<灯台紀行・旅日誌>2020年版

オヤジの灯台巡り一人旅。長~い呟きです。

<灯台紀行・旅日誌>2020版

<灯台紀行・旅日誌>2020 福島・茨城編

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灯台紀行・旅日誌 >2020 福島・茨城

見出し

#1プロローグ~往路               1P-7P 

#2鵜ノ尾埼灯台撮影1             7P-12P

#3鵜ノ尾埼灯台撮影2            12P-18P

#4鵜の尾埼灯台撮影3~ホテル       19P-23P

#5高速走行~塩屋岬灯台撮影1       23P-29P

#6塩屋埼灯台撮影2              29P-36P

#7塩屋埼灯台撮影3              36P-39P

#8塩屋埼灯台撮影4              40P-45P

#9 ホテル                             45P-49P

#10 番所灯台                       50P-55P

#11日立灯台撮影1               55P-61P

#12日立灯台撮影2               61P-66P

#13日立灯台撮影3               66P-71P

#14 安ホテル                       72P-76P

#15日立灯台撮影4              77P-82P

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編 #1

プロローグ~往路

 今日は、2020-11-11日の水曜日。昨日の昼頃、旅から帰って来た。これから、福島・茨城編の旅日誌を書くつもりだ。

 …塩屋埼灯台と日立灯台は、この計画、つまり<日本灯台紀行>を構想したときから、第一候補群に挙がっていた灯台だ。ちなみに、<第一候補群>というのは、ロケーションのいい、生きているあいだに絶対行くぞ、と思った灯台である。今回の<鵜ノ尾埼灯台>は、残念ながら、その候補からもれた、いわば第二候補群だった。ようするに、機会があれば、ついでに寄ってみようか、といったほどの灯台だった。ま、<鵜ノ尾埼灯台>には失礼な話だが。

この<鵜ノ尾埼灯台>を、今回の旅に加えた理由の一つに、距離的な問題がある。自宅からは340キロ、塩屋埼灯台からは100キロくらいの距離にあり、全行程ほぼ高速走行で、自分のペースでも、五時間以内で到着することができる。ここ何回かの旅で、多少なりとも、運転に自信がついてきた。片道五時間の運転は、さほど苦にならない。

二つ目の理由は、直前のネット画像の再確認で、灯台付近の枯れ果てた樹木が、やけに気になったからだ。<第一候補>選出の際にも、むろん、この光景は見ていたはずである。おそらく、その時は、景観的によろしくない、として却下したのだろう。だが今回、おそらく<ベストポジション>ともいうべき、その画像を見た時、即座に<大津波>を想起した。ちなみに<鵜ノ尾埼灯台>は、福島県相馬市に位置している。

一つ目の<うかつさ>に気づいて、早速、ユーチューブで、相馬港に押し寄せる<大津波>の動画を見た。今回現地入りして、灯台へ行く際に渡るであろう<松川浦大橋>が映っていた。その下を<大津波>が押し寄せてくる。灯台は映っていなかったが、おそらく、あの日の一部始終を、灯台は見ていたに違いない。…いや、その後の、今日までの復興の様子もだ。

もっとも、灯台は断崖の上にあり、津波に襲われたとも思えないが、そうすると、付近にあった枯れ果てた樹木たちは、<大津波>とは関係ないのかもしれない。その辺は、よく考えなかった。いや、考えられなかった。なにしろ、動画での<大津波>のインパクトが強すぎる。

ところで、灯台旅も今回で六回目になる。画像と違い、現地で、巨大な灯台に対面すると、圧倒されるのはもちろんのこと、最近では、その個体差?というか、個性を感じ取ることができるようになった。灯台、という概念ではなく、何々灯台、という唯一無比の存在であることが、なんとなく了解できるようになった。そして、灯台は、その構造物が単体で存在しているのではなく、周囲の環境と一体化しているのだ、ということも理解できるようになった。

ある意味、日当たりの悪い、見通しのない、見映えのしない場所にある灯台もあれば、その逆もある。むろん、写真を撮りたいのは、後者なのだが、だからといって、前者の灯台を無碍にすることができなくなってきた。それも、灯台の個性なのだ。自分が、だんだん<灯台オタク>になっていくのを感じる。ま、いいや。<ミイラ取りがミイラになる>という言葉もあるではないか。

とにかく、景観的にはイマイチと思っていた<鵜ノ尾埼灯台>が、あの<大津波>の目撃者だったということを理解したとたん、俄然撮りに行きたくなった。写真的にはよろしくない、あの枯れ果てた樹木さえもが、灯台の個性と思えるようになったわけだ。

一日目

2020-11-7(土)午前二時四十五分起床。昨晩は、九時すぎに消燈したものの、寝付いたのは日付が変わったころだったと思う。つまり、いくらも寝ていないわけだが、眠くはなかった。着替え、洗面、軽く食事(お茶漬け)。排便はといえば、でなかった。四時出発。一応のお決まり、ニャンコに<行ってくるよ>と声をかける。外はまだ真っ暗だった。

十五分くらいで、最寄りの圏央道のインターに入る。走り出してすぐに菖蒲パーキング、念のためのトイレ。もっとも、出発してからいくらもたってないので、ほとんど出ない。さてと、対向車のヘッドライトが眩しい。夜中の対面通行だ。80~90キロくらいで走っていたのに、バックミラーに、大型トラックのヘッドライトが二つ、みるみる大きくなってきた。おっと、ぶつかってくるのではないか!と恐怖を感じる。あおっている、としか思えないような車間距離だ。

90キロは出ている。振り切るには100キロ以上出せねばなるまい。視界の悪い対面通行では、危険な速度だろう。少なくとも自分にはできない。恐怖の時間がどのくらい続いたのか、よくは覚えていない。だが、そんなに長くはなかったと思う。そのうち、車線が二車線になる。バックミラーを見ると、大型トラックが、ハンドルを切った。自分の脇に来る。だが、俺の車だって、90キロ出ている。トラックは、なかなか前に出られず、高速道路上で、少しの間、並走した。と、その瞬間、目の前にトラックが出てきた。オレンジ色のウィンカーが点滅していたようにも思う。反射的に、アクセルから足を離し、ブレーキを踏みそうになった。

はあ~!!!外はまだ真っ暗だった。なんて野郎だ!若いころに見た<激突>という映画を思い出したよ。道路はまだ二車線だったので、脇を黒っぽいワゴン車が、猛スピードで走り抜けて行く。その小さな赤いテールランプを、何となく目で追っていると、彼方むこうで、ワゴン車のスピードがやや落ちたように思えた。前方に、さっきの大型トラックがいるのだ。ざまあみろ、とまでは思わなかったが、<あおった者が今度はあおられる>。人間社会の縮図だな。少し冷静になった。

その後も、断続的な対面通行や、片側一車線の高速走行が続いた。だが、極端に車間を詰めてくる車は一台もなかった。たまたま、嫌な野郎に出っくわしたんだ。そう思うことにして機嫌を直した。

走り始めてから二時間ほどで、つくばジャンクションに到達した。たしか、辺りが少し明るくなっていたと思う。常磐道下りに入ると、車線が片側三車線になり、急に運転が楽になった。真ん中を、90キロくらいでずうっと走って、水戸、日立、北茨城、と見知った名前の案内板を次々に追い越していった。

単調な高速走行で、いささか飽きた。トイレ休憩したのは、小さなパーキングだった。そこに、何やら、プレハブ小屋が立っていた。<放射線量>がどうのこうのと書いてある。三畳ほどのその小屋に入った。壁に、べたべたといろいろポスターが貼ってある。近寄ってみると、ここから相馬あたりまでだったかな、とにかく、一回走り抜けると0.25デシベル放射能を浴びることになる、と図解してあった。

ここで初めて、二つ目の<うかつさ>に気づいた。そうだ、<鵜ノ尾埼灯台>へ行くには、あの福島原発の横を通り抜けて行かねばならないのだ。0.25デシベルというのが、どのくらいの放射能なのか、この時は皆目見当もつかなかった。ただ、恐怖を感じたことは確かだ。走り出すとすぐに、高速道路上に掲示板があり、現在の放射線量0.1、と数字が点滅している。おいおいおい、大丈夫なのかよ!その後、広野・楢葉・富岡と通過するに従い、この線量は次第に上がって行った。そしてついに、2.2デシベル!場所的には、あの双葉・浪江あたりだった。

身を乗り出すようにして、両脇の風景を眺めた。もちろん、運転しているので、ちらちらと見ながら走っているわけだ。とにかく、何というか、田畑が荒廃している。点在する民家は、建物自体は健在なのだが、その敷地に、車が一台も止まっていない。なにしろ、ひとの気配が全くしない。ここは、映画の中でしかお目にかかったことのない、放射能で汚染された地域なのだ。

慄然とした。たかだか?2.2デシベル放射線量でビビった自分が情けなかった。日本の中に、放射能で汚染され、人の住めなくなった場所が、実際にあり、それを目の当たりにしていたのだ。ここで生まれ育った人たちのことを思った。もし、生まれ育った土地を、理不尽にも、追われなければならないとしたら、この緑豊かな場所が、放射能で汚染されてしまったら、自分ならどう思うだろう。はらわたが煮えくり返る思いだ。誰が、どう責任を取るというのだ!

だがしかし、これほどのことをしておきながら、いまだに、だれも責任を取らず、事態がよい方向へ進んでいるとも思えない。日本の中に、空白地域が依然として存在し、先祖代々営々と作り上げ、丹精してきた山間の田畑は、恐ろしいほどに荒廃したままだ。気持ちが暗くなった。人間とは、これほどに愚かなものなのか。

あの南相馬を通り過ぎた。やや、放射線量が落ちてきた。それに、何やら、民家の庭先に車が止まっている。田畑に、かろうじて緑が戻り、丹精の跡が見える。ふと、山間の道に車が走っているのが見えた。正直、ほっとした。とはいえ、この帰宅困難区域は、いったい何十キロ続いていたのだろう。少なくとも、30キロ以上はあったような気がする。ありえない!少し冷静になった頭で考えた。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#2

鵜ノ尾埼灯台撮影1

常磐道相馬インターで降りた。料金は休日割りで¥5500くらいだったと思う。一般道に出ると、そこには、見慣れた光景が広がっていた。車が忙しく行き交い、人の姿が見え、大きな看板が連なっている。目の前には自転車に乗った高校生だ。日常だ!肩の力が抜け、心が軽くなったような気がした。ナビに従い、市街地を抜けた。

相馬港が見えてきた。その向こうの岬、断崖の上に白い灯台が小さく見えた。あれだな、と思った。港に沿って、広い道路を走り、短いトンネルをくぐった。出てすぐ左側に駐車場があった。車を止めて、とりあえず外へ出た。時計を見たのだろう。まだ九時前だった。五時間はかからなかったわけだ。

反り返った、真新しい防潮堤の前に立った。目の前は、日本海灯台は、左手の断崖の上にあり、ここからは見えない。右手は、ずうっと開けていて、広い道路が海と湖を隔てているような感じ。あとでわかったのだが、道路になっているところは、砂州だったらしい。むろん<大津波>で流されてしまったようだが。

風が冷たく感じた。岬の上はもっと寒いだろう。念のために、ジーンズの上にウォーマーをはき、パーカの上にダウンパーカを着た。真冬の装備だ。しかし、これは間違いだった。小さな神社の前から、急な坂道を、いくらも登らないうちに、汗がどっと出た。迷わず、ダウンパーカは脱いで、わきに抱えた。正確には、カメラバッグの肩紐に引っ掛けて落ちないようにした。ただ、ウォーマーの方は、脱ぐのが面倒なので、そのままにした。だいたいにおいて、汗のかくところは上半身なのだ。

神社の脇を抜けて、そのまま登ると、すぐに突きあたり。案内板がある。左矢印は展望台、右矢印は<へりおす>?と書いてある。<へりおす>何のことかわからなかったが、気まぐれで、そっちへ行った。と、いくらもしないうちに、平場に出た。枯れ果てた大きな松だろうか、くねくねしたのが何本もある。岬の上で、周りは柵で囲まれていた。左方向には、お目当ての灯台、正面には、大きな碑が見えた。

まずは、対岸?の岬に立つ灯台を撮り始めた。やや遠目。それに、あろうことか、ひょろひょろした背の高い、上の方にだけ葉のついた樹木が一本、灯台の前にある。柵の前をゆっくり歩きながら、撮り歩きした。だが、どうしても、このひょろひょろの木が灯台と重なってしまう。見た目、よろしくない。灯台の立っている岬を、よくよく見ると、至る所に、同じようなひょろひょろ君が立っている。それに、なぜか斜面がえぐられた感じで、そこに、苗木が植林されている。枯れ果てた樹木の残骸も目に付く。

何が原因で、このような地形、状況になってしまったのか?はじめは、能天気にも<大津波>が押し寄せたのだろうと思った。だが、断崖はかなり高く、ここまで津波が押し寄せたとは思えない。あと考えられるのは、過酷な気象条件しかないだろう。その証拠に、柵際にも、枯れ果て、途中で折れてしまった樹木がたくさんあった。いま思うに、強い海風にあおられた結果の、塩害なのかもしれない。

ともかく、朝の三時に起きて、高速を五時間突っ走ってきたんだ。しかも、放射能に汚染された区域を通過して!もう、撮るしかないだろ。気持ちを切り替えて、撮影に集中した。柵沿いを、そろそろと歩き撮りしながら、大きな碑の横にまで来た。さらには岬の先端にまで行った。要するに、灯台が見えるすべてのアングルを網羅した。ひょろひょろ君のことは、ま、既成の事実として受け入れた。それよりも、右端に、海を入れることができたので、多少は写真になったと思った。

一息ついた。大きな碑の裏側だった。そこに説明文が刻み込まれていた。概要としては、1986年6月16日、海洋調査船<へりおす>は、処女航海として、清水港から羽幌港へ向かう途中、福島沖で悪天候に遭遇、遭難、沈没。九名の乗組員は全員死亡、みな20~30代の若者だった。痛ましい海難事故が、すぐ目の前の海で起きていたのだ。まったく知らなかったこととはいえ、厳粛な気持ちになった。ちなみに、事故の原因は、船体の欠陥との説もある。

移動。大きな碑と、曲がりくねった松に背を向け、歩き出した。灯台正面へと至る道は、すぐ見つかった。ただし、両脇は背の高い樹木。松だろうな。灯台をサンドイッチしている。小道の先に五、六段のコンクリ階段が見えた。この辺が限度だ。これ以上先に進むと、灯台の全景がカメラにおさまらない。

ま、いい。灯台の敷地に入った。ほとんど引きがないので、むろん全景写真は無理だ。<鵜ノ尾埼灯台>は、四角柱に近いが、何とも記述しがたい形で、写真を見てもらうしかない。自分的には美しいフォルムだと思う。ただ、どことなくうす汚れている。正面裏側?の、扉周辺の壁の塗料が剥げかけていて、毛羽立っている。大切にされているとは言い難い状態で、ちょっと残念な気持ちになった。その塗料の剥げかけた、灯台の胴体をスナップした。いま思えば、半ば無意識の、誰に対してでもない、無言の抗議だったのだろうか。

灯台を左回りにぐっと回って、敷地の外に出た。北側?の柵沿いの小道は鬱蒼としていて、樹木の間から、かすかに相馬港が見えるといった感じだ。少し行って、柵を左側にして、ふり返る。たしか、ネットで見たベストポジションはここだろう。だがしかし、樹木が生い茂っていて、灯台をほとんど隠している。ネット写真では、樹木が枯れ果てていて、その隙間から灯台が見えていたはずだ。…今調べた。幻覚、というか幻視だったのか、いや、単純に勘違いだろう。そのような画像は見当たらない。いや、たしかに見たのだ!とにかく、この位置取りからはまるっきり写真にならなかった。

柵沿い、樹木の隙間から、漁港が見える。おそらく相馬港だろう。いの一番目についたのが、海の中にある防波堤で、白い、豆粒ほどの防波堤灯台が立っている。ほとんど反射的に、何枚か撮って、先に進んだ。と、木製の小さな展望台があった。あ~、さっきの案内板にあった<展望台>とはこれだな。

トントントンと、五、六段階段を登った。展望台、というよりは、展望スペースだな。広さが二畳ほどで、高さが1mほど。ま、たしかに展望はいい。カメラバックをおろし、一息入れた。ついでだ、望遠カメラを取り出した。柵に肘をつけ、カメラを固定して、性懲りもなく、豆粒大の防波堤灯台を撮った。あまりに遠目で、写真にならないのはわかり切っていた。だが、なぜか、撮らずにはいられなかった。いい景色なのだ。この時、眼下の相馬港にも、あの<大津波>が押し寄せたのだ、ということはまったく忘れていた。

…おそらく、理由はこうだ。上半身、とくに背中の辺が汗だくで、かなり不快だった。パーカを脱げばいいのだが、どっこい、冷たい風に、湿った身体がさらに冷やされ、なおさら不快だ。夏場と違い、汗で湿った衣類の乾きが遅く、体の体温を奪う。うまく対処しないと、風邪をひく。早く車に戻って、着替えよう。などと考えていたのだろう。そくそくと展望台を後にした。ただ、念のために、ベストポジションであろう、<へりおす>の碑があるところに戻った。今一度、この場所での、最良のポジションで、ということは、右側に海を入れて、何枚か撮った。念には念を、というわけだ。

車に戻った。さっそく着替えた。上半身裸になって、長い綿マフラーで背中をふいた。と、そばに、ハーレーのようなバイクが止まっている。なんとなく、アメリカの白バイ仕様だ。あれっと、ふり返ると、高い防潮堤に、白髪、サングラスの爺が座りこんでいて、こちらを見るともなく見ている感じ。にこやかな雰囲気で、友好的だ。こちらから、挨拶してもよかったのだが、どうも、体調がよくない。それもそのはず、いくらも寝ていないうえに、五時間の高速走行、その後、重いカメラバックを背負い、大汗かいての写真撮影だ。だいたい、朝のウンコもしていない。下っ腹が張っているし、眠いし、頭が重い。人と話す気分じゃない。シカとして、駐車場を出た。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#3

鵜ノ尾埼灯台撮影2

短いトンネルをくぐって、すぐに右折。相馬港に入った。右側に

高い堤防があり、その下に車を縦に止められる駐車スペースがあった。ちょうどいい。というのも、その堤防越しに、岬が見え、その上に灯台が立っているのだ。海の中には、たしかサーファーが二、三人いたような気もする。外に出た。カメラ二台を手にして、岬の灯台を狙った。だが、ちょうど逆光だ。青空が白茶けている。今は無理だなとすぐに諦めた。

車を出した。今度は、だだっ広い漁港の中を、岬の上から見えた灯台はどこかな、ときょろきょろしながら、ゆっくり走った。目の前には、係船岸壁が何本もあり、釣り人で盛況だ。ただその先は、いずれも高い防波堤になっているような感じ。灯台は見えない。それに、体調不良で、もう写真なんか撮る気がしない。昼寝だな。

日差しが強いので、日陰はないかと見まわした。だが、そのような場所は、どこにもない。左手に、そう、あの<松川浦大橋>があるではないか。半信半疑で近づくと、背の高い橋脚の下に駐車できるようになっている。ただし、橋があまりに高いので、日陰にはならずカンカン照り。橋の影は道路にかかっている。ま、いい。一応車を止めて外に出た。駐車場から、コンクリ階段を数段登ると、だだっ広い公園だ。ベンチはあるものの、日陰はない。

見ると、橋の下には、運河のような流れがある。いま、地図で確認すると、この場所は、<松川浦>という砂州で区切られた湖?と海がつながっている唯一の場所なのだ。だから、<松川湖>ではなく<松川浦>だったのだ。この時は、そんなことは思いもよらず、柵沿いに数珠なりの釣り人達を見て、よく釣れるのかな、くらいにしか思わなかった。

公園の端には、真新しい簡易トイレが数基並んでいた。用を足したいような気もしたが、婆さんや爺さんが、出入りしているのが目に入ったので、行く気がなくなった。どうしてかって、野外に設置された簡易トイレほど、気持ちの悪い物はないではないか!むっと暑くて、汚くて、臭っている。しかも密閉空間だ。車に戻った。もう限界だった。日陰を探すのも面倒で、すぐにも、後ろの仮眠スペースにもぐり込みたかった。

正面からの陽射しがきつい。フロントガラスにシールドをかけようとしたら、自分がさっき上がって行ったコンクリ階段に、スケボーを手にした、三十代くらいの、人相の悪い男が見えた。ちらっと、こっちを振り返ったので、目が合ったような気もする。なんなんだよ、あの野郎は!気分がよくないので、すぐに移動。といっても行く当てもなく、漁港のだだっ広い駐車場の、周りにほとんど車の止まっていない場所を選んで車を止めた。むろん、カンカン照りの中だ。

だが、この否応のない選択は、間違いでもなかった。というのも、季節はもう、完全に秋だった。カンカン照りといっても、夏場とは違い、エアコンなしでは車内にいられない、というほどの暑さではないのだ。左右四枚の窓ガラスを少し開けた。涼しい風が入ってくる。持ち物、荷物でごった返している、うしろの仮眠スペースに滑り込んだ。

荷物どもを脇へ寄せ、自分のスペースを確保して、横になった。横になった瞬間、おしっこがしたいような気になり、再び起き上がり、例の<おしっこ缶>を取り出して、用を足した。その際、ちらっと、外が見えた。というのも、面倒なので、すべての窓にシールドを張ったわけではないのだ。と、さっきのスケボー男が、すぐそこにいる。俺の後をつけてきたのか?と一瞬勘ぐった。そうでもない感じなので、両ひざをついたまま、前をはだけた状態で、奴を観察した。

十メートルほど先にいたが、それ以上は近づいてくる気配はなく、下手なスケボーを転がしている。どう見ても、辺りの雰囲気からは浮いている。だって、ここは漁港で、ほとんどの人は釣りに来ているんだ。しかも、スケボーなんて、十代の坊やがやるものだろう。野郎は、まさか自分が、車の中から観察されているとは、夢にも思っていない感じだ。人に見られているかもしれない、という警戒心がない。無防備だ。人相の悪い、薄青っぽい服装の男は、そのうち、向こうへ行ってしまった。

体調的には、もう限界だった。ゴロンと横になって、目をつぶった。いわゆる、<側臥位=そくがい>だ。耳栓をしようかな、と思ったものの、面倒なのと、辺りが静かなのとで、そのままじっとしていた。そのうち、うとうとしたようだ。途中で、窓からの風が冷たく感じた。

起き上がって、コンソールボックスの横の<同行二人>棒を手に取り、その先っちょをブレーキペダルに押し当てた。そして、ハンドル左横のスタートスイッチを、身を乗り出し、人差し指で押した。<ブレーキペダルを踏んでスタートボタンを押す>。最近の自動車には、<キー>はないのだ。これでエンジンがかかった。さらに、運転席側のドアの側面にある、パワーウィンドウのスイッチを押して、少し開いていた、後部ウィンドーをきっちり閉めた。安心して、またうとうとした。

メモによると<昼寝―限界 便意、ほおがほてる、ねむけ、11:30~12:30 いくらもねむれない>とある。熟睡はできなかったとはいえ、小一時間、うとうとしたわけだ。少し元気が回復したのだろう、先ほどの、入り口付近の堤防の前に行き、車を止めた。外に出て、リアーウィンドーを開け、カメラ二台を取り出した。よいしょ、と堤防によじ登り、<鵜ノ尾埼灯台>を撮り始めた。太陽は少し西に傾き、逆光は、さっきよりはきつくなかった。

陽が差し込んでいるので、波しぶきが目に眩しい。サーファーの数も増えていたような気がする。写真の中に、何が面白いのか?波に翻弄される黒い人影が点在してしまう。この時は、さほど気にもならなかった。だが、あとで補正する段になって、サーファーさんたちには恐縮だが、写真的には、消し去る方がいいような気がした。

標準と望遠で、もうこれ以上、この位置からでは無理だろう、と思えるまで、しつこく撮った。要するに、撮れた気がしなかったのだ。とはいえ、撮り飽きて、今一度、岬の下あたりをじっくり眺めた。テトラポットに守られている感じで、狭い浜があるようだ。歩いて、岬の真下まで行けるかもしれない。灯台の、まだ見たことのない姿が期待できるわけだ。

堤防には、ご丁寧なことに、何か所か、砂浜に下りられる階段がついていた。むろん、サーファーたちはここを下って、海に入るわけだ。この狭い砂浜は、おそらく、相馬港で唯一の砂浜だろう。砂の上を歩いて、岬方向へ向かった。ふと右手を見上げると、岬のどてっぱらを貫いている短いトンネルの入り口が見えた。その手前には、そそり立つ防潮堤が見える。

問題はその下だ。というか、波際のテトラポットと防潮堤の間にある白っぽい石がごろごろしている場所だ。そこを通過しなければ、岬の真下には出られない。いやな予感がしたんだけれども、行けるところまで行くことにした。というのも、カメラを、一台は首に、一台は肩に掛けているので、万が一にもズッコケたら、カメラがだめになる。いきおい、慎重に歩かざるを得ない。ところがだ、これが、かなりの苦難の道で、足を出すところを目で確認してから、一歩進むという、いわば、<沢登り>に近い感じになってしまった。

波際には古いテトラポットがあり、それらは、あの<大津波>に襲われて、ひっくり返ったり、破損したりしている。なので、新しいテトラが、投入された。だが、新しいテトラが、びっしり、防潮堤まで積まれているわけではない。その間に、大小の石が敷かれている、というか、撒かれているのだ。大きいのは、一抱えもあり、小さいのでさえ、こぶし大だ。非常に歩きづらい。

それに、防潮堤は、岬の先端に向かっているのではなく、どてっぱらを貫通しているトンネルの前あたりで、中途半端なまま切れている。となれば、その後は、むき出しの断崖絶壁がそそりたっているわけで、その下のわずかな空間、ま、言ってみれば、多少の砂地なのだが、そこに大小の石がばら撒かれているだけだ。

岬の先端に近づけば近づくほど、足場は悪くなり、しかも、灯台は見えにくくなる。当たり前だ。思いっきり見上げたところに灯台があるわけで、すでに半分くらいは樹木に隠れて見えない。そんなことはあり得ないのだが、一瞬、今地震が来たら、一巻の終わりだと思った。なぜって、断崖が崩れ落ちてきたら、逃げようがないだろう。足場は悪く、走れない。そのうち、あせって転んで、カメラをだめにする。しかも、足に怪我をして、なかなかこの海辺から避難できない。サーファーたちは、とっくに避難して、周りには誰もいない。声を限りに助けを呼んでも、無駄だ。そのうち、大津波が来て、一気に飲みこまれてしまうのだ。

やめよう!妄想だ。だが、これほど極端ではないが、嫌な予感が当たってしまった。ほぼ岬の先端にまで到達して、樹木にほとんど隠れた灯台を、これでもかと撮って、引き上げた。テトラや大小の石の間を、例の<沢登り>の要領で、渡り歩いていた時、足の裏が変な感覚になった。踏ん張りがきかないのだ。あれ~、と思って、下を見ると、黒いコールタールのようなものが目に入った。なんだろう、と摘み上げてみると、足形だった。なんで?一瞬、間をおいて、気づいた。左足の靴の底がつるつるしていたのだ。

おわかりだろうか、過酷な<沢登り>歩行により、靴底が剥がれてしまったのだ。<ダナー>というブランドで、本革の、底が凸凹しているウォーキングシューズだった。ただ、購入したのが、十年以上も前だった。ま、それにしても、靴本体と底が、接着されているとは思いもしなかった。経年劣化で、その接着剤がきかなくなり、剥がれたのだ。まさに、青天の霹靂だった。仕方ない、帰宅したら、接着剤で張り合わせてみようかと、その黒いコールタールのような足形を、指先でつまんだまま、引き返した。何しろ、ポケットにしまうにはデカすぎたのだ。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#4

鵜ノ尾埼灯台撮影3~ホテル

悪路、というか、人間の歩行の限界を試しているかような場所から、やっとのことで、滑りも転びもせず、砂浜にたどり着いた。陽が少し西に傾いている。海の中にいるサーファーの数も減っていた。週三日のジム通いで、年寄りなりに、足腰は鍛えているつもりだったが、その根拠のない自信はもろくも崩れていた。膝がガクガクなのだ。 

だが、もうひと頑張りだ。いや頑張ろうとすら思わなかった。あたりまえのように、また、<鵜ノ尾岬灯台>へ向かった。漁港を出て、先ほど浜辺から見た短いトンネルをくぐった。今日二回目の灯台下の駐車場だ。車がけっこう止まっている。たしか、カメラ二台だけ持って岬を登り始めたのだと思う。いや、忘れた。カメラバックに三脚は取りつけず、中に飲料水だけを入れて背負っていたのかもしれない。

残念なことに、雲が出てきた。午前中と同じ道順で、灯台を撮りながら、岬を巡った。家族連れに何組か遭遇した。印象に残っているのは、<へりおす>の碑から、とって返した時、向こうから来た、老年夫婦と会釈して、二言三言、言葉を交わしたことだ。はじめ、十メートルくらい先に、旦那が見えた。勘違いかも知れないが、こちらに何度も、会釈しているように見えた。そのあと互いに近づいて、すれ違いざまに、<こんにちは>と言葉を交わした。腰の低い、純朴で穏やかな旦那だった。

さらに、旦那の少し後ろにいた奥さんが、<どちらから来たんですか>と話しかけてきた。<埼玉からです><そうですか>。気弱な旦那を支えている、気丈な農家の母ちゃん、という感じがした。自分としては珍しく<今日は、風もなくていい天気ですね>とお愛想を言った。

老夫婦が柵沿いに並んで、岬の灯台を見ている。立ち去りながら、その姿を背中で感じた。よい人たちに出会ったと仄かに思った。

一度、正確には二度、灯台の周りを巡っているので、今回で三度目だ。撮影ポイントは、おおよそわかっていたから、あせることもなく、余裕をもって撮り歩いた。午前の撮影と違い、雲が出てきて、明かりの具合がよくない。そのうち、これ以上撮っても無駄、と判断した。そのあとは、少し観光気分になって、写真撮影を楽しんだ。

引き上げ際、岬の中ほどの山道で立ち止まった。眼下の<松川浦>がオレンジ色に染まりかけている。静かな湖面に、規則正しく細い棒のようなものが並んでいる。あとで知ったが、海苔の養殖をしているようだ。ただ、その中の浮島には、枝だけになった樹木たちのシルエットが見えた。<大津波>に襲われ、生き残った樹木たちだと思った。さらに、ほかにも、やや大きめな浮島がいくつかある。じいっと見た。コンクリで周囲を修繕してある。景観的にどうのこうの、というよりは、なにか無残な感じがした。と同時に、郷土の美しい景観を愛し、懸命に保存しようとしている人間の心を感じた。

さらに、岬を下りたあたり、断崖の窪みに、比較的新しいお地蔵さんたちが、いっぱい並んでいた。案内板を斜め読みしたが、頭に入ってこなかった。幸い写真に撮っておいたので、帰宅後に読むことができた。一度目は戦争、二度目は<大震災>で荒廃してしまった地蔵尊を、その都度、地元の有志が再興してきたようだ。最果ての岬に、ひっそりたたずむ石仏たちには、人間の祈りが込められていたのだ。

静かで、美しい夕景だった。最後に、もう一度、漁港に入って、防波堤から、岬に立つ灯台を狙った。もしかしたら、雲間からの夕陽が、白い灯台をオレンジ色に染め上げるかもしれない、と期待した。ま、そんな奇跡は起きなかった。時間は、午後の三時過ぎだったと思うが、空は、雲に覆われ、ややうす暗くなっていた。防波堤の下では、サーファーたちが帰り支度をしていた。

さあ、引き上げよう。ナビに宿泊するホテル名を読み込ませた。今日は、朝の三時前から動き始めて、車の運転と写真撮影、ほぼ十二時間活動したわけだ。われながら、この歳で、よくやれたと思った。というか、さほど疲れていない。昼の小一時間の仮眠がきいたなと思った。ただ、下っ腹が張っていて、やや不快。ホテルの温水便座で排便したかった。

相馬駅近くのホテルまでは、すぐだった。どこをどう走ったのか、途中でセブンに寄って食料も調達したのだが、ほぼその一切の記憶が飛んでいる。ホテルの受付には、黒いスーツを着た若い女性が二人いた。いや、まだ女の子といった方がいいかもしれない。コロナ関連の書面に署名して、説明を受けた。その説明が、たどたどしくて、客慣れしていない。ちょっと前までは、地元の高校生だったのだろう。前金で一泊¥4147だった。そうそう、それから最後に<地域クーポン券>¥1000分を受け取った。

エレベーターに乗って、部屋へ行った。やや狭いが、こぎれいな感じで、備品などはきちんとそろっている。念のため、冷蔵庫の中に手を入れてみると、ややヒヤッとした。大丈夫だ、冷えている。おそらく、その次には、ユニットバスの中に入って、温水便座で排便したのだと思う。どのくらい出たのか、確認はしなかったが、下っ腹がすっきりしたような覚えがある。

その後、ホテルのパジャマに着替えて、荷物整理。と、空気清浄機が床と細長い机の上に、それぞれ一台ずつあった。さらに、その机の上には、コーヒードリップのような器具もあったが、ひと目見た感じでは、使い方が理解できなかった。あとで見てみよう。それよりも、先にメシだな。保冷バックで冷やしておいた、ノンアルビールの栓を指で開け、セブンで買ったハンバーグ弁当を食べた。あたためてもらったので、まだ少し暖かくて、まずくはなかった。そのあとは、<昼寝 5時>、とメモにあった。

<7時頃おきる 少し体力が回復 風呂・頭を洗う 日誌をつける モニターなど 九時すぎにはねるつもり>。ノートに記したメモである。比較的マメに書いている。ボールペンで文字を書く習慣がなくなって久しいが、灯台旅を始めて、日誌をつけるにあたり、メモ書きの必要に迫られたわけで、少し慣れてきたのだろう。何しろ、記憶力が弱っている。まったく思い出せないことが多々あるのだ。そんな時、メモ書きを読むと、思い出せることもある。

ところで、少しつけ加えよう。旅先、それも初日にホテルの風呂場で頭を洗う、などとは、自分の常識にはないことだった。だが、何というか、融通が利かなくなったのだろう、火木土はジムの日で、その日は頭を洗う、という習慣が身に沁み込んでしまっているのだ。もっとも、一日おきの洗髪は、最近の習慣で、これは、自分の加齢臭にうんざりして、決めたことだ。頭をかいた指先を鼻に持っていくと、独特の臭いがする。この臭い、加齢臭は、洗髪を二日あけると、強烈になる。一日おきが限界だ。世間や他人が、問題なのではない。年寄りくさい臭いのする、自分が嫌なのだ。 

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#5

高速走行~塩屋埼灯台撮影1 

二日目

<6時前に起きる 昨晩夜8時前後に物音 人の出入り うるさい 夜中になってからは静か ほぼ1時間おきにトイレ>。あまり、よく眠れた感じでもなかった。だが、何しろ、寝たのが早い。おそらく、九時過ぎには寝ていただろう。眠りは浅いが、時間的には十分だ。それに、お決まりのように、六時過ぎたころから、ガタガタうるさいのがビジネスホテルだ。ぐずぐずしないで、さっと起きた、ような気がする。まずテレビをつけ、さっと洗面をすませた。朝食は菓子パンと牛乳、それと、持ち込んだ、皮をむくと、ところどころ黒くなっているバナナ。たいして腹も空いていない。これで十分だ。

排便を試みたが、ほんの少ししか出なかった。着替えて、荷物整理。それと、ざっと部屋の整頓。最後に、これもお決まり、部屋の写真を撮った。窓は嵌め込み式で、細い針金の入った強化ガラスだった。見ると、街並みの向こうに低い山並みが見える。少し紅葉している。左から朝日が昇っているようで、町全体が仄かなオレンジ色に染まり、建物に長い影ができている。いわば、地方都市の、静かな朝だ。窓越しに、何枚か撮った。この時<大震災>のことは、まったく失念していた。

<7:00 出発 近くのローソンで地域クーポン¥1000 消化 (鯖缶3 牛乳 おにぎり)>。付け加えよう。地域クーポン券で、夕食などの食料を調達するのが、一番経済的だと思った。だが、朝っぱらから、夕食の弁当を買うわけにもいかないだろう。車の中に置いておく時間が長すぎる。それと、クーポン券は相馬市でしか使えないのだ。このまま高速移動してしまえば、無駄になる。で、常備食糧である<鯖缶>なら、買っておいても無駄にはなるまい、と考えたわけだ。小者の考えそうなことだ。何とでも言え!

<7:20 高速>。相馬インターから小一時間、高速走行。今日は、昨日来た時とは違い、放射線量に対する恐怖心もなく、興奮もしていなかったので、帰宅困難区域の惨状を、運転しながらではあるが、じっくり見定めた。まずもって、整然と区画されている田畑が、草ぼうぼう。住居は健在だが、人の気配が全くしない。これは昨日も見た光景だ。さらに今日は、変にのっぺりした、更地になった田畑だ。そのすぐ横は草ぼうぼう。なるほど、そばに除染した土嚢袋が並んでいる。

なんだか、頭がくらくらした。あんなことをやっても、無駄なのではないか。いや、無駄ではないかもしれないが、どのくらいの時間と労力がかかるのだろう。おそらく、誰も答えることはできまい。田畑の除染がいかほど有効なのか。さらに、広大な森や林は、除染の対象にはならないのか。畢竟、除染は田畑だけでいいのか。放射能で汚染された土地と空間はどうなるのか。もっと言えば、そこで生息している生き物や植物はどうなるのか。何もかもがデタラメで、小役人が小細工を弄しているようにしか思えなかった。世界の空白、喪失、人間への不信感で、頭が膨れていくような気がした。

<四倉>で高速を降りた。たしか、来る時にトイレ休憩した小さなパーキングの名前も<四倉>だった。料金は¥1500くらいだった。一般道に入った。そこは、田畑の中をうねうね行く、交通量の少ない地方道だった。すぐそばに低い山並みが見える。旅に出れば、よく出くわす、見慣れた光景で、刈り取りの終わった稲田は、どこか清々していて、長閑だ。生命力がありすぎて、刈り取られた後でも成長し続け、青葉が出てくる。以前、農夫から聞いた話で、秋冬に、稲田が緑になっている理由だ。唐突だが、<いのち>のかけがえのなさを思った。それゆえに、なおさら、憤怒した。

塩屋埼灯台の案内標識が出てきた。左手に海が見えてきたと思う。と、彼方向こうの岬の上に、逆光でぼうっとしている灯台が見えた。防潮堤沿いに広めの駐車場があり、トイレらしき建物も見える。車を入れる。外に出て、望遠で灯台を狙うが、遠目過ぎて勝負にならない。しかも、モロ逆光だ。用を足して、すぐに道に戻る。

さらに、海岸沿いの広い道を進んでいくと、何やら、ガードマンがいて、通行禁止らしい。窓開けると、女性のガードマンが来て、この先は、灯台までしか行けません、と言う。灯台を撮りに来たんで、と言って通してもらう。左側は依然として巨大な防潮堤。駐車スペースはあるものの、柵で仕切りがしてある。止めることはできない。そのまま突き当りまで行く。

土産物店らしき建物があり、駐車場になっている。ネットで見た、美空ひばりの碑と、写真付きの大きな掲示板もある。ちなみに、なんで<美空ひばり>なのかと言えば、<みだれ髪>という曲が塩屋岬を題材にしているからだ。写真付きの黒御影の碑の前に立つと、あとで知ったことだが、センサーがついていて、ひばりちゃんの歌声が流れる仕掛けになっている。若い頃、美空ひばりの歌はひと通り聞きこんでいたので、むろん、<みだれ髪>も知っている。サビの♪塩屋の岬♪の部分は、頭にこびりついている。昭和の大歌姫、日本の女性歌手の中では一番好きかもしれない。なにしろ、歌がうまい! 

戻そう。ちょうど、灯台への上がり口の前が空いていた。駐車して、装備を整え、いざ出発、灯台に登り始めた。これが意外に急で長い。途中に眺めのいい所があったので、一息入れた。北東側の海だ。きれいに弧を描いた砂浜があり、海の中に、白い防波堤灯台らしきものが見える。ここにも<大津波>が押し寄せてきたのだろう。海沿いの、今さっき通ってきた広い道は、真新しい高さ五メートル以上もある防潮堤で、がっちり守られていた。いちおう、首にかけているカメラで、この光景を何枚か撮った。ただ、新設された道路や防潮堤は、いまだに、この景観の中に溶け込めていないようで、少し違和感を感じた。

さらに登っていくと、視界が開け、目の前に、背の高いステンレスの柵が見えた。どうやら、灯台敷地の入り口だ。その手前は、やや広い、コンクリのたたきで、まず目に入ったのは、白い大きなラッパだ。これは、灯台巡りを始めてからは、よく目にするもので、<霧笛>だね。あとは、断崖側に柵があり、その向こうに、岬に立つ白い灯台が見える。長い紐にくっついている万国旗が風になびいている。十一月の一日が、<灯台の日>だそうで、なにか催しをやったのだろう。その名残だな。

さっそく、柵に肘を立てて、何枚か撮った。だが、逆光気味で、よろしくない。ポーチに結び付けている<磁石>を見たのかもしれない。太陽の位置を確かめた。おそらく、午後になり、陽が傾けば、順光になり、灯台に日が差すはずだ。余裕だった。何しろ、今日は、陽が沈むまで、灯台で粘るつもりだったのだ。

灯台の敷地をがっちりガードしているステンレスの門をくぐった。左手が受付、正面右には、東屋があり、その下にテーブルとベンチも置かれている。なるほど、目の前は海だから、最高の休憩場所だ。受付で、念のために聞いてみた。あとでまた灯台を撮りに来るので、再入場できますか、と。大丈夫です、と受付のおばさんの声が聞こえた。しぶしぶ、というよりは、快く承諾してくれた感じが声音でわかった。ちなみに、自分のおばさんへの言葉は、実際には、ここで記述したようなものではなかったはずだ。もっと、何というか、要領を得ない、まどろっこしい日本語だったと思う。もっとも、こちらの真意は伝えられたのだから、問題はない。だが、もう少し、ゆっくり、言葉を選んでちゃんと話すことだってできたはずだ。それができない自分が、バカに思えることもある。しかし、また一方では、真意が伝われば、バカに思われてもいいや、と開き直っている自分もいるのだ。

¥300払って、建物の横から灯台へ向かう広めの階段道に入った。両側が、やはりステンレスの柵で、そこに、地元の小学生たちだろう、子供たちが描いた灯台の絵がずらりと並べられていた。その絵たちに興味を持ったが、まずは灯台撮影だ。いつもの作戦で、撮り歩きを始めた。しかしね~、これはむずかしい!まずもって、階段道は、灯台と直線で結ばれているわけではなく、正確には、灯台入り口前の、ちょっとした広場へ向かっているのだ。

どういうことかと言えば、画面に、必ず、階段道の柵が入ってしまうのだ。断崖側の柵から身を乗り出してもだめで、いっそのこと乗り越えようかとさえ思った。だが、さすがにこれは自制した。人目をはばかる行為で、観光客がひっきりなしだ。それに、柵と断崖との間は、きれいに整地された、二メートル幅くらいの赤土で、足場の確保もおぼつかない。柵があるのには理由があるのだ。

なるほどね、ネットで見た写真が、みなイマイチなのが、よ~く理解できた。つまり、この階段道からの写真は、誰がどう撮っても写真にならないんだ。ま、それに、明かりの具合も、やや逆光気味。なんだか、緊張の糸が切れてしまった。いちおう、海側の柵に寄りかかりながら、眼下の、防波堤灯台を望遠で狙ったりもした。もっとも、こっちは、まるっきりの逆光で、全然写真にならない。

おそらく、ここまで、これといった写真は、一枚も撮れないまま、灯台本体の入り口まで来てしまった。もう、灯台の全景は撮れない。巨大すぎて、カメラの画面にはおさまらないのだ。ま、それでも、灯台の周りを、360度歩いた。白い胴体を見上げては、風になびく万国旗などをしつこく撮った。灯台写真というよりは、素人の観光写真だね。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#6

塩屋埼灯台撮影2

ところで、塩屋埼灯台は参観灯台といって、登れる灯台である。だが、今回も、登らなかった。理由は三つだな。ひとつ、登るのが大変。螺旋階段が急なうえに狭い。カメラバックが邪魔になるんだ。二つ目、観光客が多くて、密になる。三つ目、灯台からの眺めは、おそらく最高だろうが、自然の景観は、すでに満喫している。これ以上はノーサンキュー。それに、高い所がやや苦手。

さらに付け加えれば、観光に来ているんじゃない、写真を撮りに来ているんだ、という気持ちがどこかにある。まだ仕事?が残っているわけで、今度は、階段道を下りながら、海沿いの柵側から、撮り歩き、というか、撮りながら後退していった。結果としては、もっと悪かった。まったく写真にならん。とはいえ、時間には余裕があった。このまま、あっさり、灯台を下りるのも何となく、もったいないような気がした。そうだ、子供たちの灯台の絵を写真に収めて、帰ったらゆっくり見よう。というわけで、ワンカットに、三枚くらいおさめて、順次、撮り始めた。

ところが、柵の両側に、それも、思いのほかたくさんあったので、撮るのに骨が折れた。絵の飾ってある位置が、目線より低いので、その度、片膝をついて撮らざるを得なかった。途中でやめてもいいのだけれども、やり始めたことを最後までやり遂げたかった。つまらん意地を張ってしまったわけだ。ま、たしかに、子供たちの絵は、素朴で楽しい。色使いも鮮やかだ。もっとも、先生が?そういう絵を選んだのだろう。ということは、幼い目に、というよりは、一般的に、人間の目に、灯台がどのように映っているのか、というふうに考えてもいいわけだ。なるほど、興味を持った所以である。

残念ながら、帰宅後も、子供たちの絵をちゃんとは見ていない。というのも、この旅日誌と、千枚を越える撮影画像の選択や補正に追われているからだ。誰に追われているのかって、自分にだ。この二つの仕事?を終わらせない限りは、次の旅には出ないと決めている。むろん、決めているのも自分だ。

話しを戻そう。とにかく、最後の方はうんざりしながらも、柵に並べられた子供たちの絵を、すべて撮り終えた。もっとも、海側の絵は、デイライト撮影したから、絵に光が映り込んで、見づらくなったものもある。だが、そのくらいの手抜きは、勘弁してもらおう。

受付の裏というか、横に展示室のような部屋があった。通路際のドアが開いたままなので、何となく、二、三歩中へと踏みこんだ。うす暗い感じで、人が何人かいた。<蜜>になるのも嫌だったし、それに、資料などを見る気分でもなかったので、すぐに出た。まあ、灯台には登らない、展示室も見ない、ただただ、灯台の写真撮影のことしか頭になかったわけだ。

それでも、一息入れる余裕はある。何と言っても、体が資本だからね。敷地内の端の方、海に面した柵際の屋根付き休憩場へ行った。一番手前のテーブルに、カメラバックをおろし、ベンチに腰かけたかも知れない。よくは覚えていない。ただ、三つあるテーブルの上に、何やら、張り紙ある。要するに、コロナ禍の中、ここで食事をするのはやめてください、それでもやるのなら、<自己責任でお願いします>とのこと。なにか、ちょっと引っかかった。最後の<自己責任云々>の文字は必要なのだろうか、と。

アルミの門をくぐって、敷地を出た。何と言うか、正確には、敷地外敷地とでもいうべきか、おそらく、灯台撮影のベストポジションであろう場所に、今一度立ち寄った。柵の向こうは断崖で、岬の上に立つ白い灯台のほぼ全景が、横から見える場所だ。だが、来た時と同じ、いや、もっと悪かったかもしれない。逆光、それに背景の空には、うろこ雲がびっしり。青空はほとんど見えない。二、三枚撮って、踵を返した。ある意味では、灯台の全ての敷地?を後にして、階段を下りた。下りは楽だった。あっという間だった。

駐車場に降り立った。海辺側の、コンクリ階段を五、六段下りると、見るからに汚い公衆便所があった。ま、そういうことは、考えないことにして、用を足した。ジーンズの前のチャックが、ちゃんとしまっているか、半ば無意識のうちに確かめたと思う。そう、なぜか、このジーンズ、閉めたつもりが開いていることがあるのだ。<社会の窓>が、もう死語かな、開いているのほど、おかしなことはない。それも、ちゃんとした服装をしていればいるほど、そのおかしさは増大する。おそらく、一度ならずとも、自分も笑われたことがあるに違いない。もっとも、親切心を出して、見ず知らずの人に、あいてますよ、と言うのも変だろう。自分も、これまでに、注意されたことはない。

え~と、薄暗い、臭い公衆便所を出た。ふと、見上げると、切り立った断崖の上に、灯台が少し見えた。もう少しよく見える位置があるはずだ。砂浜の方へぶらぶら行った。小さな船溜まりがあり、砂浜とは、低い防波堤で区切られていた。その先端の方には、釣り人が何人かいた。船溜まりの手前で止まった。まるっきりの逆光だった。灯台の、ちょうど頭の上あたりに太陽がある。写真は無理だ。振り返って、高い防潮堤に守られている、砂浜の方を見た。あとで、明かりの具合がよくなったら、あっちの方にも行ってみようと思った。

引き返した。どこからともなく、歌声が聞こえてきた。もちろん、ひばりちゃんの<みだれ髪>だ。駐車場に上がった。海側の柵の前に、立派な碑と大きな写真看板がある。迷うことなく、一枚だけ撮った。だが、碑や看板には、それ以上近づかず、掲載されている写真や文字もみなかった。何しろ、今の関心は<灯台>なのだ。ただ、心地よい海風の中、かすかに聞こえてくる歌声に、一瞬耳を傾けた。<淡谷のり子>のような歌声だなと思った。それに、たしかに、最果ての岬にはぴったりだ。やぼったい、貧乏だった昭和の時代を思い出したのかもしれない。

車に戻った。たしか、着替えたと思う。背中が汗びっしょりだった。そのあと、駐車場を出て、海沿いの広い道を走った。行先は、塩屋埼灯台から見えた、海の中の白い防波堤灯台だ。来るときに、<賽の河原>という看板があり、面白そうだと思った。方向としては、同じだ。右折して、うねうね走っていくと、何となく行き止まり。右手を見上げると、岬の上に、墓石のような、石仏のようなものがたくさん見える。<賽の河原>なのだろう。だが、どのように行くのか見当もつかない。それに、お目当ては、防波堤灯台なのだ。

回転して、今来た道を戻った。カンを働かせて、工事中のだだっ広いところを走っていくと、漁港らしきものが見えた。ちょこんと灯台の頭も見える。中に入っていくと、けっこう車が止まっている。係船岸壁が釣り場になっていて、釣り人がたくさんいる。たらたら、辺りを見ながら走って、突き当りの防波堤の前まで行った。辺りに車がたくさん止まっているので、かまわず駐車した。

カメラを持って、背丈以上ある防波堤の前に立った。都合の良いことに、短い梯子が立てかけてある。上には釣り人が何人かいた。臆することなく、まず、カメラを防波堤の上に置き、身軽になって、その梯子を上った。ま、カメラを落とさないように、用心したのだ。防波堤は、何というか、海に向かって、コの字型に伸びていて、その先端に灯台がある。もっとも、登ったすぐ横に金網があり、仕切られている。要するに、そこから先は立ち入り禁止で、灯台には近づけないのだ。いや、灯台の根本あたりに、何人か釣り人がいるぞ。

まあいい。金網の反対方向へ向き直り、お決まりの、歩き撮りだ。明かりの具合も良く、いい天気だった。と、女性が一人、座りこんで釣り糸を垂れている。タバコを吸っているらしく、臭いが、どこからともなくしてくる。ちらっとみたら、おばさんではあるが、どことなくあか抜けている。ま、言ってみれば、さばけた感じの、美人だった。一人で来ている筈はないと思った。一応、防波堤上での、ベストポジションを見つけて、何枚も写真を撮った。灯台の根本に釣り人がいて、映り込んでしまうのが、気になったのだ。

ところで、この時点では、この防波堤灯台の名前を知らなかった。ちなみに、今調べました。<豊間港沼之内沖防波堤灯台>。ただ、あの時も思ったのだが、ペアである<赤い防波堤灯台>が、見当たらない。今一度、ネットでよく見ている、二つの<灯台サイト>で確かめたが、それらしきものの記載はない。防波堤灯台が、白と赤のペアであるということを知ってからは、知らず知らずのうちに、白の相手の赤、赤の相手の白が気になるようになっていた。

ある程度のところまで行って、引き返してきた。防波堤を下りようとしたら、すぐそばにいた釣り人が、金網をうまくかわして、向こう側の堤防に飛び移った。なるほど、手で金網をつかんで体を支え、右足を脇にあるテトラポットの尖った部分におき、そこを支点に回転しながら、向こう側に飛び移るわけだ。やってやれないこともないなと思った。しかし、以下三つばかりの理由で、実行しなかった。カメラを首から下げているわけで、身軽に飛び移るわけにもいかない。爺だしね。それから、灯台の根本には、依然として釣り人がいるのだし、写真的にも、ベストポジションではないような感じがする。

それに何よりも、立ち入り禁止だ。先日、テレビで見た、立禁の堤防に出入りする釣り人の映像を思い出した。自分が釣り人で、よく釣れるのがわかっているなら、そして、みんなやっているのなら、金網や柵を乗り越えるだろう。だが、モノになるかならないか、おそらくロクな写真しか撮れないだろう。そんなことのために、わざわざ、多少の危険を冒し、多少の罪悪感を感じながら、立禁の網を乗り越えることもあるまい。と、大人の判断をしたのだ。

先ほどの、中年のさばけた美人は、同じ場所で釣り糸と垂れていた。そばに大柄な、黒っぽいオヤジがいて、何か話しかけていた。連れではないなと思った。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#7

塩屋岬灯台撮影3

港を後にした。海沿いの道に戻り、少し走り、高い防潮堤沿いの駐車場へ入った。朝来た時にも寄った場所だ。外に出ると、太陽が眩しかった。塩屋埼灯台の立っている岬を見た。ぼうっと霞んでいる。モロ逆光。ということは、岬の反対側へ行けば、順光だろう。比較的きれいなトイレで、用を足し、駐車場を出た。

海沿いの道を、ガードマンのいるところまで行って、右折し、回り込むようにして、岬の反対側に出た。ところが、岬の真下へと続く道に、またしてもガードマンだ。漁業関係者以外、立ち入り禁止だと言う。窓を開けて、すぐそこに見えている、防波堤灯台を撮りに来たんだ、と言ったが、褐色に日焼けた小柄な爺は、要領を得ない。立ち入り禁止の一点張りで、そのうち、少し離れた立看板のそばにしゃがみこみ、迂回路の地図を指さしながら、なにやら、塩屋岬灯台へ行く道順を説明している。ラチが明かない。わかったわかったと、フロントガラス越しに、手で合図して、車を回転させた。

さてと、ここからは、カンを働かせていくしかない。ナビのセットなんか、いちいち面倒なのだ。適当なところで、信号のない交差点を左に曲がった。なんだか、辺りが、だだっ広い。きれいに整地されている感じで、ところどころに、新築の住宅が建っている。なるほど、あの<大津波>に襲われた区域なのだろう。さらに、周りをきょろきょろしながら走っていくと、左手に、がっちりした、巨大な土手だ。ひと目でわかった。防潮堤だ。

辺り一帯が、公園化されているようで、少し先に、休憩所や駐車場らしきものが見えた。少し考えて、土手下の道に路駐した。すでに、灯台を背中に背負っているわけで、これ以上、遠ざかるわけにはいかない。幸い、交通量は全くない。むろん、駐禁の紙を張られたり、タイヤに線を引かれることもあるまい。何しろ、すべてが押し流されてしまった場所なのだ。外に出た。カメラ二台、それぞれ首と肩にかけ、整備されている土手の階段を登った。

土手の上は広い道になっていた。灯台とは反対方向へと、その道は、砂浜に沿って伸びている。ちょうど、昨日見た、<鵜ノ尾埼灯台>の下にあった巨大な防潮堤と、同じようなロケーションだ。ただ、ここの方が、はるかに規模が大きい。万里の長城を、一瞬、想起したほどだ。眼下には、穏やかな、暖かい褐色の、きれいな砂浜が広がっていた。天気も最高だ。ここに居るだけで幸せだ。だが、その砂浜の背後に、<万里の長城>が聳え立ち、連なっている。<大津波>が、人間にどれほどの恐怖と被害を与えたのか、よく理解できた。

土手の下は、広い道路になっていた。左方向は、塩屋岬の下で行き止まりのような感じ。ただ、右方向は、どこまでも続いている。はるか彼方に、小さく岬が見える。あそこがどこなのか、見当もつかない。広くて長い階段を下りた。正面からの太陽が眩しかった。新設の道路と砂浜の間にも、コンクリの真新しい防潮堤があった。これは、さほど高いものではない。見回すと、砂浜に下りる専用の階段が、間隔を置いて設置されていた。

やっと、砂浜に到達した。左手、岬の先端に、灯台の姿がちらっと見えた。位置的に、波打ち際まで行けば、もう少しよく見えるかも知れない。きれいな砂をゆっくり踏みしめながら、歩いた。と、おそらく、一つ手前の岬に隠されていたのだろう、断崖に立つ、白い灯台の全景が見えた。断崖の斜面は、一部、コンクリで固められていた。だが、ま、それにしても絶景だ。二台のカメラで、これでもかというほど撮った。ほとんど同じ構図なのだが、撮って撮っても、撮り足りないような気がした。

アドレナリンが少し収まって、岬の下あたりを、よくよく見ると、そうか、先ほど、<漁業関係者以外、立ち入り禁止>と言われた場所だ。カラフルな道路標識などが見える。さらに、そこから先の防潮堤は工事中だ。ブルーシートなどが、海風にあおられている。ということは、岬の西側?の漁港を守る工事をしているわけだ。なるほど、あのあたりが、下調べした、塩屋埼灯台を西側から撮るポジションだったんだ。

あとは、海の中にある防波堤灯台だ。灯台の上から見た奴だが、ロケーションが変わると、全くの別物。手前に、打ち寄せる波などを入れて、気持ちよく撮った。そう、波の音が聞こえていたと思う。夏場のような暑さではなく、心地よかった。海の色、というか波が緑がかっていて、それが、真っ白に砕けながら、キリもなく押し寄せてくる。

遠くの方から、波打ち際を、サーファーがボードをわきに抱えて、歩いてくる。カメラから目をはなして、どこへ行くのか見ていると、例の<漁場関係者以外、立ち入り禁止>の方へ向かっていく。そうか、ちらっと見えたが、爺のガードマンの背後、断崖の下に乗用車が何台も止まっていた。サーファーの車だったんだ。

引き上げよう。時間的には午後一時前だったようだ。いま撮影画像のラッシュを見て確かめた。なるほど、ちょうど、塩屋埼灯台の午後の撮影時間になったわけだ。砂浜から上がるために、防潮堤の階段を目で探した。階段はかなりの距離をあけて、等間隔に設置されている。だが、みな同じに見えて、自分が下りた階段が、どこなのか少し考えた。付近の空間全体を見直し、目星をつけて歩き出した。

防潮堤の階段を登り、広い道路を横断して、今度は、<万里の長城>の階段を登った。階段の上の辺りに、中年の黒っぽい男が座りこんでいて、そばに牛乳パックのようなものが置いてあったような気もする。昼食を取っているのだろう。その、防潮用の巨大な堤防の上に、変な像が立っていた。海に向かった、見上げるような男子のブロンズ像で、顔の辺りが焼け爛れている。いたずらされたのか?いや、おそらく、銅が錆びて、緑青が頭から垂れてきたのかもしれない。それにしても、異形な感じがしたので、説明書きなども読まず、ちらっと見ただけで、通り過ぎた。<大津波>による大惨事が脳裏をよぎったのかもしれない。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#8

塩屋埼灯台撮影4

堤防の階段を下りた。車に乗った。回転して、塩屋埼灯台へ向かった。灯台下の駐車場は、午前中に比べ、やや混んでいた。ひばりちゃんの碑の辺りには、観光客の姿が目立った。ふと思い出したのだろう、カメラ二台をぶらさげて、砂浜に下りた。岬の反対方向へ、少し歩きながら、灯台を見上げるようにして何枚か撮った。さらに、砂浜を歩いて、振り返り、岬の上の灯台を見た。う~ん、景色としてはイマイチだな。引き返した。

車に戻り、カメラバックに、ペットボトルの水と、ロンTの着替えを突っ込んだ。灯台の敷地で、日が暮れるまで、粘るつもりだった。といっても、そんなに長い時間じゃない。時計を見たのだろう、午後の二時前だったような気がする。日没時間は四時半だ。岬の階段を登り始めた。上から降りてくる観光客が意外に多い。ま、階段は、ぎりぎり、すれ違い出来るくらいの幅だから、さほど神経を使うこともない。とはいえ、体力的には、やはり、途中で一回息を入れた。

階段を登りきって、灯台の<敷地外敷地>に入った。断崖沿いの柵に寄りかかりながら、岬の、繁茂した樹木の中から飛び出ている白い灯台を狙った。長い紐に連なっている万国旗が、灯台にまとわりついている。風をうけて、勢いよく揺れている。一通り撮って、移動した。後でもう一度、夕日に染まる灯台を撮りに戻ってこよう。

ステンの門をくぐって<敷地内敷地>にはいった。受付を覗きこみながら、先ほど受け取った入場券?の半券を示した。即座に、おばさんの機嫌のいい声が聞こえた。快く、入場を許可してくれた。さてと、午前と同じく、灯台までの、数十メートルの階段道を、撮り歩きしながら進んだ。明かりの具合と、空の様子はよくなっているものの、灯台の布置が変わったわけではない。もどかしい写真しか撮れない。何しろ、灯台へと向かう階段道の設置場所が悪い。いや、悪い、というのは、写真を撮るうえで悪いのであって、建築上の問題とか、安全面とかでは、ベストなのかもしれない。常識的に、そういった問題が優先されるのはあたり前の話だ。

いちおう、灯台の根本まで行き、午前と同じく、灯台を見上げながら、周りをぐっと一回りした。いま思えばだが、この時も、灯台に登る気にはならなかった。というか、そういうことは思いもしなかった。夕陽までには時間もあるのだし、考えるくらいのことはしてもよかった筈だ。そうだ、観光客が、たくさんいたような気もする。<蜜>が気になっていたのかもしれない。

お決まりのように、撮り歩きしながら階段道を後退して戻った。しかしこの行為も、整地された断崖に一本だけ植わっている樹木の前までだ。そこからは、灯台の胴体と樹木が重なってしまう。せめて、この木だけでも、どうにかならないかと思った。

受付け前の広場にも、何やら人影が多い。あとからあとから、観光客が階段を登ってくる。端にある、屋根付き休憩所まで、迷うことなく歩いた。カメラバックやカメラをテーブルの上に置き、たしか、着替えたはずだ。背中が汗でびっしょりだった。給水して、柵越しに目の前の海を見た。黄金色に染まっている。何枚か撮った。

少し休憩して、<敷地外敷地>の柵の前に戻った。つまり、夕日に染まる灯台を狙えるポジションだ。どっかとその場に座りこんだ。夕日にはまだ少し時間が早かったのだ。背中に観光客のざわめきを感じながら、この日初めての、静かな時間を過ごした。というか、なんとしても、夕日に染まる灯台を撮るつもりだった。

時々、すぐ横に、観光客たちが来て、わあわあ~、たわいのない話をしていた。こちらは、ほぼシカと状態で、灯台を眺めていた。そのうち、灯台の胴体が、白から、薄いオレンジ色に変わってきた。振り返って、西の空を見ると、陽がだいぶ傾いてきて、茜色に染まっている。ここぞとばかり、数分間隔で写真を撮った。みるみるうちに、あたりがうす暗くなってきた。<秋の夕日はつるべ落とし>か。

ジーンズのベルト通しにくっ付けた腕時計と西の空とを交互に、再三見た。時間は、三時半過ぎになっていた。西の空には、なぜか、大きな雲がかかってきて、その雲が夕日を時々隠してしまう。むろん、そういう時は、灯台もうす暗くなり、写真としては、何となくさえない。かっと、西日が差す瞬間を、カメラを構えて待つわけだが、その待つ時間がじれったい。いや、考えようによっては、楽しいのかも知れない。

小一時間粘ったようだ。なんだか、退屈になってきた。というか、明かりの具合からして、これ以上粘っても、今以上の写真が撮れるとは思えなくなってきた。夕日を覆っている巨大な雲が、このあと、一気に霧散することもあるまい。それに、灯台の背景の空が西側なら、きれいに染まる可能性もあるだろうが、残念なことに、東側なのだ。青空が、少しオレンジ色っぽくなっている程度で、さほどの魅力はない。となれば、そろそろ限界で、引き上げようか。

そう思いながらも、ぐずぐずと、なかなか決断できなかった。というのは、前回の<爪木埼灯台>のことが思い出されたからだ。あの時は、あと三十分、粘りきることができなかったがゆえに、夕日に染まる灯台を撮り損ねたのだ。今回も、なんか嫌な予感がした。とはいえ、もう集中力が切れていた。未練がましく西の空を見上げたものの、すでに、それすらが、自分に対するポーズだった。

決断ができない、中途半端な気持ちのまま、カメラバックを背負った。階段を下りようとしたとき、すぐそばにいた爺・婆が、人に聞かせるような感じで、話をしていた。たしか、小柄でおしゃべりな爺さんと、婆さん二人連れだった。爺さんは小さなカメラを持っていて、多少、カメラや三脚などに興味がありそうだ。<ジッツォ>という名前も口にしていた。婆さんたちは、俺がでかいカメラバックを背負っていることに感心していた。

階段の降り口で、爺・婆たちとの距離が最大限接近した時、横で、<あのお兄さんが>という声が聞こえた。つい、その婆さんに向かって<もう、おじさんなんですけど>とサングラスを取って、軽口をたたいた。たしかに、ジーンズ姿で、頭にバンダナなどを巻いているのだから、婆さんたちから見れば、俺も<お兄さん>なのかもしれない。なんだか、うれしいような、気恥ずかしいような、気がしないでもなかった。

駐車場に降り立った。そのまま、公衆便所に直行して、用を足した。そうだ、灯台の敷地にトイレはなかった。看板にもその旨書いてあった。まあ~、年寄りが多いからね。そのあと、少し砂浜の方へ歩いて、岬を見上げた。なんと、灯台の白い胴体が、オレンジ色になっている。予想はみごとに外れて、自分が去った後も、灯台は夕日に照らされ続けている。だが、もう後の祭りだ。こうなったらからには、ひばりちゃんの碑に灯台を絡めて撮ってみようか。

碑の前に行った。ところが、観光客で、ごった返している。とまでは言えないが、次から次へと、記念撮影だ。ここまで来たんだから、ひばりちゃんと一緒に記念写真を撮りたい。ま、それが、人情ってもんだろう。それほどのファンでもない自分がそうなんだからな。少し脇によって、碑の前から人影が消えるのを待っていた。わあ~わあ~わあ~わあ~、家族連れも、爺婆たちも、カップルも、楽しそうに、スマホで記念写真だ。見ていて、嫌な光景じゃない。むしろ、ほほえましい。

だが、いささか長い!少し焦れてきたその瞬間、碑の前に人影がなくなった。すすっと前に出て、片膝をついて、手前にひばりちゃんの碑、上の方に黒いシルエットの岬と、その上に飛び出ている灯台を、一瞬のうちにアングルして、撮った。目の端、頭の中に、少しオレンジ色っぽい、傾いだ灯台と、ひばりちゃんの白黒写真がフラッシュした。なるほど、この碑は、灯台がちゃんと写り込むような位置に設置されていたんだ。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#9

ホテルに宿泊

辺りはうす暗くなっていた。車に乗り込んで、ナビを、今晩泊まるホテルにセットしたと思う。小名浜の市街地だ。走りだして、燃料メーターが、短くなっていることに気づいた。たしかに、昨日今日だけで400キロ以上走っている。帰宅する前に、どこかで給油しないわけにはいかない。それに、コンビニで食料の調達だ。

塩屋埼灯台や海辺からも遠ざかって、小名浜へと向かう広い道路に入った。ガソリンスタンドがあれば、値段的なことは考慮しないで、入れるつもりだった。むろん、地元の埼玉より高いのは決まっている。だが、高速のスタンドよりはましだろう。と、長い下りの坂道だ。フロントガラスの向こうには、市街地の明かりが見える。うまいことに、左手にスタンドが見えた。リッター¥139の看板も出ている。

すっと車をスタンドの中に入れた。給油位置に寄せると、日に焼けた短髪のあんちゃんが、誘導してくれた。<セルフ>ではないのだ。窓を開けて、ちょっと考えて、満タンで、と言った。そのあと、何となく車の外に出た。アンちゃんが、窓を拭いてもいいですかと言いながら、室内拭きを渡してくれた。ニコニコしている。バンパーにくっついている虫の死骸などを拭いていると、高速走って来たんですか、と気安く声をかけてきた。そのあと、少し会話した。

自分が車で観光していることを知ると、あんちゃんは、羨ましそうに、いいですね~と言った。その顔に、まだあどけなさが残っていた。この先にコンビニはあるかと聞くと、丁寧に教えてくれた。純朴で、親切だ。最近は、めったに出会うことのなくなった若者のタイプで、気持ちが和んだ。

坂を下り終わると、小名浜の市街地に入った。なるほど、コンビニが目の前にあった。車を止めて中に入った。弁当や菓子パンなどを買って、レジに行った。レジ袋は、と言われたので、車から取ってくるといって、その場を離れた。その際、お弁当はあたためますか、とレジの女の子がきいてきた。どことなく伏目勝ちの、まじめそうな、額の秀でた、大柄な女の子だった。言葉遣いには、優しさがあり、親切な感じがした。

そういえば、昨日のコンビニの女の子もそうだった。一見愛想がないように見えるが、そうではなく、奥ゆかしさというか、東北人特有の、いや、それに加えて、若い女性にありがちな<はにかみ>なのではないのだろうか。なんとも言えない上質な色気=エロスを感じる。幾つになっても、スケベな爺さんだ!何となく得をしたような気分になって、店を出た。

ホテルには暗くなる前に着いた。片側二車線の広い道路に面していて、出入り口前に、車が数台止められるようになっている。幸い、空いていたので、何回が切り返しして駐車した。外に出て、なんとなく見まわすと、隣が平場の駐車場になっているような感じ。それに、道路のはす向かいに、コンビニがあった。

車の中に身をかがめ、ぐずぐずと、部屋へ持っていく荷物などを整理した。疲れているのだろうか、行動が遅い、動作が鈍い。よいしょとカメラバックを背負い、受付へ行った。狭いロビーで、受付カウンターも小さめ。黒い服を着た若い女性が二人いて、そのうちの一人が応対してくれた。ま、ビジネスライクで、一通りの説明だ。コロナ関連の書面に署名して、支払いをした。その際、車はどこに止めたのかと聞かれた。出入り口の向こうを指さした。すると、駐車代が¥500かかりますと言われた。ええっと思ったが、<Goto割り>で、それでも一泊¥4434だった。

駅に近いビジネスホテルでは、立地の関係なのだろう、駐車料金を取ることがよくある。だが、ここは駅前ではないし、解せぬことではあるが、楽天トラベルでのネット予約の際、その旨記載されていた。文句を言う筋合いではない。はいはいと言って、鍵だったか、カードだったか忘れたが、受け取って、受付を済ませた。最後に、受付の横の棚を示され、パジャマを持って部屋へ上がるように言われた。

実を言うと、昨日応対してくれたホテルの受付の女の子と、今日の受付の女の子の顔が、というか印象がごちゃごちゃになっていて、分別できない。どちらも、黒い服を着て、アクリル板の向こうに居たし、口調も似通っていて、説明内容もほぼ同じだった。共通項が多すぎるということもあるが、この時間帯、こっちは疲労の限界にあり、注意が散漫になっていたのだろう。ま、それにしても、双方ともに、そっけない応対ではあったが、嫌な感じは全然しなかった。

部屋に入った。狭苦しい感じだ。サンダルを脱いで、アメニティーの、使い捨ての白いふにゃふにゃスリッパを探した。あるはずだと思い込んでいる。たが、ない。ないわけはないのだからと、少し考えた。そうか、パジャマ置き場の棚だ。自分で持ってこなければならなかったわけだ。ま、取りに行くのも面倒だな。靴下を脱いだ後は、はだしのままでいた。

その後は、着替え、荷物整理、弁当を食べ、風呂。ノンアルビールを飲みながら、ノートにメモ書き。撮影写真のモニター。それから、明日の予定をちょっと考えた。六時起床、七時出発。高速に乗って、日立灯台へ向かう。ここから、一時間くらいだろう。…何か、忘れ物をしたような感じだった。はっと、思い出した。そうだ、小名浜にもう一つ撮るべき予定をしていた灯台があったのだ。

とっさに、名前が出てこなかった。スマホでガチャガチャ調べだした。小名浜港の北東に岬があり、その一帯が公園になっていて、<いわきマリンタワー>などもある。その三崎公園の中に、<番所灯台>がある。そうだ、思い出した、番所(ばんどころ)灯台だ!

とはいえ、日程的に調整できるのか?明日の午前中は、<番所灯台>を撮って、移動、午後からは日立灯台を撮る。そして、翌日の帰宅日に、午前の日立灯台を撮る、という手がある。こうなると家に帰るのは午後遅くになる。帰宅日は<帰るだけ>、となんとなく決めていたので、ちょっと引っかかる。あるいは、<番所灯台>はパス、明朝、即移動して、午前中から日立灯台を撮る、という手もある。

番所灯台>?今一度スマホで、画像検索した。まあ~難しいところだ。というのも、ついでにちょこっと寄れるのならば、当然、お寄りさせていただく灯台クンだ。だが、わざわざ、あるいは、日程を変更してまで、撮りに行くべきなのか、決断がつかない。ロケーションがイマイチなのだ。それに、そもそも、当初の予定は、どうだったのだ?いや、当初から、三日目の午前中に撮る予定だったのではないか?なんだか、よくわからなくなってきた。

疲れていたんだろう、<番所灯台>は次の機会にしよう、ということに何となく決着したようだ。いや、メモ書きは<7時すぎにはねるつもり 備 小名浜 マリンブリッジ 番所灯台>で終わっている。何のための備考なのか?やはり、番所灯台へ行くつもりだったのか、今となっては、推測することさえできない。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#10

番所(ばんどころ)灯台

<5:30 起床 1時間おきにトイレなど 物音は無>。翌日、つまり、2020/11/9(月)のメモ書きの第一行目だ。少し付け加えよう。

そもそもが、五時半に起きるつもりはなかったのだ。ま、せめて六時までは、ベッドに居るつもりだった。だが、何の因果か、頻繁な夜間トイレの最後が、五時すぎだった。ということは、白々と夜が明けてくる時間帯だ。よせばいいのに、カーテンをちらっとめくって、外を見た。夜明け前の静けさが漂っている。そのまま、ベッドに戻ったが、早めに寝ている、さほど眠くはない。目がさえてしまった、というほどではないが、腕くみしながら横になっていた。

このまま、うとうとしてしまえば、それはそれでいい。朝方の、意地汚い眠りにしがみつくだけだ。だが、この時は違っていた。カーテンの隙間から、しだいにオレンジの光が差し染め始めた。日の出が五時半ということは、事前に調べていた。夕日は撮ったことがある。だが、朝日に染まる灯台を撮ったことはない。早朝は苦手なんだ。ベッドの中でイジイジしていた。寝返りを打つたびに、朝日が気にかかる。耐えかねて、すくっと起き上がった。窓際へ行き、カーテンをあけ放った。市街地に朝日が差し込んでいる。なんとも美しい、厳粛な光景だ。いったんは、ベッドに戻った。だが、もう無理だった。朝日に染まる灯台を撮りに行こう。今この瞬間しかない!

決断してからの行動は早かった。洗面、食事、排便は、なぜか普通に出た。着替え、部屋の写真撮影、ざっと部屋の整頓、エレベーターで下に降り、受付でチェックアウト。外に出て、歩いて、道路の向かい側のファミマへ行き、<地域クーポン券¥1000>を消化。鮭缶などを買う。車に戻り、ナビに番所灯台と打ち込む。出発。

朝まだきの小名浜の市街地を突っ切り、岬へと向かう。三崎公園の<みさき>は岬の<みさき>なんだ。くだらないことに感心しながら、あっという間に、その岬に到着。坂を上る。途中、朝日を受けている港が見える。防波堤灯台や<キリン>なども見える。ちなみに、<キリン>とは、本物の麒麟ではなく、港などに並んでいるクレーンのことで、今調べたら、正式には<ガントリークレーン>というらしい。なぜか、自分にとっては気になる存在で、ま、好きなんだな。

戻そう。ナビに従って、くねくねと坂道を登っていくと、なんとなく頂上近くになり、木立の間に駐車場があった。ナビの案内もここで終了。ほかに車は一台もない。外に出た。道はあるものの、灯台らしきものは見えない。少し歩き始めて、思い直した。車に戻り、ナビの画面を拡大してみた。なるほど、ここよりも灯台に近い駐車場がありそうだ。ナビの画面を見ながら、ゆっくり車を動かした。

なんだかよくわからないまま、木立の間を走っていくと、身障者用の駐車スペースが二台あった。ナビをじっと見ると、灯台はすぐ目の前だ。路面に描かれた車いすのマークが気になったが、誰もいないことだし、いうことで駐車した。

装備を整えていると、どこからともなく、少し小さめなトラ猫が姿を見せた。おいでおいで、と手を出すと、怪訝そうな目で見て、茂みに隠れてしまった。と、そこに、ほかの猫がいたようで、威嚇しあっている。ちょっとたって、トラ猫が、ぱっと茂みから出てくると、その後を追うようにして、大きな茶トラが出てきた。こちらは、人に慣れているようで、ふてぶてしい感じだ。ま、いい。灯台の話に戻そう。

木立の間を少し歩いていくと、突き当りに、番所灯台が見えた。そこは、こじんまりした公園になっていて、小さなマウンドの上に、デザインチックな東屋があった。海側は金網の柵できっちり仕切られていて、灯台は、朝日を受けた逆光の中、その前に立っていた。真っ白な、角ばった(六角形の)とっくり型で、表面は、四角に切った石を組み上げているようにも見えた。おしゃれな感じがして、ひと目で気に入った。

…今、番所灯台を記述するにあたって、ちょっとネット検索した。そもそも名前の読みかたからして、間違っていた。番所=ばんどころ、と読むらしい。それに、自分の撮った灯台は二代目で、昭和三年初点灯の一代目は、無念にも<東日本大震災>で亀裂が入り、六、七年前に、建て替えらえたようだ。どおりで、おしゃれで、きれいなわけだ。

灯台の姿形も気に入ったが、五時起きしてきた甲斐があって、海からの朝日をもろに受けた灯台を、初めて、間近で見た。少し興奮していたと思う。一気に撮影モードに突入。灯台の周りを180度、回りながら撮り歩きした。これは、いわば下見で、灯台の全景が写真に収まる、すべての地点を逐一見て回るのだ。それが終わると、今度は、頭に残った、写真になりそうな撮影ポイントを、重点的に撮る。さらに最後には、ベストポイントを決めて、しつこく、しつこく、撮る。撮影画像を調べてみると、109枚、四十五分ほどかかっていた。ま、撮りっぱなし、という感覚なのだが、枚数的には意外に少ない。

この間、幸いなことに、この<公園内公園>には、誰も来なかった。おそらく、昼間の時間帯なら、散歩などで、必ずや人が来るだろうから、撮影は、こんなに早く終えられなかったろう。なにしろ、狭い公園なのだ。人が来れば、灯台とカメラの間に、人影が入ってしまう。中断せざるを得ない。

もっとも、朝の七時台、街中の公園なら、人の来る確率は非常に高い。だがここは、市街地からは離れた、岬の上の、さらに奥まった公園だ。オレンジ色の神々しい朝日が、辺り一面、贅沢なほどだった。逆光の中に佇む、黒いシルエットになった灯台を仰ぎ見た。立ち去りがたかった。後退しながら、木々の葉で、灯台が見えなくなる所まで来た。そこでやっと、写真を撮るのをやめた。

なんだか、朝っぱらから充実した時間を過ごしてしまったな。眠気もなし、気分良く、車に戻ってきた。と、また、どこからともなく、トラ猫がでてきた。こいつは、同じトラでも、さっきのトラ猫ではなくて、体の大きい、ふてくされた面相だ。鳴きながら足元に近づいてきた。あげる物はないんだよ、などと声をかけながら、カメラバックを車に積み込んでいると、今度は、先ほどの小さなトラも出てきた。ついでに、茶トラも、どっからか現れて、大きなトラとひと悶着起こしている。喧嘩なんかするんじゃないよ、と声掛けしていると、脇を、体操姿の婆さん二人連れが、朝の散歩なのか、大きな声で話しながら、通り過ぎていく。

小さなトラの姿が見えないので、車の下を覗いてみた。案の定、居た。こっちを見て、さっと茂みの方へ逃げ出した。ふと、仏心が出て、食べ物をあげたくなった。その辺に、空き缶が置いてあったのは、誰かが、エサをあげているのだろう。そういえば、三匹とも、きれいで、比較的太っている。かわいそうに、捨てられたんだろう。そう思ったら、余計かわいそうになった。

ちょっと考えた。ニャンコにあげるような食べ物は持っていないよな。いや、と思い返して、トートバックの中を引っ掻き回した。たしか、食べ残したブドウパンがある筈だ。ニャンコが、ブドウパンを食べるとも思えなかったが、他に何もないのだから、しょうがない。ニャンコたちも、死ぬほどおなかがすいたら、食べるかもしれない。そう思って、小さなトラが逃げ込んだ茂みの方へ行き、ブドウパンをちぎって、その辺にばらまいた。隠れていた小さなトラが出てきて、ちょっと口をつけた。でも、食べなかったようだ。

いま、俺にできることは、その程度なんだよ。岬を下りた。その際、小名浜港だろう、朝日に照らされた港が見えた。防波堤灯台もいくつか見えた。そして、その向こうにはキリンだ。また、ゆっくり来たいと思った。<いわき>なら、そんなに遠くない。またいつか来られるかもしれない。

ニャンコたちのことは、もう忘れていた。いや、その時思い出した。<地域クーポン券>で、鯖缶や鮭缶を買ったんだ!車は、すでに岬を下りかけていた。ニャンコたちのところへ戻りたいと思ったのかもしれない。だが、戻らなかった。鯖缶や鮭缶は人間の食べ物だろう。それに、次の撮影場所、日立灯台へ早く行きたかった。いま思えば、どちらも、自分に対する言い訳だ。わざわざ戻って、ニャンコたちに缶詰をあげれば、立ち去るのが、なお一層辛くなるだろう。それが嫌だったんだ。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#11

日立灯台撮影1

岬を下りた。小名浜の市街地を抜け、常磐道いわき湯本インターへ向かった。むろんナビの指示に従ってだ。この間、二、三十分かかったのだろうか、高速に入るまでが長かったような気がする。あとは、日立北を過ぎてからの、断続的なトンネル走行だ。少し気を使ったし、難工事だったのだろうな、などとも思った。<どこまで行っても日立>という言葉も頭に浮かんできて、走りながら、思い出し笑いしていた。

若い頃、生活のために、軽トラの運転手をやっていた。時々、日立や北茨城へ行く仕事が回ってきた。行きは、荷主が高速代を負担してくれる。だが、帰りは出ない。したがって、のんびり一般道を走って帰ってくる。当時、常磐道は、日立南太田あたりまでだったと思う。あとは、6号線を行くしかない。ナビなどない時代、地図を見ながら走っている。日立という文字が出てくると、着地がそろそろだなと思う。ところが、そこからが長い!日立の市街地は、六号線沿いに、延々と続いている。<どこまで行っても日立>の所以だ。

配車センターでの、退屈まぎれの雑談で、この話になると、運転手はみな経験しているから、中には、面白おかしく、この言葉に抑揚をつけて、おどけて見せる奴もいる。狭い部屋が、どっと笑いに包まれる。もっとも、首都圏から日立辺りまでの仕事なら、御の字で、帰りの高速代が出ないとしても、悪い仕事ではない。むろん、運転手たちはそれを承知しているから、笑いの種にもできるわけだ。もっとシビアな仕事なら、その方が多いのだが、冗談も出ないし、話題にさえしたくない。

常磐道下りを、日立南太田で降りた。たしか¥1500くらいだったと思う。運転手をやっていたころは、料金所で払う高速代が、いちいち気になっていた。だが、今は、ほとんど気にもならない。と、どこかで見たような光景が目の前に広がっていた。正面に海が見える。日立灯台は、もう間近で、何回もマップシュミレーションした道路を実際に走っている。海沿いの広い道から、普通なら見落としてしまうような狭い道へと、当たり前のように右折した。さらに右折すると、お目当ての公園の駐車場が見えた。

日立灯台は、古房地(こぼうち)公園の中に立っている。ここは、断崖沿いの、縦長の公園で、きれいに整備されている。付近が住宅地なので、七、八台は止められる駐車場がありがたい。さっそく駐車して、装備を整え、撮影開始。と、その前に、駐車場の横にある公衆便所で、用を足した。それなりの臭いはした。

まずは、灯台の周りを、360度、左回りに回りながら、撮り歩きした。敷地が広いので、灯台付近にあるテーブルやベンチ、遊具などは、さほど気にならない。ただ、北側が狭く、しかも、松の木や街灯などがあり、全景写真がやや難しい。あとは、公園を囲っている柵が低木に覆われているうえに、多少の高さがあるので、海が見えない。

もっとも、北側の柵越しに、海が少し見えるところもある。自分としては、できれば、灯台写真には、海を入れたいので、少し残念な気持ちになったわけだ。だが、その後すぐに、駐車場の後ろにある、見晴らし用の小山から、海が少し入ることがわかった。ま、この時は、知らなかったのだ。さらに、公園の北西側には道路があり、道沿いに住宅が並んでいる。この辺りからは、松の木や遊具が多少邪魔になる。

いちおうひと回りして、撮影ポイントを、三、四か所、頭の中に入れた。そこで、公園に背中を向けて、下調べしてあった、南側の<久慈浜>の方へ行った。その時に、駐車場の後ろにあった、見晴らし用の小山を見つけて登ったわけだ。唯一、日立灯台が水平線とクロスする場所で、しかも、小山の上には、コンクリの正方形のテーブルとベンチが置かれていた。三脚を立てて、ゆっくり撮れる場所だ。カメラバックをおろして、一息入れたような気もするが、どうだろう、そのまま通り過ぎ、公園を出て、広い道路の歩道から、ふり返って、岬の中ほどから飛び出ている灯台を試写したのかもしれない。

もっとも、その前に、公園を出たところに、下の浜へと下りる階段があった。覗きこむと、かなりの高さの断崖で、階段も長い。下りるのは簡単だが、登ってくるはしんどいなと思った。それに、あとで、車で回りこんで、下の砂浜沿いの駐車場へ行くつもりだった。今下りることもない。それに、岬全体をアングルした場合、主役の灯台が小さすぎる。この構図にこだわることもあるまい。来た道を戻った。

ふと真下を見た。断崖の下は、砂浜に併設された駐車場になっている。ほとんど車などないのだが、黒っぽい車が二台止まっている。普通の乗用車だ。と、車と車の間で、男女が、今まさに抱き合い、キスをしようとしている。いや、べったり抱き合ってキスをしている。背後は高い壁、左右は車、前方は人のいない砂浜だ。要するに、本人たちは、死角だと思っているのだろう。まさか、上から見られているとは思っていない。平日の、まだ午前中だったと思う。はっきり顔は見えないが、男女とも三、四十代だろう。あきらかに<不倫>の匂いがする。

いや、<不倫>が悪いと言ってるんじゃない。それに、見ず知らずの赤の他人が、自分に危害を加えない限りは、別に何をしようが関係ない。ただこの時、自分が、でかい望遠のカメラを肩にかけていたので、なんだか、浮気調査を依頼された探偵のような気に、一瞬なったのかもしれない。まあ~、それよりも、真昼の情事?を、はからずも目撃してしまい、柄にもなくどぎまぎしている。何かいけないことを見てしまった小学生のような心持だ。テレビや映画で男女の色事を見るのは、慣れっこになっているが、実際となると、少し違った興奮があるものだ。

しかし、すぐに冷静になった。なぜ、車の中で情事をしないのか?わざわざ、外に出て、イチャイチャ、抱き合ったり、キスをしたり。と、ここで思い至った。まだ、そういう関係ではないのかもしれない。いや、ちがうだろう。お互い仕事中で、時間がない。けれども会いたい、イチャイチャしたい。ま、恋愛中の男女の心情だな。わからないこともない。おそらく、そうだろう。でもね~、くだらん、じつにくだらん!と思いながら、当人たちに気づかれないように、また、崖の下を覗き見た。まだ、イチャイチャしているよ!

公園に戻ってきた。見晴らし用の小山にのぼった。備え付けのテーブルにカメラバックをおろし、少し汗をかいたロンTを脱いだような気がする。そのあと、休憩方々、上半身裸でベンチに座り、水平線と灯台がクロスする風景を眺めていた。崖の下の男女のことは、きれいさっぱり忘れていた。清い心?で<灯台のある風景>を何枚か写真に撮った。撮りながら、ここに陣取って、灯台の夕景を撮ろうと思った。磁石を見て、西を確認した。うまいことに、背後が西だ。ということは、灯台に、もろ西日が当たるということだ。

四角いテーブルの上に干したロンTを着た。まだ湿っているが、脱ぐ前よりはましだ。すぐそばに車があるのだから、新しいロンTを取りに行くという手もあったはずだ。それをしなかったのだから、さほど汗はかかなかったのだろう。暑いとはいえ、真夏のような暑さではなかったのだ。

さてと、先ほど下見した、公園内の灯台撮影ポイントを回りながら、写真を撮り、北側のはずれまで行った。というのも、今度は、北側から公園を出て、広い道路沿いの歩道から、岬の灯台を狙おうという腹だ。このアングルは、マップシュミレーションで発見したもので、一度は確認しておきたい撮影ポイントだった。

公園の北のはずれは狭まっていた。そのうえ、松が密集している。灯台は、すぐに見えなくなった。海側の柵にも木々が繁茂していて視界がない。だが、すぐに、住宅が連なる道路沿いにレストランが見え、少し下り坂になっているのだろうか、広い道路が見えた。ただ、なにか、工事中で、歩道が切れている。どうも立ち入り禁止のようだ。様子を窺がいながら歩いていくと、工事現場から作業員たちが全員引き上げていく。その後ろ姿が、小さく見える。はは~ん、昼休みだな。そういえば、レストランにも人影が見えた。

無人になった崖っぷちの工事現場に入り込んだ。長い巨大なコの字型の鉄板が積まれている。歩道の改修工事なのだろうか。ま、そんなことよりも、ふり返って、岬を見た。灯台も見えたが、小さい。それに、なんというか、岬と正対できず、斜めから見ているので、構図的によろしくない。岬の下に砂浜も見えるが、テトラポットなどが連なっていて、雑然としている。まるっきり、写真にならない。無駄足だったわけで、来た道を、そろそろと引き返した。南も北も、歩道沿いからの写真は無理だ。だが、これで撮影ポイントを絞れたわけで、ま、一概に無駄足だったとは言えまい。むしろ、気分的にはすっきりしたわけで、徒労感はなかった。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#12

日立灯台撮影2

車に戻った。次は、<久慈浜>から岬の灯台を狙う。こっちからの画像は、ネットにも多少上げられている。<久慈浜>は海水浴場として有名らしいが、今年は、コロナ禍で閉鎖されたようだ。もっとも、今は秋、時期的には関係のない話で、浜に海水浴客はいない。ゆっくり撮影できそうだ。駐車場を出た。海沿いの広い道に出て、少し行って信号を左折。日立港の中に入って行く。すぐ左折して、今度は漁港の中を走る。突き当りが<久慈浜>だ。

砂浜沿いの広い駐車場には、何台か車が止まっていた。目ですぐ数えられるほどだ。日陰はない。ということは、どこに止めても同じだ。ならばと、砂浜に一番近いところに止めた。カメラ二台を、一台の軽い方は右肩から斜め掛け、もう一台の重い方は、右肩にショルダー掛けで、撮り歩きを始めた。これからの旅では、このスタイルが定着しそうだ。車が目の前にあるのなら、ほかの物は必要ない。着替えにしろ、水にしろ、三脚にしろ、カメラバックに入れて背負う必要はないのだ。身軽だし、このスタイルは、何よりも、望遠カメラを多用できるという利点がある。

砂浜に下り、岬の方を見た。灯台が、半分くらいしか見えない。しかも、岬の先端にではなく、中ほどに突き出ていて、バランスが悪い。断崖は、むき出しの岩壁でもなく、かといって、すべてが樹木に覆われているわけでもない、なんだか、中途半端な風景だ。魅力がない。位置取りが悪いのかと思って、水たまりのできている砂浜を、岬の方へ向かって歩いた。だが、岬と灯台の布置は変わらず、これ以上近づいたら、もっと悪くなるような気がした。

と、水たまりに、灯台が写っている。文句なしに、このような光景が好きだ。なので、かなりしつこく撮った。だが、やはり、実像がよくないと、ダメなようだ。水に写る灯台を見て、人の目は必ず、その上の本物の灯台を見る。そのとき、灯台が美しいのなら、その美しさは、水の上の、いわば虚像の灯台にもバウンドする。光景全体が何か印象深いものとなる。そんな、ちょっとした奇跡は起こらなかった。そもそもが、岬の中ほどに、中途半端な形で突き出ている灯台に、<美>を印象しなかったのだ。こっち側からもモノにならない。それに、岬と灯台を、横から撮る構図そのものに、少し飽きが来ていた。どの灯台も遠目で、似通っていて、同じような写真になってしまうのだ。

少し重い足取りで、砂浜から車へと戻った。昼寝をするために、車を、崖際に移動した。いくら秋になったとはいえ、フロントガラス越しに太陽と対面していては、暑くてしょうがないだろう。メモには<12:30 限界 すこしうとうとする>とある。だが、この時は、仮眠スペースに入ったもの、ちゃんと横になって寝なかったような気がする。積み上げている蒲団に背中をもたせ、膝を少し曲げたままの態勢で、目をつぶった。散乱している荷物を脇に寄せ、横になるスペースを作るのがめんどくさかったような気もする。それほど疲れていたとも思えないが。

<1:30 赤い防波堤灯台をとりにいく>。とメモにある。要するに、小一時間、窮屈な態勢のまま、 うとうとしたようだ。少し元気が回復していた。先ほど、公園の見晴らし台から見えた、日立港の赤い防波堤灯台が気になっていた。というか、見えた時から撮りにいくつもりでいた。時間もちょうどいいではないか。つまり、この後の予定としては、三時頃に、公園に戻って、西日を受けている日立灯台を撮る。そのうち、陽が沈むだろうから、うまくいけば、夕陽に染まる灯台も撮れるかもしない。というわけで、それまでの時間が有効に使えるわけだ。

駐車場を後にした。その際、男女がイチャついていた崖の前を通った。むろん、車は止まっていなかった。何の感情もイメージも出てこなかった。閑散とした漁港の中を、係船岸壁沿いにゆっくり走りながら、赤い防波堤灯台に近づいていった。じきに、プレジャーボートがずらっと並んでいる岸壁の行き止まりに、赤い灯台が見えた。周りに、けっこう釣り人がいる。

広めの岸壁で、空いているところに駐車した。軽いカメラを一台だけ、肩に斜め掛けして、防波堤に掛けられた、五、六段の、木の頑丈そうな梯子を登った。灯台は目の前にあった。だが、モロ逆光で、まぶしくてよく見えない。ただうまいことに、灯台で行き止まりにはならず、左方向へ突き出る感じで防波堤が少し伸びている。つまり、逆光を避け、灯台を横から撮ることができるのだ。ただし、なかば、海を背中に背負うことになり、灯台の背景には、対岸の建物や重機などが映り込んでしまう。むろん、灯台付近の釣り人もだ。

雑駁な感じの画面だ。だが、ほとんど気にならなかった。というのも、写真としてモノにしたい、という野心?は端から薄い。あの赤い防波堤灯台、どんな感じになっているのかな?いわば、近くで見たいという無垢な好奇心があるだけだ。うまく撮れればそれに越したことはない。だが、写真として撮れなくても、現物を見ただけですでに十分満足なのだ。

とはいえ、写真は慎重に何枚も撮った。しかも、そのうち、今いる防波堤の反対側からも撮ることができる、ということに気づいた。つまり、係船岸壁は、アルファベットの<C>を逆にしたような形をしていて、その口の開いたもう一つの地点が、すぐそこに見えるのだ。しかも、岸壁に車も見える。行けるなと思った。

戻り際、太陽を灯台の胴体で遮った、逆光写真を何枚か撮った。今朝、小名浜番所灯台で試した構図だ。けっこう、カッコいいと思っている。防波堤の梯子を慎重に下りて、岸壁に降り立った。陽はすでに傾き始めていて、明かりの具合が、なんとなく、オレンジ色っぽい。見ると、岸壁の向こう、はるか彼方、岬に立つ、真白な日立灯台が見えた。なぜか灯台は、先ほど浜辺で見た時よりも、背丈がぐんと伸びていている。あれ~と思いながら、写真を撮った。遠目ではあるが、なかなか美しいのだ。

今いる場所が、さっきの砂浜より遠いのに、砂浜で見た時よりも、灯台がよく見えていることが、ちょっと不思議だった。むろん、距離的には遠目だが、全体像としては、こっちのほうがはるかにいい。要するに、岬に近づきすぎて、灯台が、断崖の影に隠れてしまい、よく見えなくなったわけだ。この逆説が、面白かった。ただし、よく見えているとはいえ、物理的には離れているのだから、超望遠でない限り、今見えている灯台をモノにすることはできない。いずれにしても、写真にはできないわけで、無駄に不思議がり、無駄に面白がってしまった。

漁港の中をぐるっと左回りに走って、向かい側の岸壁に来た。向い側というのは、先ほど、写真を撮っていた防波堤灯台から見て、海を挟んで向かい側なのだ。ま、いい。縦長の直方体に円筒が接続している、よく見る形の、赤い防波堤灯台の付近には、釣り人の姿がかなり目立つ。先ほどより増えたのか?そうではなくて、防波堤で死角になっていた、岸壁の釣り人達が、見えているだけだ。防波堤の向かい側の岸壁に来ているのだからね。

岸壁に立って、カメラを赤い防波堤灯台に向けた。釣り人が、かなりの数、画面に入っている。これは致し方ない。かまわず撮っていると、釣り人がこちらに気づいて、中にはチラチラ見ている奴もいる。たしかに、写真はNGの人間だっているはずだ。これは失礼!それに、赤い灯台も、風景も、執着するほどのこともない。バシャバシャと撮って、すっと引き上げた。

世界が、というか、辺りがなんとなくオレンジっぽい色に包まれ始めた。時計を見たと思う。三時過ぎていた。日立灯台の夕景を撮る時間だ。と、その前に、忘れるところだったよ。港をいったん出て、すぐの交差点沿いにあるセブンで、食料の調達をした。宿は日立灯台のすぐそばだったが、近くにコンビニがあるのか、どこにあるのか、調べていなかった。だから、気づいた時点で、早めに処理しておけば、世話なしだ。したがって、弁当は、食べるまでにはまだ時間があった。だが、一応あたためてもらった。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#13

日立灯台撮影3

夕方、暗くなって、灯台の夕景を撮り終えた後の移動が、なんとなく嫌なのだ。むろん、チェックインが遅くなるのも、嫌だ。何しろ、暗くなってくると、もの寂しくなって、家に帰りたくなる。旅に出ている場合は、早く宿に入って、ゆっくりしたいのだ。こうした理由もあり、灯台と宿が近いというのは、すごくありがたい。今回の場合は特別で、灯台から車で五分くらいの住宅街にビジネスホテルがあった。近くに日立製作所があるので、仕事で来る客を見込めるわけだ。

撮影旅行なのだから、夕景、朝景?の撮影は、昼間の撮影同様、優先されるべき事柄だ。それが、いまだに、観光旅行の気分が払しょくされていないのだろう、どうしても、昼間の撮影に偏ってしまう。もっとも、これには、ほかにも理由がある。出たてのデジタルカメラで、風景写真を撮り始めた頃、画像投稿サイトなどを覗くと、夕焼け、朝焼けの鮮やかで、きれいな写真が幅を利かせていた。なるほど、たしかに、フォトジェニックだ。とはいえ、ど素人にとっては、なかなか難しい撮影で、たやすくは撮れない。

それに、そのころ自分が撮りたかった写真は、橋とか川とか、河原の植物とか、要するに、昼間、普通に目にしている事物だ。朝夕は、うす暗いわけで、こうした事物は、どうしても、露出不足になり、黒くなってしまう。きれいに撮れない。もちろん、撮影技術という問題もあるが、出たてのデジタルカメラの画素数では、光学的に処理できないのだと思った。

で、朝夕の写真では、地上の事物は黒っぽいシルエットになり、朝焼け、夕焼けの、鮮やかなオレンジ、ないしは朱色が、画面全体を占領する。となれば、何を撮っても、似たり寄ったりの写真になってしまうではないか、と生意気にも考えた。加えて、朝起きが苦手、暗くなったら早く家に帰りたい、という小市民的性分だから、それ以上は考えもせず、朝夕写真の撮影を自分に禁じてしまった。屁理屈をこねて、逃げたわけだ。

それが、今回の灯台巡りで、少し考えを改めることになった。正直なところ、撮影の腕が上がった、と自惚れてもいるのだが、それだけではない。デジタルカメラが、圧倒的に良くなったのだ。朝夕写真が、黒か朱か、というように単純化されることがなくなり、その中間の色合いが、微妙に再現できるようになった。要するに、銀塩写真の諧調にほぼ近づいてきたのだ。したがって、素人にとって、いやアマチュアという言葉を使わせてもらおう、自分のようなアマチュアでも、地上の事物がさほど<黒つぶれ>しない感じの、諧調豊かな写真が撮れる可能性が出てきた。むろん、画像編集ソフトで補正するという手も併用するわけだが。

とにかく、朝夕の光でも、灯台の写真を撮ろうと思えば撮れるまでに、写真の腕も上がり?カメラの性能もよくなったのだ。あとは、小市民的な性分の克服だけだ。公園に戻った。装備を整え、駐車場背後の、見晴らし用の小山にあがった。今から小一時間、ここで、夕日に染まる灯台を撮るつもりだった。三脚に、望遠カメラを装着した。自分の足で見つけた、日立灯台が水平線とクロスする風景を、レンズを回して構図化した。

陽が完全に沈んで、辺りが暗くなるまで、じっくり粘るつもりだった。ところがだ!テーブルの四方にある、コンクリのベンチにどっかと腰掛けて撮っていると、後ろから、やかましい声が聞こえてきた。おばさん三人連れで、とくに一人のおばさんの声が、極端に大きい。しかも、あろうことか、テーブルの横で立ち止り、おしゃべりを始めた。

すぐ行くだろうと思って、シカとしていた。だが、しばらくたっても、立ち去る気配がない。撮影どころじゃない。ほかにも、場所はいっぱいあるんだ。なぜ、わざわざ、写真を撮ってる人のすぐそばに立ち止まって、大声でおしゃべりしなければならないのだろう。少し疑問に思った。いやがらせなのだろうか?翻って、自分が嫌がらせを受けるようなことをしているのだろうか?なるほど、おばさん三人組、この四人掛けのテーブルに座って、存分におしゃべりをするつもりで来たんだ。それなのに、変な男が座っていて、写真を撮っている。そのうち立ち去るだろうと思って、横でおしゃべりしてるんだ。なるほど、まいったね!ま、それにしても、なんという、図々しさ。だからおばさんは嫌いなんだよ。

少し腹が立った。ガチャガチャと、これ見よがしに、テーブルの上に広げた荷物やカメラを、バックに詰めこみ、その場を離れた。案の定、自分が離れたその瞬間、入れ替わるようにして、おばさんたちがテーブルを占領した。ま、いいや、一回りして、またあとで来よう。小山を下り、駐車場を通って、灯台の前へ行った。

日立灯台は、今まさに、西日に照らされていた。だが、公園全体も、西日に晒されているので、地面の芝生や樹木などが、やや変な緑色になっている。画面全体もやや変な色合いだ。ま、これは致し方ないだろう。メインは灯台なのだ。さっそく、左回りに、撮り歩きしながら、ぐるっと一周した。今日これで何回目だろう。すぐには答えられなかった。おそらく三回目だろう。自力でみつけた撮影ポイントで立ち止まり、そこで何枚か撮り、次のポイントに移動した。午前に比べて、大きな浮雲が、灯台の背景に流れてきて、ダイナミックな光景だ。夢中になっていたと思う。

今、撮影画像のラッシュを見ると、三時頃から、三回目の撮り歩きをして、四時前に、見晴らし用の小山に戻っている。そこで何枚か撮って、また灯台の撮り歩きを始めている。それが四度目になるのだが、三度目と四度目は、時間が一時間ほどずれているので、明かりの具合が全然違う。したがって、同じ位置取りから撮った写真でも、全く別物になっていた。当時のことが少し脳裏によみがえってきた。

三度目の撮り歩きを終えて、見晴らし用の小山に戻ってきた。おばさん三人組は、いなかった。当たり前だ。小一時間たっている。いたら、ほんとに怒っちゃうよ!おそらく、カメラバックをテーブルにおろし、一息入れて、水平線に垂直する灯台を撮ったのだろう。いや、刻一刻変化する明かりの状態に、敏感になっていただろうから、一息入れる間もなく、というのが実情だったかもしれない。

とにかく、ファインダーを覗いた。辺りがだいぶ暗くなっていたので、灯台周辺の、地上の事物がかなり黒くなっている。いや、中途半端に黒くなっている感じで、画面が汚いのだ。もうすこし暗くなれば、事物は、暗闇の中に沈みこんでしまう。すでに太陽の光は、西日から夕陽に変わっていた。柔らかいオレンジ色の灯台は、辺りがもっと暗くなった方が、際立つだろう。おそらくそう思ったから、すぐに四度目の撮り歩きに出発したのだろう。

太陽が、今まさに、西の空に沈みかけている。いや、西の端にある建物の影に、という方が正確だ。そのあたりの空が、ピンピンのオレンジ色に染まっている。灯台は、その光を受けて、凛として、事物の上に君臨していた。犬のお散歩の時間帯なのだろうか、人と犬の影が、灯台の下で交錯している。だが、暗くてもう、ほとんどその表情は見えない。地上にあるものはすべて、暗がりの中で生気を奪い取られ、あやふやな影となって、揺らめいている。画面の左下に夕日を入れて、灯台を撮った。灯台の左の縁がオレンジ色に染まっていた。流れている雲も、画面の左半分はオレンジ色だ。そして、あっという間に、厳粛で、高貴な時間は燃え尽きた。

西の空が暗くなり、灯台は白茶けた。だが、次の瞬間、海側から、美しい光が差し込んできた。今度は、灯台の右半分が、やさしいオレンジ色に染まった。なるほど、太陽は、まだ落日していない。単に建物の影に隠れているだけだ。その証拠に、日没の時間、四時半にはなっていない。夕陽が、ぐるっと海の上を迂回して、灯台を照らしに来たというわけか。

こうしちゃいられない、と思ったのかもしれない。急いで、再再度、見晴らし用の小山にあがった。おそらく、カメラバックから望遠カメラを取りだし、素早く三脚に装着して、まさに、自分が見つけたベストポジション、灯台が水平線とクロスする光景を、狙い撮りした。予想していた通り、地上の事物は暗がりの中に沈み込み、灯台だけが、美しい、高貴なオレンジ色に染まっていた。ただ、残念なことに、その範囲が、上半分だった。そして、次第にその範囲は狭まり、というか上の方へ移動していった。落日なのだろう。海からの光が途絶えた。生気を失った、白っぽい灯台が暗がりの中に残された。

 灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#14 安ホテル

ひと仕事終えたような気分だった。午前、午後、夕方と、変化する灯台の姿を写真に撮り終えたのだ。これだけの時間をかけ、これだけのエネルギーを使い、これだけの数の写真を撮ったのだから、二枚や三枚は、気に入った写真が撮れた筈だ、と信じたかった。さらに、体力にも気力にも、まだ余裕があったのだろうか、明日の朝、朝日を受けた灯台を撮り来ようとさえ思った。思った瞬間に、朝五時起きすれば、五時半までには、公園に来られるなと算段した。今の時期、日の出は五時半なのだ。

辺りは暗くなっていた。車のライトが自動点灯していたと思う。安ホテルはすぐ近くにあった。駐車場がわからなくて、入り口付近に路駐し、受付のおばさんにたずねた。要領を得ないので、繰り返し聞いた。おばさんの方も、なぜ聞き返されているのか、わからない感じだ。一緒に外まで来て、指さしながら教えてくれた。

駐車場は、100m位離れた道沿いだった。さほど遠くはない。だが、ほぼ満車状態で、トラックなども止まっていた。いつものように、カメラバックを背負い、トートバックに食料、飲料水を入れて、ホテルに入った。出入り口付近には、何台かの駐車スペースがあったが、すべて満車。まだ五時すぎなのに、<入り>が早いなと思った。

受付には、品のいい小柄な、年齢的には、<おばさん>と<ばあさん>の間くらいの初老の女性が、先客のチェックイン対応をしていた。丁寧なのだが、まどろっこしい。なかなか終わらない。と、先ほど、駐車場を案内してくれたおばさんが、受付カウンターの斜め前あたりで、コピーを取っている。それも何枚も。やっと番が来て、今度は自分が、施設使用などについての、バカ丁寧な説明を延々と聞かされている。

そのうち、受付カウンターの中から、長身の浅黒い男が出てきて、コピーおばさんに、それほど険悪な感じではないが、<コピーは一枚取ってくれって言ったんです、こんなに何十枚もとっちゃって、どうするんです>と言っている。コピーおばさんの方は、自分のミスを謝ることもせず、なにか言い返している。息子が怒っているのに、まるで意に介さない母親のような感じだ。

チェックイン対応も最終段階になり、支払いも済ませ、<地域クーポン券>の話になった。¥1000分の券をもらった。どこで使えるのかと、受付の初老の女性に聞くと、なんだか、要領を得ない。すぐさま、近くいた、さきほどコピーおばさんを叱責していた、背の高い、顔立ちのいいインド人が、悠長な日本語で説明してくれた。なるほど、彼の話はすぐに分かった。同時に、おばさんたちと彼の関係も理解できた。おばさん二人はパートだ。顔立ちのいいインド人は、純粋な日本人か、さもなければ日本で育ったインド人で、というのも、その日本語から確信したのだが、ホテルの従業員だろう。

ここ何回か遭遇した、安ホテルで働く高齢者たちは、人手不足の折、パートで採用された人たちなのだろう。受付の応対に、それぞれの人生経験が色濃く反映してしまうのは、面白いといえば面白いし、致し方ないといえば致し方ないことなのだ。そんなことを思いながら、エレベーターに乗り、部屋に入った。値段相応の設備と内装だ。だが、埃だらけということはなかった。掃除は、パートの律儀な高齢者が、手抜きせずにやっているのだろう。

<17:00 ホテル 弁当 フロ ノンアルビール 日誌>とメモにあった。その通りで、ほかに何かあるかと言えば、なにも思い浮かばない。物音もせず、静かに眠れたのだろう。そうだ、おそらく、朝の五時に目覚ましをセットしたのだと思う。朝日を受けた灯台を撮る。やる気十分だった。それに、明日は帰宅日だが、朝撮り?しても、日立からなら三時間くらいで帰れるはずだ。高速走行も、今回で六回目になる。三時間くらいなら、ほとんど苦にならなくなっていた。

翌朝は、目覚ましが鳴る前に起きたと思う。窓の外は、まだ真っ暗。洗面も食事も排便も、要するに朝の支度は何もせず、着替えて、すぐに部屋を出た。出入り口の自動ドアが開かないので、明かりのついていた食堂を覗くと、賄いの優しそうなお婆さんが居て、裏口を教えてくれた。鍵はかけてないから、帰って来た時もそこから入っていい。それから、自動ドアは手でこじ開ければ開くとも言っていた。たしか、鍵をお婆さんに預けたと思う。

唐突だが、ここで、時間をワープしよう。この旅日誌は、一応、現実の時間軸にそって書いているのだが、構成上というか、枚数的にというか、要するに、この<安ホテル>の章を完結させるには、ここであと一、二枚、紙数を埋める必要があるのだ。なんでそんなことになったのか?以下、理由を説明しておく。

旅日誌も、今回で六回目になり、おのずと、構成が決まってきた。それは、ブログ形式で発表するという条件に、大きく影響を受けた。つまり、ブログ一回の分量が、あまりに多すぎても、読みづらいだろう。ということが次第にわかってきたので、適当な分量でおさめようと思ったのである。では、<適当な分量>とはどのくらいの量のことかといえば、およそ、今書いている紙数で五枚程度、400字詰め原稿用紙に換算すれば、10枚くらいだろうと考えた。

そこで当初の、字数制限なし、見出しなしで、延々と書き流していくスタイルを改め、見出しをつけ、章分けして書いていくことにした。つまり、読み物としての体裁を、多少整えたのである。というか、自分にとっても、書きやすく、読みやすくしたつもりである。

というわけで、時間的には、次の章の最後の方に出てくる、ホテルの従業員の態度についての記述を、内容的にはこの章にいれてもおかしくないな、と<我田引水>的に考えて、枚数的な均衡を保とうとした。要するに、体裁の問題で、どうでもいいことなのだが、一応言い訳しておく。

…朝の撮影終え、ホテルに帰って来た。八時ころだったと思う。すでに、駐車場の車は、半分くらいになっていた。カメラバックを背負った。ホテルは道路の斜め向かい側にあった。さっき出た<従業員用の出入り口>と、少し遠い正面玄関、どちらから入ろうかと一瞬考えた。少し近い前者を選択した。賄いのお婆さんも出入りしていいと言っていたしな。あとから考えれば、この選択が間違いだったのだ。

<従業員出入り口>からホテルの中に入った。食堂を覗いて、中のお婆さんに一声かけて、受付カウンターへ行った。誰もいないので、呼び出しベルを押した。すぐに、奥から男が顔を出した。名前と部屋番号を言って、鍵を受け取った。その瞬間、怪訝そうな顔をした男が言った。いま、あっちから入ってきましたよね、と<従業員出入り口>を指さした。監視カメラで見ていたのだろうか?ええ、おばあさんが・・・と言いかけたのに、その男は、にこりともしないで、<あっちは、従業員出入り口なので使わないでください>とぐっと睨みながら言い放った。頭ごなしのこの言葉と、威圧的な態度にイラっとしたが、自分の迂闊さにも気づかされた。

ホテルの防犯上の問題もあるわけで、部外者が立ち入ってはいけないところに平気で立ち入ったわけだ。四十代くらいの黒っぽい男は、ホテルの従業員というよりは、ガラの悪い麻雀屋の店員といった感じだが、安ホテルを仕切っているのかもしれない。でなければ、客に対して、あんな横柄で、威圧的な態度が取れるはずがない。部屋に上がった後も、この一件で心が動揺していた。なんて野郎だ!安ホテルに泊まったがゆえの代償なのか。今もって、思い出すと不愉快になる。この安ホテルにはもう二度と泊まらない、と心に決めた。

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#15

日立灯台撮影4

真っ暗な中、車に乗り込んだ。灯台はすぐ近くだが、一応ナビをセットした。道順は頭に入っていないのだ。それから、日の出前、すごく冷えていたので、ウォーマーをはいて、上はダウンパーカを着た。これで、防寒対策はばっちりだ。ついでに、ネックウォーマーもしたような気がする。

公園の駐車場には、時間制限があり、たしか、チェーンが外れているのは八時から六時ころまでだったと思う。昨日確かめておいた。ということは、今の時間、横の道に路駐するしかない。早朝だから、大丈夫だろう。あっという間に、公園についた。まだ暗かった。周りは住宅街だ。そろそろと駐車して、音を立てないようにして外に出た。公園の中に入って、太陽の位置を確認した。目の前の海から昇ってくる感じだ。ところが、水平線に、雲がかかっていて、朝日を隠している。残念!海から昇る朝日は拝めない。

ま、それでも、水平線付近は、少し朱色に染まり始めた。何と言うか、朝日を隠している雲は、横にたなびいているわけで、もう少し時間がたてば、その雲の上に朝日が出てくるだろうと思った。たしか、軽いカメラを三脚に装着して、望遠の方は右肩から斜め掛けしていたように思う。カメラバックを背負わない、今回の旅で味をしめたスタイルだ。

朝夕の撮影に、三脚は必須だが、露出設定などは、全く頭から飛んでいた。したがって、ピンボケだけは防止できるかもしれないが、それ以上の写真は期待できないだろう。なので、ろくにモニターもしなかった。もっとも、三脚に装着したカメラの、しかも、暗い時のモニターは手間がかかり、面倒なのだ。しかし今思えば、面倒とか、そういうことを言っている場合ではなかった。日立灯台の早朝撮影は、おそらく、これが最初で最後になるだろうと予感していたのだから。

三脚を担いで、公園内をうろうろ、撮り歩いているうちに、待望の朝日が顔を見せてくれた。まだ、半分くらい、たなびく雲に隠れている。だが、それでも十分に朱色だ。いや、みかん色、と言った方がいいかもしれない。どこか温かみがある色合いなのだ。夕日の撮影と違って、朝日の場合は、刻一刻と明るくなっていくので、なにか、気分的にも明るくなっていく。

昨日下調べした、撮影ポイントは、まったく参考にならなかった。何しろ、太陽の位置が全然違う。今は、真正面の海の、少し上あたりにあって、灯台を真横から照らしている感じだ。期待していた、朝日がもろ灯台にあたる状況にはなっている。だが、イマイチ、感動がない。思うに、周りが明るすぎる。空の色も、すでにきれいな水色になっている。事物は地上に長い影を引き、芝生や樹木の緑色は、みかん色に中和され、変な色合いなっている。画面全体が、期待していた灯台も、スカッと抜けたみかん色に染まるわけではなく、なんとなく、ぼうっとしていて冴えない。それでも、撮らないわけにはいかないだろう。全エネルギーを傾注して、公園内をバタバタ移動しながら、撮りまくった。

かなりの時間がたって、犬のお散歩などで公園を訪れる人が多くなった。朝日は、あっという間に成長して、もうすでに立派な太陽になっていた。見晴らし用の小山に行く前に、太陽を灯台の胴体で隠して撮る、逆光写真を撮った。<番所灯台>に続いて、いわゆる、二匹目のドジョウを狙ったわけだ。だが、全然よくない。理由は、灯台の胴体が巨大な分、その影はもっと巨大になり、したがって、画面に占める割合が多すぎて、目障りなのだ。それに、辺りが明るくなってきたので、人影が気になってきた。なかには、公園の縁をぐるぐる歩いているおじさんもいる。朝の日課なのだろうけど、白い上着を着ているので、画面に入り込んだときに、目立つんだ。まあまあ、世界は君一人の物じゃないんだよ。

夜明けから、小一時間たっていた。撮影モードが解除され、アドレナリンが引いてきたのだろう、周りのことが少し見えてきた。まず、自分の車の前に黒い車が路駐している。撮影中にもちらっと眼に入った光景だ。その黒い車を、いま改めて見ると<ポルシェ>だった。早朝の公園と<ポルシェ>の取り合わせが、ちょっと面白かった。公園内の誰かの持ち物には違いないが、それが誰なのか、よくわからなかった。というのも、犬の散歩などで、けっこう人がいるのだ。

それから、でかいバイクの若い男だ。彼の存在にもかなり前から気づいてはいた。大柄で、黒い革ジャンを着ている。スマホで、盛んに朝日に絡めて灯台を撮っている。要するに、インスタか何かにアップする写真を撮っているのだ。最大限近づいた時に、と言っても二十メートルくらいはあったかな、顔をちらっと見た。やや長髪で、角ばった感じの顔だ。人懐っこさや、如才なさはなく、無表情、いかにもバイク野郎という感じだった。こっちから、声をかけてもよかったのだが、シカとした。というのも、まだ、見晴らし用の、小山からの撮影が残っていたし、明かりの具合も、刻一刻と変化している最中だった。立ち話をしている暇はない。こっちのそんな雰囲気を察知したのか、彼も話しかけてこなかった。そのうち、ポルシェの前に止めた、大きなバイクの方へ行ってしまった。

そういえば、前回の<爪木埼灯台>でも、陽が落ちる直前に、どこからともなくバイク野郎がきたっけ。年齢も同じくらいだ。二十代後半の若者だ。すんなり就職しなかったのだろうか、それとも、就職できなかったのだろうか、あるいは、会社勤めにうんざりして、退職届を上司にたたきつけ、バイクに乗って、旅に出たのだろうか、いずれにしても、朝日や夕日に染まる灯台を、スマホ撮影とはいえ、きっちりその時刻に撮りに来るからには、それなりの理由があるのだろう。バイクのエンジン音が、轟いた。あるいは、これから、バイトに行くのかもしれない。旅をしている割には、荷物がなかったな。いや、荷物は、自分と同じで、まだ宿に置いてあるのかもしれない。

小山に上がった。灯台が水平線にクロスする、お気に入りのベストポジションだ。海から出てきた太陽は、あっという間に灯台より高い所に昇ってしまった。要するに、明かりの具合は、斜光だ。早朝の厳粛な雰囲気は霧散して、辺りには、朝の生気が漲り、人間や生き物の気配がする。地上に描かれた、事物の黒い影は、しだいに薄くなり、その長さも、刻一刻と短くなるだろう。空の様子はと言えば、紫雲たなびく、というか、静かで、美しい瑠璃色だ。どこかで見たような、やさしい浮雲が漂っている。

天空はやすらぎの空間で、地上には生気が満ち満ちている。その真ん中に、灯台が立っている。わずかに、右側が光っている。光ることによって、その輪郭が、ますます確信できる。ローソク型の白い灯台は、もはや、地上の事物ではなく、かといって、天空に回収されもしない。ただただ、天地の間に佇立しているだけだ。写真を撮りながら、目の前に広がる光景に感動していたのだろう。

立ち去りがたくはなかった。十二分に撮ったような気がした。時計を見たのだろう。七時過ぎだった。いま撮影画像で確認した。引き上げるつもりで、小山を下りて、車へ向かった。と、灯台の前に来た時に、ふと立ち止まった。なにか、先ほど撮った同じ位置なのに、灯台が、というか公園全体の雰囲気が、違って見えた。なるほど、明かりの具合が変わっていたわけで、これはもう撮るしかないでしょう。構図的には同じだが、明らかに、今の方が、写真としてはきれいに撮れると思った。

そうこうしているうちに、画面の前を、犬を連れた老年の夫婦連れが、<ポルシェ>の方へ歩いていく。あ~、公園の周りをぐるぐる回っていた爺さんだ。なるほどね、長時間止まっている訳がわかったよ。朝の日課、公園の周りを小一時間歩く。その間、奥さんは、犬のお散歩をしながら待っている、というわけだ。見るともなく見ていると、二人とも、車の周りで、ぐずぐずしていて、なかなか出て行かない。が、二人の姿が消えた。やっと車に乗ったのだ。少しあって、腹に響くような、野太いエンジン音が響き渡った。さすが<ポルシェ>だ、エンジンの音からして、ちがう。ただね~、爺さんに<ポルシェ>って、どうなんだろう?おそらく、金持ちで、車が好きなんだろう。例えば、俺が金持ちで、車好きで、なおかつ<ポルシェ>が好きなら、やはり、爺になっても、<ポルシェ>に乗っているかもしれない。<ポルシェ>か~、貧乏人の僻みだ。自分には、やはり、<灯台巡り>の方があっているような気がした。

 

<福島・茨城旅>2020-11-7(土)8(日)9(月)10(火)収支。

宿泊費三泊 ¥12100(Goto割)

高速 ¥13400 

ガソリン 総距離720K÷19K=38L×¥130=¥4900

飲食等 ¥4100

合計¥34500

 

灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#1~#15

2020-12-11 脱稿。