<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020版

<灯台紀行・旅日誌>2020 南房総編

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灯台紀行・旅日誌>2020 南房総編#1~#13

 #1 プロローグ                            

#2 往路                  

#3 野島埼灯台撮影1                      

#4 休憩・移動~洲埼灯台・船形漁港     

#5 移動~安房白浜灯台下見                   

#6 ホテル              

#7 野島埼灯台撮影2          

#8 移動~洲埼灯台                                 

#9 船形平島灯台撮影                             

#10 移動                                                

#11 安房白浜灯台撮影                          

#12 移動~ホテル         

#13 帰宅日                                           

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#1 プロローグ

 今日は、2020-9-16日、水曜日。昨日の昼頃、南房総灯台旅から帰ってきた。これから、旅日誌と撮影画像の選択、補正の作業にかかる。と、その前に、二、三書き記しておこう。

 八月二十二日に<新潟・鶴岡旅>から帰って来た。そのあと、お決まりのように、撮影画像の選択、補正。それから、旅日誌を書いた。画像編集作業は、枚数が少ないせいもあり、比較的あっさり終了。楽しくできた。一方、旅日誌の方は、かなり難儀した。というのも、少し方針を変更して<旅日誌>以上のものを書こうとしたからだ。少し自分を開示しようとしたので、肩に力が入ったのだろう。筆が進まない。

さらに、なんでもかんでも、手当たり次第に書きまくった一回目、二回目の旅日誌とちがい、文章構成に関する、いろいろな考えが出てきた。ようするに、全体的な構成やバランスを考慮しだした。だが、本来、そういう、頭を使う書き方は苦手なのだ。考えれば考えるほど、一行も書けなくなる。小学生の時の<作文>だ。あの恐怖体験?が<作文トラウマ>となって、その後、三十過ぎまで、まともな文章が書けなかった。何しろ、先生からは<作文>の書き方を、具体的には教わらなかったし、教えてもくれなかったのだ。

 ま、いい。<旅>という時間軸にそって、あることないこと書いていく<無手勝流>ではなく、文章の質を上げようとか、体裁を整えようとか、常識的なことを考え始めたのがよくなかった。<旅日誌>を書くことが、楽しみではなく、いわば苦行となった。何しろ、どこで何をしたのか、その時何を思ったのか、感じたのか、それを逐一書いていこうとしたんだからな。むろん、そんなことは実行できなかったし、でっちあげるのに、さらなる時間がかった。しかも、一日のノルマが原稿用紙で九枚もある。もちろん、ノルマも達成できなかった。

 旅日誌<新潟・鶴岡編>は、完成までにおよそ二週間、61時間かかり、原稿用紙にして95枚書いた。一日平均、四時間強、パソコンに向かっていたことになる。楽しい時間もあったが、そうでない時間の方が多かったような気がする。つまり、紙数を埋めるために、あれこれ調べて書いたこともあった。だが、今思えば、なぜそんなことをしているのか、自分でもよくわからなかったし、ありていに言えば、誰のために、何のために書いているのか、その肝心要のポイントがずれていたようなのだ。

 だから、今回の<南房総旅日誌>は、そうした常識的な文章の体裁や作法にとらわれないで、つまりは<無手勝流>に戻って、書いている時間が楽しいと思えるようにしたい。それが、<旅日誌>の唯一の意味であるような気もする。もっとも、ある程度の作戦はある。あえて思い出そうとしなくても、頭に焼き付いているイメージや、明瞭に記憶している事物や事柄を中心にして書いていく。書くことの取捨選択は、もうあらかじめできているはずなのだ。あとは、言葉に置き換えていくだけ。それゆえに<旅日誌>なのだろう。

 難渋した<新潟・鶴岡旅日誌>を書き終えたのが、九月の九日前後だったと思う。次なる四回目の灯台旅へと、やっと気持ちが切り替わった。候補は、三か所あった。<日立灯台・塩屋埼灯台>、<爪木埼灯台・石廊埼灯台など>、<野島埼灯台安房白浜灯台など>。それぞれの十日間天気予報や、宿の確認などをした。宿の方は、ま、どこも空いている。問題は天気だった。曇り、ないしは雨マークが多い。

 旅に出るには、最低でも二日間の晴れマークが必要だ。日差しのない時に撮ってもろくなことはない。なので、その基準を満たす場所、すなわち<野島埼灯台安房白浜灯台など>のある南房総に照準(しょうじゅん)を合わせ、下調べしてあった宿を二泊予約した。ところが、コロコロコロコロ天気予報が変わる。キャンセルを二回も三回もして、とうとう、二日前予約になった。もう変更はきかない。

金曜日には、ほぼ準備完了。慣れてきたので、準備は一時間くらいで終わった。旅前日の土曜日は、荷物を車に積み込むだけ。ゆっくりして、夕方シャワー、頭を洗って、夜の九時には寝る。翌日曜日は四時起床、五時に出発しよう。

 とその前に、今一度、南房総白浜、野島埼灯台への道順を調べた。都内を縦断するほかないないのだが、グーグルマップの方では、首都高中央環状一号線から羽田へ抜けるルートだった。ところが、ナビの方は、中央環状二号線、いわゆる山手トンネルを抜けていくルートになっている。どちらも、できれば走りたくないルートだ。つまり首都高は、狭いのにスピードは出すわ、合流は難しいわ、混んでるわの三重苦なのだ。でも、ここはナビに従うほかあるまい。圏央道を使って、都内を迂回するルートもあるが、遠回り過ぎる。

 軽トラの運転手をやっていた頃でも、首都高はやはり緊張した。すでに二十年以上経っているうえに、ジジイになっている。正直言って、運転がやや怖い。だが、そんなことも言ってられないだろう。座して死を待つようなタイプじゃない。その時はその時だ、寿命だと思ってあきらめるさ。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#2 往路

 九月十二日土曜日、寝たのは夜の九時過ぎだった。翌午前四時起きとはいえ、前回、寝るのが早すぎて、中途半端な時間に起きてしまい、失敗している。ところが、今回も、予定通りにはいかなかった。というのも、三時過ぎに目覚めてしまったのだ。もう、眠れない。首都高の件で、緊張していたのだろう。なるべく空いているうちに通過したいと思っていたわけだ。

 迷わずに起きた。外はまだ真っ暗。お決まりのように、洗面、食事(豆腐、梅干し入りのお茶漬け、牛乳)、身支度、排便。ウンコは、まったく出なかった。トートバックに、枕、目覚まし、シェーバー、携帯充電器、ノート、保冷剤入りバック、ペットボトルの水四本、ノンアルビール、バナナ二本を入れた。忘れそうになったが、ニャンコの骨壺に<行ってきます>と声をかけた。

 玄関を出た。車に乗った。ナビを<野島埼灯台>にセットした。よくみると、やはり、首都高・山手トンネル経由になっている。と、首都高に入ってからのトイレ休憩が気になった。パーキングがちょっと思いつかない。もっとも、アクアラインの<海ほたる>には寄るつもりだ。だが、そこまで何時間かかるか定かではない。一応、関越の三芳パーキングで用を足していこう。

 午前四時出発。真っ暗の中、関越道の最寄りインターへ向かった。すぐに三芳パーキング。まだ、出てから二十分もたっていない。出るかなと思ったが、便器の前に立つと、ちょろちょろと少し出た。ま、多少でも出しておけばな。だが、念のために、朝の缶コーヒーは控えた。カフェインの利尿作用なのか、おしっこが出たくなるからだ。

 大泉ジャンクションを左方向、圏央道に入る。さらに、美女木ジャンクションを右折、面白いことに、この地点には高速道路にもかかわらず信号がある。長い信号だった。直角に曲がって、首都高大宮線、五号線を走る。空いている。さらに、熊野町ジャンクションを右方向、中央環状二号線になる。ここからは、ずうっとトンネル。一番いやなところだ。とはいえ、空いている。怖さは全く感じない。案ずるよりも生むがやすし、か。山手トンネルを抜けると、空が少し白み始めていた。まだ朝の五時半過ぎだったと思う。空いているわけだ。三時起きして正解!気分は良かった。

 東京湾アクアライン<海ほたる>に入ったのは、まだ、午前六時前だった。というのも、スナップ用に持ってきたD200の、一枚目の写真の時刻が、五時五十二分になっているからだ。駐車場は空いていた。どこでも好きなところに止められるくらいだ。外へ出た。海風が予想以上に冷たかった。少し寒いほどだ。半袖を着ていたからな。まずトイレで用を足し、冷たい缶コーヒーを買って飲んだ。

 D200を取りだし、駐車場の仕切り壁沿いに、ぐるっと回りながら、東京湾の海景をスナップした。大好きな<スカイツリー>が見えた。白い煙をモクモク出している煙突もあった。おそらく東側だろう、今まさに朝日が昇りかけていた。海が金色に染まっている。思わずシャッターを押した。だが、きれいな色には撮れていなかった。ま、写真などはどうでもいい、いくらか観光気分になっていた。

 車に乗り込んだ。バックして出ようとした。と、隣に白い大きなワンボックスカーが入ってきた。見ると、助手席に女の子、運転席の男の子も、おそらく大学生だろう。朝の六時に<海ほたる>でデート。いや、この時間にここにいるということは、デートというよりは旅行かな?二人とも、横顔が笑っている。さわやかな感じがした。

 <海ほたる>、名前だけは以前から知っていた。一度行きたいと思っていた。だが、首都高がネックになっていた。今回は、否応なしに通過する場所だったので、ラッキーだった。とはいえ、好奇心が満たされしてしまい、何かのついででなければ、もう来ることもあるまい。いや、帰りにまた寄るつもりだ。その時は、上の階へ行って、東京湾の写真を撮ろう。

 そうそう、<アクアライン>は東京と千葉を結ぶ海底トンネルなのだが、山手トンネルからの続きになっているわけで、海の下を走っている実感はほとんどなかった。ま、トンネルだから、当たり前のことだ。とはいえ、<海下57m>という標識を見た時に、ちょっとだけ、今走っているところが海の下だということを想像してみた。もし仮に、トンネルが崩壊すれば、海水があふれてくる。ありうることかもしれない。想像すると、恐ろしくもあり、多少愉快でもあった。

 <海ほたる>を出て、木更津方面へ向かう。まさに、東京湾を突っ切っているわけだ。360度の海。少しスピード落として、周りを見ながら走った。海上の道の終わりには、料金所。¥800円くらいとられた。アクララインは別料金らしい。さらに行って、館山自動車道に入る。千葉県に入った。運転の山場は過ぎ、あとは、房総半島の西側を南下するだけだ。車もガラガラ。さらに、気持ちが楽になった。

 六時三十九分、君津のパーキングでトイレ休憩。時刻が、D200で撮った写真に記されている。<海ほたる>から三十分足らずだ。ま、用を足すというよりは、日焼け対策だ。ロンTに着がえたり、日焼け止めを顔と指さきに塗ったりした。確実に言えることは、出発時とは、明らかに気分が変わっていた。要するに、運転モードから撮影モードになってきたのだ。

 君津、富津、鋸南、冨浦と、次第にトンネルが増えた。さほど長いトンネルではないし、車はほとんど走っていない。緊張するほどでもない。富津館山道路を、冨浦で降りた。そのあとの道も、片側二車線の広い道で、両側に背の高い椰子の木が並んでいる。どこか南国ムードで、気持ちが和んだ

 館山の市街地を抜けると、道は一車線になり、やや上りになる。見通しのない山中を走り、狭いトンネルを抜けると、長い下り坂だ。依然として、道はガラガラ。下りきったところのT字路を右折、さらにすぐ左折。と、海沿いの道にでた。灯台は、もうすぐそこだ。そう、この辺りからは、マップシュミレーションしていて、初めて見る景色ではなかった。

 白い灯台の上半分が見えた。グーグルマップで何度も見ている、海沿いの駐車場に車を止めた。さほど広い駐車場ではない。車が五、六台止まっていた。たしか七時半過ぎだったと思う。自宅から、三時間半ほどで着いた。トイレ休憩とか<海ほたるで>で写真も撮ったのだから、実質、三時間くらいかもしれない。わりと近かったな。運転もさほど苦にならなかったし、全然疲れていない。

 サンダルを軽登山靴に履き替えた。装備を整え、いざ出発。ただし、空の様子がイマイチ、雲が多い。晴れの予報だったはずだがと、携帯で天気予報を確かめた。いちおう晴れマークがついている。まあ~、灯台は目の前だ。晴れだろうが、曇りだろうが、雨だろうが、もう撮るしかないだろう。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#3 野島埼灯台撮影1

 千葉県南房総市白浜、野島埼灯台の撮影ポイントは、おそらく二か所しかない。グーグルの画像検索を見る限りでは、ま、その二か所も、絶景とは言いかねる。ただし、景観であることに間違いはない。もっとも、灯台が見える地点をすべて見て回るのが、自分なりの撮影流儀だ。いまだ余人が、見落としているポイントがあるかもしれない。しかしこれは、あくまでも可能性の問題であって、実際のところ、画像検索でヒットした場所以外には、これといった撮影ポイントが見つかったためしはない。

 撮影の原則は、被写体の周りを可能な限り360度回りながら撮ることだ。もっとも、灯台の場合は、立地的に、海に面していることが多いので、海上から撮ることは、最初から考慮していない。また、断崖に立っていることが多く、敷地も狭い。したがって、ヒキが浅くなり、左右からの撮影も難しい。となれば、正面しかない。しかしこれとて、敷地が広くて、灯台との距離がある程度取れればの話である。あとは、灯台の立っている岬の両側に、浜辺や山などがある場合、遠目ながらも、この横から見た位置取りが有効な場合もある。要するに、灯台は、きれいに撮れる場所が非常に限られているわけだ。

 ちなみに、最近はやりの<ドローン>での撮影なら、これらの制約を越えて、これまで人間が見たことのない灯台の景色が見られるはずだ。だが、ドローンを操作して、空中から灯台を撮影するという技術は、生きているあいだに習得できそうもない。いや、その気もない。今のところ、ドローン撮影は、写真とは別物と考えて、その長所短所に関しても口を慎もう。

 話を戻そう。撮影ポイントは二か所しかないと書いた。一つ目は正面から、二つ目は西側の浜辺、というか浜辺沿いの道からだろう。そこから撮影したであろう画像の何枚かは、頭に入っている。ただし、運良く、その場所を見つけられたとしても、空の様子、明かりの具合が問題になる。チョロっと行って、ベストの写真が撮れるほど風景写真は甘くない。

 撮りながら、歩き始めた。はじめの一枚目は、七時三十九分だった。日が昇り始めていて、逆光だ。写真というよりはスナップだな。駐車場の下は、船溜まりのような感じになっていた。釣りをしている人がたくさんいる。小型の遊覧船も止まっている。灯台への入り口はすぐに見つかった。神社の参道と並行している薄暗い道だ。少し登り坂。目の先に、樹木などに両脇を挟まれた、白い灯台が見えた。

 ゆっくり登っていくと、左手から人の声。植え込みの間から、神社の社が見える。何やら、おしゃべりしながら境内を掃除している年寄りたちだ。いま思えば、日曜日の朝だった。神社の清掃の日なのだろう。灯台の正面に出た。見上げるほど巨大。だが、近すぎる。フォルムの全体像が見えない。案内板を見た。三浦半島の観音埼灯台とペアの灯台で、東京湾の入り口を房総半島側から照らしている。設計者も同じでフランス人の<ヴェルニー>だった。

 なるほど、どおりで形が似ている。どちらも、八角形の背の高い立派な灯台で、灯台50選にも選ばれている。ちなみに、観音埼灯台が、わが国最初の洋式灯台で、野島埼灯台は二番目らしい。もっとも、両方とも、初代は関東大震災で倒壊している。いまある灯台は、震災後に再建されたらしい。ま、それにしても、およそ百年近くたっているわけだ。

 <ヴェルニー>の設計した、初代の灯台は、白い煉瓦製の八角形だったらしい。したがって、いま現在の灯台は、そのフォルムを継承したのだろう。だが、二代目の設計者の名前が、容易にネット検索できない。よく調べれば、出てくるだろう。なにせ、百年たっても健在、なおかつ、美しい灯台の設計者なのだ。たぶん、名のある人なのだろう。こちらが知らないだけだ。

 時計を見た。まだ八時前だった。休日は八時半から、平日は九時から灯台に登れる、と案内板にある。まだ早い。後でもう一度寄ろうか、どうしようか、ちょっと迷った。というのも、一つは体力的なことだ。つまり、灯台内部の急な螺旋階段を登るのが億劫に感じた。二つ目は、たとえ上に上がったところで、確かに眺めはいいのだろうが、それだけだ。これまでの経験で多少利口になっている。灯台の写真を撮ることが目的で、灯台見物は二の次だろう。

 灯台に背を向けた。坂を下りて行くと、左側に階段があった。なるほど、いま来た道を戻る必要はない。ここを下れば、灯台前の広場に出られるわけだ。ちなみに、野島埼灯台は、海っぺりの断崖に立っているのではない。断崖の上ではあるが、その下は海ではなく、おそらく岩場をうまく利用したのだろう、遊歩道や彫刻作品などが設置された、芝生のきれいな公園になっている。つまり、海を背にして、かなりの距離を取って灯台を見ることができる。珍しいロケーションだ。

 灯台の背後には海がある、という概念がかるく裏切られた。背後には山が見える。しかし、どうも、灯台と山の取り合わせが、ピンとこない。アンマッチな気がする。お互い背の高い者同士だからね。とはいえ、灯台の背後には海が広がっている、という勝手な思い込み、幻想によって、目が曇っているのかもしれない。山並に突き出ている白い灯台も、美しいではないか。

 ところで、日曜日の朝、ということを忘れていた。ぼちぼち人が出てきた。観光客だ。面倒なので、どのような人たちなのか、いちいち見なかった。若い人もいれば年寄りもいた、とだけ言っておこう。それよりも、こちらの関心は、撮影ポイントに関することだ。灯台の前が広々とした公園なので、ベストポイントを探し出すためには、辺り一面くまなく歩き回らなければならない。より正確に言うと、灯台を中心点にした、大きさの違ういくつかの同心円の円周上を渡り歩きながら、一番絵面のいい地点を探すのだ。その一点がベストポイント、というわけだ。

 ま、この作業は、嫌いではない。むしろ、写真撮影の中では、楽しい部類に入る。何しろ、自分の感覚と感性だけで、任意の一点を探し出すのだから、いわば<宝探し>に似ていないこともない。もっとも、多少の経験があるので、雲をつかむような話でもない。今回も、さほど苦労はせずに、ベストではなく、ベターな場所を見つけた。つまり、灯台が垂直に見え、なおかつ天地も水平になっている場所だ。

 問題は、灯台の周りにある構造物とか、手前の芝生広場にある、彫刻とか記念碑とかベンチなどだ。要するに、目障りなわけだ。それらのものが、なるべく目立たないようにするには、カメラの画角を狭めるという手がある。ただし、狭め過ぎてもよくない。灯台だけをクローズアップしても面白くないのだ。心づもりしているのは、<灯台の見える風景>あるいは<灯台のある風景>というコンセプトではない。灯台が風景の中で屹立している感じが好きなのだ。灯台を際立てたいのだ。

 極端なことを言えば、灯台周りには、海と空だけでいい。ところがそうはいかない。周りにいろいろなものがある。だから、こちらにできることは、なるべくそれらの物体を目立たなくすることだけだ。ま、ある意味、それが写真の面白さでもある。とにかく、ベターな地点は見つけたので、今度は、その範囲内で、ベストな地点を見つけようとした。

 その場で<回れ右>をして、灯台に背を向けた。後退していく方向を確かめた。遊歩道を踏み越えると、一段と高い岩場がある。そのてっぺんに、白い塗装の剥げたひじ掛けベンチがひとつ、海に向かっている。房総半島最南端<朝日と夕日が見えるベンチ>だそうで、灯台より人気がある。なんと、観光客が数珠なりだ。

 なるほど、あの小高い岩場のベンチが、ベストポイントなんだな。いま一度<回れ右>をして、灯台を見た。そのまま、少しずつ後退しながら撮った。芝生広場の縁を回っている遊歩道に到着。うしろでは、ベンチに座ろうとしている観光客が、岩場の上に斜めに立って、並んでいる。写真は無理だな。あきらめて、目の前の黒光りしているモニュメントなどを、ちらっと眺めて、海沿いの遊歩道を歩き始めた。

 ベターな地点からは、はずれてしまった。だが一応、灯台が見える地点でのスナップは続けた。しかし、だんだん灯台から離れ行く。断崖の木立で灯台そのものが見えない。遊歩道がどこまで続くのか、少し気になったものの、引き返した。と、脇に入る道がある。五、六歩踏みこむと、何やら建物がある。看板に<白浜海洋美術館>とあった。伸びあがって、奥の方を見る。普通の民家のような感じ、しかもシーンとしている。

 そっちには行かないで、さらに踏み込んでいくと、芝生の何もない広場に出た。人の気配がしない。日当たりのいい、お屋敷の庭のような雰囲気だ。私有地に迷い込んでしまったかのような、バツの悪さを感じた。早々にいま来た遊歩道に戻った。

 たしか、遊歩道の柵沿いで休憩したような気がする。給水、着替えだ。日向だが、さほど暑くもなく、日射も厳しくなかった。そうだ、照ったり陰ったりの天気だった。おりしも、雲間から太陽が出てきた。柵に尻を押し付けながら、目の前の真っ白な灯台を撮った。空はきれいに撮れたものの、遠近感がなく、満足できる写真ではなかった。

 カメラバックを背負った。ぶらぶら歩いていま来た道を戻った。岩場のベンチ付近には、さらに人影が増えた。また曇ってきた。それでも、灯台の垂直が感じられる間は、歩きながら写真を撮ったような気がする。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#4

休憩・移動~洲崎灯台・船形漁港

灯台横の芝生広場に戻ってきた。東屋に人影はなかった。休憩しよう。広さ的には六畳くらいあるものの、縁の腰掛の幅が狭い。横になることは不可能だ。というのも、少し眠い。時間は、九時半ころだったと思う。上半身裸になって、ロンTを二枚、腰高の仕切り壁に干した。裸足になり、浅く腰かけた。足を投げ出し、目をつぶった。頭の上の方で、ぴ~ひょろひょろと聞こえた。トンビかなと思った。

 ほんの数分で、姿勢を変えた。どうも座りがよくない。とてもじゃないが、眠れるような場所じゃない。でも、せめて、あと三十分くらいは、休んでいよう。これからの予定を考えた。房総半島の先端を海沿いに西へ移動。洲埼(すのさき)灯台へ行く。時間はここから三十分くらい。そのあとは、北上。また三十分くらい走って、船形平島灯台を撮りに行く。一通り撮り終えたら、すぐ戻ってくる。一時間ほどかかるだろう。野島埼灯台に戻って、海沿いの道を東へ走る。二十分ほどで安房白浜灯台に到着。明かりの具合がよければ、落日まで粘る。盛りだくさんだ。予定通りに行動できるだろうか。

 とここまで考えて、頭も体もしゃんとしてきた。さほど暑くないことが幸いしていた。午前三時から動き出しているにもかかわらず、体力的にも、気力的にも、まだ全然大丈夫だった。身支度をしていると、観光客が二組、東屋にやってきた。ちらっと見た。老年の夫婦連れに、親子だろうか女性の二人連れ。人間には全く興味がなくて、印象が薄い。ただ、去り際に振り返ると、女性二人連れの若い方が、腰掛に二十センチくらいの人形を置いて、スマホで撮影している。やはり娘だったのか。一人前の女性に見えたが、無邪気なもんだ。

 車に戻った。ナビを洲埼(すのさき)灯台にセットして、海沿いの道<房総フラワーライン>を走った。たしかに、道の両側にオレンジや黄色のマリーゴールドが植えてある。背の高い椰子の木も見えた。ま、それよりも目についたのは、ところどこにあった、深紅のカンナだった。気持ちのいい道だ。と、ナビに促されて、左折。マップシュミレーションで見た光景が広がった。もう着いたのか、という感じだった。

 左折するとすぐ左手に、公衆便所がある。比較的きれいで、駐車スペースも二台分ある。黒い軽のバンが止まっている。運転手はいない。用を足して、ふと見ると、岬の上に灯台が見える。車からカメラを取りだして、何枚か撮る。写真的にはイマイチだな。

 民家が立ち並ぶ狭い道をさらに行く。<灯台下駐車場>の看板。¥200らしい。灯台入口の脇に商店がある。私設駐車場の管理者だろう。手前の駐車場がいっぱいなので、奥の商店母屋の庭のようなところに車を止めた。なぜか、住宅の工事をしている、その前だ。

 商店の主らしき爺さんが出てきた。自分の後に、駐車場に入って来た車に、なにやら止め方の指図をしている。かまわず、窓から、¥200を手渡した。愛想が悪いというほどでもない。車から出た。望遠カメラ、三脚は置いていくことにした。灯台の敷地が狭いことは下調べしてあった。カメラ一台を首から下げて、いざ出発。

 商店横の階段を登った。登り始めてすぐに、商店母屋の屋根の上に、ブルーの土嚢がたくさん置いてあるのが見えた。ちょっとピンとこなかった。両脇は木立、だが、すぐに灯台が見えた。と、上の方に何人か、階段で待機している。要するに、すれ違い出来ないので、自分のことを待ってくれているわけだ。脇を通る際<すいません>と声をかけた。

 灯台の敷地に入った。目の前に灯台がある。その横、というか前をすり抜けると、ちょっとした広場になる。緑の芝生が鮮やかだ。もっとも、さほど広くはない。かろうじて、灯台が写真の画面におさまるくらいの広さだ。それよりも、予想以上に人が多い。たしかに、西側以外は、ぐるっと海に囲まれていて、展望はいい。それに日曜日ということもある。だが、これほどまでに観光客が絶えないのは、なぜなのか。ちょっと首をかしげた。

 敷地の端に、二畳ほどの木製バルコニーがある。方角の案内板も設置されている。灯台見物に来た人は、必ず、そこに上がって、周りを見回す。バルコニーは広場をはさんで灯台と正対している。記念写真を撮るにはよい場所だ。自分も最初は、そこで撮った。だが、行き帰りの観光客が、灯台の前で長居する。おちおち撮っていられない。狭いバルコニーをいつまでも占拠しているわけにもいかず、しかたなく、ほかの観光客に場所を譲った。

 洲埼灯台と、先日行った剱埼灯台はペア灯台らしい。つまり、東京湾の入り口を、それぞれ房総半島と三浦半島から照らしているわけだ。頭の中で関東地方の地図を思い浮かべた。なるほどと思った。だが、現地では、どうも方向がよくわからなかった。バルコニーの方角案内板で富士山の方向を確かめた。目を凝らすと、何やらそれらしいものが見えた。いや、雲だったのかもしれない。ま、とにかく、富士山が見えるということは、こっちが西側かな?なんだか、ますますわからなくなった。

 相変わらず、観光客は絶え間ない。ほとんどのみなさんが、長時間の滞在はしないのだけれど、あとからあとからなので、まったく撮影にならない。空模様もイマイチで、陰る時間帯の方が多い。撮影画像で、滞在時間を調べたら、それでも四十分くらい居たことになる。まあ~、粘った方だ。明日もあるということで、灯台を後にした。

 階段を下ったときに、また、屋根の上のブルーの土嚢袋が目に入った。・・・昨年の台風で被害を受けたのだ。それが、一年近くたっても修繕されず、応急処置のままなのだろう。経済的な問題なのか、それとも修理業者が足りないのか、いずれにしても、また台風の季節になる。自分だったら、気が気ではない。

 駐車場に戻った。依然として、あとからあとから、観光客が来る。ちょっと走って、さっき寄った公衆トイレの駐車場に車を止め、用を足した。ナビを船形平島灯台にセットして、また走りだした。道は、一応<房総フラワーライン>なのだが、民家が立て込んできて、さほどよろしくない。ただし、左手が海岸なので、見通しはいい。

 そのうち館山の市街地に入った。海岸沿いの道に広い駐車場がいくつもある。観光地になっている。館山の駅にも近いようだ。波が穏やかなので、サーフィンではなく、ジェットスキーのスポットらしい。それ用のトレーラーをくっ付けている車が多い。ナビの画面から推測して、左カーブしている砂浜の向こうに、目指す灯台がありそうだ。

 にぎやか場所を通り過ぎると、じきに<船形>の信号。左折して、漁港に入って行った。ナビの案内はここで終了。ゆっくり走りながら、漁港の中を覗きこんだ。比較的広々していて、人影はない。立ち入り禁止の看板もなく、ロープも張っていない。小山になった巻き網が、係船岸壁沿いに並んでいる。その手前に、車が何台か距離をあけて止まっている。釣り人の車だろう。大丈夫そうだ。空いているところに、適当に車を止めて、外に出た。

 撮影画像で確認したところ、船形漁港の防波堤灯台を撮り始めたのは、十二時ころだった。雲は多いものの、日ざしはあった。ただ、トップライトの、逆光になっていて、写真的には、きれいに撮れない。時間がよくないな。だが、日が傾くまで待つわけにもいかない。頭の中で、明日の予定を算段した。もう少し早い時間に来れば、今日よりはきれいに撮れるかもしれない。

 撮るのをあっさり諦めた。戻ろう。引き上げ際に、漁港の右端にある、二本の大きなクレーンが目にとまった。造船所なのか。なぜかそこだけが青空だった。寂れかけた感じがいい。迷わず、一枚だけ撮った。

 ちなみに、正式には、海に向かって左側の、真ん中のくびれた赤い方が、船形港東防波堤灯台、右側の角張った白い方が船形港西灯台だった。だがこの時、何を勘違いしていたのか、赤い方の防波堤灯台を船形平島灯台だと思い込んでいた。あとで勘違いに気づいて、がっくりした。そういえば、学校のテストでも、同じようなことをよくしていた。思い込みが強くて、失敗したり、痛い目を見たことが、思えば、多々あったような気がする。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#5

移動~安房白浜港灯台撮影1   

 車に戻った。ナビを野島埼灯台にセットした。復路は<房総フラワーライン>を通らず、館山の市街地を突っ切り、山越えの道を選んだ。ナビの指示だ。野島埼―洲埼―船形と、来るときは、三角形の二辺を走り、戻りは、残りの船形―野島埼の一辺を走ったことになる。当然距離は短くなり、時間もかからなかった。ただし、見通しのない退屈な道だ。朝来た時に一度走っているから、なおさらそう感じたのかもしれない。

 道を下りきったところの信号を右折すると、セブンイレブンが見えた。野島埼灯台の周辺に、コンビニはここしかない。来る前にグーグルマップで下見済みだ。まだ午後の一時台だったようだ。少し気が早いと思ったものの、夕食などの食料を買い込んだ。おにぎり三個、内一個は赤飯握り。あとは菓子パン類二個、500mmパック牛乳。それに唐揚げ。

 唐揚げは、レジのおじさん、というか爺さんに、いくつですかと聞かれた。二つ、と答えると、爺さんが揚げ物のケースを見て、おたおたしている。と、そばにいたおばさんが、すかさず、ちょっと待ってくれればすぐに用意します、とこちらに顔を向けた。爺さんも、一瞬、おばさんの方を見た。それから向き直り、商品のレジ打ち?を始めた。その手つきが、頼りない。あきらかに、間違えまいと努力している。入ったばかりのアルバイトだろう。

 店内は、日曜日の昼時だからか、意外に混んでいた。レジは三つあり、次から次へと客が並んだ。すぐに、おばさんから、爺さんへと箱入りの唐揚げが手渡された。爺さんは<唐揚げ、五個>と言いながら、目の前のレジ画面を慎重に指で触れた。可もなく不可もなく、会社を定年まで勤め上げたのだろうか。物腰の柔らかい、少し禿げ上がった、白髪頭の爺さんだった。

 はやっているコンビニには、さっきのような、テキパキおばさんがいることが多いような気がする。アルバイトの学生や若い女性、それに外国籍の店員などの、不愛想なレジ応対に慣れているので、こういう店に入ると、なにか、得をしたような気がする。おそらく、誰しもが感じていることで、はやっている店には、それなりの理由があるのだ。車を走らせながら、ふと思った。

 野島埼灯台の、道沿いの駐車場に着いた。あれま、満車だ。ほかに駐車場はない。となれば、灯台前の一方通行のロータリーに路駐するほかない。なるほど、土産物屋などの店先に、ぐるっと車が止まっている。どれどれ、とゆっくり走っていく。さいわい、ロータリーの出口付近に、一台だけ止めるスペースがあった。

 車から出た。雲の多い空模様ではあるが、ちょうど、陽が差してきた。暑かった。遊歩道を歩きながら、見上げるような感じで灯台を撮った。ベストポジションの<朝日と夕日が見えるベンチ>の辺りは、やや混雑している。観光客が多い。じっくり写真を撮るような雰囲気じゃない。早々に引き上げ。午後の二時ちょっと前だったようだ。

 さてと、本日最後の撮影場所、安房白浜港灯台にナビをセットした。海沿いの道を十五分も走れば着くだろう。走り始めるとすぐ、目の前に、赤い小さな防波堤灯台が見えた。何やら、漁港の奥だ。時間もまだ早い。見に行こう。係船岸壁をゆるゆる走る。片側にずらっと車が駐車している。見ると、正面は行き止まり。車列の空いているところに車を止めて、外に出た。

 何やら、奥が深い。岸壁が広がっている。釣り場になっているらしく、釣り人がかなりいる。右手の、やや高い堤防に、踏み石を利用して登りあがった。堤防を歩いて、赤い防波堤灯台に近づいた。突端に、釣り人が何人もいる。なんとなく、そばまで行く気になれず、少し手前で止まって、何枚か撮った。赤い防波堤灯台は、海の中の防波堤に立っていた。その防波堤は波消しブロックにがっちり守られている。歩いて行くことはできない。だが、全体のロケーションがイマイチで、見えている灯台の形にも、さほど魅力を感じなかった。正式の名前は、乙浜港南防波堤灯台、今調べた。

引き返した。車に乗った。漁港を出て右折。すぐ左手に、今日と明日泊まるホテルが見えた。さあ、ここからが問題で、次に行く安房白浜港灯台の付近には、駐車スペースがない。下調べした段階では、片側一車線のさして広くない、海沿いの道路に路駐するか、あるいは、砂浜沿いの道なき道を行くか、の二つだ。しかも、その道なき道の先が、どのような状態なのか、グーグルマップでは確認できない。

 どうしようか、と思っているうちに、マップシュミレーションした光景が広がってきた。やはり、路駐は気が進まない。気になって、じっくり撮影ができない。と、右手に浜へと入る道。あわてて右折。悪路に入る。すぐに突き当り。木立があって海への視界はさえぎられている。灯台は右方向。そろそろ行くと、左手に海が見えた。道が少し広くなっていて、車が三台止まっている。人影はない。釣りに来ているのだろう。そんなことより、スペースがいっぱいで、止められない。

 前に進むしかないだろう。いざという時は、バックで戻ってくればいい。ガタガタの水たまりの悪路を行く。タイヤまわりが汚れることが少し気になった。だが、今はそんなことにこだわっている時ではない。と、家が数軒見えた。こんなところになんで?と思いながら、ゆっくり脇を通り過ぎる。人影はない。悪路はさらに細くなる。停止してちょっと考えた。別荘だな。いや、それよりも、この先は無理だろう。道が細すぎる。それに、悪路が極まっている。

 道の真ん中に車を止めて、外に出た。お目当ての灯台が、海辺に見えた。見ると、悪路の左側に少し広くなったところがある。車一台分くらいはある。シカとしてここにぶっ止めようか。あたりの様子をうかがった。要するに、どん詰まりの別荘地だったのだ。悪路にT字する形で、右手に道があり、その両側に家が建っている。伸びあがってみると、どうやら、その道も行き止まり。さっき通った海沿いの道路には抜けられない。

 別荘の私道が砂浜沿いの悪路にぶつかるところが、少し広くなっている。おそらく、車の切り返しのためだろう、だとすれば、駐車はまずいだろう。と思ったが、辺りに人の気配は全くない。五、六軒ある別荘の雨戸はみな閉ざされている。物騒だな、コロナの影響かな、そんなことはどうでもいい。車を脇に寄せた。一、二回、切り返し、寄せるだけ寄せた。これなら、万が一にも、ほかの車が来ても通れるだろう。撮影中に、クラクションを鳴らされるほど、嫌なことはない。

 カメラバックは車に置いていこう。軽い方のカメラを首にかけ、悪路を歩き始めた。凸凹、深い水たまり、その上、車一台通るのがやっと、こんな道はできれば走りたくない。もっとも、以前乗っていたジムニーなら、迷わず突っ込んでいっただろう。ただし、高速を走ってここまで来ることはできない。やっぱ、<軽>じゃ高速は無理だよな。いや、無理ではないが、疲労感がひどい。と、視界が開けた。行き止まりではあるが、少し広くなっている。Uターンできるかもしれない。なあ~んだと思った。

 海の方へ向き直った。なるほど、波打ち際の岩場に、その灯台はポツンと立っていた。中ほどやや上が少しくびれた、<とっくり>に形が似ていないこともない。優しいフォルムだ。それにロケーションは最高。ただし、空の様子がよろしくない。ところどころに青空はあるものも、全体的には曇りで、暗い。とくに、灯台の背景は鉛色の曇り空だ。だが、ここまで来た以上、晴れていようが、曇っていようが、撮るしかないのだ。

 滑って転ばないように、慎重に岩場に上がった。岩場は、非常に複雑な形をしていた。単に凸凹だけでない。ノコギリの歯を横に並べた感じだ。幾層にも重なる、その歯の上を飛び歩きしながら、灯台に近づいていった。灯台は、陸続きの岩場ではなく、海の中の岩場に立っている。むろん、岩場の最先端まで行った。目の前は海だ。これ以上は近寄れない。灯台の扉が正面に見える。この位置がベストポジションのような気もした。

 しかし、わからんだろう?灯台を中心点にして、右へ、左へと、ノコギリの歯の上を移動した。ただし、深追い?はしなかった。というのも、明かりの具合がよろしくない。背景も鉛色の空だ。きれいに撮れているはずがない。まだ、三時過ぎだったが、明日の天気に期待しようと思った。早めにホテルに入って、温泉にでも入ろう。何しろ、今日は、朝の三時から動きまわっているんだ。岩場から上がった。今一度、行き止まりの広さを目で確認した。ま、ここなら、Uターンできそうだ。

 水たまりを避けながら、悪路を歩き出した。脇に、オレンジ色のユリのような花が数本、浜風に揺れている。カンゾウだと思う。その場にしゃがみこんで、お花たちを画面に入れた。灯台とお花のマッチングに、いつもながら心が和んだ。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#6 ホテル 

 車に戻った。何回か切り返して、Uターンした。海沿いの悪路を戻った。依然として、車が道沿いに三台止まっている。人影はない。雲が厚く、うす暗い。だが、時間はまだ三時過ぎだった。

 宿にはすぐ着いた。十階建ての白いホテルで、外観はまずまず。駐車場も空いていた。トートバックに、着替え、食料、水、洗面用具などを入れた。カメラバックを背負い、重いトードバックを肩にかけた。入り口で、手の消毒を促され、手首で検温を受けた。初老の男性だ。受付カウンターでは、これまた初老の女性から、丁寧な説明を受けた。そのあと、コロナ関連の書面に署名した。その際、身分証の提示を求められた。何の疑問も持たないで、免許証を財布から出して渡した。料金は、と聞くと、チェックアウトの時だという。あれっと思った。というのも、これまで泊まったホテルは、すべて前金だった。いま思えば、身分証の提示を求められたのも、今回が初めてだった。なるほどね、無銭宿泊はできないのだ。

お掃除はどうしますか、と聞かれたので、しなくていいと答えた。ありがとうございます、と受付の女性が小声で言った。そして、タオルや浴衣などは、廊下に出しておいてください、と付け加えた。さらに、浴衣はそこの棚にありますから、好きなものを持って行って下さい。ふ~ん、促す方向を見た。大きな棚だ。受付を終えて、壁際の棚の前へ行った。柄やサイズの違った浴衣が、整然と収納されている。Lサイズの青っぽい柄の浴衣を選んだ。帯は部屋にあるそうだ。

 そうそう、鍵は、細長いプラについた奴だった。エレベーターに乗った。張り紙がしてあった。ひとグループずつで乗りましょう、だったかな、内容的には間違いないと思う。少し感心した。たしかに狭いエレベーターで、赤の他人との同乗は、よろしくない。<三蜜>を避ける、ホテル側の対策だ。九階で降りた。さほど広くもないフロアーなのに、部屋の場所がわからず、少しうろうろした。ま、いい。

 部屋に入った。和室だ。ホテルというよりは安旅館の雰囲気だ。調度品なども古い。だが、埃だらけということもなく、そこそこに、掃除はしてあった。臭いもない。値段相応だ。とはいえ、いわゆる<オーシャンビュー>で、窓からの眺めは良かった。しかも、ちょっと前に撮った。乙浜漁港の赤い防波堤灯台が、豆粒大に見える。いまは曇り空だが、天気予報では、四時過ぎから夕方にかけて晴れマークがついている。方向的にも、ちょうど真正面に日が沈む感じだ。部屋の中から、ラクして夕陽が撮れるかもしれない。少し楽しい気分になった。

狭いユニットバスの洗面台で、手の甲と顔を、備え付けのボディーソープで念入りに洗った。日焼け止めがなかなか落ちないような気がしたのだ。そのあと、衣服を脱ぎ、一応、クローゼット?にあった木のハンガーにかけ、鴨居につるした。いや、その前に押し入れから、敷布団と掛布団と枕を出したのかもしれない。座卓を少し移動して、敷布団には洗い立ての敷布をかけ、テレビの前で寝られるようにした。服を脱いだのも、顔を洗う前だったかもしれない。いまとなっては、もう思いだすことができない。

 ま、とにかく、浴衣に着替えて、念のため、備え付けの金庫に、財布などの入っているポーチを入れて鍵をかけた。金庫の鍵は、部屋の鍵と一緒に細長いプラ棒についていた。エレベーターに乗り<B>のボタンを押した。地下一階が温泉なのだ。ところが、ささやかな期待は、すぐに裏切られた。脱衣所が狭い。人がいっぱい居た。のみならず、湯船も洗い場も狭い。そこにも人がいっぱい居た。

 少し距離を取りながら、湯船につかっていると、同僚なのか仲間なのか、至近距離で日焼けした男たちが話をしている。長居しないで、さっと出た。ところが、不幸は重なるもので、浴衣を入れたロッカーの鍵が開かなくなる。あたふたしていると、あとから来た男に、早くどけといわんばかりの、無言の圧力をかけられた。少し脇によって、男と小さな娘をやり過ごし、また、調子の悪い、小さなロッカーのカギをいじくった。さいわい、なぜか、鍵はあいた。一瞬、脱衣場に電話などないし、素っ裸なのに、どうしようかと途方にくれた。ま、よかった!

早々に部屋に戻った。おそらく、テレビをつけ、脇に寄せた座卓の上で、ノンアルビールを飲み、おにぎりと唐揚げを食べたのだ。唐揚げはまだ、少し暖かくてうまかった。そうそう、この宿の冷蔵庫は、型は古いが効き目はよかった。というか、部屋に入った際に、冷蔵庫の温度を<10>にしておいたのだ。ビールは保冷剤入りのバックに入れて来たから、それだけでも冷えていたのに、さらに冷蔵庫で冷やされ、おかげで、自宅で飲むような冷たさになっていた。うまかったと思う。

 メモによると、もっとも今回は<メモ>ですらない走り書きだが、午後四時にホテルに到着したことになっている。だが、窓から望遠で撮った写真の時刻が、17時になっていた。到着して、受付、部屋に入って着替え洗顔、カスタマイズ?温泉、食事。ま~、これだけのことを一時間でやってのけたとは到底思えない。そうだ、食事の途中で、漁港が夕陽に染め上げられたので、写真を撮ったのかもしれない。とはいえ、手持ち望遠で、ピントが危うい。一枚だけ撮ってすぐにあきらめ、また食事を続けた。これなら話が合う。いや、おそらくそうだったのだろう。その際、横着して三脚をもって部屋に入らなかったことを、少し後悔したのを覚えている。

 その後、食事を終え、撮影画像のモニターをした、と思う。だが、そのうち、六時ころ、少し寝てしまった。さすがに、朝の三時から動き回っていたのだから、疲れたのだろう。とはいえ、八時ころに起きて、持参したお菓子などを食べたような気がする。もっともまたすぐ、寝てしまった。

 夜中に、何回か、トイレに起きたはずだ。その際、窓の外の夜景を見た。右半分は海で真っ暗。ただし、赤いランプが三つ点滅している。うち一つは、間隔が短く、しかも光量が強い。すぐ近くの防波堤に設置されているのだろう。ただし、防波堤灯台でない。なぜなら、いま窓から見える範囲にある防波堤灯台は、乙浜漁港の、海の中の赤い防波堤灯台だけだからである。眼下の海っぺりは今日の午後、この目で見て回ったのだ。

 その、手前の光量の強い赤い点滅と、その奥の、やや小さな赤い点滅の間に、鮮やかな緑が点滅している。最近仕入れた知識が役になった。すなわち、防波堤灯台の陸へ向かって右側の赤い灯台は、赤い光を点滅し、左側の白い灯台は緑の光を点滅する。つまり、奥の赤い点滅は、乙浜防波堤灯台に間違いない。とはいえ、緑の点滅は、何なのだ?それらしき灯台は見当たらなかったが。もっとも、左奥には、もう一つ赤い点滅が見える。これも何なのか、よくわからない。

 ところで、いま一度、サッシ窓から見える夜景を見直した。右半分は暗い海、三つの赤い点滅と、一つの緑の点滅が見える。正面には、高層のマンションが建っている。階段や部屋の明かりが点々としている。明るい。ま、景観的には邪魔だが。左側は、おそらくは新興の住居地で、民家の光がまばら。その間をぬって生活道路の街灯が点々としている。さびしくもなく、にぎやかでもなく、普通の住居地の穏やかな夜景だ。

 要するに、正面、左半分は、さほど興味がないわけだ。重いサッシの窓を開けたのだろうか。少し冷たい海風、波音がはっきり聞こえる。視線を、暗い海に戻した。魅かれたのは、緑の点滅だ。これまで、一度も見たことない光景だった。しかも、その緑の意味を理解していた。むろん、その奥の、というか上の、赤い微かな点滅も気になった。真っ暗な海へ向かって、一晩中、ペアになって、赤と緑の点滅を繰り返すのだ。

 静かにサッシ窓を閉めた。遮光カーテンもしっかり閉めたと思う。朝日が眩しいはずだ。横になった。波音が微かに聞こえた。幸いなことに、物音はほとんどしなかった。いや、一度くらい、寝かかったときに、びくっとしたかもしれない。明日の予定を思った。七時ころまで寝ていようかな。七時起床、八時出発。波音が一段と高まった、ような気もする。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#7 野島埼灯台撮影2

 二日目

たしか、朝の五時か六時ころ、トイレに起きたついでに、窓へ行き、カーテンを少しめくって、外の景色を見たような気がする。曇り空で、朝日は見えない。ちょっとがっかりした。また横になり、すこしうとうとして、七時に起きた。洗面、食事、排便、身支度。朝食はブドウパンとあんパン、それに牛乳。ブドウパンはまずかった。一枚食べるのがやっと。排便、小、少し出た。八時ころに、エレベーターで下に下り、受付で、出かけてきますといって鍵を渡した。

 晴れマークがついているはずなのに、雲が多い。ナビを、洲埼灯台灯台にセットして出発した。途中、東側から野島埼灯台が撮れる場所に立ち寄った。道沿いに駐車場があり、公園のような感じになっている。昨日、横を通り過ぎた時に、目星をつけておいたのだ。遠目なので、望遠カメラも三脚も持った。朝から、ずっしり重かった。

 駐車場の向こうは海だった。手前が芝生広場で、浜辺沿いにちょっとした遊歩道がある。ベンチなども置かれている。灯台の垂直、正対という観点からして、なるべく、海にせり出した所がよい。見回すと、遊歩道は左へと、弓なりに続いている。その遊歩道の終点が何やら、展望スペースになっている感じ。柵もちゃんとある。まあ~、あそこしかないなと思った。迷わず歩き出した。

 時間は八時半ちょっと前だったようだ。行き止まりの展望スペースに着いた。脇に、大きな碑が立っていた。海難供養だと思う。正直言って、興味がなく、記念写真すら撮らなかった。それに、さしたる理由もなしに、朝っぱらから、供養碑にカメラを向けるのも、失礼だろう。重いカメラバッグをおろした。三脚を組み立て、柵の前に立てた。肩の高さほどの柵だった。望遠カメラを、彼方の野島岬に向けた。白い灯台が立っている。だが、雲が多い。日差しはほとんどない。全体的に暗い感じだ。スマホを取り出し、天気予報を見た。たしか、九時から晴れマークがついていた。日差しが出るまで、少し、粘ることにした。

 昨日の午後の撮影で、風が少し冷たかった。念のためにと、今朝は厚手のパーカを着こんでいる。辺りを見回した。一組か二組、朝の散歩だろう、老人とワンコが見えた。空は、ほぼ雲に覆われていた。写真的には、露出が足らない。暗い。でも、風はなく、静かだ。ファインダーを何度も覗きこみ、これしかないという構図を探しあて、陽射しを待った。その間、柵に肘をかけ、沖を眺めたりした。そういえば、待ちの撮影は、初回の犬吠埼旅以来だ。なんとなく、ほっとしたような気分だ。久しぶりに、撮り歩きの緊張から解放されたのだ。

 とはいえ、なかなか陽射しが来ない。やや焦れてきた。海を眺めるのにも飽きて、今度は陸の方を眺めた。砂浜沿いにホテルがあり、海沿いの道にも、大きなホテルが何軒か見える。そのうちの一軒は廃業している。そういえば、今回泊まっているホテルも、名前が変わっている。経営者が変わり、世慣れた、賃金の安い初老の従業員を雇ったのだろう。あり得ることだ。

 九時近くになった。ほんのすこし、陽が差し込んだ。だが、写真的には不十分だ。露出が足らない。今一度、空全体を見回した。雲が切れる気配はない。これ以上は無理だろう。ふと思って、スマホで明日の天気予報を見た。朝の八時、九時には曇りマークがついていた。今回は、東側からの写真は、あきらめるほかなかった。むろん、曇り空でもそれなりには撮れた。帰宅後の補正で何とかなるかもしれない。望遠カメラを三脚から外して、バックにしまった。

 駐車場に戻った。ちょっと先の、野島埼灯台に寄るつもりで車を出した。道沿いの、船溜に面した駐車場は空いていた。昨日は、日曜日だから混んでたんだ。外に出た。カメラ一台を首に掛け、軽装備で歩き出した。船溜の縁をぐるっと回る感じで、遊歩道に入った。遊覧船乗り場の脇を抜けると、赤い鳥居があり、飛び魚のモニュメントや、石の立派な案内板があった。観光気分で、一枚ずつスナップした。見ると、西の雲が切れて、ところどころに青空が見える。なんと、陽射しが出てきたのだ。

 野島埼灯台を、歩き撮りするコースはほぼ決まっていた。昨日、同じ場所を二度歩いている。だが、今日は人がいない。静かでいい。それに、何か、空の様子が不安定で、巨大な積乱雲が、灯台の背後にかかり始めた。ま、千載一遇のチャンスなわけで、ここぞとばかり撮りまくった。しかし、いくらもたたないうちに、どこからか、灰色の大きな雲が流れてきて、陽射しは遮られる。

 改めて思った。白い灯台に陽射しが当たるか、当たらないかは、灯台写真の良し悪しを決定する、と。ま、そのために、晴れた日を選んで撮りに来たのだ。まさに、原則に立ち戻って、陽が陰れば撮るのをやめ、陽が差せばまた撮るという、やや焦れったい<撮り歩き>をしながら、ベストポジションの岩場に登りあがった。

 昨日は行列のできた<朝日と夕日の見えるベンチ>に、一人、悠々と腰かけ、野島埼灯台を、心ゆくまで撮った。背後の雲の様子といい、陽の当たり具合といい、八角形の、真っ白な、背の高い灯台は、神々しく見えた。しかも、観光客は一人もいない。ベンチを早々に立ち去る必要はない。真っ青な、きらきら光る海をスナップしては、ため息をつき、また灯台に向かう。雲が流れて、空の様子が変わっている。

 二人用のベンチに、一人で腰かけていた。だが、寂しさは感じなかった。強がってはいない。360度見渡せる、絶景を独り占めしている。寂しいはずがないし、悲しいはずもない。なぜって、念願がかなっているじゃないか。すっからかんの自由だ。やるべきことからも、やらなければならないことからも解放されている。風と光と灯台と、海と空と無限大の眼差し。これだけで十分だろう。地球上の、ある一点に、今在ることを実感した。ここに来たこと、ここに居ることが、間違いでないと確信した。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#8 移動~洲埼灯台

 しかしながら、お決まりのことではあるが、幸せな時間は、長く続かなかった。遊歩道に、ガタイのいい男が現れた。一人だ。朝の散歩というか運動なのか?案内板などを気のない感じで見ている。<ベンチ>に座りたいのかなと思い、腰を浮かせた。だが、ガタイ男はこちらを振り向きもせず、また遊歩道を歩き始め、向こうへ行ってしまった。岩場の<ベンチ>を占拠して、どのくらいの時間がたっていたのだろうか。灯台も撮り、絶景も満喫し、哲学的思索?もした。潮時だな。引き上げ際に<ベンチ>の写真を丁寧にスナップした。

 岩場から降りようとしている時に、例のガタイ男が、消えた方向から再び現れた。そして、ちょうど下に降り立った時、案内板の辺りで鉢合わせになった。むろん、会釈などしない。互いにシカとだ。岩場に登るのかな、とちらっと様子を見た。かわいくない奴だ!男は無表情のまま立ち去った。くすんだ茶のスポーツウェアを着た、体格のいい男が一人、月曜日の観光地で朝の散歩をしている。男が、この時間に、なぜここに居るのか、直感できなかった。話をでっち上げることもできそうだが、それすら億劫だった。

 大きな雲が流れていた。不安定な空模様だ。遊歩道を駐車場へ向かって歩いた。何度か、歩きながら、灯台にカメラを向けた。<灯台は撮れた>と思っていたので、雑になった。真剣味に欠けていた。係船されている遊覧船を横眼でちらっと見た。むろん、客などいない。船長らしき爺が、所在ない感じでぶらぶらしている。爺の顔は、見事なほどに褐色だった。いかつい海の男、いや漁師の面構えだが、知性はまるで感じられなかった。

 車に戻る前に、脇にあった、公衆便所で用を足した。この便所では、何回も用を足した。むろん大ではなく小の方だ。汚くて、くさいのは、当たり前のこととして甘受していた。とはいえ、毎回使用するたびに目についたものがある。洗面台の横に立てかけられた、なかば破損している黒い安物の三脚だ。そいつは、昨日の朝もあり、今日の朝もある。毎日掃除をしているならば、片付けるだろう。あるいは、忘れ物だからと配慮して、あえてそのままにしているのだろうか?確かなことは、なにひとつわからない。だが、観光地の公衆便所に、破損した三脚が放置されていたことは事実だ。いや、ただちょっと気になっただけだ。

 駐車場に入った。何やら、おまわりが二人いる。車の下を覗きこんだりしている。黒い<ポルシェ>だ。隣にはベージュの<軽>が止まっている。それぞれ、若い男と若い女性がそばに立っている。一見して、事故だとわかった。たぶん、<軽>が<ポルシェ>に接触したのだろう。

 車をバックで出した。一人のおまわりが、目の前で、まだ<ポルシェ>の検分を続けている、Uターンして、別の出口から出てもいいわけだが、この時は、何となく、野次馬根性が出た。現場をよく見たかったのだ。車の進行方向に、おまわりが立ちはだかっている。いや、懸命に職務に励んでいる。<軽>のナンバープレート見た。<足立>ナンバーだった。<ポルシェ>の方は、ちょっと見えなかったような気もする。ただ、不愛想な表情で突っ立てる若い男は、いかにも金持ちの息子、といった感じだった。

 若い女性の方は顔面蒼白、おろおろしている。そばにもう一人のおまわりがいた。駐車場の通路の真ん中に車を停止して、ハンドルに腕をかけ、成り行きを見守っていた。じきに、女性とそばにいたおまわりが、この事態に気づき、検分を続けているおまわりに合図というか、目配せする。だが、検分おまわりは、気づいてか気づかないのか、無視している。

 気づかないはずない!通路で車が立ち往生しているのだ。それも自分が通路をふさいでいるがために。要するに、検分おまわりの言い分はこうだ。仕事中なんだ、Uターンして出て行け!ちょっとカチンときて、少し車を前進させた。目の前におまわりがいる。さすがに、検分君は、脇に寄った。ただし、すれ違いざまに、窓に顔を寄せ、睨みつけてきた。若い警察官だった。

 駐車場を出た。後味が悪かった。朝っぱらからの事故で、近くの駐在所からバイクで駆けつけた若い警官に、一瞬なりとも、腹を立てたのだ。むろん、警官にも落ち度はあるだろう。駐車場の通路で立ち往生している車に、何らかの指図をすべきだろう。ま、それにしても、年甲斐もないことをしたと反省した。

 見通しのいい<房総フラワーライン>を走った。車はほとんどいない。だが、気分は良くなかった。若いおまわりの権力的な態度、それから、<ポルシェ>の若い男の尊大な態度が思い出された。<ポルシェ>は大きく凹んではいなかった。ちょっとした擦り傷だろう。大げさなような気がしたし、何にもまして、若造が<ポルシェ>に乗っていることが気にくわなかった。いや、待てよ、父親から借りてきたということも考えられる。傷つけたら怒られる。物損事故扱いにして修理させようという腹なのか?

 もういいだろう。外の景色が目に入ってこなかった。気づいたら、洲埼灯台へと向かう分岐へ来ていた。右折して、昨日も寄った、多少きれいな公衆トイレの駐車場に車を止めた。用を足し、一息ついた。カメラを取りだし、道の方へ少し出て、岬の上にある白い灯台を撮った。背景に青空が広がっていた。とはいえ、構図的には、イマイチどころか、イマサンくらいで、写真にはならない。ま、記念写真だ。

 灯台下の駐車場へ行った。昨日とはうって変わって、車は一台も止まっていなかった。外に出た。カメラを一台首にかけた。駐車料金二百円を入れる木製の箱が、柱にかかっている。人の気配がしない。できることなら、所有者の爺さんに手渡したかった。階段脇の、商店の中を覗いた。し~んとしている。商店の脇には、ちゃっちい休憩所があった。その奥に続く、母屋の方を、伸びあがって見た。やはり人の気配はしない。金は帰りに払おう。用意した二個の百円玉をポケットにしまった。

 灯台へと向かう、狭い、暗い階段を登った。三階くらいの高さだから、息が切れることもない。それに軽装備だ。洲埼灯台には、誰もいなかった。月曜日の午前中に灯台観光する奴は居ないのだ。ベストポジションは、昨日下見している。といっても、敷地が狭いのだから、北東海側の仕切り壁の辺りしかない。したがって、問題は、いかにきれいに撮るかだ。幸い、背景には、青空が見える。といっても、全体的にはやや曇り空。照ったり陰ったりだ。誰もいないので、少し粘った。

 灯台の敷地は、南側と西側の展望がいい。海が見える。日が陰ると、灯台に背を向けて、海を眺めた。とくに、西側がいい。案内板によれば、富士山が見えるはずだ。その方向にじっと目を凝らす。と、何やら、それらしきものが見える。ダメもとで、一枚スナップした。その間、灯台には、二組の観光客がやってきたと思う。一組は老年の夫婦。この方たちは、ひととおり、静かに景観を眺めて、帰って行った。

 もう一組は、おそらく学生だと思う。ダサい感じの四人組。彼らは、かなり長居した。おしゃべりは、ま、致し方ない。閉口したのは、<コーラス>だった!木製の展望デッキに上がってきて、自分は、すぐ横の仕切り壁に寄りかかり、海を見ていたのだが、リーダーっぽい奴が、何を血迷ったのか、いきなり歌を歌い出した。一節歌うと、続けて、周りの連中がハモリ始めた。それが、結構長い。黒人霊歌とかブルースならまだしも、いわゆる学生の<コーラス>曲で、聞いていると背中が痒くなるやつだ。

 しかも、あきらかに、そばに人がいるのを意識している。否応なしに聞かされたこっちは、たまったもんじゃない。その、なんというか、これ見よがしの態度に、イラっとした。振りむきもせず、そばを離れて、完全無視を貫いた。ま、<コーラス>は、下手ではなかった。名の知れた大学の合唱サークルにでも入っているのだろう。それにしても、男四人で灯台見物とは、あきれたもんだ。そんなんだから、彼女ができないんだよ。ま、余計なお世話だな。

 海に向かって、みんなで一曲ハモッて、気分がよくなったのだろうか。歌い出した奴が、皆に、<行きますか>と促した。なんだか、その言葉遣いにすらイラっとした。そばにいたサングラスのおじさんが、君たちの<コーラス>をどんな思いで聞いていたか、少しは考えた方がいい。だが、おそらく、彼らは他人の思惑など歯牙にもかけず、自信満々、堂々と人生を歩んでいくのだろう。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#9 船形平島灯台撮影

 なんだか、気分が白けてしまった。依然として、照ったり陰ったりの空模様。これ以上粘ったところで、同じだ。それに、この後がある。時計を見たと思う。まだ十一時だった。これから三十分走って、次なる灯台、すなわち、昨日ポカして撮り損ねた船形平島灯台へ行くのだ。

 灯台を後にした。狭い、暗い階段を下りた。今日も、屋根のブルーの土嚢が目に入った。ちょっと立ち止まって、母屋の方をうかがった。三、四枚の、ぼろきれのような洗濯物が、風に揺れていた。人の気配はない。階段から降りて、念のために、もう一度商店の中を覗いてみた。薄暗い。誰もいない。駐車料金を入れる柱の箱をちらっと見た。パスすることにした。昨日払っているしな、と罪悪感をなだめた。

 走り出した。公衆トイレにまた寄って、用を足した。ふと、二百円払わなかったことを、すごく後悔した。いますぐ戻って、箱に入れよう、と思った。でも、実行しなかった。思い出したくもないが、似たようなことを何度もやってきたような気がする。カネのことじゃない。心の問題だ。駐車料金を踏み倒したのは、そのほんの一例なのだ。たかが二百円、されど二百円、か!

 あっという間に、館山の市街地に入った。平日の月曜日、昨日にぎやかだった海岸通りは閑散としていた。砂浜沿いの駐車場にも、ほとんど車が止まっていない。静かでいい。船形の信号をナビに従って左折した。漁港に入る手前を右折、左手の広々した係船岸壁をやり過ごし、少し行くと、視界が開けた。

ナビに指定した神社が道路際に見えた。左手には、腰高のコンクリ防潮堤が続いている。なんとまあ、都合のいいことに、道路の幅が広がっていて、防潮堤際に駐車できるようになっている。おそらく、これは、海の中の灯台を見るために造成されたのだろう。

 <船形平島灯台>。灯台本体は、例の特徴的な防波堤灯台の形だ。だが、そのロケーションが素晴らしい。海の中の岩場に立っている。しかも、陸からの距離が近い。ということはつまり、さほどの望遠でなくても、撮れるということだ。それに、夕日が、背後の海の中に落ちる。夕焼けの海に、シルエットになった岩場の灯台が浮かび上がる、という趣向だ。

 日没前から日没後まで、防潮堤際に車を止めて、その光景をじっくり狙えるスペースが確保されているのもうれしい。事実、そうして撮った写真を、ネットで見た。あわよくば、自分も撮りたいと思った。だが、今回はその心づもりができていない。今日の夕方は、白浜に戻って、安房白浜灯台を撮るのだ。次の機会だな。館山あたりに宿を取って、またゆっくり撮りに来るさ。

 さて、撮影開始だ。三脚に望遠カメラを装着した。防潮堤の縁を行ったり来たりしながら、ベストポジションを探った。しつこいようだが、問題は、灯台と水平線が、垂直に交わる地点を探すことだ。むろん、探せることができる範囲内でだが。はじめは、車を止めた真ん中辺で撮り、次に撮り歩きしながら、駐車スペースの右端まで行った。といっても五十メートルくらいか。だが、モニターすると、灯台が傾いている。あるいは、水平線が傾いでいる。

否応ない、三脚にデカいカメラを装着したまま、肩に担ぎ、右端から左端へ移動した。距離的には百メートルくらいか。駐車スペースの中ほどまで来た。防潮堤に並行に止まっている自分の車を見て、ちょっとの距離だが、このままバックして、左端に移動しようと思った。ま、暑かったということもあり、とりあえずは、車内で給水だ。と、黒いSUVがぴゅっと来て、その、今まさに自分が移動しようと思った左端に駐車した。ま、しょうがない。防潮堤沿いに、あまり近づきすぎない程度にバックした。

 車から三脚に装着したカメラを出した。と、黒のSUVから人が出てきた。上下グレーの地味な初老の男性だ。たしか、白髪だった。<撮影ですか>と十メートルくらい先から声をかけられた。感じは悪くなかった。意外であり、ちょっとどぎまぎした。海の中の灯台をちらっと見ながら、<あの灯台を>と答えた。そのあと、なぜか、言葉が出てこなかった。男性も、それ以上は声をかけてこなかった。そしてそのあと、すぐに車の中に引っこんでしまった。

 その場に三脚を立て、海の中の灯台を撮った。モニターしたが、まだ垂直が甘い。さらに、左端へ移動した。その際SUBのナンバーを見た。同じ埼玉の<大宮>だった。なるほど、ご同郷だったのね。SUBの横を通り過ぎた時、窓越しに気配をうかがった。し~んとしている。同乗者がいるのかも、定かでなかった。

 ちなみに、今回の旅で、唯一、話しかけられたのが、この男性だった。それもたった一言<撮影ですか>。これは会話になっていない。要するに、ホテルのフロント、あるいはコンビニでの会話は除外して、人間とほとんど話さなかったわけだ。ま、いつものことで、なんということもない。そもそも、人との出会いなど求めていないのだ。

 防潮堤の左端に来た。三脚を置いて、灯台にピントを合わせた。撮った画像をすぐにモニターした。灯台と海の、垂直・水平の関係は、先ほどより悪化していた。明らかに傾いている。ということは、さっきの場所が、ベストポジションということか。自分の車が止まっている辺りを目で確かめた。あそこだって傾いていた!補正できるのだろうか、心もとなかった。

 そうそう、明かりの具合と空の様子を記述するのを忘れていた。時間的には、お昼前後のトップライトで、全体的に、もあっとしていた。青空はなく、どんよりとした薄い雲に覆われている。写真的には、難しい感じだ。きれいには撮れていないだろう。もっとも、この<船形平島灯台>に関しては、さほど気落ちしなかった。次回、捲土重来して、美しい夕景を撮るつもりなのだ。

 三脚のカメラを左にふった。海の中の防波堤に、かわいい白い灯台が立っている。名前は、この時は知らなかった。昨日も、係船岸壁から撮っているが、見ている角度とロケーションが違う。今日の構図の方がはるかに良い。とはいえ、粘るほどの気持ちは出てこない。それに、雲行きがだんだん怪しくなってきた。引き上げよう。

 駐車スペースの左端に、黒のSUVはなかった。そのかわり、軽トラと軽が止まっていた。外で、中年の女性と遊び人風の漁師が立ち話をしていた。来た道を戻った。すぐ右折して係船岸壁に入った。釣り人の車はほとんどなかった。昨日は、赤と白の防波堤灯台を撮るのに、ちょうどいい位置に爺がいた。しめしめと思い、三脚付きのカメラも持って外に出た。水際すれすれに、三脚を立て、構図を探った。しかしながら、空の様子が、ますますおかしい。曇ってきた。いまにも降り出しそうな気配だ。スマホで天気予報を確認した。たしかに曇りマークになっていた。

 ほんの十分くらいで切り上げた。車に戻りかけると、どこからか、グレーの乗用車ひゅっと来て、すぐそばに駐車してきた。爺だ。昨日の爺だったのだろうか。確信は持てなかった。ただ、その態度、振る舞いから、明らかに、ここは俺の縄張りだ、ということが見て取れた。はいはい、わかりましたよ。すぐに車を出した。ついでだ、赤い灯台のそばまで行ってみよう。昨日は、釣り人がびっしり居たが、今日は、ほとんどだれもいない。漁港の中を走って、反対側の係船岸壁へ行った。

 岸壁は工事中で通行止めだった。だが、脇から抜けられるようになっていた。たらたら走っていくと、左側に高い防波堤が現れ、その突端に赤い防波堤灯台が見えた。岸壁には、大き目な漁船が二艘ほど停泊していた。付近の空いているところに、二、三台乗用車が止まっている。これは釣り人の車だろう。ということは、駐車しても大丈夫、ということだ。

 適当なところに車を止めて、外に出た。一応カメラを一台首にかけた。高い堤防の上には、釣り人が二人いた。知り合いのようだ。というのも、さっき、反対側の岸壁から、望遠カメラで親しげに話しているところを見ている。赤い防波堤灯台の前に来た。上の方が少しくびれている、とっくり型だ。そばで見ると意外に大きい。だが、ロケーションが悪い。左に無粋なコンクリの防波堤、右は小汚い巨大な筏のようなもの。それに、空も鉛色だ。

 二、三枚記念写真を撮って、すぐに引き上げた。車に乗って、今来た道を戻った。通行止めをかわして、脇の悪路を走った。岸壁には、えんじ色の波消しブロックが並んでいた。正確に言うと、波消しブロックの、おそらく、鉄製の型だ。その中にコンクリを流し込んで、波消しブロックを作る。おそらく、なかのコンクリが固まったら、型を取り除くのだろう。だから、ずらっと並べているんだ。こう解釈した。初めて見る光景で、少し愉快だった。波消しブロック=テトラポッドは、一個、二十トンほどもあるようだ。今調べて、<へぇ~>だった。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#10 移動

 さてと、これで今日の撮影の山場はほぼ越えた。あとは、宿泊地に戻り、波打ち際の安房白浜灯台を撮るだけだ。少し、ほっとした。漁港を出ると、小さな公園があり、赤い自販機が見えた。隣は、ほぼ廃墟化した土産物店だった。何か、甘いものが飲みたくなった。コーラのボタンを押した。と、取り出し口にあったのはカンのコーラだった。あれ、押したのはボトルのコーラだ。少ししゃがみこんで取り出し口を見ると、なんとボトルのコーラもあった。要するに、誰かが、クジの<当たり>コーラを取り忘れて行ったのだ。これはラッキーだった。カンの栓を上に上げ、口に持っていった。その刹那<まさか毒でも入ってないよな>と思った。が、時すでに遅し。冷たいコーラは口の中で泡を立てていた。うまかった!毒など入っているわけがない。

 今日は<房総フラワーライン>で戻るつもりでいた。というのも、館山から白浜までの山越えの道は、早いけど、面白みがない。海岸通りの駐車場に車を止めて、館山湾を見ながら、一息入れるのもいいだろう。五分ほど走ると、思い描いた光景が目の前に広がっていた。サングラスのオヤジが一人、砂浜の、打ち捨てられた白いベンチに座っていた。ボトルのコーラとカメラが脇に置いてあった。

 ベンチは誰かの忘れ物だろう。なぜか一脚だけポツンとしていた。こりゃあ~、都合がいい。日射もさほど強くない。ゆったり腰かけて目の前の海を眺めた。沖に大きな貨物船が、何隻も止まっている。館山港に接岸できないのかなと思った。気まぐれに、カメラのファインダーを覗いた。全体的に、薄い雲に覆われていて、ぼうっとしていている。それに、これといった被写体も見当たらない。ま、写真なんか、どうでもいい。

 と、砂浜の波打ち際で、何やら男が、スクワットなどをしている。その後ろ姿をよくよく見ると、男には違いないが、爺だ。体操、というか運動してるわけだ。外で運動するには、まだ暑いんじゃないの。余計なお世話か。それよりも、写真撮影から解放されていたからだろうか、館山に関する、記憶の断片が蘇ってきた。

これも実に、甘酸っぱい記憶だ。大学のセミナーハウスが館山にあった。二、三回、たしか上野駅から内房線に乗って来たんだ。記憶が断片的で、錯綜している。ま、比較的鮮明に思い出すのは、三、四人の女の子の顔と、演出ゼミの合宿で、嫌な奴から間違いを指摘されたことだ。だが、今の関心は、そこにはない。セミナーハウスが、どこにあったのか?もう一つは、夜、酔っ払って浜辺へ行ったことがあり、その浜辺とは、どこなのか?あらためて、目の前の情景を眺めた。この広大な館山湾の、どこか一点に、半世紀近く前の夏の晩、たしかに居たことがあるのだ。

 ボトルのコーラを飲んだ。もうぬるくなっていた。目の前の爺は、まだ運動をしていた。おいおい、スクワットはさっきやったじゃないか。余計なお世話だが。ベンチから立ち上がった。海を背にして、ベンチの写真を一枚撮った。記念写真だね。車へ向かって歩き出すと、バーベキューだろうか、若い男女数人が、それ用の荷物を抱えて浜へ向かって行った。車に乗った。バーベキューの用意をしている若い男女をちらっと見た。自分の好みとしては、かいがいしく、テキパキと用意をしてくれる女性が好きだ。いや、本気でそう思っているわけじゃない。

 走り出した。セミナーハウスはどの辺にあったのだろうか?なぜか、気になった。館山の市街地のはずれには、<館山港>がある。港なら、防波堤灯台がある筈だと思った。きまぐれだ。右折して、港に入って行った。だが、それらしき灯台は見えない。うかうか道なりに走っていくとT字路。正面は自衛隊だった。ええ~、と思いながら、右折。左折すれば、<フラワーライン>に戻ってしまうからだ。さらに岸壁沿いの広め道を走る。釣りなどしている。左手の金網の前では、漁師だろうか、網の手入れをしている。若い男が多いようにも見える。

 と、一本道は、通行止め。車から降りて、左方向への坂を見上げた。その時は、その先に何があるのかわからなかった。今調べると、<沖ノ島公園>になっていて、付近は海水浴場だ。要するに、今年はコロナ禍で、海水浴場が閉鎖されているわけだ。なんだか無駄足だ。釈然としない。Uターンした。

 途中、岸壁際にとまった。港が一望できた。といっても、さしたる景観でもない。ただ、右側の、山の上に城の天守が小さく見えた。館山城なのか?ちょっと寄ってみたい気もしたが、今回は無理だろう。それから、海の真ん中に、干潟なのだろうか、おびただしい数の海鳥だ。カモメなのか、遠すぎてよく見えなかった。…いま撮った写真で確認すると、干潟ではなく、何かの養殖筏=いけすだった。あと、鳥はカモメでなく、サギの仲間のようだ。つまり、サギたちのコロニーだったのだ。

 <房総フラワーラインに>戻った。ふと、昨日見かけた、道路沿いのかなり大きな黄緑色の塔のことを思い出した。見たことない形で、灯台ではないだろう。確かめたい、という好奇心に負けて、右折した。そこは、広い駐車場で、海に面して食堂があった。カメラ一台首にかけて、黄緑の塔に近づいた。そばに、黒い軽のバンが止まっていた。作業車のようだ。車の中には工具などが見えた。だが、人の気配はしない。

塔は金網に囲われていた。公共の建造物なら、門柱などに名前が掲げられているはずだ。金網にそって、周りを少し歩いた。だが、それらしきものは発見できなかった。疑問は増すばかり。奥の方にも行けそうだ。だが、何となく憚れる。小道があったので、塔と少し距離をとった。何しろ大きいのだ。近くにいては画面におさまりきらない。

 小道の両側は、荒れ果てた家庭菜園のような感じだった。振り返って、塔を画面におさめた。青空が見えた。だが、ロケーションは最悪。左側に背の高い木立、右側にも背の高い雑草が生い茂っている。それに、近くで見ると、それほど魅かれるフォルムでもない。なにしろ、下の方は、付属している大きな半円形の金属板によって隠されている。全体像が見えないのだ。

 ところで、今までの文脈を敷衍するならば、ここで、この塔に関する記述に入るわけだ。だが、今回は勘弁してもらおう。本意ではないが、写真で例示する。要するに、記述できないんだ。いや、しようと思えば、不十分ながら、できないこともない。これまでもそうだった。記述しようとすることが重要なんだ。とはいえ、それには頭を使う。いま、頭を使いたくない。モロイ風に言わせてもらえば、<もう働けません、と頭が言っているんだ>。

 来た道を戻った。黒いバンはまだ止まっていた。だが、無人。もう一度金網に近づいた。中を覗いた。名称らしきものは、やはり見つからなかった。ただし、灯台ではない。塔の頭にレンズはなく、無線のアンテナらしきものが、数本直立していた。電波塔なのか?坂を下りて駐車場に戻った。道沿いに少し歩いて、繁茂している植物越しに黄緑の塔を撮った。空の様子はすごくよかった。千切れ雲の間に青空が見えた。

 ちなみに、この塔は<伊戸ダイビングサービス>という施設に隣接しているようだ。海上の気象情報を、この大きな黄緑の塔で受信しているのかもしれない。とはいえ、施設のHPを見ても、たしかなことはわからなかった。

 灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#11 安房白浜灯台撮影

 車に戻った。隣にグレーのワンボックスカーが止まっていた。サイドドアーが開いていて、その前で、日焼けした筋肉質の女性が、腰にタオルを巻いて、パンツを脱いでいる。む、一瞬見て目をそらした。水着に着替えているようで、これから<ダイビング>をするような雰囲気だ。美人で、贅肉のない均整の取れた体つき、健康的だ。今回の旅で、唯一<女性>を感じた瞬間だった。

 走り出した瞬間に、黄緑の塔も、ダイビング女性のことも頭から消えた。じきに、海にせり出した野島岬が見え、白い灯台も小さく見えた。右手に、広い駐車場が見えたので、急遽、車を寄せた。外に出て、望遠カメラで狙った。だが、遠目すぎる。それに、手前の民家が邪魔だ。写真にはならない。すぐに車を出した。

白浜の野島埼灯台に戻ってきた。海沿いの道だ。白い八角形の灯台に、ちょうど西日があたっている。思い描いていた情景だ。ところが、駐車するスペースがない。片側一車線で、右側は歩道、左側には、大きなホテルがびっしり並んでいる。ハザードをつけて路駐することすら憚られる。

 と、白いホテルの間に私道がある。そのわきに一、二台車が止められるスペースがある。むろん私有地だろう。だが、そこしかないのだ。ちょっと行き過ぎたのでバックした。私道に入り、車を私有地に少し寄せて止めた。ま、これなら、脇を車が通れる。なんか言われたら、ごめんなさい、だ。ハザードをつけた。急いでカメラ二台と三脚をもって、道路を渡った。

 海沿いの歩道で、ささっと三脚を組み立て、望遠カメラを装着した。瞬時に、アングルを決め、ピントを合わせた。ここぞとばかりシャッターを押しまくった。望遠の方は、すこし寄ったり引いたりもした。背景の雲の様子もいい。撮れたと思った。ものの五分くらいだろう。すぐに引き上げた。幸いにも、無断駐車を、咎められることもなかった。ヒットアンドウェイ!ジジイになったとはいえ、まだまだ素早い行動ができるんだぜ。気分は良かった。

 車に乗り込んだ。躊躇っていたことをやり遂げたような気分だった。今度来るときには、灯台に最も近い、このピンクのホテルに泊まるという手もあるな、とフロントウィンドー越しに左側を見上げた。野島埼灯台の前を通り過ぎた。西日。明かりの具合からして、今日はもう正面から撮る必要もあるまい。素通りして、道路沿いのスーパーに寄った。食料の調達だ。下調べの段階では、白浜にスーパーはこの一軒だけだった。

 店内は、閑散としていた。弁当売り場を探した。盛りだくさんで、意外に安い。¥500ほど。脇に惣菜コーナーがあり、何か小さな魚のフライがあった。買おうかな、ちょっと迷った。いや、弁当だけで十分だろう。さほど食欲があるわけでもない。あと、朝食用に菓子パンを二つほど買ったような気がする。レジの対応は普通。いや、中年の控え目な女性、おそらく奥さんパートだな、やや感じがよかった。

 さて、南房総旅の最後の撮影地。安房白浜灯台へ向かった。海沿いのやや見慣れた光景だ。乙浜漁港があり、泊まっているホテルが見えた。目印の、廃業している工場を右手に確認。その先の細い道を右折。浜沿いの悪路に入った。昨日車の止まっていた駐車スペースが空いている。もっと奥まで乗り入れるつもりだったが、気が変わって、車を寄せた。歩いても、大した距離じゃない。それに、ここなら、万が一にもクラクションを鳴らされる心配はない。

 三脚と望遠カメラは車の中に残した。車上荒らしの可能性はほとんどないのだ。何しろ、辺りには、まったく人の気配がない。カメラ一台首にかけ、悪路を歩き始めた。と、向こうからデカいSUVが来る。少し脇により、車をやり過ごした。その際運転者をちらっと見た。いわゆる<釣り人>で、それらしい格好をしていた。サングラスをかけ、すました感じで正面を見ている。なんだか気にくわない野郎だ。自分の縄張りに、でかい車で侵入されたような気分だったのかもしれない。釣り場の下見だろう、行き止まりまで行って、Uターンしてきたんだ。奥まで行かなく正解だったよ。

また、悪路の真ん中を歩いた。水たまりを避けながら、軽登山靴の恩恵を受けた。岩場に立つ灯台が見えてきた。天気がイマイチだった。雲が多い。日差しが少ない。だが、青空が雲間から少し見えている。その、青が尊かった。美しかった。オレンジのカンゾウも、昨日のままだった。しゃがみ込んで、挨拶代わりに一、二枚撮った。背景の灯台はぼかしてみた。

 今、撮影写真で確認した。撮り始めたのは午後四時。引き上げたのは午後五時だった。ということは、ほぼ一時間、灯台前の岩場を右往左往していたことになる。たしかに、この間、空の様子は、目まぐるしく変わっていった。とくに、背景の空は、まさに、刻一刻と変化した。雲が流れ、青空が見える。と、その刹那、どこからともなく、また雲が流れきて、青空を隠す。しかも、その雲の形、空の様子は、まさに不定形、変幻自在、一所にとどまることがない。

 岩場の間に、打ち捨てられたコンクリの構造物があった。何かの設備の残骸だろう。おそらく、海辺に建っている閉鎖された工場のものだ。だとすると、排水か何かを海に流していたのかもしれない。よいしょ、とその上にのぼった。平均台位の幅の上を少し歩いて、岩場の右側に回り込んだ。自分の背後が西。灯台の右側に、かすかに、西日が当たっている。ただし、少し横にフリすぎている。フォルム的には、さほどきれいな横顔ではない。

 その西日にも、しばしば雲がかかる。その度に辺りが薄暗くなり、灯台の魅力が半減する。こういう時は撮ってもしょうがない。と思いつつシャッターを押し続けた。ふと寒いなと思った。海風が冷たかった。薄手のロンT一枚だ。これからは、パーカが必要だな。夏が終わっていたのだ。

 遠くに、ぽつんと、豆粒大の白い車が見えた。悪路際に止めた自分の車だ。さらに視線を伸ばすと、海に突き出た岩場に、釣り人のシルエットが見えた。二人いた。海へ向かって竿を大きく振っている。さっきの野郎かもしれない。まだ若いのに、平日のこの時間帯に釣りをしている。いい気なもんだ。とはいえ、灯台の前をちょろちょろしながら、飽きもせず写真を撮ってる爺がいるな、と向こうからは思われていたかもしれない。この世界の中で、たしかに、孤立していた。だが、泣きたくなるような孤独は感じなかった。

 西の空を振り返った。勢力を失った太陽が、岬の中ほどに沈んでいく。落日だ。だが、夕日は雲に覆われ、辺りがオレンジ色に染まることはなかった。言ってみれば、中途半端な、そこそこの夕焼けだった。灯台は、断続的に、いくらかの波しぶきを受け、依然として岩場に立っていた。ただし、その表情は暗かった。もう写真にはならない。足元を確かめながら、そろそろと岩場を歩いて、引き返した。

 完璧な夕焼け時に、もう一度撮りに来る必要がある。それに、この灯台は、午前中の方が、きれいに撮れるかもしれない。しかしながら、絶対また来る、とは思わなかったような気がする。かといって、納得のいく写真が撮れたわけでもないだろう。見ると、オレンジのお花たちも暗くなっていた。水たまりをよけながら、悪路を歩いて車に戻った。

 <灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#12 移動~ホテル

 悪路では回転できない。直進して、別荘の所まで行って、スペースを利用してUターンした。海沿いの道に出て、ホテルへ向かった。と、道路際に、灯台が立っている。てっぺんで何やら光っている。むろん昨日も見たわけだが、通り過ぎた時間が早かったせいか、光ってはいなかった。形は、いわゆる<標準型防波堤灯台>。だが、頭にレンズがあるわけではない。長い蛍光管のようなものが縦に二本並んでいる。それが光っているのだ。はは~ん、ピンときた。これは<導灯>だ。いや、その時は名称を失念していた。ただ、概念というか、この灯台の役割は理解していた。つまり、上下、二つ光源に向かって航行すれば、狭い港に安全に入港できるというわけだ。<導灯>みちびくあかり、読んで字のごとし。

ということは、下にもう一つ灯台がある筈だ。そうそう、昨日見ている。高い防潮堤のすぐ下に相棒がいた。あり得ないロケーションで、これまで見たことがない。その時は、何かの冗談かと思った。無知ほどおそろしいことはない。冗談どころか、上の灯台と対になって、海の安全を守っているのだ。形は、道路際のものとよく似ている。岸壁に車を止めて、<導灯>を撮った。記念写真だよ。目の前の山の端に夕日が落ちて、辺りがオレンジ色にほんのり染まっていた。

ついでだ!乙浜漁港の赤い防波堤灯台も撮りに行こう。海沿いの道から、漁港へ入った。高い堤防を登ることはせず、広い係船岸壁に入り込んで、坂になっている砂地から堤防に上がった。釣り人が何人かいた。ただ、昨日のように、灯台の真ん前にいたわけじゃない。釣り人の後ろを静かに歩いて堤防の先端まで行った。明かりの具合、背景の空の様子は、まあ~、昨日に比べれば、多少マシだ。その場から動きようがないので、同じような構図で何枚か撮った。ロケーションからして、モノになるとは思えなかった。これも記念写真だよ。主要な撮影は終えていたので、気持ちが軽くなっていたのだろう。

 粘ることはせず、さっと引き上げた。すぐにホテルの駐車場についた。車がずいぶん止まっている。メモには、五時半宿、とあった。そうだ、今日の朝、出発するときに、駐車場からホテルを見上げた。自分の泊まっているのは九階。あの辺か、カーテンの閉まっている窓を眺めた。昨晩、あの高さから、夜の海を眺めたわけだ。明かりのもれている窓際に、一瞬、浴衣姿のシルエットが現れ、しばらく静止していた。何を見ていたのだろう。

 ホテルに入った。手首で検温を受けて、鍵を受け取った。壁際の棚から、昨日と同じ柄の浴衣を一枚取って、エレベーターに乗った。部屋のドアノブには、白いレジ袋がかけてあった。入ってから、中を確かめた。新しいバスタオルや足ふきマット、歯ブラシなどのアメニティーが入っていた。フェイスタオルがなかったが、流しの小さな布巾があった。なるほど、これも交換すべきだったのか、気づかなかった。流し台に、使い古された、くたくたの布巾を二枚並べた。

 温泉にはいかない、と決めていた。狭いうえに人が多すぎる。ユニットバスに入って、今日は頭も洗った。最近は、一日おきにジムの風呂で頭を洗っている。二日あけると、背後で加齢臭がする。指先で頭をごしごし掻いて、においを嗅いだ。犯人は、自分だった。さすがに、これには閉口した。…若いころは、三、四日、頭なんか洗わなくても、においなどしなかった。現実存在=実存を突き付けられたわけだ。不潔な感じの爺ほど、嫌なものはない。

 風呂上がりのビールはうまかった。冷蔵庫の温度を<10>にしておいたからな。もっとも、夜になって、モーターの音がうるさいことに気づいて<7>に下げた。スーパーで買った弁当は、安い割には・おかずがたくさん入っていて、満足した。食休みかたがた、撮影画像のモニターをした。接眼ルーペでじっとカメラ背面の小さな液晶画面を覗きこむ。いちいち拡大表示字などはせず、つぎつぎとコマ送りする。ざっと流す感じだ。ま、これは一種の儀式だ。うまく撮れていると思いたいのだ。

 立ち上がった。窓辺へ行った。カーテンを全開にして、九階の窓から暗い海を眺めた。速度も明度も違う、赤いランプの点滅が三つ、鮮やかな緑の点滅が一つ、昨日同様、同じ場所で、同じ仕事をしていた。そばに置いてあったカメラを取り上げ、構えた。ファインダーをのぞくと、都合四つの点滅は、まったくと言っていいほど、存在感がない。それに比べ、真正面にそびえる、高層マンションの階段や・部屋の明かりは、まばゆいほどだ。これでは写真にならない。気のないシャッターを一、二回切った。

 <8時ねる―10時起-11時ねる>とメモに走り書きしてあった。なるほどね~、十時に起きて十一時まで何をしていたのか、まったく思い出せない。テレビをつけて、カレー味のカップ麺をすすったのか、持参したビスケットやポテチを食べたのか、大方そんなところだろう。ただ、寝入りばななのか、夜間トイレに起きた時なのか、波音が聞こえたような気がする。一瞬、静寂に耳をすませ、また安心して寝たのかもしれない。

 三日目

翌朝は五時半に起床、したようだ。朝日を部屋から撮影しようというわけだ。思い描いていたように、朝日が海から出てきた。邪魔にならない程度に、雲がたなびいている。だが、朝日に染まる海景を・きれいに撮ることはできなかった。というか、にわか仕込みの<朝日の撮り方>を、すっかり忘れていたのだ。今回の旅で朝日を撮る予定はない。復習してこなかった。さほど難しくないことですら、新しいことは、なかなか覚えられない。記憶力には自信があったんだけどね。

 それでも、結構粘った。こんなにいい条件で朝日を狙えるのは、そうそうあることじゃない。露出やホワイバランスを、ほとんどデタラメではあるが、調整した。そのうち、というか、あっという間に朝日は昇り、もう眩しくて直視できない。写真にその輪郭すら写し撮れない。ま、技術がないからね。限界だ。撮影終了。それが何時だったのか、定かではない。そのあと、朝の支度をしたのだろう。髭剃り、洗面、食事、排便、身支度、部屋の整頓。

 食事は、おそらく、菓子パンと牛乳だろう。排便は、たしか、旅中にも関わらず、多少出たと思う。部屋の整頓に関しては、布団はたたまなかった。移動した座卓などもそのまま。そうそう、部屋を出る前に、写真を撮った。一応、二泊三日とはいえ、居住した空間を・もれなく画像におさめた。これは、初回の犬吠埼旅からのお決まりになっていた。時間がたって、自分が泊まった部屋の写真を見ると、なんだか、心にしみてくるものがあったのだ。

 浴衣とかシーツとかバスタオルとか、その他交換するものは、和室の前のたたきに、まとめて置いた。ゴミは、その横に並べた。カメラバックを背負い、トートバックを肩にかけた。振り向いて、忘れ物がないか、部屋の中を目で確かめた。よし!エレベーターで下に下りた。そういえば、ホテル内では、温泉は別として、まったく人に出会わなかった。駐車場には車がたくさんあったんだけどね。

 チェックカウンターには先客がいた。婆さん三人連れ。一人の婆さんが、宅配の手配をしているようだ。少し距離をおいて待った。その間、さして広くもないロビーを見回した。土産物コーナーがあり、これは品揃えが充実していた。窓際には大きなソファの応接セットが置いてあった。いや、マッサージチェアだったかもしれない。婆さんが立ち去った。受付で名前を言って、精算した。二泊で¥8800、<Gotoトラベル>の恩恵を受けるのは、これで二回目だ。一万円札を渡して、おつりと領収書をもらった。<お世話さま>と小さな声で、受け付けの初老の女性に言ったような気もする。ビジネスライクの<ありがとうございました>が聞こえた。

 灯台紀行・旅日誌>南房総編#13 帰宅日

 外に出た。曇り空だ。晴れマークがついていたのに。車に乗った。車は、正面入り口付近に止めていた。フロントガラス越しに、ホテルの中から、浴衣姿の若い男女が出てくるのが見えた。足元はしっかりしたスニーカーだ。夫婦には見えなかった。海沿いの道に出た。その際、左手に広がる、緑の広場が目に入った。ホテルの前に、海沿いの公園があったのだ。婆さんたちが連れ立って歩いている。浴衣の男女の後姿も見えた。なるほど、朝の散歩というわけか。景色もいいしね。

 帰宅日の朝は、どこにもよらず、まっすぐ家に帰ることにしていた。特別な理由があるわけではない。気分的なものだ。だが、今回は、時間的にも、気持ち的にも余裕があったからだろうか、帰路につく前に、野島埼灯台を、もう一度東側から撮ろうと思っていた。昨日曇っていたからね。というわけで、道沿いの駐車場に車を入れた。そこは、今調べたら<磯笛公園>という場所だった。

 迷わず、一直線に、遊歩道、東側先端の展望スペースへ行った。昨日も来たところだ。ところが、薄い雲が空一面。日差しがほとんどない。これじゃ、昨日と同じだ。そう思ったが、ここまで来た以上撮るしかない。三脚に望遠カメラを装着した。アングルは、ほぼ決定している。野島岬のほぼ全体を、横一文字に画面に入れる。そして、上は空、下は海、という極めてシンプルな構図だ。まあ、これしかないのだ。

 今一度、空全体を見回した。太陽のまわりにも雲がかかっている。が、時々その雲の間から陽射しが差す。白い八角形の灯台が、遠目ながら、一瞬輝く。とはいえ、できることなら、岬全体に明かりが来れば最高だ。スマホを取り出し、一時間天気予報を見た。九時になれば晴れマークがつく。時計を見たのだろう。八時四十分頃だったような気がする。少し待とう。灯台から目をはなした。気まぐれた。そばにあった海難碑を入れて、海を撮った。いま撮った写真を見ると、白いお花が手向(たむ)けられていた。

 九時近くなった。やや焦れてきた。だがその瞬間、思い描いていたような光が降ってきた。岬全体が明るくなった。木々や植物の緑が蘇った。灯台も真っ白になった。慎重に、リモートボタンを何回も押した。満足だった。気分がよかった。その後、すぐにまた、岬も灯台も光を失った。長居は無用。三脚をたたんで、ようようと引き上げた。

 ほんの数分で、野島埼灯台の前に来た。寄るつもりはなかったのだが、船溜まり際の駐車場に車を入れた。西の空にきれいな青空が見えるのだ。天気が回復している。まさに天気予報通りだった。これで何回目だろう、なんてことは考えなかった。ベストポジションの岩場のベンチから、山を背景にした野島埼灯台を撮る。今日は今日だけの空模様。昨日流れた雲と今日流れる雲は、まったく別のものなのだ。

船溜まりの縁を回って、灯台の遊歩道へ入った。今日も赤い鳥居が目に鮮やかだ。撮り歩きしながら、岩場の<ベンチ>に上がった。今朝も、辺りに観光客はいない。ベンチに、どっかと腰をおろした。振り向いて、灯台に正対した。背景の空に大きな不定形の雲が見える。灯台は不動だが、空の様子が全く違う。思った通りだ。構図的には同じでも、今日だけの光景なのだ。来て正解だった。

 天気が不安定なのだろうか。そういえば、海風が強い。あっという間に雲が流れて、大きな青空が見えてきた。ただ、どうなんだろう?背景が青空だけ、というのも写真的には難しい。あっけらかん過ぎて、絵にならない。まあ~、好みとしては、多少雲が流れている方がいい。いい気なもんだ。さてと、引き上げよう。

 最後の最後に、岩場のベンチを、かなり真剣に何枚か撮った。白い塗装の剥げかけた、ところどころに錆の浮いている<朝日と夕日の見えるベンチ>。これまで、どれだけの人間が、どれだけの思いを抱いて、このベンチに座ったのだろうか。自分もその一人だろう。だが、こう思うことが嫌ではなかった。周りを見回してごらん。圧倒的な海だ。いまでは、この大海の一滴であることを受け入れていた。つまり<一滴にすぎない>のではなく<一滴である>わけだ。なぜか、この岩場のベンチには、哲学的な思索?を深める力があるようだ。

 岩場を下りた。撮り歩きしながら戻った。何人かの観光客とすれ違ったような気もする。高い椰子の木を左側に入れて、青空に伸びあがる八角形の白い灯台も撮った。半逆光で、構図的にもよろしくない。が、撮らずにはいられなかった。南房総の旅が終わりかけている。

 船溜まりに戻ってきた。念のために公衆便所に寄った。例の破損した安っぽい三脚が、まだ洗面台の脇にたて掛けられたままだ。外に出た。公衆便所を正面から一枚だけ撮った。何度この便所で用を足したことか?とはいえ、数えようとは思わなかった。ついでに、そばにあった、案内板も撮った。意味はない。ほんの気まぐれだ。船溜まりがあり、土産物屋の大きな看板があり、鳥居があり、木立があり、その上に白い灯台の頭がちょこんと見えていた。さ、家へ帰ろう。<9時 野島灯台 出発>とメモにあった。

 車に乗った。ナビを一応自宅にセットした。山越えして、館山の市街地に入った。広い二車線の道を走っていた。路肩にずうっと、高い椰子の木が見える。たしかに南国風の景色だ。その景色もトンネルの前で終わる。トンネルを出て、右折。高速道路に入った。一回、パーキングでトイレ休憩したような気もする。

 その後は、一気にアクアラインまで走った。天気は上々<10:30 海ほたる>到着。駐車場はさほど混んでいなかった。施設内のエスカレーターに乗った。見回すと、けっこう人がいる。最上階まで行った。展望デッキになっている。おいおい、平日だよな?ここにはもっと人がいた。みんな、観光気分なのだろう、楽しそうだ。展望デッキの先端が、最高の景観らしく、柵沿いに人が数珠つながりだ。ちょっと写真撮影は無理だ。

 戻って、人のいないところを探した。藤棚のような休憩所があり、日陰だ。縁が座れるようになっている。そこで、四、五分待機したのだろうか、立ち上がった。展望デッキを見に行った。少し空(す)いた。いまなら、柵際をゲットできる。階段を下りた。そう、なぜか、階段になっていた。その時は疑問に思わなかった。おそらく、あとから、エプロン型の展望デッキを施設本体に接続したのではないのか?いや、よくわからない。

 とにかく、展望デッキの先へ行った。東京湾を眺めた。天気は良かったが、二度目ということもあり、まあ、これといったこともなかった。いや、彼方にスカイツリーが見えた。あとは、黄色いブイのようなものが・手前の海中に何本が立っていた。目立つ!その時は、なにも考えずに、写真を撮った。だが、いま調べると、<東京湾アクアライン海ほたる灯標=とうひょうA.B.C.D>及び<同西方(にしがた)灯標>という立派な名前がついている。しかも、この五灯は、夜になれば光を出して、海ほたるの北側?を守っている。言ってみれば、灯台の機能を立派に果たしていたのだ。おみそれしました!

 海ほたるを後にした。何時ころだったか、メモにも書いてない。おそらく、三十分くらい、ぶらぶらしていたのだと思う。海底トンネルを走り抜け、なぜか、分岐を間違えたのだろう、中央環状一号線に入ってしまった。行きは、中央環状二号線・山手トンネルを走ったのだ。ま、いい。さしたる渋滞もなく、銀座まわりで、五号線に入った。この地点は合流が難しいので有名だ。しかし、それも難なく通過。いやだなあ~と思っていた首都高を、行きも帰りも完全制覇!気分は良かった。

 <12:30>帰宅。さほど暑くもなく、疲れてもいなかった。そのまま、一気に片付け。車から荷物を出して、所定の場所に収納。小一時間で終了したと思う。自室に入るとき、一応決まり事だ。ニャンコに<ただいま~、帰って来たよ、オヤジ帰還>と声をかけた。

 …最近は、ニャンコのことを思い出すことも、あまりなくなっていた。白い骨壺に話しかけることもめったにない。時間の経過とともに、悲しみや苦しみが、多少癒えてきたのかもしれない。

 <日本灯台紀行>四回目、2020-9-13.14.15

南房総旅>の収支。

宿泊 房総白浜ウミサトホテル 二泊¥8800・<Goto割り>

高速 ¥9970

ガソリン ¥3200

飲食等 ¥2500 

合計 ¥25000 以上、終了。