<灯台紀行・旅日誌>2020年版

オヤジの灯台巡り一人旅。長~い呟きです。

<灯台紀行・旅日誌>2020版

<灯台紀行・旅日誌>2020 新潟・鶴岡編

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 灯台紀行・旅日誌>2020 新潟・鶴岡編#1~#12

#1プロローグ                            1P-6P

#2往路                                       6P-10P

#3角田岬灯台撮影1                   11P-16P
#4角田岬灯台撮影2                   17P-22P

#5間瀬港西防波堤灯台              22P-26P

#6弥彦観光~ホテル                  26P-32P       

#7鼠ヶ関灯台撮影プロローグ    32P-36P

#8鼠ケ関灯台撮影1                    36P-42P

#9鼠ヶ関灯台撮影2                    42P-47P

#10鼠ヶ関灯台撮影3                  47P-53P

#11鼠ケ関灯台撮影4                  53P-57P

#12 復路                                     58P-63P

 <灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#1 プロローグ

 さてと、今日は八月の十九日、水曜日だ。灯台紀行、三回目の旅は、新潟の角田岬灯台、山形の鼠ヶ関灯台に決めた。昨晩、燕三条のビジネスホテルに、二十三日の日曜から、二泊、予約を入れた。

 …ほぼ予定通り、前回の三浦半島旅の画像補正と<旅日誌>は、二週間で終わった。画像補正は、選択枚数が少ないので、あっという間だった。<旅日誌>の方は、内容的に、多少の方向転換をしたので、つまり感じたことや思ったこと、考えたこと、事物や事柄を、もう少し正確に記述しようと思ったので、やや長くなってしまった。今在る<自分>にも触れてみようと思った。二泊三日の<旅日誌>が原稿用紙で100枚、長くなったゆえんである。

盆も過ぎ、依然としてコロナの感染者数も減らない。だが、もう限界だろう。やるべきことはやったのだし、また灯台巡りの旅をしよう。新潟の角田岬灯台へ行くことは、前々から心づもりしていた。ネット画像で見る、山の上から見下ろす灯台と海と空の景観。カネと時間をかけても、撮りに行きたい。文句なしだ。マップシュミレーションもほぼ完ぺきに済ませているし、どの位置から撮るのか、行ったこともないのに、完全にイメージされていた。

 片道270キロ、おおよそ四時間の行程。はじめは二泊するつもりでいた。一日目の午後に着いて、灯台周辺の下調べと撮影。二日目は午前・午後、ゆっくり撮影。三日目は帰路のみ。という大まかな計画だった。が、念のため、新潟県灯台を調べなおした。以前とは、少し、灯台についての考え方が変わっていたのだ。つまり、灯台の景観が、撮影選択の絶対的基準ではなくなった。というか、さほど景観が期待できない、ありていに言えば、写真としてモノにならない灯台でも、ついでに寄れるものなら、観光気分で撮りに行こう、というわけだ。

 翻って思うに、おおよそ、灯台は<…灯台>と<…防波堤灯台>に分類されている。<灯台>は陸地にあり、<防波堤灯台>は防波堤にある。当たり前のことだが、その形、フォルムにより分類するならば、この基準は絶対ではない。つまり<灯台>なのに、いわゆる<防波堤灯台的な形>をしているものもあれば<防波堤灯台>なのに、小ぶりながらも、いわゆる<灯台>の形をしているものもある。

 <灯台の形>?一般的には、白い細長い、先に行くにしたがって、やや細くなっていく円柱で、てっぺんのドームの中に、レンズが入っている。一方<防波堤灯台的な形>?とは、こちらもかなり多様ではあるが、ある類型がある。つまり、前に書いたが<直方体を縦にして、その上に細長い円柱がくっついている。そのてっぺんには、円柱の直径よりやや大きい、平べったい台座があり、光を出す機械が鎮座している>という形だが、見れば、おそらく誰もが<ああ>と了解する形だ。とにかく、これまで<防波堤灯台>は、似たりよったりの形なので、よほどの景観以外、ロクに調べもせず、撮影対象から除外していた。あまりに数が多いのだ。

 (2020-10-25 追記 <防波堤灯台的な形>は、上記のほかに、もう一つある。やや上の方、あるいは真ん中辺が少しくびれた、いわゆる<とっくり型>である。この形もよく目にする。)

 …せっかく新潟まで行くのだから、付近に寄れる可能性がある灯台防波堤灯台はないのか?と、覚書などを見ながら、調べなおした。だが、やはり佐渡は別にして、角田岬灯台以外、新潟県日本海側には、わざわざ行くほどの灯台はなかった。前回の三浦半島のように、すぐそばにあるのなら話は別で、観光気分でついでに、ということもあるが、残念ながら、どれもみな角田岬からは、かなりの距離がある。

 と、<鼠ヶ関=ねずがせき灯台>の文字が、地図上にある。よく見ると、新潟県山形県の、ほぼ県境だ。この灯台は、山形県灯台の中で、唯一、行ってみたい灯台だった。灯台のすぐそばに、というか斜め前に赤い鳥居がある。珍しい!灯台と鳥居の組み合わせ、面白い光景だ。

 調べた。角田岬灯台からは、およそ140キロある。住所的には山形県鶴岡市鼠ヶ関。むろん、付近にビジネスホテルはない。約40キロ離れた鶴岡駅付近にはたくさんあるようだが、遠すぎるだろう。ちなみに、この灯台は、自宅から400キロ以上離れた北東方向にある。車で行くつもりはなかったし、自分の体力では、一気に行くことなど、とうてい無理だろう。要するに、新幹線・レンタカーで行くしかない灯台なのだ。

 ところで、山形の上、秋田県男鹿半島には、いずれコロナがおさまったら<新幹線・レンタカー>を使って、行くつもりだった灯台が、二、三、ある。有名な入道埼灯台と塩瀬埼灯台だ。宿まで決めている。その時に、鼠ヶ関灯台にも行ってみようかな、とぼんやりと思っていた。とはいえ、にわかに撮影の射程に入ってきた、この灯台のことを詳しく調べてみた。男鹿半島からは200キロもある。ついでに、というわけにはいかないのだ。おそらく、この鼠ケ関灯台は、そのためだけに、新幹線で鶴岡まで行って、そこからレンタカー移動となる。それまでして行く灯台なのか、と思っていた。

 だが、新潟との県境、距離にして140キロ、半分は高速で、時間的には約二時間。一日目に角田岬灯台を撮って、二日目に行って行けないこともないな、と思い始めた。ベストは、灯台のある鶴岡に、二日目は泊まることだ。だが時すでにおそし。燕三条のホテルに二泊予約済み。140キロ行って、また140キロ、帰ってこなくてはならない。むろん、二日目は、戻らずに、鶴岡に泊まるという選択肢もある。コロナのキャンペーンで、宿代が安くなっているから、さして無駄にもなるまい。だが、この考えを実行しなくてよかった、と今では思っている。そのことは、あとで書こう。

 さて、日付は、2020-8-19日水曜日だ。予約キャンセルは明日が期限。旅の日程を最終決定しなければならない。旅中の天気を念のため確認した。あれ~、日曜月曜、二日とも、曇りマークになっている。昨日までは、晴れマークだったのに。土曜日に準備、積み込みして、日曜日の早朝に出かけるつもりだったのだ。再度、燕三条方面の十日間天気予報を確認した。明日、あさってに晴れマークがついている。そのあとは、曇りと雨ばかり。

 急いで、ホテルの予約状況をネットで確認した。幸いにも、明日、あさってと予約可能だ。決断した。前の予約をキャンセルして、新たに八月二十日、二十一日を予約しなおした。念のために娘に連絡して、ホテルの電話番号などをラインで送った。この時点では、まだ鼠ヶ関灯台へ行く決心はついていなかった。明日の撮影次第だ。

 急遽昼過ぎから、旅の準備、荷物の積み込みを始めた。猛暑、汗だく。でも、さほど暑いとは感じなかった。およそ一時間で完了。三回目だから、手際がいい。これなら、今からでも出かけられそうだ。とはいえ、さすがにこれは自制した。暗くなってからの運転が、いやだったし、何しろ、心の準備がまだできていない。

一息入れて、シャワー。冷たいノンアルビールがうまい。明日からの旅の日程を、今一度考えた。今晩は夜の八時に消燈、明日は四時起き。五時出発。おそらく、九時に角田岬灯台到着。そのあと撮影。急な階段だった。山登りになりそうだ。

 その後、気になっていた鼠ヶ関灯台のことをまた調べた。ネット写真など眺めて、どの位置取りがベストなのか考えた。灯台正面から、赤い鳥居を入れて撮るのが定番だな。ほかに、浜から撮ることもできる。でも、問題は明かりの具合だ。行ってみないとわからない、とひとまず結論して、早めに夕食。予定通り、八時過ぎには消燈。いや、寝たのは九時過ぎだ。道順とか、しつこく、いろいろ調べていたのだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#2 往路

 八月二十日(木曜日)、一日目。

四時ちょっと前に目が覚める。外はまだ暗い。目覚ましが鳴る前に、スイッチを切った。昨晩は、九時ころ消燈し、夜中の十二時ころにいったん起きて、お菓子などを食べた。夜間飲食は、悪い習慣だ。だが、最近、どうもやめられない。無性に食べたい。これは、ストレスから来るものだ、と何となく了解しているのだが。

 昨晩は、旅前日の興奮も、わくわく感もなく、比較的平静だった。よく眠れたのだろう、今朝は眠くはなかった。整頓、洗面、かるい朝食。排便は、ほとんど出なかった。着替え、部屋の確認など、ゆっくりこなした。玄関へ行き、外へ出る前に、一応、振り向いて<行ってくるね>とニャンコに呼びかけた。切なさは全然なかった。習慣的な感じだ。外は明るくなっていた。

 車の運転席に座り、ETCカードを機械に飲ませ、ナビを角田岬灯台にセットした。午前五時八分だった。最寄りのインターまで、見知った道を走り、高速に入った。平日のせいか、大きなトラックが目に付く。横からの朝日が眩しかった。むろんサングラスはしているが、百均で買ったサンバイザーも額につけた。朝日というものは、いいもんだ。生理的にも何がしかの効用が認められている。

 習慣になっている、朝のコーヒーを、今朝は飲んでいない。標識のコーヒーカップが目に付く。ま、一時間は走ろう。渋滞情報で有名な<花園インター>付近まで、あっという間だった。次に藤岡ジャンクション、高崎、前橋の文字が出てくる。…高崎、前橋の文字を見ると、時として思い浮かんでくるのは、遠い昔、高校生時代の思い出の一片だ。

 勉強もせず、深夜放送をよく聞いていた。群馬県高崎高校と前橋高校は、ともに県内有数の進学校で、互いにライバル校だった。そこの生徒たちが、深夜放送へ投稿してくる。よくは覚えていないが、互いの悪口などを、面白おかしく書いてくるのだ。バスケ部で一緒の同級生も、その番組を聞いているらしく、教室でよくその話をして面白がった。

 夜中の電波を通じて、今まで全く知らなかった、県外の、似たような進学校の生徒たちの、軽い話を聞いて、何か、親近感のようなものを感じた。たしか、パーソナリティーは<キンキン>だった。愛川欽也の軽妙な語り口もよかった。ただ、この思い出は、これだけでは終わらず、想念は、バスケ部の同級生にまで及んでいく。詳しくは、思い出したくない。ただ、彼は、若くして交通事故にあい、寝たきりになり、その後亡くなった、と誰かに聞かされた。

 …前橋を通過すると、次は伊香保だ。なんでだろう、関越道下り方面には、思い出がたくさんある。地の利があり、夏や冬に遊びに行く場所なのだ。キャンプやスキー、旅行。それらの思い出には、人との関わりがあった。それゆえだろうか、どこか切なく、陽炎のような感じだ。自分も若かったし、関わった人たちも若かった。

おっと、長い上り坂だ。アクセルを少し踏み込んだ。かれこれ、一時間運転している。次のパーキングまで、少し運転に集中して、車を走らせた。赤城高原SAは、その名の通り、高いところにあった。かなり登ってきたのだ。駐車場は、さほど混んでもいない。トイレで用を足し、自販機でコーヒーボトルを買い、眺めのいい展望広場のようなところへ行った。家族連れなどが、ベンチを占領していて、朝っぱらから、子供たちが騒いでいる。

 少し離れたベンチに陣取り、コーヒーを飲みながら、体の屈伸などをした。暑くはない。半袖の腕が少し涼しいほどだ。そうこうしているうちに、家族連れがいなくなった。柵際へ行って、一帯を眺めた。連なる山並み。案内板があり、その山々の名前が記してある。案内板と、本物の山々を見比べた。中で、気になったのは<武尊山>。よく見かける名前で、ぶそんやま、と読むのだろうか?なるほど、ほたかやま、と読むそうで、標高も2000m以上ある。日本武尊ヤマトタケルノミコトの、武尊、という漢字が頭に残っていたのだろう。ちなみに、武尊山の山頂には、ヤマトタケルノミコトの像があるそうな。

 時計を見たのだろう。六時半になっていた。一時間以上は走ったのだ。駐車場を後にして、坂を下ったような気もするが、そのうち、また、かなりきつい上り坂になった。月夜野、水上、谷川岳が近い。要するに、群馬と新潟の県境だ。トンネルの前に、チェーンの装着場があった。ふと記憶がよみがえった。そうだ、ここでチェーンをつけたことがある。難儀したよな。トンネルは、いやというほど、これでもかというほど長かった。もっとも、この時はこのトンネルが、あの<関越トンネル>だということを失念していたのだが。

 トンネル走行には、細心の注意を払った。目線を真っすぐ、前方の車の、赤いテールランプを見続けていると、なんだか、頭がくらくらしてくる。このまま突っ込みそうだ。これはいつもの経験なので、目線を、トンネル右側についているオレンジ色のライトに、少しそらせて走ることにした。頭のくらくらは、少し収まった。

 我慢の時間が続いた。トンネルを脱出?したあとは、長い下りで、その間、短いトンネルを幾つもくぐった。と、視界が開ける。湯沢だ。スキー場で有名な観光地だ。長いトンネル走行の後だけに、気分がいい。山の斜面が、ところどころ緑になっていて、リフトが見える。ホテルのような建物も見える。ここを通過するときにはいつも、スイスのようだ、と思う。とはいえ、むろんスイスに行ったことなどない。写真か何かで見たスイスの風景を思い出すのだろう。

 この牧歌的な景色がしばらく続く。石打、六日町、と、この<六日町>だ。幼い娘たちを連れて、家族でスキーに行ったことがある。スキー自体は、初めてだったので、面白いどころか、怖かった。ただ、家族でスキーという常識的な娯楽に関しては、さほどいやでもなかった。自分が、子供のころに経験できなかったことを、娘たちにしてあげられることに、何か意味があるような気がしていた。きっといい思い出になる、と。果たしてそうだったのか、今に至るまで娘たちに聞いたことはない。

 …二時間以上走っている。二回目のトイレ休憩。たしか大和Pだったと思う。トイレだけの、小さなパーキングだ。車外に出ると、極端に蒸し暑い。日差しも強い。撮影用のロンTに着替え、顔と手の甲、指先に日焼け止めを塗った。時刻は七時半、とメモしてある。トイレで用を足し、すぐに出発。地形が変わって、高速道路の両脇には、緑の稲田が広がっている。それも延々と、きりがない。小出、小千谷と看板が出て来て、じきに長岡ジャンクション。関越道はここで終わり、北陸道に接続する。新潟方面へと、さらにひたすら走る。八時半、三回目のトイレ休憩。たしか三条燕のちょっと前の小さなパーキングだったと思う。ほぼついたな、と少しホッとしたような気もする。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#3

角田岬灯台撮影1

高速出口料金は、六千円ほどだったと思う。さすがに、ここまでくると高い。一般道に下りた。ナビの指示に従って走る。道は、平日の朝だけど、田舎だ。さすがに空いている。そのうち、マップシュミレーションでみた風景が目の前に広がった。左側は海=日本海、緑の断崖絶壁と大きな奇石が連なっている。トンネルをくぐる前に、断崖に白い灯台がちらっと見えた。あれだな。

トンネルを抜けて、海沿いの一般道を左折、角田浜に入った。何回もマップシュミレーションしているので、初めての感じがしない。コロナ禍で今年は海水浴場が閉鎖なのだろう、人影がまばら。空いていて気持ちがいい。もっとも、砂浜沿いに海の家というか、民宿が何軒かある。砂浜沿いに少し走り、断崖の下の駐車場に車を止めた。目の前には、休業中の年季の入った民宿がある。見上げると、白い灯台の頭が少し見えた。何枚か、記念写真として撮った。

灯台へ登る階段は、海沿いにある。とんでもなく急なことは、マップシュミレーションで了解していた。と、左側に、何やらトンネル。つまり、目の前の断崖の下をくり抜いて、向こう側の海へ抜けられる。これはと思い、近づいていくと、何やら看板。<名勝 判官舟かくし>。…いま改めてネット検索すると、要するに、義経伝説の一つで、奥州平泉に逃げる際に、この断崖の下にある洞窟に舟を隠して、追っ手をやり過ごしたそうな。

 トンネルの中は涼しかった。足場が多少濡れていたものの、軽登山靴を履いているので、全然問題なし。そうそう、今回からは、足の甲の、日焼け湿疹の対策として、愛用の<ダナー>の軽登山靴を履いている。思えば、とんでもなく暑かったのに、足元はさほど暑さを感じなかった。思惑が、見事に当たった。ただし、薄手の靴下だったので、靴の中で足が動いてしまい、歩きづらかった。もう少し厚手の靴下を履き、きちっと紐を締めなければだめだ。

 二十メートルほどの真っ暗なトンネルを抜けると、断崖に沿った遊歩道がある。柵はなく、目の前は海。要するに、断崖を削り取った遊歩道だ。幅は1メートル強、さほど広くもないし狭くもない。海が穏やかだったせいか、波しぶきはかからない。灯台に背を向け、ある程度歩いて、ふり返る。灯台が断崖の上に見える。ただし、あまりいい位置取りではない。でも一応写真は撮る。うねうねと、さらに行く。と、行き止まり。腰丈の柵がある。すり抜けることも出るが、そうすると、灯台は巨大な岩の死角に入る。これ以上行っても意味がない。イマイチだな~と思いながら、ここでも何枚か写真を撮った。引き返そう。義経伝説か、昭和の観光地の匂いがした。

遊歩道は渇いていた。足元にさほど注意もせず戻った。といっても途中までだ。そこに、灯台へ登る階段がある。ほぼ真っすぐ、灯台へ向かっている。さすがに、この断崖の階段には柵がついていた。暑かった!急な階段の途中で何回も立ち止まった。その都度灯台を見上げながら、写真を撮った。斜めに落ちる緑の断崖、その中ほどに、白い灯台が垂直に立っている。海も空も真っ青。モノになるかもしれないと思った。

 息を切らせながら、灯台に到着した。一休みだ。灯台は立派で、見上げると巨大だ。だが、敷地がほとんどない。灯台の胴体すれすれに歩いて、正面に回り込む。階段を二、三段あがると、三畳ほどのコンクリの平場。そこが、唯一バックをおろせる場所だ。多少の日陰もあり、ほっとした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸のまま、下の海水浴場、角田浜をもっとよく見ようと、反対側の柵際まで行った。景色はいい。

 替えのロンTを着た。濡れたロンTは、バッグに巻き付けた。こうして背負って歩けば、自然に乾くというものだ。ほんとは、もう少しゆっくりしたかった。だが、この灯台は、ハイキングコースの終点になっているらしい。断崖の上の方から、あるいは下からも、けっこう人が来る。おちおち休んでもいられない。

 灯台を背にして、断崖の登山道を登り始めた。ハイキングコースになっているとはいえ、ひどい悪路。岩がぼこぼこ出ている。歩きづらい。しかも、幅は、人がやっと通れるほど。少し登って、ふり返った。幸いにも、明かりは順光。灯台の白が眩しい。だが、電信柱が邪魔だ。まるっきり、灯台に重なっている。誰かが灯台の景観に嫉妬して、わざと邪魔させている、と疑いたいほどだ。どう考えたって、この構図は無理でしょう。

 位置をずらせばいいのだが、右手は低木が生い茂っている。柵などもあり、踏みこめない。左手は断崖。柵はないので、一歩、いや半歩くらいなら、登山道からそれることができる。だが、かなり危なっかしい。足を滑らせたら転落だ。それに、半歩それても、依然として電柱は灯台に重なったままだ。構図的には、むしろ、ますますよろしくない。

 ご想像願えるだろうか。つまり、少し高いところから、白い灯台を見下ろしている。背景は真っ青な空と海。灯台は緑の断崖に立っているわけで、素晴らしい景観だ。ところが、その灯台の真正面に、無粋な灰色の電柱が立っているのだ!

 何とか、位置取りをずらして、灯台と電柱が重ならない場所を見つけなければならない。と、ほんの一歩だけ、登山道からはみ出た場所がある。バックをおろすこともできない、狭い岩場だ。それでも、電柱君は、灯台のかなり右側に移動した。というか、すれすれで、横に並んでいる。邪魔だけど、贅沢言ってられない。慎重に、何枚も撮った。

 さらに登ると、登山道から右へ分岐する道がある。下り階段で、海側に柵もある。下って行くと、海沿いの一般道へ出られる。その歩道から、灯台が見える。要するに、横から撮れるわけだ。マップシュミレーションして見つけた場所で、当然行くつもりだった。が、念のため、もう少し、登ってみようと思った。電柱君が、灯台さんから離れる位置が見つかるかもしれない。

 登山道は、灯台から、ほぼ一直線に頂上へ向かっている。そこは、角田山というらしい。急な悪路を、文字通り、一歩一歩、登って行った。暑い、なんてものじゃない。それに、足元がおぼつかない。軽登山靴の中で足が動いてしまい、なんだか踏ん張れない。薄手の靴下を穿いていたので、スカスカなのだ。こんな本格的な登山なら、靴も、本格的な登山靴を履いて来ればよかった、と少し悔やんだりもした。

 と、登山道の右側、つまり海側に少し広い岩場があった。といっても、一メートル四方だが、どこか、人工的に踏み固められたような形跡がある。これはいい。登山道から外れて、眼下の灯台にカメラを向けた。例の電柱君が、灯台さんから、少し距離をあけていた。これまでで、最高の距離の開け方だ。ま、何とか、写真になる。かなり慎重に、念には念を入れながら、何枚も撮った。

 この位置からが、ほぼ、ベストショットだろう。撮り終わって、一息入れた。バックをおろして、座りこみたいところだった。だが、岩場は、ごつごつしていて、しかも狭い。肩からバックだけおろして、給水した。そうか、ここでみんなが写真を撮るんだな、と思った。

 念のために、撮影画像のモニターなどしていると、上から軽装の若い男が二人下りてきた。<こんちわ>と軽く会釈すると、<日本語>らしからぬ発音で<こんにちは>と返された。中国人か、いや東南アジア系だな、と思った。それと、この猫の額ほどの岩場は、写真を撮る場所、というよりは、すれちがう登山者の待機場所だろう、と考えを改めた。灯台を撮りに来る人より、ハイキングをしに来る人の方が、おそらく圧倒的に多いにちがいない。

 バックを背負った。グーグルマップによれば、さらにこの上に、もう一か所。撮影ポイントがあるようなのだ。とはいえ、登山道はさらに急になり、足場も非常に悪い。しかも、海側も低木で遮られ、視界がない。むろん、ふり返れば灯台は見える。しかし、かなり遠目。写真的には、もうこの辺が限界。立ち止まって、左側に樹木を入れて、何枚か撮った。

 上を見上げた。緑のトンネル、急な上り坂。死ぬほど暑いし、膝もガクガクしている。山登りは、もううんざりだ。それに、この上の撮影ポイントは、木々の間に灯台が見える、という感じで、是が非でも撮りたいというほどでもない。言い訳だ。苦労して登るのが嫌になったのだ。

 もういいだろう。引き返した。下りは、上りより楽だ。だが、滑って転ばないようにと神経を使った。すぐに先ほどの、猫の額ほどの岩場だ。いくらも登らなかったのだ。立ち止まり、一息入れた。明かりの具合が少し変わったかもしれない。美しい灯台の景観を、性懲りもなく、同じような構図で何枚も撮った。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#4

角田岬灯台撮影2

さらに少し下ると、分かれ道。まっすぐ行けば灯台。左側に逆Vを切って回り込む。断崖に斜めにかかる階段だ。たらたらと、二、三歩下りては振り向いて、写真を撮った。ちょうど、斜めに落ちる緑の断崖の途中に白い灯台が見える。空も海も真っ青。人影はない。涼しい風でも吹いていたら、立ち止まって、この景色を頭に焼き付けておきたいほどだ。しかし、現実は甘くない。風どころか、きびしい日射に晒されている。感傷に浸る状況じゃない。

 階段を中ほどまで下りると、灯台は、断崖の上にちょこんと見える程度になる。それに遠目過ぎて、もう写真にはならない。そのまま振り向きもせず、真っすぐ下りて、一般道の歩道に出た。すぐ左手は短いトンネル。向こうが見える。そっちにはいかないで、手すりのある歩道を行く。断崖の灯台を横から見られる位置だ。カメラを構えた。何枚か撮ったが、どうもよくない。

 歩道の手すりをすりぬけ、中に入った。そこは見晴らしのいい、少しひろい場所で、そばに巨大な岩がある。柵のない断崖の上で、危ないから、歩道から入れないようにしているわけだ。ま、危険は承知だ。なるべく、崖っぷちには近づかないで、草ぼうぼうの中を、そろそろ歩いた。見ると、今下りて来た階段の全貌が見える。断崖の上には白い灯台、下には、波打ち際の、断崖を削った遊歩道。義経が舟を隠したという、洞窟も見える。空には、うっすら雲がかかり、海は青のグラデーション。何とも、壮大で、美しい光景だ。でもやはり、この大風景の中で、主役は灯台だろう。もし灯台がなかったら、たんなる自然景観であり、わざわざ撮りに来ることもなかったのだ。

灯台は、ある種の象徴なのだろうか。断崖の白い灯台、人間はそれを見て何を思うのか?いや、自分は何を思い、感じているのか?定かではない。自分の人生や存在を、灯台に投影しているのだろうか。あるいは、男根の象徴として、半ば無意識のうちに魅かれているのだろうか。性懲りもなく、若さや生命力を渇望しているのだろうか。わからない。ただ、真っ青な海と空のなかに、屹立する白い灯台が、美しいと思うのだ。

 ここぞと思い、何枚も何枚も、同じような構図で写真を撮った。これ以上撮っても無駄だな、と思うまで撮った。ベストを尽くしたような気もするし、撮り損ねているのではないかとも思った。暑かった。限界を超えた暑さだった。巨大な岩の下が、少しだけ日陰になっている。一息入れたい。だが、草ぼうぼうで、腰をおろすことはできない。バックを背負ったまま、モニターした。大丈夫だろうと思った。いや、頭がぼうっとしていて、正確な判断はできなかったようだ。

 引き上げよう。歩道に戻った。少し歩いて、灯台へ向かう階段の前に来た。バックをおろして、給水したような気がする。そして、手すりにつかまりながら、ゆっくり階段を登って行った。途中、何度か止まり、カメラを灯台に向けた。今さっき撮った構図だから、感動はなく、なおざなりにシャッターを押した。灯台に着いた。最後は少し足取りが重かった。本来なら、ここでもう一度休んで、ゆっくり辺りを眺めたいところだ。だが、暑すぎた。早く車に戻りたかった。涼しいのは車の中だけなのだ。

 灯台の狭い敷地を右に回り込むと、浜へと降りる階段がある。その階段が、急なうえに、非常に狭い。人一人通るのがやっとという感じ。すれ違いなど、到底できないし、待機場所もない。いやな予感がしていたら、案の定、下から、爺さんが登ってきた。目が合った段階で、爺さんは止まった。どう考えたって、自分がいる以上、上には行けないのだ。なんとか、互いに体を横に向けて、やり過ごした。すいませんと小さな声で言った。だが、愛想のない爺さんで、ちゃんとした返事は返ってこなかった。

 これほど急で狭い階段は、経験したことがない。昭和の作りなのだろうな、などと思いながら、浜に降り立った。灯台の上り下りも、死ぬほど暑かった。が、浜辺は、何か種類の違う暑さだった。要するに、むっとする暑さだ。それに、日射が半端なくきつい。脇目もふらず、車へ向かった。幸いなことに、わが愛車はすぐそこに止まっていた。白い車体が眩しかった。

 車の中は、蒸し風呂状態だった。月並みの言い方だ。実態を正確に記述していない。蒸し風呂状態どころか、それ以上の暑さだった。焼けるような暑さだ。いやこれは、修飾過多だろう。とにかく、暑くてすぐには入れないような状態だった。エアコンを全開にして、しばらく、ドアを開けておいた。

 外で着替えをした。上半身に日射が当たり、痛いように感じた。ただ、足の甲はなんでもなかった。軽登山靴が日射を防いでくれたのだろう、日焼け湿疹はできなかった。車の中に入った。すべての窓にシールドを張り、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。むろん、靴下もジーンズも脱いだ。涼しい風が来る。

 ほっとして、横になった。少し頬が熱い、それに軽い頭痛。保冷剤入りバックに入っているペットボトルの水を飲んだ。冷たかった。軽い熱中症かも知れない。少し眠ろう。念のため、耳栓もした。目を閉じて、この後の行動日程を考えた。十一時半頃だったとおもう。九時から撮り始めたのだから、二時間くらい灯台を撮っていたことになる。ま、限界だな。ふっと、意識が遠のいた。

 なにか、いろいろ考えていたような気もするが、時計を見たら十二時半を過ぎていた。小一時間横になっていたわけだ。元気が回復していて、気分もよくなった。だが、横になったまま、しばらく考えていた。…この後の予定、浜辺から断崖の灯台を撮る。そのあとどうしようか。宿に入るには早すぎるし、だいいち時間がもったいないだろう。ふと思いついたのは、観光だ。近くに、弥彦がある。

 弥彦、という言葉は、小学生の頃から知っている。<国定公園記念切手>の中に、佐渡弥彦、という切手があったからだ。当時としては、きれいなカラーの切手で、金持ちの同級生が、そのシリーズを全部持っているのが羨ましかった。もっとも、当時も今も<弥彦>の実態は知らない。なんで有名なのかも知らない。山があって、神社があって、とその程度の知識だ。だが、その弥彦が目の前にある。

 そう、今日の朝、高速を降りて、角田岬へ向かう途中、ふと不思議に思ったことがある。周りは、一面青々とした稲田。なのに、海の方に山が見える。大きな塊が二つあって、右側が目的地の角田岬。その隣が、おそらく弥彦だろう。平野の中に、いきなりそこだけが山なのだ。しかもその向こうは海だ。普通は、山があって平野があって海になる。だが、順番がおかしい。目の前に広がる光景は、平野があって山があって、その向こうに海だ。要するに、平野の中に、ぼこぼこっと大きな山並みが二つある。あまり見たことのない地形だなと思った。

 今ネットでちょっと調べた。地形に関しては、海底火山が隆起したものなのか、ほかの理由なのか、詳しく研究されていないとのこと。まいったね!弥彦神社に関しては、越後一の宮と言われ、

信仰の中心地だったらしい。現在はロープウェイなどもあり、新潟県有数の観光地でもある。なるほど、関東で言えば、御岳山とか高尾山とか、そういった感じの場所だったんだ。

 ま、とにかく、景色も良さそうなので、午後はゆっくり弥彦観光だな、と心づもりして身支度をした。ちらっと、角田岬灯台の夕景を撮ろうかな、と思った。何しろ、夕日のきれいなところなのだ。だが、夕方、暗くなって、あの急な登山道を上がるのかと思うと、気持ちが萎えた。それに、まだ暑いだろう。宿のチェックインは六時になっているし、暗くなって、車を運転するのも嫌だった。要するに、何もかも、体力的なことが絡んでいて、それがやる気をすべて殺いでいる。実存とはこうしたものだ。快に流れてしまうことに、さほど抵抗はなかった。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#5

間瀬港西防波堤灯台

 窓のシールドを外して、車を移動した。角田浜の北のはずれまで行った。というのも、浜沿いに民宿が並んでいて、容易には、浜へ出られない感じなのだ。つまり、民宿の敷地を通って行かないと砂浜に出られない。やや不満だった。なぜって、公共の浜辺を民宿が占有しているわけだ。日本全国、やや大袈裟かな、かような現象が多々あるような気がする。むろん、行政に許可をもらっているのだろうが、なんか、釈然としないのだ。

 というわけで、民宿の切れた、浜の外れに来た。広い砂地の駐車場だ。外に出ると、これまた、極端に暑い。暑いと思わないことにして、護岸下の、緩やかなコンクリの段々に立った。でかい望遠カメラで灯台を狙った。遠目過ぎる。それに、垂直が取れない。しようがない。浜に下りて、波打ち際まで進攻した。ま、それでもだめだ。というのも、ほぼ逆光の上に、トップライト。紫外線でぼうっとしていて、写真にならない。

 それに、海の中には、三々五々、水着姿の人がいる。むろん、砂浜にもいる。男はどうでもいいのだけれど、女性もいる。水着だ。でかいカメラを向けたら、怪しまれるだろう。盗撮してるんじゃないかと。それでなくたって、怪しい格好のオヤジだ。灯台を撮っていることを、無言でアピールしながら撮った。むろん、長居はできない。それに、この暑さだ。粘って撮るような風景でもない。撮影終了。まったくの無駄足だった。

 車に戻った。さてと、今日の撮影は終わり!ちらっと、角田岬灯台の夕景を想像した。だが、暑くて薄暗い中、あの急な登山道をまた登るのかと思うと、気持ちが萎えた。体力もあり、時間的にも余裕のある時、しかも季節のいいときに、また撮りにくればいい。とはいえ、少し後ろ髪を引かれた。

 ナビを弥彦の山頂にセットした。と、その前に、さっき浜で見た北側の防波堤灯台を見に行こう。ナビで拡大表示すると<巻漁港>らしい。すぐ近くだ。角田浜から出て左折。五分で到着。どん詰まりで、開店休業のような鮮魚販売店があり、その前が割と広い駐車場。かまわず止めて、外に出た。なるほど、奥の方に、確かに白い防波堤灯台がある。ただし、関係者立ち入り禁止の看板が立っている。要するに、漁港の中なのだ。釣り人が入り込んでいるものの、それまでして撮りに行く灯台じゃない。あっさり諦めた。

 来た道を戻った。右手が海だ。角田浜を通り過ぎる際、キャンプ場、の文字が見えた。ちょっとした木立に囲まれた狭い場所に、二、三、テントも見えた。でも、だいぶ浜からは離れている。海水浴場は閉鎖されているのに、キャンプ場はやっているんだ。ま、規模が小さいからな。…その後は、うねうねと、海岸沿いを走った。と、海の中に、赤い防波堤灯台が見えた。あとで調べると、間瀬港西防波堤灯台、という立派名前がついていた。逆光ではあるが、海と空は真っ青、その中に一点の深紅。よく目立つ。うまいことに、手前に大きな民宿があり、その前が広い駐車場だ。入るところに公衆電話のボックスがあり、中に緑の電話機が見えた。珍しいなと思った。

 民宿の専用駐車場でもないような感じだったので、堂々と駐車して外に出た。一時半頃だった、とメモにある。強い日射をもろに浴びて、うわあっと眉をしかめたような気もする。だが、何かに引かれるように、海の中の、その紅一点に近づいていった。砂浜に下り、波けしブロックを乗り越え、さらには、立ち入り禁止の柵をすりぬけ、人影のない防波堤の下を歩いた。とはいえ、目の前の背丈より高い防波堤を乗り越えないと、紅一点には会えない。

 無理かな、と思っていると、なんと、防波堤の先端にアルミの梯子がかかっている。防波堤の上に上がれるのだ。誰が、何のために、わざわざ梯子をかけたのか?ま、そんなことはどうでもいい。細い、頼りないその梯子を数段、踏み外さないように慎重に上った。と、見えました!お目当ての紅一点は、すぐ目の前。海の中の防波堤に立っていた。運のいいことに、角度的にも、美人。だが、モロ逆光というか、トップライトだ。撮れなくてもともと、という気持ちで、ほぼ同じ構図で何枚か撮った。正直言って、ある意味極限的な状況の中で、大げさだな、紅一点にたどり着いた、ということでほぼ満足していた。

 引き上げ際に、周りを見回した。自分のいる防波堤に、変な形のものがある。コンクリのしっかりした台座の上に、白い塗装の剥げた、それほど太くない円柱だ。高さ的には小男。その上に、頭の白いライトがついている。それだけではない。円柱には、大小、二つの輪っかが溶接されていて、下の方の径が小さい。いま撮った写真で確認すると、上の輪っかは、太陽電池パネルを支える台座の役割を果たしている。一方、下の輪っかの役割は、ちょっと見わからない。ま、とにかく、こやつも、一応灯台なのだろう。

 ところで、防波堤灯台にはルールがあるらしい。ざっくり言うと、港へ向かって、右舷は赤、灯色も赤。左舷は白、灯色は緑。つまり、防波堤灯台は、ペアになっているわけだ。今一度撮った写真をつくづく見る。と、そうかと思った。配置からして、こやつは、紅一点さんのペア灯台、左舷の白い防波堤灯台だったのだ。

 変な形になってしまったのは、おそらく、外観が何らかの理由ではく奪されてしまい、骨組みだけが残ったのだろう。下についている小さな輪っかが、その証拠だ。となれば、紅一点さんは、未亡人ということになる。いや、骨組みだけとはいえ、やけに背丈が小さいぞ。間違っているかもしれない。それに、緑の明かりを毎晩灯しているわけで、死んではいない。未亡人は、言い過ぎだろう。ま、それにしても、こう考えると、真夏の真っ青な空と海の中、紅一点さんの寂しげな姿が、ますます鮮明になる。

 引き上げよう。堤防にかかっている、小さな梯子を下りた。登るときよりも、危なかった。というのも、軽登山靴は嵩が張っているのに、梯子の段々の幅は狭く、しかも、細い。へっぴり腰で、手を突いて何とか無事に下りた。来た道を戻った。しつこいようだが、暑かった。砂浜で、ふり返り、今一度赤い防波堤灯台を撮った。逆光で、よく見えなかった。遠くに、断崖と海が見えた。手前の浜に、二、三、人影もある。静かだった。いや、心地よい静寂じゃない。炎天下の、うわ~んと唸っている海辺だった。

 車に戻った。民宿の前に、黒っぽいオヤジがうろちょろしている。ちらっと見ると、向こうもこっちをちらっと見た。見慣れぬ観光客に対する興味と猜疑心だろう。そんな視線は慣れっこだ。知らん顔して車を出した。三時頃だったと思う。メモで確かめた。さ、弥彦観光だ。

 ま、それにしても、予定外の防波堤灯台を撮ることができてよかった。防波堤灯台は、みな似たり寄ったりのフォルムで、ロケーションも似通っている。灯台としては、ほとんど無名で、灯台オタク以外、わざわざ見に来る人もいない。だが、素晴らしい海と空に恵まれれば、孤高の姿が際立ち、感動的ですらあり得る。もっとも、感動しているのは自分だけかもしれない。いや、ネットにたくさんの画像がアップされているのだから、ある種の人間にとっては感動的なのだろう。ある種とは?どういう種類の人間なのか?そのうちゆっくり考えてみよう。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#6

弥彦観光~ホテル

 ナビに従い、弥彦へ向かっていた。いくらも行かないうちに、海沿いの道からそれて、いよいよ山登りだ。といっても、登るのは、わが愛車だが。軽登山靴を脱いで、素足にサンダル履きで運転していたと思う。エアコンの風向きを、顔と足元にしていたので、涼しい風がほてった足先に当たって、気持ちよかった、ような気がする。と、なんだか、狭い、いわゆるヘアピンカーブの連続だ。ちょっと、想定外だった。こんなに急なのか!

 …ジムニー秩父の山々を走り回ったことを、瞬間的に想起した。あの時は、車が小さかったし、悪路用の車だ。だが、今は普通の乗用車。一応今流行りのSUVとはいえ、街中を走る車だ。山道は得意ではないだろう。いや、こんなに急な山道は初めてなので、得意なのか苦手なのかもよくわからない。ちらっと、ナビの画面を眺めた。くねくねくねくね、まるで蛇だ。おいおい嘘だろう!まだまだずっとヘアピンカーブだ。

 真面目に?運転に集中した。幸いなことに、対向車にはほとんど出くわさなかった。というのも、曲がる瞬間は、上からの車が見えない。道端が狭いのだから、スピードを出していれば、あるいは、細心の注意を払っていなければ、おそらく、正面衝突は避けられまい。そんな、ヒヤッとした瞬間を何度も経験している。ある意味、対向車も、自分と同じようにスピードを落として、慎重に運転している、と思わない限りは、こんな山道は、こわくて走れないわけだ。いわば、運を天に任せている。

 …軽トラの運転手で生活費を稼いでいたころ、時々ふと、運転することが怖くなったことがある。万が一にも、大型トラックがセンターラインをオーバーしてきたら、それでお終いだ。実際、そういう状況で昇天してしまった、顔見知りがいる。しかし、この恐怖は、生活に迫られてではあるが、克服した。つまり、死ぬかもしれない、いや死んでもいいや、と思うことにした。びくびくしながら運転するより、その時はその時だと、穴をまくったのである。ま、まだ若くて、血気盛んだったころの話だ。

 まだかまだかと、慎重に運転しているうちに、少し目が回り始めた。いかんいかん、と視点を動かし、さらにゆっくり走った。ナビをちらっと見た。目的地の弥彦山頂は目の前だった。道が平らになった。お~、やっと着いた。ナビの声も消えた。山頂に何か施設のようなものがあるとばかり思っていた。が、何もない。道路際に仮設の駐車スペースがあるだけだ。車が何台も止まっている。半信半疑で、そこに駐車して、外に出た。

 弥彦からは佐渡がよく見える、と思っていた。スマホからの情報だろう。たしかに、佐渡は見えた。ただし、逆光の中、ぼうっとしている。目の前には、柵があり、案内板がある。右手には、見上げるような山。草ぼうぼうの中、細い登山道が上へと伸びている。ちらっと見ただけだ。登る気はしなかった。暑い中、あの急な山道を登ったところで、佐渡島は霞んでいるんだ。ま、今思ったことだけれども、あの山のてっぺんが、実質的には、弥彦の山頂だったのだろう。

 車に戻った。今日の予定は終了。宿へ行こう。ナビをセットして、走り出した。と、何やら、巨大な展望タワーが立っている。今調べると<弥彦パノラマタワー>というらしい。ガラス張りの、ドーナツ型の展望席がぐるぐる回りながら、細長い塔の上まで上昇していくのだ。たしかに、あの高さなら、展望は抜群だ。一瞬、乗ってみようかなと思った。広い駐車場をそろそろ走り、入口近くまで行った。時間は四時だった。また、体力的なことで、行動が消極的になった。何しろ、今日は、朝の四時から動いているんだ。それにまだ暑いし、山登りもして来たんだ。佐渡島だって、きっと霞んでいるに決まっている。帰ろう!

 回転して、駐車場を出た。おそらく、もう二度と訪れることもないだろう、とふと思って、かすかに気持ちが揺れるのを感じた。弥彦山を下りた。下りは、比較的道端も広く、さほど急でもなかった。対向車に出くわすこともほとんどなく、あっという間に下界に下りた。要するに、観光用のルートだったわけで、走りやすいように道を整備したのだろう。わざわざ急な山道を登ってしまった自分が頓馬だったのだ。

 燕三条のビジネスホテルまでは、30分もあれば着くだろう。一面黄緑色の稲田の中を市街地へ向かっていった。途中、ナビのいく方向が、工事で通行止め。ぐるっと回り道。要するに、本来左折するところを、直進させられ、その後左、左、右と曲がって、本来行くべき道に戻るわけだ。しかし、その迂回路が、信じられないほど長かった。とはいえ、黄緑色の中をぐるぐる走れたのは、面白い経験だった。極端に広い農道、稲田一枚の面積もかなり大きい。埼玉とは、規模が全然違う。異なる風土を感じた。これも旅の面白さの一つなのだろう。

市街地に入る前に、給油した。セルフで値段も埼玉と変わらなかった。ナビで事前に調べたあったコンビニに寄った。比較的感じのいいセブンイレブンで、おにぎり三個、牛乳、菓子パン、唐揚げを買った。全部で千円ほどだ。宿はもう目の前だった。マップシュミレーション通り、ホテルの入口に一番近い駐車場に入った。だが、並んでいる。駐車待ちだ。なるほど、ここはイオンの平面駐車場で、誰もが止めたいわけだ。大きな立体駐車場もあるが、売り場に遠くなる。ちなみに、ホテルはイオンと接続していて、駐車場も兼用なのだ。五分くらい待って、駐車した。

 一応、サンダルをウォーキングシューズに履き替えた。カメラバックの重さはさほど気にならなかったものの、飲料水や食料、多少の着替えなどを入れたべージュのトートバックは、かなり重かった。閑散とした<サイゼリア>の横を通り、広い道路に面した、ホテルの正面玄関から入った。あれ、受付が見えない。左手は<銀座>という名のレストラン、右手はロビー。比較的きれいで高級な感じ。受付の文字を見つけて、右手に少し行くと、受付カウンターがあった。

 三十代くらいの若い男。対応はビジネスライク。問題はない。コロナ関連や<Go tooキャンペーン>関連なのだろう、書面にチェックして、署名した。そのあと、現金で¥6760払った。二泊でこの値段、安い!だが、いつも冷ややかな眼で見ている日本政府から恩恵なわけで、心の底からは喜べない。領収証は、と聞かれた。欲しいというとチェックアウト時に渡すという。ま、別にどうでもいいことだ。

カードキーではなく、プラ棒についている鍵を渡された。エレベーターに乗り、部屋に入った。まずまずきれい。こんなもんでしょう。とはいえ、気になったのは冷蔵庫。すぐ開けてみた。う~ん、少し冷えている。前回のホテルよりはましだろう。荷物整理して、テレビをつけた、その後シャワー。ま、気持ちよかった。出てきて、お決まりのノンアルビール。今回は、保冷剤をいれた小さな保冷バックに入れきた。冷えている。グラスの紙カバーを外して、注いだ。うまかったと思う。

 おにぎり、唐揚げを平らげ、ベッドに横になった。ふと思って、カメラを取りだし、モニターした。撮れていても撮れていなくても、あとの祭りではあるが、今日の成果を確認して、満足したかったのだ。まずまずだった。天気がよかったからね。ひと安心した。そうだ、まだやることが残っていた。メモだ。テーブルに向かって座りなおした。出発してからのことを、時間軸にそって、思い出そうとした。何時にパーキングに寄ったとか、灯台に何時に着いたとか、昼寝の時間とか、ホテルに何時に入ったとか、ある意味些末なことだ。だが、メモしておかないと、日誌を書くときに苦労する。時間に関しては、まったく思い出せないことがしばしばあるのだ。

 今だって、正確には思い出せない。行動の節目節目に、腕時計をちゃんと見て、時刻を記憶しているわけではないのだ。時計なんか、ちらっと見る時もあれば、見ないときもある。だから、前後関係で、類推してメモっている。したがって、やや時間がかかるし、頭を使うのだろう。眠くなってきた。何時頃だったろう、夕方の六時ころかな、メモには<六時ねる>と記してある。一応書き終えて、部屋を暗くした。エアコンは自動から27度にセットし直した。横になった途端、眠っていたと思う。

 今日の出費。

宿代二泊¥6760、高速¥5950、ガソリン¥2355、飲食¥1147。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#7

鼠ヶ関灯台撮影プロローグ

 二日目

昨晩は、六時に寝て、九時頃いったん起きたようだ。おそらく、テレビをつけて、持参したカップ麺などを食べたような気がする。小一時間して、また寝たのだろう。いつものように、一、二時間おきに夜間トイレ。物音に煩わされることはなかった。

 五時起床。洗面、パンと牛乳で軽く朝食。便意がなく、排便なし。身支度。出る前にちょこっと部屋の整頓をした。エレベーターで一階に下りて、受付にキーを預ける。外に出ると、朝からもう暑い。駐車場には、二、三台車が止まっている。ということは、この大きなホテルに、二、三人しか宿泊しなかったということなのか?もっとも、巨大な立体駐車場もあるから、そっちに止めたのかもしれない。とはいえ、昨晩の感じからして、宿泊客は少なかったに違いない。部屋に出入りする音がほとんどしなかった。こっちはゆっくり眠れてよかったのだが。

 六時出発。その前に、お決まりの行動。ナビを鼠ヶ関灯台にセットした。駐車場を出て、ぐるっと右に回り込むような感じで、すぐに高速の入り口。北陸自動車道、三条燕だ。早朝だというのに、意外に車が走っている。しばらく走って、新潟辺りに差しかかると、道が分岐。むろん真っすぐだ。ちなみに右方向は、磐越自動車道会津の方へ伸びている。さらに行くと、日本海東北道の文字が見える。<日本海東北道>?そんなのがあったのか、初めて知った。いつの間にか、片側一車線になっている。

 タンクローリーや、軽自動車が前にいると、途端に車列ができる。とはいえ、インターの出入り口付近になると、追い越し車線が追加される。ここぞとばかり、後続の車が追い越しをかける。ま、自分もその一台だ。そんなこんなで走っていくと、料金所があった。ETCだから、現金は払わない。料金表示板に\2210、とあった。わりと高いなと思った。

 目的地の鼠ヶ関灯台までは約140キロ。うち高速走行は100キロ、時間にして一時間半はかからない。だが、長く感じた。とくに料金所を過ぎてからは、退屈だった。片側一車線、車の数も少ない。車間距離をあけて走っていればいいわけで、おのずと、周りの景色などが目に入ってきた。黄緑の稲田の中を、高速道路が突っ切っている。左右には低い山並みが見える。延々と、この景色が続いている。

 だが、いい加減飽きた頃、終点になった。<朝日まほろば>というインターで、日本海東北道は終わっていた。要するに、未完成の高速で、おそらく、いずれは、秋田を抜け青森まで伸びるのだろう。それにしても<まほろば>という聞きなれない言葉に、少し惹かれた。あまり聞いたことのない日本語だ。いまネットで調べたら<すばらしい場所>という意味の古語らしい。となると<朝日まほろば>とは、朝日が素晴らしい場所、ということになる。なるほどね~、語音が奥ゆかしい。

 その<朝日まほろば>で高速を降りて、一般道をこれから40キロも走らなくてはならない。そうだ、書き忘れたが、高速を下りる前にトイレ休憩した。パーキングの名前はよく憶えていない。一般道40キロ、市街地なら二時間かかるところだが、おそらくは田舎道だ。一時間で走破できるだろう。その準備としてのトイレ休憩だった。要するに、少し気合を入れなおしたのだ。

 地図上では、国道7号線だ。山形県へ向けて北上した。道は片側一車線。すぐに山間を走ることになる。ただし、道幅が広く、しかも、信号がほとんどない。走りやすい。60キロ前後で、ずうっと行く。道の両側には、民家が点在している。比較的大きめな、板塀の日本家屋だ。どこか懐かしい。

 育った板橋の長屋も板塀だったし、通った小学校の校舎も板塀だった。板塀のくすんだこげ茶色に、昭和を感じた。雪国の厳しい風土も感じだ。おそらくは、日本の近・現代化から切り捨てられた過疎地だろうとも思った。ただよく見ると、玄関口をサッシ窓で取り囲んで、寒気を防いでいる。そういう家が多々ある。人影は全くなかったが、生活の気配はする。小さな製材所も見えた。林業で生計を立てているのだろうか。よけいなお世話だ。ふと<常民>という言葉が脳裏をよぎった。自分の知らないところで知らない人間たちが生息している。どうでもいいことだと思いながらも、いやな感じはしなかった。

 そのうち、完全に山の中だ。上ったり下ったり、トンネルをくぐったり、<洞門>と呼ばれる、片側がコンクリの格子になっているトンネルなどもくぐった。県境はどこでも険しい山なんだ、と思った。と、視界が開けた。左側に海。彼方の岬に灯台が小さく見える。ナビの指示に従って、七号線から右にそれて、灯台の見える方へ向かった。やっと着いた。

 小さな港に入った。鼠ヶ関灯台は観光地になっているものの、下調べの段階では、付近に駐車場などはない。ま、その時は、港の空いているところに止めてしまおう、とアバウトに考えていた。なにせ、最果ての観光地という感じなのだ。案の定、閑散としている。もっとも、まだ八時二十分だった。メモに記してあった。二時間半くらいかかると思っていたから、少し早かったなと思った。

 ゆっくり、辺りを見回しながら、鳥居の見える方へ、車を動かした。なるほど、左側に、五、六台車を止めるスペースがある。公衆便所も横にある。止めるならあそこだな。どん詰まりの神社の前で回転、その道路沿いの駐車スペースに、車を頭から突っ込んだ。二、三台、車が止まっていた。だが、駐車スペースはおろか、港のどこにも人影は見えない。

 ちなみに、今ネットで、この鼠ケ関についてちょっと調べてみた。この場所は、義経が、追っ手を逃れて奥州平泉へ落ち延びる際に上陸した地で、そのあと、現在の七号線のあたりにあった、奥羽三大関所の一つ、鼠ヶ関を弁慶の奇計をもって通過したらしい。ま、歴史的にも地理的にも、由緒あるところだね。

 それと、鼠ヶ関灯台の手前にあるぼこっとした山は、名勝弁天島といい、昔は、海の中にあったようだ。その付近の小島をつなげて、今では陸続きになっている。なるほど、灯台も絡めて、観光地化したわけだ。さらに、手前の神社は厳島神社といい、弁財天と金毘羅様を祭っているとのこと。夕日が美しいことでも有名らしい。

 鼠ヶ関灯台の初点灯が大正14年。その時には、おそらく、陸続きになっていたのだろう。名勝弁天島義経伝説、厳島神社灯台、夕日、海産物。とまあ~、観光地の条件はそろっている。古代、中世、近世、近代と、長い間、人々が行き交ってきた場所なのだろう。とはいえ、今現在の雰囲気は、やや寂しい。廃れた感じがしないでもない。もっとも、自分的には、その方が好きだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#8

鼠ケ関灯台撮影1

 さてと、車から出た。これは、と思うほど蒸し暑い。もちろん陽射しも強い。たが、ここまで来た以上、暑いの寒いのと言っていられない。カメラバックを背負った。横にあった、公衆便所で用を足した。それなりの臭いがした。便所の正面には、自分の背丈以上の錆びた錨が、どんと置いてあった。なんじゃらほいと思いながら、記念写真をパチリと一枚撮った。

 便所の横を回って、浜に出た。緩やかなコンクリの段々があり、背後には一段と高くなった、小さな展望台があった。屋根があるから、多少の日陰になっている。あとで、あそこからも撮ろうと思った。向き直ると、弓なりの浜の向こうに、なぜか、そこだけ凹っと、三角の岩山がある。てっぺんの方に松が密集して生えている。そのまま視線を左に移動すると、鳥居が見え、さらにその先の断崖に灯台が見えた。

 浜からは、ちょっと遠目、灯台の垂直もイマイチよくない。だが、左手に、海の中に突き出た防波堤がある。撮るならあっちだなと思いながら、近づいて行った。長い距離ではない。が、そこまで行くにも、二、三歩行っては、カメラを灯台の方へ向けてシャッターを押した。念のためというよりは、できることなら、灯台を全方向から撮りたいのだ。その中からベストのものを選ぶ。

 むろん、海側からは撮れないし、今回の場合は灯台の向こう側の浜からも撮れない。それでも、全方向から撮る、という原則は貫きたかった。もっとも、最近は<ドローン撮影>というものがあって、字義通り、全方向から撮ることも可能だ。灯台に関しても、<ドローン撮影>をした動画がユーチューブにたくさんアップされている。空からの、見たこともないアングルだから、面白い。

 <ドローン>か!少し食指が動いて、ネットで調べてみた。結果、<ドローン>撮影を請け負う会社があるくらいで、素人が、ちょこっと撮影できるようなものではない、ということが判明した。もちろん、趣味で、小さなドローンを、ちょうど、ラジコン飛行機のように飛ばすことはできるだろう。だが、こっちの目的は、巨大な灯台を、海側から、あるいは、背後から撮るという壮大なもの?で、どう考えても、高度な技術とかなりの金が必要だ。ま、俺に野心があったなら、ドローン技術を習得して、誰も見たことのないアングルで、灯台を撮ることができるかも知れない、などと一瞬アホな夢想をした。

 山形県鶴岡市の、鼠ヶ関灯台の撮影に戻ろう。風景撮影は午前中が鉄則、と何かで読んだ覚えがある。別に、それに従ったわけでもないが、午前中の、よい光の中で撮影ができた。つまり、運良く、灯台に光が当たっていたのだ。それもほどよく!思えば、昨日の角田岬灯台にも、光が当たっていた。やはり午前中だ。主要被写体の灯台に光が当たっていないと、何となくさえない写真になってしまう。犬吠埼灯台で経験済みだった。今回は、ある意味、千載一遇のチャンスかもしれない。防波堤を隅から隅まで歩いて、できうる限り、慎重に撮った。

 一息入れよう。撮りながら戻り、先ほどの展望台に上がった。といっても、浜よりほんの少し高い程度だが。コンクリのテーブルが二つあり、それぞれに腰掛が左右一つずつある。なるほど、対面して、灯台や夕日が眺められるわけだ。案内板には、海の向こうに夕日が落ちる写真も印刷されている。

 一つのテーブルには、横からの日射が当たっている。日陰になっている方に陣取り、まずは着替えた。びっしょりになったロンTを、その、陽の当たっているテーブルの上に広げた。上半身裸のまま、ベンチに腰かけて、給水。一息入れて、バックから、望遠カメラを撮りだした。横着して、三脚は持ってこなかった。すぐそばの車の中にはある。が、取りに行くのが面倒だ。それに、この位置からだと、灯台の垂直がイマイチよくない。必要ないだろう。しゃがみこんで、柵の上にカメラを乗せ、何枚かは撮った。

 ろくにモニターもせず、二台のカメラをテーブルの上に載せたまま、海の方を眺めた。上半身裸のままだ。靴下も脱いでいたと思う。夕日がきれいだとは聞いていた。目の前の光景を、頭の中で夕景に変換した。なるほど、確かに海に沈む夕日はきれいだろう。ただし、灯台も岬もシルエットだ。是が非でも撮りたいとは思わなかった。それに、日程的に無理だろう。二時間半かけて、三条まで帰らなくてはならないのだ。

 多少の心残りを感じながら、身支度をした。展望台を下りて、辺りを見回した。弓なりの砂浜沿いに、背丈ほどの、頑丈そうなコンクリの護岸がある。その下が遊歩道になっていて、灯台の方へ続いている。あそこを歩いてくのが一番楽だ。だが、灯台の垂直を考えるならば、浜の波打ち際を歩きながら撮るのがベストだ。それに、浜が切れたところに、波消しブロックに守られた防波堤がる。あれに登って、先端まで行けば、灯台の垂直はほぼ確保できるだろう。

 砂浜を歩き始めた。きれいな砂浜ではない。プラごみなども散乱している。とはいえ、海水は透き通るほどきれいで、断崖に立つ灯台は真っ白、神々しいほどに美しい。近寄れば近寄るほど、そばにある鳥居の赤が目にも鮮やかだ。青空にうっすら雲がたなびき、かすかに波が押し寄せている。これで、海風が心地よかったら、最高だろうなと思った。実際は、歩き始めるとすぐ汗だく、陽が高くなり始めていて、これは危険な暑さでしょう。

 砂浜は波消しブロックで終わっていた。その波けしブロックをよじ登って、防波堤に上がった。凹凸のある表面で歩きづらい。とはいえ、灯台は目の前だ。水平線と灯台の垂直が両立している。大小二本の鳥居もはっきり見える。もっとも、灯台見物に来た観光客の姿もはっきり見えた。さいわいにも、人数的には少なくて、若いカップル、爺ちゃんコミの家族、若者一人、若い母親と子供、確かそのくらいだった。煩はしいというほどでもなかった。さすがに最果ての灯台だ。防波堤を行ったり来たりしながら、ゆっくり楽しみながら撮った。

 さてと、いよいよ灯台のある断崖に上陸だ。砂浜から上がって、断崖にかかる急な階段を登った。その階段の手すりが、ちゃっちい感じで、半分壊れかけている。見ると、断崖の岩盤に、直接ぶっといフックのようなものが打ち込まれている。なるほど、以前は、この階段すらなくて、フックにロープか鎖を通していたんだ。それを手にして断崖をよじ登る。山の急な岩場などを登るときの仕掛けだ。一、二度経験したことがある。その方が面白かったなと思った。

登るまでは、大した高さの断崖じゃないと思っていた。だが、実際登ってみると、息が切れた。いや、こっちが疲れていたんだろう。それに、もうジジイなんだ。色の塗ってない、しらっ茶けた、大きな木の鳥居をくぐった。と、断崖の上に到着。平場になっていて、コンクリの通路が灯台へと続いている。なんだか、雑然とした感じがしないでもない。

 そもそも、自然の岩場、断崖の上に、コンクリの通路があるのが、おかしいでしょう。それに、赤い鳥居、ま、これはきれいだから許せるとしても、その奥の、灯台の真横にある、小さな、ちゃっちい社(失礼!金毘羅様が祭られているらしい)、それに鐘撞台だ。いや、今調べたら、鐘撞台じゃない、<幸せの鐘>というらしい。最近設置されたようだ。とにかく、灯台の周りが、多少ごちゃごちゃしているような気がした。とはいえ、さすがに、コンクリ通路の両側には、ちゃんとした柵があった。何しろ断崖の上なのだ。

 案内板を見た。付近が、ちょっと広くなっている。なるほど、ここが、写真の画面に灯台がおさまる限界なのだろう。ネットでも、この辺りから撮ったであろう画像がたくさんあった。ま、文句はない。正面から灯台を撮るには、ここしかないのだ。赤い鳥居を入れて、気合を入れて何枚も撮った。狭い断崖の上を、右に左にと移動して、粘るだけ粘った。もう限界だろう。<金毘羅様>も<幸せの鐘>も<コンクリの通路>も、この際関係ないような気がした。気にならなくなっていた。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#9

鼠ヶ関灯台撮影2

 灯台に、これ以上近づくと、写真にはならない。被写体がでかすぎて画面におさまらないのだ。いや、縦位置なら入る。でも<縦位置>は禁じ手にしている。何が何でも<横位置>で撮ることにしている。理由は、灯台を風景の中に開放したいのだ。正確ではない。わかりやすく言えば、灯台のある風景が好きなのだ。横位置の画面は、横への広がりがあり、当たり前だ、<横位置>なんだから、風景写真に適している、と思っている。

 とにかく、近すぎて灯台はもう撮れない。だが、行けるところまで行く。近づけるところまで近づく、というのが信条だ。<信条>という言葉は大袈裟すぎないか?ま、いい。鮮やかな赤い鳥居をくぐって、灯台の根本まで行った。笑っちゃいけないんだけれども、座面に<恋のいす>と書かれた、背なしの木製ベンチあった。<恋>は赤色、<のいす>は青色になっている。設置したばかりなのだろう、真新しい感じだ。カンカン照りの炎天下でなければ、面白半分に腰かけたかも知れない。

 さらに、灯台に近づいた。と、その前に、左手にある<金毘羅様>を見た。もっとも、この時は<金毘羅様>だとは思っていない。赤い鳥居をくぐった先にあるのだから、<神様>を祭っていることくらい気づいてもよさそうなものだ。だが、くすんだステンの柵に囲まれた、石の小さな社を、何かの冗談かなと思ったような気もする。何しろ、背後の高いところに、ジングルベルの鐘がぶら下がっているし、脇には金属製の細いポールが立っていて、てっぺんにピンクの布切れがひらひらしているのだ。おそらく、ちゃんとは見ていない。何しろ、暑くて、早く日陰で休みたかったのだ。

 <燈台もと暗し>とはよく言ったものだ。誰が言い出したことなのか、まったく知らないけれど、面白い比喩だ。その<灯台のもと>、根本に近づいたのは、<信条>だけではなく、生理的な欲求も絡んでいた。つまり、灯台の根本には、必ず日陰になっている場所があり、そこで一息入れたいのだ。

 鼠ヶ関灯台の正面?灯台への入り口のドアは、なんだかにぎやかだった。一番上に赤系統の浮き輪がレイアウトしてある。撮った写真で確認すると、その下は灯台の案内や説明のパンフなどが貼りつけてあるような感じだ。ま、とにかく、レイアウトの色合いがきれいだなと思った。

 灯台の根本は、ぐるっと腰かけられるようになっていた。ご丁寧なことに、コンクリ細工の小さな座布団までしつらえてある。思った通り、日陰があり、うれしいことに、涼しい海風が吹いている。と、海に向かって、この狭い場所に木製の背なしベンチがある。座面に<愛のいす>とある。仕様は<恋のいす>と全く同じ。<恋>という文字が<愛>に変わっているだけ。まいったな、と苦笑いした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸、靴下も脱いで裸足になり、一息入れた。<十時半灯台で休憩>とメモにあった。

 八時から撮り始めたのだから、二時間も、炎天下の中で写真を撮っていたことになる。その間、さほど暑いとも、疲れたとも感じなかった。だが、今は、さすがにぐったりだ。涼しい海風も吹いている。ここで、小一時間休んでいこう。背筋を伸ばして、座りなおした。というのも、灯台根本の縁のような腰掛の幅が狭くて、背筋を緩めた楽な姿勢では座れないのだ。つまり、灯台本体に背筋をぴたっとつけて真っすぐに座る方が、まだ楽だ。背中が灯台の冷たさを感じた。首や手足の筋肉を緩めた。頭を垂れた感じで姿勢よく座っている。さいわい、灯台見物の観光客は誰も来なかった。目を軽く閉じて、この後の予定を考えた。微かに波音が聞こえたような気もする。何しろ、さほど高くはないが、断崖の先端に居たのだから。

 明かりは、この後、日が昇るにつれて、ますますトップライトだ。灯台はもとより、海も空も断崖も、きれいには撮れないだろう。もっとも、無理して撮ることもない。午前中の、最高の明かりで、写真は五万と撮っている。あれ以上の写真が撮れるとは思えない。とはいえ、午後の明かりはどうだろう。灯台が、また違った姿を見せてくれるかもしれない。

 姿勢を変えた。狭い縁の腰掛に、肘を枕にして横になろうとした。だが、これは無理だった。縁の腰掛は、灯台の胴体に沿っているわけで、緩やかにカーブしている。うまく横になれない。その上、心づかいのコンクリ細工の座布団が、腰に当たって痛いのだ。そばにあった、着替え用のロンTを当てがったものの、寝心地の悪さは改善しなかった。

少し我慢していたが、そのうち起き上がった。先ほどよりは、多少緩やかな姿勢で座りなおした。足は曲げずに、投げ出すように前に伸ばした。足先が少し、日陰から外に出た。多少引っ込め、そのまま頭を垂れた。夕陽までは、さすがに待てないような。日没がおそらく、六時半、それから夜道を二時間半走って、宿に戻る。いや、三条のホテルには戻らず、鶴岡に宿をとる、という手もある。その辺の民宿という手もあるが、これはやはり却下だな。それにしても、ここから、鶴岡市街までどのくらいあるのだろう。

 座りなおした。少し頭がはっきりしていた。携帯で、鶴岡までの距離やホテルの予約状況などを調べた。距離は約40キロ、一時間強。ビジネスホテルはたくさんあり、当日予約もできなくはない。だが、翌日の帰路が大変になる。自宅まで、おそらく400キロ以上走らねばならない。あ~、来る前にさんざん考えたことだ。日程的に、夕景の撮影は無理なのだ。また、いつかそのうち、撮りに来ることもあるだろう。自分の気持ちをなだめた。

 さてと、なんだか、目が覚めてしまった。といっても、まだ十一時過ぎだ。この暑さ、どう考えたって、二時過ぎまで、撮影は無理でしょう。もう少し、ここでゆっくりしよう。改めて、辺りを見回した。なるほど、いい景色だ。望遠カメラを撮りだした。裸足のまま、数歩歩いて、例の<愛のいす>に近づいた。ほとんど何のためらいもなく、座った。目の前には、そう、真っ青な日本海が広がっていた。

 眼下の岩場には、カモメのような鳥が一羽、波しぶきを受けながらも、一か所にとどまっている。魚を狙っているんだなと思った。望遠でのぞくと、何やら、目が鋭くて、怖い表情だ。なるほど<ウミネコ>だ。向こうを向いたりして、なかなか表情がちゃんと撮れない。周りに仲間はいない。まさに一匹狼?の、はぐれ鳥だろう。少しの間、波間の岩場にとまっている<ウミネコ>を眺めていた。自分より強いな、と思ったような気もする。

 <愛のいす>から立ち上がった。いったんカメラをおさめて、今度は、海岸寄りの、海の中にある赤い防波堤灯台を、柵越しに眺めた。よく見ると、灯台の立っている防波堤は、波消しブロックで全面ガードされている。だから、その赤い物体は、波消しブロックの上に立っているようにも見える。遠目とはいえ、空も海も真っ青、小さいが、紅一点が目立つ。形は、昨日新潟で撮ったものとほぼ同型。だが、ロケーションが違うせいか、別物に見える。どこか、雄々しい感じがする。これはこれでいいなあ~と思った。

 十一時半を過ぎていたのだろうか。引き上げだ。灯台の日向側に干したロンTを取りに行った。日射をもろに浴びた。暑いな~!ロンTはすっかり渇いていた。ふと、眼下の岩場を見た。<ウミネコ>はいなかった。いや、海の方へ飛び立っていく姿を見たような気もする。それに、休憩の最後の方に、若いカップルがすぐ近くまで来たような気もする。自分の前を通って、<愛のいす>に二人して腰かけたのだろうか。それとも<恋のいす>に肩寄せ合って座っている姿を見たのだろうか。定かではない。夢、幻か。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#10

鼠ヶ関灯台撮影3

 小高くなった、灯台周りの狭い敷地から、陸地側を見た。目の下には<恋のいす>があった。赤い鳥居も見える。漁港とか三角の岩山とか、なかば逆光だが、いいロケーションだ。と思ったのだろう、パチリと一枚撮った。お遊びで、ブログに載せようとも思った。灯台の敷地から降りた。案内板のあたりで、コンクリ通路が二股になる。右側が、先ほど、海から登ってきた道。左側は、どこへ行くのだろう?三角岩山(=弁天島)の縁沿いに続いている。まあ、行ってみるか。灯台に背を向けて歩き出した。少し行って振り返り、写真を撮った。太陽が、真上近くにあり、斜め逆光、きれいには撮れない。この位置取りも、午前中に撮っておくべきだったな。

 コンクリ通路は、緩やかな下りだった。と、向こうから、年配の夫婦がやってきた。いわゆる、後期高齢者だろう。その旦那と奥さんの距離の置き方が、ややおかしい。つまり、旦那の方は、通路の下の岩場を歩いて灯台へ向かっている。一方、奥さんは、歩きやすいコンクリ通路にいる。サングラスにサンバイザーを被っていたからなのか、二人の顔はよく見えなかった。いや、よく見なかった。

 ただすれ違いざまに、左下にいる旦那の表情をちらっと見た。なんだか、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。ものすごく暑い、ということもある。それにしても、互いに老い先短い夫婦が観光に来ているわけで、もう少し表情を崩してもいいだろう。余計なお世話だが。

 三角岩山の影に入った。日陰だ。振り返って、灯台の方を見た。もう、かなり遠くて、写真にはならない。同時に、例の老夫婦の姿も目に入った。旦那は、岩場から、背丈以上高い、コンクリの通路へよじ登ろうとしている。奥さんの方は、コンクリ通路の上から、何か言っている。ようするに、旦那は、意固地になって道なき道を進んで、危険を冒している。奥さんが諌めているわけだ。

 と、ふと思った。そうか、コンクリ通路ができる前は、波打ち際の岩場を伝わって灯台を見に行っていたんだ。旦那がよじ登ろうとしている場所には、おそらく、ロープか鎖が架かっていたのだろう。いわば、灯台への、昔の通路で、ひょっとしたら、旦那は、以前、今の奥さんではない、別の女性と一緒に歩いたのかもしれない。その記憶が、あの意固地さの由来だったのだ。おそらく間違いない!

 日陰ということもあり、小休止方々、なおも、老夫婦の行方を眺めていた。旦那は、老体に鞭打って、あぶなかっしい感じで、何とか、通路に這い上がった。奥さんの諦め顔が目に浮かぶ。そのあと二人は、やはり少し距離を置いて、灯台の敷地に上がっていった。ふむ、<恋のいす>には腰掛けなかった。日向だからな。

 そのあと、二人して、金毘羅様などをちらっと見て、灯台の根本へ行った。さっき自分が休憩していた、日陰だ。奥に旦那のシルエット、手前に奥さんのシルエットが見える。と、旦那のシルエットが半分になった。おそらく<愛のいす>に腰かけたのではないか。そして振り向いて、こっちに来い、と奥さんに呼びかけたのかもしれない。だが、奥さんのシルエットはそのままで、少したって、灯台の縁に腰かけた。シルエットは離れたままで、肩寄せ合って並ぶことはなかった。ま、あの旦那、奥さんに声はかけなかったかもしれない。

 もういいだろう。灯台に背を向けた。三角岩山の裏側、というか表側に来た。見上げてみたものの、登れるような道も階段もなかった。それよりも、左手の漁港の向こうに、小さく、白い防波堤灯台が見える。いま思えば、灯台の根本から撮った、赤い防波堤灯台のペア灯台ということになる。近づくには、コンクリ通路からそれて、目の前の防波堤に登り、その上を百メートル以上歩いていかねばならない。

 大した高さでもない、いちおう、防波堤に登った。辺りを見回した。炎天下の漁港に人影はない。ところが、防波堤は意外に高くて、幅も狭い。ちょっと危険を感じた。そのうえ、暑くてかなわん!ま、いいか、ということになり、コンクリ通路に戻った。灯台は、完全に三角岩山に隠れて見えなくなった。

 少し行くと、朝来た時にUターンした場所に出た。立派な神社が目の前にある。日章旗が掲げてあったかな?目障りな感じがしないでもなかった。とはいえ、観光気分で、鳥居をくぐった。本殿の前に行って、財布から小銭を取りだし、賽銭箱に投げ込んだ。一応、手を合わせ、垂れ下がった太い紐を引っ張って、鈴を鳴らした。さえない音色だった。それと、賽銭箱の前に<おみくじ>があった。一瞬、引いてみようかと思った。だが自制した。意味がないだろう。

 そうそう、書き記すのを忘れていたことを思い出した。灯台を去るときに、例の<しあわせの鐘>を、面白半分に鳴らしたのだ。意外に大きな音で、海に響き渡った。と、むかいの防波堤の影から、真っ白なプレジャーボートが、ものすごい勢いで、こっちに突進してくる。一瞬、あれ~まさかと思った。いたずらが発覚したような気持になった。そんなはずはない。なにしろ、ちょっと前、若いカップルが鳴らしていたのを、この耳で聞いているのだ。むろん、勘違いだった。白い波を立て、プレジャーボートは目の前を横切って行った。

 どうでもいいことだが、鈴とか鐘とかがあると、意味もなく、鳴らしてみたい衝動に駆られるようなのだ。なぜだかわからない。これまで幾多の神社仏閣で、賽銭箱に小銭を入れたのは、鈴や鐘を鳴らしたいがための手続きだったような気がする。タダで鳴らすには気が引けたのだ。

 なお、この<厳島神社>には、面白いものがあった。巨大な錨で、それも三基、形よく並べてあった。何しろ、くっついている鎖の(錨鎖=びょうさ、と言うらしい)一個が、手のひらサイズの大きさだ。なぜ、ここに置いてあるのか、案内板はなかったような気がする。まじめに?何枚かスナップした。ちなみに、この巨大錨は、先ほど書いた、トイレ正面の、背丈ほどの錨の数倍はあった。

 これで、午前の撮影は終わり。十二時頃になっていた。鳥居を背にして、ぐるっと辺りを見回した。左手は、漁港。先ほど、その上から見た、防波堤下の道は、関係者以外立ち入り禁止だった。依然として、人影はない。なるほど、漁港全体が工事中なのだ。小さな立て看板を見たような気もする。と、真新しい灰色の防波堤の向こうに、白い防波堤灯台が見えた。道から、立ち入り禁止の漁港に少し入り込む。カメラを構えた。電線が邪魔だ。それに、工事中だけあって、付近が雑然としている。気のないシャッターを押した。

 向き直って、駐車場へ向かった。その時、一台の軽自動車がやってきた。なかから、険悪な表情をした爺が出てきた。なぜか、こちらを睨んでいる。ちょっと体が不自由なようだ。その表情は、言ってみれば、激高した人間のそれで、怒りと嫌悪に満ち満ちている。何か、悪いことでもしたのかな、と自分を顧みた。あるとすれば、コロナ禍の中、旅行していることだ。もっとも、それとて<自粛要請>が出ているわけでもない。

 ま、シカとして、自販機でスポーツ飲料を買った。と、爺が、道の向こうから、わざわざ自販機のそばまで、不自由な体を引きずってきた。相変わらず、激高した表情で、こちらを睨みつけている。あの体で運転して来たのか?いや、軽自動車から、息子のような、介護者のような、貧相な中年男が、爺のもとへ駆け寄ってきた。今や、二人は自販機の前にいる。

 自分は五、六歩離れて、ふり返る。依然として爺が、こちらを睨みつけている。貧相な男が爺の腕を抱えて、無言で、なだめているようにみえた。なんだかよくわからない。自分の風体が気に障ったのだろうか?でかいカメラをぶら下げているのだから、写真を撮りに来た観光客であることは、誰が見ても一目瞭然だ。だが、じいっと何回も睨まれた。意味が分からない。釈然としなかった。

 歩き始めると、右側の土産物店から、香ばしい匂いがしてきた。いや、もっと前から匂いには気づいていた。暗い店の中から、シルエットのおばさんが、<いらっしゃいませ>と声をかけてきた。軽く会釈して通り過ぎた。見ると、日向になっている道の方には、ずらっと台が置かれていて、その上に、イカとか魚とかが干してある。みな<ひらき>になった状態で、アウトドアで使う青い乾燥用ネットや、金網の中できれいに並んでいる。エイリアンみたいな形のものもあった。

 土産物屋は二軒しかなかった。公衆便所に近い方の店では、二人のおばさんが、何か話しながら仕事をしていた。そばを通り過ぎても、何の反応もない。そのあと、便所で用を足した時、その店の、横壁の剥げかけた看板を見た。<・・・生産組合弁天販売所>とあった。二軒の土産物屋の、おばさんの愛想の違いが、理解できたような気がした。いま調べると、正確には<鼠ヶ関水産加工生産組合弁天販売店>だった。愛想のいい方は<弁天茶屋>。おそらく昔からの土産物屋なのだろう。前者は、漁師のおかみさんたちで、後者は茶屋の女将だったのだ。

 灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#11

鼠ヶ関灯台撮影4

 車に戻った。あまりに暑いので、バックドアを開け放して、着替えなどをした。駐車場には、三、四台車が止まっていた。あと二、三台で満車だ。と、目の前の土留めコンクリに、何やら警告文が張ってある。要するに、ごみは持ち帰れ、とくに、磯釣りに来た人間のマナーがよくない、とのこと。駐車場が、どこの管轄で、誰が管理しているのか、むろん知る由もない。だが、業を煮やしたのだろう。<警告文>に怒りが出ている。

 旅中に出たごみは、自分の場合、だいたいはパーキングのごみ箱に捨てるようにしている。だが、海、山、川、観光地、道路や駐車場など、平気でごみを捨てていく輩も多い。どういう神経をしているのだろう。一種の嫌がらせなのか、理解できないことの一つだ。

 車の中に入った。蒸し風呂のようだ、なんてもう書きたくない。暑いのは、当たり前になっていた。すぐエアコンをつけ、窓にシールドを張り、仮眠スペースに滑り込んだ。少し眠るつもりでいた。耳栓もちゃんとした。だが、何となく眠れない。

起き上がって、胡坐をかいた。カメラを引き寄せ、撮影画像のモニターなどをした。まずまずだなと思った。また、横になった。駐車場は少し傾いていた。したがって、車もすこし傾いていた。寝る時に頭の位置が下がっているのは、生理的に受け付けない。いきおき、頭の位置が運転席の後ろになった。車が水平なときは、バックドアーの隅に枕を置いて寝ている。いつもとは反対側に寝ているわけで、何となく落ち着かない。それでも、しばらくは、じっとしていた。

 だが、うとうとしかけると、車の出入りとか、人の声とかで意識が引き戻される。それに、エアコンは効いているものの、なんだかむし暑い感じで不快。第一、この駐車場の立地がよくない、道路に面しているし、ときどき車の出入りもある。そうだ、展望台のベンチで横になろう。あそこなら日陰で、それに風も吹いていた。車外に出た。日除けシールドは、運転席側の窓だけを外して、そのままにした。隣には、平台のガタガタな軽トラが止まっていた。運転席の窓が少し開いている。が、人は乗っていない。明らかに、何かの作業に使っている車だ。

 便所の脇を通って、浜辺に出た。左手の展望台には、なんと、人がいた。まったく予想していなかったことだ。というのも、午前中に休んだ時には、誰一人来なかったし、静かな場所だったのだ。ちらっと横目で、ベンチに座っている人間を見た。一瞬で、軽トラの作業員であることがわかった。中年の、くすんだ色の開襟シャツを着た男だった。ちょうど昼時、休憩しているんだ。

 ま、この辺り一帯、日陰などほとんどない。致し方ないことだ。すごすごと車に戻った。おそらく、十二時半過ぎだったと思う。シールドのおかげで、車内は、さほど暑くなかった。一定の効果はあるなと思った。さてと、この炎天下、行く当てもない。また横になって静かにしていた。というか、涼んでいた。

 と、いくらもたたないうちに、隣の軽トラが出て行った。昼休み終了。このあとまた仕事だ。どんな作業をしているのか、想像することもしなかった。俺だって、生活のために、それなりの苦労はしてきたんだ。炎天下の作業員に同情する立場の人間じゃない。むしろ、同類に近い。もっとも、今はそうした苦労からは解放されている。だがそのかわり、歳を取って、ジジイになってしまった。

 少し、意識が遠のいた。何を考えていたのだろうか?夕日に染まる鼠ヶ関灯台!やっぱり夕方まで粘ろうかな、などと決着のついた問題を蒸し返していたのかもしれない。くどいぞ、セキネ!うるさいな、いや、隣で車のドアの開け閉め、子供の声、親の声。眠りかけの時は、外界の音が、ことさら、大きく聞こえる時があるものだ。むくっと起き上がり、シールドを少しめくって、外を見た。黒っぽい乗用車。家族連れの観光客だな。午後の一時半になっていた。

 そうだ、海辺と平野では、最高気温になる時間が違う。と、テレビで見たような気がする。ウソかホントか、定かではない話だ。普通は、午後の二時前後が一番暑い。だが、海辺はそれより二時間ほどピークが早い。ということは、ここは海辺、暑さのピークは過ぎたわけだ。ま、いい。眠気も覚めていた。浜辺があまりに暑いようなら、展望台で休憩だ。

装備を整え、浜へ出た。横着して三脚は持って行かなかった。と、またしても、展望台に人。若い。一人は女子高生。格子柄のスカートは制服だろう。もう一人は十代の男の子。白っぽいワイシャツ姿。日陰になっているテーブルで、向かい合って座っている。ふ~ん。そのうち引き上げるだろう。浜沿いの緩やかなコンクリ段々に少し下りて、灯台にカメラを向けた。駄目だ。もろ、逆光。海も空も、灯台も断崖も三角岩山も、すべてが紫外線でぼうっとしている。

 午前中に、撮っておいてよかったよ。振り返った、高校生のカップルはまだいた。時間つぶし方々、砂浜沿いに歩いた。要するに、灯台からは遠ざかっているわけで、まだ撮っていない位置取りだ。と、何と言うか、休憩所のようなものがあった。コンクリの柱が四方にあり、天井にこれまたコンクリの梁が渡してある。したがって、日陰にはならない。柱に囲まれた中に、テーブルと腰かけがあるものの、強い日射が当たっている。座って休憩などできない。

 また、展望台の方を見た。高校生たちは、日陰で涼しそうな顔をしている。こっちは、すでに汗だく。写真を撮る気力も失せていた。なおのこと、余計に暑い!辺りを見回した。日陰は全くない。しようがない。カメラバッグをテーブルにおろし、装備を解除した。つまり、カメラやポーチなどを首から外し、汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨てた。

 上半身裸になると、ほんの少しだけ涼しい。それに、柱の影に隠れれば、日射を多少防げる。給水して、望遠カメラを手に取った。柱に身体を押し付け、カメラをしっかり構えた。ぶれないようにして、逆光の灯台を撮った。まあ、これは高校生カップルが立ち去るまでの言い訳だ。裸で、ぼうっと突っ立っているわけにもいかないでしょ。何としても、日陰の、海風が吹き抜ける展望台で、ゆっくりしたかったのだ。

 ところが、待てど暮らせど、高校生たちは立ち去らなかった。もう限界。身支度を整え、未練たらたら、辺りを散策した。公園のような感じの場所だったのだ。いま、撮った写真で確認すると、公園正面のモニュメントには<マリンパーク 鼠ヶ関>とあった。立派な台座の上に大きな錨が鎮座している。たしか、近くまで行って、本物なのかオブジェなのか確かめたような気がする。だが、写真で確認しても、どちらなのか判然としない。それにしても、たかだが数時間のうちに、大小三つの錨を見たわけで、何か特別な意味があるのだろうか?と、今になって思った。

 伸びあがって、またしつこく展望台を見た。まだ居ます。時計を見たのだろうか、メモには<二時半引き上げ>とある。宿へ戻るのに二時間半かかるのだから、いい頃合いだ。展望台の下を通ったときに、ちらっと上を見上げた。清楚な感じの女子高生、なかなかの美人だ。男の子の方も、さわやかな感じで賢そうだ。いまだに、対面座り。海辺の展望台でデートしているわけか。まだ清い関係だと思った。いやらしいジジイだねえ~。

 灯台紀行・旅日誌>2020#12 新潟・鶴岡編 復路

車に戻った。隣にあった、黒い乗用車はなかった。ゆっくり着替えなどをした。たしか、軽登山靴も靴下も脱いで、サンダル履きになったと思う。この後は帰るだけだ。それにしても、朝からいったい何度着替えたことだろう。だが、思い出すのも億劫になっていた。最後にまた、公衆便所に寄って、用を足した。公衆便所の汚さと臭いは日本全国共通なのだろう。正面に置いてある、年季の入った背丈ほどの<錨>をちらっと見た。どう考えたって、不釣り合いでしょう。

 帰路は、ただただ運転のみだった。山間の低速道路?も、来た時の感動はなく、周りの景色もろくに見なかった。小一時間走って、高速道路に入ってからはなおさらで、前だけを向いて運転に専念した。少し眠くなったものの、頻繁なトイレ休憩でやり過ごした。<五時前にホテル到着>とメモにある。

 イオンの平面駐車場には、またしてもすんなり入れず、先頭で待機。時間が悪い。夕方の買い物時間だ。少し待っていると、女性が店舗から出てきて、軽自動車の中に入った。お、出るなと思ったが、なかなか出ない。助手席には、中学生の男の子が乗っているようだ。となれば、女性は、母親なのだろか。なんだか手元で調べている。それが長い!

 目の前で待機している車があるにもかかわらず、平気なのだ。出るのを待たれているのがわかれば、自分の場合、こちらの事情は後回しにして、とりあえず、すぐに出ることにしている。鈍感な人間は、男女年齢間関係ないんだ。でもちょっと癪だから、ハンドルに腕をかけて、チラチラ見ていた。と、いい加減経った頃、シートベルトをして出て行った。合図も会釈もなく、まったくのシカとだった。むろん、この程度のことでは、腹も立たないし、イライラもしない。世の中には、もっともっと鈍感で、非常識で、傲慢な人間が五万といるのだ。

 ホテルに入る前に、イオンの食料品売り場へ行った。食料の調達だ。おにぎり二個とミニカツ丼、菓子パンなどを買った。店内は、それなりに賑わっていた。レジの接客態度にも、問題はなかった。車に戻り、カメラバックを背負い、トートバックに食料品や飲料水を入れて、ホテルの正面入口に向かった。受付でキーを受け取り部屋に入った。部屋はきれいに清掃されていた。新しいスリッパを袋から取り出して穿いた。そのほか、ベッドメイキング、バスタオル類、アメニティー類もすべて新しいものに交換されていた。これが当たり前なんだよな。気分は良かった。

 <五時半夕食>とメモにある。そのあと、昼寝。七時過ぎに起きてシャワー、頭も洗ったような気がする。テレビをつけながら、<メモ>を書き、撮影画像のモニターをしたかもしれない。<九時に寝る>。ほかに、これといって記述することはない。

 今日の出費。日本海東北道¥2210×2、飲食¥1290。

 お決まりのように、夜中には、一、二時間おきにトイレに起きたのだろう。だが、六時過ぎに目覚めた時、眠気はほとんどなかった。よく眠れた方だ。物音もしなかったような気がする。洗面、朝食・菓子パン二個、牛乳、備え付けのお茶とコーヒー。朝の支度を終え、排便。今日もほとんど出ない。三日目だ。自宅にいる時には、こんなことはありえない。ほぼ毎日決まった時間に、ある程度の量が出る。だが、環境が変わると、すぐに便秘する。神経質なところがあるのだろう。

 身支度をした。忘れ物がないか冷蔵庫の中を再度確認して、廊下に出た。エレベーターで下におり、受付カウンターへ行って、キーを返した。その際、手書きの領収書を受け取った。ホテルの男性従業員は、ビジネスライクの応対で、問題はない。外に出た。まだ、さほど暑くはなかった。が、これから暑くなるぞ、といった雰囲気の朝だった。車に乗った。ナビはセットしなかったような気もする。三条燕の高速入口は、頭に入っていたし、そのあとは関越道をひたすら走るだけだ。<七時二十分出発>とメモにあった。

 高速は、長岡までは、朝の通勤時間帯なのだろうか、意外に混んでいた。といっても、むろん、渋滞などはしていない。頭がすっきりしていたせいか、運転しながら、周りの景色をちらちら眺めていた。両側に、黄緑の稲田が、延々と見える。そういえば、昨日も、日本海東北道・村上あたりからは、見渡す限りの黄緑稲田だった。何十キロ、こんな光景が続いているのだろうか。いや、百キロ以上かもしれない。

 新潟県の面積が大きいのは、何となく知っていた。だが、全国で何番目なのか、そこまでは知らない。今調べたら、五番目らしい。それに<長さ>だ。端から端までは、350キロもあるという。自分が実際に走った<村上から長岡>ですら、約120キロもある。カンが当たったわけだ。そう、100キロ以上、高速の両側が黄緑色の稲田だったのだ。新潟・米どころ、とはよく言ったものだが、見ると聞くとは大違い、とはこのことだった!

 前に見える車列は、長岡が近づくにつれ、だんだん少なくなっていった。みな、途中のインターで降りてしまう。そして、関越道に入ると、ほとんど車が走っていない。ガラガラ。なるほど、広いからね、高速で県内を移動しているんだ。唐突に、でもないか、来る時も思ったことで、関越を走ると、きまって、<田中角栄>を思い出す。<列島改造案>だ。新潟県の人にとっては、神様のような存在だったのだろうけれど、マスコミの影響なのだろうか、あまりいい印象はない。

 だが、先日、NHKの番組で、<田中角栄>の軍隊時代のエピソードが流された。一兵卒で、要領が悪かったのか?気に障る奴だったのか?上官からしばしば暴行を受けていたのだという。本人は、生前、そのようなことは一切口にしなかったらしい。…<田中角栄>に対する偏見から、少し解放されたような気がした。殴る人間ではなく、殴られる人間の方が、まだましだと思った。

 だいぶ走って、関越トンネル手前のパーキングで、トイレ休憩した。広い駐車場に、車は二、三台しか止まっていなかった。何やら、建物の中に入って、トンネル工事の写真やパネルなどを見たと思うのだが、よく思い出せない。来るときは、いやになるほど長くて緊張した、元日本一長いトンネルも、帰るときは、難なくやり過ごした。そのあとの、湯沢あたりの牧歌的な風景にも、ほとんど目を向けなかった。

 ただひたすら運転していた。なにかを考えていたのだと思う。だがまったく思い出せない。トンネルを抜けて、一度だけトイレ休憩をしたような気もする。だが、それもよく思い出せない。藤岡を過ぎるあたりから、車が少し混んできた。花園の看板が見えた。連休などではいつも渋滞するところだ。地元の埼玉に戻ってきた。そのあとはあっという間だった。最寄りのインターでおりて、<十一時半帰宅>とメモにある。おおよそ、三時間の高速走行。さほど退屈することもなく、眠くもならなかったし、疲れてもいなかった。

 帰宅後、すぐに旅の片付け。車の中の荷物をアトリエなどへ移動。小一時間で終了。埼玉も信じられないような暑さ!汗だく。シャワー。冷たいノンアルビールを飲む。昼寝。六時過ぎに起きて、撮影画像の選択。今回は700枚ほど撮った。夜更かしはせず、夜の十時には寝ていたと思う。

 なお、その後、四、五日、何となく、調子がよくなかった。頭がぼうっとしていた。だるいし、眠い。軽い熱中症になっていて、その後遺症だろう。一週間くらい後になって気づいた。給水には、十分気をつけていたんだけどね。やはりジジイだ。あぶない、あぶない。

<新潟・鶴岡旅>2020-8-20(木)21(金)22(土)収支。

 宿泊費二泊 ¥6800(Goto割)

高速 ¥14500 

ガソリン 総距離860K÷19K=45L×¥130=¥5900

飲食等 ¥2700

合計 ¥30000

以上。

 

<灯台紀行・旅日誌>2020 三浦半島編

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灯台紀行・旅日誌2020 三浦半島編 #1~#14

 見出し

#1 プロローグ1 #2 プロローグ2  #3 往路
#4 安房灯台撮影

#5 城ケ島灯台撮影

#6 剱埼灯台撮影

#7 間口港灯台撮影

#8 ビジネスホテル宿泊  #9 観音崎へ向かう #10 観音崎公園

#11 観音埼灯台撮影

#12 戦争遺跡1  #13 戦争遺跡2

#14 復路~エピローグ

灯台紀行・旅日誌>2020#1 プロローグ1

 2020/07/29(水)小雨。降ったりやんだり。涼しい。先日の、犬吠埼灯台旅から、ほぼ二か月たった。その間、何をしていたのか、少し書き記しておく。

 …犬吠埼から帰ってきたのが、ちょうど六月の頭。まず、旅の後片付け。車から、持ち物や装備品をおろし、整理してアトリエに収納。そのあとは、ほぼ千枚撮った灯台写真の整理。これが、思いのほか大変だった。それから、第一回目の<旅日誌>を書いた。これも大変だった。調子に乗って、あることないこと、とにかく、書きまくった。気づくと、原稿用紙で100枚くらいになっていた。

 写真の補正に飽きると<旅日誌>を書き、書くことに飽きたら、また写真の補正。これの繰り返しで、あっという間に一か月過ぎてしまった。というか、とにかく、一か月で終わらせようとした。作業自体は楽しかった。だが、インターバル撮影したものを、ほぼすべて補正しなければならず、その膨大な量に、後半は、かなり疲れた。

一番参ったのは、犬吠埼灯台編でも書いたが、灯台の垂直と海の水平線が、なかなか出せずに、何回も作業を繰り返したことだ。しかも、いちおう、これでOKと思ったものが、見直してみると、ほとんどがダメ。最初からやり直し!とはいえ、これはさすがに無理で、妥協した。

 つまり、インターバル写真を使って動画を作るのは、今すぐというわけでもない。ならば、すべてを補正しなおすこともない。とりあえずは、ブログなどにアップする写真だけ、補正すればいい。午前午後が丸三日で、六セクション。ほかに、飯岡灯台とか銚子タワーとかで、三セクションほど。そこから、最良の写真を五枚ずつピックアップして、補正し直すことにした。

だが、また、灯台の垂直を出すのに苦労した。しまいには、垂直なのか、傾いているのか、自分の判断に自信が持てなくなった。というのも、これで良し、と思ったものが、翌日見ると傾いているのだ。自分の目と頭を疑った。

 たしかに、目はおかしいのだ。左目は全然ダメだが、右目は、今でも裸眼で0.8くらいはある。とはいえ、以前、もう17年以上診てもらっている先生に言われたことがある。右目にも後遺症があり、ちゃんと見えていない、らしいのだ。

 自分の感覚では、右目は正常に見えているから、先生の診断は聞き流していた。先生、ちゃんと見えていますよ、って。だが、やはり、ちゃんとは見えていないのかもしれない、と今回、自分の感覚を疑い始めた。そう、頭が、実際には傾いているものを、真っすぐに修正してしまうのではないか?いや、これなら、翌日見直したものも、真っすぐに見えるはずだ。

真っすぐに補正したもの、それも確信をもって、それが翌日になると傾いている!どうもよくわからない。10年使った画像編集ソフトを買え替えた。もう少し、精度の高い補正をする必要があると思ったのだ。新しいソフトは、確かに、こと、レンズ補正に関する限り、格段に、性能がアップしていた。コンマ0.1の間隔で、傾きが補正できる。これならと思ったが、やはり、翌日になると傾いている!

 お手上げだ。ついにはこう考えて、これ以上深く考えることをやめた。つまり、垂直、水平というのは、関係概念であり、補正する際、その写真内における水平を基準にして垂直を感覚しているのだから、水平の基準が変われば、例えば、PC画面の水平を基準にすれば、写真内水平を基準にした、垂直も傾くわけだ。

 要約すると、補正しているときは、写真内水平を基準にしているが、翌日は、画面内水平を基準にして見ているのだから、微妙に、垂直が、灯台が傾いてしまった、のではないか?そういうことにしておこう。ま、ついでに言うと、垂直も水平も、絶対概念ではないということだ。…この世に<絶対>などということは、ありえないのかもしれない。

 先に進もう。とにかく、犬吠埼灯台の写真補正と<旅日誌>を六月中に終わらせた。七月になった。だが、何となく疲れてしまい、即、次の旅に出る気にもなれなかった。おりしも、梅雨だ。

 それでも、十日間天気予報などを毎日チェックして、下田のビジネスホテルを予約した。爪木崎灯台へ行こうというわけだ。グーグルマップでの、現地シュミレーションも終わり、楽しみにしていた。が、五日くらい前になって、自分の旅期間に、雨マークがついてしまった。あとで知ったが、一週間以上先の天気予報は、確率が低いらしい。

 当然ながら、ホテルはキャンセル。ま、梅雨だからね、と思って、次の機会を狙った。だが、その後、ずうっと雨マーク、ないしは曇りマーク。しかも、夏休みが近いせいか、ホテルの値段が、日を追って上がっていく。

 それならば、ということで、今度は、新潟の角田岬灯台に照準を合わせて、旅の機会をうかがっていた。例年なら、七月二十日前後には梅雨が明けて、かっと暑くなる。だが、いつまでたっても、雨マークと曇りマーク。グルーグルのマップシュミレーションも終わり、予約するホテルも決まり、あとは、車に携帯品を積み込むだけというのに、予約を再三キャンセルして待ち続けている。

 だが、今日になって、ウソかホントか、八月の三日、四日に晴れマークがついている。早速ネットで予約した。このビジネスホテルは、二日前までなら、キャンセル料をとらない。ぎりぎり、あさっての金曜日まで様子を見て、晴れマークなら、ゴーだ!でも、なんか、いやな予感がするんだよね。

 灯台紀行・旅日誌>2020#2 プロローグ2

唐突だが、今は、2020/08/06だ。八月四日の火曜日に、二泊三日の、三浦半島灯台巡りの旅から戻ってきた。旅の後片付けをして、写真の選択、補正も終わり、これから<旅日誌>を書くつもりだ。

 …時間を戻そう。八月三日、四日に、新潟県の角田岬灯台へ行くつもりで、ホテルを予約した。キャンセル可能日、ぎりぎりまで待って、当日が晴れマークなら、ほぼ二か月ぶりの、第二回目の灯台旅に出るはずだった。

 ところが、それまでずっと晴れマークがついていた三日の日に、急に曇りマークがつき、24時間晴れマークだった四日の日にも、曇りマークがついた。270キロ走って、二泊して、晴れの時間帯が、四日の午後しかない。行ってもしょうがないだろう。角田岬灯台旅の延期を決断した。

 とはいえ、すでに二日前に、車への持ち物、装備の積み込みは終わっているわけで、気持ちが宙ぶらりん。急遽、リストアップしてあった、日立灯台、爪木埼灯台安房灯台の、宿と天気の情報を集めた。

 結果、八月二日、三日に晴れマークのついている、三浦半島安房灯台へ行くことにした。ホテルは、通常より少し高くなっていたが、と言っても¥7000前後だが、予約できた。それが、前日の八月一日の日だった。要するに、明日出発だ。一応、娘に、ホテルの住所と電話番号を伝えた。

三浦半島安房灯台までは、およそ160キロ。三時間もあれば着くだろう。自宅からもっとも近い灯台といってもいい。近くに、城ケ島灯台、諸磯埼灯台、剱埼灯台灯台、観音埼灯台などもある。だが、下調べした段階では、この四つの灯台の絵面は、あまりよくない。粘るなら、波打ち際の岩場に立つ、小ぶりだが、安房灯台だろう。…波しぶきを浴びている灯台の画像が、ネットにアップされている。あわよくば、自分も撮りたいものだ。

 現地の、グーグルマップシュミレーションは、ほぼ二か月前に終わっていて、完璧。ただ、道順だけを、もう一度、検索、確認した。圏央道から東名・町田、新保土ヶ谷バイパスから横横線に入って、衣笠で降りる。そのあと、三浦縦貫道で現地まで走る。要するに、ほぼ高速道路だけだ。圏央道、青梅付近からの、断続的に続く長いトンネルが、ちょっと嫌だと思った。が、これならナビがなくても行けるだろう。

 朝四時起きして、五時出発。現地に遅くとも九時までに入る。今回は、インターバル撮影はしない。というのも、前回の犬吠埼灯台の撮影でわかったことなのだが、五分間隔で撮った写真をスライドショーにすると、かなり飽きる。

 当初意図していた、雲の流れとか、陽の傾き加減とか、そうした、たゆたうとした時間などは、ほとんど感じられなかった。したがって、実験失敗というか、インターバル撮影をする意味がなくなった。それに、一枚一枚の写真が、すべて良いというわけでもなく、むしろ、写真としては、さほど良くないものもある。

それから、インターバル撮影は、肉体的にも精神的にも、思いのほか大変で、かなりきつい。そのことも、この計画から、あっさり撤退した理由の一つだ。思いついたことは、すぐにやってみないと気が済まない。が、うまくいかないと、すぐにあきらめてしまう、そういう性質なんだ。セキネという奴は!

 ま、いい、先に進もう。朝四時起きするには、前の日、夜の八時に寝ればいい。八時間、眠ることができる。などと、さしたる根拠もないことを考えていたからだろうか、ドジな話、夕方、サッシ窓の間に、左親指を挟んでしまった。かなり痛かった。

 ちょうど、爪の月の部分が<爪半月=そうはんげつ>というらしい、内出血したのだろう、青くなっている。押すとかなり痛い。耐えられないほどではないが、ジンジンしている。明日、四時起きして、二か月ぶりの旅に出るというその前の日に、なんということだ!

 幸い、旅の準備は、すべて完了していた。あとは夕食とその片付けだけだ。とはいえ、左親指をかばっているから、行動が何となくぎくしゃくしていて、普段と勝手が違う。嫌な予感がしたし、気分が少し重くなった。

 案の定、消燈したら、ジンジン痛んできた。耐えられないほどではない。だが、気になって眠れない。しかし、明日は、四時起きだ。何としても、眠らねば!こういう時には、奥の手を使う。<数息>だ。数を数えながら、息を吸ったり吐いたりする方法で<催眠法>ないしは<自律訓練法>の一種だ。若いころ書物を読んで習得した技術で、神経が高ぶって眠れないときや、痛みがあるときなどに、この<数息>を実践してきた。むろん、一定の効果があった。

 ちなみに、いまにして思えば狭心症の発作だったのだが、それも二回も!息ができなくなったとき、この<数息>を、一回目は八時間、二回目は五時間実践して、命拾いしたことがある。心臓の<ステント>手術の後に、担当医が、一度詰まったことがあるな、とふともらした。その一度詰まった冠状動脈を、八時間の<数息>で微かに流れるようにしたのだと思う。

 要するに、<数息>は自分にとっては、奥の手だ。おそらく、死ぬときにも実践するだろう。痛みを軽減するために。その<数息>を今回も実践した。おそらく20くらい数えたと思う。少し寝た。目が覚めたのは夜の十時半だった。

 目が覚めるのが早すぎる。とはいえ、何となく、頭がすっきりしてしまい、起き上がって、なかば無意識のうちに、お菓子を食らい、テレビをつけた。…ところで、親指の痛みは、というと、さほど気にならない。たぶん、テレビとか、そういったことで紛れているのだろう。

 ぼうっと、見たくもないテレビを見ていた。ふと時計を見ると、夜中の十二時を過ぎていた。親指を押してみた。やはり痛い。といっても、四時に起きなければならない。あと四時間しかない。寝よう。電気を消して、ベッドに横たわった。なんだか、さっきより、親指がジンジンしている。早速<数息>をやった。20数えても、全然眠くならない。むしろ、目が、というか頭がさえてしまった。

 そう、中途半端な時間、例えば、夕方の遅い時間に昼寝などをすると、夜中の十二時過ぎても眠くならないことがよくある。今回も、それだ。しかも、久しぶりの旅、早起きするという気持ちも合わさっている。ますます眠れない。…まるで遠足の前の晩みたいだ。

 頼みの<数息>も、なんだかうやむやになってしまい、とりとめのない考えやイメージが、眼前の暗がりの中に、あとからあとから湧いてくる。想念の中を漂っているわけだ。…しかとは思い出せないが、何か、気が重くなるような、暗くなるような、深刻なことを考えていたような気もする。

 ふと、目覚まし時計を見た。午前二時だった。どう考えても四時に起きることはできないだろう。目覚ましを五時半にセットしなおした。親指の痛みは、少し軽減したような気もする。とにかくあと三時間、寝よう。

 灯台紀行・旅日誌>2020#3 往路

一日目

八月二日の朝は、四時半に目が覚めた。いくらも寝てないのに、眠い感じではない。予定変更で、目覚ましを五時半にセットし直したのだから、もう一寝入りしようか、などとも考えた。が、完全に目覚めている。起きるしかないだろう。

 親指は、少し良くなったようにも感じた。とはいえ、旅が始まるのに、と自分のドジさ加減を悔いた。身支度をした。今回は、ホワイトジーンを穿いていくことにした。太めの黒のベルトも通した。上は濃いベージュのTシャツ。現地に着いたら、ロンTに着替えるつもりだ。何しろ、真夏の海岸縁へ行くのだ。白系統が一番涼しいのは<入間川歩行>で経験済みだった。

 そのあと、洗面して軽く食事。ベーコンと豆腐を入れた、お茶漬け。それに牛乳。むろん、食欲などない。ただ、何か腹に入れれば、便意を催すことがある。だが今回は、目論見が外れて、ほとんど出なかった。ま、それでも、ほんの少しは出たので、良しとした。

 枕と目覚まし時計、シェーバー、保冷剤入りのバックに500mmペットボトルの水二本、そのバックを二個、茶色のトートバックに詰めこんだ。玄関に向かった。ふと思って、行ってきます、とニャンコに呼びかけた。そう、ニャンコが死んで、ほぼ四か月たっていた。最近は、死ぬ前に苦しんだニャンコの姿を、思い出すことも少なくなった。罪の意識、自分を責める気持ちも、ぼんやりしてきて、以前ほど、辛い、悲しい気持ちになることもなくなった。

 車に乗った。城ケ島公園とナビに入力した。出てきた道順は、環八経由で第三京浜、横横線。つまり、距離は近いが、都内を縦断するコースだ。これはいただけない。若い頃に生活費を稼いだ、軽トラの運転手の経験からして、これは最悪のコースで、というか、あの当時は、横須賀方面へ行くには、これしかなかったが、とにかく、環八が混むんだ。このコースは、意地でも通らない。

 ナビが古いから、圏央道経由の道順は出てこない。いいさ、ナビなんかなくたって、高速だけなんだから、東名・海老名のパーキングまで行って、そこで<城ケ島公園>とナビに読み込ませよう。朝の五時四十分、最寄りのインターへ向けて出発した。

 日曜日の早朝だというのに、圏央道は、思いのほかにぎやかだった。ま、乗用車は、遊び車だろう。だが、大型トラックは予想外だった。日曜日だから、休みなのではないか?いや、曜日は関係ないのかもしれない、などと思っているうちに、狭山パーキングに入った。

 混んでいる、というほどでもない。車がそこそこ止まっている。ベージュの薄手のロンTに着替え、手の甲と指全体、あとは、念入りに、顔に日焼け止め塗った。日焼け止めは、なんか、べたべたする感じで好きではない。とはいえ、前回の旅の教訓だ。塗らないとまた、露出した部分が赤く焼けてしまう。しょうがないだろう。

 その後は、青梅辺りから、断続的に長いトンネル走行。これが、いやだった。というのも、2016年の御前崎灯台旅の際、かなり難儀したからだ。当時は、車を買え替えたばかりで<自動ライト点灯>という機能を知らず、トンネルのたびに、前照灯を点けたり切ったりしていた。しかも、その際、暗かったり眩しかったりで、サングラスを外したり掛けたりと、非常に疲れた。

 それでなくても、トンネル走行は気を使うのにと、あの時の経験が、少しトラウマになっていた。が、今回は、ライトの点滅は自動だし、サングラスは、その都度、ちょっと下げたり上げたりするだけで、用が足りた。難所と思っていた箇所を克服できたわけで、多少気が楽になった。

 とはいえ、やはり、トンネル走行は疲れる。幾つトンネルをくぐらねばならないのか、はじめは少し数えていた。そのうち、運転に集中してしまい、何本のトンネルを走り抜けたのか、よくわからない。青梅から八王子、さらに高尾山の看板を確かめながら、80キロ前後で、走行車線を慎重に走った。

 視界が開けたのは、相模原の看板が見えた頃からだった。左手に、文字通り真っ青な稲田が広がっていた。ほっとした。世界に出てきたことを実感した。じきに、厚木パーキングの看板がみえた。やり過ごして、分岐を左、東名上りに入った。

 すぐに、海老名のパーキング。給油のできるSAで、車がたくさん止まっていた。時間は、七時四十分、約二時間走ったわけだ。一息入れよう。トイレで用を足し、日陰へ行き、少し体を屈伸させた。自販機でカフェオレの小ボトルを買って飲んだ。まだ、全然疲れていない。見回すと、ほとんどの人間がマスクを着けていた。

走り出すと、すぐに町田インター。東名を降りて、新保土ヶ谷バイパスに入る。そのまま、ずうっと、ほぼ道なりで、横横線に入る。道幅も広いし、大型車がほとんどいないせいか、走りやすい。あっという間に、衣笠インター。横横線を降りて、三浦縦貫道に乗る。と、料金所。¥310取られた。すぐに一般道に突きあたったので、ちょっと高いなと思った。ま、家を出てからここまで、ほとんど渋滞なし、気分は良かった。

 一般道に入り、城ケ島方面へ向かう。車は走っているものの、渋滞はしていない。比較的すいすいと進み、見たことのある光景が目の前に広がってきた。城ケ島へ渡る橋の付近だ。このあたりからは、マップシュミレーションしている。

 橋を渡りながら、左右の海辺の景色をちらちら眺めた。ナビに従ってそのまま直進した。が、どうも行き過ぎたようだ。Uターンして、橋のたもとを左折、城ケ島公園に到着した。たしか九時前だった。約三時間かかったわけだ。

 駐車場に入る前に¥450、係のおじさんに取られた。とはいえ、黄色の駐車券は、ほかの駐車場にも使えるとのこと。ちょっとピンとこなかったが、すぐに、近くの城ケ島灯台に行くときに役立つかもしれないと思った。灯台付近に駐車場がいくつもあったのを思い出したのだ。

 駐車場は、さして広くはない。時間がまだ早いせいか車は少ない。外に出た。暑い!梅雨明け十日、という言葉があるようだ。まさにそれだ。車のリアドアを開けて、装備を確かめ、カメラバックを背負った。大げさでなく、これだけで汗だく!トイレに入り、案内板を眺めて、灯台の方へ向かった。

 灯台紀行・旅日誌>2020#4 安房灯台撮影

 城ケ島公園、よく手入れされた気持ちのいい場所だ。遊歩道の両側にはアジサイ花壇があり、むろんアジサイは時季外れで枯れているが、松だったかな?木立もあり、そこそこ日陰になっている。といっても、暑い!

 すぐに視界が開ける。正面は芝生の広場。右手に、コンクリの四角い展望台。迷わず、階段を登ると、一階なのだろうか?日陰になっている。ひんやり涼しい。さらに上がると二階だろうな、海風が吹き抜けていく。気持ちがいい。四辺に木のベンチが置いてあり、360度の景観。

 南側が海、ま、太平洋だな。沖合に、船やヨットが点在している。空も海も真っ青。いいね!東側は、ほぼ逆光でよく見えない。西側は、城ケ島灯台方面で、風景的にはイマイチ。北側は三崎港。渡ってきた城ケ島大橋が左隅、中央には、防波堤灯台が見える。撮るには望遠が必要。帰りに撮ろう。展望台をぐるりと一周して、また海側に戻り、ゆっくり写真を撮った。

 展望台をおりた。芝生広場を突っ切ると、遊歩道は二股に分かれる。両側にアジサイ花壇、さっきと違い、木立がまばらなのか、日ざしがきつい。右側の道を行く。と、正面に、とんがりのデザイン灯台。はは~ん、これが新しい灯台なのか。ちなみに、この時点では、波際の安房灯台がまだ健在だと思っていた。

 とんがり灯台に近づきながら、カメラを構えた。が、どうもよろしくない。逆光、しかも、両脇がスカスカだ。灯台手前の、さっきより、ひとまわり小ぶりな展望台に登った。とんがり灯台はすぐ目の前、全景は撮れない。が、北東側に回り、海を背景にして、真ん中辺から、逆光の中、なんとか撮った。…灯台写真には、どうしても海が必要なのだ。ま、個人的な思い込みにすぎないが。

 展望台を下りて、いやその前に南側の海を気分良く撮ったとおもう。ともかく、とんがり君の周りを360度ぐるっと回って、絵になりそうなポジションを選んだ。それは、お決まりではあるけれども、灯台の正面だった。したがって、自分は海を背にしている。背景に海は入らない。だが、空は真っ青だ。

 ところで、このあたりから、いやな予感がしてきた。とんがり君の広場からは、安房灯台が立っている岩場が、遠目に見える。だが、そこに、あの白い特徴的な形の、小ぶりな灯台が見えないのだ。しかも、グーグルマップには<旧安房灯台跡>と記されていたような気もする。

 とはいえ、ここまで来た以上、前に進むしかない。広場先端の、浜へ下りる階段を下った。階段自体は、幅も広く、しっかりしている。だが、周りは鬱蒼としていて、しかも、ひどく暑い!…ここに着いた時から、暑い暑いの連発だが、本当に暑かったのだ!

 視界が開けた。そこは、歩きづらい、ごつごつした岩場で、三々五々、浜遊びの家族連れなどでにぎわっていた。正面を見た。灯台らしきものはない。あれ、岩場の下にあるのかな?とまだ、安房灯台が健在なものと思い込んでいる。転んだり、滑ったりしないように岩場を渡り、先端に近づいた。

 何やら、立ち入り禁止のロープが張ってある。その向こうに、肌色の土嚢袋が山と積まれている。ここで初めて、事の次第を了解した。わかるのが遅すぎるだろう。安房灯台は解体されてしまった!その破片が袋に入れられ、撤去されずに残っている、というわけだ。

…今、ネットで<安房灯台 解体 理由>を検索。要するに老朽化だって!とはいえ、何で、このコロナの時期に解体作業をしたのか、いや、半世紀もたつ、特徴的なフォルムの、美しい灯台と美しい景観と美しい思い出を<老朽化>という理由で解体してしまうとは、なんとまあ~愚かなことを!

 公募された二代目の安房灯台、とんがり君にケチをつけるつもりは毛頭ないけれども、やはりね~、初代の安房灯台の方が、クールでしょ!古いものが好きなのは、おじさんの習性だ。

 未練がましく、立禁ロープの直前まで行って、岩場の先端に山と積まれた肌色の袋を、海と空を背景にして、しつこく撮った。どうみたって、写真としてアップできるような代物ではない。が、なんだか、撮らずにはいられないような気がした。

 撮り終わって、ひと息入れた。暑い!カメラバックをおろした。ロンTの背中が汗びっしょり。その場で脱いで、予備のものに着替えた。岩場に座りこみ、海を眺めた。たしかに、左の方に陸地が見える。房総半島だろう。三浦半島の先端にあるのに<安房灯台>というのは、彼方に、房総半島=安房国が臨めるからだそうだ。目を細めて、その陸地の先端を見た。あそこが、犬吠埼だろう。二か月前に、行ったところだ。

注釈(<犬吠埼>は、完全なる勘違い。実際は館山あたりだろう。2020-10-27 記)

 さ、引き上げだ。岩場の先端から、幅三十センチほどのコンクリの小道が、岬のてっぺんまで、そう、とんがり君をめがけて、うねうねと岩場を這っている。解体工事用に造った道なのか、それとも、観光客用の道だったのか、よくわからない。ただ、自然の岩場に引かれた、灰色のくねくねした小道に、違和感を覚えた。ぼんやりと、あの上を、肌色の袋たちが、台車に載せられ運ばれていくのか、と思ったような気もする。

 そのコンクリの小道をたどりながら、岬に戻ろうとした。が、途中で、巨大な岩を、垂直に登らざるを得なかった。小道が、そうなっているのだ。手を突きながら、危なっかしい足取りで、なんとか登りあがった。少し高くなったところで、岩場全体が見下ろせた。息が切れた。立ち止まり、解体されてしまった、灯台の方を眺めた。なんということもない光景だ。だが、少し名残惜しいような気もした。

 巨大な岩から、これまた、危なっかしい足取りでおりた。振り向くと、解体現場は死角になり、もう見えなかった。向き直ると、前の方に、岬に登る階段が見えた。あ~なるほど、さっきの展望台の横にあった階段だな。そう思いながら、岩場をそろりそろり歩いて近づいた。岬のてっぺんを見上げて、大した距離でもないと思った。だが、その階段が急で、しかもけっこう長い。息切れがした。いや、疲れていたのだろう。とにかく、登りきったところで、立ち止まり、一休みした。

 暑い!信じられないほど暑い!とはいえ、今一度、とんがり君をベストポジションの正面から何枚か撮った。先ほどとは、明かりの具合が変わっている。念のためだ。これで一応、撮影は終わり。あっさりしたもんだ。展望台で一息入れよう。

 展望台の階段を登ると、すぐに木のベンチが目に入った。四角形の建物だから、東西南北、それぞれ一辺ずつに同じベンチが一つ置いてある。階段口は東側、できれば海側の南側の方がいい。何しろ、涼しい海風が来るからね。と思って、首を伸ばして見てみると、オヤジが座っている。それも、ちょっと休憩というよりは、じっくり腰を据えてスマホをいじっている。こりゃだめだな。

 階段口のベンチに腰掛け、着替え、給水、靴下も脱いだ。ま、ここも日陰で、涼しい風が来る。と、なんだか、急に疲れた。眠くなってきた。かまわず、木のベンチにあおむけに寝転がった。少し眠ろうか。ところが、背中が痛い。今度は横向きになり、肘を枕にして、目をつぶった。

灯台紀行・旅日誌>2020#5 城ケ島灯台撮影

 観光客が何組か、階段を登ってきた。話し声がうるさい、と思いながらも目をつぶっていた。そのうち、一瞬、静寂。体の緊張が解けて、うとうとしたのかもしれない。腕時計を見ると、十一時を過ぎていた。三十分ほどたったようだ。あと三十分寝ていようかな、だが、頭がはっきりしてきた。もう寝ていられない。

 身支度をして、展望台を下りた。目の前のトイレに入り、自販機でスポーツ飲料を買って飲んだ。とんがり君のそばに寄り、案内板を見た。なるほど、<三浦大根>をイメージした、デザインだったんだ。下部の緑色のハチマキは、そういう意味だったのね。

 駐車場の方へ戻りながら、ふり返って、とんがり君を、二、三枚撮った。ま、これはこれで、かわいい。あとは、北側の柵沿いを歩いた。三崎港にある防波堤灯台を狙ったが、遠目過ぎる。それに手前の枯れ木が邪魔で、写真にならない。ついでだ、大きい方の展望台に再度登って、望遠で狙ってみた。なんだか、あまりぱっとしない。散文的な港の風景だ。どうということもない。ほとんど粘りもせず、望遠をカメラバックにもどした。

 炎天下の、危険な暑さの中、駐車場に戻ってきた。車が満杯だ。だろうな、いい天気だ。それにしても、コロナ問題はどうなんだ。ほとんどの人間が、一応マスクはしているが、関係ないような感じだ。もっとも、自分も、コロナのことなど、ほとんど考慮していない。人と接触しないし、移動はすべて車。大丈夫だろうと思っている。楽観しすぎかもしれないな。

 蒸し風呂、いや、焼けるような車内に入った。すぐにエアコン全開。ナビを、城ケ島灯台付近のパーキングにセットした。見ると、鉄パイプのやぐらの上に、係のおじさんが立っている。車の出入りとか、誘導をしているのだろう。たいして広くもない駐車場なのに、大仰な感じがしないでもない。だが、ある意味、ちゃんと考えて管理運営しているわけだ。

おじさんに、せかされているような気がして、むろん、そんなことはないのだが、すぐに車を出した。驚いたことに、出入り口には、駐車待ちの車が何台か並んでいた。それを横目で見ながら、坂を下って、一般道に突き当たる。右折して、ぐるっと回りこむような形で三崎港に下りる。とすぐに、道沿い右側にパーキング。例の<ワンデーパス>駐車券を機械に飲ませ、駐車。灯台に一番遠い駐車場だから、空いているのだろう。

 真夏の十二時頃だったのだろうか、車外に出ると、いやはや、暑いのなんのって、話にならん!重いカメラバックを背負うのが億劫。せめて、望遠カメラだけでも、車内に置いていくわけにはいかないのか。無理だな。炎天下の車内に、精密機械を置き去りにはできないし、盗難も気になる。何しろ小心なのだ。

 土産物屋が左右に並ぶ、少し広い道を歩いて、灯台へ向かった。途中、何か飲食店の前で、行列している。ほとんどが若い人たちだ。この暑さの中、並んでまで食べる価値のある店なのだろうか?ま、余計なお世話だな。

 灯台への入り口は、この辺もマップシュミレーションしているので初めて見る光景ではないが、急に道幅が狭くなる。ちょうど、人がすれちがえる程度。そして、両側には土産物屋が並んでいる。どこかで見た感じ。いわゆる、昭和の観光地にありがちな設定だ。ま、たしかに、城ケ島、と言えば、昭和の夏場の観光地だ。東京に住んでいる人間なら、行ったことはなくても、知らない人はいない。もっとも、自分が子供の頃には、そこに、灯台があったとは記憶していない。ガキの頃から、灯台なんかに興味があったら、逆に変でしょう。

 ちなみに、時代が二つ変わっているにもかかわらず、夏場の城ケ島に遊びに来る若者たちは、<昭和>そのものだった。いわゆる、遊び人風で、赤黒く日焼けして、男も女も派手なアロハ、短パンにサンダル。そこかしこにたむろしている。<昭和>に乗りそこね、<昭和>をやり過ごしたおじさんとしては、なんとも複雑な気分だった。

 灯台へ登る階段は、その、軒を連ねた土産物店が切れたところにあった。注意していないと、見落としてしまう。なんとまあ、あからさまな商魂なのだろう。とはいえ、階段は、補修してあり、少し広めで、急なものの歩きづらくはなかった。すぐに、灯台下の公園に着いた。

 三浦半島の先端部には、城ケ島灯台安房灯台、諸磯埼灯台、剱埼灯台と、至近距離に四つの灯台がある。片道160キロくらいなので、自宅から最も近い灯台たちである。はじめは、城ケ島のホテルに三泊して、これらの灯台を撮ろうと思った。だが、そのうち考えが変わった。

 というのも、ネットの掲載写真を見る限り、安房灯台以外は、さしたる景観が期待できない。要するに、たんなる観光記念写真になってしまう可能性が大である。写真としてモノにはなるまい、と思ったのだ。したがって、安房灯台以外は、時間があったら撮りに行こうかな、という考えに落ち着いた。

 ところがだ、粘って、いい写真を撮ろうと思った、その安房灯台は、跡形もなく解体されていた。しかも、二代目のとんがり君は、ロケーションにしても、フォルムにしても、粘って撮ろうという気にはなれなかった。要するに、今回の撮影旅の主題が霧散してしまい、気分的に宙ぶらりんな感じになってしまった。

 ま、幸いなことに、付近にはいくつも灯台がある。気分を変えて、観光気分で灯台をめぐってみるのも一興だ。とまあ、節操もなく、自分に都合よく考えて、城ケ島灯台、剱埼灯台を巡ることにした。その城ケ島灯台だが、マップシュミレーションした限り、撮影ポイントは三つしかない。しかも、残念なことに、三つとも、大したことない。

 その一つ目が、灯台下の公園からのショットだ。左右に動いたり、近寄ったり引いたり、何枚も撮った。とはいえ、何しろ、灯台の形ははっきり見えないし、手前は階段、両脇には植木、背景は空だけ。ま、勝負にならならなかった。

 階段を登って、灯台のすぐ下へ行った。むろん、写真などは撮れない。近すぎる!灯台に沿って歩くと、何か落書きのようなものが。いや違った、よく見ると、ハート形をあしらった<ラッピング>らしい。…今、ネットで調べた。なるほど、灯台本体にも、海の向こうに富士山が見える落書き、いや違った<ラッピング>があった。これらは、<インスタ映え>するようにと、観光協会が企画、制作したものらしい。

 あの時は、てっきり、趣味の悪いいたずらだと思って、よく見なかった。が、最初のハートマーク二つは、ペア灯台の、安房灯台と城ケ島灯台の所在地らしい。富士山の方は、よく見ると、灯台のドアを開けると、海が見えるという趣向になっている。そばに、大きなマグロをくわえた黒猫もいる。まったく気づかなかった。

 二つ目のポイントは、灯台の敷地から、回転柵のようなものを通り抜け、少し海側へ行く。振り返ると、灯台のほぼ全景が見える。右側には木製の遊歩道があり、やや距離感が出せる。ただし、背景は空のみ。海は画面におさまらない。しかも、時期が時期だけに、観光客がひっきりなし。人影が消えるのを待って、何枚か撮った。

 もっとも、遊歩道はすぐに行き止まりで、観光客は、すぐに帰ってしまう。中には、灯台の写真を撮りに来た人たちもいるので、そういう方たちは、かなりの時間滞在する。その間、海の方を見て、やり過ごす。あるいは、暇つぶしに、何度か行き止まりの柵まで行って、下を見下ろした。閉館したホテルと駐車場が見える。つまり、ホテルの敷地から、灯台に上がる階段があり、本来ならば、この立禁の柵がなければ、下に下りられるわけだ。ホテルの閉館は、コロナの影響なのだろうか、などと思った。

 三つ目のポイント。このアングルはほとんどネットに上げられていないが、木製デッキの遊歩道を、来た方向へ戻り、左手の灯台をやり過ごして、さらに少し行ってふり返り、遊歩道上から灯台を撮る位置取りだ。ただし今回は、遊歩道がすれ違い出来ないので、その場で粘ることはできず、振り返りながら撮るという感じになった。ま、スナップショットだな。モノになるかならないか、帰ってからのお楽しみ。

 帰り際、今一度公園に戻り、灯台にカメラを向けた。やはりだめだ。ふっと我に返って、辺りを見回すと、炎天に焼かれているベンチがいくつかある。少し腰かけたのだろうか?どことなく荒れている、その猫の額ほどの公園には、ほかにも、モニュメントのようなものもあった。そばまで行ったはずだが、ろくに目もくれず、港の方を見た。反射的にカメラを向けたものの、全然絵にならない。シャッターすら切らなかった。

 階段を下りた。土産物店の水玉の浮き輪が目に入った。誰も入っていない食堂の前では、イカが焼かれている。雑駁な光景だ。でも、いやではなかった。<昭和の時代>を少し楽しんだ。

灯台紀行・旅日誌>2020#6 剱埼灯台撮影

 駐車場に戻った。車のリアドアを開けて、重いカメラバックをおろし、着替えをした。要するに、バックと背中の間が蒸れて暑いのだろう。そこだけが、汗びっしょりなのだ。濡れたロンTをダッシュボードに広げ、むろん乾かすためだが、一応車にキーをかけて、すぐそばのトイレに寄った。ついでに自販機で、スポーツ飲料を買って飲んだ。ナビを、今度は、剱埼灯台近くの駐車場にセットした。城ケ島か、どことなく昭和の響きだ。暑かったが、まだ全然疲れていなかった。

 ナビに従って、うねうねと、二十分ほど走ったのだろうか。一般道から右折させられ、畑の中の狭い道に入った。どう考えても、すれ違い出来ない。待機する場所すらない。向こうから車が来たら、どうするんだ。ひやひやしながら、ゆっくり走っていくと、あ~、見えました。私設の駐車場だ。

 マップシュミレーションで、下調べはできている。さほど驚きもしなかった。とはいえ、現場はもっと、面白かった!まずもって、入口の家が、崩れかかっている。青いビニールシートもボロボロ。解体?が進んでいる。しかも、道の両側にびっしりと大きめのペットボトルが並んでいる。焼酎のでかいボトルもある。

注釈(家が崩れかかっているのと、ブルーシートは、2019年の台風による被害だったようだ。うかつにも、その時は全く気付かなかった。2020-10-27 記)

 入口で出迎えてくれたのは?白髪まじりひげ面、少しエラの張った、日焼けした、というか、酒焼けかな?茶色い爺だった。窓を開けて、こんちわ、と言うと、いきなり、何時ころまでいるんだ、とじろじろ見ている。灯台を撮りに来たんで、一時間くらいかな、と答えると、それなら¥500でいいや、ぶっきらぼうに呟いている。五百円玉を渡すと、どこから取り出したのか?小さな黒っぽいきんちゃく袋の中に、無造作に放り込んだ。風体は、ま、完全にホームレス仕様だ。

 駐車場は意外に広かった。むろん下は舗装されていないが、仕切り線などもちゃんとしている。もっとも、周辺には廃車もあり、中にごみ袋などがぎっしり詰まっている。ほかにも、ガラクタが、そこここにうず高く積まれている。それにしても、縁にペットボトルがきれいに並べられている。自分にとっては、入間川で見慣れた光景なので、気持ちはほとんど動かない。だが、初見の人は、多少動揺するかもしれない。病んだ野良猫などもいた。

 車から降りて、出かける用意をしていると、何かメモしながら、爺が近寄ってきた。車のナンバーひかえている。ちゃんとカネを払ったかどうか記録している。ところが、それで終わらない。立ち去らず、一方的に、脈絡のないことを話しかけてくる。答えを期待している様子はない。ま、それでも一応、灯台に話題を持っていくと、この前の台風でレンズが壊れたとか、今は暗くなると自然に灯るが、時々故障して点かないときもある。などと、脈絡がない。

 これ以上相手をしていても、ラチがあかない。バックを背負い、車にキーをかけ、出かけるそぶりを見せる。だが、そんなことには頓着せずに、話しかけてくる。何しろ会話にならないんだから、ふんふんと相槌を打って、逃げ出すチャンスをうかがっていた。と、入口に車が来た。爺は、料金徴収のため、そっちへ行く。自分も一緒に歩いていき、やっと解放された。

 剱埼灯台へ向かう、細い畑道の突き当りに、私設駐車場があるのかと思っていた。だが、歩き出して気づいた。道はまだ続いていて、坂になっていた。右手に灯台の登り口があった。ここは柵止めされていて、車は通れない。だが道は、さらに急な下り坂になり、続いている。はは~ん、浜に出られるんだ。その浜にも灯台がある。間口港灯台といって、小ぶりながら、ロケーションはいい。あとで寄ってみよう。そんなことを考えながら、右に曲がり、灯台へと向かう、日陰の、かなり急な、蒸し暑い坂道を登った。少し息が切れた。

 登りきったところに、案内板があり、白い塀に囲まれた剱埼灯台が見えた。左、手前に、灯台より大きなレーダー塔がある。銀色の円盤が回っている。う~ん、正面から撮るには、このレーダー塔と網フェンスが邪魔だ。灯台そのものは、思いのほかレトロな感じで、存在感がある。一目で気に入った。

 こうなると、なんとしても、モノにしたい!暑い中、灯台の敷地を隅から隅まで歩いて、時には塀の外の草むらにまで出て、写真撮影を楽しんだ。幸いなことに、観光客は来なかった。ここは観光灯台ではないし、観光地でもない。どことなく荒れ果て、見捨てられた、真っ白な灯台。それに、真っ青な空、静寂、突き刺さる日射。最高の時間だった。

 ところがだ、やはり、ここにも観光客が来た。もっとも一組だけだったが。老年?のカップルで、女性の方はオレンジ色の派手なワンピースに、青っぽい日傘をさしていた。夫婦かなとも思った。だが、その寄り添う雰囲気が、どうも何か、訳ありだ。灯台の裏に入って、つまり、自分からは見えない場所、この敷地の中の唯一の日陰から、なかなか出てこない。ま、その間は、写真撮影に専念できた。

 たが、やっと出てきたと思ったら、灯台左横の仕切り塀に沿った所で立ち止まり、こちらに背を向け、海を見ている。日傘の相合傘、しかも、かなり長い時間。二人の世界だな!これには参った。灯台の写真を撮っているのだから、どうしても、老年カップが画面に入ってしまう。ま、あとで、修正することもできる。とはいえ、できればいない方がいい。レーダー塔を囲っている網フェンスの、スカスカな日陰にしゃがみこみ、様子をうかがっていた。何としても、粘って、いい写真を撮るつもりだった。

 撮った写真のモニターをしたり、給水したり、少し時間をやり過ごして、また撮りだした。位置取りを、正面から少しずらしたので、カップルの姿は、さほど気にならなくなった。ほどなくして、相合傘の二人は姿を消し、真昼の静寂が戻ってきた。とはいえ、ベストポジションに確信が持てず、今一度、灯台の周りをまわりながら、撮った。暑くて、もう限界だった。引き上げ際、灯台に向き直り、心の中で、また撮りに来よう、と思った。真っ白な灯台が、名残惜しかった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#7 間口港灯台撮影

急な坂を下った。突き当りを右に曲がった。片側は木々が生い茂り、反対側は、ちょっと開けた畑だったような気がする。その日陰の細い坂道を下った。すぐに、浜が見てきた。手前には民家、道を挟んで、仮設の駐車場。砂地の中に二、三台、車が止まっている。出入り口の木々の枝に、デイキャンプと書かれた大きめなカードがぶら下がっていた。なるほど、それ用の駐車スペースというわけか。

 浜には、三々五々、テントがあり、家族が海に入って遊んでいる。岩場の多い浜で、背後には木々があり、少し日陰がある。視界の左方向、波打ち際の岩場に、間口港灯台が見える。ところで、この灯台は、防波堤灯台によく見られる形をしている。この特徴的な形を、なんと形容するべきだろう。比較的小ぶりな、白いタイル張りの灯台なのだ。

 ちなみに、いまネットで調べた。<標準型防波堤灯台>という範疇で、その大きさによって、何種類かある。大雑把に記述してみよう。直方体を縦にして、その上に細長い円筒形がくっついている。そのてっぺんには、円筒形の直径よりやや大きい、平べったい円柱がのっている。つまりそれは台座で、その上に光を出す機械が鎮座しているのだ。

 そして、縦・直方体の一辺には扉があり、細・円筒形には金属の梯子が掛けられている。しかも、すべて五センチ四方くらいの白いタイル張り。納得できる記述ではないが、とにかく、この特徴的な形は、おそらく、誰もが目にしたことがあり、見れば、あ~と納得していただけるだろう。だが、誰もが見知っているこの灯台が、どこの誰によって設計されたかは、今回、ネット検索してもわからなかった。

 ま、機能的ではある。が、すくっと立っているわけでもない。真っ白というわけでもない。多種多型で美しい、大きな沿岸灯台に比べて、やや見劣りする。それに、似たようなものがたくさんあるので、見飽きている。だが、夜の海に光を投げかけて、船舶の安全な航行に寄与している。…今ふと思った。日本全国津々浦々、幾百幾千の防波堤灯台クンたちに、昭和の匂いを感じるのは自分だけだろうか、と。

 この岩場に立つ<標準型防波堤灯台>に、RLE型かな?写真を撮りながら近づいて行った。下は、岩場と砂地で歩きづらい。海水浴客の間を通り抜ける際には、いかにも自分は灯台を撮ってます、といった雰囲気を出したつもりである。というのも、目に眩しい水着姿の女性たちもいるので、盗撮でもしてるんじゃないか、と疑われそうな気がしないでもなかったからだ。だから、ことさら、灯台クンにのみ、カメラを向け続け、周りを見回すようなことはしなかった。小心者なのだ!

 灯台クンに近づくにつれ、その根元付近で釣りをしている若い男の存在が気になってきた。どうしても画面に入ってしまう。どかないかな、と思ったが、なかなか立ち去らない。ま、これは致し方ない。さらに、写真を撮りながら、歩を進めて、灯台クンの正面、さらには、岩場の行き止まりまで行った。

そこは、背後の木々により日陰になっていた。一休みしよう。お決まりのように、ロンTの着替え、給水、靴下も脱いだ。ふと思って、上半身裸のまま、汗ぐっしょりのロンTを目の前の日の当たっている岩場に、かぶせるような感じで広げた。腹の贅肉が気になったが、ここは海だ。

 ところで、旅の前日に痛めた親指のことだ。今朝になっても、さほどの不都合は感じない。爪半月が真っ青に変色しているものの、押しても痛くない。撮影旅でアドレナリンが出ているんだろう。今日の就寝後が少し気になった。それよりも、足の甲だ。両方とも、かゆい!それも、前回の旅で感じたような痒さ、しかも同じ場所。また、日焼けによる湿疹かな。とはいえ、薄手の靴下をはいているのだし、さほど日射を受けた覚えもない。やっぱ、靴が悪いのかな~?ミズノのウォーキングシューズ、本革仕様。革がいけないのだろうか?対処の仕方がわからない。

 と、目の前を、黒っぽいオヤジが通り過ぎていく。手にはカメラを持っていたような気もする。目で追っていくと、岩場の奥にあった階段を登って、漁港の方へ消えた。この灯台クンは、剱埼灯台の向かい側の漁港に車を止めて、近づくものだと思っていた。剱埼灯台からのルートなど、頭になかった。ま、そういった意味では、この酷暑の中、手間が省けたわけで、ラッキーだった。

 さ、引き上げだ。身支度をした。辺りがやや赤みがかっている。時計を見ると、三時過ぎていた。今一度、灯台クンに近づき、そして遠ざかりながら、写真を撮った。幸運なことに、一瞬、若い釣り男の姿が消えた。真っ青な空と海、岩場に灯台クンだけの写真が、何枚か撮れた。

 浜からの細い急な坂道を上った。途中、立木の葉を指さしながら、何か話している中年の男女が目に入った。二人とも黒っぽい服装。女性の方は大柄で、目鼻立ちがはっきりしていたような気もする。そばに、緑色の大きなバイクがあった。ちらっと見ながら、さらに、駐車場へと向かう坂を上った。と、後ろから、二人乗りのバイクが追い越していった。黒光りするフルフェイスのメットをかぶった女性が、後ろから男にしがみついている。少し気持ちが動いた。羨ましい、と思ったのかもしれない。

 ごたごたした、それでなくても暑苦しい、私設駐車場に着いた。茶色い爺が入り口で待ち構えていて、早速何か話しかけてきた。ふんふんと聞き流しながら、自分の車のところへ行った。爺もついてくる。とはいえ、今回は、隣に黒いワゴン車が止まっていて、運転手が外にいる。さっそく爺はそっちと話し始める。ま、要するに、誰でもいいわけだ。

 着替えをして、出ようとした。出入り口には、爺のほかに、二人ほど老人がいる。一人は爺と同じような、ホームレス仕様。友達なのかもしれない。もう一人は、痩せた、ワイシャツ姿の控えめな男。いつもうつむいていて、人と目を合わせないタイプだ。そういえば、さっき、下のデイキャンプ用の駐車場で、この老人が何かメモしていた。なるほど、あそこも、爺の稼ぎ場所だったか、と合点した。控えめ老人は、おそらく、この夏の時期だけ、爺にやとわれた、バイトだな。

 窓を開けて、冷やかし半分、爺にたずねた。朝何時からあけているんですか?というのも、この剱埼灯台には、また来たいと思ったからだが、爺は、夜明けから開いている、としごく当たり前のように呟いた。続けて、またしても脈絡なく、台風が近づいている、と何か得意げに言っている。ふんふんと頷いて、窓を閉めた。出口で大きく左折する際、また、崩れかけた家と、ぼろぼろのブルーシートが目に入った。その前に赤い自販機があった。甘いものが飲みたいような気もしたが、買う気にはなれなかった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編 2020#8 ビジネスホテル宿泊

 四時過ぎていた。大げさに言えば、三浦半島の右岸側?を北上している。宿は、京急線の<YRP野比駅>近くのビジネスホテルだ。ここから、およそ15キロ、三十分くらいで着くだろう。時間的には、ちょうどいい。

 ところで、ビジネスホテル、というのは、だいたいは大きな駅の周辺にあるものだ。あるいは観光地だな。ひるがえって、辺鄙な灯台の付近には、民宿とかペンションなどはあるが、あるいは旅館などはあるが、ビジネスホテルはお呼びじゃない。とはいえ、一人旅には、このビジネスホテルが、一番気楽でいい。それに、民宿・ペンションなどより、予約も取りやすい。

 今回の灯台旅で、ビジネスホテルがあるのは、横須賀だ。ただ、撮影地から、あまりに遠すぎる。というので、最初候補にしていたのは、城ケ島のリゾートホテルだった。ここは、地の利がある分、やや高め、しかも、予約が取れなかった。ということで、見っけたのが京急YRP野比駅近くにあるビジネスだった。ちょうど、横須賀と城ケ島の中間あたりだ。

 はじめ、なんでこんなところにビジネスホテルがあるのかと思った。しかも<YRP野比駅>って、なに?駅の名前に、アルファベットが付くって、あまりないでしょ。検索すると、<YRP>とは、横須賀リサーチパークの略。電波・情報通信などの研究開発拠点らしい。なるほど、仕事がらみでビジネスホテルを利用する人がいるわけだ。ところが、マップシュミレーションすると、丘の上には、かなり大きなガラス張りのビルが何棟か建っているものの、まだスカスカな状態。開発途上、というよりは、誘致失敗、途中で見捨てられた感じだ。

 ま、いい。話を戻そう。ナビに従って走っていくと。海岸沿いのにぎやかな道に出た。渋滞している。八月の日曜日だからな、とのんびり構えた。たらたら走っていると、そのうち、弓なりの浜辺が見えた。けっこう人が出ている。はは~ん、これが三浦海岸か。道路左側は、びっしり民宿や旅館、食堂やサーフショップなど、かなりの盛況。右側は、護岸沿いにずうっと駐車場。昔からの、夏の観光地だ。整備されているし、どことなくあか抜けている。

 …湘南、三浦は、東京とはいえ、場末の板橋あたりの中学生が行くところではなかった。その後も、なぜか、敷居が高くて、今に至るまで、行ったことはない。もっとも、泳ぎが苦手ということもあり、海はあまり好きではない。それに、女性の姿態が眩しい海辺の誘惑を、意識的に拒否していた。海へ行くよりは山。禁欲的な山登りの方が好きだった。

 夏、浜辺、女性の水着姿、これらは、十代の記憶、いまだ何者でもなかった頃の記憶を喚起する。なんとなく、甘酸っぱい気分になり、海辺の渋滞を楽しんでいた。が、もう小一時間たっている。そろそろ飽きてきた。と、車が動き出した。渋滞を抜けたようだ。

 宿に着く前に、付近のコンビニで夕食を調達しなければならない。下調べしたコンビニが、思いのほかわかりづらくて、通り過ぎてしまった。さらにもう一軒の方は潰れていた。うかうかと、大きな道から左折してしまい、トンネルをくぐった。ホテルはもう目の前だ。そうだ、一応ホテルの場所を確かめてから、さっき見えた道路沿いの<すき家>で飯を食おう。

 ホテルの前を通り、Uターンして、今来た道を戻った。コロナ禍以前は、吉野家で牛丼などをよく食べていた。<すき家>にも時々は行った。ともかく、久しぶりの外食だ。カウンター越しに、元気のいい中学生のような感じの男の子に、お持ち帰りですか、と聞かれた。いや店内で、と何も考えずに答えた。これが久しぶりの外食での、一つ目の失敗だった。

 席に着いた。カウンターには、左右にアクリル板の仕切りがあり、なんだかせまっ苦しい。中年のおばさんのような、おそらくアルバイトだろう、まるっきり商売慣れしていない女性店員に、<うな牛>を頼んだ。みると、入り口付近には、二、三人客がいた。頼んだものがなかなか出てこないので、暇つぶしに店内を観察した。みなお持ち帰りの客だ。店内に座っているのは、自分一人。外食を少し悔いたわけだ。

 やっとのことで<うな牛>が出てきた。普通の牛丼でもよかったのだが、少し元気をつけようと思って、<うなぎ>入りを頼んだ。テレビの宣伝が頭に残っていたのかもしれない。その<うな牛>の、肝心の<うなぎ>がまずい。タレが辛すぎる。これが、二つ目の失敗だ。<すき家>のウナギがうまいわけないじゃん!さっと食べて、千円札を機械に飲ませ、さっと出た。

Uターンした。またトンネルをくぐり、坂を上って、ホテル裏手の駐車場に到着した。車の外に出た。重いカメラバッグを背負い、着替えや飲食物を詰め込んだトートバックを肩にかけた。意外に重くて、ちょっとうんざり。受付で、チェックインを済ませた。二泊、前払いで¥14000ほど。黒い制服の中年女性の応対が、ぎこちなく、処理が遅い。その間、シールドの向こうにいた、白っぽいワイシャツ、ノーネクタイの中年男性から検温を受けた。例の、額に拳銃を向けられるようなやつ。むろん、平熱だ。ようやく、おつりとカードを渡され、エレベーターに乗った。そのさい、エレベーターの行先ボタンにカードをかざした。これは、初めての体験だった。

 カードキーに、戸惑うこともなく、部屋に入った。ま、普通の広さだ。セミダブルの大きなベッドだけが取り柄だな。というのも、中途半端なリフォームで、風呂場、机などの調度品に統一感がない。色が違っている。ケチって、使えるものは使おうというわけだ。それに後で気づいたが、小型冷蔵庫が、まったくといっていいほど冷えない。これには、クレームをつけようか、少し迷ったほどだ。もっとも、文句を言ったところで、すぐに交換するとも思えない。二泊だから、我慢することにした。

 エアコンをパワフルにして、すぐシャワーを浴びた。湯船の底に尻をつけ、膝を少し曲げた状態で座ると、目線やや上の壁にシャワーの取っ手がある。したがって、この一番楽な姿勢のまま、シャワーを浴びることができる。こういう経験は始めだ。あと、携帯用のアルコール消毒ボトルが机の上にあった。ま、この二つに関しては、イイネをあげたい。

 シャワーから上がり、冷たいビール、といきたいところだ。といってもノンアルビールだが、ビールは持参している。ところが、冷えていない。冷えない冷蔵庫に、三十分くらい入れたところで、生ぬるいことに変わりない。それでも、コップに注いて、アワっぽいビールを飲んだ。全然うまくなかったけれども、気分的には満足だった。朝の四時から、炎天下をフル稼働。夕方には、予定通り、所定の宿に入ったのだから。

 前回の、犬吠埼灯台の旅のような、身も蓋もない疲労感はなかった。撮った写真をモニターしたり、帰宅後に<日誌>をつけるためのメモを書いたり、やや小さめなテレビをぼうっと見たりした。夜の九時前には寝ていたと思う。

今日の出費。高速¥4010、駐車場二か所¥950、飲食¥1300。なぜか、宿代の領収書が、チェックアウト時ということなので、その分は明日だ。幸せなことに、カネ勘定に気持ちがそがれることはなかった。要するに、数万単位の金額は、痛くも痒くもない。これは人生初めての感覚だ。ちなみに、ガキの頃は数十円、数百円、大人になっても長らく、数千円単位のカネ勘定で、日常を生きてきたのだ。

 …目が覚めた。まだ、夜中の十一時過ぎだった。二時間寝たのか。なんとなく、腹が減ったような気がした。夕食が五時だったからな、と思った。起き上がって、備え付けのポットで湯を沸かし、カレー味のカップ麺を食べた。ついでに、お菓子類も食べたのだろうか。そのあと、少しテレビを見て、また寝た。

 だが、寝つきが悪い、ほぼ一時間おきに目が覚め、トイレだ。しかも、十二時過ぎくらいからは、どこからか、断続的に物音がする。気になる。そうだ、親指の怪我はどうした?そっと押してみた。少し痛む。だが、昨晩のようにジンジンした感じではない。その点は良かった。しかし、その後も、物音は午前二時過ぎまで続き、何回も、眠りを妨げられた。どこのどいつなんだ!少し腹が立ったような気もする。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#9 観音崎へ向かう

 二日目

五時半過ぎに目が覚めた。昨晩はほぼ一時間おきに、トイレに起きた。寝足りないな、などと思いながら、ベッドの中でぐずぐずしていた。六時過ぎたころからは、これは明らかに隣だな、ドアを開ける物音などがした。昨晩、夜遅くまでうるさかった部屋の方からも音がする。これは向かいだな。何しろ、ビジネスホテルでは、みな早起きだ。六時過ぎたら、うるさくて眠っていられない。

 というわけで、こっちも、六時半には起きた。サービスの軽朝食は七時からなので、それまでに身支度を整えた。髭剃り、歯磨き、洗面、着替えだ。七時過ぎにエレベーターで下に下りた。チェックインカンターの人影にちょっと目礼して、辺りを見回した。簡易的な、安っぽいテーブルと椅子が、何脚か置いてある。誰も座っていない。が、フロアには、四、五人の人影。それぞれ、微妙な距離を取っている。

 まず、冷蔵棚から、ヨーグルトとパック牛乳を一つずつ、次に、壁際の長い台に、二、三籠載せてある<菓子パン>から、三つ選んで取った。あとは、オレンジジュースと野菜ジュースを機械から抽出した。あらかじめ、ポケットに忍ばせて置いた、白いレジ袋を取りだし、菓子パンなどを入れた。一言、部屋で食べてもいいですか、と受付の女性に断った。むろん、悪いはずはない。コロナ禍、この時期に、他人と一緒の場所で飲食はしたくなかった。手にレジ袋と、大きな紙コップを二つ持って、部屋に戻った。

 さ、貧しい朝食だ。オレンジジュースと野菜ジュースは、ま、こんなもんだろう。別に不満ない。だが<菓子パン>の方は、クロワッサンのような、なかに何も入っていないものはまだしも、あんパンとカツパンは、これはもうNGだった。思わず、消費期限を確かめた。三つとも多少のずれはあったが、ほぼ一か月近くある。ありえない!アンパンの半分、それにカツパンは、即刻ごみ箱行きになった。それにしても、とホテルの良識を疑った。だが、それほど腹は立たなかった。食べなければいいのだ。

 ほとんど便意はないが、出発前に排便を試みた。ほんの少し出た。一応は温水便座で、これはリニューアルしてあったので、気分はいい。七時半、室内を少しきれいにした。つまり、ベッドとかテーブルの上を整頓した。部屋を出て、カードキーでロックし、カードは財布の中にしまった。

 再度エレベーターで下に下り、受付に一言、出てきますと告げた。コーヒーメーカーに寄り、アイスコーヒーを作って、車内に持っていこうとした。ところが、なんというか、失敗だ。というか、やり方がわからなった。普通なら、機械のボタンを押せば、氷が出てきて、その上に温かいコーヒーがふり注ぐ、という形だが、氷が出てこない。しかたなく、黒い液体が半分くらい入っている紙コップを手に持って、受付の女性に、氷が出ないんですけど、と遠慮がちに言った。

 その係の女性は、大柄な、目鼻立ちのしっかりした、ま、美人だった。カウンターからすぐに出てきて、自分が手にしていた紙コップを受け取り、やり方を教えてくれた。要するに、氷だけが出る機械があり、そこでまず、大きめの紙コップに、手動で、お好みに合わせて、四角い氷を何個か入れ、その氷の入った紙コップを、コーヒーメーカーに置く、ということだ。コンビニのアイスコーヒーを常用している者にとっては、なんとも、間の抜けた話だ。

 再度、アイスコーヒーを作り直し、受付の横から、外に出た。昨日は正面玄関から入った。駐車場へ行くには、こっちの方が近い。要するに裏口だ。少し雲が出ているものの、いい天気だ。車の中に入って、観音埼灯台、とナビに打ち込んだ。…アイスコーヒーを飲んだ。さしてうまくもなかった。だが、朝のコーヒーは日課だ。飲まないと、何か忘れ物をしたようで、落ち着かない。

 車を出した。長い坂を下って、トンネルをくぐった。左折。広い道路を走った。朝の通勤時間帯だ。だが、さほど混んでいない。また長い坂を下った。周りは丘で、緑の斜面に小さな家が点在している。いわゆる、横浜・横須賀方面の風景で、埼玉のような平場に住んでいる者にとっては、少し新鮮だ。

 道が、市街地に入ってきた。やや混んでいる。と、大きな交差点。左折待ちしていると、目よりちょっと高い所に、長い歩道橋。その上を、女子高生、いや男子もいるな、ぞろぞろ歩いている。目線を下におとすと、道の向こうの方からも、ぞろぞろ。通学時間帯なのだろう。皆、同じような格好をして、同じ時間に、行儀よく歩いている。むろん強制されている様子もない。ふと、自分の高校生時代を思い出した。最寄りの駅から、やはり、ぞろぞろと、黒い学生服が、歩いている。朝っぱらから学校なんか行きたかねえや、とは思わずに、素直に、行儀良く、学校へ通っていた。いま思えば、かわいいもんだ!

人間は、こうして教育され、大人になっていく。大人になって、そうした目に見えぬ強制力に気づく奴もいる。が、ほとんどが、気づいたとしても、それを否定もせず肯定もせず、生き続ける。長いものには巻かれ、か!自分もその一人だろう。だが、齢七順にもなると、この世とのおさらばが近い。いずれ、この世が霧散してしまうのならば、いったいこの世とは何なのだろうと思う。今はやりの<仮想現実>ととらえることもできそうだ。ならば、この世の規則に従って、営々と生きてきたことが、なんだかばからしい。

 話しが暗くなった。戻そう。さらに、横須賀の市街地を進む。と、信号ごとに止まるようになった。多少混んできたのだ。ふと、歩道を歩いている女子高生に目がいった。黒い大きなリックを、お尻のあたりにまで垂らしている。地味なチェックのスカートにワイシャツ、黒のローファー。だが、その足首のあたりが、鮮やかな緑色だったり、ピンクだったりして、目を引く。カラフルなソックスを少し出しているのだ。なるほど、あれが大人への、規則へのささやかな抵抗、というわけか。もっとも、あの程度の抵抗など歯牙にもかけない、もっともっと巨大な規則が、自分たちを覆っていることには、まだ気づいていないのだろう。いや、気づかないままでいることの方が、幸せかもしれない。

 少しマジなことを考えているうちに、観音埼が近くなってきた。ナビの右折の案内に従った。ところが、一つ手前の信号の、右折ラインに入ってしまった。ありゃ~、バックミラーで後続車がいないことを確認、ゆるりと直線ラインに入った。おまわりに見られたら、違反切符を切られる。幸い、セーフだった。

ナビ通り、突き当りの信号を右折して、海岸沿いの広い道に入った。しかし、護岸が高く、左側の海は見えない。中央分離帯の向こうには、高級住宅街が見える。道路側の家の二階からなら、きっと海が見えるだろう。いいな、と思った。とはいえ、住宅街は、奥が深い。ずうっと続いている。道路際の家はほんの一握りだ。値段が高いだろうし、それに、道路際だからうるさいかもしれない。貧乏人の僻みだな。それでも、いいなと思ったことを取り消した。

 前方に、海に突き出た、深い緑色の観音埼が見えてきた。灯台は間近だ。と、道が片側二車線から一車線になる。その手前に安全地帯がある。ちょうど車一台分くらいのスペース。急遽、ハザードをだして停車した。気になっていた、左側の海を見たかったのだ。脇の階段から、護岸に上がった。なんとなく、雑然とした海。…今ネット検索した。雑然とした海の理由、要するに、その海は東京湾だった。なるほど、灯台旅に出ると、太平洋の方を見ていることが多い。そのせいだ。太平洋に比べれば、東京湾などは、ゴミのようなものだ。二階から海が見える住宅を、ちらっと見た。東京湾じゃしょうがないよな!

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#10 観音崎公園

 観音埼に着いた。周辺は、きっちりマップシュミレーションしている。迷わず、灯台に一番近い駐車場に入った。¥880!高いだろう。案内板を見ると、七月と八月だけが、この値段。ま、浜辺がすぐそこだし、夏場料金だ。駐車場はまだ空いていた。着いたのは八時半頃だったろうか。宿から、小一時間かかったようだ。

炎天下、なるべく日陰に止めたい。誰しもが思うことで、むろん、そんな場所はあいていない。車から出て、サンダルから靴に履き替えた。そう、足の甲が、また前回と同じで、痛痒い。赤くなっている。今日も、直射日光を受けるわけで、ちょっと嫌な感じがした。でも、どうしようない。装備を整え、出発だ。

 駐車場のトイレで用を足した。念のためだ。公衆便所の臭いがした。日本中の公衆便所が、その規模の大小にかかわらず、この特有のくさい臭いを放っているのだろう。ま、控え目に言っても、臭いがしない公衆便所は少ない。

 歩き出した、すぐに浜辺だ。案内板がある。ちらっと見て、海の方へ吸い寄せられた。すぐ目の前の海の中に、変な構造物がある。あきらかに場違いな感じ。ためしに記述してみよう。長辺が五、六メートル、短辺が二、三メートルの、長方形のコンクリの台座が、10本ほどの円柱によって支えられている。円柱はほぼ沈んでいるが、海から一メートルほどだけ見える。その台座のほぼ真ん中に、海中の円柱とほぼ同じ太さの円柱が一本突き出ている。高さ三メートルほどの、その煙突状の胴体には、こちら向きに、白地に黒文字で<危険立入禁止>と書かれている。

 河川敷に立っている鉄塔の台座を想起した。ただし、真ん中に立っている煙突状のモノが理解できない。何ともおかしな、不思議な造形だ。コンクリの劣化状態からして、かなり古いものであることに間違いない。

 …今調べました。<海岸七不思議ー観音崎の自然&あれこれ>https://suzugamo.sakura.ne.jp/7fusigi.html というサイトによれば、

 <私は沖合にある遺構をこれまで”海水浴場の飛び込み台”と決め込んでいたが、今回初心に返り、観音崎園地浜の路傍で、いかにも土地の古老?という感じのお年寄りに、由来をお尋ねしたところ………
 「昭和10年代に旧軍が建造したもので、海中にある飛び込み台のような遺構と、手前の岸壁は桟橋で結ばれ、レールが敷設されていた。桟橋には輸送船が横付けされ、灯台のように見える柱にロープで係船、荷揚げされた弾薬等は、トロッコで陸上の倉庫へと移送された。戦後、海水浴場を開設するにあたり、邪魔な桟橋は撤去されたが、その時のコンクリート製橋脚の残骸が観音崎園地の磯にいまだに放置されている。」 

 ということであった。このサイトの管理人様、事後ではありますが引用をお許しいただきたい。

 とにかく、なんだかおもしろいので、最大限近寄れるところまで、それが<手前の岸壁>の遺構だったのだが、近寄って、かなりしつこく撮った。そのうち、若い女性の二人連れが来たので、場所を譲った。あれ、と思って振り返ると、派手なブラウスを着た、小柄で少し浅黒い、その娘たちから、何か外国語が聞こえた。向き直って、遺構を見るふりをして、彼女たちを見た。スマホで記念写真を撮っている。はは~ん、フィリピン系だな。

 狭い砂浜はキャンプ場になっていた。色とりどりのテントが、今はやりの、ソウシャルディスタンスを取っているのだろうか、三々五々見える。脇目せずに、キャンプ場を抜け、灯台へ向かう遊歩道に入った。このあたりもマップシュミレーション済みだ。多少の日陰。だが、かなり暑い。と、目線の上の方、深い緑の木々に覆われた岬のてっぺんに、白い観音埼灯台の頭が、ちょこんと見えた。

 そこはちょうど、両脇の木立が切れるところで、二、三歩、行きつ戻りつして、灯台が、一番たくさん見えるところで立ち止まり、何枚か撮った。この位置を覚えておこう、と思った。さらに行くと、視界が開けて、炎天下。灯台の頭は岬に隠れてしまった。左側は海、右側に、何かトンネルをふさいだような痕跡、これも戦跡っぽかったが、さほど魅力を感じない。続いて、崖がえぐられた場所があり、観音様が祭られているようだ。案内板には、観音埼の<観音>の由来が書いてあった。斜め読みしたが、行基上人の文字しか頭に入らない。頭に入れる必要もないから、ま、流したのだ。

 と、続いて、少し朱色がかった、長方形の大きな石に、何やら縦書きの文字が連なっている。近づいてみると<燈台へ行く道>という題字が見える。さらに近づいてみてみると<西脇順三郎>と彫り込まれていた。

燈台へ行く道  西脇順三郎

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や
小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのつて
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいつたことを
考えながら歩いた

平易でわかりやすい詩だ。自分にも、何か、わかるような気がした。<西脇順三郎>は難解だと思っていたので、意外だった。それにしても、著名な詩人が、ここに来ていたとは、ちょっと驚きだった。詩碑を、ぱちりと一枚だけ撮った。ちなみに、今ネット検索したら、<詩>の全文が出てきた。詩碑は、その前半である。全文を読むと、あらためて、より感動が深まった。

 やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思つて
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあつた
あかのまんまの力も弱つていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前
「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折つて
そのみどり色の梅のような固い実を割つてみた
ペルシャのじゅうたんのように赤い
種子(たね)がたくさん、心(しん)のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいゝ生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思つた
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかつたのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした

 その先、遊歩道は、先日来の大雨で、通行止めになっていた。だが、幸いなことに、灯台への登り口は、その手前だった。階段を登り始めた。鬱蒼とした緑の木々。日陰だが、風が通らないから、極端に蒸し暑い。静寂。セミの鳴き声が聞こえていたのかもしれない。さっき読んだ<西脇順三郎>の詩碑。詩人の静謐な孤独を思った。世界への、人間への大きな愛を感じた。いい詩だなあ~と思いながら、少し広めの急な階段を、ゆっくり辿っていった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#11 観音埼灯台撮影

 ふと、目をあげると、坂の上からおじさんがおりてくる。手に小さなカメラを持っていたような気もする。その先に、観音埼灯台が、木々の深い緑の向こうに見えた。灯台敷地より、十メートルほど手前、坂の途中だ。ネットで見た限り、写真はここからがベスト。ベストといっても、灯台の右側には建物があり、左側は、すっからかんの空間、海は見えない。だあ~っとした景観は望むべくもなかった。むろんそれを承知で来ている。

 立ち止まって、しつこく撮った。木々の枝が白い灯台の胴体にかかってしまう。緑の葉っぱだから、まだいいが、それにしても、邪魔は邪魔だ。しかし、その木々を避けて、灯台に近づけば、横の建物がよけい目について、まったく絵にならない。この場所で、最良のショットを撮るしかない。

 粘っていると、お迎えが近い?小柄な老人が目の前を通り過ぎていく。手に小さなカメラを持っている。灯台を撮りに来たのか、と思いながら、よろよろ歩いていく老人の後姿を一枚撮った。さらに見ていると、入り口で、ちょっと立ち止まり、灯台を見上げている。その黒いシルエットが、ちょうど、白い灯台の胴体の中に入り込んで、目立つ。さらに、敷地に入り、建物の方を向いて、入場料を払っているようだ。それが終わると、ゆっくりと灯台の根本に向かって歩いていく。何しろ、ずっと灯台と自分との線上にいるのだ。

 そして、やっとのこと、画面から消えたと思ったら、今度は、その老人が消えたあたりから人影が出てきた。画面越しに見ていると、どんどん近づいてくる。黒い服のおばさんだ。灯台の受付だろうな。とうとう、敷地から出て来た。手にしているのは携帯用の掃除機なのか、入口手前の、コンクリのタタキの隅まで行って、そこにたまった葉っぱなどを吹き飛ばしている。掃除をしているわけだ。その間も、シカとして、灯台を撮っていた。

 おばさんの姿も消えて、静寂が戻ってきた。今一度、人影のない、新緑の枝がかかった白い灯台を撮った。撮れたような気がして、満足だった。ふと我に返ると、小指辺りを蚊に食われたらしい、痒い。そうだ、忘れていた。何しろ蒸し暑くてかなわない!

 受付で¥310払った。その際、おばさんに、隣の資料室は撮影禁止ですから、とややつっけんどんに言われた。悪意を持っているわけではない。顔つきをみて、そういう口の利き方とする人間なんだと了解した。イラっともしなかった。資料室か、帰りに寄ってみよう。その入口の前にベンチが置いてあったような気がする。そこは日陰になっていた。カメラバックをおろし、着替えた。お決まりのように、汗びっしょりだった。上半身裸のまま、給水して、一息入れた。そのあと、海の方を、しばらく眺めていた。

 さてと、灯台に登ってみるか。立ち上がった。灯台の裏側は日陰になっている。そこに腰かけがあるのだろうか、こちらからはよく見えないが、例の老人が座っている。手にしたカメラを沖の方へ向けている。依然として、他人の存在をまるで意識してないかのように。邪魔しないように、反対側に行った。灯台の横。炎天下だ。そこに、何か展示してある。

 一つは、白い大きなラッパが三本、扇方に広がっている。これはすぐに分かった。このラッパから霧笛を出していたんだ。二つ目は、これまた白い、ドーム型の灯台の頭で、中にレンズが入っている。これらはきっと、先代の観音埼灯台の遺品だろう。勝手にそう思って、説明書きなどは読まなかった。そのかわり、ぐるりと一回りして、ベストショットを狙った。この二つの真っ白な遺品は、オブジェとしても、カッコいい。

 と、その隣に、正体不明の物体がある。ちょっとくびれたコンクリの円柱だ。気にかけなかったが、ふと寄って見ると、海図のようなものが表面にある。いや、海図かどうか定かでない。とにかく、灯台の遺品であることに間違いはない。だが、それがなんであるのか、確かめもしなかったし、写真すら撮らなかった。造形的に、魅力を感じなかったのだ。

 ところで、岬の先端部、炎天下の、日陰のない灯台の前は、頭がくらくらするほど暑い。海風が少し吹いているものの、全然涼しくない。とはいえ、ここまで来た以上は、灯台の正面を、写真に収めていくべきだろう。たとえ、それが、写真的にはモノにならないとしても、一応は、ベストを尽くすべきだ。そういうわけで、狭い敷地の端を、少しずつ移動しながら、丹念に灯台を撮った。

 だが、灯台との距離が取れないばかりか、両脇はスカスカで、なんとも間の抜けた構図ばかりだ。24㎜というかなりの広角でも、引きが甘く、おもわず魚眼レンズを買ってみようかとさえ思った。が、これはさすがに自制した。両端がゆがみすぎて、風景写真には不向きなのだ。さらには、禁じ手を破って、縦位置で何枚か撮った。結果は余計悪い。自ら決めた禁じ手をあっさり破ったことを、少し後悔した。

 暑い!を通り越していた。もう限界だ。これ以上は、熱中症の危険がある、と自らを戒めて、撮影を終えた。灯台の裏側に回った。老人が腰かけていたところだ。日陰で、海風が心地よい。給水し、上半身裸になり、汗びっしょりのロンTを二枚、灯台の敷地を囲っている低いコンクリの塀に干した。靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。足の甲が赤くなっている。痛痒い。

 はあ~、一息入れよう。建物の縁に添った木の腰掛だ。正面は海。なんだか船が多い。大小さまざま、行きかっている。それにしてもと思って、ふと気づいた。浦賀水道だ!となれば、向こうに見えるのは房総半島。要するに東京湾への入り口だった。はは~ん、あの老人が、カメラを向けていたのは、この光景か。てっきり灯台を撮りに来たのかと思っていたが、ここに座って、浦賀水道を航行する船を撮っていたんだ。

 カメラバックから、望遠を撮りだした。なるほど、いろいろな形の船があって、面白い。しばらくの間、ゆっくり視界を横切る、おもちゃのような船舶を、断続的に撮った。じきにそれにも飽きた。ロンTが乾くまで少し休憩だ。そう思って、座り姿勢のまま、首をうなだれて目をつぶった。何組か、観光客が目の前を通り過ぎて行った。上半身裸、素足。でも長い綿マフラーを首にかけている。乳首は見えない。それに、両脇に、これ見よがしにデカいカメラを置いてある。写真を撮りに来て休んでいるのか、と誰が見ても納得するだろう。

 そのうち、目をつぶったまま、ふと思った。ロンTを干しているのが、景観を汚している、と不快に思う人がいるかもしれない。さっき通った、親子連れの若い父親が、堂々と干してあるロンTを見て、苦笑していたではないか。かまうものかと、一方で思ったが、比較的目立たない、端の方へ移動した。なんでそんなことにまで、気を使わなくちゃならないんだ。よけいな配慮が多すぎる。

 狭い縁に腰かけただけの、窮屈な姿勢でも、ふっと体の力が抜けたように感じた。三十分くらいたったような気もする。十一時だった。裸足で、塀に掛けてあるロンTを取りに行き、身支度をした。ロンTは生乾きだった。気分が少し良くなっていた。観光気分で、まず灯台に登った。それが狭い螺旋階段で、やや窮屈な思いをした。内側の壁に、全国の灯台の写真が、ずうっと飾ってある。登りながら見る余裕はない。何しろ狭いんだ。

 登りきったところに、これまた狭いドアがあり、腰をかがめて外に出た。グルっと回れるようになっている。ただその通路も狭い。幅五十センチくらいだろうか、人ひとりがやっと通れるほどだ。正面は、日が当たっていて暑い。裏側に回った。日陰で、海風がいい。柵に肘をかけたのだろうか、眼下に、来るときに通った遊歩道が見えた。そこに若者たちが五、六人ぶらぶらしている。豆粒のようだ。向い側に見える、深い緑の丘には、鉄骨の無粋な塔が見える。レーダー塔だろうな。

しばらく、下界を眺めていた。南西方向の海の中に、人工的な構造物がある。何かの遺構だろう。見に行ってみるか。下りようとしたら、さっきから来ている熟年の夫婦連れと、狭い入口のあたりで鉢合わせになった。おばさんの方は、扉の前にいるので、自分が扉から出られない。要するにすれちがいできないのだ。すいませんと言って、彼女をバックさせた。

 いや~ここまで書いてきて、前後の時間を間違えていることがはっきりした。というのも、その後、この熟年夫婦は、腰掛で休憩している自分の横に来て、少し休憩していったのだ。つまり、灯台に登ったのは、腰掛けで休憩する前だったわけだ。熱中症の危険を察知して、撮影を中止した後に、灯台に登ったわけで、灯台の内部は日陰だから大丈夫だろう、と思ったような気もする。どうでもいいことだが、気持ちが悪いので、訂正しておく。

 とにかく、灯台見物は終わり。最後は、受付のある建物、資料室に寄ってみた。<撮影禁止>とおばさんに言われた場所だ。ごたごたといろいろあって、エアコンも効いていない、蒸し暑くて薄暗い部屋だ。ざっと流して出るつもりだった。と、灯台の模型がある。下の方に、手でぐるぐる回す把手がついている。なにかと思って近寄ると、昔の灯台の、発電の実験模型だった。

 何々、昔の灯台守は、日中に200キロ近い重りを手でぐるぐると、何時間もかけて上へ巻き揚げ、夜になると、その重りの落下するエネルギーを使って発電機を回し、灯台を光らせていた。したがって、かなりの重労働だった。わかったような、わからないような感じだ。ま、とにかく、その把手をつかんで、ぐるぐるすると、紐にくっついている黒い重りが、上の方へ巻き上げられた。そのあと、今度は、把手をさっきとは逆向きにぐるぐるする。と、巻き上げられた重りがすこし落下する。その瞬間、模型の灯台の目が光った。昔の灯台守って、そんなことをやっていたのか、となんだか不思議な気がした。...昔の灯台守については、そのうちちゃんと調べてみたい。

 帰り際、受付の奥から、おばさんの声がした。<ありがとうございました>。声の感じが、普通に聞こえた。自分も、顔をちょっと向けて<ありがとうございました>と返した。敷地を出ると、道が二股に分かれる。左に下りて行けば、先ほど灯台の上から見た海中の遺構へたどり着けるだろう、と思った。日陰の山道を下った。少し行って振り返ると、灯台が少し見えた。ほぼ樹木に隠れていている。しかも、裏側からだから、塀ばかり目につく。とはいえ、記念写真だ。何枚か撮った。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#12 戦争遺跡1

 蒸し暑い山道を、さらに行くと、標識があったような気がする。浜辺へ下りる道は、通行止めだった。反対側の道は、山の中へ向かっている。砲台の遺構があるようだ。少し山道を登ると、平場に出る。何やら、レンガのトンネルが見える。辺りは鬱蒼としているが、木洩れ日で明るい。緑の葉っぱがきれいだ。

 …この辺りは、旧日本軍の砲台跡が点在しているようだ。来る前にネットで画像を見た。戦跡に、興味がないわけではない。ただ、写真としては、なかなか難しい。今回もそうだ。あらかじめ知っているから、山の中に残されている、大きなコンクリの構造物が砲台跡とわかるわけで、いくら見回しても、その本来のイメージは浮かんでこない。軍事機密であったのだから、当時の写真などは出回ってないのだろう。

 だが、真夏の蒸し暑い、緑に囲まれた静寂の中で、その雰囲気を楽しんだ。と、後ろから、男の大きな話し声が聞こえた。カップルだ。砲台の台座のようなところに登って、やり過ごす。そばに人がいるにもかかわらず、大柄な男は、この砲台跡のことを、小柄な、地味な彼女に、得意げに話している。そのうち、レンガ造りの短いトンネルの前で立ち止まった。彼女の方が、通り抜けることを少し嫌がったのだ。短いとはいえ狭いトンネル。気味が悪い。

 大柄な男が、彼女を説得している。少し嫌だと言い張ったが、男の勢いに負けて、二人してその短いトンネルを通り抜けていった。トンネルの向こう、明るい緑の中に、手をつないで坂を下りていく二人の姿が見えた。廃墟巡りとか、趣味が同じならともかく、デートコースとしては、どうなんだろう。女の子を連れてくるような場所でないことは確かだった。

 広い、坂道を下った。視界が開けて、一般道に突き当たる。左手には海、右手にはトンネル。あれ~と思って、そばにあった案内板を眺めた。一般道へは出ないで、右手の山道を登っていけば、灯台に戻れそうだ。途中に砲台跡もあるらしい。この暑いのに、せっかく下ってきたのにと思いながら、ゆっくりと、また登った。登り切ったところにも標識があり、その案内に従って、右に行くと、砲台跡に出た。かなり規模が大きい。

 さっきと同じようなレンガ造りのトンネルも見える。ただ、こっちのはかなり長い。しかも、入口に金属製の柵があって、立ち入り禁止。かりに、トンネルを通り抜けられるとしても、いったいどこに出るのか見当もつかない。とはいえ、緑に囲まれたトンネルは、静かで、いい雰囲気だ。

 向き直ると、正面は小高くなっている。視界はない。だが、なるほど、そこに大砲が置いてあったのね、とわかるような感じのコンクリの構造物があった。陽が当たっていたし、足場も悪そうなので、少し興味をそそられたが、登らなかった。登れば、おそらく、眼下に浦賀水道が見えたかもしれない。そんな感じの砲台跡が、距離をあけて、三つくらいあったような気がする。岬の上から、航行する船舶を狙う大砲が、何門も見える。少しイメージがわいてきた。

 砲台跡に沿って、坂を下っていくと、何やら施設に出た。案内板を読むと<東京湾海上交通センター>。先ほど、観音埼灯台から見えた、レーダー塔の下に出たわけだ。…あらためて、今調べてみると、浦賀水道を航行する船舶の管制塔のような役割を果たしている。それにしても、休みなのか、人の気配が全くしない。日陰を見つけて、着替え、給水。とは言え、すぐに蚊に食われた。汗の臭いに寄ってきたのだ。

 ところで、案内板通り、この施設の横から、灯台へと至る山道があった。ところが、ここも通行止め。どうする?今一度標識をまじまじと眺めた。左は今下ってきた道。右は観音崎園?下り道だ。灯台に戻れない以上、どう考えたって、下るしかないでしょう。たとえ、とんでもないところに出たとしても、そのあとは平場を歩くわけで、今来た山道をまた上ったり下りたりするよりはましだ。

 やや疑心暗鬼のまま、山道を下った。と、木々の隙間から、海辺が見えた。少しホッとした。さらに行くと、幸運なことに、浜のキャンプ場に出た。そう、灯台に行くときに通った、あのキャンプ場だ。つまり、駐車場のすぐ近くにおりて来たのだ。関根二等兵帰還!カメラバック=背嚢を背負って、岬を彷徨った、日本兵のような気がしないでもなかった。

 下界は、とんでもなく暑かった!キャンプ場の脇を歩いていくと、赤い自販機があった。思わず、コーラを買ってしまった。ふと見ると、そばに炊事用のやや大きめな流し台があって、排水された水が、砂地に流れ出ている。キャンプ場でよくみられる光景で、ぞっとするほど汚らしい光景だ。排水で、色が変わった砂地を目で追っていくと、キャンプに来た女性が楚々として海を見ている。なんなんだか!そくそくと、その場を後にして、駐車場へ向かった。

 車の中は、蒸し風呂。すぐにエアコン全開、窓にシールドを張った。服を脱いで、横になった。少し眠るつもりで、耳栓もつけた。目をつぶり、この後の予定を考えた。まだ一時過ぎだった。ふと気になって、スマホ大黒ふ頭付近の灯台を調べた。一つ、二つ、撮ってみたい防波堤灯台があった。行ってみようかな。起き上がって、耳栓を抜いて、運転席に移動、ナビで検索した。

 ところが、結構距離があり、時間も一時間以上かかる。是が非でも撮りたい灯台でもない。ま、次回にしよう。例えば、千葉の野島埼灯台を撮りに行くとき、ちょこっと寄ってみるという手もある。高速を、途中の大黒インターで降りればいいんだ。ま、それよりは、さっき見た、海の中にある、正体不明の遺構だな。これも少しスマホで検索した。だが、よくわからなかった。

 そんなこんなで、昼寝はできなかった。時計をみた、一時半だ。さほど眠くもないし、疲れてもいない。身支度して、ナビをセット、出発した。駐車場を出て、左方向。すぐにトンネル。さっき、山道を下りたところにあったトンネルだ。通り抜けると海が見える。左側に博物館の駐車場があった。ガラガラ。¥880!高いなと思いながら、アルバイトだろう、ちょっと尊大な白髪のおじさんにカネを払い、海の中の遺構のことを聞いた。よく知らないらしく、詳しくは聞けなかった。ただ、その辺にあることは間違いないらしい。

 車から、外に出た。午後になって、ますます蒸し暑くなっていた。駐車場背後の階段を登ると、ちょっとした、見晴らし公園になっていた。海が見渡せる。草ぼうぼうの中に、ベンチなどもある。視界の左の方が観音崎。その下に、あったよ!例の遺構だ。海の中に崩れかかったコンクリの円柱が見える。…帰宅後にネット検索すると、<水中聴測所>?と出た。旧日本軍の施設で、潜水艦の音を聞くものらしい。敵の潜水艦が浦賀水道に侵入してくるのを警戒していたのだ。いまは自衛隊の管轄になり、立ち入ることはできない。なるほどね。

 早速写真を撮ろうと、ベストポジションを探しながら移動した。だが、水平線と、円柱の垂直を出すのが、場所的に難しい。それでも、円柱に吸い寄せられるように、縦長の公園の端まで来た。すぐそばのベンチで、おじさんが、この炎天下、本を読んでいる。まあ~、シカとして、腰の高さほどの柵に寄りかかりながら、何枚か撮った。とはいえ、モニターすると、垂直・水平が取れていない。許容範囲を超えている。場所的に無理なんだ。

 しつこくは撮らないで、今度は海の方を眺めた。空の様子がいい。ボニュームのある雲が、対岸の陸地・房総半島に沿って、低くかかっている。狭い青空、太い横一文字の雲、高い青空、という構成の、素晴らしい景色だ。時々大きな船も通り過ぎていく。見える範囲をすべて、アングルを変えながら撮った。

 引き上げる際に、さして広くもない見晴らし公園を見回した。短パンの読書おじさんが本を手に持って立ち上がっていた。もう一人、痩せた、オタクっぽい若者が、端の方で、スマホを海に向けていた。その後姿が暗い。このすばらしい景色とは合わないな、などと思いながら、そうだ、海辺にまわりこんで、今一度あの遺構を撮ってみよう。かなり気になっていたことは確かだ。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#13 戦争遺跡2

 駐車場の隣というか、上はレストランだった。近寄って、中を見た。大きなガラス窓の向こうに海が見える。何か、一度入ったような気がした。遠い記憶がかすかによみがえった。あまり思い出したくない女の顔も思い浮かんだ。赤帽の仕事でこの辺に来た時、不相応にも、一人で寄ったのかもしれない。横須賀の原潜や<軍艦三笠>を見物したことは確かなのだ。あり得ないことじゃない。

 レストランの隣は博物館だった。その間に通路があって、奥に青い芝生が見えた。カラフルな遊具もあった。とはいえ、立ち入り禁止の張り紙。博物館も、閉館しているようで、静まり返っていた。と、視界が開けて、砂浜。海水浴場になっている。人がたくさんいる。向いに、大きな駐車場も見える。ちなみに、この砂浜は<たたら浜>というらしい。

 博物館に沿って、遊歩道があった。見ると、すぐ目の前の海の中に、大きな円柱状の物体が見える。海からの高さは二メートルほどだろうか。その左横に、少し距離を置いて、長さは同じくらいの、細長いコンクリの角柱もある。こちらは杭のような感じ。とはいえ、なんでこんなところにあるのか理解できない。これもまた、遺構なのだろうか?…帰宅後ネット検索。角柱の方は、やっぱり!旧日本軍の研究所?があった頃のもので、船を繋ぐ杭だったらしい。円柱の方は、この場所に、本格的な桟橋でも作ろうとしたのだろうかと、専門家でもよくわからないそうだ。

 海沿いの広い遊歩道を歩いた。左側は高い土留めコンクリ、その上に建っている、レストランや博物館はほぼ見ない。とはいえ、土留めの上は植え込みで、白い花がところどころに見える。青い太い茎の先に咲くハマユウだ。なるほど、この時期、浜辺によく似合う植物だ。さらに行くと、行き止まり。小さな花壇になっていた。結局、遊歩道からは浜辺、というか岩場には下りられなかった。

 その行き止まりの花壇には、先客がいて、大きなカメラをお花に向けていた。白いハマユウとオレンジ色のカンゾウだろうか、海風に揺れている。先客のことは、ほぼ無視して、花壇の一番端に行って、海の中の遺跡を撮った。水平線と、円柱の垂直は、こちらの方が、さっきの見晴らし公園より、多少はマシだった。手前に、ハマユウカンゾウなどの植物を入れた。だが、ピントは遺構に合わせているので、お花たちはボケボケだ。遺構はかなり離れていて小さいし、お花たちとの距離はかなり近い。得意な35㎜のパンフォーカス(手前から無限大までピントを合わせる方法)がきかない。しようがないだろう、主役は海の中の遺跡なのだ。

 この花壇からの、ベストポジションは、おそらくここだろう。柵から体を乗り出して、ベストの写真を撮ろうと、集中した。暑さは感じなかった。巨大な雲が、房総半島の上にかかっている。夏雲だ。大きな貨物船が視界を横切る。ファインダー越し、何もかもがはっきり見える。さらに、望遠を取りだして、遺跡をズームする。と、風化したコンクリの隙間に錆びた鉄筋が見えた。青い海の中、朽ち果てながらも、確たる存在感。どのような目的で作られたのか、この時は皆目見当もつかなかったが、そんなことはどうでもいい。遺跡が目に、頭に焼き付いた。

 望遠カメラを、バッグにおさめた。今度は、地面にそっと置いた、手になじんだ標準ズームを首にかけた。海や雲や青空、房総半島や貨物船などを見ながら、柵沿いに少しずつ移動した。今この瞬間に見える、すべての光景、すべての風景を、カメラに収めた。いちいちモニターなどしなかった。写真に撮れていようがいまいが、この目で、ここ身体でしかと見たのだ。来てよかったと思った。思い切り息を吸い込んだような気もする。

 引き上げよう。海辺の小さな花壇は、少し暗くなり、人の姿もなかった。時間的には、三時半ころだったと思う。コンクリの遊歩道を戻った。ハマユウが塀際に咲いている。<たたら浜>には、まだたくさんの海水浴客がいた。遠目ながら、女性の水着姿が、眩しかった。それと、海から突き出ている、ぶっとい円柱を改めて見た。シュールだなと思った。暑いことは暑いが、耐えられないほどでもなかった。陽が陰ってきた。

 駐車場に戻り、車のバックドアを開けて、着替えた。またまた、汗びっしょりだった。カメラバックを背負う以上、背中に汗をかくのは、ま、致し方ないとしても、足の甲の日焼け湿疹は、やはり、灰色の皮革ウォーキングシューズのせいだろう。どうしようか、白い靴に変えればよいのか、よくわからなかった。

 ちなみに、帰宅後、面白い知見を、テレビから教授された。それは、今現在、甲子園で行われている高校野球の球児たちのスパイクことだ。これまでは、黒と決められていた。が、今回からは、全員が白いスパイクをはいている。理由は、靴の中の温度が、十度以上違う。むろん、白い方が低い。やはりな、と思って、白い靴をネット検索した。当然のことながら、みなスニーカーばかりだ。

 平場やアスファルトの上を歩いたり走ったりするスニーカーに、用はない。撮影用の靴は、軽登山靴か、あるいは、比較的底のしっかりした、滑らないウォーキングシューズだ。ま、どう考えても、どちらにも白はないだろう。仕方ない。愛用の軽登山靴を、次回は炎天下で試してみよう。以前、入間川を歩いていた時、軽登山靴を履いていて、足の甲に日焼け湿疹ができたことは一度もないのだから。

 サンダル履きになった。足の甲が赤くなっていて、かなり痒い。駐車場の敷地外にある、構えのちょっと立派なトイレで用を足し、自販機でスポーツ飲料を買って歩き飲みした。ナビを宿にセットして、車を出した。出るとき、例のやや尊大な白髪のおじさんが、愛想よく<ありがとうございました>と首を下に振った。自分も、ちょっと振り向いて<ありがとうございました>と言葉を送った。

 エアコンの吹き出しを、顔と足元にしたので、足の甲に涼しい風が来る。気持ちよかった。ナビに従って、朝来た道を戻った。途中、朝、高校生たちの行列を見た歩道橋の前で、信号待ちした。今度は、目線の上の方に、横一文字の歩道橋が見える。二、三人、女子高生が歩いている。腰から下は、アクリルだろう、不透明な目隠しがついている。下からのぞいても、女子高生のパンツは見えない、というわけだ。そういった配慮を、どこの誰が陳情したり、実行したりしているのだろう。いや、それよりも、見えるものなら見てしまうという、スケベな男がゴマンといるわけだ。オヤジの自分でさえ、そうなんだ。ま、生きている証拠かな。

 ほどなく、見覚えのある広い道路に出た。すぐ先、左側に<すき家>が見える。昨日の店内飲食で懲りていた。今日は、お持ち帰りにしよう。牛丼の大盛を頼んだ。さほど待たされることもなく、¥490払って、すぐに店を出た。宿は、目の前に見えるトンネルを登れば、すぐだった。

 宿の駐車場に着いた。五時、とメモには記してある。たしか、ロビーで、オレンジジュースとアイスコーヒーを抽出して、部屋に持ち帰ったような気がする。すぐにシャワーを浴びた。頭も洗った。風呂上がりのビール!と気分良く言いたいところだが、ぬるくてがっかりした。塗装が変色している小型冷蔵庫、冷えないんだ。

 テレビをつけて、その前で食事。牛丼は、まだ少し暖かくて、意外にうまかった。牛丼のお持ち帰りは、汁が御飯に浸み込んで、ふやけてしまい、食えたもんじゃない、という経験をしている。それに<すき家>の牛肉は<吉野家>に比べると、味が落ちる。この二つの持論が覆った。ご飯は多少ふやけていたが、まずくはなかった。上に載っている牛肉も、ま、いい味だ。大盛だから、それなりのボリュームもあり、満足した。この歳で旅に出て、夕食が、五百円程度の牛丼!だが、みじめだとは思わなかったし、貧しいとも思わなかった。

 二日目の出費。駐車場代¥880×2、灯台参観料¥310、飲食¥800、宿二泊¥13150。合計は、帰宅後だ。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#14 復路~エピローグ

 早めに、たぶん九時には寝ていたのだろう。夜間トイレが二、三回あったものの、昨晩のような物音に煩わされることもなく、比較的よく眠れた。

 三日目

六時過ぎに起きた、と思う。洗面、身支度、整頓。七時過ぎまで待って、ロビーに下りた。思いのほか、人がいる。牛乳、ヨーグルト、クロワッサンもどきの菓子パン二個、オレンジジュースと野菜ジュースをゲットして、すぐに部屋へ戻った。

 食欲もなかったけれど、菓子パンはまずくて、一個しか食べなかった。で、もう一個は、トートバックに放り込んだ。便意はなかったものの、頑張って、少し排便した。それと、歯ブラシ、ブラシ、髭剃りなどの<アメニティ>は、いただいた。もっとも、家に持ち帰っても、使う予定はない。いや、小さなチューブの歯磨き粉だけは、旅用に使うつもりだ。無駄な行為ではあったが、使わずに置いていくのも、なんだかもったいないような気がした。

 今一度、整頓して、忘れ物がないか確かめた。一応、冷蔵庫をあけた。おっと、ビールがひと缶奥の方に隠れていた。ま、ビールが冷えないこと以外は、さほど不快なこともなかったな。一日目の、夜中の物音は、ホテル側の責任じゃない。それに、二日目戻ったときには、バスタオル類は、新しいものに交換されていたし、ベッドメイキングもしてあった。不満はない。

 ロビーに下りた。受付には誰もいなかった。カードキーを返すつもりだったのだ。ま、いい。アイスコーヒーを機械から抽出した。正確に言えば、製氷機に紙コップを置いて、その中に手動で四角い氷を何個か入れ、その紙カップをコーヒーメーカーに置いたわけだ。と、隣に、ホテルの女性が来て、菓子パンの補充などをしている。ついでなので、カードキーを財布から取りだして手渡した。その後、砂糖などを入れていると、後ろの受付カウンターの中から、先ほどの女性の声がした。<チェックアウトでよろしいですね>だったかな?トンチンカンな質問だと思ったものの、そうですと答えた。

 アイスコーヒーに蓋をちゃんとして、というのも、昨日、蓋をちゃんと閉めてなかったので、車のドアを開ける時に少しこぼしてしまったからだ。受付の前を通り過ぎると、なかから<ありがとうございました>という声がした。<お世話さま>と首をちょっと傾けて応答した。どうも、このホテルの従業員は、おばさんばっかしだな、と思ったような気がする。別に、若い女性がいい、というわけでもないが。

 アイスコーヒーは、むろん車の中で飲むつもりだった。ナビを、あれ、どこに設定したのか、おそらく、海老名の下りパーキングだろう。出発した。いい天気だ。とはいえ、昨日よりは少し雲が多い。一般道に出る時に、上を見上げた。丘の上に大きなビルが、二、三棟建ってはいる。だが、ほとんどが、空き地だ。と、坂の下から、数人、人が歩いてくる。出社というわけか。それにしても、人数が少ない。ちなみに、ホテルの隣のビルも空いていた。

 ナビに従って、横横線に入った。来る時よりは、混んでいる。ま、平日の通勤時間帯だ。そう、宿を出たのは、七時四十分だった。メモに記してある。とはいえ、さしたる渋滞もなく、新保土ヶ谷バイパスに入った。じきに東名との分岐、町田インターだろう、と思っていたら、渋滞の表示が見えた。要するに、東名に入るところで、渋滞しているのだ。急にスピードがおち、左側をのろのろ、そのうち、ぐるぐるのインターチェンジをゆっくり、三十分くらいかかった。

 町田インターの料金所渋滞を過ぎると、視界が開けた。スピードは一気に90キロ。あっというまに海老名の下りパーキングエリアに着いた。コロナなど関係ないという感じで、普通に混んでいる。トイレで用を足し、長居は無用、すぐに出発。圏央道に入った。快調に走っていると、またもや渋滞表示。それも、青梅辺りのトンネルで故障車らしい。通過に一時間!おいおい、ウソだろう?

きっちり一時間、渋滞にはまった。途中、何度もトンネル内で、止まったり走ったりした。いやな感じだった。避難口を横目で眺めながら、以前テレビで見たのであろう、トンネル火災の大惨事の映像が、脳裏をよぎったりした。むろん、大丈夫だろうとは思っていたが。

 いい加減飽きて疲れた頃、左に車線変更してくる車が急に多くなった。あれ~と思いながら、横からの車に注意しながら運転していると、目の前に、トンネルの出口がみえた。明るくなっている。と、右手に、大きなというか、巨大なトラックが止まっている。まさに、トンネルの出口を、半分ふさいでいるかのようだ。横を通り過ぎる際、高い運転席がちらっと見えた。若そうな男が、ふてくされたような、開きなおたような感じで座っている。そのシルエットがちらっと見えた。

 ふざけた野郎だ!何百台何千台の車に迷惑をかけているのに、高いところで、エアコンをかけてのうのうと座っている。ま、そういうふうに見えたわけだ。一体全体、この渋滞の責任を、どう取るというのだ。むろん、渋滞の責任など、トラックの運ちゃんに取れるはずもないし、そんな責任も追及されないだろう。たまたま、運悪く、車が故障したのだ。ま、自分の車だって、高速道路上で故障しないという保証はどこにもないのだ。

 スピードがあっという間に100キロ。それとともに、渋滞のことは忘れてしまった。時間は、十一時半ころだったろうか?今青梅だから、小一時間で自宅に着く。着いたら、持ち物・荷物をアトリエに入れ、ついでに洗濯もしてしまおう。前回の犬吠埼旅とちがって、二泊ということもあり、また、撮影方法を変えたので楽だった。ほとんど疲れていない。元気だ。むろん、眠くもない。ま、それにしても、最後まで気を抜かず、無事に帰ろう。座りなおして、ハンドルを両手で、八の字に持った。目の前には、梅雨明けした、夏空が広がっていた。

 エピローグ

自宅には十二時過ぎに着いた。三浦半島に比べれば、ずっと内陸だから、暑さの質が違っていた。蒸し暑さが不快だった。とはいえ、すぐに、荷物・装備を車から室内へ移動して、整理、後片付けをした。より分けた洗濯物などを抱えて、二階に上がり、ドアを開けた時、一応、<帰ってきたよ>と声に出した。むろん、ニャンコに呼び掛けたつもりだった。だが、前回のような切なさは感じなかった。姿は見えないが、部屋の空気の中に魂が溶け込んでいる。そう思いたかった。

 エアコンを全開にした。パンツ一丁になり、洗濯機を回した。冷蔵庫の冷えたノンアルビールを、グラス注いで飲んだ。深いため息をついた。ほぼ全て予定通り、無事に帰宅したのだ。

 三日目の出費。高速\3660、飲食\130。

 今回の三浦半島旅の収支。

高速¥7600

ガソリン・総距離324k÷燃費16.3k=20リットル×¥130=¥2600

宿泊¥13150

その他食事等¥5200

 二泊三日で、総合計¥29000。妥当な金額だと思った。

 翌日からだと思う、いや、帰ってきた当日、あと片付けを終えて、ひと寝入りした後だったろうか?とにかく、画像の整理を始めた。

今回は、600枚ほど撮った。どれもみな、一発勝負の写真だから、良否を判定するのが、比較的楽だった。つまり、使えそうな写真で、なおかつ、各灯台、各ショットの中から、ベストショットを見つければよい。念のため、次点も選択した。

 前回苦労した、画像の補正作業は、枚数が少ないうえに、灯台の垂直水平に関する補正も、前回の多少の経験が役に立ち、何回もやり直すことはなかった。帰宅後三日ほどで、画像に関する作業は終了してしまった。

 心づもりとしては、二週間後には、また次の旅に出たいと思っていた。だが、お盆が間に入っている。混んでるし、まだ暑いし、無理でしょう。その間は控えようと思った。だから、次の旅は八月のお盆明けだ。したがって<日誌>を書く時間は、二週間ほどある。二泊三日の<旅日誌>だし、前回に比べれば、枚数も少なくなるはずだ。ま、ゆるゆる書き始めよう。

<梅雨明け十日>過ぎれは、暑さもひと段落するだろう、とさしたる根拠もなく考えていた。ところが、その十日が過ぎても、暑さはおさまらなかった。それどころか、八月の連休を過ぎたあたりから、さらに暑くなり、しかも、コロナの第二波がやってきた。お盆前後は、まさに暑さの天井で、終日、ほぼ24時間エアコンつけっぱなし!浜松では歴代一位タイの41.1度を記録した。

 ゆっくり構えすぎたのか、暑さのせいか<旅日誌>の方は、なかなか先に進まなくなった。よけいなことを書きすぎる、ということもあるが、それだけでもあるまい。つまり、やや、欲が出てきた。どういうことなのか、<旅日誌>の内実を、紀行文ないしはエッセーとして、もう少し自分の感じたことや考えたことを、正確に書いてみよう、ということだ。ふと、カフカの<城>を敷衍して、灯台巡りを、小説っぽくすることもできるかもしれない、などとも思った。

 ま、いずれにしても、文章の内実、質を上げようというわけだ。いや、文章を書くという行為が、今の自分には合っている。というのは、数時間、あっという間に過ぎてしまうし、退屈な思いをしなくて済む。たいして疲れもしないし、飽きもしないで、充足した時間が過ごせる。いまのところ、ライフワークの<ベケットの朗読>より、面白い。だから<朗読>は休止しているのだが。

 もっとも、<灯台巡り>とか<旅>とか、そういったキーワード≒主題があるから、モノを書く気にもなるのだろう。ただ漫然とパソコンの前に向かって、何か書こうという気にはなれないのだ。それに、<モロイ朗読>で文章の書き方を<ベケット安藤元雄>から学んだことが大きい。いや、低次元でマネしているだけだが、それでも、イメージを言葉で掬い上げていくことや、事物や事柄を正確に記述することなど、それ自体が面白い。

 話がそれた、戻そう。<三浦半島旅日誌>は、時間的に余裕があったので<旅日誌>という主題から、しばしば脱線した。気の向くまま、ある事ないことを書き込んだ。同じ暇つぶしでも、写真を撮りに行ったり、チャリで入間川の土手を走ったり、といった野外活動は、この炎天下、全然やる気にはなれない。さりとて<モロイ朗読>に戻る気もしなかった。あと三話で終了だというのに、最大限の集中を求められる<朗読>は気が重かった。

 目の前のカレンダーを眺めながら、<旅日誌>は盆明け翌週の前半までに書き上げればいい、と思った。それからは、週二日のジム通い以外は、エアコンのきいた自室で、毎日、三、四時間ほどパソコンに向かった。書くのに飽きたら昼寝。夕方からは<プライムビデオ>で、比較的新しい外国映画の話題作を見て楽しんだ。ほとんど、人とは話さなかった。話す必要もなかったし、話したいとも思わなかった。

 もっとも、一日おきに<花写真>や<旅日誌>などをSNSにアップしていた。<イイネ>に対しての<お返しイイネ>が、人恋しさを和らげ、人類と関わっているような気にさせてくれる。それはそれでいいだろう。さほど、煩わしくはないのだから。いやそれどころか、未知なる人の言葉や画像を見ることが、こちらにとっては、よい意味での気分転換になっている、のだから。

追加 左親指の顛末。

 爪の怪我は、旅の初日こそ、少し気になったものの、二日目には、押しても、それほど痛くなかったような気がする。よかった、と思った覚えがある。ちなみに、今現在、親指の爪は、<月>の部分が真っ黒になっている。その黒が、爪の先の方へと、少しずつ拡大している。強く押しても全く痛くないが、見た目には、どことなく痛々しい感じである。

 <灯台紀行・旅日誌>三浦半島編、終了。