<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020版

<灯台紀行・旅日誌>2020愛知編

 


灯台紀行・旅日誌>2020年度版

 愛知編#1~#17

 

#1 プロローグ~往路       1P-6P

#2 野間埼灯台撮影1      6P-12P

#2 野間埼灯台撮影2      12P-17P

#4 野間埼灯台撮影3~宿         17P-23P

#5 野間埼灯台撮影4        23P-29P

#6 野間埼灯台撮影5        29P-35P

#7 宿~移動          36P-42P

#8 赤羽根防波堤灯台伊良湖岬                  43P-49P

#9 伊良湖岬灯台撮影1                                  49P-55P

#10 伊良湖岬灯台撮影2~土産物屋              55P-60P

#11 伊良湖岬灯台撮影3                                60P-66P

#12 ホテル~伊良湖岬                66P-72P

#13 伊良湖岬灯台撮影4~ホテル                  72P-77P

#14 伊良湖岬防波堤灯台撮影                    77P-83P

#15 伊良湖岬灯台撮影5                                 83P-89P

#16 ホテル                                                      89P-94P

#17 伊良湖岬灯台撮影6~エピローグ            94P-101P

  

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#1

プロローグ~往路

 

時間を戻そう。今は、2020年12月4日、金曜日だ。おそらく、十日間天気予報を見たのだろう。というのも、14日の月曜日は伊良湖ビューホテル、15日16日17日は、三重県鳥羽磯部付近のビジネスホテルをすでに予約してあったからだ。前回の<福島・茨城旅>の旅日誌をやっと書き上げた直後で、次回七回目の<灯台巡り>を、愛知県渥美半島伊良湖岬灯台三重県紀伊半島の安乗埼灯台、大王埼灯台などに照準していたのだ。

 

四泊五日の旅日程も、ほぼ頭の中で確定、あとは、出発までの時間で<福島・茨城旅>の撮影画像の補正を終わらせるつもりだった。ところが、この夜、晴れマークがついていた14日の天気が怪しくなってきた。せっかく<伊良湖ビューホテル>の予約が取れていたのに、しかたない、キャンセルだ。むろん、その後の鳥羽のビジネスホテルもキャンセルし、旅の日程を再考した。

 

十二月の前半から全国的に晴れが続いていた。<灯台巡り>をするには絶好の日和だ。だが、自分に課した、旅日誌の執筆と撮影画像の補正を終わらせなければ、旅には出られない。と、思い込んでいる。しかし、今回は、自分で決めた約束を破った。6日7日8日9日と、愛知県には四日連続で晴れマークがついている。この日程をやり過ごしたら、十二月の灯台は流れてしまうかもしれない。

 

おおよそ、十二月の中盤までは、寒さもそう厳しくない。だが、後半、クリスマス前後には、毎年寒波がやってきて、寒い思いをしている。したがって、中盤がだめなら、前半に行くしかないだろう。それに晴れマークもついている。四日の金曜日の夜も更けて、日付が五日に変わっていたと思う。つまり、六日から宿泊するのなら、前日予約になってしまう。いまから、ホテルは予約できるのか?

 

楽天トラベル>でさっそく調べ出した。調べているうちに、気持ちが変わって、予定を変更した。つまり、フェリーで三重県側には行かないで、巡る灯台は、愛知県の野間埼灯台伊良湖岬灯台だけにした。初日に一気に知多半島へ移動し、その先端に位置する野間埼灯台へ行く。そこで二泊して、そのあと、戻る感じでぐるっと回り込み、渥美半島伊良湖岬灯台へ移動する。突然の予定変更の理由には、いまだ確実な下準備ができていない三重県側の灯台たちを、この期に及んで、調べなおすのが億劫になった、ということもある。

 

伊良湖岬灯台野間埼灯台は、それぞれ、愛知県の渥美半島知多半島の先端にあり、普通なら、セットにして巡るべきだろう。ところが、移動が大変なのだ。距離にして150キロ、時間にして三時間半もかかる。少し前までは、半島間にフェリーがあったのが、今は廃止されている。そうした理由で、伊良湖岬から出ているフェリーで三重県側にわたり、渡航時間は小一時間ほどらしい、紀伊半島の南西部の灯台たちを見て回ろうという気になったわけだ。その方が効率的だと思ったような気がする。

 

灯台巡り、とくに灯台写真を撮るには、下調べが大切だと思い知らされている。事前に、撮影の位置取りを、ほぼ確実に頭に入れておいても、現場では右往左往することが多い。下調べもせず、手ぶらで行くのは愚の骨頂だろう。一応、伊良湖岬灯台の下調べは終わっている。それに、新たな照準とした、野間埼灯台もネットで検索する限り、さして難しいロケーションではない。それに、今回は、一つの灯台に二日かけることにしたので、極端に綿密な下調べは必要ないのだ。

 

野間埼灯台も、伊良湖岬灯台と同様、夕日がきれいな所らしい。これまでの経験から、灯台に夕日や朝日を絡めて撮るには、とにもかくにも、灯台に近い宿に泊まるのがよろしい。ま、近いといっても、四、五キロ離れていても問題はない。というわけで、該当する宿を探し、日程に合わせる作業を、夜中の三時頃までやった。

 

頑張った、というか、夢中になっていた。その甲斐あって?まあまあ、満足のいく結果を得られた。すなわち、野間埼付近の、食事つきの旅館を二泊、伊良湖岬のすぐ近くのビジネスホテルを二泊、予約した。前者の食事つきは、これまでの慣例に反するが、一泊二食付きで12000円、その上<Goto割り>で安くなるので問題ない。とにもかくにも、灯台に近い宿がいいのだ。

 

旅の前日、五日の土曜日の朝は、前の晩、夜更かしたにもかかわらず、眠気はなかったと思う。それよりも、旅の準備を頭の中で、ざっと思い浮かべ、直ちに実行していった。慣れたもので、車への荷物の積み込みなど、午後の二時前にはすべて完了していた。ゆっくりくつろいで、早めの夕食、夜の八時すぎには寝ていたと思う。もっとも、いつものように、夜間トイレで一、二時間おきに起きている。だが、興奮して眠れないということはなかった。

 

出発の日、六日の日曜日は、午前三時半に、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。頭も覚めていて、ためらうことなく起床、ゆっくりと自分のペースで出発の準備をした。お茶づけなどを食べ、便意を催促したが、いつもの排便時間よりは、そうとう早い。うんこは出なかった。玄関ドアを出る前に、お決まりのように、虚空のニャンコに向かって、行ってくるよ、と声をかけた。一瞬、もうこの家に帰ってこられないかもしれない、という不安を感じた。いや、ちょっと、思ってみただけだ。

 

午前五時出発。まだ真っ暗だった。最寄りの圏央道のインターから入り、六時には、厚木に到達していた。青梅からの断続的なトンネル走行は、トンネル内が外より明るいので、むしろ外よりも走りやすかった。そのあと、東名、第二東名と乗り継いだ。たしか御殿場あたりだっただろうか、富士山が右手に見えた。それも、なんというか薄赤紫色の幻想的な富士だった。

 

左側の稜線がものすごく急で、北斎の<赤富士>を想起した。頭に少し冠雪している程度で、赤土色の斜面に朝日があたっている。その周辺に、雲なのか靄なのか、白いもやもやしたものが漂っている。幽玄を感じた。北斎の<凱風快晴>の稜線は、やや誇張しているなと思っていたが、まさに、その通りの、切り立った稜線が、目の前に見える。というか、横に見える。第二東名を走っているわけで、現地点はほぼ山の中だ。北斎がこの位置から富士を見たとも思えないが、この近辺だったことに間違いないだろう。

 

北斎は、どこで朝日のあたる富士を見たのだろうか。数百年の間<赤富士>を超える富士は出現していない。そして、今後も出てこないだろう、とひそかに思った。

 

・・・理由はない。単なるミスだ。ナビに従って、高速から降りてしまった。古いナビだから、第二東名が貫通していることを知らないのだ。<第二東名 豊田方面>の標識がちらっと見えたが、後の祭りだった。ま、いい。高速走行にも飽きていた。気分転換に一般道を走るのもいいだろう。というわけで、次の高速入口までたらたら走って、また高速に乗った。その後は、伊勢湾岸道路に乗り、一気に、知多半島を南下した。野間埼灯台に着いたのは、午前十一時半頃だったと思う。およそ400キロ、六時間半かかった。だが、さほど疲れてもいなかった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#2

野間埼灯台撮影1

 

野間埼灯台は、国道沿いの海岸に立っていた。その対面、道路左側に有料駐車場があり、車を入れた。すぐに係のおばさんが寄ってきた。出たり入ったりするつもりだったので、一日分¥1000を払った。隣にもレストランの駐車場があった。むろん利用者専用だろうから、むやみに止めることはできない。もっとも、この有料駐車場は、灯台のほぼ真ん前にあり、道路を渡れば、海側にせり出した広場へとすぐに行ける。位置的には、ベストと言っていい。

 

装備を整え、といっても、カメラ二台を、それぞれ斜め掛けと肩掛けしただけだが、気分的には撮影モードに入った。真っ白な灯台の胴体が、すでに目の前に見えていて、写真を撮れる位置取りになっている。だが、余計なものがありすぎる。まずは電線だ。それに、道路と横断歩道、さらには、広場に立っている大きな椰子の木やベンチなどで、どう見ても、灯台写真が撮れるような状況ではない。

 

道路を渡って、海にせり出した広場へ足を踏み入れた。言うまでもなく、この広場は、灯台を眺めるための場所だが、たいして広くもないのに、いろいろな物体がひしめいている。大きな椰子の木が三、四本あり、ベンチも五、六脚ある。右の方には<絆の鐘>があり、南京錠を取り付けるモニュメントもある。さらには、立派な石の記念碑などもあり、まさに、所狭しといった塩梅なのに、観光客が、あとからあとから押し寄せてくる。変な話、物だけでなく人間も<蜜>な状態になっている。

 

ま、それでも、この正面ロケーションの中で、ベストポジションを探しながら、狭い広場をうろうろしていた。歩道沿いのベンチが一番いいだろうなと思ったが、カップルがどっかと座っていて、なかなかどかない。仕方ないので、その後ろで、一応、カメラを構えてみた。だが、普通の記念写真にすらならない。大きな椰子の木に挟まれた灯台、その左右には、<絆の鐘>だの、石の記念碑だの、ベンチに座っている人間だので、まったく絵になりまへん!

 

まあいい、まあいい。ここで写真を撮ろうとしたのが間違いだ。と思い直して、今一度道路を渡り、道の向こう側から、カップルの座っているベンチを手前に入れて、何枚か、適当にシャッターを押した。どんな絵面にしろ、記念写真くらいは撮っておきたいと思ったからだ。意味のないことだとわかってはいるが、このままやり過ごせば、あとになって、何か忘れ物をしたような気がするに決まっている。

 

広場の横から、砂浜に下りた。灯台の全体が見えた。下の方が、なぜかステン?の柵でぐるっと囲まれている。灯台に直接触れられないようになっている。景観的にはよろしくない。あの時にはそれがやや不満だった。が、いま思えば、灯台を不埒な連中から防御しているわけで、灯台に落書きされるよりはましかもしれない。ところが、いまネットで調べると、この柵に南京錠をつける恋愛ジンクスが広まり、なんと、その重みで柵が倒壊したことがあるそうな。世の中、何が起きるかわかったもんじゃない。

 

この教訓を生かしたのだろうか、その後、南京錠をつけるモニュメントができたので、今現在は、柵に南京錠はついていない。もっとも、注意書きがあったような気がする。柵に南京錠をつけてもすぐに撤去する、と。これは、効果てきめんだろう。恋愛成就を願ってつけた鍵が、そのうち切り取られてしまうのなら、いくらなんでも、そこに鍵をつけることはしないだろう。ましてや、正規?に鍵をぶら下げておくモニュメントがあるのだから。

 

しっかし、おじさんの感想を述べさせてもらうのなら、南京錠で結びつけておく男女の仲や、家族や友人の絆とは、いったいどういったものなのだろう。本当は、結び付けておくことができない、と思っているからこそ、南京錠という手段に出るのではないか。だとするならば、海風に晒され、風化していく南京錠たちは、人間のはかない希望を形象化しているオブジェと見ることもできそうだ。

 

深く考えもしないで、ちょっとした洒落のつもりで、南京錠を柵に取り付け、その後、何年かして、錆びついた南京錠を目の当たりにしたとき、人間は、何を思うのか。ましてや、恋愛が成就されず、家族や友人の絆がほどけてしまったのなら、これはもう、まともに見ることすらできないだろう。そんな悲しみを直感する想像力を、灯台のそばに座って、波音に耳を傾けながら、取り戻してほしいと思うばかりだ。

 

ところで、唐突だが、灯台の正面とは、やはり、扉のある方なのだろうか。扉は、ほとんどの場合、陸地側にある。当たり前だ。人が出入りするわけで、陸地側にある方が合理的だ。だが、いつも思うことなのだが、灯台の機能面から考えると、海側が正面なのではないか。光を海に投げかけているのだからね。となれば、扉は、玄関口というよりは勝手口になるわけだ。

 

なんでこんなことを言い出したのか?というのも、野間埼灯台は扉のある方、つまり勝手口の方が、景観的には優れているからだ。つまり、正面であるはずの海側の胴体には窓もなく、のっぺりした感じなのに、背面であるはずの陸側の胴体には、ちゃんと窓がついていて、明らかに見栄えがいい。玄関口が勝手口よりも立派なのは常識だろう。したがって、こと、野間埼灯台に限って言えば、扉のある方、いわば勝手口が玄関口になっているようなのだ。

 

広場から砂浜に下りて、灯台を横から俯瞰する位置に立つと、そのことがよくわかった。つまり、側面ゆえに、灯台の窓はほとんど見えなくなってしまうわけで、胴体ののっぺり感が際立ってしまう。だが幸いなことに、この位置取りは、砂浜や海や空などのロケーションが素晴らしいのと、下の方が柵に囲まれているものの、灯台の全体像が俯瞰できるので、その立ち姿、というか、美しい構造が、のっぺり感を相殺してくれる。ま、それにしても、側面に、窓がひとつでもあれば、とないものねだりをしながら、撮り歩きを始めた。

 

波打ち際を五、六歩進んでは振り向き、灯台を主役にした構図を瞬時に見つけてシャッターを押した。砂浜に打ち寄せる波や、広場に聳え立つ椰子の木なども、画面に取り込もうとした。そのうち、岩場が露出してくる。波しぶきを受けている岩場には近寄らないで、渇いている岩場に登って、標準、望遠、二台のカメラでかわるがわる、少し遠目だが、真白な灯台を撮りまくった。もう、胴体ののっぺり感などは、ほとんど気にならなかった。ただし、観光客が、次から次へと来るので、画面に、人影が写り込んでしまう。これは致し方ない。十二月だというのに、さほど寒くもない、素晴らしい天気の日曜日なのだ。

 

灯台の垂直や、水平線の傾きなども、さして気にならなかった。というのも、野間埼灯台は、岬の先端でもなく、さりとて、海に突き出た岩場でもなく、そのずっと手前の、極端に言えば、砂浜に立っているような感じなのだ。したがって、自分の立っている波打ち際と、ほぼ平行関係にあるわけで、灯台の垂直はあらかじめ担保されている。それと、水平線は岩場に隠れてしまい、少ししか見えない。こちらも、多少の傾きは気にならない。

 

問題は、右端にある、少し高台になっている広場の椰子の木やモニュメント、ベンチ、その他もろもろだ。できれば、灯台写真は、海と空と灯台だけで完結したい。だがそうもいくまい。苦肉の策として、一番大きな椰子の木を、画面の右端に取り込むことで、構図全体のバランスを取った。ただし、広場の土留めコンクリが少し入ってしまう。なんとなく釈然としない。それに、海側にせり出してくる、背景の山が、なんか変なのだ。灯台の垂直や水平線とは<ねじれ>?の関係にあるようで、画面に取り入れるとあきらかに不自然だ。結局、背景の山と、広場の大部分は、画面から立ち退いてもらうことにした。

 

さらに、岩場と砂場が混在する砂浜を行けるところまで行った。これ以上行くと、灯台が見切れてしまうその場所に、少し小高い岩場があった。迷うことなく、よじり登った。みると、今歩いてきた海岸全体が見渡せる。灯台はさらに遠目になったが、ここは望遠カメラの出番だ。灯台を画面のほぼ真ん中に位置して、まさに、灯台そのものを撮った。だが、手前に観光客がいる。砂浜で子供が遊んでいて、親たちが座りこんでいる。それに、灯台の前を横切って、岩場の先端に行こうとする観光客があとを絶たない。

 

望遠400ミリの精度の高いレンズだ。表情までが、手に取るように見える。だがいまは、そんなことを面白がっている場合じゃない。人間が点景なら、風景写真的には、さほど気にならない。いや、致命傷にはならないだろう。しかし、表情までもがはっきり見えていたら、これはもう写真以前の問題だ。つまり、肖像権の問題で、ぼかすとか何らかの処理をしなければ、たとえアマチュアでも、発表することはできないだろう。と、ここでふと思った。SNSなどに写真をアップすることが、写真行為の必須条件になっている。

 

撮った写真を、自分一人で眺めるだけでは、もはや満足できない。そもそも、写真を撮ること自体に、撮った写真を人に見てもらいたい、見せたいという欲求が内在している。大袈裟に言えば、いわば、自分を世界に開示したいのだ。とはいえ、だから、どうだというのだ。頭の片隅で、人間がこれほど大きく映り込んでいては、補正で消すこともできないなと思った。それでも、真っ青な冬空を背景に、一分の揺らぎもなく垂直する、真白な灯台を撮り続けていた。モノになるか、ならないか、そんなことはこの際、どうでもいいような気がした。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#3

野間埼灯台撮影2

 

小高い岩場での、至福の時間が終わった。灯台に向かって歩き始めた。今度は、波打ち際ではなく、砂浜の奥の方、つまり、高さ五、六メートルほどの切り立った防潮堤?のそばまで行った。ちなみに、この防潮堤の外側が道路になっている。往路とは違った角度で、灯台を見てみたかったのだが、案の定、灯台の垂直が確保できない。灯台を斜め後ろから見ていることになるので、灯台の先にある岩場との平行関係も崩れてしまう。灯台の垂直を無理に確保すれば、むろん、天地の水平が確保できない。無理して撮る必要のないアングルなのだ。

 

ま、でも、一応確認しておく必要がある。何しろ、基本は?灯台の周りを、できうる限り回って、その中からベストポジションを見つけることなのだ。見なくてわかることでも、しっかり見ておけば、あとで後悔することもない。

 

砂浜をぶらぶら撮り歩きしながら、灯台の真下にまで来た。正面に、コンクリ階段が、五、六段あり、その上が広場だ。たしかこの時だと思う。若造がドローンを飛ばしている。広場の上空を飛び回っている。なんでこんなところで飛ばしているんだ、とちょっと眉をひそめて、若造の顔を見たような気がする。だがすぐに気分を変えて、性懲りもなく、灯台正面から何枚か撮った。まるっきりの逆光で、眩しくて、灯台がよく見えなかった。

 

さらに今度は西側?の砂浜に下りた。こっちは、半逆光。灯台の右側の縁が、少し光っている。明かり的には、イマイチだ。ただし、先ほどの東側?の砂浜と同じで、灯台の垂直も、水平線の水平も確保されている。カメラの性能がアップしたのと、補正の腕が多少上がったのとで、半逆光、いや、逆光の写真でも、構図さえしっかりしていれば、最近はモノにできるようになっていた。しっかり構図を決めて慎重にシャッターを押した。

 

西側の砂浜は、東側に比べて、極端に狭い。すぐに断崖で遮られてしまう。もっとも、断崖沿いに、岩場を伝い、さらに行くこともできるが、灯台が見切れてしまう。それに、波しぶきをかぶった岩場は濡れていて、なんだか危なっかしいぞ。写真を撮りながら、引き返した。

 

あと残るのは、海側からの灯台だ。灯台の前は、うまい具合に岩場になっているので、灯台を背景に自撮りができる。観光客がひっきりなしだ。しかし、岩場といっても、それほど海に突き出ているわけでもない。灯台全体を画面に入れるとするならば、かなりの広角撮影になる。それに、背景がよくない。至近距離に特徴のない山がせまっているし、巨大な灯台の胴体には、窓一つなく、のっぺり感がきつい。要するに、野間埼灯台は、正面も背面も、写真にはならない。となれば、左右、というか東西からの側面からの写真で勝負するしかないだろう。

 

ふと思って、岩場からは早々に引き上げ、砂浜を横切り、上の道路に出た。ガードレールはあるものの、歩道としては狭すぎる。ま、いい。狙いは、少し先にある、道路沿いの施設だ。廃業しているようで無人。その施設に歩道から登りあがった。年甲斐もなく、なぜそんなことを!要するに、一段と高くなった、海を見渡せるその施設の敷地、いや、断崖の縁から灯台を撮ろうというわけだ。

 

何と記述すればいいのだろう。海を臨んで、こ洒落たバンガローのような建物が、間隔を置いて、幾棟も並んでいる。その一坪ほどの建物の前には、日光浴用の木製の長いすがあり、大きなパラソルが差してある。要するに、日帰りのリゾート施設だろうな。だが、設備もまだそう古くのないのに、廃業だ。素人考えだが、この場所に、セレブっぽいリゾート客を呼び込むのは、無理なのではないか。ここは、知多半島の先端、最果て感はないものの、ややさびれた観光地といった雰囲気なのだ。

 

話しを戻そう。その、海に突き出た、断崖上のリゾート施設の縁に陣取って、灯台を撮った。もっとも、先ほど、この真下で写真を撮っているので、構図的には、ほぼ変わらない。とはいえ、高い分、水平線がよく見える。景観的にはこちらの方がよろしい。それに、下界を?見下ろす感じなので、気分はいい。カメラをしっかり構えて、ここでも慎重にシャッターを押した。そのあとは少しの間、断崖の縁に腰かけて、ぼうっとしていた。朝っぱらから動き回っていて、少し疲れたのかもしれない。灯台の背後の海が、きらきら光っていた。ふと、いま、大地震が来たら、と思った。この場所は瞬時に崩落するだろう。うしろ手に囲い石をつかみながら、下をこわごわ見た。そうだ、高い所は苦手だったんだ。

 

この高みの見物も、自分がサル山の猿のような気がしてきて、じきに興ざめしてしまった。夕景の撮影までには、まだ時間があった。車に戻って、バナナでも食べよう。腹は空いていなかったが、栄養補給だ。もっとも、今日の宿は食事つきだ。なんとなく、気が楽だった。駐車場に戻り、トイレで用を足した。出てくると、係のおばさんに声をかけられた。<コーヒーでも飲んでいかない、インスタントだけど>。

 

係のおばさんと思っていた女性は、この有料駐車場を取り仕切っている、ま、いわば所有者だった。売店らしき雑然とした小屋に入っていくと、カウンターらしきものがあり、おばさんがコーヒーを作ってくれた。砂糖とミルクは自分で、その辺にあった瓶から入れた。どこから来たの、とか雑談していると、小柄な爺が入ってきて、おばさんにコーヒーを作らせている。旦那なのか、身内なのか、定かではない。が、おばさんとはかなり気安い間柄なのが話しぶりでわかる。物静かな漁師といった雰囲気を漂わせていた。そして、しばし、三人で<川越>とか<翔んで埼玉>などの話をして盛り上がっていた。

 

と、そこに、さっきのドローンの若造がやってきて、目の前の台に、ドローンを置いて、おばさんと気安く話し出した。知り合いなのか?黙って聞いていると、何やら、先生とか言っている。え、と思って、腰パンっぽいジャージーにパーカの若造をちょっと見た。どうやら、何回もここにきて、ドローンを飛ばしているらしい。今日の朝は、カワウの群れを撮ったとか話している。

 

自分としては、めずらしく気分がよかったのだろう。若造にドローンのことを少し聞いた。その時、マスクの上の目を見た。やや知的な感じがした。おばさんが言うには、歯医者さんらしい。しかし、その後の話ぶりや内容が、どうもうさん臭さかった。今使っているのはと、台の上に載せたドローンをいじりながら、16万のドローンで、8万も出せば、性能のいいものが買える。自分の知り合いも、カメラからドローンに転向した。操作方法は簡単で一日でマスターできる。自分が教えた。広告収入が30万ほどあり、それがこれだ。とスマホを見せてくれた。

 

なるほど、ユーチューブに、かなりたくさんの作品をアップしているようだ。内容的には、いろいろで、うける感じのものを狙っている。アカウント名を聞いた。<LL>とか言ったが、言葉を濁した。見ればわかるとか言っている。話しぶりが、やや尊大で、これ以上話していると嫌な気持ちになりそうなので、おばさんに、ごちそうさまと言って、小屋を出た。歯医者か!話しかけたのが間違いだった。

 

車に戻った。バックドアーを開け、車体に腰かけ、持参したバナナを一本食べた。おそらく給水もしたと思う。それから、夕景撮影のことを少し考えた。おばさんが言うには、<絆の鐘>の右横あたりに陽は沈むらしい。となれば、撮影ポイントは、広場に隣接する西側の砂浜で、しかも、道路に近い所だろう。時計を見たに違いない、三時半を回っていた。陽は大きく傾き、地上の事物がかなり赤っぽくなっていた。日没は四時半だ。さあ行くか、靴の紐をしめなおした。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#4

野間埼灯台撮影3~宿

 

灯台広場は、依然として観光客でごった返していた。とはいえ、何十人いようが、関係ない。日没前後になれば、みなシルエットになってしまうのだ。広場の敷地をまたいで西側の浜へ踏みこんだ。波打ち際には下りないで、道路との境、幅の狭い、腰高のコンクリ塀のそばに立った。ま、これは、防潮堤の一種と考えてもよろしい。この位置取りは、灯台を斜め後ろから見ているわけで、画面の左側には、<絆の鐘>とか椰子の木などが見える。しかも、灯台は水平線と垂直していない。言ってみれば、構図的には、難がありすぎるが、灯台と夕日を絡めようとするならば、致し方のない、ベストポジションなのだ。

 

太陽は、水平線に徐々に近づきつつある。だが、いまだ光が強すぎて、画像的には白飛びしてしまい、その円形の姿は捉えられない。水平線ぎりぎりになって、はじめて、線香花火の火の玉のような夕日が、画像に定着できるのだ。要するに、まだ少し時間がある。ほかに、もっといい場所はないのかと思い、砂浜を、切り立った岩場の方へ移動した。

 

岩場の前まで来た時に、その陰から、黒っぽいコートを着た三十代くらいの青年が現れた。大きめの黒いカメラバッグを肩にかけ、その手には、一眼レフが握られていた。あきらかに、灯台と夕日を撮りに来たアマチュアカメラマンだ。すれ違いざま、ちらっと顔を見たが、向こうは目を合わせない。思い切って、話しかけた。<夕陽が撮れる場所はどのへんでしょうか>と。というのも、この期に及んで、砂浜を歩き回って、灯台に夕日が絡む、そのベストポジションを探し出すのは、自分だけでは、ほぼ不可能だと思ったからだ。

 

色白で、髭が濃い、おとなしい、どちらかと言えば、オタクっぽい青年は、すぐに話に乗ってきてくれた。尊大な感じはみじんもなく、言葉も丁寧だ。二、三分か、五、六分か、立ち話した。だが、その間にも、太陽は、刻一刻と、水平線に近づいている。実のところ、お互い、気が気ではない。そのうち<向う側の浜を見てくるので、いいところがあったら、伝えにきます>と言って、去って行った。

 

これで、少しの間、バタバタせずに、今いる西側の浜で、ゆっくり写真が撮れる。再度、午前中に目星をつけておいた撮影ポイントを回って、写真を撮った。むろん、構図はほぼ同じだが、明かりの具合が全然違うので、撮っても無駄、意味がないとは思わなかった。ただ、切り立った岩場の上、つまり、廃業したリゾート施設に行こうとは思わなかった。景観的には、水平線が見える分、多少いいが、うす暗くなっていたし、時間的にも無理だろう。それに何よりも、またサル山の猿にはなりたくなかった。

 

そうこうしているうちに、髭の濃い彼が、黒いコートの前をなびかせて、こっちに向かってきた。戻ってこないんじゃないかな、と頭の隅でひそかに思ったことを少し恥じた。やはり、律儀で、誠実な、いい奴なのだ。彼の報告によれば、向こう側の、道路際の防潮堤の上がいいらしい。カメラのモニターを見せてくれた。なるほど、画面の右端に灯台、左端に夕日が写っている。といっても、夕日は白飛びして、中心が白色の黄色っぽい大きな同心円になっていた。

 

この時も、二、三分か、四、五分話して、別れた。彼は、灯台の根本の岩場の方へ行き、見上げながら、写真を撮っていた。一方自分は、東側の砂浜と道路との境になっている、幅の狭い防潮堤の上を歩いて、彼の話していた場所で止まり、カメラを構えた。しかし、残念なことに、夕日は、最大限の広角にしても、画面にはおさまらなかった。おそらく、彼のカメラは、自分より広角なのだろう。とはいえ、灯台と夕日が、画面におさまる位置取りの限界はわかったわけで、その後は、そこから、灯台付近までの数メートルの範囲で、ベストポジションを探しながら、時間も、暑さ寒さも忘れて撮りまくった。

 

そして、まさに、太陽が、燃え尽きて、水平線にかかる刹那、西側の浜に戻って、広場の椰子の木や<絆の鐘>を写し込んだ、自分だけのベストポジションで、最後の時を楽しんだ。

 

夕日は、いつも思うのだが、水平線にかかると、あっという間に沈んでしまう。その間、どのくらいの時間なのだろうか?計ったことはないし、計ろうとも思わないが、とにかく、短いことだけは確かだ。そうそう、案の定、この日没の瞬間には、文字通り広場は人間でごった返していたようだ。しかし、画像には、黒いシルエットが、端に少し映り込んでいただけだ。自然の美しさに感動する、人間の謙虚な姿、と思えないこともない。

 

落日。急に辺りがしらけた感じになる。とはいえ、これからの数十分が<ブルーアワー>だ。陽が落ちた後も、広場や灯台周辺の人影が消えないのは、劇的な落日とは好対照の、かそけなく美しい夕空を見たいからなのだろうか。今一度、いや、今三度くらいかな、七色に染まる夕景を撮るために、波打ち際の方へ行った。言わば、今日一日の、最後の最後の仕事だ。そう、なぜか、水平線の近くがオレンジ色で、上にあがるにしたがって、徐々に淡い水色に変わっていく。これまで、気づきもしなかった、静かな美しさだ。その真ん中に、灯台が立っていた。

 

引き上げる前に、反対側の浜に行った。撮影場所を教えてくれた律儀な青年に、一言、声をかけたかった。彼は、狭い防潮堤の上で、写真を撮っていた。またしても、二、三分、いや、五六分、立ち話をした。ニコンのD750という本格的な一眼レフカメラを持っていたので、なにか、SNSでもやっているのか、と聞くと、以前はやっていたが、最近はほとんどアップしていないとのこと。

 

カメラ一台で給料が吹っ飛ぶ、とも言っていたので、独身のサラリーマンなのだろう。昨日はセントリアで撮っていて、今日は、夕日を年賀状に載せるために撮りに来たとも言っていた。<セントリア>?と聞き返した。中部国際空港のことらしい。なるほど、昨日は土曜日、飛行機で来たんだ。<ありがとうね>とちょっと手をあげて別れた。いい青年だった。

 

駐車場へ戻った。小屋の明かりがついていたので、ちょっと寄って、おばさんと話した。明日も早朝から来るので、駐車代¥1000を先払いしておきたかったのだ。マスクをしていたから、たしかなことは言えないけど、小柄だが、しっかりした顔立ちの美人だった。年は、六十前後で、おそらく漁師の女将さんなのだろう。だが、話しぶりが知的だった。そういえば、昼間、小屋に居た爺さんも、話し方が穏やかでちゃんとしていた。

 

愛知県知多半島名古屋弁は関係ないのだろうか、言葉の抑揚、アクセントなどにも、まったく違和感がなかった。おばさんと、心からの挨拶を交わして、小屋を後にした。<お気をつけて><ありがとうございました>。辺りはほぼ暗くなっていた。疲労感はなく、心がやや軽い感じだった。さあ、引き上げだ。

 

宿にはすぐについた。灯台から四、五キロのところにあるので、ものの十分とかからなかった。国道からはそれて、海の方へ細い道をうねうね行くのだが、曲がり角ごとに、案内板がある。ナビに従わなくても、間違えることはなかった。

 

半官半民のような組織が全国的に持っている宿泊施設の一つで、建物はしっかりしている。手入れもよく、きれいだった。一泊二食付きで¥12000だから、食事はさほど豪華なものではないが、特筆すべきは、温泉が広くて、きれいで、しかも、ほぼ貸し切り状態だったので、非常に良かった。

 

コロナ対策も万全で、バリアフリーも完備。従業員は、ほとんどが六十代以下の女性で、顔立ちのしっかりした都会的な人が多かった。応対も、それなりに丁寧で問題はない。それどころか、翌朝の、朝食終わりで、コーヒーを飲みながら、窓の外の海を眺めていたら、若い、しかも美人の従業員が<今日はいい天気ですね>と、声をかけてきた。その後、二、三分、言葉を交わした。こんなことは、これまで七回の灯台旅で初めてだ。広い食堂で、五、六組、食事をしていたが、一人で食べていたのは、自分一人だった。後姿に、ジジイの悲哀が漂っていたのかもしれない。

 

部屋はベッドが二つ並んでいるツインで、設備、調度品もみなきれいで、新しい。食堂で夕食を済ませたあとは、ちょこっとメモ書きして、おそらく、すぐに寝てしまったようだ。何しろ、今日は、朝の三時半に起きて、400キロの道のりを六時間半運転して、その後も手を抜くことなく、陽が沈んだ後までみっちり写真撮影だ。ま、それでも、初回の、犬吠埼旅のような、身も蓋もない疲労感はなく、元気だ。撮影旅に慣れてきたのだろう。

 

そうそう、もう一つ、書き記しておこう。それは、例の<地域クーポン券>のことで、ここでは、二泊分でなんと¥4000!ゲットした。のみならず、なぜか、宿の売店だけで使える¥1000券もくれた。正規で泊まれば、二泊で¥24000だが<Goto割り>もあり、クーポン¥5000分を差し引くと、実質一泊¥7500くらいで泊まれたことになる。廃墟のような安ホテルでも素泊まり一泊¥5000取る今日日、これは安いだろ。しかも、お食事つきですからね!

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#5

野間埼灯台撮影4

 

二日目の朝は、<6:30 起床 8時朝食 8時30分出発>とメモにある。朝食の時間は、コロナ対策で、受付であらかじめ決めさせられていたわけで、そう、八時しかなかったのだ。撮影に出るにはやや遅い。したがって、朝食前に支度を全て済ませて、食べたらすぐに出られるようにしておいた。もっとも、野間埼灯台に関しては、山が邪魔して朝日は望めない、と駐車場のおばさんから聞いていたので、さほど早く出る必要もなかった。とはいえ、午前の明かりでの撮影は必須で、明日は移動日だから、今朝しかないのだ。のんびりはしていられない。

 

九時前に、野間埼灯台前の駐車場についた。小屋は閉まっていて、二トン車が一台駐車している。運転席に人影が見えたので、休憩しているのだと思った。車は、昨日とほぼ同じ場所に止めた。真正面に灯台が見える。装備を整え、歩き出した。途端に、横からガタガタの白い軽トラが来た。すぐ横で止まり、運転席側の窓から、おばさんが話しかけてきた。今日は小屋をあけないので受け取れない、と言って千円札を一枚渡してきた。昨夕、自分が先払いした分だ。

 

いちおう、遠慮したが、向うの意志が固いので、すぐに受け取って、ポケットにしまった。それから、五、六分、世間話をした。灯台の向こうの海には、小さな漁船が行ったり来たりしていた。親類の船だ、とおばさんが言った。なにが捕れるのですかと聞くと、タコが捕れると答えた。おばさんの服装は、作業着に変わっていた。明らかに、漁港か畑へ行って、仕事をする雰囲気だ。その後、ちょっと話が途絶えたのをきっかけに、今朝も、心からの挨拶を交わして別れた。<お気をつけて><ありがとうございました>、と。

 

快晴だった。文字通り雲一つない青空だ。灯台正面の広場に、人影はない。平日月曜日の、朝九時だ。してやったりと思った。人がいて、昨日は撮れなかった位置から、灯台の正面写真をゆっくり撮った。何とか一枚くらいは、モノになりそうだ。あとは、東西の浜を、端から端まで移動して、撮り歩きした。昨日みつけたポイントで立ち止まり、再度、構図を確認した。同じ絵面でも、明かりや空の様子が違うので、灯台が新鮮に感じられた。それに、画面に人影が入らない。観光客がいないからね。風もなく、暑くも寒くもない。良い天気だった。

 

午前の撮影が一通り終わった。時計を見たのだろう、十一時だった。九時から撮り始めたのだから、二時間たっている。あっという間だった。休憩方々、隣の漁港へ移動しよう。国道をホテルの方へ少し戻ったところに漁港への出入り口がある。昨日来るときに確認していた。それに、防波堤が見えるということは、あそこから、灯台も見えるわけだ。漁港だから防波堤灯台もある筈だ。

 

注釈 この漁港は<冨具崎漁港>という釣りの名所。国道は、247号線で、常滑街道ともいう。

 

国道を左折して、漁港に入っていくと、左手に広い駐車場があり、車がたくさん止まっていた。釣り人だろうなと思いながら、適当なところに駐車して、外に出た。<名古屋>とか<豊田>とか愛知県ナンバーが多い。防波堤に沿って、細長い芝生広場があり、さらに、その防波堤には、何か所か上にあがる階段がついている。要するに、この一角は、駐車場、芝生広場、防波堤とをひっくるめた公園なのだ。

 

防波堤の上にあがった。もろ、逆光の中、野間埼灯台が小さく見えた。望遠で狙ったが、空の色が飛んでしまう。写真的には、さほど期待できない。とはいえ、きらきら光っている海、彼方に大きな船も見える。いい景色だ。灯台が眺められる場所はすべて回る、という自分の撮影流儀に従って行動している。この位置取りから、灯台を見たということが重要なのだ。無駄足を、意味ある行為だと思いたかった。

 

少し行くと、防波堤は右直角に曲がっている。右下が係船岸壁で、小さな漁船が数珠なりだ。灯台に背を向けて、さらに行くと、小さな防波堤灯台らしきものが見えた。赤と白だ。ただし、何と言うか、機能的には灯台なのだろうが、フォルム的には、単なる円筒形の物体で、ロケットのような形だ。上の方に、太陽光蓄電池がついていて、頭のてっぺんが、ランプになっている。ま、いわば、安価な<灯台ロボット>だ。

 

それでも、夜の港では、ぴかぴかぴかぴか光って、漁船の安全を確保している。機能一点張りの物体だが、彼らとて、一応は灯台の範疇に入るのだろう。それに、ここまで歩いてきて、一枚も撮らないで帰るのもシャクだし、何よりも、彼らに失礼ではないか。一応は記念写真だ。望遠カメラをしっかり構えて、何枚か撮った。

 

そうだ、書き込むのを忘れたことが、二つある。一つは、若い女の子二人連れが、派手な肩掛けで寒さをしのぎながら、防波堤で釣りをしていたことだ。男の連れがいたとは思えなかったので、なんだかおもしろい感じがした。自分がガキの頃には、釣りと言えば男の子の遊びで、女の子は、怖がって、エサもつけられなかった。それが、半世紀以上たった今、<釣り女子>が普通の光景になった。

 

もう一つは、小太りの父子が、変な色のタコを釣り上げた瞬間にでっくわしたたことだ。ぽっちゃりした顔の父親が、人に聞こえるような声で、<なんか変な色だな>と言っている。そばで、体形も服装も、ほぼ相似形の息子が、少し引いた感じで見ている。通りすがりに、ちらっと、防波堤にべったり張り付いている手のひら大のタコを見た。やや透明で黒い筋が入っている。形はタコだが、タコらしくない。父親が、いたずらっぽい目で見上げて、そのあと、ニヤッとした。童顔だった。こんな人懐っこい釣り人には、初めて出会ったような気がする。

 

野間埼灯台に再度戻ったのは、十二時すぎだった。メモに書いてある。正面、それから左右の砂浜を行き来して、側面の撮影ポイントで丹念に写真を撮った。同じ場所で、同じような写真を、何度も何度も撮っているが、やはり明かりと空の様子が違うからだろう、飽きはしなかった。だが、おのずと、撮影ポイントが絞られてきて、一回りする時間が短くなったような気がする。

 

おそらく、少し疲れたのだろう。一時半過ぎに、砂浜から上がって、駐車場の隣のカフェレストランに入ったようだ。夕方の撮影にはまだ時間があったし、コーヒータイムだな。それに、どんなところか、一度は入ってみたかった。入り口で、コーヒーだけでもいいですかと聞いた。大丈夫です、ということで中に入った。店内は、わりと広く、ゆったりしている。それに客もまばらだったので、ゆっくりできそうだ。壁に、アフリカの仮面などが飾ってあり、まずまずの雰囲気の店だった。

 

ホットコーヒーを頼んだ後で、アイスコーヒーにすればよかったと思った。季節的には十二月上旬だが、服装的には真冬仕様なので、少し暑くなり、のどが渇いたのだ。ま、いい。テーブルの下で靴を脱いだ。さすがに靴下まで脱ごうとは思わなかった。それほどには暑くない。窓際の席には、二組先客がいた。話し声はほとんど聞こえない。こちらは、通路を挟んだ、壁際の長いソファー席に一人で座っている。ぼうっとしていてもしようがないので、カメラのモニターを始めた。

 

そのうち、窓際の一組が出て行った。店内はさらに静かになった。ところが、その静寂も長続きしなかった。入れ替わるようにして、おばさん四人組が入ってきて、窓際の席に陣取った。自分からは、斜め前方になる。なんで、おばさん連中というのは話声が大きいのだろうか!それに、あることないこと、次から次へと話題が尽きない。店内に、いわば、おばさんたちの話し声が響き渡っている。しばらくは我慢して、カメラのモニターを続けていた。だが、もうコーヒーも飲んでしまったことだし、限界だ。席を立った。ま、それでも、二十分くらいは店に居たようだ。

 

その後は、車に戻り、後ろの仮眠スペースに滑り込んで、少し横になっていた。車の中は、窓を閉め切った状態でも、さほど暑くなかった。そのうち、隣に黒っぽい車が入ってきた。ドアの開け閉めの音や人の話し声がうるさい。起き上がった。そのあと、お菓子を少し食べたような気がする。そして、再度時計を見たのだろう、<2:00~昼寝 2時30分 撮影>とメモにある。三十分ほどは車の中に居たことになる。

 

 

灯台紀行 旅日誌>2020年度版 愛知編#6

野間埼灯台撮影5

 

装備を整え、野間埼灯台の最終撮影に出発した。ちょっと大袈裟かな。今回は、カメラバックに三脚を装着した。というのも、夕景、さらには夜景の撮影に、三脚は必須なのだ。遅ればせながら、先ほど、灯台の根本にライトがあることに気づいた。気づくのが遅すぎるだろう!今日は、灯台がライトアップされる瞬間も撮ろうというわけだ。

 

まずは、道路を渡って広場に入り、灯台の正面に出た。太陽は、すでに灯台の頭の辺りにまで降下していた。しかし、まだまだ、光が強い。目に危険なので、ファインダーはほとんど見ないようにして、いわば、ほぼ<ノーファインダー>でシャッターを押した。いま思えば、カメラにも危険なのではないか!どうせ、モノにならない写真なんだ、今後は慎もう。その後は、左右の砂浜を行ったり来たりしながら、刻一刻と変化する、空の様子や、灯台の様子を写真におさめた。撮影二日目なので、気持ちに余裕があり、この時間帯、昨日はゆっくり撮れなかったポイントでじっくり撮った。

 

再度、広場に上がった時には、太陽はさらに下降し、灯台の胴体の真ん中あたりで、最後の輝きを見せていた。そろそろ陽が落ちるなと思った。地上の色も明らかに赤っぽくなり、落日が近づいている。と、先ほどから、目の端で気になっている点景がある。それは、若い女の子で、小さなコンデジを手に持って、浜を行ったり来たり、あるいは、例の幅の狭い防潮堤に登ったりして、陽が沈む位置を確認している。灯台を見に来たついでに写真を撮っているという感じでない。

 

画面に何度も何度も入り込んでしまうので、なんとはなしに観察していた。小柄でベージュのコートを着ていて、地味な感じだ。表情に少し影があるような気もする。見たところ、連れはいない。少し、心が動いた。まだ二十歳そこそこの女の子が、一人で夕陽を撮りに来た。余計なお世話だが、何か悲しいことでもあったのか、とついつい考えてしまう。

 

いつもの自分なら、話しかけることはしなかったろう。ただ、今回の旅は、なぜか気安い感じのおじさんになっていた。昨日も髭の濃い青年に話しかけたばかりだ。すれ違いざまに、サングラスを外して<夕日の沈む場所を探しているの>と声をかけた。少し警戒した目でじっと見られたが、<絆の鐘>の辺りに沈むよ、と言葉を続けた。さらに、昨日もそこで撮ったんだ、と言うと、彼女は目を輝かせて、写真を見せてください、と元気よく応じてきた。警戒心が解けたようだ。その後、五、六分立ち話をした。

 

いまさっき撮った、コンデジの写真も見せてくれた。アンダーな感じだ。本人もスマホの方がきれいに撮れる、と言っている。ちょっと考えて、コンデジを<夜景>モードにすることを教えた。ためしにと、彼女はすぐに、目の前の夕景を撮った。画像はスマホ並みに明るく、きれいになった。彼女の、驚いたような、うれしそうな声が聞こえた。

 

さらに<絆の鐘>付近の、落日ポイントまで連れて行き、ベストな構図を教えてあげた。あとで考えると、これは余計なお世話だった。おそらく、この時の彼女の心情は、<絆の鐘>とは正反対なものだったに違いないからだ。いや、これもおじさんの妄想だろう。そのあと<それじゃ、頑張って>と言って別れた。<ありがとうございました>と応じた彼女の表情が、少し明るくなったような気がした。

 

そうこうしているうちに、穏やかになった太陽が、水平線にかかりはじめた。と思ったが、なんだか様子が変だ。水平線近くに、雲がたなびいていて、太陽は、その雲の中に落下しつつある。昼間は雲一つない快晴だったのに、まいったな。完全な意味での日没は拝めない。昨日のような完璧な日没は、僥倖だったわけで、撮れてよかったと思った。

 

こうなった以上は、水平線に沈む太陽、いや違った、水平線近くの雲間に隠れる太陽に執着する必要もあるまい。価値があるのは、水平線にかかる、線香花の火の玉のような太陽なのだ。これも思い込みだな。ま、とにかく、<絆の鐘>付近からの写真はあきらめて、昨日撮れなかった<ブルーアワー>時の西の空を撮るべく、東側の浜へと移動した。

 

広場を通過する際、思いのほか人がいるのにちょっと驚いた。平日の月曜日、午後四時二十分頃、灯台の向こうの海に太陽が沈む、というそのことだけで、人間が集まってくる。日の出、日没が好きなのは、日本人特有のことなのか、いやそうでもなさそうだぞ。外国の写真にも、朝日や夕日が主題になっているものが多い。これは、500pxという、世界中のアマチュア写真家が投稿してくる画像サイトでも感じることだ。

 

この500pxには、自分も、数年前から投稿している。ただし、<花写真>のみである。というのも、とくに、風景写真はレベルが高くて、いまでも、とてもじゃないが太刀打ちできない。<花写真>に関して言えば、これは、まあ、互角に勝負できる。と自惚れているので、投稿を続けている。<太刀打ち>とか<勝負>とか言っているは、大袈裟だが、自分の写真が、あまりに見劣りするのは、気分がよくないものだ。

 

ちなみに、ポートレイトやヌードの写真なども、驚くほどレベルが高い。プロの予備軍といった感じだ。総体的に見て、<花写真>は、それらの写真に比べると、かなりレベルが落ちる。理由は、明瞭だ。カネになる写真か、そうでないかの違いだろう。風景、ポートレイト、ヌードは、500pxの、その先にプロの世界がある。だれが、どう考えたって、お花の写真でカネと名声が得られるとは思えないのだ。

 

話しを戻そう。東側の浜へ着いた後も、太陽は、水平線の少し上の雲間で、ぐずぐずしていた。だが、正確な意味での、日没ではないが、雰囲気的にはすでに日没で、急速に暗くなり始めた。空の様子は、下の方の雲が青灰色になり、その少し上の空が淡いオレンジ色、上に行くにしたがって、これまた淡い水色に諧調していく。その真ん中に、やや無表情の、多少しらけた感じで灯台が立っていた。

 

全体的には、もの静かな雰囲気で、何と言うか、日暮れの、敬虔な祈りの時間といった感じだった。もっとも、カップルが一組、それに、若い女の子の二人連れが、画面に入り込んでいた。ほとんど点景に近いから、さほど気にはならなかったが、それでも、やはり居ない方がいいに決まってる。もっとも、この値千金の時間、立ち去る様子もないわけで、致し方ないのだ。

 

あとは、カップルが、灯台の手前の大きな流木の上に、肩寄せあって座っている姿は、ほほえましいが、写真的には排除したいところだ。とはいえ、うまく消去できないかもしれない。少しじりじりしていたのかもしれない。このあと西側の浜へ移動して、灯台のライトアップに備えなければならないのだ。

 

カメラを装着したままの三脚を肩に担いだ。カップルが立ち去らないのを確認して、西側の浜に戻った。砂浜と岩場が、混在する場所に三脚を立てた。灯台からは、二十メートルくらい離れていただろうか。要するに、近すぎず、遠すぎずで、余裕をもって、灯台全体を、画面におさめられる位置取りだ。ファインダーを覗くと、画面の雰囲気は劇的に変化していた。全体がうす紫色。よくよく見ると、水平線近くの雲は青灰色で、その上の空がきれいなオレンジ色に染まっている。さらに、上に行くにしたがって、オレンジ色はうす紫色へと微妙に変化していく。美しい、というほかに、言葉が見当たらない。

 

その光景にうっとりしながら、いや、夢中になりながらも、リモートボタンを慎重に押し続けた。と、一瞬、ぱっと目の前が明るくなった。真白な灯台が、うす暗い海岸に浮かび上がった。ライトアップだ。してやったり、と思った。ほぼイメージしていた通りの光景が、目の前にあった。ただし、灯台の頭の方がやや暗い。この事態は想定していなかった。

 

そのあと、さらにあたりが暗くなり、うす紫の、敬虔な祈りの時間、<ブルーアワー>も終わった。その時はじめて、事態の深刻さ?に気づいた。どういうことなのか、つまり、灯台の胴体と頭とのつなぎ目?が、嵩張っていて、人間で言えば首の部分だろうか、下からのライトを遮っているのだ。結果、頭の方には光が当たらず、真っ暗なのだ。

 

その嵩張りは、ピエロが首のまわりにつけている蛇腹のひらひらしたものをイメージしていただきたいのだが、むろん、デザインとしては、一分の隙もない、灯台の、素晴らしい造形の一部だ。昼間は、所与のものとして、当たり前だった、この灯台の形が、下からのライトアップで、はからずも、頭のない、胴体が長くて白い、異様な建造物に見えてしまったわけだ。

 

さらに悪いことに、側面からの仰角、つまり、灯台を横から仰ぎ見ているので、頭の方が小さくなり、見えづらくなっていた。結果、灯台の命とでもいうべき、目からの光線も見えず、目=レンズが光っていることさえ、はっきり目視できなかった。

 

それでも一応、辺りが漆黒の闇になるまで、その場にとどまり、ライトアップされている灯台の写真を撮った。これは、写真的には、到底納得できるものではなかったが、状況証拠、というか記念写真として撮っておくべきだと思ったのだ。

 

無駄で、意味のない行為ではあったが、真っ暗になった砂浜でたった一人、額にへッドランプをつけ、灯台の夜間撮影をしている人間が、それほどバカにも思えなかった。自宅から400キロ離れた海岸で、誰にも知られず、灯台などを撮っていることが、わけもなく愉快だったからだ。人生の、時間の、自分というものの桎梏の中で、せめて、あがいてみせる、くらいのことはしているつもりだった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#7 宿~移動

 

漆黒の闇に佇む灯台は、たしかに魅力的であるにはちがいない。だが、頭部が見えないことで、魅力は半減どころか、ほとんどなくなってしまった。灯台の全体像、機能美の極致ともいうべきその造形に魅かれていたことが、はからずも理解できたわけだ。もういいだろう、引き上げよう。

 

暗い砂浜を、ヘッドランプの光で照らしながら、広場に上がった。周囲は、街灯などの明かりで、意外に明るかった。正面から、灯台をちらっと見た。頭がうっすら見える。おやっと思って、肩に担いだ三脚をおろし、何枚か撮った。だが、露出差の関係で、頭部は真っ黒だった。それよりも、下からのライトを受けた胴体の窓などが、目だの口だのに見える。ちょうど、シャンプーハットをつけた、縦に目が二つ並んだお化けのような感じで面白い。すでに、灯台は不可思議なオブジェと化していた。

 

時計を見た、と思う。五時半は過ぎていたような気がする。六時二十分が夕食の時間だ。受付の女性にもらったメモを財布から取り出して確認した。10分あれば宿にはつける。陽は完全に落ちて、外は真っ暗、街灯や車のヘッドライトが眩しい。どことなく、夕方のせわしなさを感じたが、気持ち的には余裕があった。すぐ近くの国道沿いにガソリンスタンドがある。昨日来た時にインプットされていた。<地域クーポン券>が使えれば、ベストな消化方法だ。寄ってみるか。車を出した。正面の、ライトアップされた灯台が目に入った。お化けが、バイバイしているように見えた。ハンドルを右に切って、国道に出た。ちょっと名残惜しかった。

 

ガソリンスタンドはすぐだった。ハンドルを左に切って、中に入ると、おじさんが誘導してくれた。ややつっけんどんな感じ。窓を開けて、<地域クーポン券>使える?とたずねた。使えるよ、とおじさんの声が聞こえた。そのあと、なんかごちゃごちゃ言っているが聞き流して、¥2000分いれて、と言って券を渡したような気がする。

 

車を給油位置につけ、給油口をあけて、外に出た。制服を着た従業員が一人いて、彼が、ガソリンを入れている。となると、おじさんは、バイトかな?いや、あの口の利き方は、経営者かも知れない。私服だしな。そのおじさんが、<川越か>とこっちに聞こえるように言った。その後、給油が終わるまでの数分間、立ち話をした。駐車場のおばさんも<川越>のことは知っていたようだし、<川越>も有名になったもんだと思った。

 

宿についたのは六時頃だった。夕食まではあと二十分しかない。受付で部屋のキーを受け取り、狭いロビー内に併設されている、縦長の売店でお土産品を物色した。何しろ、クーポン券がまだ¥3000もあるんだ。品ぞろえは悪くないが、これといったものがない。と、一番端の棚に、<招き猫>が数種類ならんでいた。おっと思い、立ち止まった。大きな物はいらない。中くらいの物を手に取り、値段を見た。¥4000。意外に高いな。入り口に座っていた係の女性に声をかけ、そばまで来てもらった。

 

質問事項は二つ。ひとつ目は、本物?の<常滑焼>なのか?ふたつ目は、右手を上げているのと、左手を上げているのがあるが、その違いは?ひとつ目の答え、間違いなく<常滑焼>です。ふたつ目の答え、右手を上げているのはお金を招く、左手を上げているのは人を招く、とのこと。この、二つ目の答えには感心した。そういう意味があったとは、今のいままで知らなかった。ふと、壁に貼ってある、観光案内ポスターを見た。招き猫が、左手をあげている。なるほど、と二度感心した。

 

結局、招き猫は<中の中>の大きさの¥3000の物を買った。あとついでに、焼き海苔も買った。海苔は、宿の前の海で養殖されているのを見て、食べてみたくなったのだ。それに夕食に出た<岩のり>の小鉢が、淡い味付けでおいしかった。だが、帰宅後、この焼き海苔は失敗したと思った。常食しているスーパーの佐賀県産の物より、かなり味が落ちる。ともに¥500前後だが、愛知産の方は、量が倍くらいあった。その分、質が落ちるのかもしれない。一方、招き猫の方は、大正解だった。大きさ的にはちょうど、ベッドの頭の上に置けるくらいで、しかも、ニャンコの骨壺と並べると、ぴったりだ。三毛の招き猫には、ニャンコのお友達になってもらおう。

 

<地域クーポン券>¥5000分を、かなり有効に消化したので気分がよかった。部屋に入って、すぐ浴衣と丹前に着替えて、食堂へ向かった。その際、アメニティーの手ぬぐいを一本手にした。食事終わりに、温泉に入ろうというわけだ。予約してあった時間、すなわち六時二十分、少し前に食堂の入り口に立った。昨晩と同じ席に案内され、昨晩と同じように、食前の飲み物は断り、さっと食べて、さっと引き上げた。二日目の夕食は、多少目先が変わったものの、味が同じなので、さほどうまいとも思わなかった。むろん、この宿でおいしいものが食べられるとは思っていないので、不満はない。

 

温泉は、それに比べて、今日もグッドだった。入っているあいだ、誰一人姿を見せず、広い、きれいな温泉を独り占めした。透明で少しぬるっとした温泉は、肌に優しく、臭いもほとんどない。ちょうどいい温度で、縁に背中をつけ、両足を前に伸ばして、ゆっくりくつろいだ。十分満足して、気分良く部屋に戻った。その後は、冷えたノンアルビールを飲んだのだろうが、よく覚えていない。メモ書きが残っているから、メモだけは、しかたなく書いたような気もする。おそらく、八時すぎには寝ていたにちがいない。

 

三日目

<6:00 起きる ほぼ一時間おきにトイレ 眠りが浅い>とメモにある。その通りなのだろう。ちなみに、<眠りが浅い>のは物音のせいではない。ホテルは、やはりというべきか、朝の六時すぐまでは、しんと静まり返っていた。朝食の予約時間は、七時だった。それまでに、宿を引き払う支度を済ませたのだと思う。朝食は、昨日と同じで、納豆以外はすべて完食。うまい、まずいは関係ない。今日一日のエネルギー補給の意味でがっつり食べた。ただ、小さなプラ容器に入っていた納豆は、まずすぎて食べられなかった。そもそも、納豆は嫌いなのだ。だが、発酵食品でもあるし、体のためを思って、スーパーのプライベートブランドで、三個ワンパック¥80の格安納豆?を毎朝常食にしているのだ。それよりも、はるかにまずかったのだから、食品ロスになるとはいえ、お引き取り願うのは、致し方のない話だ。

 

<7:45 出発>。ナビを伊良湖岬灯台手前の、赤羽根防波堤灯台にセットした。この灯台は、ネットで見る限り、周囲のロケーションが素晴らしいので、寄ることにしていた。それと、ルート選択で<高速優先>を選んだ。というのも、三河湾沿いの一般道を走っていくルートもあるからだ。高速代¥2000をケチって、およそ140キロ、三時間半もの道のりを、一般道でたらたら行けないでしょう。もっとも、高速を使っても三時間半くらいはかかる。だが、半分以上は高速走行だ。疲労度が全然違う。目的地に着いた後には、ジジイには過酷な?写真撮影が待っている。移動で体力を消耗するわけには行かないのだ。

 

最寄りの美浜インターから南知多半島道路に入り、伊勢湾岸道を北上。豊田ジャンクションで東名に入り、音羽蒲郡インターで降りて、知多半島の一般道を南下する。というナビの示したルートを眼で確認して、出発した。ところが、楽勝と思っていたこの移動は、朝からとんでもない緊張を強いられる結果となった。

 

まずもって、時間帯が悪かった。ちょうど、通勤時間帯と重なってしまった。ということは、車の量が多いうえに、みんな急いでいるということだ。県民性云々の話はしたくないのだが、名古屋、豊田ナンバー、運転が荒い!さして広くもない片側二車線の有料道路を、自分としては、左側を謙虚に90キロくらいで走っていた。なのに、バックミラーに、黒いワンボックス車が迫ってくる。運転している若い女性の表情まで、手に取るように見える。と、その瞬間、女性の顔が消えて、今度はすぐ横を黒い物体が走りぬけていく。

 

おいおい、あさっぱらから勘弁してくれよ。ところが、彼女だけではなかった。次から次へ、後ろから後から車が迫ってくる。もうバックミラーで相手の顔を確認する余裕もない。何しろ、90キロ前後で走っている自分の車をさっと交わし、ほとんど車間距離もとらず、みなして車列を組んで?右車線を100キロ以上ですっ飛ばしている。自動車の種類とか性能とか関係ない。おそらく、性別年齢も関係ないと思う。何しろ、おとなしく左車線を走っているのは、タンクローリーと<川越>ナンバーだけなのだ。

 

名古屋、豊田ナンバーたちは、よそ者の川越ナンバーに、嫌がらせをしているわけでもあるまい。みんな通勤で急いでいるのだ。それはわかる。ただ、だあ~~~と、車間を詰めてくるのはやめてもらいたいものだ。朝っぱらから、血圧が上がってしまった。おかげで、標識を見間違え、降りてはいけないところで、高速を降りてしまったのだ。

 

最初は、少し焦ったが、ま、そのあとは、腹を決めて、片側四車線の、高速道路が頭上に入り組んでいる、国道を走った。思いのほか道が広いので、一般道にもかかわらず、みな、70、80キロで走っている。といっても、適度の車間距離を保っているので問題はない。肩の力が抜けて、少しホッとしたのを覚えている。そのうち、この道が、国道一号線だということに気がついた。おそらく、名古屋の中心地を走っていたのだろう。なるほど、都心の道と遜色ない。広くて立派だ。だが、トラックが多いせいだろうか、排ガスが充満しているようにも感じた。

 

周囲はほとんど名古屋ナンバーだった。だが、あおるような運転をしている車は一台もないし、車間距離をつめられこともなかった。あの、悪夢のような、知多半島有料道路の、朝っぱらの三十分間は何だったんだ。ちょっと、キツネにつままれたような気がした。そのうち、大きな標識に導かれ、豊明インターから東名高速に復帰した。岡崎を過ぎ、音羽蒲郡インターで降りた。

 

その後も、ナビを全面的に信じて、その指示に従った。交通量の多い一般道を走ったが、いつもの自分の運転で、ほとんど神経を使うことはなかった。知多半島を南下し始めたのが、ナビの画面でわかった。交通量が少なくなり、片側一車線の地方道だ。田原街道からそれて、半島の南岸?の道に入った。とたんに、道の両側にはビニールハウス、そのうち、一面のキャベツ畑だとか、なぜか、この時期に菜の花畑も見える。知多半島は房総半島のように温暖な気候なんだ、と思った。念願の、というか、多少因縁のある、伊良湖岬灯台に、かなり近づいていた。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#8

赤羽根防波堤灯台伊良湖岬

 

渥美半島の太平洋岸、赤羽根海岸についたのは、<11:00>頃だったと思う。正確には、<道の駅あかばねロコステーション>の駐車場に入ったわけだ。まず、そのアカぬけた施設のトイレで用を足した。自販機で缶コーヒーを買って飲んだような気もする。見回すと、あった。防波堤の先端に、もろ、逆光の中、お目当ての赤羽根防波堤灯台が見えた。だが、かなり遠いぞ。車を海岸沿いの駐車場へと移動した。ほんの二百メートルほどだが、灯台までの距離を稼いだことになる。ジジイの発想だ。

 

周辺は、芝生広場になっていて、整備されていた。トイレの建物も、公衆便所とは呼べない感じで、多少凝ったデザインだ。いまネットで調べて知ったのだが、この辺りは、<太平洋のロングビーチ>と言って、サーフィンの名所だそうな。外に出た。あまり気乗りしなかった。というもの、逆光なのだ。どう考えたって、きれいには撮れないでしょう。それに、遠すぎないか!

 

ぶつぶつ言ってもだめだ。ここまで来て、撮らないで帰るわけにはいかないだろう。防波堤灯台へ向かって歩き始めた。何やら工事をやっている。さらに近づくと、防波堤は立ち入り禁止、工事用のバリケートで仕切られていた。だが、簡易的な可動式のバリケートを並べているだけだから、簡単に突破できる。それに、灯台の近くには釣り人が何人かいる。立ち入り禁止など、まったく関係ない。ほとんど、何の罪悪感も感じないで、バリケートをまたいだ。

 

灯台に近づくにつれ、逆光よりも、その根本あたりにいる釣り人が気になってきた。なぜって、画面に、もろ入り込んでしまうのだ。赤羽根防波堤灯台は、よくよく見ると、赤羽根港の右岸側の先端にある。つまり、カタカナの<コ>の字の、下の横線の左側の先端に位置しているのだ。むろん、<コ>の字の開いている方に海があり太陽がある。いま自分はその<コ>の字の下の横線上にいて、左に向かって歩いている。先端に灯台があり、その手前に釣り人いる。邪魔なのだが、どうしようもないではないか。

 

だが、さらによくよく見ると、その<コ>の字の下の横線の、左側先端から、真下に少しだけ防波堤がある。つまりどういうことか、釣り人を少しかわして、灯台を横から撮ることができるということだ。ま、その位置取りに一縷の望みを託して、とりあえずは、強風の中、危ないからなるべく防波堤の真ん中に寄り、撮り歩きしながら先端に近づいた。灯台の根本に着くと、その周りを、ぐるっと360度回った。柵があるわけでもなく、すぐ後ろは海だ。突風が来て、よろよろっと、そのまま海の中へドブン、という可能性がなくもない。強風だったが、幸いにも、突風は来なかった。

 

先端の赤い灯台は、防波堤灯台とは言え、自分の背丈の三倍以上はあった。その根元に居るのだから、魚眼レンズでも使用しない限り、その全体は撮れない。要するに、写真が撮れる位置取りではない。したがって、灯台の周りをまわる必要もなかった。回ったところで、面白くもおかしくもなかった。

 

だが、ここまで来た記念だ。灯台の、赤いぶっとい胴体をアップで撮った。一応は、被写体に可能な限り近づき、その周りを360度回って撮影ポイントを探す、という写真撮影に関しての、自分なりの流儀を貫いたわけだ。だが、この時は、まったく意味のないことだった。<流儀>などよりも、身の安全や体力の温存を優先すべきだ。同じような過ちを、これまで、幾度となく繰り返してきたような気がした。

 

防波堤に座って釣りをしている爺を見た。こちらの思惑など、千に一つも理解していないだろう。ま、いい。逆光だし、この位置取りでは、灯台の見栄えもさほど良くない。いまだ可能性が残っている短い防波堤の方へ行った。ま、たしかに、多少はいい。だが、逆光も釣り人の爺も、さほどかわすことはできず、灯台のフォルムもイマイチだ。無駄足だった。苦労して、ここまで歩いてきた自分が、もう自分でも理解できなかった。

 

戻った。はるか彼方に、車を止めた駐車場が見えた。あそこまでまた歩くのかと思って、うんざりした。とはいえ、辺りの景色は素晴らしかった。とくに、弧を描いた砂浜がきれいで、波打ち際がエメラルド、海の色はマリンブルーだった。人影がほとんどないのに、もの悲しい感じはせず、南の島のような雰囲気が、自分にはそぐわないが、いやではなかった。

 

<11:45 出発>とメモにある。と、これ以前の出来事をひとつふたつ付け加えておこう。駐車場に戻って、着替えをして、こじゃれたトイレで用を足した。着替えに関して言えば、寒いのに、歩き出すと背中にだけ汗をかく。この現象は、カメラバックなどを背負っていればなおさらで、背中だけが、なぜこれほどまでに蒸れるのだろうかと、今更ながら思った。こじゃれたトイレに関しては、野次馬根性というか、冷やかし半分、中がどんな感じか見てみたかったのだ。どこか、ワンコが片足を高く上げて、電信柱にオシッコをひっかける、マーキングに似ていないこともない。

 

<12時30分 伊良湖 着>。八時ころ出発したのだから、四時間半たっていた。途中、赤羽根灯台で小一時間引っかかっていたのだから、実質、三時間半かかった。ま、予定通りだな。と、気まぐれだ、少し時間を戻そう。赤羽根海岸を後にして、伊良湖岬へ向かっていくと、じきに、見上げるような岬のてっぺんに白い大きなホテルが見える。なるほど、あれが<伊良湖ビューホテル>か。旅に出る前、一度予約に成功したホテルだ。値段的には、<Goto割り>適用で、確か一泊素泊まりで¥10000ほどだった。下を通り過ぎながら、泊まってみたかったなと思った。ちなみに、キャンセルしたのは、日程上の問題で、致し方なかったのだ。

 

さてと、伊良湖岬に着いた。灯台へ行くには、<恋路ヶ浜駐車場>に車を止めて、海岸沿いの遊歩道を10分ほど歩いていくしかない。駐車場は無料、広くて、トイレもあり、ちゃんと管理されている。土産物店などが五、六軒、敷地の外に並んでいて、食事もできる。外に出て、まず、太陽の位置を確認した。正面の海の上、冬だから、角度的にはさほど高くない。きれいな写真が撮れる位置にある。

 

おそらくは、カメラ二台を肩にかけ、三脚を手に持って、歩き始めたのだと思う。砂浜沿いの遊歩道は、途中、ちょっとだけ砂で覆われていて歩きづらかったが、おおむね石畳の道で、問題はない。うしろを振り返ると、きれいな砂浜が弧を描いていて、断崖の上、岬のてっぺんに伊良湖ビューホテルが見える。右側は、崖で、山が迫っている。五分ほど歩くと、左側の砂浜が切れて岩場になる。だが、岩場が続くわけでもなく、波打ち際は、じきにテトラポットでガードされるようになる。

 

波打ち際と遊歩道との高低差、ないしは、距離は十メートルくらいある。テトラが波際の最前線で、二重、三重の防御だ。さらに本隊は、大きな石たちで、遊歩道の縁まで段々に積み上げられている。が、いま思えば、この大きな石たちは、波際対策のみならず、景観を配慮しての配置だったようにも思える。というのも、かなり広い遊歩道の左側、すなわち海側には、腰高の大きな石を並べて作った塀があり、狭いながらも、その上を歩こうと思えば歩けるほどだ。

 

要するに、かなり金のかかった、凝った作りともいえる。その石塀のすぐ外側に、無機質なテトラポットが積み上げられていたら、これはもう興ざめだろう。波際最前線のテトラは、致し方ないとしても、目の届く範囲は、やはり、石塀や石畳と同じ材質の石を配置して、全体的な統一感を演出する必要がある。つまり、この遊歩道は、単なる遊歩道ではなく、ある一つのコンセプトに基づいて制作された芸術作品だったのかもしれない。

 

だが、この遊歩道は、よいことばかりでもなかった。灯台に近づくにつれ、なにかが刻字されている石が目立ち始めた。近寄ってよく見ると、俳句らしきものが刻字されている。それも、一つや二つではない。軒並みだ。塀の役割を担って並んでいる、大きな石の表面を削って平らにし、そこに、俳句を彫り込んでいるのだ。俳句に興味がなく、鑑賞できない者にとっては、ほとんど無視するほかあるまい。だが、ためしに、一つの石に近寄って、刻字されている俳句を眼で追った。やはり、何のことかよくわからない。むろん説明もない。お手上げだった。

 

いま調べてわかったことなのだが、遊歩道の石に刻字されていたのは、江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>の<まじない歌>だったらしい。そして、この石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>というそうな。てっきり、伊良湖岬に関係する俳句や和歌だと思っていたが、ああ、勘違いでした。

 

とはいえ、句碑、歌碑が多すぎないか?ありていに言えば、いくら地元の有名な歌人とはいえ、石塀の表面に、軒並み俳句や和歌を刻字して並べるのは、あまりに心無い。もう少し、配列の美しさ、読みやすさへの配慮があってもよかったのではないか。たとえば、数を減らして、石塀の石とは別個の石に刻字し、歌碑、句碑とすることもできたろう。そもそも、和歌や俳句は、石にではなく、心の中に刻字されてしかるべきものだ。無筆の歌人<糟谷磯丸>も、観光客がふと立ち止まって、自分の歌を心の中で反芻することを、望んでいるのではなかろうか。

 

広い石畳の道、巨石を並べた腰高の長い石塀、膨大な波消し石、それに波の音、海、空。伊良湖岬灯台への道は、清々しい。それだけに、句碑、歌碑の設置、展示方法の齟齬が残念だった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#9

伊良湖岬灯台撮影1

 

海沿いの広い石畳の道を歩いていくと、ススキの生えた崖の横から、伊良湖岬灯台が、突如として現れる。なるほどこれが、と一瞬立ち止まり、さらに少し歩いて、よく見える場所まで移動した。意外に小ぶりで、こじんまりしている。防波堤灯台よりは大きいが、巨大な沿岸灯台の三分の一くらいしかない。しかも、丸っこいから、可愛い感じがする。ただ、長い間、強い海風や雨に晒されてきたのだろう、全体的に少し汚れている。手すりや扉などの錆が流れて、シミになっている箇所もある。

 

真っ白な灯台は、むろん好きである。とはいえ、多少経年変化している灯台は、それにもまして好きだ。やはり、画像よりは実物の方がはるかにいい。これはと思い、一気に撮影モードに入った。下調べの段階では、撮影ポイントは二つ、東西の側面からで、まずは、西側の腰高の石塀に登った。少し高い所から、目の前に広がる<灯台のある風景>を見回した。

 

伊良湖岬灯台は、まさに、波打ち際に立っていた。といっても、人間の背丈くらいの、コンクリの土台の上にあるから、直接波を受けることは少ないだろう。灯台の背後には水平線が見えた。ただ、今いる位置からだと、灯台も水平線も、傾いているように見える。つまり、灯台を垂直に見立てると、水平線がもっと傾き、水平線の水平を確保すると、灯台がさらに傾いでしまう、というおなじみのジレンマに直面した。

 

補正作業の、最近の傾向としては、<灯台の垂直>が最優先で、<水平線の水平>は、そのためには多少妥協する、という感じになっている。ま、それにしても、灯台と水平線が十字クロスする地点がベストポイントなわけで、その場所を探すべく、腰高石塀から海側の大きな波消し石の上に飛び移った。むろん、波消し石は、その上に、人間が都合よくのれるよう形をしているわけでもなく、配置されているわけでもなかった。

 

となれば、<沢登り歩行>を選択せざるを得まい。足を置ける場所を、目であらかじめ選択して、一歩一歩移動することになった。ただし、今回は、その選択がなかなか難しい。というのも、ランダムに置かれている波消し石の間には、大きな隙間がある場合もあり、飛び移るのに危険を感じることがあった。もちろん、その場合、たとえ足をのせる場所があっても、その石は選択から除外せざるを得ない。

 

しかも、波消し石のほとんどが、一抱えほどの大きさだ。なので、行きたい方向に存在する石の数が少ない。いきおい、足場を選択できる場所も少なくなり、行きたい方へ行けないこともしばしばだった。その時は、迂回するしかない。しかし、迂回したとて、当初に目指した方向へ行けるとは限らない。むしろ、これまた、行けないことの方が多く、さらなる迂回を強いられた。ときどき、石の上に斜めに立って、周りを見まわした。だが、目指していた方向には、なかなか近づけなかった。

 

いまこの瞬間、あの時の自分の行動を思い返してみると、なんだか、かわいそうな気もするし、滑稽な感じでもある。というのも、あの膨大な波消し石たちは、全体としては、多少の傾斜を伴って、波打ち際のテトラポットへ向かって配置されていたわけで、要するに自分は、おおむね斜めに敷き詰められた、大きな石の間を登ったり下りたり、飛び移ったり、飛び下りたり、さらには、へっぴり腰で、四つん這になって、這い上がったりしていたことになる。<この世は舞台、人間は、そこで右往左往する役者だ>。まいったね。

 

話しを戻そう。目指した所へ、正確にはたどり着けなかったかもしれない。だが、目指す方向へは、おおよそ近づけた。しかも、迂回に次ぐ迂回で、写真的には、膨大な波消し石たちの、どの場所がだめで、どこがより有効なのかが理解できた。ま、いわば、足で稼いだわけだ。もっとも、灯台と水平線が十字クロスする地点は存在せず、あくまでも、その近似値で満足するほかなかった。ま、多少は補正ができるので、問題はない。

 

西側からの、ベストポジションを、おおむね確定できたので、その場所の石の形とか、全体の布置を記憶した。今日の午後、そして明日の撮影のためだ。いましがたの作業、大きな波消し石の間を飛び歩くことなど、もうやりたくなかった。そう、肝心の灯台の写真だが、波消し石の間を移動する際、その都度こまめに撮っていたので、枚数的にも、構図的にも、不安はなかった。一枚や二枚、気に入った写真が撮れているはずだ。

 

腰高の石塀から、下の石畳の道に下りた。その際、一気に飛び下りることはしなかった。あぶないでしょ。まず、塀の上に尻をつき、腰かけるようにして、両足を下に垂らした。ちなみに、腰高塀の上は、五十センチ幅くらいあった。それから、片手を尻の脇について、その手のひらを支点にして、ひょいと体を浮かせ、足を石畳におろした。そこでまた、灯台に向き直った。構図としては、右側に石畳の道が大きく入り込んでしまう。やや人工的な感じがして、気に入らない。ま、それでも、撮り歩きしながら、灯台に近づいていった。

 

灯台の正面、ちょっと手前、石畳の道が、山側に少し広くなっている。土留め石に(おしゃれなことに石塀などと同じ質感の大きな石だった)体をあずけながら、カメラを灯台に向けた。レンズの最大広角24ミリで、ぎりぎり、画面におさまる。とはいえ、画面の中での灯台が大きすぎる。大きく写し込んでも、かならずしも、被写体が際立つということにはならない。逆に、圧迫感が生じて、しつこい感じになることもある。撮影画像の選択作業の中で、最近得た知見だ。先に進もう。

 

灯台の正面に来た。と、山側にコンクリの階段がある。見上げると、もう少し高い所まで行けそうだ。気持ちが動いた。下調べでは見つけられなかった、ポイントだった。数段上がっては振り向き、その都度、構図を決めて写真を撮った。背景に大きく海が広がっていて、すごくいい。この階段は、幅は一メートルほどで、高さは三階くらいだったと思う。登りきったところは、いわゆる、踊り場で、一息つける。この一番高い位置からだと、水平目線が灯台の頭とぶつかる。灯台の高さも、やはり三階くらいだったわけだ。

 

踊り場の左手には、かなり急なコンクリ階段があった。幅は人間一人が通れるほどで、しかも、中央に金属の手すりがついている。階段が、手すりで縦に二分割されているので、歩ける幅はさらに狭くなり、かなり歩きづらい。もっとも、手すりは下りる時の滑落防止、および、登るときの補助としてちゃんと機能していた。実際に上り下りしてみると、歩きづらさを補ってあまりあるほどの効果があった。

 

手すりにつかまって、階段を登り始めると、灯台は死角になる。しかも、両脇は鬱蒼たる樹木で、左右の視界も全くない。階段は、おそらく三階ほどの高さだが、半端なく急なので、途中で一息ついたほどだ。上りきったところは、開けていた。山側を見上げると、さらに一段と高い所に、レーダー塔(伊勢湾海上交通センター)のようなものが見える。ただし、海側は樹木で覆われ、展望はない。

 

さらに見回すと、何やら、歌碑もある。右手には舗装路が見え、どうやら、ここが行き止まりらしい。だだし、正面の崖、というか山の斜面を登って、レーダー塔まで行けそうだ。とはいえ、ネット検索した限りでは、施設の中には入れそうにもない。それに、なんだか疲れていたのだろう、全然行く気になれなかった。歌碑にもちょっと近寄ってみたが、名前の知らない歌人で、案内板も読む気になれなかった。灯台は見えないし、レーダー塔に行くには大変だ。無駄骨だった。

 

急な階段を、手すりにつかまって下りた。金属の手すりがありがたかった。踊り場で立ち止まり、右を向くと、目の前に灯台があった。階段を下りながら、1メートル間隔で、灯台の写真を撮った。むろん、その都度モニターしたが、どの場所がベストポイントなのか、やや決めかねた。どの構図の写真にも、海を背景にした灯台の、何と言うか、優しい佇まいが写っていたのだ。もっとも、ちゃんと決める必要もなかった。短い階段だし、全部撮っておけばいいんだ。大した手間じゃない。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#10

伊良湖岬灯台撮2~土産物店

 

階段から降りて、灯台の正面に立った。伊良湖岬灯台が、いくら小ぶりとはいえ、至近距離では上半分、画面に入らない。ま、そういうことは、この際関係なかった。あくまでも記念写真だ。上半分が写っていなくても問題はない。あとは、扉とか手すりとか、細部をじっくり見た。ただし、ほとんど記憶されていない。ただ、近くで見ると、錆が流れている箇所が意外に多かったような気がする。灯台50選に選ばれている、有名な灯台なのに、やや、ほったらかしだ。もっとも、何年かおきに修繕しているのだろうから、修繕前だったのかもしれない。

 

その後は、来た方とは反対方向、つまり、フェリー乗り場の方へ少し歩いた。遊歩道は、右側の山の縁に沿って、ゆるい右カーブだ。ふと振り向くと、灯台はすでに死角になっていた。ということは、もうこれ以上、前に進む必要はない。回れ右。少し戻った。山側が広くなっていて、ちょっとした広場になっている。ベンチもある。座って休憩した。

 

ベンチに座った位置からでも、灯台は、見えることは見える。ただし、左から山の斜面がせり出していて、写真にはならない。景観ともいえない。少しの間、ベンチに座って、体を休めた。が、静寂はすぐに破られた。がやがやと観光客が来た。立ち上がった。気まぐれだろう、そばにあった、モニュメントや歌碑のそばに寄って、ちらっと眺めた。初めて見る名前だ。疲れていて頭が働かなかったのだろうか、覚えようともしなかった。

 

さてと、今度は東側の波消し石の上から、灯台を見てみよう。石塀に近づいた。見ると、一個一個の石の表面に、和歌なのか俳句なのか、なにか刻字されている。伊良湖岬に関する、万葉集の歌かなと思い、近寄って、文字を眼で追った。まったく意味が取れない。和歌なのか俳句なのか、文字は、石塀を構成している石に、一首ずつ、軒並み刻字されている。あの時は、それが何を意味するのか分からなかったし、わかろうとも思わなかった。

 

注釈 伊良湖岬灯台へと至る石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>と呼ばれている。<磯丸>とは江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>のことで、石に刻字された句は、磯丸の作品<まじない歌>だったらしい。

 

まず、カメラを二台、肩から外して、石塀の上に置いた。身軽になり、両手を石塀の上についた。次に、右足をあげて石塀の上に、足先をのせた。その足先を支点にして、ぐいと踏ん張り、石塀の上に飛び乗った。そのあとは、身をかがめてカメラを一台ずつ手に取り、一台は肩掛け、もう一台は首にかけた。そして、灯台を眺めた。ごくろうさん!灯台も水平線も、斜めにかしいでいる。波消し石の上を飛び歩くのは、もううんざりだったが、しかたない、やるしかないだろう。どの石の上から見れば、灯台の垂直と水平線の水平を確保できるのか、この目で確認しなければならない。

 

もっとも、今回は、多少手抜きした。というか、灯台との距離が、おのずと決まってきて、さほど前後に動く必要がなくなった。のみならず、構図的な問題で、左右の動きも、狭い範囲内でおさまった。つまり、灯台の左側からせり出している山を、どの程度画面に取り込むかが最大の問題で、この問題に決着がつけば、すなわち、その位置が東側のベストポジションになるのだ。

 

灯台からの距離は、およそ20メートル。足を置く波消し石は、石塀と波際のテトラポットのほぼ真ん中辺り。波消し石の形や、周囲の布置、特徴を頭に入れて、石塀に戻った。さほど時間はかからなかった。いま思えば、かなり疲れていて、ややいい加減になっていたような気もする。

 

撮影画像で確認すると、時間は、午後の二時前だ。朝六時に起きて、四時間ほど運転、小一時間赤羽根灯台を撮り、その後も、ずっと伊良湖岬灯台の撮影。とくに、波消し石の飛び歩きがきつかった。石畳の道を、駐車場の方へと戻った。右手には、美しい恋路ヶ浜が広がっていた。だが、何か他のことを考えていたのだろう。景観に感応することもなく、うつむき加減に歩いていた。足が少し重い。疲れを感じた。

 

駐車場に着いた。そこそこ車が止まっていた。風は強いが好い天気で、さほど寒くもない。観光地の雰囲気が漂っていた。カメラを車の中において、目の前の公衆トイレへ行った。まずまずきれいだった。<大>の方は、洋式で温水便座がついていた。もっとも、公衆トイレの便座に座るのは、さすがに抵抗がある。とはいえ、切羽詰まっているときには、関係ない。幾度となくお世話になったことがあるじゃないか。

 

車に戻って、運転席で一息入れた。そういえば、今晩食べる食料を買いそびれている。ホテルの場所は、来るときに確認していていた。ここから車で二、三分のころにある。素泊まりだから、夕食は調達しなければならなかったのだ。すっかり忘れていたよ。駐車場の敷地外に、道路を隔てて、五、六軒土産物屋が並んでいる。<大あさり定食>の文字が目に入った。夕飯には早すぎるが、食べておいた方が無難だな。なにしろ、渥美半島に入ってからは、コンビニの看板を、ほとんど見ていないのだ。

 

コロナ禍の中、できれば外食はしたくなかった。だが、致し方ない。構えの一番いい店を選んで中に入った。だが、中は雑然としていた。一組客がいたが、食べ終えるところだった。<大あさり定食>を頼んだ。なかなか出てこない。テーブルを一つあけて座っていた先客も引き上げた。まだ出てこない。とはいえ、ゆっくり構えて待っていた。夕方の撮影までには、まだ時間があったのだ。

 

店頭で、愛想のいい女将さんが、さっきからなにか焼いている。あれが<大あさり>なのだろうか。そうらしい。女将さんが声をかけると、奥の方から、ご飯とか味噌汁とかがのった四角い盆を持ったあんちゃんが現れて、女将さんから<大あさり>を受け取り、盆にのせて持ってきた。ようやく飯にありつけた。

 

デカいハマグリのような感じだが、味が大振りで、やはり<あさり>だと思った。しかも、焼き方が下手で、固くなっている。まあ、いい。あさりの味噌汁があったので、ご飯のおかずはそれで十分だ。むろん、ゴムのような<大あさり>四個、完食いたしました!あと、デザートのかわりだろう、小さなみかんが半分、それにメロン半切れが小鉢に入っていた。そのみかんが、わりとおいしかった。

 

食べ終わって、店の真ん中に、雑然と並べてある土産品を見ていた。女将さんがすっと寄ってきて、バイクで来たの、と声をかけてきた。いや、車でと答えると、そうよネ、これじゃさむいわよネと言って、自分の服装を下から上へと眺めなおした。たしかに、下は紺のウォーマー、上も紺パーカ、髪の毛が伸びていて、ざんばらだし、爺のバイク野郎と見られても不思議はない。

 

そのあと<あさりせんべい>のことなどを聞くと、まだ多少色香の残っている女将さんは、聞かれもしないことまで元気よく喋っている。見ると、小粒みかんの箱がいくつも置いてあって、小分けして売っているようだ。小分けをさらに小分けして売ってくれないかと、女将さんに言うと、息子に聞いてみないとわからないと言葉を濁した。折りしも、店頭に客が来て、女将さんは、<大あさり>を焼きはじめた。

 

二十代そこそこの息子が、どこからともなく現れた。小粒みかんの<小分けの小分け>の件を女将さんから聞いたにもかかわらず、シカとしていて、こっちに返事が返ってこない。めんどくさいので、それでいいわ、と言って、小分け袋を買った。息子は急に愛想がよくなって、箱の中のみかんを二、三個手でつかんで小分け袋に入れ、渡してきた。

 

定食代込みで¥1800くらい払った。帰り際、息子は、かん高い元気な声で<おとうさん、はいこれ>と言って、串刺しのパイナップルを、冷蔵庫の中からさっと取り出し、手渡してきた。おそらくは漁師の息子なのだろうが、商売慣れしている。まだ若いが、女将さんにとっては頼もしい息子なのかもしれない。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#11

伊良湖岬灯台撮3

 

串刺しパイナップルを、食べ歩きしながら、車に戻った。パイナップルもうまかった。来るときに見かけたビニールハウスで作っているのかもしれない。その後は、車の中で時間調整したような気がする。日没は四時半だから、三時半に灯台に着いていればいい。運転席で少しぼうっとしていた。

 

窓の外に、土産物屋や旅館などが見える。何軒かは休店している。さらに、よくよく見ると、左端の五階建てくらいの旅館も休店しているようだ。すべての部屋の窓に白いカーテンがかかっている。一階の入り口、自動ドアもカーテンで覆われている。コロナの影響か、季節的なものなのか、夏場だけの営業なのか?あそこに泊まれれば、最高だな。おそらく、伊良湖岬灯台に一番近い宿だろう。

 

時計を見た。三時十分を回っていた。さてと、夕景の撮影だ。カメラ二台を肩掛け、首掛けして出発した。陽が落ちた後の寒さ対策で、ポシェットに、ダウンパーカの小袋も結びつけた。ちょっと説明しておこうか。ユニクロのコートタイプのダウンパーカで、色は黒。たたむとかなり小さくなって、付属の小袋に収納できる。軽くて暖かい、優れ物だ。

 

じつは、これは、自分が、デイサービスへ行く老父のために買ったものだ。週二回、ほぼ九時前後にデイサービスの白いバンが迎えに来る。冬場の、玄関から車までの防寒対策だ。軽くて暖かいので、老父も気に入っていた。白いバンに乗り込む、黒いダウンパーカの、老父の後ろ姿が思い出される。甲種合格の元日本兵は、97歳まで生きた。親父が死んですでに五年以上たっていた。

 

伊良湖岬灯台へと至る、遊歩道を歩き出した。太陽は思いのほか低くなっていて、海が、黄色っぽくなっている。きらきら光っているのは、海面が強風にあおられているからだろう。といっても、さほど寒くはなかった。防寒対策は万全で、そうだ、たしか、ネックウォーマーもしていたし、指先の出ている手袋もしていたと思う。むろん、パーカのフードをきっちりかぶり、上下、デサントの最強ウォーマー、ブレスサーモを着用していた。これでなお寒いのなら、小袋からダウンパーカを取り出して着込めばいい。何しろ、寒さの中、ふるえながら、おしっこを我慢して撮ったって、誰もほめてはくれないし、風邪をひくのが関の山だ。

 

灯台に着いた。太陽は、真正面の海の上、目線よりやや高い位置にあった。ためしに、太陽を画面に取り込んで、灯台を撮ってみた。むろん、ほぼ<ノーブラインド>で。目に悪いからね。モニターすると、案の定、太陽の中心部は白色、というか白飛びしていて、空白、と言った方がいいだろう。これはいただけない。もっとも、同心円状に、少しずつ黄色っぽくなるが、それでも、写真として成立しない。となれば、太陽は画面から出てもらおう。

 

波消し石の上、石塀の上、さらには、灯台正面付近の土留め石の辺りで、写真を撮った。みな、下調べした撮影ポイントだ。そのポイント間の移動なので、体は楽だった。その場その場で立ち止り、画面をじっくり見て、ベストの構図を探った。一番楽しみにしていた、山側の階段を登った。振り向くと、灯台の横で太陽が黄色に燃えている。位置的に、太陽は画面から外せない。灯台のすぐ横にあるからだ。これでは写真にならない。水平線ぎりぎり、線香花火の火の玉になるまで待つしかない。

 

だが、このままぼうっと、階段に腰をおろして待っているわけにも行かない。また下に下りて、ポイント間を移動しながら写真を撮った。ほぼ同じ位置取りだが、刻一刻と明かりの具合が変わっている。灯台の見え方も、周囲の色合いも変わっている。撮っても撮っても追いつかないような気がした。時々姿を見せる観光客の目に、バタバタ動き回っている自分が、どう映っているのか、などとは考えもしなかった。なにゆえに、目の色を変え、夢中になっているのだろう?余人には理解できないと思う。正直言って、自分にも理解できないのだ。

 

そうこうしているうちに、太陽はさらに低くなり、黄色の丸が小さくなってきた。とはいえ、直接見るとかなり眩しい。それに、中心部が白飛びしているから、形はまだ見えない。それでも、ファインダー越しに見ると、なんとか写真にできるかもしれない、と思った。山側の階段に急いだ。階段を登りながら、写真を撮った。太陽は、灯台の左横にあり、中心部は空白、その周りが黄色の輪になっている。さらにその周辺の空と海がオレンジ色に染まっている。灯台はといえば、画面のほぼ中央、やや下に位置している。沈む太陽を、腕組みしながら眺めている、といった感じだ。まさに思い描いていた絵面だった。

 

階段を登り切って、踊り場に着いた。太陽が線香花火の火の玉になるまで、まだ少し時間があった。ここでゆっくり眺めていてもいいのだけど、気が急いていた。バタバタっと階段を下りて、灯台の正面付近、遊歩道の山側の土留め壁に体を寄せて、今度は、遊歩道越しに灯台をしつこく撮った。むろんその左横には、いままさに水平線に落ちる太陽があった。この時、すでに、太陽は、小さな火の玉になっていた。要するに、いつ地面に落下しても不思議はない。こうしちゃいられない。また、階段に急いだ。

 

階段を登りながら、下調べしたポイントで、じっくり構図の微調整をした。すなわち、カメラのファインダーを見ながら、幅1メートルほどの階段を、右に左に少しずつ動いて、ベストの構図を探した。背景は、オレンジ色に染まる海と空、それに、晴れた日の夕方、水平線近くに、数分間だけ現れる小さな火の玉だ。そんなロケーションで、伊良湖岬灯台を、なんとしても撮りたかった。むろん、撮れたところでカネになるわけでも、褒められるわけでもない。趣味で撮っているだけだ。しかし、趣味だからこそ、妥協は許されないのだ。

 

火の玉が、水平線にかかり、少しずつ欠けていき、とうとう消えてしまった。最後の最後まで、きっちり撮った。撮れたと思った。それに、たとえ撮れていなくても、まだ、明日があるさ。暗くなった階段を、悠々たる気分で下りた。さてと、今度は<ブルーアワー>だ。

 

遊歩道に下りると、そうだ、書くのを忘れていたが、日没前後、どこからともなく観光客が集まってきて、灯台の正面付近は、ちょっとした<蜜>になっていた。だが、その観光客たちも、陽が落ちた途端、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていた。いや、辺りがかなり暗くなってきたから、人影が目立たなくなったのかもしれない。それはともかく、いまは観光客にかかずらわっている時ではない。西側のポイント、東側ポイント、それから正面付近のポイントから、灯台の背景となる空の様子、色合いを見て回らなければならない。

 

陽が落ちた後の数十分間を、写真用語で<ブルーアワー>という。何度も同じことを書くなよ。ま、その<ブルーアワー>になれば、当然のことだが、灯台に陽射しはない。したがって、灯台は、暗がりの中に立っているだけだ。となれば、せめて、背景の空が、とびきり、とまでは言わないけど、かなりきれいでないと、写真としては面白みがないだろう。

 

というわけで、今回は西側ポイントから灯台を撮ることにした。そう、昨日の野島埼灯台も、西側ポイントから撮った。なぜか、日没後は、東側の空の方が、きれいな色合いになるようだ。おそらく、陽が沈んだ後も、西の空からは、まだかすかに光が出ていて、その光が、東側の空に反射するからだろう。それと、その西側からの光は、かすかながら灯台にもあたるわけで、露出的にもいいのかもしれない。

 

ところが、<ブルーアワー>が終わって、ほぼ暗くなると、今度は、西側の空がきれいになる。水平線の近くが、濃いオレンジ色になり、空の色も、群青色だ。その諧調は美しいが、灯台は、ほぼシルエットになってしまう。と、ここまでは、手持ちで撮れた。だが、さらに暗くなり、灯台の目が光り始め、夜の海に船の明かりが見えだすと、極端にシャッタースピードが落ちて、手持ちでは撮れなくなった。というか、モニターしてみて、ピンボケしているのに気づいたのだ。

 

あ~あ、なぜ三脚を持ってこなかったのか!夜まで粘って、がんばって撮るつもりでいたのに、三脚のことは、すっかり忘れていた。あたりは、すでに真っ暗になっていた。撮影終わり!強風の中、遊歩道を駐車場の方へと戻った。足取りは重かったが、先ほど、西側ポイントでダウンパーカを着込んでいたので、寒くはなかった。と、波音が聞こえてきた。耳をすませた。生れてはじめて聞く、波音のハーモニーだった。

 

ちなみに、恋路ヶ浜潮騒は<日本音風景100選>に選ばれている。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#12

ホテル~伊良湖岬

 

メモには<夜の撮影 5時15分までねばる>とある。となれば、恋路ヶ浜駐車場にたどり着いたのは、五時半前だろう。すでに、完璧な夜になっていた。とはいえ、駐車場は真っ暗ではなかった。街灯が光っていたし、トイレの明かりが煌々としていた。土産物店はすべて閉まっていたが、車がけっこう止まっている。暗い浜辺で釣り人の姿を見ていたので、夜釣りをしている連中の車だと思った。この雰囲気なら、車中泊ができそうな気がした。

 

ホテルまでは、ほんの一、二分だった。三叉路沿いに、駐車場があり、その奥に五階建ての建物が見える。駐車場には何台か車が止まっていた。見上げると、明かりのついている窓がいくつかあった。入口付近はうす暗い。自動ドアを入ると、中もうす暗い。と、目の前に螺旋階段があった。階段の手すりの間から、下の明かりが見える。受付らしい。階段を下りた。

 

なんだか、雑然とした狭いロビーだ。受付には誰もいない。カウンターの上に視線を落とし、呼び鈴を眼で探した。サビていて色が変色している。鳴るのかなと思って、指でたたいた。<ち~ん>という金属音ではなく、<ぢん>!こもった音がした。様子を窺がった。三拍ほど間があいて、正面のドアの向こうから女性の声がした。

 

出てきたのは、中年と老年の間くらいの女性だった。愛想はいい。館内の説明をひと通り聞き終え、コロナ関係の書面に署名した。その際、免許証を見せた。二泊分¥10400を前金で支払い、その後に<地域クーポン券>¥2000分を渡された。こちらが聞く前に、従業員なのか女主人なのか判断に迷う、その女性が、クーポンの使える店を教えてくれた。前の道をちょっと走ったところにファミマがあるから、そこで使ってしまった方がいい。前の道って?とうしろを振り返り、そのファミマの方向を指さした。そうそう田原へ行く方よ、と間髪入れず女性が答えた。

 

渥美半島に入り、自分が走ってきたのは、太平洋岸だ。伊良湖岬灯台へは、本来なら、三河湾側の<田原街道>を南下するルートが一般的らしい。自分の場合、赤羽根灯台に寄ったので、太平洋岸を走らされたわけだ。とにかく<田原>と言われてピンと来なかったのは、来るときに通過していなかったからだと思う。女性のほうは、てっきり、自分が<田原街道>を南下してきたのだろうと思っている。片方の思い違いだけなら、まだ会話になる。この時がそれだった。

 

部屋に入った。意外に、というか、かなり広い。ベッドが二つ、それに、八畳ほどの畳の平台が真ん中に置いてある。座卓やテレビはその平台の上にある。この和洋折衷の変なつくりは、明らかにリフォームしたものだろう。本来は和室の部屋だったものを、壁も床も天井も、いったんすべて取りはらい、その一角にユニットバスを設置し、洋室っぽい感じに仕上げたのだ。完全に洋室にして、ベッドをずらっと並べるよりは、畳の平台を置いて、布団で大人数が泊まれるようにした。これなら、かなりの人数、七、八名の大家族でも大丈夫そうだ。

 

照明とか、カーテンとかを、ちらっと見た。明らかに女性の趣味だなと思った。ぼろホテルを誰かが買い取って、内装だけはほぼ全面リフォームして、営業しているのだろう。ただし、一点だけ、この部屋には優れたところがあった。それはバスタブで、体を横たえて入れる洋風タイプだった。ユニットバスのバスタブは、そのほとんどが、膝を曲げて入るタイプらしい。たしかに、これまでのホテルで、足を伸ばして入れるバスタブはなかった。それに、バスタブが長いということは、その分、ユニットバス全体が広い、ということだろう。たしかに、ある意味、不釣り合いなほど、このホテルのユニットバスは立派だった。洗面台の鏡も大きいし、便座周辺にも余裕がある。したがって、風呂、洗面、排便、この三つに関しては、かなり快適だった。

 

風呂から上がり、ノンアルビールをあおって、カレー味のカップ麺やせんべい、ビスケット、小粒みかんなどを食べた。何しろ、三時頃に<大あさり定食>を食べた後、何も食べていないわけで、夕食抜きで寝るわけにもいかないでしょう。

 

土産物屋で買った小粒みかんは、思いのほかうまかった。小さいから、五、六個食べたと思う。この、ほのかな<あまみ>。ふと、先日食した柿のことを思い出した。友人に温泉に連れて行ってもらったとき、彼が、冷凍保存した庭の柿を持って来ていて、一緒に食したのだ。何と言うか、自然の<あまみ>だ。柿の木とまわりの風景が目に浮かぶようだった。翻って、旅先で食べた小粒みかんの<あまみ>が、渥美半島の自然や風土、そこで暮らす人間の生活を想起させてくれた、のか?あり得ない話でもない。

 

<7:00 ねる>とメモにある。ずいぶん早寝したものだ。疲れていたのだろうか、いや、そればかりではない。明日の朝、六時に起きて、伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行くのだ。そうそう、その件を、受付の女性に話したら、24時間、表のドアは開いてますから、鍵は持って出て下さい、とのことだった。不用心だなとちらっと思ったが、その方が、こっちも世話なしでいい。

 

あくる朝、目覚まし時計の助けは借りず、六時前に起きて、くすんだ灰色の、厚手の花柄カーテンを開けた。じゃ~~~ん、曇り空。なんで!とすぐにスマホのお天気サイトを見た。なんと、午後の二時過ぎまで曇りマークがついている。話が違うだろう。今回の旅は、四日連続で晴れマークがついているから、わざわざ予定を前倒しして来たんだ。がっくり、ベッドに倒れ込んだ。このまま二度寝しようか、と思ったが、すでに完全に目が覚めている。また眠れるとも思えなかった。

 

ふてくされた気分だったのか、時間がなかったのか、髭もそらず、歯も磨かず、顔も洗わないで、もちろんウンコもしないで、畳の平台に、きれいに並べて脱いだ衣服を、ひとつずつ取り上げて身に着けた。水くらいは飲んだのかもしれない。カメラ二台入っているカメラバックを背負い、しずしずと部屋を出た。

 

たしか、受付の女性は、二階から出られると言ってたな。エレベーターを二階で降りた。だがしかし、螺旋階段の向こうにある自動ドアには近づけなかった。というのも、階段そのものが、廊下の透明な仕切り板で、ぐるっと、きっちり囲われている。廊下を行ったり来たりした。檻に入れられているみたいだった。誰かに、こんなところを見られたら、怪しまれるだろう。二階から出られますよ、という女性の声が、頭の中で聞こえた。あれは何だったのか、自分の聞き違いか、それとも、ほかに、自動ドアに近づく手立てがあるのか。もう一度、二階全体を見回した。絶対無理だ。エレベーターに乗って一階に下りた。

 

説明しておこう。このホテルは、実は一階が地下一階で、二階が一階なのだ。要するに、斜面に立っているのだろう。となれば、一階ではなく、地下一階から、螺旋階段を登って、これまた、二階ではなく、一階に上がり、自動ドアを手でこじ開けて、外に出たことになる。この記述の方が正確だろう。そもそも、二階から出られますよ、というのも変な話ではないか。二階から<も>出られますよ、というのなら、変ではないが。

 

とにかく、外に出た。まだうす暗かった。だが、どこを見回しても、雲が厚く堆積していて、朝日が昇ってくる気配はない。ほんと、灯台が近くでよかったよ。これが、車で三十分走るとしたら、絶対に行かない。朝日は見えないし、きれいな写真が撮れっこない。なのに、伊良湖岬灯台へと向かっていた。まあ~、朝の散歩だよ。自分の不条理な行動に言い訳した。いや、ふてくされた気分をなだめたのだ。

 

駐車場に着いた。思いのほか、車が止まっている。夜釣りならぬ朝釣りだな。ま、たしかに、日の出前後は、魚がよく釣れる。ガキの頃、休みの日は早起きして、近くの池によく釣りに行ったものだ。早朝と夕方が、釣りの<ゴールデンタイム>だったような気がする。遊歩道を歩き始めた。砂浜にも、岩場にも、釣り人がいる。なかでも目についたのは、ほとんど海の中にある岩場に、10メートル間隔で並んだ、全身黒づくめの釣り人達だ。五、六人が、横一列に並んで、盛んに竿を振っている。と、すぐそばを、小型漁船が横切る。とたんに、波しぶきが上がって、釣り人が見えなくなるほどだ。

 

漁船は、釣り人達に嫌がらせをしているのか?と思うほどに、至近距離をこれ見よがしに走りぬけていく。むろん、釣り人達は、抵抗できない。なかには、危うく、岩場から、海の中へ落ちそうになっている奴もいる。たしかに、小型漁船の方は、生活がかかっている。一方、釣り人の方は、ま、言ってみれば<遊び>だ。自分が漁師だったら、生活費や子供のことで、女房と喧嘩した翌朝などは、平日に釣りなんかしている連中に、波しぶきのひとつも浴びせかけたいと思うかもしれない。いや、気の荒い漁師だ。海に落としたろうか、くらいのことは思うかもしれない。ま、ほかにもっと正当な理由があるのだろう。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#13

伊良湖岬灯台撮影4~ホテル

 

灯台に到着した。まだうす暗かった。灯台の目がときどき光っていた。とはいえ、朝日が見えない以上、気合が入らない。おざなりな感じで、シャッターを押した。それでも一応、撮影ポイントはすべて回った。東側の石畳の道、石塀の上、波消し石の上にも立った。ただ、西側の波消し石の上では、ちょっとした不注意で、尻もちをついた。飛び歩きした際、下の波消し石が濡れていたのだ。そこに勢いよく足をおろしたものだから、まるで絵に描いたように、すってんころりん。幸い、怪我もせず、カメラも無事だった。おそらく、カメラを持っている状態で転ぶのは、これが初めてだろう。常々、転んだら一巻の終わり、と自分を戒めていたのだ。とくに、高価なカメラを買ってからは、最大限の注意を払っていた。にもかかわらず、この体たらくだ。

 

身体もカメラも無事だったからいいではないか、とは思えなかった。そういう問題じゃない。カメラを破損したら、撮影旅行は即中止。それに、石の角に頭でもぶつけて、意識でも失ったら、この時間帯、誰にも発見されず、助かる命も助からない。あるいは、足の骨でも折ったら、車の運転もできない。400キロの道のりを、どうやって、骨壺の中で待っている、ニャンコがいる自宅に戻ればいいんだ。

 

とはいえ、一方では、この朝の椿事を、冷静に分析した。昨日来の、波消し石の飛び歩き、階段の上り下りで疲労がたまっている。いわゆる、足にキテいる。それに、早朝、頭と体が、まだ目覚めていなかった。不注意は、たんなる不注意ではなく、ある意味、必然だった。くわばら、くらばら。

 

西側の石塀の上に戻った。夜が完全に明けて、白けた感じだった。加えて、曇り空だから、風景に色合いがなく、写真的には、撮ってもしょうがない感じだった。だが、何枚かは撮った。最後に、山側の階段に登って、灯台を撮った。朝っぱらの曇り空が背景だ。ごくろうさん!まったくもって、写真にならない。すぐに階段を下りた。無駄足だった。だが、無駄骨だとは思わなかった。曇り空でも、来ないわけには行かなかったろう。後悔するよりはましだ。

 

石畳の道を、右手に恋路ヶ浜を見ながら、駐車場へと戻った。夜があけて、釣り人の数も少し減ったように見えた。頭の中では、この後の予定を考えていた。まずは、食料の調達だ。昨晩、ホテルの女性が教えてくれた、田原街道のファミマに行こう。その後いったんホテルに戻り、朝食。問題はその後だな。伊良湖岬港の防波堤灯台を撮りに行く。そのついでに、フェリー乗り場を下見しよう。伊良湖岬からフェリーで対岸の鳥羽へ渡り、周辺の灯台を撮る。次回の灯台旅は、もう決まっていたのだ。

 

ホテルの前を通過した際、車の時計を見たような気がする。八時ちょっとすぎていた。ま、五、六分走ればつくだろう。<田原街道>を北上して、ファミマへ向かった。ところが、走れども、走れども、ファミマの看板が見えて来ない。多少、不安になったころ、やっとありました!20分以上かかった。ちょっと走って、という女性の言葉を思い出した。この辺りでは、車で20分走ることが、ちょっと走って、ということなのか?それとも、彼女の言葉の選択が間違っていたのか?ま、どっちでもいいか。

 

ファミマで、しこたま食料を仕入れた。<地域クーポン券>を¥2000分、ほぼきっちり消化した。戻り道は、さほど長く感じなかった。ホテルまで、どのくらいかかるか、わかっていたからね。ま、それにしても、ちょっとコンビニに行ってくるだけで、小一時間かかった。渥美半島先端部の人口密度が、いかに低いかを、はからずも、実感したわけだ。

 

ホテルに着いた。自動ドアは、手でこじ開けようとする前に、目の前ですっと開いた。中に入った。その際、踊り場?に、大きなユリの鉢植えがたくさんあることに気づいた。いや、昨晩来た時から、気づいてはいたが、それが何なのか、よく見なかっただけだ。

 

じっと見た。白に赤の斑が入った大輪のユリの花だ。どの鉢の花も、ほぼ満開で、踊り場の右半分くらいがお花で埋まっている。それに、ブーゲンビリヤの大きな鉢植えもある。こちらも深紅のお花がこぼれんばかりだ。ほかにも、プランターの中で黄色いお花が咲いている。明らかに、このホテルには、お花の好きな人がいて、丹精しているのだ。

 

螺旋階段を下りた。明かりはついているが、受付には誰もいない。にもかかわらず、カウンターの上に、プラ棒の鍵が、四、五本置いてある。どういうことなのか、早朝に出ていった客の物としか考えられないだろう。サビた呼び鈴を押すべきかどうか、ちょっと迷った。つまり、鍵は持っているわけだし、受付を呼び出す必要はない。早朝に出ていった客もそう思ったからこそ、黙って鍵を置いていったのだろう。

 

もっとも、あの時、もう一つの理由を思いついていた。それは、ホテルの受付が、カウンターに鍵を置くことで、これから出勤してくる掃除係りに、きょう掃除する部屋を、いわば無言で指示しているのだ。そういえば、四、五本あった鍵は、乱雑にではなく、比較的きれいにまとめて置いてあった。ま、どちらでもいいことだが、とにかく、両者に共通することは、要するに、人手がない、ということだろう。つまり、必要もないのに、呼び鈴を鳴らすのは、迷惑なのだ。

 

エレベーターに乗って、部屋に戻った。花柄のカーテンを開けた時、あっと思った。踊り場のお花を丹精している人と、この部屋の内装を選んだ人は、同一人物だろう。それに、人手のないことを考えれば、昨晩の受付の女性が、このホテルの女主人に間違いない。

 

なるほどね、と思いながら、朝飯を食べた。おにぎりと菓子パン、牛乳、それに小粒みかんを何個か食べた。それで十分だった。食べ終わった途端、眠気がしてきた。ベッド際の灰色の花柄カーテンを、今度は閉めて、横になった。小一時間、いや、午後になっても曇りマークがついている、ゆっくり、昼寝ならぬ、朝寝だな。

 

静かだったせいもあって、すぐに寝込んでしまったようだ。目が覚めたのは、九時半過ぎだった。持ち込んだ目覚まし時計を見たような気もする。小一時間ねむったわけだ。眠気はなく、元気になっていた。すぐに身支度を整え、部屋を出た。一階に下りて、受付の錆びた呼び鈴を押した。一拍半くらいおいて、声が聞こえ、昨晩の女性が現れた。朝から晩までいるのだから、間違いない、彼女が、このホテルの女主人だ。出かけてきます、と言って鍵をあずけた。その時、何か聞かれたような気もするが、忘れてしまった。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#14

伊良湖岬港・防波堤灯台撮影

 

ホテルの駐車場を出た。<田原街道>をほんの少し北上して、すぐ左折した。ファミマ往復の際、車からちらっと灯台が見えたのだ。閑散とした港の中に入って行った。正面は海で、行き止まり。右に曲がって、魚市場の前をそろそろ走っていくと、駐車場があった。公共の施設であることを確かめて車を乗り入れた。どんぴしゃり、すぐ目の前に、白い防波堤灯台が見える。

 

車から出た。右手はきれいな砂浜で(ココナッツビーチ伊良湖、というらしい。)そばに大きなホテルが立っている。正面には防波堤があり、その先端に灯台が立っている。迷わず、防波堤の上に登り、歩き撮りしながら近づいていった。

 

だが、近づくにつれ、根本に居る釣り人が邪魔に思えてきた。釣り人は、灯台の台座に座ったり、立ち上がったりしながら釣りをしている。明らかにその場所が気に入っているらしく、釣り道具や荷物を回りにとっちらかしている。占拠しているわけだ。写真としては、灯台と釣り人が重なってしまい、絵面が汚い。まあ~、これは宿命なのだろうか。防波堤灯台の周り、とくに根元には、平日だろうが休日だろが、必ず釣り人がいるんだ。

 

結局、根元まで行かないで、途中で引き返した。というのも、根本まで行って、釣り人と目を合わすのも嫌だったし、ロケーション的にも、灯台のフォルム的にも、是が非でも撮りたい、というほどでもなかったからだ。それに何よりも、曇り空だ。写真が撮るような天気じゃない。

 

移動。いま来た道を戻った。ただし<田原街道>へは戻らないで、そのまま、まっすぐ、フェリー乗り場の方へ向かった。と右手、岸壁側に、広い駐車場がある。雰囲気的に、駐車しても大丈夫そうな感じだ。車を乗り入れた。

 

車から出て、辺りを見回した。高速船の係船岸壁が目の前にある。なるほど、あれで<神島>に行くことができるわけだ。ちなみに<神島>には、灯台50選に選ばれている、神島灯台がある。それに、この灯台伊良湖岬灯台のペア灯台だ。

 

あと、<神島>は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった島らしい。今回訪問を見送ったのは、次回の旅で<鳥羽>へフェリーで渡るわけで、その鳥羽港から、市営の船が出ているようなのだ。<菅島>という島にもシブい灯台があるようなので、一日かけて、この二島を巡るつもりでいる。

 

立ち入り禁止の岸壁際に立った。隣では爺さんが釣りをしている。海の向こうに、さっきの白い灯台と、別の防波堤の先端部にある赤い灯台が見えた。目に映っているのは、左側に赤い灯台、右側に白い灯台だ。だが、頭の中で、瞬時に、陸に向かって、右は赤い灯台、左は白い灯台と判断した。なるほど、これが防波堤灯台の決まり事だ。赤いのも見に行ってみるか。なぜか、そっちの方の空だけが青空だった。

 

赤い防波堤灯台を目指して走りだした。途中にはフェリー乗り場がある。その手前の、大きな建物の前が駐車場だ。建物は<道の駅 伊良湖クリスタルポルト>。車から出て、入口へ行った。自動ドアが開かない。扉に額をくっつけて中を覗くと、電気がついていない。閉店中なのか、休業中なのか、何の張り紙もなく、告知もされていない。

 

実は、昨日も、この建物には、ちょっと寄っている。その時も閉まっていた。今日と全く同じ状態だった。休業中なのだ。と、腰の曲がった婆さんが近寄ってきて、自分と同じように、自動ドアに額をくっつけて、店内を見回している。やってないみたいよ、と声をかけると、じろっと見ただけで返事もしない。ぶつぶつ言いながら、立ち去っていった。

 

そうそう、どうでもいいことだが、昨日この建物に寄ったとき、建物内にあるトイレに寄って、大きなウンコをしたのだ。建物には入れないが、なぜか、トイレだけは、24時間使用できるようになっている。つまり、トイレの扉は、駐車場に面していて、鍵がかかっていないのだ。それに、予想外だったのは、温水便座だったことだ。ただ、座るときには、やや抵抗感があった。が、便意には勝てなかったわけだ。

 

とはいえ、昨日の、どのタイミングで、トイレに寄ってウンコをしたのか、正直な話、よく覚えていない。いや、昨日は<小>で、この日が<大>だったのかもしれない。気持ちを集中して、思い出そうとすれば思い出せるだろう。しかし、今はそんなことに、エネルギーを使っている場合ではない。この旅日誌を早く書き終えることの方が重要だ。そもそもの話、ウンコをした日を確定することに、さほど意味があるとも思えない。

 

移動。フェリー船の、乗船口の前を通って、岸壁の行き止まりまで行った。そこは、防波堤で区切られた、駐車場、というか駐車スペースで、その防波堤の、はるか彼方に、赤い防波堤灯台が見えた。一瞬たじろいだ。あそこまで歩いて、撮りに行きべき灯台なのか?

 

とはいえ、時間的な余裕があった。つまり、スマホの天気予報を見る限り、二時までは曇りマークがついている。もっともこれもおかしな話で、朝見た時には、曇りマークは十一時までだった。まだ、昼前だった、とにかく、伊良湖岬灯台は、二時までは写真にならないわけで、時間調整が必要だったのだ。

 

車の中でぼうっとしていてもしようがないだろう。防波堤の上、というか下を歩くだけで、危険もない。体力を消耗することもない。すいません、すいませんと言いながら、釣り人の前を通って、赤い灯台に近づいた。ところが、やっぱり、根元に釣り人がいた。今回も、根元の手前で、これ見よがしに写真を撮った。

 

なぜか、赤い灯台の背後だけが青空になっていた。写真的には、さっきの白い灯台よりはましだろう。だが、フォルムがパッとしない。撮影位置が局限されているわけで、防波堤の先端に立っている灯台を、真正面から撮るだけだ。それに、防波堤の上は、さほど広くないから、左右に少し動いて、横にふったとしても限度がある。何よりも、釣り人が灯台の根本に居座っているのだから、絵面汚い。こっちも、写真にならないだろう。

 

引き返した。短時間に、二度も同じ釣り人の前を通ることに、少し気が引けた。防波堤の下の通路は、人一人が通るのがやっとの幅で、釣り人が座りこんでいれば、まったく通れない。だが、釣り人たちは慣れたもので、こっちがすいませんと言う前に、体をよけてくれた。プロレスラーの<蝶野>みたいなおじさんも、指にタバコをはさんで手で、自分の足をまたいで行け、と合図を送ってきた。気配を感じて、かなり前から、立ち上がっている人もいた。恐縮したふりをして、五、六組の釣り人の前を通った。

 

駐車場が、かなり近くに見えてきた辺りで、爺さんに声をかけられた。この爺さんには、さっきも声をかけられていた。なにを撮りに行くんだ。この先の灯台です。黄緑色のウィンドブレーカーを着て、白髪だった。そばに、同じような年恰好の奥さんがいた。今回は、うまく撮れたかい、ときた。その後、かなり長い立ち話をした。あまりに長くて、途中で、防波堤に座りこんで、話を聞くことになってしまった。

 

結局は、この爺さんも、釣れない釣りをしていて、暇だったのだろう。そこに、自分が、ニコンのでかいカメラを二台ぶら下げて、のこのこやってきたわけだ。恰好の、暇つぶし相手が、ネギまで背負ってきたのだから、話しかけないわけには行かないだろう。つまり、爺さんも写真をやっているようなのだ。だから、話の中身は、だいたいは写真に関することだった。

 

鳥を撮っているとか。ミラーレスカメラがどうのこうの、型落ちのカメラの方が得だとか、あるいは<伊良湖ビューホテル>には、年に一回、珍しい鳥を撮るためにカメラマンが終結するとか、こちらが聞いてもいないのに、ホテルの展望台からの景色が最高なので、撮りに行けばいいとか、延々としゃべっている。途中、奥さんも参戦してきて、スマホで撮った写真などを見せてくる。何度も、腰を上げかけたが、その都度、獲物を逃すまい、と言わんばかりの話しぶりで、引き留められた。ま、こっちにも時間的余裕があったからね。

 

十五分くらいは、爺さんと、ある事ないこと、話していたような気がする。流石に飽きてきて、爺さんの話している最中に、腰を上げ、では、と言って、その場を後にした。

 

車に戻って、一息入れた。来た時に止まっていたキャンピングカーはなかった。さっきの黄緑色の爺さんの車かもしれない、と話の途中でふと思い、もしそうならば、キャンピングカーには多少興味があったので、その話がきけるかもしれないと思い、長話に付き合っていた、という気がしないでもない。ま、いい。また、外に出た。二時までにはまだ時間があった。岸壁の前に立ち、フェリーが入港してくる様を、面白半分に観察しだした。

 

まずは、係船岸壁で、作業員がフェリーの接岸準備をしている。門型クレーン?を使って、大きな鉄板を下におろしているように見える。おそらく、あの上にフェリーの車両ゲートがのっかるんだ。準備が整うと、フェリーが、バックでゆっくり入ってくる。作業員が、動き回っている。と、船尾が開いて、ゲートがゆっくり下りてくる。思った通りだ。作業員が、そのゲートを、岸壁にぴったり固定する。少し間があって、始めは徒歩の人間が十名ほど、次に、乗用車が、これまた十台ほど、最後に、バイクが五、六台、フェリーの腹から飛び出してきた。人間も車もバイクも、どこか、晴れがましく、元気に明るい世界へ出て行った。

 

この一部始終を見終わって、意味もなく、感動していたような気がする。風もなく、十二月にしては、暖かい陽気だった。防波堤の彼方に、黄緑色がみえた。さっきの爺さんと奥さんが、連れ立って、こっちに向かってくる。釣れない釣りを終わりにしたようだ。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#15

伊良湖岬灯台撮影5

 

<12時30~2時 イラコ 撮影>。メモの走り書きは、自分にすら読めないようなヘタクソな字だ。なぜ、字がこれほどヘタクソなまま、一生を終えることになったのか?やはり、小学生の頃、ちゃんと字を書くことを覚えなかったからだろう。勉強などは大嫌いだったのだ。もっとも、その後も、きれいな字を書くための努力は、一切してこなかった。野球やバスケのためには努力したが、きれいな字を書く努力は、不遜にも、努力するに値しないと思っていたのかもしれない。

 

人生の半ば過ぎにワープロができ、その後、パソコンを使うようになった。字が下手だ、というコンプレックスからはほぼ解放された。自分の書いた字を、人に見られること、見せることがなくなったからだ。だが、それが、いいか悪いかは、微妙な問題だ。字をきれいに書く必要がなくなったからには、おそらく、今後、字がうまくなる可能性はほとんどない。ひるがえって、かりに、ワープロもパソコンもなかったなら、人生の最後、やることもなくなった頃に、ひょっとしたら<ユーキャン>か何かで、硬筆講座を受けてみよう、などと思ったかもしれないのだ。

 

益体もないことだ。話しを戻そう。二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いかもしれない。曇り空なら、12時30分から、撮影を開始するはずがない。いや、ちょっと待ってくれ。この日の午後の、一発目の撮影画像は、恋路ヶ浜駐車場にあった石のモニュメントで、時刻は<12:55>になっている。しかも、その後の画像を見ると、雲は多いものの、多少陽射しが差している。ということは、まずもって、二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いだった可能性がある。それとも、天気予報がころころ変わって、頭が対応できなかったのか?あり得ない話ではない。もっとも<12:30>に撮影を開始した、ということに関しては、これは、メモしたときの完全な思い違いだ。

 

撮影画像がなければ、こうした思い違いが、思い違いとみなされず、看過されていっただろう。ならば、いっそのこと、撮影画像の時間など無視して、書き進めようか。その方が、気楽だ。だが、そうなると、この旅日誌は、ますます、日誌らしからぬ、フィクションの領域に近づいてしまう。ひとつの思い違いに、さらなる思い違いを重ねていけば、内容的には、これはもう、正確な意味での旅日誌ではなく、旅日誌風のフィクションになってしまう。

 

自分としては、できるかぎり<思い違い>のないように書いていきたい。でなければ、あとで読んだときに、<思い違い>が<思い違い>ではなくなり、実際にあったことのように印象されてしまう。結果、さらなる<思い違い>を重ねてしまうことになるわけで、そういうデタラメなことだけは、避けたいのだ。

 

雲は多いが、多少の陽射しがあった。と書き出せばよかった。ま、いい。曇天でなくて、よかったよ。そう思いながら、石畳の道を歩いたような気がする。太陽の位置は、すでに、目線、45度くらいのところにあった。この時間、夏場なら、真上にある筈だ。景観的には、いい感じで、海が、黄金色に輝いている。さほど風もなく、心地よい。

 

伊良湖岬灯台が見えてきた。東側から始めて、下調べした撮影ポイントを回り始めた。石壁の上、波消し石の上、正面付近の土留め壁の前、階段、さらには、西側からも撮った。だが、どのポイントも、空の様子がよろしくない。日差しも弱く、写真に元気がない。こういう時は、ムキになって撮ってもだめだ。一応、昨日は撮れたと思っている。がっかりはがっかりだが、致命的ではない。あっさり引き上げた。

 

<2時30~3時30 車で休ケイ>。これは、撮影画像のファイル情報で裏が取れている。ほぼ、間違いない。さて、それにしても、小一時間、車の中で何をしていたのだろう。後ろの仮眠スペースで、横になっていたのか?それとも、運転席で靴をぬぎ、体を横にして、ドアに背中をつけ、助手席の窓やダッシュボードに足を投げ出していたのだろうか?よくは思い出せない。ただ、駐車場の奥の方にある、<幸せの鐘>を見に行こうかな、とちょっと考えた。鐘の音が聞こえたのかもしれない。たが、行かなかった。車の中でぼうっとしているほうが、心地よかった。

 

時計を見た。三時十五分くらいだったかな?外に出た。車のリアドア―を開け放して、装備を整えた。ポシェットに、ダウンパーカの小袋を結びつけ、カメラ一台、肩掛けにして、手に三脚を持った。ネックウォーマーも指先の出る手袋もしていた。陽は、大きく傾き、ややオレンジ色っぽくなった海がきらきら光っている。風がないので、寒くはなかった。ただ、水平線近くにたなびく雲が気になった。きれいな日没、昨日のような、線香花火の火玉は出現しないかもしれない。

 

これでもう何回、灯台の周辺を巡ったのだろう。今回も、撮影ポイントを律儀に回った。夕陽は、思った通り、分厚い雲にさえぎられ、ほとんど見えない。だが、もうダメかなと思った刹那、水平線のほんの少しうえあたり、雲と雲の間だ。不定形の太陽が、オレンジ色に輝き始めた。おっと!気合が入った。カメラのファインダーに目を押し付けた。そして、ほんの一瞬だった。不定形の太陽が、ほぼ水平線上で、黄色に閃光した。海も空も灯台も、おもいっきり、オレンジ色に染め上げられた。

 

その後は、時間が目に見えるようだった。少しずつ、少しずつ、かすかに、かすかに、光と色が消えていった。静寂。しかし、その静寂を破るように、西側の水平線上に、なぜか、濃いみかん色の帯が現れた。夕陽が落ちた後の、まさに<ブルーアワー>だった。念のため、東側の空の様子も見に行った。深い、濃い青だった。だが、好みとしては、西側の空だ。何枚か慎重に撮って、西側に戻った。ほんの数分にもかかわらず、空の様子が、かなり変化していた。暗くなり、みかん色の帯は、諧調しながら群青色になっていく。空の上の方へ吸い込まれていくようだった。

 

三脚を立てた。シャッタースピードを見て判断したのではない。あたりの暗さから、手持ちで撮るのはもう無理だ。自然に体が動いた。ファインダーを見て、構図を決めた。高い群青色の空に、オレンジの光をまとった、横一文字の雲が流れてきた。時間の経過とともに、その雲は、しだいに竜のような形になって、空に覆いかぶさった。しかし、それも一瞬だった。オレンジ色の竜がしだいに霧散していき、そのあとには、さらに暗くて深い群青色の空が広がっていた。

 

ほぼ、完全に陽は落ちて、<ブルーアワー>も終わった。暗い海に、船の明かりが小さく見える。みかん色の帯も、色が暗くなり、細くなった。灯台の目が、なおいっそう明るく光り出し、対岸の小島からも光が届く。神島灯台から光だ。そろそろ、引き上げ時だな。最後に、もう一度、ファイダ―をじっくり見た。画面左上に、二つ、三つ、小さく何か光っている。星、か?カメラから目を放して、夜空を見上げた。三つ、四つ、西の空に、星が光っていた。

 

真っ暗な石畳の道を、ヘッドランプで照らしながら、駐車場へ戻った。充実した心持だった。それに、全然寒くない。むしろ快適だった。途中、またしても、波の音が聞こえた。立ち止まって、耳をすませた。すぐ近くでザブ~ン、すると、こだますようにサブ~ン、サブ~ン、ザブ~ンと聞こえる。だが、その間にも、どこかザブ~ン、サブ~ン。さらにその間にも、今度は遠くの方でザブ~ン、ザブ~ン、ザブ~ン。これが、まさに<潮騒>だったのだ。恥ずかしながら、<潮騒>というものが、どういうものなのか、いまのいまに至るまで、存じ上げませんでした。

 

波の音を聞きわけられたので、さらに気分がよくなった。ふと、夜空を見上げた。いや、<ふと>じゃない。ネットで見た、伊良湖岬灯台の写真を思い出したのだ。背景に、天の川と無数の星が写っていた。伊良湖岬は、星空がきれいで有名なんだ。ほんとにそうなのか?夜空を見上げた。目を凝らした。いやというほど、たくさんの星が見えた。立ち止まって、しばらく眺めていた。真ん中へんで、光ってるのが北極星かな?また波の音が聞こえてきた。闇の中で、サブ~ン、サブ~ンと、こだましていた。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#16 ホテル

 

駐車場に戻ってきた。リアドアを開け放し、ゆるゆると装備を解いて、車の中を整理していた。自分の車の後ろあたり、バイクと車のヘッドライトが眩しい。大柄のバイク野郎は、何やらスマホで調べている。隣は、黒い<レクサス>だった。今晩泊まる宿でも調べているのか?アイドリングの音が気に障る。星を眺め、波音に耳にすませていたことが、ウソのように思えた。そのうち、轟音を響かせ、バイクは出て行った。あとに四輪の<レクサス>がぴったりついている。やっぱり連れだったんだ。暗闇に、ちょっと、ギャング映画のワンシーンのようだった。

 

ホテルの駐車場に着いた。車が数台止まっている。建物を見上げると、数か所、窓に明かりが見える。なんとなく、車の台数と、窓の明かりの勘定が合わないような気がした。おそらく、裏手のシングル部屋に客が泊まっているのだろう。少し説明しよう。今日の昼間、ホテルの裏側の道を通った際、このホテルが崖際に立っているのを発見した。つまり、自分の今いる駐車場と裏の道との間には段差があり、いわゆる<崖屋造り>になっていたのだ。

 

崖に建っているのだから、表から見た一階は、裏から見れば二階になる。したがって、このホテルの受付は、見た感じでは、駐車場のある一階から、地下一階に下りたところにあったのだが、じつは、裏の道から入れば、そこが一階であり、駐車場のある上の階は、まさに二階だったわけだ。そういえば、エレベーターにも、地下一階という表示はなく、一番下の数字は<1>だった。

 

ついでに、もう一つ付け加えるならば、自分の宿泊した広めの部屋は、すべて南向きで、窓も広い。一方、裏側の部屋はすべてシングル部屋で、窓も小さく、北向きだった。値段的にも、¥2000以上の開きがあった。常日頃の<セキネ>の習性を考えれば、なぜ安い方に泊まらなかったか?答えは、たんに空いていなかったからにすぎない。それに<Goto割り>も適用されるからね。ちなみに、このホテルのシングル部屋に泊まって<Goto割り>を適用すれば、素泊まり一泊で約¥3500。さらに<地域クーポン券>も¥1000ほどはゲットできるから、いわば<ゲストハウス>並みの値段で泊まれたはずだ。

 

うす暗いホテルの出入り口に立った。自動ドアが開いて、中に入った。と、仄かな、上品な匂いだ。下にずらっと並んでいる大きめな植木鉢、ユリのお花たちだった。意外だった。というのも、以前実家で咲いていたユリの匂いは、まるで公衆便所並みだったからだ。ま、匂いというものは、きつすぎると、耐えられん!だが、この時は違った。暗がりの中で、静かに咲いている、ユリのお花たちは、かそけく、甘く切ない香りを放っていた。美人の匂いだった。

 

螺旋階段を下りた。そこだけが明るい受付カウンターの前で、トートバックを下におろした。<ぢん>と呼び鈴を鳴らした。今回は、一拍半おいて、声が聞こえた。反応が、段々早くなっている。女主人は、機嫌がいいのか、愛想がよかった。どうでした、と聞いてきた。そうだ、昨晩、いや、今日の朝だったかな?灯台や朝日や夕日などを撮りに来たことを、ちょっと話したのだ。

 

くもってて、朝日は出なかった、と答えた。その後、カウンター越しに、五、六分話をした。女主人は、かなり雄弁で、星空を撮りに来たプロの写真家の話をしながら、その写真家から送られてきた星空の写真を、カウンターの後ろから取り出して、見せてくれた。写真には、灯台が写っていなかった。正直な話、星空の写真に、それほど興味はない。自分としては、ユリのお花たちの話を聞きたかった。すごく良い匂いで、素晴らしく咲いている、と話を向けた。

 

案の定、女主人が丹精しているようだ。花好きのお友達からもらったもので、そう言われるとうれしい、初めて言われた、と顔がほころんだ。ほかにも、ブーゲンビリヤもきれいに咲いているし、入口付近が、温室のような感じになっているんでしょうね、と応じた。さらに、カウンターに、深紅のバラが活けてあったので、お花が好きなんですね、と改めて、女主人の顔を見ながら言った。彼女は、聞かれもしないのに、私は赤が好きなんです、と答えた。情熱的なんですね、と立ち去り際に言葉を残した。女主人の、まんざらでもなさそうな表情が、ちらっと見えた。伊良湖岬の、女丈夫だった。

 

ホテルに着いたのは、夕方の六時頃で、食事をして、メモを書いた。さらに、その後、風呂に入って頭を洗ったらしい。そのようなメモ書きがノートに残っている。夕食は、その日の朝、ファミマで買った弁当だった。旅先で、わざわざ頭を洗ったのは、ちょうどその日が木曜日で、洗髪の日にあたっていたからだ。ほぼ、一日おきの洗髪は、多少長髪になった今日日、欠かせない日課になっていた。何しろ、二日、ないしは三日あけると、頭がくさい。もっとも、旅先だったから、念入りには洗わなかった。

 

そうだ、風呂では体を横たえ、昨日にもまして、ゆっくりくつろいだ。そして、風呂あがりには、二本目のノンアルビールを痛飲した。そのあと、荷物整理をして、明日の朝、すぐに出られるようにした。もっとも、朝食用の食材は座卓の上に置き、飲み物は冷蔵庫に入れたままだ。

 

と、その時だった、というのはウソだが、とにかく、灰色の厚手のカーテンを閉めた時に、プリントされている花柄をちらっと見た。何と、深紅のバラだった。この部屋は窓が大きい上に、都合四枚ものカーテンがかかっている。目の前に、手のひら大の、少しくすんだ深紅のバラが、滝のように流れている。<私は赤が好きなんです>。女主人の言葉が、頭の中で聞こえた。

 

さて、寝るか。明日は帰宅日だが、今朝撮れなかった伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行く。もうひとがんばりするつもりだった。幸いなことに、明日は、すべての時間帯に、晴れマークがついている。日の出は、たしか六時四十五分くらいだったと思う。目覚まし時計を五時にセットした。夜の八時過ぎには寝ていたと思う。

 

・・・灰色の厚手のカーテンを開けた。深紅のバラは、もう目に入らなかった。外はまだ真っ暗だ。まず着替えた。その次に洗面を済ませ、朝食。ウンコは、多分出なかったと思う。持ち込んだすべての持ち物を、ゴミは別として、カメラバックとトートバックに詰めこんだ。そのあと、ベッドや座卓まわりを、ざっと整頓した。忘れ物はない。と思ったが、念のため冷蔵庫と金庫を開けてみた。カラだった。静々と部屋を出た。うす暗い廊下を少し歩いて、エレベーターで一階に下りた。というか<1>を押した。

 

いつ来ても、このホテルの一階はうす暗くて、受付カウンターだけが明るかった。プラ棒についている鍵を、カウンターの上に置いた。ほかに鍵は置いてなかった。サビた呼び鈴をちらっと見た。<ぢん>と鳴らして、女主人に挨拶していくか、ちょっと迷った。

 

目の端に、大きな花瓶が映った。胴のまるっこいその花瓶の絵柄も、たしかお花だった。首を少し回して、差してあるバラのお花たちを見た。昨晩と同じで、カウンターからの白熱電球の光を受けて、深紅がくすんでいる。とはいえ、そのお花たちが、みなこちらを向いて、少し笑っている。カウンターの鍵を、手で、きちんとそろえた。女主人を起こすのはやめて、静かに螺旋階段を登った。

 

 

灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#17

伊良湖岬灯台撮影6~エピローグ

 

自動ドアの前に立った。仄かな、上品な香りがした。ユリのお花たちをちらっと見たが、暗くて、はっきり見えなかった。外に出た。まだ真っ暗だ。目の前の交差点の青信号が、やけに鮮やかだった。恋路ヶ浜の駐車場までは、ほんの一分だった。車が数台止まっている。装備を整え、カメラ一台、肩掛けして、三脚を手に持った。左側の砂浜と海を見ながら、遊歩道を歩きはじめた。釣り人は、居るにはいるが、ほんの数人だった。

 

予定通り、日の出前に、灯台に着いた。迷わず、西側撮影ポイントに向かった。石塀をよじ登り、乗り越え、波消し石たちの間に下り立った。たしか、磁石を見たような気もする。くるくる回る針の赤い方を、文字盤の<北>に合わせるのだ。そのときの文字盤の<東>が、東方向だ。間違いない、灯台の左下あたりから、陽が昇ってくるはずだ。ただし、左側の山がせり出していて、灯台との間に見える水平線の範囲が狭い。はたして、あの狭い所に、本当に陽が昇ってくるのか、確信はなかった。

 

数個の、大きな波消し石にまたがった形で、三脚を立てた。その際、垂直を確保するために、三本ある足のどれかを、この時は二本だったが、短くして、安定を図った。思い出していただきたい、波消し石たちは、全体的に見れば斜めになっている。したがって、個々の波消し石の関係も、これに準じるわけだ。斜めの場所に、三脚を置けば、当然、三脚も斜めになるか、あるには、傾斜がきつい場合には倒れしまう。真っすぐに立てるには、足の調整が必要だ。

 

三脚を真っすぐに立てる、ということは、写真撮影においては、基本中の基本だ。ただし、この基本を守るのは、なかなか難しい。つまり、何をもって、垂直の基準にするのか?ふつうは、地面だろう。だが、地面が水平なら、わざわざ、三脚の垂直を確保するまでもない。三本の足を均等に伸ばして、そのまま置けばいいのだ。

 

しつこいようだが、斜めの場所に三脚を立てる場合は、三本ある足の長さを調整するしかない。だが、その際、垂直の基準をどこに置くのか?これは、足ではなく、三脚の真ん中の棒(センターポール)だ。この棒が、真っすぐ下に向かっているならば、三脚の垂直は確保されている。だが、棒が下に真っすぐ向かっているかどうか、どう判断すればいいのだ。棒を横から見て、天地に対して真っすぐになっていれば、ま、一安心だ。

 

だが、その辺の判断が微妙だ。一例をあげれば、この棒を、反対側、ないしは、左か右から見ると、やや曲がっていることが、非常に多い。そうなると、また、三本の足の調整をしなければならない。経験的には、一発で、三脚の垂直が確保されたことはない。二回、三回と、この作業を繰り返すことが多い。厳密になればなるほど、この作業の回数はふえるわけで、いつまでたっても、写真撮影が始まらない。したがって、ある程度のところで妥協して、撮影を開始する。この時もそうだった。

 

日の出は、六時四十五分頃だ。昨晩、スマホで調べた。とはいえ、すでに、五十分を過ぎている。山側の水平線が、少しオレンジに染まっているが、まだ太陽は見えない。あれ~と思っていると、そのオレンジが、見る見るうちに濃くなって、いわばみかん色だ。おお~と思いながら、リモートボタンを押していた。と、おいおい勘弁してくれよ。人影だ。それも、いままさに、太陽が出てくる水平線の真ん前と、灯台の横だ。

 

伊良湖岬灯台の、というか伊良湖岬の日の出を見に来たカップルだな。というのも、灯台のすぐ下の波消し石の上で、男が、石塀や階段の上でポーズを取る女を撮っているからだ。あの位置からでは、日の出は入っても、灯台は画面におさまらない。灯台には興味がないわけで、ひたすら、日の出をバックに、彼女の写真を撮っている。二人の姿は、黒いシルエットだったが、その行動は、手に取るようによく見えた。

 

おりしも、みかん色が極まって、日が昇ってきた。水平線ぎりぎりの、小さな火の玉。まさに、この瞬間を撮りに来たのに、男女の黒いシルエットが、邪魔をしている。早くどかないかな、と思いながら、写真を撮り続けていた。幸いなことに、火の玉が少し大きくなって、水平線から、二、三センチ上に上がった頃に、二つの黒いシルエットは消えた。だが、火の玉はそろそろ限界に近づいていた。<丸>は、しだいに<空白>になり、その周辺を黄色の輪が取り巻き始めた。

 

あとで、この時の写真をよく見ると、正確な意味での日の出は見られなかったようだ。つまり、太陽は、水平線近くにたなびく雲の上から出てきたように見える。ま、それでも、この時は、帰宅日は撮影しないですぐ帰る、という自分なりの旅の流儀を反故にし、なおかつ、天気予報にも、男女の黒いシルエットにもめげずに、伊良湖岬灯台の日の出を撮った、と思っていた。

 

戻そう。不思議なもので、水平線の、ほんの数センチ上に来ただけで、太陽は、<火の玉>から、一気に黄色い光の環に変身する。もう<丸>は見えず、中心が<空白>の黄色い同心円が光り輝いている。光が強すぎるのだ。こうなった以上は、日の出の撮影を終了せざるを得まい。移動して、東側の撮影ポイントで、朝日に染まる灯台を撮ろう。

 

愚痴を言っても始まらないし、言いたくもないのだが、もういい加減、この動作は勘弁してもらいたい。足を石塀にあげるたびに、足のどこかがツリそうになる。だが、そうもいくまい。また石塀によじ登り、乗り越え、危なっかしい足取りで、波消し石たちの中に立った。

 

思った通り、灯台の胴体が、ほんのり赤く染まっている。海の色は深い群青色で、水平線付近が白っぽい。だが、空は上に行くにしたがって、しだいに、暗い水色へと諧調していく。目にも、心にも優しい色合いだ。そして、全体的には、夜明けの、というか早朝の、静かで、厳かな雰囲気が漂っていた。日の出の時ほどは、劇的でないにしても、撮らずにはいられない光景だった。

 

東側でひと通り撮り終え、今度は、階段へ向かった。登るとき、多少足が重かった。だが、多少だ。撮ることに夢中、アドレナリンが出ていたのだろう、肉体的な疲労に関しては、鈍感になっていた。一、二回、登ったり下りたりしながら、これ以上、もううまくは撮れない、と思えるまで撮った。千載一遇の機会、いや、ひょっとしたら、もう二度と来られないかもしれない。万全を期した。

 

これで、三つの撮影ポイントをすべて回ったわけだ。階段に腰かけ、一休みした。目の前には、しだいに赤みが消えていく、伊良湖岬灯台があった。一応、仕事?は終わったわけで、少しぼうっとしていた。灯台のすぐ後ろを、小型漁船が、勢いよく横切っていく。元気なもんだ、と思っていると、少し間隔を置いて、次から次へと現れる。なるほど、ツルんで仕事をしているんだな。その小さな船団が、どこへ向かい、なにを捕っているのか、ふと思ったが、皆目見当がつかなかった。頭が働かなかったのだ。ただ、波しぶきをあげてを疾走する、おもちゃのような漁船が、見ていて楽しかった。

 

そうこうしているうちに、小さな漁船たちは、目の前から消えて、海は静寂を取り戻した。灯台は赤みがすっかり取れ、白っぽくなっていた。立ち上がった。引き上げた。だが、階段を下りたら、未練が出た。最後にもう一回だけ、三つのポイントを回って帰ろうと思った。

 

まず、西側ポイント。また石塀によじ登り、乗り越え、斜めになった波消し石たちの中に立った。太陽は、すでに、灯台の首のところまで登っていた。この場合、画面に太陽を入れたら、写真にならない。ので、灯台の頭で太陽を遮って、写真を撮った。この方法?は、ここ何回か試している。自分では面白いと思っている。画面全体が黄色くなり、もろ、逆光なのに、灯台もかすかに黄色に染まる。いわば、浅黄色だ。この世の光景とも思えないが、良しとした。

 

次に階段に、また登った。しかし、全体的な見た目は、先ほどと、ほとんど違わなかった。ただ、灯台がさらに白っぽくなっていて、白でも朱でもない、何とも形容しがたい色になっていた。明らかに、朝日に染まっている灯台の方がいい。もう、撮ってもしょうがない。だが、なおしつこく、階段を下りながら撮っていた。あとは、最後にもう一回、石塀によじ登り、乗り越え、波消し石の上に立って、東側ポイントから、灯台を撮った。撮りながら、ここも、もう撮ってもしょうがないなと思った。

 

実質的には、伊良湖岬灯台の撮影は、終わっていた。とはいえ、気分的には、立ち去り難く、遊歩道を、後ろ向きに歩きながら記念写真を撮った。もちろん時々ふり返って、後方の安全は確認した。いよいよ、山影で、灯台が見えなくなる時がきた。立ち止まった。やはり、立ち去り難かった。あの時、何を思っていたのだろうか、よく思い出せない。また来る、あるいは、絶対また来る、とは思わなかったような気がする。ただただ、立ち去り難かっただけだ。

 

前に歩き出した。五、六歩歩いて、ふり返った。灯台は、山影に隠れてしまい、もう見えなかった。さてと、これから、六、七時間、車の運転だ。うんざりはしなかった。今回で七回目の灯台旅、高速運転に慣れてきた。六時間くらいは、へっちゃらだ。気分が変わって、帰宅モードになっていた。

 

そうだ、<あさりせんべい>を買っていこう。うまいようなら、小粒みかんと合わせて、友人へのお土産にできる。<柿>へのお礼だ。というか、<自然の甘味>には<自然の甘味>で応えたかった。だが、<田原街道>沿いに、土産物屋の女将が教えてくれた、<あさりせんべい>の店はなかった。聞き間違えたのか、それとも、見過ごしたのか、どちらにしても、もうどうしようもなかった。とはいえ、六、七個の小粒みかんだけでは、理由はともあれ、お土産とは言えないだろう。なので、高速に乗った後も、サービスエリアごとに止まって、<あさりせんべい>を探した。

 

しかし、どこにもそのようなものは置いてなかった。渥美半島の名物、銘菓だと思っていたが、これも勘違いだったのかもしれない。とにかく、もうこれ以上は無理だと思い、浜松のサービスエリアで、<エビせんべい>を買った。うまいかどうかは、試食できなかったのでわからない。とはいえ、小粒みかんを手渡す体裁が整ったわけで、気持ち的には多少すっきりした。

 

伊良湖岬恋路ヶ浜駐車場を<8:40 出発>。事故渋滞もなく、午後三時過ぎには、友人のオフィスに着いた。うまい、と小粒みかんを食べながら、友人が言った。<自然の甘味>を知る人間だ。お愛想ではあるまい。それに、少し歓談したら、運転疲れがとれた。その後<16:00 帰宅 片付け 夕食>、とメモにあった。

 

<愛知旅>2020-12-6(日)7(月)8(火)9(水)10(木) 収支。

 

宿泊四泊 ¥25900(Goto割)

高速 ¥16900 

ガソリン 総距離940K÷20K=47L×¥130=¥6100

飲食等 ¥5100

合計¥54000

 

灯台紀行・旅日誌>2020愛知編#1-#17 2021-1-10終了。