぎには消燈。いや、寝たのは九時過ぎだ。道順とか、しつこく、いろいろ調べていたのだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#2 往路

 八月二十日(木曜日)、一日目。

四時ちょっと前に目が覚める。外はまだ暗い。目覚ましが鳴る前に、スイッチを切った。昨晩は、九時ころ消燈し、夜中の十二時ころにいったん起きて、お菓子などを食べた。夜間飲食は、悪い習慣だ。だが、最近、どうもやめられない。無性に食べたい。これは、ストレスから来るものだ、と何となく了解しているのだが。

 昨晩は、旅前日の興奮も、わくわく感もなく、比較的平静だった。よく眠れたのだろう、今朝は眠くはなかった。整頓、洗面、かるい朝食。排便は、ほとんど出なかった。着替え、部屋の確認など、ゆっくりこなした。玄関へ行き、外へ出る前に、一応、振り向いて<行ってくるね>とニャンコに呼びかけた。切なさは全然なかった。習慣的な感じだ。外は明るくなっていた。

 車の運転席に座り、ETCカードを機械に飲ませ、ナビを角田岬灯台にセットした。午前五時八分だった。最寄りのインターまで、見知った道を走り、高速に入った。平日のせいか、大きなトラックが目に付く。横からの朝日が眩しかった。むろんサングラスはしているが、百均で買ったサンバイザーも額につけた。朝日というものは、いいもんだ。生理的にも何がしかの効用が認められている。

 習慣になっている、朝のコーヒーを、今朝は飲んでいない。標識のコーヒーカップが目に付く。ま、一時間は走ろう。渋滞情報で有名な<花園インター>付近まで、あっという間だった。次に藤岡ジャンクション、高崎、前橋の文字が出てくる。…高崎、前橋の文字を見ると、時として思い浮かんでくるのは、遠い昔、高校生時代の思い出の一片だ。

 勉強もせず、深夜放送をよく聞いていた。群馬県高崎高校と前橋高校は、ともに県内有数の進学校で、互いにライバル校だった。そこの生徒たちが、深夜放送へ投稿してくる。よくは覚えていないが、互いの悪口などを、面白おかしく書いてくるのだ。バスケ部で一緒の同級生も、その番組を聞いているらしく、教室でよくその話をして面白がった。

 夜中の電波を通じて、今まで全く知らなかった、県外の、似たような進学校の生徒たちの、軽い話を聞いて、何か、親近感のようなものを感じた。たしか、パーソナリティーは<キンキン>だった。愛川欽也の軽妙な語り口もよかった。ただ、この思い出は、これだけでは終わらず、想念は、バスケ部の同級生にまで及んでいく。詳しくは、思い出したくない。ただ、彼は、若くして交通事故にあい、寝たきりになり、その後亡くなった、と誰かに聞かされた。

 …前橋を通過すると、次は伊香保だ。なんでだろう、関越道下り方面には、思い出がたくさんある。地の利があり、夏や冬に遊びに行く場所なのだ。キャンプやスキー、旅行。それらの思い出には、人との関わりがあった。それゆえだろうか、どこか切なく、陽炎のような感じだ。自分も若かったし、関わった人たちも若かった。

おっと、長い上り坂だ。アクセルを少し踏み込んだ。かれこれ、一時間運転している。次のパーキングまで、少し運転に集中して、車を走らせた。赤城高原SAは、その名の通り、高いところにあった。かなり登ってきたのだ。駐車場は、さほど混んでもいない。トイレで用を足し、自販機でコーヒーボトルを買い、眺めのいい展望広場のようなところへ行った。家族連れなどが、ベンチを占領していて、朝っぱらから、子供たちが騒いでいる。

 少し離れたベンチに陣取り、コーヒーを飲みながら、体の屈伸などをした。暑くはない。半袖の腕が少し涼しいほどだ。そうこうしているうちに、家族連れがいなくなった。柵際へ行って、一帯を眺めた。連なる山並み。案内板があり、その山々の名前が記してある。案内板と、本物の山々を見比べた。中で、気になったのは<武尊山>。よく見かける名前で、ぶそんやま、と読むのだろうか?なるほど、ほたかやま、と読むそうで、標高も2000m以上ある。日本武尊ヤマトタケルノミコトの、武尊、という漢字が頭に残っていたのだろう。ちなみに、武尊山の山頂には、ヤマトタケルノミコトの像があるそうな。

 時計を見たのだろう。六時半になっていた。一時間以上は走ったのだ。駐車場を後にして、坂を下ったような気もするが、そのうち、また、かなりきつい上り坂になった。月夜野、水上、谷川岳が近い。要するに、群馬と新潟の県境だ。トンネルの前に、チェーンの装着場があった。ふと記憶がよみがえった。そうだ、ここでチェーンをつけたことがある。難儀したよな。トンネルは、いやというほど、これでもかというほど長かった。もっとも、この時はこのトンネルが、あの<関越トンネル>だということを失念していたのだが。

 トンネル走行には、細心の注意を払った。目線を真っすぐ、前方の車の、赤いテールランプを見続けていると、なんだか、頭がくらくらしてくる。このまま突っ込みそうだ。これはいつもの経験なので、目線を、トンネル右側についているオレンジ色のライトに、少しそらせて走ることにした。頭のくらくらは、少し収まった。

 我慢の時間が続いた。トンネルを脱出?したあとは、長い下りで、その間、短いトンネルを幾つもくぐった。と、視界が開ける。湯沢だ。スキー場で有名な観光地だ。長いトンネル走行の後だけに、気分がいい。山の斜面が、ところどころ緑になっていて、リフトが見える。ホテルのような建物も見える。ここを通過するときにはいつも、スイスのようだ、と思う。とはいえ、むろんスイスに行ったことなどない。写真か何かで見たスイスの風景を思い出すのだろう。

 この牧歌的な景色がしばらく続く。石打、六日町、と、この<六日町>だ。幼い娘たちを連れて、家族でスキーに行ったことがある。スキー自体は、初めてだったので、面白いどころか、怖かった。ただ、家族でスキーという常識的な娯楽に関しては、さほどいやでもなかった。自分が、子供のころに経験できなかったことを、娘たちにしてあげられることに、何か意味があるような気がしていた。きっといい思い出になる、と。果たしてそうだったのか、今に至るまで娘たちに聞いたことはない。

 …二時間以上走っている。二回目のトイレ休憩。たしか大和Pだったと思う。トイレだけの、小さなパーキングだ。車外に出ると、極端に蒸し暑い。日差しも強い。撮影用のロンTに着替え、顔と手の甲、指先に日焼け止めを塗った。時刻は七時半、とメモしてある。トイレで用を足し、すぐに出発。地形が変わって、高速道路の両脇には、緑の稲田が広がっている。それも延々と、きりがない。小出、小千谷と看板が出て来て、じきに長岡ジャンクション。関越道はここで終わり、北陸道に接続する。新潟方面へと、さらにひたすら走る。八時半、三回目のトイレ休憩。たしか三条燕のちょっと前の小さなパーキングだったと思う。ほぼついたな、と少しホッとしたような気もする。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#3

角田岬灯台撮影1

高速出口料金は、六千円ほどだったと思う。さすがに、ここまでくると高い。一般道に下りた。ナビの指示に従って走る。道は、平日の朝だけど、田舎だ。さすがに空いている。そのうち、マップシュミレーションでみた風景が目の前に広がった。左側は海=日本海、緑の断崖絶壁と大きな奇石が連なっている。トンネルをくぐる前に、断崖に白い灯台がちらっと見えた。あれだな。

トンネルを抜けて、海沿いの一般道を左折、角田浜に入った。何回もマップシュミレーションしているので、初めての感じがしない。コロナ禍で今年は海水浴場が閉鎖なのだろう、人影がまばら。空いていて気持ちがいい。もっとも、砂浜沿いに海の家というか、民宿が何軒かある。砂浜沿いに少し走り、断崖の下の駐車場に車を止めた。目の前には、休業中の年季の入った民宿がある。見上げると、白い灯台の頭が少し見えた。何枚か、記念写真として撮った。

灯台へ登る階段は、海沿いにある。とんでもなく急なことは、マップシュミレーションで了解していた。と、左側に、何やらトンネル。つまり、目の前の断崖の下をくり抜いて、向こう側の海へ抜けられる。これはと思い、近づいていくと、何やら看板。<名勝 判官舟かくし>。…いま改めてネット検索すると、要するに、義経伝説の一つで、奥州平泉に逃げる際に、この断崖の下にある洞窟に舟を隠して、追っ手をやり過ごしたそうな。

 トンネルの中は涼しかった。足場が多少濡れていたものの、軽登山靴を履いているので、全然問題なし。そうそう、今回からは、足の甲の、日焼け湿疹の対策として、愛用の<ダナー>の軽登山靴を履いている。思えば、とんでもなく暑かったのに、足元はさほど暑さを感じなかった。思惑が、見事に当たった。ただし、薄手の靴下だったので、靴の中で足が動いてしまい、歩きづらかった。もう少し厚手の靴下を履き、きちっと紐を締めなければだめだ。

 二十メートルほどの真っ暗なトンネルを抜けると、断崖に沿った遊歩道がある。柵はなく、目の前は海。要するに、断崖を削り取った遊歩道だ。幅は1メートル強、さほど広くもないし狭くもない。海が穏やかだったせいか、波しぶきはかからない。灯台に背を向け、ある程度歩いて、ふり返る。灯台が断崖の上に見える。ただし、あまりいい位置取りではない。でも一応写真は撮る。うねうねと、さらに行く。と、行き止まり。腰丈の柵がある。すり抜けることも出るが、そうすると、灯台は巨大な岩の死角に入る。これ以上行っても意味がない。イマイチだな~と思いながら、ここでも何枚か写真を撮った。引き返そう。義経伝説か、昭和の観光地の匂いがした。

遊歩道は渇いていた。足元にさほど注意もせず戻った。といっても途中までだ。そこに、灯台へ登る階段がある。ほぼ真っすぐ、灯台へ向かっている。さすがに、この断崖の階段には柵がついていた。暑かった!急な階段の途中で何回も立ち止まった。その都度灯台を見上げながら、写真を撮った。斜めに落ちる緑の断崖、その中ほどに、白い灯台が垂直に立っている。海も空も真っ青。モノになるかもしれないと思った。

 息を切らせながら、灯台に到着した。一休みだ。灯台は立派で、見上げると巨大だ。だが、敷地がほとんどない。灯台の胴体すれすれに歩いて、正面に回り込む。階段を二、三段あがると、三畳ほどのコンクリの平場。そこが、唯一バックをおろせる場所だ。多少の日陰もあり、ほっとした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸のまま、下の海水浴場、角田浜をもっとよく見ようと、反対側の柵際まで行った。景色はいい。

 替えのロンTを着た。濡れたロンTは、バッグに巻き付けた。こうして背負って歩けば、自然に乾くというものだ。ほんとは、もう少しゆっくりしたかった。だが、この灯台は、ハイキングコースの終点になっているらしい。断崖の上の方から、あるいは下からも、けっこう人が来る。おちおち休んでもいられない。

 灯台を背にして、断崖の登山道を登り始めた。ハイキングコースになっているとはいえ、ひどい悪路。岩がぼこぼこ出ている。歩きづらい。しかも、幅は、人がやっと通れるほど。少し登って、ふり返った。幸いにも、明かりは順光。灯台の白が眩しい。だが、電信柱が邪魔だ。まるっきり、灯台に重なっている。誰かが灯台の景観に嫉妬して、わざと邪魔させている、と疑いたいほどだ。どう考えたって、この構図は無理でしょう。

 位置をずらせばいいのだが、右手は低木が生い茂っている。柵などもあり、踏みこめない。左手は断崖。柵はないので、一歩、いや半歩くらいなら、登山道からそれることができる。だが、かなり危なっかしい。足を滑らせたら転落だ。それに、半歩それても、依然として電柱は灯台に重なったままだ。構図的には、むしろ、ますますよろしくない。

 ご想像願えるだろうか。つまり、少し高いところから、白い灯台を見下ろしている。背景は真っ青な空と海。灯台は緑の断崖に立っているわけで、素晴らしい景観だ。ところが、その灯台の真正面に、無粋な灰色の電柱が立っているのだ!

 何とか、位置取りをずらして、灯台と電柱が重ならない場所を見つけなければならない。と、ほんの一歩だけ、登山道からはみ出た場所がある。バックをおろすこともできない、狭い岩場だ。それでも、電柱君は、灯台のかなり右側に移動した。というか、すれすれで、横に並んでいる。邪魔だけど、贅沢言ってられない。慎重に、何枚も撮った。

 さらに登ると、登山道から右へ分岐する道がある。下り階段で、海側に柵もある。下って行くと、海沿いの一般道へ出られる。その歩道から、灯台が見える。要するに、横から撮れるわけだ。マップシュミレーションして見つけた場所で、当然行くつもりだった。が、念のため、もう少し、登ってみようと思った。電柱君が、灯台さんから離れる位置が見つかるかもしれない。

 登山道は、灯台から、ほぼ一直線に頂上へ向かっている。そこは、角田山というらしい。急な悪路を、文字通り、一歩一歩、登って行った。暑い、なんてものじゃない。それに、足元がおぼつかない。軽登山靴の中で足が動いてしまい、なんだか踏ん張れない。薄手の靴下を穿いていたので、スカスカなのだ。こんな本格的な登山なら、靴も、本格的な登山靴を履いて来ればよかった、と少し悔やんだりもした。

 と、登山道の右側、つまり海側に少し広い岩場があった。といっても、一メートル四方だが、どこか、人工的に踏み固められたような形跡がある。これはいい。登山道から外れて、眼下の灯台にカメラを向けた。例の電柱君が、灯台さんから、少し距離をあけていた。これまでで、最高の距離の開け方だ。ま、何とか、写真になる。かなり慎重に、念には念を入れながら、何枚も撮った。

 この位置からが、ほぼ、ベストショットだろう。撮り終わって、一息入れた。バックをおろして、座りこみたいところだった。だが、岩場は、ごつごつしていて、しかも狭い。肩からバックだけおろして、給水した。そうか、ここでみんなが写真を撮るんだな、と思った。

 念のために、撮影画像のモニターなどしていると、上から軽装の若い男が二人下りてきた。<こんちわ>と軽く会釈すると、<日本語>らしからぬ発音で<こんにちは>と返された。中国人か、いや東南アジア系だな、と思った。それと、この猫の額ほどの岩場は、写真を撮る場所、というよりは、すれちがう登山者の待機場所だろう、と考えを改めた。灯台を撮りに来る人より、ハイキングをしに来る人の方が、おそらく圧倒的に多いにちがいない。

 バックを背負った。グーグルマップによれば、さらにこの上に、もう一か所。撮影ポイントがあるようなのだ。とはいえ、登山道はさらに急になり、足場も非常に悪い。しかも、海側も低木で遮られ、視界がない。むろん、ふり返れば灯台は見える。しかし、かなり遠目。写真的には、もうこの辺が限界。立ち止まって、左側に樹木を入れて、何枚か撮った。

 上を見上げた。緑のトンネル、急な上り坂。死ぬほど暑いし、膝もガクガクしている。山登りは、もううんざりだ。それに、この上の撮影ポイントは、木々の間に灯台が見える、という感じで、是が非でも撮りたいというほどでもない。言い訳だ。苦労して登るのが嫌になったのだ。

 もういいだろう。引き返した。下りは、上りより楽だ。だが、滑って転ばないようにと神経を使った。すぐに先ほどの、猫の額ほどの岩場だ。いくらも登らなかったのだ。立ち止まり、一息入れた。明かりの具合が少し変わったかもしれない。美しい灯台の景観を、性懲りもなく、同じような構図で何枚も撮った。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#4

角田岬灯台撮影2

さらに少し下ると、分かれ道。まっすぐ行けば灯台。左側に逆Vを切って回り込む。断崖に斜めにかかる階段だ。たらたらと、二、三歩下りては振り向いて、写真を撮った。ちょうど、斜めに落ちる緑の断崖の途中に白い灯台が見える。空も海も真っ青。人影はない。涼しい風でも吹いていたら、立ち止まって、この景色を頭に焼き付けておきたいほどだ。しかし、現実は甘くない。風どころか、きびしい日射に晒されている。感傷に浸る状況じゃない。

 階段を中ほどまで下りると、灯台は、断崖の上にちょこんと見える程度になる。それに遠目過ぎて、もう写真にはならない。そのまま振り向きもせず、真っすぐ下りて、一般道の歩道に出た。すぐ左手は短いトンネル。向こうが見える。そっちにはいかないで、手すりのある歩道を行く。断崖の灯台を横から見られる位置だ。カメラを構えた。何枚か撮ったが、どうもよくない。

 歩道の手すりをすりぬけ、中に入った。そこは見晴らしのいい、少しひろい場所で、そばに巨大な岩がある。柵のない断崖の上で、危ないから、歩道から入れないようにしているわけだ。ま、危険は承知だ。なるべく、崖っぷちには近づかないで、草ぼうぼうの中を、そろそろ歩いた。見ると、今下りて来た階段の全貌が見える。断崖の上には白い灯台、下には、波打ち際の、断崖を削った遊歩道。義経が舟を隠したという、洞窟も見える。空には、うっすら雲がかかり、海は青のグラデーション。何とも、壮大で、美しい光景だ。でもやはり、この大風景の中で、主役は灯台だろう。もし灯台がなかったら、たんなる自然景観であり、わざわざ撮りに来ることもなかったのだ。

灯台は、ある種の象徴なのだろうか。断崖の白い灯台、人間はそれを見て何を思うのか?いや、自分は何を思い、感じているのか?定かではない。自分の人生や存在を、灯台に投影しているのだろうか。あるいは、男根の象徴として、半ば無意識のうちに魅かれているのだろうか。性懲りもなく、若さや生命力を渇望しているのだろうか。わからない。ただ、真っ青な海と空のなかに、屹立する白い灯台が、美しいと思うのだ。

 ここぞと思い、何枚も何枚も、同じような構図で写真を撮った。これ以上撮っても無駄だな、と思うまで撮った。ベストを尽くしたような気もするし、撮り損ねているのではないかとも思った。暑かった。限界を超えた暑さだった。巨大な岩の下が、少しだけ日陰になっている。一息入れたい。だが、草ぼうぼうで、腰をおろすことはできない。バックを背負ったまま、モニターした。大丈夫だろうと思った。いや、頭がぼうっとしていて、正確な判断はできなかったようだ。

 引き上げよう。歩道に戻った。少し歩いて、灯台へ向かう階段の前に来た。バックをおろして、給水したような気がする。そして、手すりにつかまりながら、ゆっくり階段を登って行った。途中、何度か止まり、カメラを灯台に向けた。今さっき撮った構図だから、感動はなく、なおざなりにシャッターを押した。灯台に着いた。最後は少し足取りが重かった。本来なら、ここでもう一度休んで、ゆっくり辺りを眺めたいところだ。だが、暑すぎた。早く車に戻りたかった。涼しいのは車の中だけなのだ。

 灯台の狭い敷地を右に回り込むと、浜へと降りる階段がある。その階段が、急なうえに、非常に狭い。人一人通るのがやっとという感じ。すれ違いなど、到底できないし、待機場所もない。いやな予感がしていたら、案の定、下から、爺さんが登ってきた。目が合った段階で、爺さんは止まった。どう考えたって、自分がいる以上、上には行けないのだ。なんとか、互いに体を横に向けて、やり過ごした。すいませんと小さな声で言った。だが、愛想のない爺さんで、ちゃんとした返事は返ってこなかった。

 これほど急で狭い階段は、経験したことがない。昭和の作りなのだろうな、などと思いながら、浜に降り立った。灯台の上り下りも、死ぬほど暑かった。が、浜辺は、何か種類の違う暑さだった。要するに、むっとする暑さだ。それに、日射が半端なくきつい。脇目もふらず、車へ向かった。幸いなことに、わが愛車はすぐそこに止まっていた。白い車体が眩しかった。

 車の中は、蒸し風呂状態だった。月並みの言い方だ。実態を正確に記述していない。蒸し風呂状態どころか、それ以上の暑さだった。焼けるような暑さだ。いやこれは、修飾過多だろう。とにかく、暑くてすぐには入れないような状態だった。エアコンを全開にして、しばらく、ドアを開けておいた。

 外で着替えをした。上半身に日射が当たり、痛いように感じた。ただ、足の甲はなんでもなかった。軽登山靴が日射を防いでくれたのだろう、日焼け湿疹はできなかった。車の中に入った。すべての窓にシールドを張り、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。むろん、靴下もジーンズも脱いだ。涼しい風が来る。

 ほっとして、横になった。少し頬が熱い、それに軽い頭痛。保冷剤入りバックに入っているペットボトルの水を飲んだ。冷たかった。軽い熱中症かも知れない。少し眠ろう。念のため、耳栓もした。目を閉じて、この後の行動日程を考えた。十一時半頃だったとおもう。九時から撮り始めたのだから、二時間くらい灯台を撮っていたことになる。ま、限界だな。ふっと、意識が遠のいた。

 なにか、いろいろ考えていたような気もするが、時計を見たら十二時半を過ぎていた。小一時間横になっていたわけだ。元気が回復していて、気分もよくなった。だが、横になったまま、しばらく考えていた。…この後の予定、浜辺から断崖の灯台を撮る。そのあとどうしようか。宿に入るには早すぎるし、だいいち時間がもったいないだろう。ふと思いついたのは、観光だ。近くに、弥彦がある。

 弥彦、という言葉は、小学生の頃から知っている。<国定公園記念切手>の中に、佐渡弥彦、という切手があったからだ。当時としては、きれいなカラーの切手で、金持ちの同級生が、そのシリーズを全部持っているのが羨ましかった。もっとも、当時も今も<弥彦>の実態は知らない。なんで有名なのかも知らない。山があって、神社があって、とその程度の知識だ。だが、その弥彦が目の前にある。

 そう、今日の朝、高速を降りて、角田岬へ向かう途中、ふと不思議に思ったことがある。周りは、一面青々とした稲田。なのに、海の方に山が見える。大きな塊が二つあって、右側が目的地の角田岬。その隣が、おそらく弥彦だろう。平野の中に、いきなりそこだけが山なのだ。しかもその向こうは海だ。普通は、山があって平野があって海になる。だが、順番がおかしい。目の前に広がる光景は、平野があって山があって、その向こうに海だ。要するに、平野の中に、ぼこぼこっと大きな山並みが二つある。あまり見たことのない地形だなと思った。

 今ネットでちょっと調べた。地形に関しては、海底火山が隆起したものなのか、ほかの理由なのか、詳しく研究されていないとのこと。まいったね!弥彦神社に関しては、越後一の宮と言われ、

信仰の中心地だったらしい。現在はロープウェイなどもあり、新潟県有数の観光地でもある。なるほど、関東で言えば、御岳山とか高尾山とか、そういった感じの場所だったんだ。

 ま、とにかく、景色も良さそうなので、午後はゆっくり弥彦観光だな、と心づもりして身支度をした。ちらっと、角田岬灯台の夕景を撮ろうかな、と思った。何しろ、夕日のきれいなところなのだ。だが、夕方、暗くなって、あの急な登山道を上がるのかと思うと、気持ちが萎えた。それに、まだ暑いだろう。宿のチェックインは六時になっているし、暗くなって、車を運転するのも嫌だった。要するに、何もかも、体力的なことが絡んでいて、それがやる気をすべて殺いでいる。実存とはこうしたものだ。快に流れてしまうことに、さほど抵抗はなかった。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#5

間瀬港西防波堤灯台

 窓のシールドを外して、車を移動した。角田浜の北のはずれまで行った。というのも、浜沿いに民宿が並んでいて、容易には、浜へ出られない感じなのだ。つまり、民宿の敷地を通って行かないと砂浜に出られない。やや不満だった。なぜって、公共の浜辺を民宿が占有しているわけだ。日本全国、やや大袈裟かな、かような現象が多々あるような気がする。むろん、行政に許可をもらっているのだろうが、なんか、釈然としないのだ。

 というわけで、民宿の切れた、浜の外れに来た。広い砂地の駐車場だ。外に出ると、これまた、極端に暑い。暑いと思わないことにして、護岸下の、緩やかなコンクリの段々に立った。でかい望遠カメラで灯台を狙った。遠目過ぎる。それに、垂直が取れない。しようがない。浜に下りて、波打ち際まで進攻した。ま、それでもだめだ。というのも、ほぼ逆光の上に、トップライト。紫外線でぼうっとしていて、写真にならない。

 それに、海の中には、三々五々、水着姿の人がいる。むろん、砂浜にもいる。男はどうでもいいのだけれど、女性もいる。水着だ。でかいカメラを向けたら、怪しまれるだろう。盗撮してるんじゃないかと。それでなくたって、怪しい格好のオヤジだ。灯台を撮っていることを、無言でアピールしながら撮った。むろん、長居はできない。それに、この暑さだ。粘って撮るような風景でもない。撮影終了。まったくの無駄足だった。

 車に戻った。さてと、今日の撮影は終わり!ちらっと、角田岬灯台の夕景を想像した。だが、暑くて薄暗い中、あの急な登山道をまた登るのかと思うと、気持ちが萎えた。体力もあり、時間的にも余裕のある時、しかも季節のいいときに、また撮りにくればいい。とはいえ、少し後ろ髪を引かれた。

 ナビを弥彦の山頂にセットした。と、その前に、さっき浜で見た北側の防波堤灯台を見に行こう。ナビで拡大表示すると<巻漁港>らしい。すぐ近くだ。角田浜から出て左折。五分で到着。どん詰まりで、開店休業のような鮮魚販売店があり、その前が割と広い駐車場。かまわず止めて、外に出た。なるほど、奥の方に、確かに白い防波堤灯台がある。ただし、関係者立ち入り禁止の看板が立っている。要するに、漁港の中なのだ。釣り人が入り込んでいるものの、それまでして撮りに行く灯台じゃない。あっさり諦めた。

 来た道を戻った。右手が海だ。角田浜を通り過ぎる際、キャンプ場、の文字が見えた。ちょっとした木立に囲まれた狭い場所に、二、三、テントも見えた。でも、だいぶ浜からは離れている。海水浴場は閉鎖されているのに、キャンプ場はやっているんだ。ま、規模が小さいからな。…その後は、うねうねと、海岸沿いを走った。と、海の中に、赤い防波堤灯台が見えた。あとで調べると、間瀬港西防波堤灯台、という立派名前がついていた。逆光ではあるが、海と空は真っ青、その中に一点の深紅。よく目立つ。うまいことに、手前に大きな民宿があり、その前が広い駐車場だ。入るところに公衆電話のボックスがあり、中に緑の電話機が見えた。珍しいなと思った。

 民宿の専用駐車場でもないような感じだったので、堂々と駐車して外に出た。一時半頃だった、とメモにある。強い日射をもろに浴びて、うわあっと眉をしかめたような気もする。だが、何かに引かれるように、海の中の、その紅一点に近づいていった。砂浜に下り、波けしブロックを乗り越え、さらには、立ち入り禁止の柵をすりぬけ、人影のない防波堤の下を歩いた。とはいえ、目の前の背丈より高い防波堤を乗り越えないと、紅一点には会えない。

 無理かな、と思っていると、なんと、防波堤の先端にアルミの梯子がかかっている。防波堤の上に上がれるのだ。誰が、何のために、わざわざ梯子をかけたのか?ま、そんなことはどうでもいい。細い、頼りないその梯子を数段、踏み外さないように慎重に上った。と、見えました!お目当ての紅一点は、すぐ目の前。海の中の防波堤に立っていた。運のいいことに、角度的にも、美人。だが、モロ逆光というか、トップライトだ。撮れなくてもともと、という気持ちで、ほぼ同じ構図で何枚か撮った。正直言って、ある意味極限的な状況の中で、大げさだな、紅一点にたどり着いた、ということでほぼ満足していた。

 引き上げ際に、周りを見回した。自分のいる防波堤に、変な形のものがある。コンクリのしっかりした台座の上に、白い塗装の剥げた、それほど太くない円柱だ。高さ的には小男。その上に、頭の白いライトがついている。それだけではない。円柱には、大小、二つの輪っかが溶接されていて、下の方の径が小さい。いま撮った写真で確認すると、上の輪っかは、太陽電池パネルを支える台座の役割を果たしている。一方、下の輪っかの役割は、ちょっと見わからない。ま、とにかく、こやつも、一応灯台なのだろう。

 ところで、防波堤灯台にはルールがあるらしい。ざっくり言うと、港へ向かって、右舷は赤、灯色も赤。左舷は白、灯色は緑。つまり、防波堤灯台は、ペアになっているわけだ。今一度撮った写真をつくづく見る。と、そうかと思った。配置からして、こやつは、紅一点さんのペア灯台、左舷の白い防波堤灯台だったのだ。

 変な形になってしまったのは、おそらく、外観が何らかの理由ではく奪されてしまい、骨組みだけが残ったのだろう。下についている小さな輪っかが、その証拠だ。となれば、紅一点さんは、未亡人ということになる。いや、骨組みだけとはいえ、やけに背丈が小さいぞ。間違っているかもしれない。それに、緑の明かりを毎晩灯しているわけで、死んではいない。未亡人は、言い過ぎだろう。ま、それにしても、こう考えると、真夏の真っ青な空と海の中、紅一点さんの寂しげな姿が、ますます鮮明になる。

 引き上げよう。堤防にかかっている、小さな梯子を下りた。登るときよりも、危なかった。というのも、軽登山靴は嵩が張っているのに、梯子の段々の幅は狭く、しかも、細い。へっぴり腰で、手を突いて何とか無事に下りた。来た道を戻った。しつこいようだが、暑かった。砂浜で、ふり返り、今一度赤い防波堤灯台を撮った。逆光で、よく見えなかった。遠くに、断崖と海が見えた。手前の浜に、二、三、人影もある。静かだった。いや、心地よい静寂じゃない。炎天下の、うわ~んと唸っている海辺だった。

 車に戻った。民宿の前に、黒っぽいオヤジがうろちょろしている。ちらっと見ると、向こうもこっちをちらっと見た。見慣れぬ観光客に対する興味と猜疑心だろう。そんな視線は慣れっこだ。知らん顔して車を出した。三時頃だったと思う。メモで確かめた。さ、弥彦観光だ。

 ま、それにしても、予定外の防波堤灯台を撮ることができてよかった。防波堤灯台は、みな似たり寄ったりのフォルムで、ロケーションも似通っている。灯台としては、ほとんど無名で、灯台オタク以外、わざわざ見に来る人もいない。だが、素晴らしい海と空に恵まれれば、孤高の姿が際立ち、感動的ですらあり得る。もっとも、感動しているのは自分だけかもしれない。いや、ネットにたくさんの画像がアップされているのだから、ある種の人間にとっては感動的なのだろう。ある種とは?どういう種類の人間なのか?そのうちゆっくり考えてみよう。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#6

弥彦観光~ホテル

 ナビに従い、弥彦へ向かっていた。いくらも行かないうちに、海沿いの道からそれて、いよいよ山登りだ。といっても、登るのは、わが愛車だが。軽登山靴を脱いで、素足にサンダル履きで運転していたと思う。エアコンの風向きを、顔と足元にしていたので、涼しい風がほてった足先に当たって、気持ちよかった、ような気がする。と、なんだか、狭い、いわゆるヘアピンカーブの連続だ。ちょっと、想定外だった。こんなに急なのか!

 …ジムニー秩父の山々を走り回ったことを、瞬間的に想起した。あの時は、車が小さかったし、悪路用の車だ。だが、今は普通の乗用車。一応今流行りのSUVとはいえ、街中を走る車だ。山道は得意ではないだろう。いや、こんなに急な山道は初めてなので、得意なのか苦手なのかもよくわからない。ちらっと、ナビの画面を眺めた。くねくねくねくね、まるで蛇だ。おいおい嘘だろう!まだまだずっとヘアピンカーブだ。

 真面目に?運転に集中した。幸いなことに、対向車にはほとんど出くわさなかった。というのも、曲がる瞬間は、上からの車が見えない。道端が狭いのだから、スピードを出していれば、あるいは、細心の注意を払っていなければ、おそらく、正面衝突は避けられまい。そんな、ヒヤッとした瞬間を何度も経験している。ある意味、対向車も、自分と同じようにスピードを落として、慎重に運転している、と思わない限りは、こんな山道は、こわくて走れないわけだ。いわば、運を天に任せている。

 …軽トラの運転手で生活費を稼いでいたころ、時々ふと、運転することが怖くなったことがある。万が一にも、大型トラックがセンターラインをオーバーしてきたら、それでお終いだ。実際、そういう状況で昇天してしまった、顔見知りがいる。しかし、この恐怖は、生活に迫られてではあるが、克服した。つまり、死ぬかもしれない、いや死んでもいいや、と思うことにした。びくびくしながら運転するより、その時はその時だと、穴をまくったのである。ま、まだ若くて、血気盛んだったころの話だ。

 まだかまだかと、慎重に運転しているうちに、少し目が回り始めた。いかんいかん、と視点を動かし、さらにゆっくり走った。ナビをちらっと見た。目的地の弥彦山頂は目の前だった。道が平らになった。お~、やっと着いた。ナビの声も消えた。山頂に何か施設のようなものがあるとばかり思っていた。が、何もない。道路際に仮設の駐車スペースがあるだけだ。車が何台も止まっている。半信半疑で、そこに駐車して、外に出た。

 弥彦からは佐渡がよく見える、と思っていた。スマホからの情報だろう。たしかに、佐渡は見えた。ただし、逆光の中、ぼうっとしている。目の前には、柵があり、案内板がある。右手には、見上げるような山。草ぼうぼうの中、細い登山道が上へと伸びている。ちらっと見ただけだ。登る気はしなかった。暑い中、あの急な山道を登ったところで、佐渡島は霞んでいるんだ。ま、今思ったことだけれども、あの山のてっぺんが、実質的には、弥彦の山頂だったのだろう。

 車に戻った。今日の予定は終了。宿へ行こう。ナビをセットして、走り出した。と、何やら、巨大な展望タワーが立っている。今調べると<弥彦パノラマタワー>というらしい。ガラス張りの、ドーナツ型の展望席がぐるぐる回りながら、細長い塔の上まで上昇していくのだ。たしかに、あの高さなら、展望は抜群だ。一瞬、乗ってみようかなと思った。広い駐車場をそろそろ走り、入口近くまで行った。時間は四時だった。また、体力的なことで、行動が消極的になった。何しろ、今日は、朝の四時から動いているんだ。それにまだ暑いし、山登りもして来たんだ。佐渡島だって、きっと霞んでいるに決まっている。帰ろう!

 回転して、駐車場を出た。おそらく、もう二度と訪れることもないだろう、とふと思って、かすかに気持ちが揺れるのを感じた。弥彦山を下りた。下りは、比較的道端も広く、さほど急でもなかった。対向車に出くわすこともほとんどなく、あっという間に下界に下りた。要するに、観光用のルートだったわけで、走りやすいように道を整備したのだろう。わざわざ急な山道を登ってしまった自分が頓馬だったのだ。

 燕三条のビジネスホテルまでは、30分もあれば着くだろう。一面黄緑色の稲田の中を市街地へ向かっていった。途中、ナビのいく方向が、工事で通行止め。ぐるっと回り道。要するに、本来左折するところを、直進させられ、その後左、左、右と曲がって、本来行くべき道に戻るわけだ。しかし、その迂回路が、信じられないほど長かった。とはいえ、黄緑色の中をぐるぐる走れたのは、面白い経験だった。極端に広い農道、稲田一枚の面積もかなり大きい。埼玉とは、規模が全然違う。異なる風土を感じた。これも旅の面白さの一つなのだろう。

市街地に入る前に、給油した。セルフで値段も埼玉と変わらなかった。ナビで事前に調べたあったコンビニに寄った。比較的感じのいいセブンイレブンで、おにぎり三個、牛乳、菓子パン、唐揚げを買った。全部で千円ほどだ。宿はもう目の前だった。マップシュミレーション通り、ホテルの入口に一番近い駐車場に入った。だが、並んでいる。駐車待ちだ。なるほど、ここはイオンの平面駐車場で、誰もが止めたいわけだ。大きな立体駐車場もあるが、売り場に遠くなる。ちなみに、ホテルはイオンと接続していて、駐車場も兼用なのだ。五分くらい待って、駐車した。

 一応、サンダルをウォーキングシューズに履き替えた。カメラバックの重さはさほど気にならなかったものの、飲料水や食料、多少の着替えなどを入れたべージュのトートバックは、かなり重かった。閑散とした<サイゼリア>の横を通り、広い道路に面した、ホテルの正面玄関から入った。あれ、受付が見えない。左手は<銀座>という名のレストラン、右手はロビー。比較的きれいで高級な感じ。受付の文字を見つけて、右手に少し行くと、受付カウンターがあった。

 三十代くらいの若い男。対応はビジネスライク。問題はない。コロナ関連や<Go tooキャンペーン>関連なのだろう、書面にチェックして、署名した。そのあと、現金で¥6760払った。二泊でこの値段、安い!だが、いつも冷ややかな眼で見ている日本政府から恩恵なわけで、心の底からは喜べない。領収証は、と聞かれた。欲しいというとチェックアウト時に渡すという。ま、別にどうでもいいことだ。

カードキーではなく、プラ棒についている鍵を渡された。エレベーターに乗り、部屋に入った。まずまずきれい。こんなもんでしょう。とはいえ、気になったのは冷蔵庫。すぐ開けてみた。う~ん、少し冷えている。前回のホテルよりはましだろう。荷物整理して、テレビをつけた、その後シャワー。ま、気持ちよかった。出てきて、お決まりのノンアルビール。今回は、保冷剤をいれた小さな保冷バックに入れきた。冷えている。グラスの紙カバーを外して、注いだ。うまかったと思う。

 おにぎり、唐揚げを平らげ、ベッドに横になった。ふと思って、カメラを取りだし、モニターした。撮れていても撮れていなくても、あとの祭りではあるが、今日の成果を確認して、満足したかったのだ。まずまずだった。天気がよかったからね。ひと安心した。そうだ、まだやることが残っていた。メモだ。テーブルに向かって座りなおした。出発してからのことを、時間軸にそって、思い出そうとした。何時にパーキングに寄ったとか、灯台に何時に着いたとか、昼寝の時間とか、ホテルに何時に入ったとか、ある意味些末なことだ。だが、メモしておかないと、日誌を書くときに苦労する。時間に関しては、まったく思い出せないことがしばしばあるのだ。

 今だって、正確には思い出せない。行動の節目節目に、腕時計をちゃんと見て、時刻を記憶しているわけではないのだ。時計なんか、ちらっと見る時もあれば、見ないときもある。だから、前後関係で、類推してメモっている。したがって、やや時間がかかるし、頭を使うのだろう。眠くなってきた。何時頃だったろう、夕方の六時ころかな、メモには<六時ねる>と記してある。一応書き終えて、部屋を暗くした。エアコンは自動から27度にセットし直した。横になった途端、眠っていたと思う。

 今日の出費。

宿代二泊¥6760、高速¥5950、ガソリン¥2355、飲食¥1147。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#7

鼠ヶ関灯台撮影プロローグ

 二日目

昨晩は、六時に寝て、九時頃いったん起きたようだ。おそらく、テレビをつけて、持参したカップ麺などを食べたような気がする。小一時間して、また寝たのだろう。いつものように、一、二時間おきに夜間トイレ。物音に煩わされることはなかった。

 五時起床。洗面、パンと牛乳で軽く朝食。便意がなく、排便なし。身支度。出る前にちょこっと部屋の整頓をした。エレベーターで一階に下りて、受付にキーを預ける。外に出ると、朝からもう暑い。駐車場には、二、三台車が止まっている。ということは、この大きなホテルに、二、三人しか宿泊しなかったということなのか?もっとも、巨大な立体駐車場もあるから、そっちに止めたのかもしれない。とはいえ、昨晩の感じからして、宿泊客は少なかったに違いない。部屋に出入りする音がほとんどしなかった。こっちはゆっくり眠れてよかったのだが。

 六時出発。その前に、お決まりの行動。ナビを鼠ヶ関灯台にセットした。駐車場を出て、ぐるっと右に回り込むような感じで、すぐに高速の入り口。北陸自動車道、三条燕だ。早朝だというのに、意外に車が走っている。しばらく走って、新潟辺りに差しかかると、道が分岐。むろん真っすぐだ。ちなみに右方向は、磐越自動車道会津の方へ伸びている。さらに行くと、日本海東北道の文字が見える。<日本海東北道>?そんなのがあったのか、初めて知った。いつの間にか、片側一車線になっている。

 タンクローリーや、軽自動車が前にいると、途端に車列ができる。とはいえ、インターの出入り口付近になると、追い越し車線が追加される。ここぞとばかり、後続の車が追い越しをかける。ま、自分もその一台だ。そんなこんなで走っていくと、料金所があった。ETCだから、現金は払わない。料金表示板に\2210、とあった。わりと高いなと思った。

 目的地の鼠ヶ関灯台までは約140キロ。うち高速走行は100キロ、時間にして一時間半はかからない。だが、長く感じた。とくに料金所を過ぎてからは、退屈だった。片側一車線、車の数も少ない。車間距離をあけて走っていればいいわけで、おのずと、周りの景色などが目に入ってきた。黄緑の稲田の中を、高速道路が突っ切っている。左右には低い山並みが見える。延々と、この景色が続いている。

 だが、いい加減飽きた頃、終点になった。<朝日まほろば>というインターで、日本海東北道は終わっていた。要するに、未完成の高速で、おそらく、いずれは、秋田を抜け青森まで伸びるのだろう。それにしても<まほろば>という聞きなれない言葉に、少し惹かれた。あまり聞いたことのない日本語だ。いまネットで調べたら<すばらしい場所>という意味の古語らしい。となると<朝日まほろば>とは、朝日が素晴らしい場所、ということになる。なるほどね~、語音が奥ゆかしい。

 その<朝日まほろば>で高速を降りて、一般道をこれから40キロも走らなくてはならない。そうだ、書き忘れたが、高速を下りる前にトイレ休憩した。パーキングの名前はよく憶えていない。一般道40キロ、市街地なら二時間かかるところだが、おそらくは田舎道だ。一時間で走破できるだろう。その準備としてのトイレ休憩だった。要するに、少し気合を入れなおしたのだ。

 地図上では、国道7号線だ。山形県へ向けて北上した。道は片側一車線。すぐに山間を走ることになる。ただし、道幅が広く、しかも、信号がほとんどない。走りやすい。60キロ前後で、ずうっと行く。道の両側には、民家が点在している。比較的大きめな、板塀の日本家屋だ。どこか懐かしい。

 育った板橋の長屋も板塀だったし、通った小学校の校舎も板塀だった。板塀のくすんだこげ茶色に、昭和を感じた。雪国の厳しい風土も感じだ。おそらくは、日本の近・現代化から切り捨てられた過疎地だろうとも思った。ただよく見ると、玄関口をサッシ窓で取り囲んで、寒気を防いでいる。そういう家が多々ある。人影は全くなかったが、生活の気配はする。小さな製材所も見えた。林業で生計を立てているのだろうか。よけいなお世話だ。ふと<常民>という言葉が脳裏をよぎった。自分の知らないところで知らない人間たちが生息している。どうでもいいことだと思いながらも、いやな感じはしなかった。

 そのうち、完全に山の中だ。上ったり下ったり、トンネルをくぐったり、<洞門>と呼ばれる、片側がコンクリの格子になっているトンネルなどもくぐった。県境はどこでも険しい山なんだ、と思った。と、視界が開けた。左側に海。彼方の岬に灯台が小さく見える。ナビの指示に従って、七号線から右にそれて、灯台の見える方へ向かった。やっと着いた。

 小さな港に入った。鼠ヶ関灯台は観光地になっているものの、下調べの段階では、付近に駐車場などはない。ま、その時は、港の空いているところに止めてしまおう、とアバウトに考えていた。なにせ、最果ての観光地という感じなのだ。案の定、閑散としている。もっとも、まだ八時二十分だった。メモに記してあった。二時間半くらいかかると思っていたから、少し早かったなと思った。

 ゆっくり、辺りを見回しながら、鳥居の見える方へ、車を動かした。なるほど、左側に、五、六台車を止めるスペースがある。公衆便所も横にある。止めるならあそこだな。どん詰まりの神社の前で回転、その道路沿いの駐車スペースに、車を頭から突っ込んだ。二、三台、車が止まっていた。だが、駐車スペースはおろか、港のどこにも人影は見えない。

 ちなみに、今ネットで、この鼠ケ関についてちょっと調べてみた。この場所は、義経が、追っ手を逃れて奥州平泉へ落ち延びる際に上陸した地で、そのあと、現在の七号線のあたりにあった、奥羽三大関所の一つ、鼠ヶ関を弁慶の奇計をもって通過したらしい。ま、歴史的にも地理的にも、由緒あるところだね。

 それと、鼠ヶ関灯台の手前にあるぼこっとした山は、名勝弁天島といい、昔は、海の中にあったようだ。その付近の小島をつなげて、今では陸続きになっている。なるほど、灯台も絡めて、観光地化したわけだ。さらに、手前の神社は厳島神社といい、弁財天と金毘羅様を祭っているとのこと。夕日が美しいことでも有名らしい。

 鼠ヶ関灯台の初点灯が大正14年。その時には、おそらく、陸続きになっていたのだろう。名勝弁天島義経伝説、厳島神社灯台、夕日、海産物。とまあ~、観光地の条件はそろっている。古代、中世、近世、近代と、長い間、人々が行き交ってきた場所なのだろう。とはいえ、今現在の雰囲気は、やや寂しい。廃れた感じがしないでもない。もっとも、自分的には、その方が好きだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#8

鼠ケ関灯台撮影1

 さてと、車から出た。これは、と思うほど蒸し暑い。もちろん陽射しも強い。たが、ここまで来た以上、暑いの寒いのと言っていられない。カメラバックを背負った。横にあった、公衆便所で用を足した。それなりの臭いがした。便所の正面には、自分の背丈以上の錆びた錨が、どんと置いてあった。なんじゃらほいと思いながら、記念写真をパチリと一枚撮った。

 便所の横を回って、浜に出た。緩やかなコンクリの段々があり、背後には一段と高くなった、小さな展望台があった。屋根があるから、多少の日陰になっている。あとで、あそこからも撮ろうと思った。向き直ると、弓なりの浜の向こうに、なぜか、そこだけ凹っと、三角の岩山がある。てっぺんの方に松が密集して生えている。そのまま視線を左に移動すると、鳥居が見え、さらにその先の断崖に灯台が見えた。

 浜からは、ちょっと遠目、灯台の垂直もイマイチよくない。だが、左手に、海の中に突き出た防波堤がある。撮るならあっちだなと思いながら、近づいて行った。長い距離ではない。が、そこまで行くにも、二、三歩行っては、カメラを灯台の方へ向けてシャッターを押した。念のためというよりは、できることなら、灯台を全方向から撮りたいのだ。その中からベストのものを選ぶ。

 むろん、海側からは撮れないし、今回の場合は灯台の向こう側の浜からも撮れない。それでも、全方向から撮る、という原則は貫きたかった。もっとも、最近は<ドローン撮影>というものがあって、字義通り、全方向から撮ることも可能だ。灯台に関しても、<ドローン撮影>をした動画がユーチューブにたくさんアップされている。空からの、見たこともないアングルだから、面白い。

 <ドローン>か!少し食指が動いて、ネットで調べてみた。結果、<ドローン>撮影を請け負う会社があるくらいで、素人が、ちょこっと撮影できるようなものではない、ということが判明した。もちろん、趣味で、小さなドローンを、ちょうど、ラジコン飛行機のように飛ばすことはできるだろう。だが、こっちの目的は、巨大な灯台を、海側から、あるいは、背後から撮るという壮大なもの?で、どう考えても、高度な技術とかなりの金が必要だ。ま、俺に野心があったなら、ドローン技術を習得して、誰も見たことのないアングルで、灯台を撮ることができるかも知れない、などと一瞬アホな夢想をした。

 山形県鶴岡市の、鼠ヶ関灯台の撮影に戻ろう。風景撮影は午前中が鉄則、と何かで読んだ覚えがある。別に、それに従ったわけでもないが、午前中の、よい光の中で撮影ができた。つまり、運良く、灯台に光が当たっていたのだ。それもほどよく!思えば、昨日の角田岬灯台にも、光が当たっていた。やはり午前中だ。主要被写体の灯台に光が当たっていないと、何となくさえない写真になってしまう。犬吠埼灯台で経験済みだった。今回は、ある意味、千載一遇のチャンスかもしれない。防波堤を隅から隅まで歩いて、できうる限り、慎重に撮った。

 一息入れよう。撮りながら戻り、先ほどの展望台に上がった。といっても、浜よりほんの少し高い程度だが。コンクリのテーブルが二つあり、それぞれに腰掛が左右一つずつある。なるほど、対面して、灯台や夕日が眺められるわけだ。案内板には、海の向こうに夕日が落ちる写真も印刷されている。

 一つのテーブルには、横からの日射が当たっている。日陰になっている方に陣取り、まずは着替えた。びっしょりになったロンTを、その、陽の当たっているテーブルの上に広げた。上半身裸のまま、ベンチに腰かけて、給水。一息入れて、バックから、望遠カメラを撮りだした。横着して、三脚は持ってこなかった。すぐそばの車の中にはある。が、取りに行くのが面倒だ。それに、この位置からだと、灯台の垂直がイマイチよくない。必要ないだろう。しゃがみこんで、柵の上にカメラを乗せ、何枚かは撮った。

 ろくにモニターもせず、二台のカメラをテーブルの上に載せたまま、海の方を眺めた。上半身裸のままだ。靴下も脱いでいたと思う。夕日がきれいだとは聞いていた。目の前の光景を、頭の中で夕景に変換した。なるほど、確かに海に沈む夕日はきれいだろう。ただし、灯台も岬もシルエットだ。是が非でも撮りたいとは思わなかった。それに、日程的に無理だろう。二時間半かけて、三条まで帰らなくてはならないのだ。

 多少の心残りを感じながら、身支度をした。展望台を下りて、辺りを見回した。弓なりの砂浜沿いに、背丈ほどの、頑丈そうなコンクリの護岸がある。その下が遊歩道になっていて、灯台の方へ続いている。あそこを歩いてくのが一番楽だ。だが、灯台の垂直を考えるならば、浜の波打ち際を歩きながら撮るのがベストだ。それに、浜が切れたところに、波消しブロックに守られた防波堤がる。あれに登って、先端まで行けば、灯台の垂直はほぼ確保できるだろう。

 砂浜を歩き始めた。きれいな砂浜ではない。プラごみなども散乱している。とはいえ、海水は透き通るほどきれいで、断崖に立つ灯台は真っ白、神々しいほどに美しい。近寄れば近寄るほど、そばにある鳥居の赤が目にも鮮やかだ。青空にうっすら雲がたなびき、かすかに波が押し寄せている。これで、海風が心地よかったら、最高だろうなと思った。実際は、歩き始めるとすぐ汗だく、陽が高くなり始めていて、これは危険な暑さでしょう。

 砂浜は波消しブロックで終わっていた。その波けしブロックをよじ登って、防波堤に上がった。凹凸のある表面で歩きづらい。とはいえ、灯台は目の前だ。水平線と灯台の垂直が両立している。大小二本の鳥居もはっきり見える。もっとも、灯台見物に来た観光客の姿もはっきり見えた。さいわいにも、人数的には少なくて、若いカップル、爺ちゃんコミの家族、若者一人、若い母親と子供、確かそのくらいだった。煩はしいというほどでもなかった。さすがに最果ての灯台だ。防波堤を行ったり来たりしながら、ゆっくり楽しみながら撮った。

 さてと、いよいよ灯台のある断崖に上陸だ。砂浜から上がって、断崖にかかる急な階段を登った。その階段の手すりが、ちゃっちい感じで、半分壊れかけている。見ると、断崖の岩盤に、直接ぶっといフックのようなものが打ち込まれている。なるほど、以前は、この階段すらなくて、フックにロープか鎖を通していたんだ。それを手にして断崖をよじ登る。山の急な岩場などを登るときの仕掛けだ。一、二度経験したことがある。その方が面白かったなと思った。

登るまでは、大した高さの断崖じゃないと思っていた。だが、実際登ってみると、息が切れた。いや、こっちが疲れていたんだろう。それに、もうジジイなんだ。色の塗ってない、しらっ茶けた、大きな木の鳥居をくぐった。と、断崖の上に到着。平場になっていて、コンクリの通路が灯台へと続いている。なんだか、雑然とした感じがしないでもない。

 そもそも、自然の岩場、断崖の上に、コンクリの通路があるのが、おかしいでしょう。それに、赤い鳥居、ま、これはきれいだから許せるとしても、その奥の、灯台の真横にある、小さな、ちゃっちい社(失礼!金毘羅様が祭られているらしい)、それに鐘撞台だ。いや、今調べたら、鐘撞台じゃない、<幸せの鐘>というらしい。最近設置されたようだ。とにかく、灯台の周りが、多少ごちゃごちゃしているような気がした。とはいえ、さすがに、コンクリ通路の両側には、ちゃんとした柵があった。何しろ断崖の上なのだ。

 案内板を見た。付近が、ちょっと広くなっている。なるほど、ここが、写真の画面に灯台がおさまる限界なのだろう。ネットでも、この辺りから撮ったであろう画像がたくさんあった。ま、文句はない。正面から灯台を撮るには、ここしかないのだ。赤い鳥居を入れて、気合を入れて何枚も撮った。狭い断崖の上を、右に左にと移動して、粘るだけ粘った。もう限界だろう。<金毘羅様>も<幸せの鐘>も<コンクリの通路>も、この際関係ないような気がした。気にならなくなっていた。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#9

鼠ヶ関灯台撮影2

 灯台に、これ以上近づくと、写真にはならない。被写体がでかすぎて画面におさまらないのだ。いや、縦位置なら入る。でも<縦位置>は禁じ手にしている。何が何でも<横位置>で撮ることにしている。理由は、灯台を風景の中に開放したいのだ。正確ではない。わかりやすく言えば、灯台のある風景が好きなのだ。横位置の画面は、横への広がりがあり、当たり前だ、<横位置>なんだから、風景写真に適している、と思っている。

 とにかく、近すぎて灯台はもう撮れない。だが、行けるところまで行く。近づけるところまで近づく、というのが信条だ。<信条>という言葉は大袈裟すぎないか?ま、いい。鮮やかな赤い鳥居をくぐって、灯台の根本まで行った。笑っちゃいけないんだけれども、座面に<恋のいす>と書かれた、背なしの木製ベンチあった。<恋>は赤色、<のいす>は青色になっている。設置したばかりなのだろう、真新しい感じだ。カンカン照りの炎天下でなければ、面白半分に腰かけたかも知れない。

 さらに、灯台に近づいた。と、その前に、左手にある<金毘羅様>を見た。もっとも、この時は<金毘羅様>だとは思っていない。赤い鳥居をくぐった先にあるのだから、<神様>を祭っていることくらい気づいてもよさそうなものだ。だが、くすんだステンの柵に囲まれた、石の小さな社を、何かの冗談かなと思ったような気もする。何しろ、背後の高いところに、ジングルベルの鐘がぶら下がっているし、脇には金属製の細いポールが立っていて、てっぺんにピンクの布切れがひらひらしているのだ。おそらく、ちゃんとは見ていない。何しろ、暑くて、早く日陰で休みたかったのだ。

 <燈台もと暗し>とはよく言ったものだ。誰が言い出したことなのか、まったく知らないけれど、面白い比喩だ。その<灯台のもと>、根本に近づいたのは、<信条>だけではなく、生理的な欲求も絡んでいた。つまり、灯台の根本には、必ず日陰になっている場所があり、そこで一息入れたいのだ。

 鼠ヶ関灯台の正面?灯台への入り口のドアは、なんだかにぎやかだった。一番上に赤系統の浮き輪がレイアウトしてある。撮った写真で確認すると、その下は灯台の案内や説明のパンフなどが貼りつけてあるような感じだ。ま、とにかく、レイアウトの色合いがきれいだなと思った。

 灯台の根本は、ぐるっと腰かけられるようになっていた。ご丁寧なことに、コンクリ細工の小さな座布団までしつらえてある。思った通り、日陰があり、うれしいことに、涼しい海風が吹いている。と、海に向かって、この狭い場所に木製の背なしベンチがある。座面に<愛のいす>とある。仕様は<恋のいす>と全く同じ。<恋>という文字が<愛>に変わっているだけ。まいったな、と苦笑いした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸、靴下も脱いで裸足になり、一息入れた。<十時半灯台で休憩>とメモにあった。

 八時から撮り始めたのだから、二時間も、炎天下の中で写真を撮っていたことになる。その間、さほど暑いとも、疲れたとも感じなかった。だが、今は、さすがにぐったりだ。涼しい海風も吹いている。ここで、小一時間休んでいこう。背筋を伸ばして、座りなおした。というのも、灯台根本の縁のような腰掛の幅が狭くて、背筋を緩めた楽な姿勢では座れないのだ。つまり、灯台本体に背筋をぴたっとつけて真っすぐに座る方が、まだ楽だ。背中が灯台の冷たさを感じた。首や手足の筋肉を緩めた。頭を垂れた感じで姿勢よく座っている。さいわい、灯台見物の観光客は誰も来なかった。目を軽く閉じて、この後の予定を考えた。微かに波音が聞こえたような気もする。何しろ、さほど高くはないが、断崖の先端に居たのだから。

 明かりは、この後、日が昇るにつれて、ますますトップライトだ。灯台はもとより、海も空も断崖も、きれいには撮れないだろう。もっとも、無理して撮ることもない。午前中の、最高の明かりで、写真は五万と撮っている。あれ以上の写真が撮れるとは思えない。とはいえ、午後の明かりはどうだろう。灯台が、また違った姿を見せてくれるかもしれない。

 姿勢を変えた。狭い縁の腰掛に、肘を枕にして横になろうとした。だが、これは無理だった。縁の腰掛は、灯台の胴体に沿っているわけで、緩やかにカーブしている。うまく横になれない。その上、心づかいのコンクリ細工の座布団が、腰に当たって痛いのだ。そばにあった、着替え用のロンTを当てがったものの、寝心地の悪さは改善しなかった。

少し我慢していたが、そのうち起き上がった。先ほどよりは、多少緩やかな姿勢で座りなおした。足は曲げずに、投げ出すように前に伸ばした。足先が少し、日陰から外に出た。多少引っ込め、そのまま頭を垂れた。夕陽までは、さすがに待てないような。日没がおそらく、六時半、それから夜道を二時間半走って、宿に戻る。いや、三条のホテルには戻らず、鶴岡に宿をとる、という手もある。その辺の民宿という手もあるが、これはやはり却下だな。それにしても、ここから、鶴岡市街までどのくらいあるのだろう。

 座りなおした。少し頭がはっきりしていた。携帯で、鶴岡までの距離やホテルの予約状況などを調べた。距離は約40キロ、一時間強。ビジネスホテルはたくさんあり、当日予約もできなくはない。だが、翌日の帰路が大変になる。自宅まで、おそらく400キロ以上走らねばならない。あ~、来る前にさんざん考えたことだ。日程的に、夕景の撮影は無理なのだ。また、いつかそのうち、撮りに来ることもあるだろう。自分の気持ちをなだめた。

 さてと、なんだか、目が覚めてしまった。といっても、まだ十一時過ぎだ。この暑さ、どう考えたって、二時過ぎまで、撮影は無理でしょう。もう少し、ここでゆっくりしよう。改めて、辺りを見回した。なるほど、いい景色だ。望遠カメラを撮りだした。裸足のまま、数歩歩いて、例の<愛のいす>に近づいた。ほとんど何のためらいもなく、座った。目の前には、そう、真っ青な日本海が広がっていた。

 眼下の岩場には、カモメのような鳥が一羽、波しぶきを受けながらも、一か所にとどまっている。魚を狙っているんだなと思った。望遠でのぞくと、何やら、目が鋭くて、怖い表情だ。なるほど<ウミネコ>だ。向こうを向いたりして、なかなか表情がちゃんと撮れない。周りに仲間はいない。まさに一匹狼?の、はぐれ鳥だろう。少しの間、波間の岩場にとまっている<ウミネコ>を眺めていた。自分より強いな、と思ったような気もする。

 <愛のいす>から立ち上がった。いったんカメラをおさめて、今度は、海岸寄りの、海の中にある赤い防波堤灯台を、柵越しに眺めた。よく見ると、灯台の立っている防波堤は、波消しブロックで全面ガードされている。だから、その赤い物体は、波消しブロックの上に立っているようにも見える。遠目とはいえ、空も海も真っ青、小さいが、紅一点が目立つ。形は、昨日新潟で撮ったものとほぼ同型。だが、ロケーションが違うせいか、別物に見える。どこか、雄々しい感じがする。これはこれでいいなあ~と思った。

 十一時半を過ぎていたのだろうか。引き上げだ。灯台の日向側に干したロンTを取りに行った。日射をもろに浴びた。暑いな~!ロンTはすっかり渇いていた。ふと、眼下の岩場を見た。<ウミネコ>はいなかった。いや、海の方へ飛び立っていく姿を見たような気もする。それに、休憩の最後の方に、若いカップルがすぐ近くまで来たような気もする。自分の前を通って、<愛のいす>に二人して腰かけたのだろうか。それとも<恋のいす>に肩寄せ合って座っている姿を見たのだろうか。定かではない。夢、幻か。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#10

鼠ヶ関灯台撮影3

 小高くなった、灯台周りの狭い敷地から、陸地側を見た。目の下には<恋のいす>があった。赤い鳥居も見える。漁港とか三角の岩山とか、なかば逆光だが、いいロケーションだ。と思ったのだろう、パチリと一枚撮った。お遊びで、ブログに載せようとも思った。灯台の敷地から降りた。案内板のあたりで、コンクリ通路が二股になる。右側が、先ほど、海から登ってきた道。左側は、どこへ行くのだろう?三角岩山(=弁天島)の縁沿いに続いている。まあ、行ってみるか。灯台に背を向けて歩き出した。少し行って振り返り、写真を撮った。太陽が、真上近くにあり、斜め逆光、きれいには撮れない。この位置取りも、午前中に撮っておくべきだったな。

 コンクリ通路は、緩やかな下りだった。と、向こうから、年配の夫婦がやってきた。いわゆる、後期高齢者だろう。その旦那と奥さんの距離の置き方が、ややおかしい。つまり、旦那の方は、通路の下の岩場を歩いて灯台へ向かっている。一方、奥さんは、歩きやすいコンクリ通路にいる。サングラスにサンバイザーを被っていたからなのか、二人の顔はよく見えなかった。いや、よく見なかった。

 ただすれ違いざまに、左下にいる旦那の表情をちらっと見た。なんだか、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。ものすごく暑い、ということもある。それにしても、互いに老い先短い夫婦が観光に来ているわけで、もう少し表情を崩してもいいだろう。余計なお世話だが。

 三角岩山の影に入った。日陰だ。振り返って、灯台の方を見た。もう、かなり遠くて、写真にはならない。同時に、例の老夫婦の姿も目に入った。旦那は、岩場から、背丈以上高い、コンクリの通路へよじ登ろうとしている。奥さんの方は、コンクリ通路の上から、何か言っている。ようするに、旦那は、意固地になって道なき道を進んで、危険を冒している。奥さんが諌めているわけだ。

 と、ふと思った。そうか、コンクリ通路ができる前は、波打ち際の岩場を伝わって灯台を見に行っていたんだ。旦那がよじ登ろうとしている場所には、おそらく、ロープか鎖が架かっていたのだろう。いわば、灯台への、昔の通路で、ひょっとしたら、旦那は、以前、今の奥さんではない、別の女性と一緒に歩いたのかもしれない。その記憶が、あの意固地さの由来だったのだ。おそらく間違いない!

 日陰ということもあり、小休止方々、なおも、老夫婦の行方を眺めていた。旦那は、老体に鞭打って、あぶなかっしい感じで、何とか、通路に這い上がった。奥さんの諦め顔が目に浮かぶ。そのあと二人は、やはり少し距離を置いて、灯台の敷地に上がっていった。ふむ、<恋のいす>には腰掛けなかった。日向だからな。

 そのあと、二人して、金毘羅様などをちらっと見て、灯台の根本へ行った。さっき自分が休憩していた、日陰だ。奥に旦那のシルエット、手前に奥さんのシルエットが見える。と、旦那のシルエットが半分になった。おそらく<愛のいす>に腰かけたのではないか。そして振り向いて、こっちに来い、と奥さんに呼びかけたのかもしれない。だが、奥さんのシルエットはそのままで、少したって、灯台の縁に腰かけた。シルエットは離れたままで、肩寄せ合って並ぶことはなかった。ま、あの旦那、奥さんに声はかけなかったかもしれない。

 もういいだろう。灯台に背を向けた。三角岩山の裏側、というか表側に来た。見上げてみたものの、登れるような道も階段もなかった。それよりも、左手の漁港の向こうに、小さく、白い防波堤灯台が見える。いま思えば、灯台の根本から撮った、赤い防波堤灯台のペア灯台ということになる。近づくには、コンクリ通路からそれて、目の前の防波堤に登り、その上を百メートル以上歩いていかねばならない。

 大した高さでもない、いちおう、防波堤に登った。辺りを見回した。炎天下の漁港に人影はない。ところが、防波堤は意外に高くて、幅も狭い。ちょっと危険を感じた。そのうえ、暑くてかなわん!ま、いいか、ということになり、コンクリ通路に戻った。灯台は、完全に三角岩山に隠れて見えなくなった。

 少し行くと、朝来た時にUターンした場所に出た。立派な神社が目の前にある。日章旗が掲げてあったかな?目障りな感じがしないでもなかった。とはいえ、観光気分で、鳥居をくぐった。本殿の前に行って、財布から小銭を取りだし、賽銭箱に投げ込んだ。一応、手を合わせ、垂れ下がった太い紐を引っ張って、鈴を鳴らした。さえない音色だった。それと、賽銭箱の前に<おみくじ>があった。一瞬、引いてみようかと思った。だが自制した。意味がないだろう。

 そうそう、書き記すのを忘れていたことを思い出した。灯台を去るときに、例の<しあわせの鐘>を、面白半分に鳴らしたのだ。意外に大きな音で、海に響き渡った。と、むかいの防波堤の影から、真っ白なプレジャーボートが、ものすごい勢いで、こっちに突進してくる。一瞬、あれ~まさかと思った。いたずらが発覚したような気持になった。そんなはずはない。なにしろ、ちょっと前、若いカップルが鳴らしていたのを、この耳で聞いているのだ。むろん、勘違いだった。白い波を立て、プレジャーボートは目の前を横切って行った。

 どうでもいいことだが、鈴とか鐘とかがあると、意味もなく、鳴らしてみたい衝動に駆られるようなのだ。なぜだかわからない。これまで幾多の神社仏閣で、賽銭箱に小銭を入れたのは、鈴や鐘を鳴らしたいがための手続きだったような気がする。タダで鳴らすには気が引けたのだ。

 なお、この<厳島神社>には、面白いものがあった。巨大な錨で、それも三基、形よく並べてあった。何しろ、くっついている鎖の(錨鎖=びょうさ、と言うらしい)一個が、手のひらサイズの大きさだ。なぜ、ここに置いてあるのか、案内板はなかったような気がする。まじめに?何枚かスナップした。ちなみに、この巨大錨は、先ほど書いた、トイレ正面の、背丈ほどの錨の数倍はあった。

 これで、午前の撮影は終わり。十二時頃になっていた。鳥居を背にして、ぐるっと辺りを見回した。左手は、漁港。先ほど、その上から見た、防波堤下の道は、関係者以外立ち入り禁止だった。依然として、人影はない。なるほど、漁港全体が工事中なのだ。小さな立て看板を見たような気もする。と、真新しい灰色の防波堤の向こうに、白い防波堤灯台が見えた。道から、立ち入り禁止の漁港に少し入り込む。カメラを構えた。電線が邪魔だ。それに、工事中だけあって、付近が雑然としている。気のないシャッターを押した。

 向き直って、駐車場へ向かった。その時、一台の軽自動車がやってきた。なかから、険悪な表情をした爺が出てきた。なぜか、こちらを睨んでいる。ちょっと体が不自由なようだ。その表情は、言ってみれば、激高した人間のそれで、怒りと嫌悪に満ち満ちている。何か、悪いことでもしたのかな、と自分を顧みた。あるとすれば、コロナ禍の中、旅行していることだ。もっとも、それとて<自粛要請>が出ているわけでもない。

 ま、シカとして、自販機でスポーツ飲料を買った。と、爺が、道の向こうから、わざわざ自販機のそばまで、不自由な体を引きずってきた。相変わらず、激高した表情で、こちらを睨みつけている。あの体で運転して来たのか?いや、軽自動車から、息子のような、介護者のような、貧相な中年男が、爺のもとへ駆け寄ってきた。今や、二人は自販機の前にいる。

 自分は五、六歩離れて、ふり返る。依然として爺が、こちらを睨みつけている。貧相な男が爺の腕を抱えて、無言で、なだめているようにみえた。なんだかよくわからない。自分の風体が気に障ったのだろうか?でかいカメラをぶら下げているのだから、写真を撮りに来た観光客であることは、誰が見ても一目瞭然だ。だが、じいっと何回も睨まれた。意味が分からない。釈然としなかった。

 歩き始めると、右側の土産物店から、香ばしい匂いがしてきた。いや、もっと前から匂いには気づいていた。暗い店の中から、シルエットのおばさんが、<いらっしゃいませ>と声をかけてきた。軽く会釈して通り過ぎた。見ると、日向になっている道の方には、ずらっと台が置かれていて、その上に、イカとか魚とかが干してある。みな<ひらき>になった状態で、アウトドアで使う青い乾燥用ネットや、金網の中できれいに並んでいる。エイリアンみたいな形のものもあった。

 土産物屋は二軒しかなかった。公衆便所に近い方の店では、二人のおばさんが、何か話しながら仕事をしていた。そばを通り過ぎても、何の反応もない。そのあと、便所で用を足した時、その店の、横壁の剥げかけた看板を見た。<・・・生産組合弁天販売所>とあった。二軒の土産物屋の、おばさんの愛想の違いが、理解できたような気がした。いま調べると、正確には<鼠ヶ関水産加工生産組合弁天販売店>だった。愛想のいい方は<弁天茶屋>。おそらく昔からの土産物屋なのだろう。前者は、漁師のおかみさんたちで、後者は茶屋の女将だったのだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#11

鼠ヶ関灯台撮影4

 車に戻った。あまりに暑いので、バックドアを開け放して、着替えなどをした。駐車場には、三、四台車が止まっていた。あと二、三台で満車だ。と、目の前の土留めコンクリに、何やら警告文が張ってある。要するに、ごみは持ち帰れ、とくに、磯釣りに来た人間のマナーがよくない、とのこと。駐車場が、どこの管轄で、誰が管理しているのか、むろん知る由もない。だが、業を煮やしたのだろう。<警告文>に怒りが出ている。

 旅中に出たごみは、自分の場合、だいたいはパーキングのごみ箱に捨てるようにしている。だが、海、山、川、観光地、道路や駐車場など、平気でごみを捨てていく輩も多い。どういう神経をしているのだろう。一種の嫌がらせなのか、理解できないことの一つだ。

 車の中に入った。蒸し風呂のようだ、なんてもう書きたくない。暑いのは、当たり前になっていた。すぐエアコンをつけ、窓にシールドを張り、仮眠スペースに滑り込んだ。少し眠るつもりでいた。耳栓もちゃんとした。だが、何となく眠れない。

起き上がって、胡坐をかいた。カメラを引き寄せ、撮影画像のモニターなどをした。まずまずだなと思った。また、横になった。駐車場は少し傾いていた。したがって、車もすこし傾いていた。寝る時に頭の位置が下がっているのは、生理的に受け付けない。いきおき、頭の位置が運転席の後ろになった。車が水平なときは、バックドアーの隅に枕を置いて寝ている。いつもとは反対側に寝ているわけで、何となく落ち着かない。それでも、しばらくは、じっとしていた。

 だが、うとうとしかけると、車の出入りとか、人の声とかで意識が引き戻される。それに、エアコンは効いているものの、なんだかむし暑い感じで不快。第一、この駐車場の立地がよくない、道路に面しているし、ときどき車の出入りもある。そうだ、展望台のベンチで横になろう。あそこなら日陰で、それに風も吹いていた。車外に出た。日除けシールドは、運転席側の窓だけを外して、そのままにした。隣には、平台のガタガタな軽トラが止まっていた。運転席の窓が少し開いている。が、人は乗っていない。明らかに、何かの作業に使っている車だ。

 便所の脇を通って、浜辺に出た。左手の展望台には、なんと、人がいた。まったく予想していなかったことだ。というのも、午前中に休んだ時には、誰一人来なかったし、静かな場所だったのだ。ちらっと横目で、ベンチに座っている人間を見た。一瞬で、軽トラの作業員であることがわかった。中年の、くすんだ色の開襟シャツを着た男だった。ちょうど昼時、休憩しているんだ。

 ま、この辺り一帯、日陰などほとんどない。致し方ないことだ。すごすごと車に戻った。おそらく、十二時半過ぎだったと思う。シールドのおかげで、車内は、さほど暑くなかった。一定の効果はあるなと思った。さてと、この炎天下、行く当てもない。また横になって静かにしていた。というか、涼んでいた。

 と、いくらもたたないうちに、隣の軽トラが出て行った。昼休み終了。このあとまた仕事だ。どんな作業をしているのか、想像することもしなかった。俺だって、生活のために、それなりの苦労はしてきたんだ。炎天下の作業員に同情する立場の人間じゃない。むしろ、同類に近い。もっとも、今はそうした苦労からは解放されている。だがそのかわり、歳を取って、ジジイになってしまった。

 少し、意識が遠のいた。何を考えていたのだろうか?夕日に染まる鼠ヶ関灯台!やっぱり夕方まで粘ろうかな、などと決着のついた問題を蒸し返していたのかもしれない。くどいぞ、セキネ!うるさいな、いや、隣で車のドアの開け閉め、子供の声、親の声。眠りかけの時は、外界の音が、ことさら、大きく聞こえる時があるものだ。むくっと起き上がり、シールドを少しめくって、外を見た。黒っぽい乗用車。家族連れの観光客だな。午後の一時半になっていた。

 そうだ、海辺と平野では、最高気温になる時間が違う。と、テレビで見たような気がする。ウソかホントか、定かではない話だ。普通は、午後の二時前後が一番暑い。だが、海辺はそれより二時間ほどピークが早い。ということは、ここは海辺、暑さのピークは過ぎたわけだ。ま、いい。眠気も覚めていた。浜辺があまりに暑いようなら、展望台で休憩だ。

装備を整え、浜へ出た。横着して三脚は持って行かなかった。と、またしても、展望台に人。若い。一人は女子高生。格子柄のスカートは制服だろう。もう一人は十代の男の子。白っぽいワイシャツ姿。日陰になっているテーブルで、向かい合って座っている。ふ~ん。そのうち引き上げるだろう。浜沿いの緩やかなコンクリ段々に少し下りて、灯台にカメラを向けた。駄目だ。もろ、逆光。海も空も、灯台も断崖も三角岩山も、すべてが紫外線でぼうっとしている。

 午前中に、撮っておいてよかったよ。振り返った、高校生のカップルはまだいた。時間つぶし方々、砂浜沿いに歩いた。要するに、灯台からは遠ざかっているわけで、まだ撮っていない位置取りだ。と、何と言うか、休憩所のようなものがあった。コンクリの柱が四方にあり、天井にこれまたコンクリの梁が渡してある。したがって、日陰にはならない。柱に囲まれた中に、テーブルと腰かけがあるものの、強い日射が当たっている。座って休憩などできない。

 また、展望台の方を見た。高校生たちは、日陰で涼しそうな顔をしている。こっちは、すでに汗だく。写真を撮る気力も失せていた。なおのこと、余計に暑い!辺りを見回した。日陰は全くない。しようがない。カメラバッグをテーブルにおろし、装備を解除した。つまり、カメラやポーチなどを首から外し、汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨てた。

 上半身裸になると、ほんの少しだけ涼しい。それに、柱の影に隠れれば、日射を多少防げる。給水して、望遠カメラを手に取った。柱に身体を押し付け、カメラをしっかり構えた。ぶれないようにして、逆光の灯台を撮った。まあ、これは高校生カップルが立ち去るまでの言い訳だ。裸で、ぼうっと突っ立っているわけにもいかないでしょ。何としても、日陰の、海風が吹き抜ける展望台で、ゆっくりしたかったのだ。

 ところが、待てど暮らせど、高校生たちは立ち去らなかった。もう限界。身支度を整え、未練たらたら、辺りを散策した。公園のような感じの場所だったのだ。いま、撮った写真で確認すると、公園正面のモニュメントには<マリンパーク 鼠ヶ関>とあった。立派な台座の上に大きな錨が鎮座している。たしか、近くまで行って、本物なのかオブジェなのか確かめたような気がする。だが、写真で確認しても、どちらなのか判然としない。それにしても、たかだが数時間のうちに、大小三つの錨を見たわけで、何か特別な意味があるのだろうか?と、今になって思った。

 伸びあがって、またしつこく展望台を見た。まだ居ます。時計を見たのだろうか、メモには<二時半引き上げ>とある。宿へ戻るのに二時間半かかるのだから、いい頃合いだ。展望台の下を通ったときに、ちらっと上を見上げた。清楚な感じの女子高生、なかなかの美人だ。男の子の方も、さわやかな感じで賢そうだ。いまだに、対面座り。海辺の展望台でデートしているわけか。まだ清い関係だと思った。いやらしいジジイだねえ~。

 灯台紀行・旅日誌>2020#12 新潟・鶴岡編 復路

車に戻った。隣にあった、黒い乗用車はなかった。ゆっくり着替えなどをした。たしか、軽登山靴も靴下も脱いで、サンダル履きになったと思う。この後は帰るだけだ。それにしても、朝からいったい何度着替えたことだろう。だが、思い出すのも億劫になっていた。最後にまた、公衆便所に寄って、用を足した。公衆便所の汚さと臭いは日本全国共通なのだろう。正面に置いてある、年季の入った背丈ほどの<錨>をちらっと見た。どう考えたって、不釣り合いでしょう。

 帰路は、ただただ運転のみだった。山間の低速道路?も、来た時の感動はなく、周りの景色もろくに見なかった。小一時間走って、高速道路に入ってからはなおさらで、前だけを向いて運転に専念した。少し眠くなったものの、頻繁なトイレ休憩でやり過ごした。<五時前にホテル到着>とメモにある。

 イオンの平面駐車場には、またしてもすんなり入れず、先頭で待機。時間が悪い。夕方の買い物時間だ。少し待っていると、女性が店舗から出てきて、軽自動車の中に入った。お、出るなと思ったが、なかなか出ない。助手席には、中学生の男の子が乗っているようだ。となれば、女性は、母親なのだろか。なんだか手元で調べている。それが長い!

 目の前で待機している車があるにもかかわらず、平気なのだ。出るのを待たれているのがわかれば、自分の場合、こちらの事情は後回しにして、とりあえず、すぐに出ることにしている。鈍感な人間は、男女年齢間関係ないんだ。でもちょっと癪だから、ハンドルに腕をかけて、チラチラ見ていた。と、いい加減経った頃、シートベルトをして出て行った。合図も会釈もなく、まったくのシカとだった。むろん、この程度のことでは、腹も立たないし、イライラもしない。世の中には、もっともっと鈍感で、非常識で、傲慢な人間が五万といるのだ。

 ホテルに入る前に、イオンの食料品売り場へ行った。食料の調達だ。おにぎり二個とミニカツ丼、菓子パンなどを買った。店内は、それなりに賑わっていた。レジの接客態度にも、問題はなかった。車に戻り、カメラバックを背負い、トートバックに食料品や飲料水を入れて、ホテルの正面入口に向かった。受付でキーを受け取り部屋に入った。部屋はきれいに清掃されていた。新しいスリッパを袋から取り出して穿いた。そのほか、ベッドメイキング、バスタオル類、アメニティー類もすべて新しいものに交換されていた。これが当たり前なんだよな。気分は良かった。

 <五時半夕食>とメモにある。そのあと、昼寝。七時過ぎに起きてシャワー、頭も洗ったような気がする。テレビをつけながら、<メモ>を書き、撮影画像のモニターをしたかもしれない。<九時に寝る>。ほかに、これといって記述することはない。

 今日の出費。日本海東北道¥2210×2、飲食¥1290。

 お決まりのように、夜中には、一、二時間おきにトイレに起きたのだろう。だが、六時過ぎに目覚めた時、眠気はほとんどなかった。よく眠れた方だ。物音もしなかったような気がする。洗面、朝食・菓子パン二個、牛乳、備え付けのお茶とコーヒー。朝の支度を終え、排便。今日もほとんど出ない。三日目だ。自宅にいる時には、こんなことはありえない。ほぼ毎日決まった時間に、ある程度の量が出る。だが、環境が変わると、すぐに便秘する。神経質なところがあるのだろう。

 身支度をした。忘れ物がないか冷蔵庫の中を再度確認して、廊下に出た。エレベーターで下におり、受付カウンターへ行って、キーを返した。その際、手書きの領収書を受け取った。ホテルの男性従業員は、ビジネスライクの応対で、問題はない。外に出た。まだ、さほど暑くはなかった。が、これから暑くなるぞ、といった雰囲気の朝だった。車に乗った。ナビはセットしなかったような気もする。三条燕の高速入口は、頭に入っていたし、そのあとは関越道をひたすら走るだけだ。<七時二十分出発>とメモにあった。

 高速は、長岡までは、朝の通勤時間帯なのだろうか、意外に混んでいた。といっても、むろん、渋滞などはしていない。頭がすっきりしていたせいか、運転しながら、周りの景色をちらちら眺めていた。両側に、黄緑の稲田が、延々と見える。そういえば、昨日も、日本海東北道・村上あたりからは、見渡す限りの黄緑稲田だった。何十キロ、こんな光景が続いているのだろうか。いや、百キロ以上かもしれない。

 新潟県の面積が大きいのは、何となく知っていた。だが、全国で何番目なのか、そこまでは知らない。今調べたら、五番目らしい。それに<長さ>だ。端から端までは、350キロもあるという。自分が実際に走った<村上から長岡>ですら、約120キロもある。カンが当たったわけだ。そう、100キロ以上、高速の両側が黄緑色の稲田だったのだ。新潟・米どころ、とはよく言ったものだが、見ると聞くとは大違い、とはこのことだった!

 前に見える車列は、長岡が近づくにつれ、だんだん少なくなっていった。みな、途中のインターで降りてしまう。そして、関越道に入ると、ほとんど車が走っていない。ガラガラ。なるほど、広いからね、高速で県内を移動しているんだ。唐突に、でもないか、来る時も思ったことで、関越を走ると、きまって、<田中角栄>を思い出す。<列島改造案>だ。新潟県の人にとっては、神様のような存在だったのだろうけれど、マスコミの影響なのだろうか、あまりいい印象はない。

 だが、先日、NHKの番組で、<田中角栄>の軍隊時代のエピソードが流された。一兵卒で、要領が悪かったのか?気に障る奴だったのか?上官からしばしば暴行を受けていたのだという。本人は、生前、そのようなことは一切口にしなかったらしい。…<田中角栄>に対する偏見から、少し解放されたような気がした。殴る人間ではなく、殴られる人間の方が、まだましだと思った。

 だいぶ走って、関越トンネル手前のパーキングで、トイレ休憩した。広い駐車場に、車は二、三台しか止まっていなかった。何やら、建物の中に入って、トンネル工事の写真やパネルなどを見たと思うのだが、よく思い出せない。来るときは、いやになるほど長くて緊張した、元日本一長いトンネルも、帰るときは、難なくやり過ごした。そのあとの、湯沢あたりの牧歌的な風景にも、ほとんど目を向けなかった。

 ただひたすら運転していた。なにかを考えていたのだと思う。だがまったく思い出せない。トンネルを抜けて、一度だけトイレ休憩をしたような気もする。だが、それもよく思い出せない。藤岡を過ぎるあたりから、車が少し混んできた。花園の看板が見えた。連休などではいつも渋滞するところだ。地元の埼玉に戻ってきた。そのあとはあっという間だった。最寄りのインターでおりて、<十一時半帰宅>とメモにある。おおよそ、三時間の高速走行。さほど退屈することもなく、眠くもならなかったし、疲れてもいなかった。

 帰宅後、すぐに旅の片付け。車の中の荷物をアトリエなどへ移動。小一時間で終了。埼玉も信じられないような暑さ!汗だく。シャワー。冷たいノンアルビールを飲む。昼寝。六時過ぎに起きて、撮影画像の選択。今回は700枚ほど撮った。夜更かしはせず、夜の十時には寝ていたと思う。

 なお、その後、四、五日、何となく、調子がよくなかった。頭がぼうっとしていた。だるいし、眠い。軽い熱中症になっていて、その後遺症だろう。一週間くらい後になって気づいた。給水には、十分気をつけていたんだけどね。やはりジジイだ。あぶない、あぶない。

<新潟・鶴岡旅>2020-8-20(木)21(金)22(土)収支。

 宿泊費二泊 ¥6800(Goto割)

高速 ¥14500 

ガソリン 総距離860K÷19K=45L×¥130=¥5900

飲食等 ¥2700

合計 ¥30000

以上。

 

<灯台紀行・旅日誌>2020 三浦半島編

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灯台紀行・旅日誌2020 三浦半島編 #1~#14

 見出し

#1 プロローグ1 #2 プロローグ2  #3 往路
#4 安房灯台撮影

#5 城ケ島灯台撮影

#6 剱埼灯台撮影

#7 間口港灯台撮影

#8 ビジネスホテル宿泊  #9 観音崎へ向かう #10 観音崎公園

#11 観音埼灯台撮影

#12 戦争遺跡1  #13 戦争遺跡2

#14 復路~エピローグ

灯台紀行・旅日誌>2020#1 プロローグ1

 2020/07/29(水)小雨。降ったりやんだり。涼しい。先日の、犬吠埼灯台旅から、ほぼ二か月たった。その間、何をしていたのか、少し書き記しておく。

 …犬吠埼から帰ってきたのが、ちょうど六月の頭。まず、旅の後片付け。車から、持ち物や装備品をおろし、整理してアトリエに収納。そのあとは、ほぼ千枚撮った灯台写真の整理。これが、思いのほか大変だった。それから、第一回目の<旅日誌>を書いた。これも大変だった。調子に乗って、あることないこと、とにかく、書きまくった。気づくと、原稿用紙で100枚くらいになっていた。

 写真の補正に飽きると<旅日誌>を書き、書くことに飽きたら、また写真の補正。これの繰り返しで、あっという間に一か月過ぎてしまった。というか、とにかく、一か月で終わらせようとした。作業自体は楽しかった。だが、インターバル撮影したものを、ほぼすべて補正しなければならず、その膨大な量に、後半は、かなり疲れた。

一番参ったのは、犬吠埼灯台編でも書いたが、灯台の垂直と海の水平線が、なかなか出せずに、何回も作業を繰り返したことだ。しかも、いちおう、これでOKと思ったものが、見直してみると、ほとんどがダメ。最初からやり直し!とはいえ、これはさすがに無理で、妥協した。

 つまり、インターバル写真を使って動画を作るのは、今すぐというわけでもない。ならば、すべてを補正しなおすこともない。とりあえずは、ブログなどにアップする写真だけ、補正すればいい。午前午後が丸三日で、六セクション。ほかに、飯岡灯台とか銚子タワーとかで、三セクションほど。そこから、最良の写真を五枚ずつピックアップして、補正し直すことにした。

だが、また、灯台の垂直を出すのに苦労した。しまいには、垂直なのか、傾いているのか、自分の判断に自信が持てなくなった。というのも、これで良し、と思ったものが、翌日見ると傾いているのだ。自分の目と頭を疑った。

 たしかに、目はおかしいのだ。左目は全然ダメだが、右目は、今でも裸眼で0.8くらいはある。とはいえ、以前、もう17年以上診てもらっている先生に言われたことがある。右目にも後遺症があり、ちゃんと見えていない、らしいのだ。

 自分の感覚では、右目は正常に見えているから、先生の診断は聞き流していた。先生、ちゃんと見えていますよ、って。だが、やはり、ちゃんとは見えていないのかもしれない、と今回、自分の感覚を疑い始めた。そう、頭が、実際には傾いているものを、真っすぐに修正してしまうのではないか?いや、これなら、翌日見直したものも、真っすぐに見えるはずだ。

真っすぐに補正したもの、それも確信をもって、それが翌日になると傾いている!どうもよくわからない。10年使った画像編集ソフトを買え替えた。もう少し、精度の高い補正をする必要があると思ったのだ。新しいソフトは、確かに、こと、レンズ補正に関する限り、格段に、性能がアップしていた。コンマ0.1の間隔で、傾きが補正できる。これならと思ったが、やはり、翌日になると傾いている!

 お手上げだ。ついにはこう考えて、これ以上深く考えることをやめた。つまり、垂直、水平というのは、関係概念であり、補正する際、その写真内における水平を基準にして垂直を感覚しているのだから、水平の基準が変われば、例えば、PC画面の水平を基準にすれば、写真内水平を基準にした、垂直も傾くわけだ。

 要約すると、補正しているときは、写真内水平を基準にしているが、翌日は、画面内水平を基準にして見ているのだから、微妙に、垂直が、灯台が傾いてしまった、のではないか?そういうことにしておこう。ま、ついでに言うと、垂直も水平も、絶対概念ではないということだ。…この世に<絶対>などということは、ありえないのかもしれない。

 先に進もう。とにかく、犬吠埼灯台の写真補正と<旅日誌>を六月中に終わらせた。七月になった。だが、何となく疲れてしまい、即、次の旅に出る気にもなれなかった。おりしも、梅雨だ。

 それでも、十日間天気予報などを毎日チェックして、下田のビジネスホテルを予約した。爪木崎灯台へ行こうというわけだ。グーグルマップでの、現地シュミレーションも終わり、楽しみにしていた。が、五日くらい前になって、自分の旅期間に、雨マークがついてしまった。あとで知ったが、一週間以上先の天気予報は、確率が低いらしい。

 当然ながら、ホテルはキャンセル。ま、梅雨だからね、と思って、次の機会を狙った。だが、その後、ずうっと雨マーク、ないしは曇りマーク。しかも、夏休みが近いせいか、ホテルの値段が、日を追って上がっていく。

 それならば、ということで、今度は、新潟の角田岬灯台に照準を合わせて、旅の機会をうかがっていた。例年なら、七月二十日前後には梅雨が明けて、かっと暑くなる。だが、いつまでたっても、雨マークと曇りマーク。グルーグルのマップシュミレーションも終わり、予約するホテルも決まり、あとは、車に携帯品を積み込むだけというのに、予約を再三キャンセルして待ち続けている。

 だが、今日になって、ウソかホントか、八月の三日、四日に晴れマークがついている。早速ネットで予約した。このビジネスホテルは、二日前までなら、キャンセル料をとらない。ぎりぎり、あさっての金曜日まで様子を見て、晴れマークなら、ゴーだ!でも、なんか、いやな予感がするんだよね。

 灯台紀行・旅日誌>2020#2 プロローグ2

唐突だが、今は、2020/08/06だ。八月四日の火曜日に、二泊三日の、三浦半島灯台巡りの旅から戻ってきた。旅の後片付けをして、写真の選択、補正も終わり、これから<旅日誌>を書くつもりだ。

 …時間を戻そう。八月三日、四日に、新潟県の角田岬灯台へ行くつもりで、ホテルを予約した。キャンセル可能日、ぎりぎりまで待って、当日が晴れマークなら、ほぼ二か月ぶりの、第二回目の灯台旅に出るはずだった。

 ところが、それまでずっと晴れマークがついていた三日の日に、急に曇りマークがつき、24時間晴れマークだった四日の日にも、曇りマークがついた。270キロ走って、二泊して、晴れの時間帯が、四日の午後しかない。行ってもしょうがないだろう。角田岬灯台旅の延期を決断した。

 とはいえ、すでに二日前に、車への持ち物、装備の積み込みは終わっているわけで、気持ちが宙ぶらりん。急遽、リストアップしてあった、日立灯台、爪木埼灯台安房灯台の、宿と天気の情報を集めた。

 結果、八月二日、三日に晴れマークのついている、三浦半島安房灯台へ行くことにした。ホテルは、通常より少し高くなっていたが、と言っても¥7000前後だが、予約できた。それが、前日の八月一日の日だった。要するに、明日出発だ。一応、娘に、ホテルの住所と電話番号を伝えた。

三浦半島安房灯台までは、およそ160キロ。三時間もあれば着くだろう。自宅からもっとも近い灯台といってもいい。近くに、城ケ島灯台、諸磯埼灯台、剱埼灯台灯台、観音埼灯台などもある。だが、下調べした段階では、この四つの灯台の絵面は、あまりよくない。粘るなら、波打ち際の岩場に立つ、小ぶりだが、安房灯台だろう。…波しぶきを浴びている灯台の画像が、ネットにアップされている。あわよくば、自分も撮りたいものだ。

 現地の、グーグルマップシュミレーションは、ほぼ二か月前に終わっていて、完璧。ただ、道順だけを、もう一度、検索、確認した。圏央道から東名・町田、新保土ヶ谷バイパスから横横線に入って、衣笠で降りる。そのあと、三浦縦貫道で現地まで走る。要するに、ほぼ高速道路だけだ。圏央道、青梅付近からの、断続的に続く長いトンネルが、ちょっと嫌だと思った。が、これならナビがなくても行けるだろう。

 朝四時起きして、五時出発。現地に遅くとも九時までに入る。今回は、インターバル撮影はしない。というのも、前回の犬吠埼灯台の撮影でわかったことなのだが、五分間隔で撮った写真をスライドショーにすると、かなり飽きる。

 当初意図していた、雲の流れとか、陽の傾き加減とか、そうした、たゆたうとした時間などは、ほとんど感じられなかった。したがって、実験失敗というか、インターバル撮影をする意味がなくなった。それに、一枚一枚の写真が、すべて良いというわけでもなく、むしろ、写真としては、さほど良くないものもある。

それから、インターバル撮影は、肉体的にも精神的にも、思いのほか大変で、かなりきつい。そのことも、この計画から、あっさり撤退した理由の一つだ。思いついたことは、すぐにやってみないと気が済まない。が、うまくいかないと、すぐにあきらめてしまう、そういう性質なんだ。セキネという奴は!

 ま、いい、先に進もう。朝四時起きするには、前の日、夜の八時に寝ればいい。八時間、眠ることができる。などと、さしたる根拠もないことを考えていたからだろうか、ドジな話、夕方、サッシ窓の間に、左親指を挟んでしまった。かなり痛かった。

 ちょうど、爪の月の部分が<爪半月=そうはんげつ>というらしい、内出血したのだろう、青くなっている。押すとかなり痛い。耐えられないほどではないが、ジンジンしている。明日、四時起きして、二か月ぶりの旅に出るというその前の日に、なんということだ!

 幸い、旅の準備は、すべて完了していた。あとは夕食とその片付けだけだ。とはいえ、左親指をかばっているから、行動が何となくぎくしゃくしていて、普段と勝手が違う。嫌な予感がしたし、気分が少し重くなった。

 案の定、消燈したら、ジンジン痛んできた。耐えられないほどではない。だが、気になって眠れない。しかし、明日は、四時起きだ。何としても、眠らねば!こういう時には、奥の手を使う。<数息>だ。数を数えながら、息を吸ったり吐いたりする方法で<催眠法>ないしは<自律訓練法>の一種だ。若いころ書物を読んで習得した技術で、神経が高ぶって眠れないときや、痛みがあるときなどに、この<数息>を実践してきた。むろん、一定の効果があった。

 ちなみに、いまにして思えば狭心症の発作だったのだが、それも二回も!息ができなくなったとき、この<数息>を、一回目は八時間、二回目は五時間実践して、命拾いしたことがある。心臓の<ステント>手術の後に、担当医が、一度詰まったことがあるな、とふともらした。その一度詰まった冠状動脈を、八時間の<数息>で微かに流れるようにしたのだと思う。

 要するに、<数息>は自分にとっては、奥の手だ。おそらく、死ぬときにも実践するだろう。痛みを軽減するために。その<数息>を今回も実践した。おそらく20くらい数えたと思う。少し寝た。目が覚めたのは夜の十時半だった。

 目が覚めるのが早すぎる。とはいえ、何となく、頭がすっきりしてしまい、起き上がって、なかば無意識のうちに、お菓子を食らい、テレビをつけた。…ところで、親指の痛みは、というと、さほど気にならない。たぶん、テレビとか、そういったことで紛れているのだろう。

 ぼうっと、見たくもないテレビを見ていた。ふと時計を見ると、夜中の十二時を過ぎていた。親指を押してみた。やはり痛い。といっても、四時に起きなければならない。あと四時間しかない。寝よう。電気を消して、ベッドに横たわった。なんだか、さっきより、親指がジンジンしている。早速<数息>をやった。20数えても、全然眠くならない。むしろ、目が、というか頭がさえてしまった。

 そう、中途半端な時間、例えば、夕方の遅い時間に昼寝などをすると、夜中の十二時過ぎても眠くならないことがよくある。今回も、それだ。しかも、久しぶりの旅、早起きするという気持ちも合わさっている。ますます眠れない。…まるで遠足の前の晩みたいだ。

 頼みの<数息>も、なんだかうやむやになってしまい、とりとめのない考えやイメージが、眼前の暗がりの中に、あとからあとから湧いてくる。想念の中を漂っているわけだ。…しかとは思い出せないが、何か、気が重くなるような、暗くなるような、深刻なことを考えていたような気もする。

 ふと、目覚まし時計を見た。午前二時だった。どう考えても四時に起きることはできないだろう。目覚ましを五時半にセットしなおした。親指の痛みは、少し軽減したような気もする。とにかくあと三時間、寝よう。

 灯台紀行・旅日誌>2020#3 往路

一日目

八月二日の朝は、四時半に目が覚めた。いくらも寝てないのに、眠い感じではない。予定変更で、目覚ましを五時半にセットし直したのだから、もう一寝入りしようか、などとも考えた。が、完全に目覚めている。起きるしかないだろう。

 親指は、少し良くなったようにも感じた。とはいえ、旅が始まるのに、と自分のドジさ加減を悔いた。身支度をした。今回は、ホワイトジーンを穿いていくことにした。太めの黒のベルトも通した。上は濃いベージュのTシャツ。現地に着いたら、ロンTに着替えるつもりだ。何しろ、真夏の海岸縁へ行くのだ。白系統が一番涼しいのは<入間川歩行>で経験済みだった。

 そのあと、洗面して軽く食事。ベーコンと豆腐を入れた、お茶漬け。それに牛乳。むろん、食欲などない。ただ、何か腹に入れれば、便意を催すことがある。だが今回は、目論見が外れて、ほとんど出なかった。ま、それでも、ほんの少しは出たので、良しとした。

 枕と目覚まし時計、シェーバー、保冷剤入りのバックに500mmペットボトルの水二本、そのバックを二個、茶色のトートバックに詰めこんだ。玄関に向かった。ふと思って、行ってきます、とニャンコに呼びかけた。そう、ニャンコが死んで、ほぼ四か月たっていた。最近は、死ぬ前に苦しんだニャンコの姿を、思い出すことも少なくなった。罪の意識、自分を責める気持ちも、ぼんやりしてきて、以前ほど、辛い、悲しい気持ちになることもなくなった。

 車に乗った。城ケ島公園とナビに入力した。出てきた道順は、環八経由で第三京浜、横横線。つまり、距離は近いが、都内を縦断するコースだ。これはいただけない。若い頃に生活費を稼いだ、軽トラの運転手の経験からして、これは最悪のコースで、というか、あの当時は、横須賀方面へ行くには、これしかなかったが、とにかく、環八が混むんだ。このコースは、意地でも通らない。

 ナビが古いから、圏央道経由の道順は出てこない。いいさ、ナビなんかなくたって、高速だけなんだから、東名・海老名のパーキングまで行って、そこで<城ケ島公園>とナビに読み込ませよう。朝の五時四十分、最寄りのインターへ向けて出発した。

 日曜日の早朝だというのに、圏央道は、思いのほかにぎやかだった。ま、乗用車は、遊び車だろう。だが、大型トラックは予想外だった。日曜日だから、休みなのではないか?いや、曜日は関係ないのかもしれない、などと思っているうちに、狭山パーキングに入った。

 混んでいる、というほどでもない。車がそこそこ止まっている。ベージュの薄手のロンTに着替え、手の甲と指全体、あとは、念入りに、顔に日焼け止め塗った。日焼け止めは、なんか、べたべたする感じで好きではない。とはいえ、前回の旅の教訓だ。塗らないとまた、露出した部分が赤く焼けてしまう。しょうがないだろう。

 その後は、青梅辺りから、断続的に長いトンネル走行。これが、いやだった。というのも、2016年の御前崎灯台旅の際、かなり難儀したからだ。当時は、車を買え替えたばかりで<自動ライト点灯>という機能を知らず、トンネルのたびに、前照灯を点けたり切ったりしていた。しかも、その際、暗かったり眩しかったりで、サングラスを外したり掛けたりと、非常に疲れた。

 それでなくても、トンネル走行は気を使うのにと、あの時の経験が、少しトラウマになっていた。が、今回は、ライトの点滅は自動だし、サングラスは、その都度、ちょっと下げたり上げたりするだけで、用が足りた。難所と思っていた箇所を克服できたわけで、多少気が楽になった。

 とはいえ、やはり、トンネル走行は疲れる。幾つトンネルをくぐらねばならないのか、はじめは少し数えていた。そのうち、運転に集中してしまい、何本のトンネルを走り抜けたのか、よくわからない。青梅から八王子、さらに高尾山の看板を確かめながら、80キロ前後で、走行車線を慎重に走った。

 視界が開けたのは、相模原の看板が見えた頃からだった。左手に、文字通り真っ青な稲田が広がっていた。ほっとした。世界に出てきたことを実感した。じきに、厚木パーキングの看板がみえた。やり過ごして、分岐を左、東名上りに入った。

 すぐに、海老名のパーキング。給油のできるSAで、車がたくさん止まっていた。時間は、七時四十分、約二時間走ったわけだ。一息入れよう。トイレで用を足し、日陰へ行き、少し体を屈伸させた。自販機でカフェオレの小ボトルを買って飲んだ。まだ、全然疲れていない。見回すと、ほとんどの人間がマスクを着けていた。

走り出すと、すぐに町田インター。東名を降りて、新保土ヶ谷バイパスに入る。そのまま、ずうっと、ほぼ道なりで、横横線に入る。道幅も広いし、大型車がほとんどいないせいか、走りやすい。あっという間に、衣笠インター。横横線を降りて、三浦縦貫道に乗る。と、料金所。¥310取られた。すぐに一般道に突きあたったので、ちょっと高いなと思った。ま、家を出てからここまで、ほとんど渋滞なし、気分は良かった。

 一般道に入り、城ケ島方面へ向かう。車は走っているものの、渋滞はしていない。比較的すいすいと進み、見たことのある光景が目の前に広がってきた。城ケ島へ渡る橋の付近だ。このあたりからは、マップシュミレーションしている。

 橋を渡りながら、左右の海辺の景色をちらちら眺めた。ナビに従ってそのまま直進した。が、どうも行き過ぎたようだ。Uターンして、橋のたもとを左折、城ケ島公園に到着した。たしか九時前だった。約三時間かかったわけだ。

 駐車場に入る前に¥450、係のおじさんに取られた。とはいえ、黄色の駐車券は、ほかの駐車場にも使えるとのこと。ちょっとピンとこなかったが、すぐに、近くの城ケ島灯台に行くときに役立つかもしれないと思った。灯台付近に駐車場がいくつもあったのを思い出したのだ。

 駐車場は、さして広くはない。時間がまだ早いせいか車は少ない。外に出た。暑い!梅雨明け十日、という言葉があるようだ。まさにそれだ。車のリアドアを開けて、装備を確かめ、カメラバックを背負った。大げさでなく、これだけで汗だく!トイレに入り、案内板を眺めて、灯台の方へ向かった。

 灯台紀行・旅日誌>2020#4 安房灯台撮影

 城ケ島公園、よく手入れされた気持ちのいい場所だ。遊歩道の両側にはアジサイ花壇があり、むろんアジサイは時季外れで枯れているが、松だったかな?木立もあり、そこそこ日陰になっている。といっても、暑い!

 すぐに視界が開ける。正面は芝生の広場。右手に、コンクリの四角い展望台。迷わず、階段を登ると、一階なのだろうか?日陰になっている。ひんやり涼しい。さらに上がると二階だろうな、海風が吹き抜けていく。気持ちがいい。四辺に木のベンチが置いてあり、360度の景観。

 南側が海、ま、太平洋だな。沖合に、船やヨットが点在している。空も海も真っ青。いいね!東側は、ほぼ逆光でよく見えない。西側は、城ケ島灯台方面で、風景的にはイマイチ。北側は三崎港。渡ってきた城ケ島大橋が左隅、中央には、防波堤灯台が見える。撮るには望遠が必要。帰りに撮ろう。展望台をぐるりと一周して、また海側に戻り、ゆっくり写真を撮った。

 展望台をおりた。芝生広場を突っ切ると、遊歩道は二股に分かれる。両側にアジサイ花壇、さっきと違い、木立がまばらなのか、日ざしがきつい。右側の道を行く。と、正面に、とんがりのデザイン灯台。はは~ん、これが新しい灯台なのか。ちなみに、この時点では、波際の安房灯台がまだ健在だと思っていた。

 とんがり灯台に近づきながら、カメラを構えた。が、どうもよろしくない。逆光、しかも、両脇がスカスカだ。灯台手前の、さっきより、ひとまわり小ぶりな展望台に登った。とんがり灯台はすぐ目の前、全景は撮れない。が、北東側に回り、海を背景にして、真ん中辺から、逆光の中、なんとか撮った。…灯台写真には、どうしても海が必要なのだ。ま、個人的な思い込みにすぎないが。

 展望台を下りて、いやその前に南側の海を気分良く撮ったとおもう。ともかく、とんがり君の周りを360度ぐるっと回って、絵になりそうなポジションを選んだ。それは、お決まりではあるけれども、灯台の正面だった。したがって、自分は海を背にしている。背景に海は入らない。だが、空は真っ青だ。

 ところで、このあたりから、いやな予感がしてきた。とんがり君の広場からは、安房灯台が立っている岩場が、遠目に見える。だが、そこに、あの白い特徴的な形の、小ぶりな灯台が見えないのだ。しかも、グーグルマップには<旧安房灯台跡>と記されていたような気もする。

 とはいえ、ここまで来た以上、前に進むしかない。広場先端の、浜へ下りる階段を下った。階段自体は、幅も広く、しっかりしている。だが、周りは鬱蒼としていて、しかも、ひどく暑い!…ここに着いた時から、暑い暑いの連発だが、本当に暑かったのだ!

 視界が開けた。そこは、歩きづらい、ごつごつした岩場で、三々五々、浜遊びの家族連れなどでにぎわっていた。正面を見た。灯台らしきものはない。あれ、岩場の下にあるのかな?とまだ、安房灯台が健在なものと思い込んでいる。転んだり、滑ったりしないように岩場を渡り、先端に近づいた。

 何やら、立ち入り禁止のロープが張ってある。その向こうに、肌色の土嚢袋が山と積まれている。ここで初めて、事の次第を了解した。わかるのが遅すぎるだろう。安房灯台は解体されてしまった!その破片が袋に入れられ、撤去されずに残っている、というわけだ。

…今、ネットで<安房灯台 解体 理由>を検索。要するに老朽化だって!とはいえ、何で、このコロナの時期に解体作業をしたのか、いや、半世紀もたつ、特徴的なフォルムの、美しい灯台と美しい景観と美しい思い出を<老朽化>という理由で解体してしまうとは、なんとまあ~愚かなことを!

 公募された二代目の安房灯台、とんがり君にケチをつけるつもりは毛頭ないけれども、やはりね~、初代の安房灯台の方が、クールでしょ!古いものが好きなのは、おじさんの習性だ。

 未練がましく、立禁ロープの直前まで行って、岩場の先端に山と積まれた肌色の袋を、海と空を背景にして、しつこく撮った。どうみたって、写真としてアップできるような代物ではない。が、なんだか、撮らずにはいられないような気がした。

 撮り終わって、ひと息入れた。暑い!カメラバックをおろした。ロンTの背中が汗びっしょり。その場で脱いで、予備のものに着替えた。岩場に座りこみ、海を眺めた。たしかに、左の方に陸地が見える。房総半島だろう。三浦半島の先端にあるのに<安房灯台>というのは、彼方に、房総半島=安房国が臨めるからだそうだ。目を細めて、その陸地の先端を見た。あそこが、犬吠埼だろう。二か月前に、行ったところだ。

注釈(<犬吠埼>は、完全なる勘違い。実際は館山あたりだろう。2020-10-27 記)

 さ、引き上げだ。岩場の先端から、幅三十センチほどのコンクリの小道が、岬のてっぺんまで、そう、とんがり君をめがけて、うねうねと岩場を這っている。解体工事用に造った道なのか、それとも、観光客用の道だったのか、よくわからない。ただ、自然の岩場に引かれた、灰色のくねくねした小道に、違和感を覚えた。ぼんやりと、あの上を、肌色の袋たちが、台車に載せられ運ばれていくのか、と思ったような気もする。

 そのコンクリの小道をたどりながら、岬に戻ろうとした。が、途中で、巨大な岩を、垂直に登らざるを得なかった。小道が、そうなっているのだ。手を突きながら、危なっかしい足取りで、なんとか登りあがった。少し高くなったところで、岩場全体が見下ろせた。息が切れた。立ち止まり、解体されてしまった、灯台の方を眺めた。なんということもない光景だ。だが、少し名残惜しいような気もした。

 巨大な岩から、これまた、危なっかしい足取りでおりた。振り向くと、解体現場は死角になり、もう見えなかった。向き直ると、前の方に、岬に登る階段が見えた。あ~なるほど、さっきの展望台の横にあった階段だな。そう思いながら、岩場をそろりそろり歩いて近づいた。岬のてっぺんを見上げて、大した距離でもないと思った。だが、その階段が急で、しかもけっこう長い。息切れがした。いや、疲れていたのだろう。とにかく、登りきったところで、立ち止まり、一休みした。

 暑い!信じられないほど暑い!とはいえ、今一度、とんがり君をベストポジションの正面から何枚か撮った。先ほどとは、明かりの具合が変わっている。念のためだ。これで一応、撮影は終わり。あっさりしたもんだ。展望台で一息入れよう。

 展望台の階段を登ると、すぐに木のベンチが目に入った。四角形の建物だから、東西南北、それぞれ一辺ずつに同じベンチが一つ置いてある。階段口は東側、できれば海側の南側の方がいい。何しろ、涼しい海風が来るからね。と思って、首を伸ばして見てみると、オヤジが座っている。それも、ちょっと休憩というよりは、じっくり腰を据えてスマホをいじっている。こりゃだめだな。

 階段口のベンチに腰掛け、着替え、給水、靴下も脱いだ。ま、ここも日陰で、涼しい風が来る。と、なんだか、急に疲れた。眠くなってきた。かまわず、木のベンチにあおむけに寝転がった。少し眠ろうか。ところが、背中が痛い。今度は横向きになり、肘を枕にして、目をつぶった。

灯台紀行・旅日誌>2020#5 城ケ島灯台撮影

 観光客が何組か、階段を登ってきた。話し声がうるさい、と思いながらも目をつぶっていた。そのうち、一瞬、静寂。体の緊張が解けて、うとうとしたのかもしれない。腕時計を見ると、十一時を過ぎていた。三十分ほどたったようだ。あと三十分寝ていようかな、だが、頭がはっきりしてきた。もう寝ていられない。

 身支度をして、展望台を下りた。目の前のトイレに入り、自販機でスポーツ飲料を買って飲んだ。とんがり君のそばに寄り、案内板を見た。なるほど、<三浦大根>をイメージした、デザインだったんだ。下部の緑色のハチマキは、そういう意味だったのね。

 駐車場の方へ戻りながら、ふり返って、とんがり君を、二、三枚撮った。ま、これはこれで、かわいい。あとは、北側の柵沿いを歩いた。三崎港にある防波堤灯台を狙ったが、遠目過ぎる。それに手前の枯れ木が邪魔で、写真にならない。ついでだ、大きい方の展望台に再度登って、望遠で狙ってみた。なんだか、あまりぱっとしない。散文的な港の風景だ。どうということもない。ほとんど粘りもせず、望遠をカメラバックにもどした。

 炎天下の、危険な暑さの中、駐車場に戻ってきた。車が満杯だ。だろうな、いい天気だ。それにしても、コロナ問題はどうなんだ。ほとんどの人間が、一応マスクはしているが、関係ないような感じだ。もっとも、自分も、コロナのことなど、ほとんど考慮していない。人と接触しないし、移動はすべて車。大丈夫だろうと思っている。楽観しすぎかもしれないな。

 蒸し風呂、いや、焼けるような車内に入った。すぐにエアコン全開。ナビを、城ケ島灯台付近のパーキングにセットした。見ると、鉄パイプのやぐらの上に、係のおじさんが立っている。車の出入りとか、誘導をしているのだろう。たいして広くもない駐車場なのに、大仰な感じがしないでもない。だが、ある意味、ちゃんと考えて管理運営しているわけだ。

おじさんに、せかされているような気がして、むろん、そんなことはないのだが、すぐに車を出した。驚いたことに、出入り口には、駐車待ちの車が何台か並んでいた。それを横目で見ながら、坂を下って、一般道に突き当たる。右折して、ぐるっと回りこむような形で三崎港に下りる。とすぐに、道沿い右側にパーキング。例の<ワンデーパス>駐車券を機械に飲ませ、駐車。灯台に一番遠い駐車場だから、空いているのだろう。

 真夏の十二時頃だったのだろうか、車外に出ると、いやはや、暑いのなんのって、話にならん!重いカメラバックを背負うのが億劫。せめて、望遠カメラだけでも、車内に置いていくわけにはいかないのか。無理だな。炎天下の車内に、精密機械を置き去りにはできないし、盗難も気になる。何しろ小心なのだ。

 土産物屋が左右に並ぶ、少し広い道を歩いて、灯台へ向かった。途中、何か飲食店の前で、行列している。ほとんどが若い人たちだ。この暑さの中、並んでまで食べる価値のある店なのだろうか?ま、余計なお世話だな。

 灯台への入り口は、この辺もマップシュミレーションしているので初めて見る光景ではないが、急に道幅が狭くなる。ちょうど、人がすれちがえる程度。そして、両側には土産物屋が並んでいる。どこかで見た感じ。いわゆる、昭和の観光地にありがちな設定だ。ま、たしかに、城ケ島、と言えば、昭和の夏場の観光地だ。東京に住んでいる人間なら、行ったことはなくても、知らない人はいない。もっとも、自分が子供の頃には、そこに、灯台があったとは記憶していない。ガキの頃から、灯台なんかに興味があったら、逆に変でしょう。

 ちなみに、時代が二つ変わっているにもかかわらず、夏場の城ケ島に遊びに来る若者たちは、<昭和>そのものだった。いわゆる、遊び人風で、赤黒く日焼けして、男も女も派手なアロハ、短パンにサンダル。そこかしこにたむろしている。<昭和>に乗りそこね、<昭和>をやり過ごしたおじさんとしては、なんとも複雑な気分だった。

 灯台へ登る階段は、その、軒を連ねた土産物店が切れたところにあった。注意していないと、見落としてしまう。なんとまあ、あからさまな商魂なのだろう。とはいえ、階段は、補修してあり、少し広めで、急なものの歩きづらくはなかった。すぐに、灯台下の公園に着いた。

 三浦半島の先端部には、城ケ島灯台安房灯台、諸磯埼灯台、剱埼灯台と、至近距離に四つの灯台がある。片道160キロくらいなので、自宅から最も近い灯台たちである。はじめは、城ケ島のホテルに三泊して、これらの灯台を撮ろうと思った。だが、そのうち考えが変わった。

 というのも、ネットの掲載写真を見る限り、安房灯台以外は、さしたる景観が期待できない。要するに、たんなる観光記念写真になってしまう可能性が大である。写真としてモノにはなるまい、と思ったのだ。したがって、安房灯台以外は、時間があったら撮りに行こうかな、という考えに落ち着いた。

 ところがだ、粘って、いい写真を撮ろうと思った、その安房灯台は、跡形もなく解体されていた。しかも、二代目のとんがり君は、ロケーションにしても、フォルムにしても、粘って撮ろうという気にはなれなかった。要するに、今回の撮影旅の主題が霧散してしまい、気分的に宙ぶらりんな感じになってしまった。

 ま、幸いなことに、付近にはいくつも灯台がある。気分を変えて、観光気分で灯台をめぐってみるのも一興だ。とまあ、節操もなく、自分に都合よく考えて、城ケ島灯台、剱埼灯台を巡ることにした。その城ケ島灯台だが、マップシュミレーションした限り、撮影ポイントは三つしかない。しかも、残念なことに、三つとも、大したことない。

 その一つ目が、灯台下の公園からのショットだ。左右に動いたり、近寄ったり引いたり、何枚も撮った。とはいえ、何しろ、灯台の形ははっきり見えないし、手前は階段、両脇には植木、背景は空だけ。ま、勝負にならならなかった。

 階段を登って、灯台のすぐ下へ行った。むろん、写真などは撮れない。近すぎる!灯台に沿って歩くと、何か落書きのようなものが。いや違った、よく見ると、ハート形をあしらった<ラッピング>らしい。…今、ネットで調べた。なるほど、灯台本体にも、海の向こうに富士山が見える落書き、いや違った<ラッピング>があった。これらは、<インスタ映え>するようにと、観光協会が企画、制作したものらしい。

 あの時は、てっきり、趣味の悪いいたずらだと思って、よく見なかった。が、最初のハートマーク二つは、ペア灯台の、安房灯台と城ケ島灯台の所在地らしい。富士山の方は、よく見ると、灯台のドアを開けると、海が見えるという趣向になっている。そばに、大きなマグロをくわえた黒猫もいる。まったく気づかなかった。

 二つ目のポイントは、灯台の敷地から、回転柵のようなものを通り抜け、少し海側へ行く。振り返ると、灯台のほぼ全景が見える。右側には木製の遊歩道があり、やや距離感が出せる。ただし、背景は空のみ。海は画面におさまらない。しかも、時期が時期だけに、観光客がひっきりなし。人影が消えるのを待って、何枚か撮った。

 もっとも、遊歩道はすぐに行き止まりで、観光客は、すぐに帰ってしまう。中には、灯台の写真を撮りに来た人たちもいるので、そういう方たちは、かなりの時間滞在する。その間、海の方を見て、やり過ごす。あるいは、暇つぶしに、何度か行き止まりの柵まで行って、下を見下ろした。閉館したホテルと駐車場が見える。つまり、ホテルの敷地から、灯台に上がる階段があり、本来ならば、この立禁の柵がなければ、下に下りられるわけだ。ホテルの閉館は、コロナの影響なのだろうか、などと思った。

 三つ目のポイント。このアングルはほとんどネットに上げられていないが、木製デッキの遊歩道を、来た方向へ戻り、左手の灯台をやり過ごして、さらに少し行ってふり返り、遊歩道上から灯台を撮る位置取りだ。ただし今回は、遊歩道がすれ違い出来ないので、その場で粘ることはできず、振り返りながら撮るという感じになった。ま、スナップショットだな。モノになるかならないか、帰ってからのお楽しみ。

 帰り際、今一度公園に戻り、灯台にカメラを向けた。やはりだめだ。ふっと我に返って、辺りを見回すと、炎天に焼かれているベンチがいくつかある。少し腰かけたのだろうか?どことなく荒れている、その猫の額ほどの公園には、ほかにも、モニュメントのようなものもあった。そばまで行ったはずだが、ろくに目もくれず、港の方を見た。反射的にカメラを向けたものの、全然絵にならない。シャッターすら切らなかった。

 階段を下りた。土産物店の水玉の浮き輪が目に入った。誰も入っていない食堂の前では、イカが焼かれている。雑駁な光景だ。でも、いやではなかった。<昭和の時代>を少し楽しんだ。

灯台紀行・旅日誌>2020#6 剱埼灯台撮影

 駐車場に戻った。車のリアドアを開けて、重いカメラバックをおろし、着替えをした。要するに、バックと背中の間が蒸れて暑いのだろう。そこだけが、汗びっしょりなのだ。濡れたロンTをダッシュボードに広げ、むろん乾かすためだが、一応車にキーをかけて、すぐそばのトイレに寄った。ついでに自販機で、スポーツ飲料を買って飲んだ。ナビを、今度は、剱埼灯台近くの駐車場にセットした。城ケ島か、どことなく昭和の響きだ。暑かったが、まだ全然疲れていなかった。

 ナビに従って、うねうねと、二十分ほど走ったのだろうか。一般道から右折させられ、畑の中の狭い道に入った。どう考えても、すれ違い出来ない。待機する場所すらない。向こうから車が来たら、どうするんだ。ひやひやしながら、ゆっくり走っていくと、あ~、見えました。私設の駐車場だ。

 マップシュミレーションで、下調べはできている。さほど驚きもしなかった。とはいえ、現場はもっと、面白かった!まずもって、入口の家が、崩れかかっている。青いビニールシートもボロボロ。解体?が進んでいる。しかも、道の両側にびっしりと大きめのペットボトルが並んでいる。焼酎のでかいボトルもある。

注釈(家が崩れかかっているのと、ブルーシートは、2019年の台風による被害だったようだ。うかつにも、その時は全く気付かなかった。2020-10-27 記)

 入口で出迎えてくれたのは?白髪まじりひげ面、少しエラの張った、日焼けした、というか、酒焼けかな?茶色い爺だった。窓を開けて、こんちわ、と言うと、いきなり、何時ころまでいるんだ、とじろじろ見ている。灯台を撮りに来たんで、一時間くらいかな、と答えると、それなら¥500でいいや、ぶっきらぼうに呟いている。五百円玉を渡すと、どこから取り出したのか?小さな黒っぽいきんちゃく袋の中に、無造作に放り込んだ。風体は、ま、完全にホームレス仕様だ。

 駐車場は意外に広かった。むろん下は舗装されていないが、仕切り線などもちゃんとしている。もっとも、周辺には廃車もあり、中にごみ袋などがぎっしり詰まっている。ほかにも、ガラクタが、そこここにうず高く積まれている。それにしても、縁にペットボトルがきれいに並べられている。自分にとっては、入間川で見慣れた光景なので、気持ちはほとんど動かない。だが、初見の人は、多少動揺するかもしれない。病んだ野良猫などもいた。

 車から降りて、出かける用意をしていると、何かメモしながら、爺が近寄ってきた。車のナンバーひかえている。ちゃんとカネを払ったかどうか記録している。ところが、それで終わらない。立ち去らず、一方的に、脈絡のないことを話しかけてくる。答えを期待している様子はない。ま、それでも一応、灯台に話題を持っていくと、この前の台風でレンズが壊れたとか、今は暗くなると自然に灯るが、時々故障して点かないときもある。などと、脈絡がない。

 これ以上相手をしていても、ラチがあかない。バックを背負い、車にキーをかけ、出かけるそぶりを見せる。だが、そんなことには頓着せずに、話しかけてくる。何しろ会話にならないんだから、ふんふんと相槌を打って、逃げ出すチャンスをうかがっていた。と、入口に車が来た。爺は、料金徴収のため、そっちへ行く。自分も一緒に歩いていき、やっと解放された。

 剱埼灯台へ向かう、細い畑道の突き当りに、私設駐車場があるのかと思っていた。だが、歩き出して気づいた。道はまだ続いていて、坂になっていた。右手に灯台の登り口があった。ここは柵止めされていて、車は通れない。だが道は、さらに急な下り坂になり、続いている。はは~ん、浜に出られるんだ。その浜にも灯台がある。間口港灯台といって、小ぶりながら、ロケーションはいい。あとで寄ってみよう。そんなことを考えながら、右に曲がり、灯台へと向かう、日陰の、かなり急な、蒸し暑い坂道を登った。少し息が切れた。

 登りきったところに、案内板があり、白い塀に囲まれた剱埼灯台が見えた。左、手前に、灯台より大きなレーダー塔がある。銀色の円盤が回っている。う~ん、正面から撮るには、このレーダー塔と網フェンスが邪魔だ。灯台そのものは、思いのほかレトロな感じで、存在感がある。一目で気に入った。

 こうなると、なんとしても、モノにしたい!暑い中、灯台の敷地を隅から隅まで歩いて、時には塀の外の草むらにまで出て、写真撮影を楽しんだ。幸いなことに、観光客は来なかった。ここは観光灯台ではないし、観光地でもない。どことなく荒れ果て、見捨てられた、真っ白な灯台。それに、真っ青な空、静寂、突き刺さる日射。最高の時間だった。

 ところがだ、やはり、ここにも観光客が来た。もっとも一組だけだったが。老年?のカップルで、女性の方はオレンジ色の派手なワンピースに、青っぽい日傘をさしていた。夫婦かなとも思った。だが、その寄り添う雰囲気が、どうも何か、訳ありだ。灯台の裏に入って、つまり、自分からは見えない場所、この敷地の中の唯一の日陰から、なかなか出てこない。ま、その間は、写真撮影に専念できた。

 たが、やっと出てきたと思ったら、灯台左横の仕切り塀に沿った所で立ち止まり、こちらに背を向け、海を見ている。日傘の相合傘、しかも、かなり長い時間。二人の世界だな!これには参った。灯台の写真を撮っているのだから、どうしても、老年カップが画面に入ってしまう。ま、あとで、修正することもできる。とはいえ、できればいない方がいい。レーダー塔を囲っている網フェンスの、スカスカな日陰にしゃがみこみ、様子をうかがっていた。何としても、粘って、いい写真を撮るつもりだった。

 撮った写真のモニターをしたり、給水したり、少し時間をやり過ごして、また撮りだした。位置取りを、正面から少しずらしたので、カップルの姿は、さほど気にならなくなった。ほどなくして、相合傘の二人は姿を消し、真昼の静寂が戻ってきた。とはいえ、ベストポジションに確信が持てず、今一度、灯台の周りをまわりながら、撮った。暑くて、もう限界だった。引き上げ際、灯台に向き直り、心の中で、また撮りに来よう、と思った。真っ白な灯台が、名残惜しかった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#7 間口港灯台撮影

急な坂を下った。突き当りを右に曲がった。片側は木々が生い茂り、反対側は、ちょっと開けた畑だったような気がする。その日陰の細い坂道を下った。すぐに、浜が見てきた。手前には民家、道を挟んで、仮設の駐車場。砂地の中に二、三台、車が止まっている。出入り口の木々の枝に、デイキャンプと書かれた大きめなカードがぶら下がっていた。なるほど、それ用の駐車スペースというわけか。

 浜には、三々五々、テントがあり、家族が海に入って遊んでいる。岩場の多い浜で、背後には木々があり、少し日陰がある。視界の左方向、波打ち際の岩場に、間口港灯台が見える。ところで、この灯台は、防波堤灯台によく見られる形をしている。この特徴的な形を、なんと形容するべきだろう。比較的小ぶりな、白いタイル張りの灯台なのだ。

 ちなみに、いまネットで調べた。<標準型防波堤灯台>という範疇で、その大きさによって、何種類かある。大雑把に記述してみよう。直方体を縦にして、その上に細長い円筒形がくっついている。そのてっぺんには、円筒形の直径よりやや大きい、平べったい円柱がのっている。つまりそれは台座で、その上に光を出す機械が鎮座しているのだ。

 そして、縦・直方体の一辺には扉があり、細・円筒形には金属の梯子が掛けられている。しかも、すべて五センチ四方くらいの白いタイル張り。納得できる記述ではないが、とにかく、この特徴的な形は、おそらく、誰もが目にしたことがあり、見れば、あ~と納得していただけるだろう。だが、誰もが見知っているこの灯台が、どこの誰によって設計されたかは、今回、ネット検索してもわからなかった。

 ま、機能的ではある。が、すくっと立っているわけでもない。真っ白というわけでもない。多種多型で美しい、大きな沿岸灯台に比べて、やや見劣りする。それに、似たようなものがたくさんあるので、見飽きている。だが、夜の海に光を投げかけて、船舶の安全な航行に寄与している。…今ふと思った。日本全国津々浦々、幾百幾千の防波堤灯台クンたちに、昭和の匂いを感じるのは自分だけだろうか、と。

 この岩場に立つ<標準型防波堤灯台>に、RLE型かな?写真を撮りながら近づいて行った。下は、岩場と砂地で歩きづらい。海水浴客の間を通り抜ける際には、いかにも自分は灯台を撮ってます、といった雰囲気を出したつもりである。というのも、目に眩しい水着姿の女性たちもいるので、盗撮でもしてるんじゃないか、と疑われそうな気がしないでもなかったからだ。だから、ことさら、灯台クンにのみ、カメラを向け続け、周りを見回すようなことはしなかった。小心者なのだ!

 灯台クンに近づくにつれ、その根元付近で釣りをしている若い男の存在が気になってきた。どうしても画面に入ってしまう。どかないかな、と思ったが、なかなか立ち去らない。ま、これは致し方ない。さらに、写真を撮りながら、歩を進めて、灯台クンの正面、さらには、岩場の行き止まりまで行った。

そこは、背後の木々により日陰になっていた。一休みしよう。お決まりのように、ロンTの着替え、給水、靴下も脱いだ。ふと思って、上半身裸のまま、汗ぐっしょりのロンTを目の前の日の当たっている岩場に、かぶせるような感じで広げた。腹の贅肉が気になったが、ここは海だ。

 ところで、旅の前日に痛めた親指のことだ。今朝になっても、さほどの不都合は感じない。爪半月が真っ青に変色しているものの、押しても痛くない。撮影旅でアドレナリンが出ているんだろう。今日の就寝後が少し気になった。それよりも、足の甲だ。両方とも、かゆい!それも、前回の旅で感じたような痒さ、しかも同じ場所。また、日焼けによる湿疹かな。とはいえ、薄手の靴下をはいているのだし、さほど日射を受けた覚えもない。やっぱ、靴が悪いのかな~?ミズノのウォーキングシューズ、本革仕様。革がいけないのだろうか?対処の仕方がわからない。

 と、目の前を、黒っぽいオヤジが通り過ぎていく。手にはカメラを持っていたような気もする。目で追っていくと、岩場の奥にあった階段を登って、漁港の方へ消えた。この灯台クンは、剱埼灯台の向かい側の漁港に車を止めて、近づくものだと思っていた。剱埼灯台からのルートなど、頭になかった。ま、そういった意味では、この酷暑の中、手間が省けたわけで、ラッキーだった。

 さ、引き上げだ。身支度をした。辺りがやや赤みがかっている。時計を見ると、三時過ぎていた。今一度、灯台クンに近づき、そして遠ざかりながら、写真を撮った。幸運なことに、一瞬、若い釣り男の姿が消えた。真っ青な空と海、岩場に灯台クンだけの写真が、何枚か撮れた。

 浜からの細い急な坂道を上った。途中、立木の葉を指さしながら、何か話している中年の男女が目に入った。二人とも黒っぽい服装。女性の方は大柄で、目鼻立ちがはっきりしていたような気もする。そばに、緑色の大きなバイクがあった。ちらっと見ながら、さらに、駐車場へと向かう坂を上った。と、後ろから、二人乗りのバイクが追い越していった。黒光りするフルフェイスのメットをかぶった女性が、後ろから男にしがみついている。少し気持ちが動いた。羨ましい、と思ったのかもしれない。

 ごたごたした、それでなくても暑苦しい、私設駐車場に着いた。茶色い爺が入り口で待ち構えていて、早速何か話しかけてきた。ふんふんと聞き流しながら、自分の車のところへ行った。爺もついてくる。とはいえ、今回は、隣に黒いワゴン車が止まっていて、運転手が外にいる。さっそく爺はそっちと話し始める。ま、要するに、誰でもいいわけだ。

 着替えをして、出ようとした。出入り口には、爺のほかに、二人ほど老人がいる。一人は爺と同じような、ホームレス仕様。友達なのかもしれない。もう一人は、痩せた、ワイシャツ姿の控えめな男。いつもうつむいていて、人と目を合わせないタイプだ。そういえば、さっき、下のデイキャンプ用の駐車場で、この老人が何かメモしていた。なるほど、あそこも、爺の稼ぎ場所だったか、と合点した。控えめ老人は、おそらく、この夏の時期だけ、爺にやとわれた、バイトだな。

 窓を開けて、冷やかし半分、爺にたずねた。朝何時からあけているんですか?というのも、この剱埼灯台には、また来たいと思ったからだが、爺は、夜明けから開いている、としごく当たり前のように呟いた。続けて、またしても脈絡なく、台風が近づいている、と何か得意げに言っている。ふんふんと頷いて、窓を閉めた。出口で大きく左折する際、また、崩れかけた家と、ぼろぼろのブルーシートが目に入った。その前に赤い自販機があった。甘いものが飲みたいような気もしたが、買う気にはなれなかった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編 2020#8 ビジネスホテル宿泊

 四時過ぎていた。大げさに言えば、三浦半島の右岸側?を北上している。宿は、京急線の<YRP野比駅>近くのビジネスホテルだ。ここから、およそ15キロ、三十分くらいで着くだろう。時間的には、ちょうどいい。

 ところで、ビジネスホテル、というのは、だいたいは大きな駅の周辺にあるものだ。あるいは観光地だな。ひるがえって、辺鄙な灯台の付近には、民宿とかペンションなどはあるが、あるいは旅館などはあるが、ビジネスホテルはお呼びじゃない。とはいえ、一人旅には、このビジネスホテルが、一番気楽でいい。それに、民宿・ペンションなどより、予約も取りやすい。

 今回の灯台旅で、ビジネスホテルがあるのは、横須賀だ。ただ、撮影地から、あまりに遠すぎる。というので、最初候補にしていたのは、城ケ島のリゾートホテルだった。ここは、地の利がある分、やや高め、しかも、予約が取れなかった。ということで、見っけたのが京急YRP野比駅近くにあるビジネスだった。ちょうど、横須賀と城ケ島の中間あたりだ。

 はじめ、なんでこんなところにビジネスホテルがあるのかと思った。しかも<YRP野比駅>って、なに?駅の名前に、アルファベットが付くって、あまりないでしょ。検索すると、<YRP>とは、横須賀リサーチパークの略。電波・情報通信などの研究開発拠点らしい。なるほど、仕事がらみでビジネスホテルを利用する人がいるわけだ。ところが、マップシュミレーションすると、丘の上には、かなり大きなガラス張りのビルが何棟か建っているものの、まだスカスカな状態。開発途上、というよりは、誘致失敗、途中で見捨てられた感じだ。

 ま、いい。話を戻そう。ナビに従って走っていくと。海岸沿いのにぎやかな道に出た。渋滞している。八月の日曜日だからな、とのんびり構えた。たらたら走っていると、そのうち、弓なりの浜辺が見えた。けっこう人が出ている。はは~ん、これが三浦海岸か。道路左側は、びっしり民宿や旅館、食堂やサーフショップなど、かなりの盛況。右側は、護岸沿いにずうっと駐車場。昔からの、夏の観光地だ。整備されているし、どことなくあか抜けている。

 …湘南、三浦は、東京とはいえ、場末の板橋あたりの中学生が行くところではなかった。その後も、なぜか、敷居が高くて、今に至るまで、行ったことはない。もっとも、泳ぎが苦手ということもあり、海はあまり好きではない。それに、女性の姿態が眩しい海辺の誘惑を、意識的に拒否していた。海へ行くよりは山。禁欲的な山登りの方が好きだった。

 夏、浜辺、女性の水着姿、これらは、十代の記憶、いまだ何者でもなかった頃の記憶を喚起する。なんとなく、甘酸っぱい気分になり、海辺の渋滞を楽しんでいた。が、もう小一時間たっている。そろそろ飽きてきた。と、車が動き出した。渋滞を抜けたようだ。

 宿に着く前に、付近のコンビニで夕食を調達しなければならない。下調べしたコンビニが、思いのほかわかりづらくて、通り過ぎてしまった。さらにもう一軒の方は潰れていた。うかうかと、大きな道から左折してしまい、トンネルをくぐった。ホテルはもう目の前だ。そうだ、一応ホテルの場所を確かめてから、さっき見えた道路沿いの<すき家>で飯を食おう。

 ホテルの前を通り、Uターンして、今来た道を戻った。コロナ禍以前は、吉野家で牛丼などをよく食べていた。<すき家>にも時々は行った。ともかく、久しぶりの外食だ。カウンター越しに、元気のいい中学生のような感じの男の子に、お持ち帰りですか、と聞かれた。いや店内で、と何も考えずに答えた。これが久しぶりの外食での、一つ目の失敗だった。

 席に着いた。カウンターには、左右にアクリル板の仕切りがあり、なんだかせまっ苦しい。中年のおばさんのような、おそらくアルバイトだろう、まるっきり商売慣れしていない女性店員に、<うな牛>を頼んだ。みると、入り口付近には、二、三人客がいた。頼んだものがなかなか出てこないので、暇つぶしに店内を観察した。みなお持ち帰りの客だ。店内に座っているのは、自分一人。外食を少し悔いたわけだ。

 やっとのことで<うな牛>が出てきた。普通の牛丼でもよかったのだが、少し元気をつけようと思って、<うなぎ>入りを頼んだ。テレビの宣伝が頭に残っていたのかもしれない。その<うな牛>の、肝心の<うなぎ>がまずい。タレが辛すぎる。これが、二つ目の失敗だ。<すき家>のウナギがうまいわけないじゃん!さっと食べて、千円札を機械に飲ませ、さっと出た。

Uターンした。またトンネルをくぐり、坂を上って、ホテル裏手の駐車場に到着した。車の外に出た。重いカメラバッグを背負い、着替えや飲食物を詰め込んだトートバックを肩にかけた。意外に重くて、ちょっとうんざり。受付で、チェックインを済ませた。二泊、前払いで¥14000ほど。黒い制服の中年女性の応対が、ぎこちなく、処理が遅い。その間、シールドの向こうにいた、白っぽいワイシャツ、ノーネクタイの中年男性から検温を受けた。例の、額に拳銃を向けられるようなやつ。むろん、平熱だ。ようやく、おつりとカードを渡され、エレベーターに乗った。そのさい、エレベーターの行先ボタンにカードをかざした。これは、初めての体験だった。

 カードキーに、戸惑うこともなく、部屋に入った。ま、普通の広さだ。セミダブルの大きなベッドだけが取り柄だな。というのも、中途半端なリフォームで、風呂場、机などの調度品に統一感がない。色が違っている。ケチって、使えるものは使おうというわけだ。それに後で気づいたが、小型冷蔵庫が、まったくといっていいほど冷えない。これには、クレームをつけようか、少し迷ったほどだ。もっとも、文句を言ったところで、すぐに交換するとも思えない。二泊だから、我慢することにした。

 エアコンをパワフルにして、すぐシャワーを浴びた。湯船の底に尻をつけ、膝を少し曲げた状態で座ると、目線やや上の壁にシャワーの取っ手がある。したがって、この一番楽な姿勢のまま、シャワーを浴びることができる。こういう経験は始めだ。あと、携帯用のアルコール消毒ボトルが机の上にあった。ま、この二つに関しては、イイネをあげたい。

 シャワーから上がり、冷たいビール、といきたいところだ。といってもノンアルビールだが、ビールは持参している。ところが、冷えていない。冷えない冷蔵庫に、三十分くらい入れたところで、生ぬるいことに変わりない。それでも、コップに注いて、アワっぽいビールを飲んだ。全然うまくなかったけれども、気分的には満足だった。朝の四時から、炎天下をフル稼働。夕方には、予定通り、所定の宿に入ったのだから。

 前回の、犬吠埼灯台の旅のような、身も蓋もない疲労感はなかった。撮った写真をモニターしたり、帰宅後に<日誌>をつけるためのメモを書いたり、やや小さめなテレビをぼうっと見たりした。夜の九時前には寝ていたと思う。

今日の出費。高速¥4010、駐車場二か所¥950、飲食¥1300。なぜか、宿代の領収書が、チェックアウト時ということなので、その分は明日だ。幸せなことに、カネ勘定に気持ちがそがれることはなかった。要するに、数万単位の金額は、痛くも痒くもない。これは人生初めての感覚だ。ちなみに、ガキの頃は数十円、数百円、大人になっても長らく、数千円単位のカネ勘定で、日常を生きてきたのだ。

 …目が覚めた。まだ、夜中の十一時過ぎだった。二時間寝たのか。なんとなく、腹が減ったような気がした。夕食が五時だったからな、と思った。起き上がって、備え付けのポットで湯を沸かし、カレー味のカップ麺を食べた。ついでに、お菓子類も食べたのだろうか。そのあと、少しテレビを見て、また寝た。

 だが、寝つきが悪い、ほぼ一時間おきに目が覚め、トイレだ。しかも、十二時過ぎくらいからは、どこからか、断続的に物音がする。気になる。そうだ、親指の怪我はどうした?そっと押してみた。少し痛む。だが、昨晩のようにジンジンした感じではない。その点は良かった。しかし、その後も、物音は午前二時過ぎまで続き、何回も、眠りを妨げられた。どこのどいつなんだ!少し腹が立ったような気もする。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#9 観音崎へ向かう

 二日目

五時半過ぎに目が覚めた。昨晩はほぼ一時間おきに、トイレに起きた。寝足りないな、などと思いながら、ベッドの中でぐずぐずしていた。六時過ぎたころからは、これは明らかに隣だな、ドアを開ける物音などがした。昨晩、夜遅くまでうるさかった部屋の方からも音がする。これは向かいだな。何しろ、ビジネスホテルでは、みな早起きだ。六時過ぎたら、うるさくて眠っていられない。

 というわけで、こっちも、六時半には起きた。サービスの軽朝食は七時からなので、それまでに身支度を整えた。髭剃り、歯磨き、洗面、着替えだ。七時過ぎにエレベーターで下に下りた。チェックインカンターの人影にちょっと目礼して、辺りを見回した。簡易的な、安っぽいテーブルと椅子が、何脚か置いてある。誰も座っていない。が、フロアには、四、五人の人影。それぞれ、微妙な距離を取っている。

 まず、冷蔵棚から、ヨーグルトとパック牛乳を一つずつ、次に、壁際の長い台に、二、三籠載せてある<菓子パン>から、三つ選んで取った。あとは、オレンジジュースと野菜ジュースを機械から抽出した。あらかじめ、ポケットに忍ばせて置いた、白いレジ袋を取りだし、菓子パンなどを入れた。一言、部屋で食べてもいいですか、と受付の女性に断った。むろん、悪いはずはない。コロナ禍、この時期に、他人と一緒の場所で飲食はしたくなかった。手にレジ袋と、大きな紙コップを二つ持って、部屋に戻った。

 さ、貧しい朝食だ。オレンジジュースと野菜ジュースは、ま、こんなもんだろう。別に不満ない。だが<菓子パン>の方は、クロワッサンのような、なかに何も入っていないものはまだしも、あんパンとカツパンは、これはもうNGだった。思わず、消費期限を確かめた。三つとも多少のずれはあったが、ほぼ一か月近くある。ありえない!アンパンの半分、それにカツパンは、即刻ごみ箱行きになった。それにしても、とホテルの良識を疑った。だが、それほど腹は立たなかった。食べなければいいのだ。

 ほとんど便意はないが、出発前に排便を試みた。ほんの少し出た。一応は温水便座で、これはリニューアルしてあったので、気分はいい。七時半、室内を少しきれいにした。つまり、ベッドとかテーブルの上を整頓した。部屋を出て、カードキーでロックし、カードは財布の中にしまった。

 再度エレベーターで下に下り、受付に一言、出てきますと告げた。コーヒーメーカーに寄り、アイスコーヒーを作って、車内に持っていこうとした。ところが、なんというか、失敗だ。というか、やり方がわからなった。普通なら、機械のボタンを押せば、氷が出てきて、その上に温かいコーヒーがふり注ぐ、という形だが、氷が出てこない。しかたなく、黒い液体が半分くらい入っている紙コップを手に持って、受付の女性に、氷が出ないんですけど、と遠慮がちに言った。

 その係の女性は、大柄な、目鼻立ちのしっかりした、ま、美人だった。カウンターからすぐに出てきて、自分が手にしていた紙コップを受け取り、やり方を教えてくれた。要するに、氷だけが出る機械があり、そこでまず、大きめの紙コップに、手動で、お好みに合わせて、四角い氷を何個か入れ、その氷の入った紙コップを、コーヒーメーカーに置く、ということだ。コンビニのアイスコーヒーを常用している者にとっては、なんとも、間の抜けた話だ。

 再度、アイスコーヒーを作り直し、受付の横から、外に出た。昨日は正面玄関から入った。駐車場へ行くには、こっちの方が近い。要するに裏口だ。少し雲が出ているものの、いい天気だ。車の中に入って、観音埼灯台、とナビに打ち込んだ。…アイスコーヒーを飲んだ。さしてうまくもなかった。だが、朝のコーヒーは日課だ。飲まないと、何か忘れ物をしたようで、落ち着かない。

 車を出した。長い坂を下って、トンネルをくぐった。左折。広い道路を走った。朝の通勤時間帯だ。だが、さほど混んでいない。また長い坂を下った。周りは丘で、緑の斜面に小さな家が点在している。いわゆる、横浜・横須賀方面の風景で、埼玉のような平場に住んでいる者にとっては、少し新鮮だ。

 道が、市街地に入ってきた。やや混んでいる。と、大きな交差点。左折待ちしていると、目よりちょっと高い所に、長い歩道橋。その上を、女子高生、いや男子もいるな、ぞろぞろ歩いている。目線を下におとすと、道の向こうの方からも、ぞろぞろ。通学時間帯なのだろう。皆、同じような格好をして、同じ時間に、行儀よく歩いている。むろん強制されている様子もない。ふと、自分の高校生時代を思い出した。最寄りの駅から、やはり、ぞろぞろと、黒い学生服が、歩いている。朝っぱらから学校なんか行きたかねえや、とは思わずに、素直に、行儀良く、学校へ通っていた。いま思えば、かわいいもんだ!

人間は、こうして教育され、大人になっていく。大人になって、そうした目に見えぬ強制力に気づく奴もいる。が、ほとんどが、気づいたとしても、それを否定もせず肯定もせず、生き続ける。長いものには巻かれ、か!自分もその一人だろう。だが、齢七順にもなると、この世とのおさらばが近い。いずれ、この世が霧散してしまうのならば、いったいこの世とは何なのだろうと思う。今はやりの<仮想現実>ととらえることもできそうだ。ならば、この世の規則に従って、営々と生きてきたことが、なんだかばからしい。

 話しが暗くなった。戻そう。さらに、横須賀の市街地を進む。と、信号ごとに止まるようになった。多少混んできたのだ。ふと、歩道を歩いている女子高生に目がいった。黒い大きなリックを、お尻のあたりにまで垂らしている。地味なチェックのスカートにワイシャツ、黒のローファー。だが、その足首のあたりが、鮮やかな緑色だったり、ピンクだったりして、目を引く。カラフルなソックスを少し出しているのだ。なるほど、あれが大人への、規則へのささやかな抵抗、というわけか。もっとも、あの程度の抵抗など歯牙にもかけない、もっともっと巨大な規則が、自分たちを覆っていることには、まだ気づいていないのだろう。いや、気づかないままでいることの方が、幸せかもしれない。

 少しマジなことを考えているうちに、観音埼が近くなってきた。ナビの右折の案内に従った。ところが、一つ手前の信号の、右折ラインに入ってしまった。ありゃ~、バックミラーで後続車がいないことを確認、ゆるりと直線ラインに入った。おまわりに見られたら、違反切符を切られる。幸い、セーフだった。

ナビ通り、突き当りの信号を右折して、海岸沿いの広い道に入った。しかし、護岸が高く、左側の海は見えない。中央分離帯の向こうには、高級住宅街が見える。道路側の家の二階からなら、きっと海が見えるだろう。いいな、と思った。とはいえ、住宅街は、奥が深い。ずうっと続いている。道路際の家はほんの一握りだ。値段が高いだろうし、それに、道路際だからうるさいかもしれない。貧乏人の僻みだな。それでも、いいなと思ったことを取り消した。

 前方に、海に突き出た、深い緑色の観音埼が見えてきた。灯台は間近だ。と、道が片側二車線から一車線になる。その手前に安全地帯がある。ちょうど車一台分くらいのスペース。急遽、ハザードをだして停車した。気になっていた、左側の海を見たかったのだ。脇の階段から、護岸に上がった。なんとなく、雑然とした海。…今ネット検索した。雑然とした海の理由、要するに、その海は東京湾だった。なるほど、灯台旅に出ると、太平洋の方を見ていることが多い。そのせいだ。太平洋に比べれば、東京湾などは、ゴミのようなものだ。二階から海が見える住宅を、ちらっと見た。東京湾じゃしょうがないよな!

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#10 観音崎公園

 観音埼に着いた。周辺は、きっちりマップシュミレーションしている。迷わず、灯台に一番近い駐車場に入った。¥880!高いだろう。案内板を見ると、七月と八月だけが、この値段。ま、浜辺がすぐそこだし、夏場料金だ。駐車場はまだ空いていた。着いたのは八時半頃だったろうか。宿から、小一時間かかったようだ。

炎天下、なるべく日陰に止めたい。誰しもが思うことで、むろん、そんな場所はあいていない。車から出て、サンダルから靴に履き替えた。そう、足の甲が、また前回と同じで、痛痒い。赤くなっている。今日も、直射日光を受けるわけで、ちょっと嫌な感じがした。でも、どうしようない。装備を整え、出発だ。

 駐車場のトイレで用を足した。念のためだ。公衆便所の臭いがした。日本中の公衆便所が、その規模の大小にかかわらず、この特有のくさい臭いを放っているのだろう。ま、控え目に言っても、臭いがしない公衆便所は少ない。

 歩き出した、すぐに浜辺だ。案内板がある。ちらっと見て、海の方へ吸い寄せられた。すぐ目の前の海の中に、変な構造物がある。あきらかに場違いな感じ。ためしに記述してみよう。長辺が五、六メートル、短辺が二、三メートルの、長方形のコンクリの台座が、10本ほどの円柱によって支えられている。円柱はほぼ沈んでいるが、海から一メートルほどだけ見える。その台座のほぼ真ん中に、海中の円柱とほぼ同じ太さの円柱が一本突き出ている。高さ三メートルほどの、その煙突状の胴体には、こちら向きに、白地に黒文字で<危険立入禁止>と書かれている。

 河川敷に立っている鉄塔の台座を想起した。ただし、真ん中に立っている煙突状のモノが理解できない。何ともおかしな、不思議な造形だ。コンクリの劣化状態からして、かなり古いものであることに間違いない。

 …今調べました。<海岸七不思議ー観音崎の自然&あれこれ>https://suzugamo.sakura.ne.jp/7fusigi.html というサイトによれば、

 <私は沖合にある遺構をこれまで”海水浴場の飛び込み台”と決め込んでいたが、今回初心に返り、観音崎園地浜の路傍で、いかにも土地の古老?という感じのお年寄りに、由来をお尋ねしたところ………
 「昭和10年代に旧軍が建造したもので、海中にある飛び込み台のような遺構と、手前の岸壁は桟橋で結ばれ、レールが敷設されていた。桟橋には輸送船が横付けされ、灯台のように見える柱にロープで係船、荷揚げされた弾薬等は、トロッコで陸上の倉庫へと移送された。戦後、海水浴場を開設するにあたり、邪魔な桟橋は撤去されたが、その時のコンクリート製橋脚の残骸が観音崎園地の磯にいまだに放置されている。」 

 ということであった。このサイトの管理人様、事後ではありますが引用をお許しいただきたい。

 とにかく、なんだかおもしろいので、最大限近寄れるところまで、それが<手前の岸壁>の遺構だったのだが、近寄って、かなりしつこく撮った。そのうち、若い女性の二人連れが来たので、場所を譲った。あれ、と思って振り返ると、派手なブラウスを着た、小柄で少し浅黒い、その娘たちから、何か外国語が聞こえた。向き直って、遺構を見るふりをして、彼女たちを見た。スマホで記念写真を撮っている。はは~ん、フィリピン系だな。

 狭い砂浜はキャンプ場になっていた。色とりどりのテントが、今はやりの、ソウシャルディスタンスを取っているのだろうか、三々五々見える。脇目せずに、キャンプ場を抜け、灯台へ向かう遊歩道に入った。このあたりもマップシュミレーション済みだ。多少の日陰。だが、かなり暑い。と、目線の上の方、深い緑の木々に覆われた岬のてっぺんに、白い観音埼灯台の頭が、ちょこんと見えた。

 そこはちょうど、両脇の木立が切れるところで、二、三歩、行きつ戻りつして、灯台が、一番たくさん見えるところで立ち止まり、何枚か撮った。この位置を覚えておこう、と思った。さらに行くと、視界が開けて、炎天下。灯台の頭は岬に隠れてしまった。左側は海、右側に、何かトンネルをふさいだような痕跡、これも戦跡っぽかったが、さほど魅力を感じない。続いて、崖がえぐられた場所があり、観音様が祭られているようだ。案内板には、観音埼の<観音>の由来が書いてあった。斜め読みしたが、行基上人の文字しか頭に入らない。頭に入れる必要もないから、ま、流したのだ。

 と、続いて、少し朱色がかった、長方形の大きな石に、何やら縦書きの文字が連なっている。近づいてみると<燈台へ行く道>という題字が見える。さらに近づいてみてみると<西脇順三郎>と彫り込まれていた。

燈台へ行く道  西脇順三郎

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や
小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのつて
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいつたことを
考えながら歩いた

平易でわかりやすい詩だ。自分にも、何か、わかるような気がした。<西脇順三郎>は難解だと思っていたので、意外だった。それにしても、著名な詩人が、ここに来ていたとは、ちょっと驚きだった。詩碑を、ぱちりと一枚だけ撮った。ちなみに、今ネット検索したら、<詩>の全文が出てきた。詩碑は、その前半である。全文を読むと、あらためて、より感動が深まった。

 やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思つて
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあつた
あかのまんまの力も弱つていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前
「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折つて
そのみどり色の梅のような固い実を割つてみた
ペルシャのじゅうたんのように赤い
種子(たね)がたくさん、心(しん)のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいゝ生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思つた
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかつたのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした

 その先、遊歩道は、先日来の大雨で、通行止めになっていた。だが、幸いなことに、灯台への登り口は、その手前だった。階段を登り始めた。鬱蒼とした緑の木々。日陰だが、風が通らないから、極端に蒸し暑い。静寂。セミの鳴き声が聞こえていたのかもしれない。さっき読んだ<西脇順三郎>の詩碑。詩人の静謐な孤独を思った。世界への、人間への大きな愛を感じた。いい詩だなあ~と思いながら、少し広めの急な階段を、ゆっくり辿っていった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#11 観音埼灯台撮影

 ふと、目をあげると、坂の上からおじさんがおりてくる。手に小さなカメラを持っていたような気もする。その先に、観音埼灯台が、木々の深い緑の向こうに見えた。灯台敷地より、十メートルほど手前、坂の途中だ。ネットで見た限り、写真はここからがベスト。ベストといっても、灯台の右側には建物があり、左側は、すっからかんの空間、海は見えない。だあ~っとした景観は望むべくもなかった。むろんそれを承知で来ている。

 立ち止まって、しつこく撮った。木々の枝が白い灯台の胴体にかかってしまう。緑の葉っぱだから、まだいいが、それにしても、邪魔は邪魔だ。しかし、その木々を避けて、灯台に近づけば、横の建物がよけい目について、まったく絵にならない。この場所で、最良のショットを撮るしかない。

 粘っていると、お迎えが近い?小柄な老人が目の前を通り過ぎていく。手に小さなカメラを持っている。灯台を撮りに来たのか、と思いながら、よろよろ歩いていく老人の後姿を一枚撮った。さらに見ていると、入り口で、ちょっと立ち止まり、灯台を見上げている。その黒いシルエットが、ちょうど、白い灯台の胴体の中に入り込んで、目立つ。さらに、敷地に入り、建物の方を向いて、入場料を払っているようだ。それが終わると、ゆっくりと灯台の根本に向かって歩いていく。何しろ、ずっと灯台と自分との線上にいるのだ。

 そして、やっとのこと、画面から消えたと思ったら、今度は、その老人が消えたあたりから人影が出てきた。画面越しに見ていると、どんどん近づいてくる。黒い服のおばさんだ。灯台の受付だろうな。とうとう、敷地から出て来た。手にしているのは携帯用の掃除機なのか、入口手前の、コンクリのタタキの隅まで行って、そこにたまった葉っぱなどを吹き飛ばしている。掃除をしているわけだ。その間も、シカとして、灯台を撮っていた。

 おばさんの姿も消えて、静寂が戻ってきた。今一度、人影のない、新緑の枝がかかった白い灯台を撮った。撮れたような気がして、満足だった。ふと我に返ると、小指辺りを蚊に食われたらしい、痒い。そうだ、忘れていた。何しろ蒸し暑くてかなわない!

 受付で¥310払った。その際、おばさんに、隣の資料室は撮影禁止ですから、とややつっけんどんに言われた。悪意を持っているわけではない。顔つきをみて、そういう口の利き方とする人間なんだと了解した。イラっともしなかった。資料室か、帰りに寄ってみよう。その入口の前にベンチが置いてあったような気がする。そこは日陰になっていた。カメラバックをおろし、着替えた。お決まりのように、汗びっしょりだった。上半身裸のまま、給水して、一息入れた。そのあと、海の方を、しばらく眺めていた。

 さてと、灯台に登ってみるか。立ち上がった。灯台の裏側は日陰になっている。そこに腰かけがあるのだろうか、こちらからはよく見えないが、例の老人が座っている。手にしたカメラを沖の方へ向けている。依然として、他人の存在をまるで意識してないかのように。邪魔しないように、反対側に行った。灯台の横。炎天下だ。そこに、何か展示してある。

 一つは、白い大きなラッパが三本、扇方に広がっている。これはすぐに分かった。このラッパから霧笛を出していたんだ。二つ目は、これまた白い、ドーム型の灯台の頭で、中にレンズが入っている。これらはきっと、先代の観音埼灯台の遺品だろう。勝手にそう思って、説明書きなどは読まなかった。そのかわり、ぐるりと一回りして、ベストショットを狙った。この二つの真っ白な遺品は、オブジェとしても、カッコいい。

 と、その隣に、正体不明の物体がある。ちょっとくびれたコンクリの円柱だ。気にかけなかったが、ふと寄って見ると、海図のようなものが表面にある。いや、海図かどうか定かでない。とにかく、灯台の遺品であることに間違いはない。だが、それがなんであるのか、確かめもしなかったし、写真すら撮らなかった。造形的に、魅力を感じなかったのだ。

 ところで、岬の先端部、炎天下の、日陰のない灯台の前は、頭がくらくらするほど暑い。海風が少し吹いているものの、全然涼しくない。とはいえ、ここまで来た以上は、灯台の正面を、写真に収めていくべきだろう。たとえ、それが、写真的にはモノにならないとしても、一応は、ベストを尽くすべきだ。そういうわけで、狭い敷地の端を、少しずつ移動しながら、丹念に灯台を撮った。

 だが、灯台との距離が取れないばかりか、両脇はスカスカで、なんとも間の抜けた構図ばかりだ。24㎜というかなりの広角でも、引きが甘く、おもわず魚眼レンズを買ってみようかとさえ思った。が、これはさすがに自制した。両端がゆがみすぎて、風景写真には不向きなのだ。さらには、禁じ手を破って、縦位置で何枚か撮った。結果は余計悪い。自ら決めた禁じ手をあっさり破ったことを、少し後悔した。

 暑い!を通り越していた。もう限界だ。これ以上は、熱中症の危険がある、と自らを戒めて、撮影を終えた。灯台の裏側に回った。老人が腰かけていたところだ。日陰で、海風が心地よい。給水し、上半身裸になり、汗びっしょりのロンTを二枚、灯台の敷地を囲っている低いコンクリの塀に干した。靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。足の甲が赤くなっている。痛痒い。

 はあ~、一息入れよう。建物の縁に添った木の腰掛だ。正面は海。なんだか船が多い。大小さまざま、行きかっている。それにしてもと思って、ふと気づいた。浦賀水道だ!となれば、向こうに見えるのは房総半島。要するに東京湾への入り口だった。はは~ん、あの老人が、カメラを向けていたのは、この光景か。てっきり灯台を撮りに来たのかと思っていたが、ここに座って、浦賀水道を航行する船を撮っていたんだ。

 カメラバックから、望遠を撮りだした。なるほど、いろいろな形の船があって、面白い。しばらくの間、ゆっくり視界を横切る、おもちゃのような船舶を、断続的に撮った。じきにそれにも飽きた。ロンTが乾くまで少し休憩だ。そう思って、座り姿勢のまま、首をうなだれて目をつぶった。何組か、観光客が目の前を通り過ぎて行った。上半身裸、素足。でも長い綿マフラーを首にかけている。乳首は見えない。それに、両脇に、これ見よがしにデカいカメラを置いてある。写真を撮りに来て休んでいるのか、と誰が見ても納得するだろう。

 そのうち、目をつぶったまま、ふと思った。ロンTを干しているのが、景観を汚している、と不快に思う人がいるかもしれない。さっき通った、親子連れの若い父親が、堂々と干してあるロンTを見て、苦笑していたではないか。かまうものかと、一方で思ったが、比較的目立たない、端の方へ移動した。なんでそんなことにまで、気を使わなくちゃならないんだ。よけいな配慮が多すぎる。

 狭い縁に腰かけただけの、窮屈な姿勢でも、ふっと体の力が抜けたように感じた。三十分くらいたったような気もする。十一時だった。裸足で、塀に掛けてあるロンTを取りに行き、身支度をした。ロンTは生乾きだった。気分が少し良くなっていた。観光気分で、まず灯台に登った。それが狭い螺旋階段で、やや窮屈な思いをした。内側の壁に、全国の灯台の写真が、ずうっと飾ってある。登りながら見る余裕はない。何しろ狭いんだ。

 登りきったところに、これまた狭いドアがあり、腰をかがめて外に出た。グルっと回れるようになっている。ただその通路も狭い。幅五十センチくらいだろうか、人ひとりがやっと通れるほどだ。正面は、日が当たっていて暑い。裏側に回った。日陰で、海風がいい。柵に肘をかけたのだろうか、眼下に、来るときに通った遊歩道が見えた。そこに若者たちが五、六人ぶらぶらしている。豆粒のようだ。向い側に見える、深い緑の丘には、鉄骨の無粋な塔が見える。レーダー塔だろうな。

しばらく、下界を眺めていた。南西方向の海の中に、人工的な構造物がある。何かの遺構だろう。見に行ってみるか。下りようとしたら、さっきから来ている熟年の夫婦連れと、狭い入口のあたりで鉢合わせになった。おばさんの方は、扉の前にいるので、自分が扉から出られない。要するにすれちがいできないのだ。すいませんと言って、彼女をバックさせた。

 いや~ここまで書いてきて、前後の時間を間違えていることがはっきりした。というのも、その後、この熟年夫婦は、腰掛で休憩している自分の横に来て、少し休憩していったのだ。つまり、灯台に登ったのは、腰掛けで休憩する前だったわけだ。熱中症の危険を察知して、撮影を中止した後に、灯台に登ったわけで、灯台の内部は日陰だから大丈夫だろう、と思ったような気もする。どうでもいいことだが、気持ちが悪いので、訂正しておく。

 とにかく、灯台見物は終わり。最後は、受付のある建物、資料室に寄ってみた。<撮影禁止>とおばさんに言われた場所だ。ごたごたといろいろあって、エアコンも効いていない、蒸し暑くて薄暗い部屋だ。ざっと流して出るつもりだった。と、灯台の模型がある。下の方に、手でぐるぐる回す把手がついている。なにかと思って近寄ると、昔の灯台の、発電の実験模型だった。

 何々、昔の灯台守は、日中に200キロ近い重りを手でぐるぐると、何時間もかけて上へ巻き揚げ、夜になると、その重りの落下するエネルギーを使って発電機を回し、灯台を光らせていた。したがって、かなりの重労働だった。わかったような、わからないような感じだ。ま、とにかく、その把手をつかんで、ぐるぐるすると、紐にくっついている黒い重りが、上の方へ巻き上げられた。そのあと、今度は、把手をさっきとは逆向きにぐるぐるする。と、巻き上げられた重りがすこし落下する。その瞬間、模型の灯台の目が光った。昔の灯台守って、そんなことをやっていたのか、となんだか不思議な気がした。...昔の灯台守については、そのうちちゃんと調べてみたい。

 帰り際、受付の奥から、おばさんの声がした。<ありがとうございました>。声の感じが、普通に聞こえた。自分も、顔をちょっと向けて<ありがとうございました>と返した。敷地を出ると、道が二股に分かれる。左に下りて行けば、先ほど灯台の上から見た海中の遺構へたどり着けるだろう、と思った。日陰の山道を下った。少し行って振り返ると、灯台が少し見えた。ほぼ樹木に隠れていている。しかも、裏側からだから、塀ばかり目につく。とはいえ、記念写真だ。何枚か撮った。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#12 戦争遺跡1

 蒸し暑い山道を、さらに行くと、標識があったような気がする。浜辺へ下りる道は、通行止めだった。反対側の道は、山の中へ向かっている。砲台の遺構があるようだ。少し山道を登ると、平場に出る。何やら、レンガのトンネルが見える。辺りは鬱蒼としているが、木洩れ日で明るい。緑の葉っぱがきれいだ。

 …この辺りは、旧日本軍の砲台跡が点在しているようだ。来る前にネットで画像を見た。戦跡に、興味がないわけではない。ただ、写真としては、なかなか難しい。今回もそうだ。あらかじめ知っているから、山の中に残されている、大きなコンクリの構造物が砲台跡とわかるわけで、いくら見回しても、その本来のイメージは浮かんでこない。軍事機密であったのだから、当時の写真などは出回ってないのだろう。

 だが、真夏の蒸し暑い、緑に囲まれた静寂の中で、その雰囲気を楽しんだ。と、後ろから、男の大きな話し声が聞こえた。カップルだ。砲台の台座のようなところに登って、やり過ごす。そばに人がいるにもかかわらず、大柄な男は、この砲台跡のことを、小柄な、地味な彼女に、得意げに話している。そのうち、レンガ造りの短いトンネルの前で立ち止まった。彼女の方が、通り抜けることを少し嫌がったのだ。短いとはいえ狭いトンネル。気味が悪い。

 大柄な男が、彼女を説得している。少し嫌だと言い張ったが、男の勢いに負けて、二人してその短いトンネルを通り抜けていった。トンネルの向こう、明るい緑の中に、手をつないで坂を下りていく二人の姿が見えた。廃墟巡りとか、趣味が同じならともかく、デートコースとしては、どうなんだろう。女の子を連れてくるような場所でないことは確かだった。

 広い、坂道を下った。視界が開けて、一般道に突き当たる。左手には海、右手にはトンネル。あれ~と思って、そばにあった案内板を眺めた。一般道へは出ないで、右手の山道を登っていけば、灯台に戻れそうだ。途中に砲台跡もあるらしい。この暑いのに、せっかく下ってきたのにと思いながら、ゆっくりと、また登った。登り切ったところにも標識があり、その案内に従って、右に行くと、砲台跡に出た。かなり規模が大きい。

 さっきと同じようなレンガ造りのトンネルも見える。ただ、こっちのはかなり長い。しかも、入口に金属製の柵があって、立ち入り禁止。かりに、トンネルを通り抜けられるとしても、いったいどこに出るのか見当もつかない。とはいえ、緑に囲まれたトンネルは、静かで、いい雰囲気だ。

 向き直ると、正面は小高くなっている。視界はない。だが、なるほど、そこに大砲が置いてあったのね、とわかるような感じのコンクリの構造物があった。陽が当たっていたし、足場も悪そうなので、少し興味をそそられたが、登らなかった。登れば、おそらく、眼下に浦賀水道が見えたかもしれない。そんな感じの砲台跡が、距離をあけて、三つくらいあったような気がする。岬の上から、航行する船舶を狙う大砲が、何門も見える。少しイメージがわいてきた。

 砲台跡に沿って、坂を下っていくと、何やら施設に出た。案内板を読むと<東京湾海上交通センター>。先ほど、観音埼灯台から見えた、レーダー塔の下に出たわけだ。…あらためて、今調べてみると、浦賀水道を航行する船舶の管制塔のような役割を果たしている。それにしても、休みなのか、人の気配が全くしない。日陰を見つけて、着替え、給水。とは言え、すぐに蚊に食われた。汗の臭いに寄ってきたのだ。

 ところで、案内板通り、この施設の横から、灯台へと至る山道があった。ところが、ここも通行止め。どうする?今一度標識をまじまじと眺めた。左は今下ってきた道。右は観音崎園?下り道だ。灯台に戻れない以上、どう考えたって、下るしかないでしょう。たとえ、とんでもないところに出たとしても、そのあとは平場を歩くわけで、今来た山道をまた上ったり下りたりするよりはましだ。

 やや疑心暗鬼のまま、山道を下った。と、木々の隙間から、海辺が見えた。少しホッとした。さらに行くと、幸運なことに、浜のキャンプ場に出た。そう、灯台に行くときに通った、あのキャンプ場だ。つまり、駐車場のすぐ近くにおりて来たのだ。関根二等兵帰還!カメラバック=背嚢を背負って、岬を彷徨った、日本兵のような気がしないでもなかった。

 下界は、とんでもなく暑かった!キャンプ場の脇を歩いていくと、赤い自販機があった。思わず、コーラを買ってしまった。ふと見ると、そばに炊事用のやや大きめな流し台があって、排水された水が、砂地に流れ出ている。キャンプ場でよくみられる光景で、ぞっとするほど汚らしい光景だ。排水で、色が変わった砂地を目で追っていくと、キャンプに来た女性が楚々として海を見ている。なんなんだか!そくそくと、その場を後にして、駐車場へ向かった。

 車の中は、蒸し風呂。すぐにエアコン全開、窓にシールドを張った。服を脱いで、横になった。少し眠るつもりで、耳栓もつけた。目をつぶり、この後の予定を考えた。まだ一時過ぎだった。ふと気になって、スマホ大黒ふ頭付近の灯台を調べた。一つ、二つ、撮ってみたい防波堤灯台があった。行ってみようかな。起き上がって、耳栓を抜いて、運転席に移動、ナビで検索した。

 ところが、結構距離があり、時間も一時間以上かかる。是が非でも撮りたい灯台でもない。ま、次回にしよう。例えば、千葉の野島埼灯台を撮りに行くとき、ちょこっと寄ってみるという手もある。高速を、途中の大黒インターで降りればいいんだ。ま、それよりは、さっき見た、海の中にある、正体不明の遺構だな。これも少しスマホで検索した。だが、よくわからなかった。

 そんなこんなで、昼寝はできなかった。時計をみた、一時半だ。さほど眠くもないし、疲れてもいない。身支度して、ナビをセット、出発した。駐車場を出て、左方向。すぐにトンネル。さっき、山道を下りたところにあったトンネルだ。通り抜けると海が見える。左側に博物館の駐車場があった。ガラガラ。¥880!高いなと思いながら、アルバイトだろう、ちょっと尊大な白髪のおじさんにカネを払い、海の中の遺構のことを聞いた。よく知らないらしく、詳しくは聞けなかった。ただ、その辺にあることは間違いないらしい。

 車から、外に出た。午後になって、ますます蒸し暑くなっていた。駐車場背後の階段を登ると、ちょっとした、見晴らし公園になっていた。海が見渡せる。草ぼうぼうの中に、ベンチなどもある。視界の左の方が観音崎。その下に、あったよ!例の遺構だ。海の中に崩れかかったコンクリの円柱が見える。…帰宅後にネット検索すると、<水中聴測所>?と出た。旧日本軍の施設で、潜水艦の音を聞くものらしい。敵の潜水艦が浦賀水道に侵入してくるのを警戒していたのだ。いまは自衛隊の管轄になり、立ち入ることはできない。なるほどね。

 早速写真を撮ろうと、ベストポジションを探しながら移動した。だが、水平線と、円柱の垂直を出すのが、場所的に難しい。それでも、円柱に吸い寄せられるように、縦長の公園の端まで来た。すぐそばのベンチで、おじさんが、この炎天下、本を読んでいる。まあ~、シカとして、腰の高さほどの柵に寄りかかりながら、何枚か撮った。とはいえ、モニターすると、垂直・水平が取れていない。許容範囲を超えている。場所的に無理なんだ。

 しつこくは撮らないで、今度は海の方を眺めた。空の様子がいい。ボニュームのある雲が、対岸の陸地・房総半島に沿って、低くかかっている。狭い青空、太い横一文字の雲、高い青空、という構成の、素晴らしい景色だ。時々大きな船も通り過ぎていく。見える範囲をすべて、アングルを変えながら撮った。

 引き上げる際に、さして広くもない見晴らし公園を見回した。短パンの読書おじさんが本を手に持って立ち上がっていた。もう一人、痩せた、オタクっぽい若者が、端の方で、スマホを海に向けていた。その後姿が暗い。このすばらしい景色とは合わないな、などと思いながら、そうだ、海辺にまわりこんで、今一度あの遺構を撮ってみよう。かなり気になっていたことは確かだ。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#13 戦争遺跡2

 駐車場の隣というか、上はレストランだった。近寄って、中を見た。大きなガラス窓の向こうに海が見える。何か、一度入ったような気がした。遠い記憶がかすかによみがえった。あまり思い出したくない女の顔も思い浮かんだ。赤帽の仕事でこの辺に来た時、不相応にも、一人で寄ったのかもしれない。横須賀の原潜や<軍艦三笠>を見物したことは確かなのだ。あり得ないことじゃない。

 レストランの隣は博物館だった。その間に通路があって、奥に青い芝生が見えた。カラフルな遊具もあった。とはいえ、立ち入り禁止の張り紙。博物館も、閉館しているようで、静まり返っていた。と、視界が開けて、砂浜。海水浴場になっている。人がたくさんいる。向いに、大きな駐車場も見える。ちなみに、この砂浜は<たたら浜>というらしい。

 博物館に沿って、遊歩道があった。見ると、すぐ目の前の海の中に、大きな円柱状の物体が見える。海からの高さは二メートルほどだろうか。その左横に、少し距離を置いて、長さは同じくらいの、細長いコンクリの角柱もある。こちらは杭のような感じ。とはいえ、なんでこんなところにあるのか理解できない。これもまた、遺構なのだろうか?…帰宅後ネット検索。角柱の方は、やっぱり!旧日本軍の研究所?があった頃のもので、船を繋ぐ杭だったらしい。円柱の方は、この場所に、本格的な桟橋でも作ろうとしたのだろうかと、専門家でもよくわからないそうだ。

 海沿いの広い遊歩道を歩いた。左側は高い土留めコンクリ、その上に建っている、レストランや博物館はほぼ見ない。とはいえ、土留めの上は植え込みで、白い花がところどころに見える。青い太い茎の先に咲くハマユウだ。なるほど、この時期、浜辺によく似合う植物だ。さらに行くと、行き止まり。小さな花壇になっていた。結局、遊歩道からは浜辺、というか岩場には下りられなかった。

 その行き止まりの花壇には、先客がいて、大きなカメラをお花に向けていた。白いハマユウとオレンジ色のカンゾウだろうか、海風に揺れている。先客のことは、ほぼ無視して、花壇の一番端に行って、海の中の遺跡を撮った。水平線と、円柱の垂直は、こちらの方が、さっきの見晴らし公園より、多少はマシだった。手前に、ハマユウカンゾウなどの植物を入れた。だが、ピントは遺構に合わせているので、お花たちはボケボケだ。遺構はかなり離れていて小さいし、お花たちとの距離はかなり近い。得意な35㎜のパンフォーカス(手前から無限大までピントを合わせる方法)がきかない。しようがないだろう、主役は海の中の遺跡なのだ。

 この花壇からの、ベストポジションは、おそらくここだろう。柵から体を乗り出して、ベストの写真を撮ろうと、集中した。暑さは感じなかった。巨大な雲が、房総半島の上にかかっている。夏雲だ。大きな貨物船が視界を横切る。ファインダー越し、何もかもがはっきり見える。さらに、望遠を取りだして、遺跡をズームする。と、風化したコンクリの隙間に錆びた鉄筋が見えた。青い海の中、朽ち果てながらも、確たる存在感。どのような目的で作られたのか、この時は皆目見当もつかなかったが、そんなことはどうでもいい。遺跡が目に、頭に焼き付いた。

 望遠カメラを、バッグにおさめた。今度は、地面にそっと置いた、手になじんだ標準ズームを首にかけた。海や雲や青空、房総半島や貨物船などを見ながら、柵沿いに少しずつ移動した。今この瞬間に見える、すべての光景、すべての風景を、カメラに収めた。いちいちモニターなどしなかった。写真に撮れていようがいまいが、この目で、ここ身体でしかと見たのだ。来てよかったと思った。思い切り息を吸い込んだような気もする。

 引き上げよう。海辺の小さな花壇は、少し暗くなり、人の姿もなかった。時間的には、三時半ころだったと思う。コンクリの遊歩道を戻った。ハマユウが塀際に咲いている。<たたら浜>には、まだたくさんの海水浴客がいた。遠目ながら、女性の水着姿が、眩しかった。それと、海から突き出ている、ぶっとい円柱を改めて見た。シュールだなと思った。暑いことは暑いが、耐えられないほどでもなかった。陽が陰ってきた。

 駐車場に戻り、車のバックドアを開けて、着替えた。またまた、汗びっしょりだった。カメラバックを背負う以上、背中に汗をかくのは、ま、致し方ないとしても、足の甲の日焼け湿疹は、やはり、灰色の皮革ウォーキングシューズのせいだろう。どうしようか、白い靴に変えればよいのか、よくわからなかった。

 ちなみに、帰宅後、面白い知見を、テレビから教授された。それは、今現在、甲子園で行われている高校野球の球児たちのスパイクことだ。これまでは、黒と決められていた。が、今回からは、全員が白いスパイクをはいている。理由は、靴の中の温度が、十度以上違う。むろん、白い方が低い。やはりな、と思って、白い靴をネット検索した。当然のことながら、みなスニーカーばかりだ。

 平場やアスファルトの上を歩いたり走ったりするスニーカーに、用はない。撮影用の靴は、軽登山靴か、あるいは、比較的底のしっかりした、滑らないウォーキングシューズだ。ま、どう考えても、どちらにも白はないだろう。仕方ない。愛用の軽登山靴を、次回は炎天下で試してみよう。以前、入間川を歩いていた時、軽登山靴を履いていて、足の甲に日焼け湿疹ができたことは一度もないのだから。

 サンダル履きになった。足の甲が赤くなっていて、かなり痒い。駐車場の敷地外にある、構えのちょっと立派なトイレで用を足し、自販機でスポーツ飲料を買って歩き飲みした。ナビを宿にセットして、車を出した。出るとき、例のやや尊大な白髪のおじさんが、愛想よく<ありがとうございました>と首を下に振った。自分も、ちょっと振り向いて<ありがとうございました>と言葉を送った。

 エアコンの吹き出しを、顔と足元にしたので、足の甲に涼しい風が来る。気持ちよかった。ナビに従って、朝来た道を戻った。途中、朝、高校生たちの行列を見た歩道橋の前で、信号待ちした。今度は、目線の上の方に、横一文字の歩道橋が見える。二、三人、女子高生が歩いている。腰から下は、アクリルだろう、不透明な目隠しがついている。下からのぞいても、女子高生のパンツは見えない、というわけだ。そういった配慮を、どこの誰が陳情したり、実行したりしているのだろう。いや、それよりも、見えるものなら見てしまうという、スケベな男がゴマンといるわけだ。オヤジの自分でさえ、そうなんだ。ま、生きている証拠かな。

 ほどなく、見覚えのある広い道路に出た。すぐ先、左側に<すき家>が見える。昨日の店内飲食で懲りていた。今日は、お持ち帰りにしよう。牛丼の大盛を頼んだ。さほど待たされることもなく、¥490払って、すぐに店を出た。宿は、目の前に見えるトンネルを登れば、すぐだった。

 宿の駐車場に着いた。五時、とメモには記してある。たしか、ロビーで、オレンジジュースとアイスコーヒーを抽出して、部屋に持ち帰ったような気がする。すぐにシャワーを浴びた。頭も洗った。風呂上がりのビール!と気分良く言いたいところだが、ぬるくてがっかりした。塗装が変色している小型冷蔵庫、冷えないんだ。

 テレビをつけて、その前で食事。牛丼は、まだ少し暖かくて、意外にうまかった。牛丼のお持ち帰りは、汁が御飯に浸み込んで、ふやけてしまい、食えたもんじゃない、という経験をしている。それに<すき家>の牛肉は<吉野家>に比べると、味が落ちる。この二つの持論が覆った。ご飯は多少ふやけていたが、まずくはなかった。上に載っている牛肉も、ま、いい味だ。大盛だから、それなりのボリュームもあり、満足した。この歳で旅に出て、夕食が、五百円程度の牛丼!だが、みじめだとは思わなかったし、貧しいとも思わなかった。

 二日目の出費。駐車場代¥880×2、灯台参観料¥310、飲食¥800、宿二泊¥13150。合計は、帰宅後だ。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#14 復路~エピローグ

 早めに、たぶん九時には寝ていたのだろう。夜間トイレが二、三回あったものの、昨晩のような物音に煩わされることもなく、比較的よく眠れた。

 三日目

六時過ぎに起きた、と思う。洗面、身支度、整頓。七時過ぎまで待って、ロビーに下りた。思いのほか、人がいる。牛乳、ヨーグルト、クロワッサンもどきの菓子パン二個、オレンジジュースと野菜ジュースをゲットして、すぐに部屋へ戻った。

 食欲もなかったけれど、菓子パンはまずくて、一個しか食べなかった。で、もう一個は、トートバックに放り込んだ。便意はなかったものの、頑張って、少し排便した。それと、歯ブラシ、ブラシ、髭剃りなどの<アメニティ>は、いただいた。もっとも、家に持ち帰っても、使う予定はない。いや、小さなチューブの歯磨き粉だけは、旅用に使うつもりだ。無駄な行為ではあったが、使わずに置いていくのも、なんだかもったいないような気がした。

 今一度、整頓して、忘れ物がないか確かめた。一応、冷蔵庫をあけた。おっと、ビールがひと缶奥の方に隠れていた。ま、ビールが冷えないこと以外は、さほど不快なこともなかったな。一日目の、夜中の物音は、ホテル側の責任じゃない。それに、二日目戻ったときには、バスタオル類は、新しいものに交換されていたし、ベッドメイキングもしてあった。不満はない。

 ロビーに下りた。受付には誰もいなかった。カードキーを返すつもりだったのだ。ま、いい。アイスコーヒーを機械から抽出した。正確に言えば、製氷機に紙コップを置いて、その中に手動で四角い氷を何個か入れ、その紙カップをコーヒーメーカーに置いたわけだ。と、隣に、ホテルの女性が来て、菓子パンの補充などをしている。ついでなので、カードキーを財布から取りだして手渡した。その後、砂糖などを入れていると、後ろの受付カウンターの中から、先ほどの女性の声がした。<チェックアウトでよろしいですね>だったかな?トンチンカンな質問だと思ったものの、そうですと答えた。

 アイスコーヒーに蓋をちゃんとして、というのも、昨日、蓋をちゃんと閉めてなかったので、車のドアを開ける時に少しこぼしてしまったからだ。受付の前を通り過ぎると、なかから<ありがとうございました>という声がした。<お世話さま>と首をちょっと傾けて応答した。どうも、このホテルの従業員は、おばさんばっかしだな、と思ったような気がする。別に、若い女性がいい、というわけでもないが。

 アイスコーヒーは、むろん車の中で飲むつもりだった。ナビを、あれ、どこに設定したのか、おそらく、海老名の下りパーキングだろう。出発した。いい天気だ。とはいえ、昨日よりは少し雲が多い。一般道に出る時に、上を見上げた。丘の上に大きなビルが、二、三棟建ってはいる。だが、ほとんどが、空き地だ。と、坂の下から、数人、人が歩いてくる。出社というわけか。それにしても、人数が少ない。ちなみに、ホテルの隣のビルも空いていた。

 ナビに従って、横横線に入った。来る時よりは、混んでいる。ま、平日の通勤時間帯だ。そう、宿を出たのは、七時四十分だった。メモに記してある。とはいえ、さしたる渋滞もなく、新保土ヶ谷バイパスに入った。じきに東名との分岐、町田インターだろう、と思っていたら、渋滞の表示が見えた。要するに、東名に入るところで、渋滞しているのだ。急にスピードがおち、左側をのろのろ、そのうち、ぐるぐるのインターチェンジをゆっくり、三十分くらいかかった。

 町田インターの料金所渋滞を過ぎると、視界が開けた。スピードは一気に90キロ。あっというまに海老名の下りパーキングエリアに着いた。コロナなど関係ないという感じで、普通に混んでいる。トイレで用を足し、長居は無用、すぐに出発。圏央道に入った。快調に走っていると、またもや渋滞表示。それも、青梅辺りのトンネルで故障車らしい。通過に一時間!おいおい、ウソだろう?

きっちり一時間、渋滞にはまった。途中、何度もトンネル内で、止まったり走ったりした。いやな感じだった。避難口を横目で眺めながら、以前テレビで見たのであろう、トンネル火災の大惨事の映像が、脳裏をよぎったりした。むろん、大丈夫だろうとは思っていたが。

 いい加減飽きて疲れた頃、左に車線変更してくる車が急に多くなった。あれ~と思いながら、横からの車に注意しながら運転していると、目の前に、トンネルの出口がみえた。明るくなっている。と、右手に、大きなというか、巨大なトラックが止まっている。まさに、トンネルの出口を、半分ふさいでいるかのようだ。横を通り過ぎる際、高い運転席がちらっと見えた。若そうな男が、ふてくされたような、開きなおたような感じで座っている。そのシルエットがちらっと見えた。

 ふざけた野郎だ!何百台何千台の車に迷惑をかけているのに、高いところで、エアコンをかけてのうのうと座っている。ま、そういうふうに見えたわけだ。一体全体、この渋滞の責任を、どう取るというのだ。むろん、渋滞の責任など、トラックの運ちゃんに取れるはずもないし、そんな責任も追及されないだろう。たまたま、運悪く、車が故障したのだ。ま、自分の車だって、高速道路上で故障しないという保証はどこにもないのだ。

 スピードがあっという間に100キロ。それとともに、渋滞のことは忘れてしまった。時間は、十一時半ころだったろうか?今青梅だから、小一時間で自宅に着く。着いたら、持ち物・荷物をアトリエに入れ、ついでに洗濯もしてしまおう。前回の犬吠埼旅とちがって、二泊ということもあり、また、撮影方法を変えたので楽だった。ほとんど疲れていない。元気だ。むろん、眠くもない。ま、それにしても、最後まで気を抜かず、無事に帰ろう。座りなおして、ハンドルを両手で、八の字に持った。目の前には、梅雨明けした、夏空が広がっていた。

 エピローグ

自宅には十二時過ぎに着いた。三浦半島に比べれば、ずっと内陸だから、暑さの質が違っていた。蒸し暑さが不快だった。とはいえ、すぐに、荷物・装備を車から室内へ移動して、整理、後片付けをした。より分けた洗濯物などを抱えて、二階に上がり、ドアを開けた時、一応、<帰ってきたよ>と声に出した。むろん、ニャンコに呼び掛けたつもりだった。だが、前回のような切なさは感じなかった。姿は見えないが、部屋の空気の中に魂が溶け込んでいる。そう思いたかった。

 エアコンを全開にした。パンツ一丁になり、洗濯機を回した。冷蔵庫の冷えたノンアルビールを、グラス注いで飲んだ。深いため息をついた。ほぼ全て予定通り、無事に帰宅したのだ。

 三日目の出費。高速\3660、飲食\130。

 今回の三浦半島旅の収支。

高速¥7600

ガソリン・総距離324k÷燃費16.3k=20リットル×¥130=¥2600

宿泊¥13150

その他食事等¥5200

 二泊三日で、総合計¥29000。妥当な金額だと思った。

 翌日からだと思う、いや、帰ってきた当日、あと片付けを終えて、ひと寝入りした後だったろうか?とにかく、画像の整理を始めた。

今回は、600枚ほど撮った。どれもみな、一発勝負の写真だから、良否を判定するのが、比較的楽だった。つまり、使えそうな写真で、なおかつ、各灯台、各ショットの中から、ベストショットを見つければよい。念のため、次点も選択した。

 前回苦労した、画像の補正作業は、枚数が少ないうえに、灯台の垂直水平に関する補正も、前回の多少の経験が役に立ち、何回もやり直すことはなかった。帰宅後三日ほどで、画像に関する作業は終了してしまった。

 心づもりとしては、二週間後には、また次の旅に出たいと思っていた。だが、お盆が間に入っている。混んでるし、まだ暑いし、無理でしょう。その間は控えようと思った。だから、次の旅は八月のお盆明けだ。したがって<日誌>を書く時間は、二週間ほどある。二泊三日の<旅日誌>だし、前回に比べれば、枚数も少なくなるはずだ。ま、ゆるゆる書き始めよう。

<梅雨明け十日>過ぎれは、暑さもひと段落するだろう、とさしたる根拠もなく考えていた。ところが、その十日が過ぎても、暑さはおさまらなかった。それどころか、八月の連休を過ぎたあたりから、さらに暑くなり、しかも、コロナの第二波がやってきた。お盆前後は、まさに暑さの天井で、終日、ほぼ24時間エアコンつけっぱなし!浜松では歴代一位タイの41.1度を記録した。

 ゆっくり構えすぎたのか、暑さのせいか<旅日誌>の方は、なかなか先に進まなくなった。よけいなことを書きすぎる、ということもあるが、それだけでもあるまい。つまり、やや、欲が出てきた。どういうことなのか、<旅日誌>の内実を、紀行文ないしはエッセーとして、もう少し自分の感じたことや考えたことを、正確に書いてみよう、ということだ。ふと、カフカの<城>を敷衍して、灯台巡りを、小説っぽくすることもできるかもしれない、などとも思った。

 ま、いずれにしても、文章の内実、質を上げようというわけだ。いや、文章を書くという行為が、今の自分には合っている。というのは、数時間、あっという間に過ぎてしまうし、退屈な思いをしなくて済む。たいして疲れもしないし、飽きもしないで、充足した時間が過ごせる。いまのところ、ライフワークの<ベケットの朗読>より、面白い。だから<朗読>は休止しているのだが。

 もっとも、<灯台巡り>とか<旅>とか、そういったキーワード≒主題があるから、モノを書く気にもなるのだろう。ただ漫然とパソコンの前に向かって、何か書こうという気にはなれないのだ。それに、<モロイ朗読>で文章の書き方を<ベケット安藤元雄>から学んだことが大きい。いや、低次元でマネしているだけだが、それでも、イメージを言葉で掬い上げていくことや、事物や事柄を正確に記述することなど、それ自体が面白い。

 話がそれた、戻そう。<三浦半島旅日誌>は、時間的に余裕があったので<旅日誌>という主題から、しばしば脱線した。気の向くまま、ある事ないことを書き込んだ。同じ暇つぶしでも、写真を撮りに行ったり、チャリで入間川の土手を走ったり、といった野外活動は、この炎天下、全然やる気にはなれない。さりとて<モロイ朗読>に戻る気もしなかった。あと三話で終了だというのに、最大限の集中を求められる<朗読>は気が重かった。

 目の前のカレンダーを眺めながら、<旅日誌>は盆明け翌週の前半までに書き上げればいい、と思った。それからは、週二日のジム通い以外は、エアコンのきいた自室で、毎日、三、四時間ほどパソコンに向かった。書くのに飽きたら昼寝。夕方からは<プライムビデオ>で、比較的新しい外国映画の話題作を見て楽しんだ。ほとんど、人とは話さなかった。話す必要もなかったし、話したいとも思わなかった。

 もっとも、一日おきに<花写真>や<旅日誌>などをSNSにアップしていた。<イイネ>に対しての<お返しイイネ>が、人恋しさを和らげ、人類と関わっているような気にさせてくれる。それはそれでいいだろう。さほど、煩わしくはないのだから。いやそれどころか、未知なる人の言葉や画像を見ることが、こちらにとっては、よい意味での気分転換になっている、のだから。

追加 左親指の顛末。

 爪の怪我は、旅の初日こそ、少し気になったものの、二日目には、押しても、それほど痛くなかったような気がする。よかった、と思った覚えがある。ちなみに、今現在、親指の爪は、<月>の部分が真っ黒になっている。その黒が、爪の先の方へと、少しずつ拡大している。強く押しても全く痛くないが、見た目には、どことなく痛々しい感じである。

 <灯台紀行・旅日誌>三浦半島編、終了。