<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020版

<灯台紀行・旅日誌>2020 南伊豆編

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灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編 #1~#12

目次

#1 出発                                                     1P-6P

#2 爪木埼灯台神子元灯台、午前の撮影。            6P-11P

#3 石廊埼灯台撮影              11P-16P

#4 移動~爪木埼灯台撮影1                   17P-21P                         

#5 爪木埼灯台撮影2            21P-25P

#6 海辺のホテル             25P-32P 

#7 下田観光1               32P-37P

#8 下田観光2               37P-42P

#9 下田観光3 黒船遊覧船           43P-47P

#10 下田観光4 まどが海遊公園        48P-53P

#11 ホテル宿泊                                   53P-58P

#12 帰路                      58P-62P

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#1出発

 

2020/10/10(土)

おとといの木曜日、お昼過ぎに南伊豆から帰って来た。今回の旅も天候に悩まされ、前々日まで予定が立たなかった。九月の後半から十月の前半にかけては、晴れマークが、二日、ないしは三日以上続くことがほとんどなかった。毎日カレンダーを見てはため息をついていた。そのうち、いささか焦れてきて、となれば、ここは<ヒットアンドウェイ>で行くしかない、と思い始めた。

 

二日以上の晴れマーク、という撮影日程の原則を曲げて、今一度カレンダーを眺めた。と、六日の火曜日だけは広範囲に晴れマークがついている。火曜日はおそらく大丈夫だ。それに、午前中ではあるが、翌七日にも晴れマーク。要するに、一日半の晴れマークだ。ちょっと考えた。

 

今回行くのは、静岡県伊豆半島南端の爪木埼灯台と、ややロケーションは悪いが、有名な石廊埼灯台の二つだけ。この二つの灯台は、比較的距離がちかい、三十分ほどで行ける。しかも、石廊埼灯台の撮影ポイントは、ほぼ二か所だけで、歩き回る必要もない。となれば、当日フル稼働すれば、両方撮れるだろう。宿も、爪木埼灯台に近いわけだしね。

 

幸い、爪木埼灯台へ行くならここだろう、と以前から決めていたホテルの・前日予約が取れた。しかも、<Goto>割りが適用、そのうえ、何やら<地域クーポン券¥2000>も当日宿でもらえるそうな!気持ちが固まった。出発前日の昼過ぎから旅の準備を始めた。二、三時間で終了。もう慣れたもんだ。その後は、時間つぶし方々、道順や灯台周辺のマップシュミレーション、画像検索などをして、夜の九時過ぎには消燈。翌朝は、三時起きするつもりだった。ま、いつものように、眠りは浅かった。正味二、三時間しか寝てないかもしれない。

 一日目。

午前三時に起きた。目覚まし時計が鳴る前で、スイッチを解除した。覚えている限りでは、午前一時過ぎに壁の時計を見ている。となれば、まともに寝たのは二時間か。ま、それにしては眠くなかったし、気分も悪くなかった。ざっと整頓、洗面、朝食はお茶漬けに牛乳。排便はほとんど無し。二階置きの枕、目覚まし時計、携帯の充電器、それに、保冷剤入りのペットボトルとか、その他いろいろ、トートバックの中に放り込んだ。忘れ物はない。完璧だ。

 

出る前に、ニャンコに向かって、<行ってくるよ>と声をかけた。玄関ドアを開けると、まだ真っ暗だった。夜明け前の静けさが漂っている。車に乗って、ナビをセットした。行先は、伊豆半島爪木埼灯台。最寄りの圏央道のインターまでは、10分くらいしかかからなかった。なにせ、車がほとんど通っていない。

 

真っ暗な中、圏央道を厚木方向へ向かって走った。青梅からの断続的なトンネル走行は、地上走行より楽だった。これは、初めての経験だった。地上走行は、対向車のライトがかなり眩しいのだ。そういえば、眼病が増悪していた時には、夜間走行ができなかった。ライトが眩しすぎて、前方がほとんど見えない。あれ以来、ずっと夜走ることを半ば無意識のうちに避けてきた。知らず知らずのうちに、行動時間や範囲が狭まっていたわけだ。とはいえ、発症してから、今年で二十年になる。これ以上、悪くなることもあるまい、という楽観論が優勢だし、事実、さほど眩しくない。恐怖を克服したのだと思った。

 

八王子を抜け、相模原に差しかかると、辺りが仄かに明るくなりだした。灰色がかった青い雲が左右にたなびいている。静かで美しい夜明け。午前五時前後、いつもならベッドで寝ている時間だ。おそらく、年に数回しか見られない光景だろう。旅が始まることを実感した。

 

東名に入る前に、圏央道厚木パーキングで、トイレ休憩した。出発してから、小一時間たっていた。朝のコーヒーも飲みたかった。何にしようかな、とめずらしく自販機の前で迷っていた。そのうちめんどくさくなって、あろうことか、ボトル缶の<冷たい>方のボタンを押してしまった。肌寒い。<あたたかい>方が飲みたかったのに!ま、しょうがない。その場で蓋をひねって、一口飲んだ。さほど冷たくなかった。うまくもなかったが、少しほっとした。

 

片側三車線の東名では、真ん中の車線を、90キロくらいで走った。遅すぎず、速すぎず、自分のペースで走れるので楽だ。と、<東名>と<新東名>の看板が出てきた。ナビは無言。どっちだって同じだろうと思って、<東名>の方へハンドルを切った。まあ~、これは間違いだった。帰路で初めてわかることなのだが、そのことは、あとで書こう。

 

沼津で東名を下りた。というかナビの指示に従った。車のインパネを見たのだと思う。ここまで約150キロ、二時間。予定通りだ。料金所のETCラインを通り抜け、一般道に出た。その時、目の端に、ちらっと<伊豆縦貫道>の文字が見えた。一瞬あれと思った。というのも、下調べでは、東名沼津から伊豆縦貫道に入ることになっていた。でももう遅い、このまま国道を行くしかない。朝っぱらで一般道が空いているから、ナビが料金のかからない道を指示したのかもしれない。いや、この考えも間違いだったことが、あとになってわかった。

 

ともかく、沼津の市街地を走った。けっこう広い道で、走りやすい。それに、早朝だ。車も少ない。街並みも立派で、かなり大きな町だった。いい加減走ったところで、道が狭くなってきた。右手に、高架が見える。高速道路のようだ。あれが<伊豆縦貫道>かな、とちらっと思った。

 

そのうち道がさらに狭くなり、上り坂になった。山の中へ向かっている。道路標識に<天城>の文字が何回も出てくる。なるほど、これから<天城越え>なんだ。<石川さゆり>の<天城越え>の一節を、思わず口ずさんでしまった。ま、歌謡曲の中では好きな曲だ。<石川さゆり>も女性演歌歌手の中では一番好きだ。そのあとは、少し気分が上向いて、いろいろなことが頭に浮かんできた。なかでも、田中裕子主演の<天城越え>という映画のワンシーンが、まざまざと想起された。後ろ手に縛られ、裸馬に乗せられて、連行されていく。あれは、少年の罪をかぶったからなのだろうか?思えば、よくわからないストーリーだった。

 

・・・いま調べました。まったくの勘違い。主人公<ハナ>は、情夫である<土工>を殺した罪で捕まったようだ。少年は、川端康成の<伊豆の踊り子>を意識したうえでの人物設定らしい。これで、<石川さゆり>の<天城越え>の歌詞が理解できるというわけだ。女の業というか情念というか、そういったよくわからないことが主題になっている。ま、まじめに考えると、これは女性蔑視だろう。いまの時代では、到底受け入れられない歌詞だ。とはいえ、<石川さゆり>の熱唱には、女性の美しさを感じる。魅力的であることに間違いはない。

 

峠の中ほどに<浄蓮の滝>があった。土産物屋などが並んでいて、駐車スペースも大きい。ちょっと寄ってみようかな。気持ちが揺れた。いやいや、観光に来ているじゃない。灯台の写真を撮りに来ているんだ。一刻でも早く、目的の爪木埼灯台に着きたかった。何しろ、明かりの具合が、どうなっているのか皆目見当もつかない。寄り道をしている暇はない。

 

やっと下りになった。登り始めて、ここまで小一時間かかっている。しかも、下りの方が、運転に神経を使う。カーブの度に、減速・加速の繰り返しだ。登りよりもさらに長い時間かかっているような気がする。と、何やら、変なものが見えてきた。<ループ>橋だ。ぐるぐるぐるぐる、目が回る。しかも下りだから、余計神経を使う。高低差が45メートルもあるそうな。これで山場は越えたと思ったが、その後も下りが続いた。沼津から爪木崎までは75キロもある。一般道、しかも山越えの道だから、どう考えたって、二時間半はかかるだろう。出発から、すでに四時間たっていた。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#2

爪木埼灯台神子元灯台、午前の撮影。

 

視界のない山間(やまあい)から、少し開けたところに出てきた。といってもまだ山中で下り坂だ。いい加減疲れた。一息入れよう。車を止められそうなところを目で探しながら坂道を下った。と、道路沿いに、ちょっとした駐車場がある。ハンドルを切った。車の外に出て、深呼吸。ついでにスマホを見た。いい知らせが入っていた。もっとも、これは数日後に<ぬかよろこび>だったことがわかり、かなりがっかりした。ま、いい。長い<天城越え>で気分が低調になっていたが、このメールで俄然元気になった。

 

山道を下りきった。目指す爪木埼灯台は、もうすぐだ。左手に海が見える。ナビの画面をズームして覗きこんだ。海沿いの道から左折。マップシュミレーションした、見たことのある光景が目の前に広がった。駐車場はガラガラ。入り口に料金所があり、横づけすると、黒ぶちメガネの短髪、髭の濃い・浅黒い男性が上半身を出してきた。¥500払った。<今日は風が強いですね、お気をつけて>と、愛想のよい土産物屋の主人のような声だった。ちょっと意外だった。

 

かなり広い駐車場で、岬というか・山というか、その先端を整地している。崩れかけた売店が二、三あり、すたれた観光地の駐車場といった感じだ。外に出た。だあっと前が開けている。眼下には浜辺があり、整備された公園があり、右手からは岬がせり出している。お目当ての爪木埼灯台が小さく見える。ただし、残念かな、モロ逆光だ。なるほど、海から日が昇るのね。

 

だがまあ、ここまで来たんだ、行くしかない。駐車場を後にして、灯台へ向かった。坂を下りると、大きな案内板がある。なぜかその横に赤いポストもある。木製のアーチには<爪木崎>と大きく書かれていた。アーチをくぐると、海浜公園よろしく、そこかしこが花壇になっている。といっても、今の時期、花は咲いていない。ちなみに、冬には水仙が咲くらしい。

 

目についたのは、おそらく<アロエ>だろう、肉厚の細長い葉っぱの縁に・ぶつぶつがついている。<アロエ>の花?すぐには思い出せなかった。赤い細長い花が・閉じた傘のように密集している。そう、好きな花の一つだった。できれば、咲いているのを見たかったなと思った。ついでに言うと、水仙はノーサンキュー。何度挑戦しても、気に入った写真が撮れない。今ではすっかり諦めている。

 

花壇の中を行くと、道が二つに分かれる。岬へ登る道と・浜辺へ出る道だ。ちょっと迷ったが、浜辺方向へ歩いた。砂浜沿いに花壇がまだ続いているのだ。むろん、花は咲いていない。が、目の前が海、広々していて気持ちがいい。

 

ところで、爪木埼灯台の、撮影ポイントは、ネット検索したところでは、ほぼ二か所しかない。ひとつは、灯台正面?というか、扉のある方だから、正確には、背面と言うべきか?ともかく、灯台に続くコンクリの道があり、その周辺だ。もう一つは、東屋のある付近で、岬の上に立つ灯台を俯瞰する場所だ。東屋は、たしか二つあり、周りはちょっとした広場になっているはずだ。

 

浜辺の花壇が尽きたところに階段があり、岬の上に登れる。さして長い階段ではなく、息切れすることもない。登り切ったところに幅一メートルくらいのコンクリの道がある。表面がほとんど剥がれていて、その赤っぽい痕跡が、なんだか汚らしい。両脇に背の高い植え込みがあり、その間に灯台が見えた。逆光になっているので、真っ白というわけでもない。

 

この辺りから、いつものやり方で、本格的に、撮り歩きを始める。二、三歩行っては、必ずファイダーを覗き、シャッターを押す。すぐにモニターして、次に進む。植え込みの切れたところが、一つ目のベストポイントだろう。大型のススキが海風になびいていて、左右が開けている。ただし、通路上にいる限り、このコンクリ通路が映り込んでしまう。どうも気にいらない。脇によけるしかない。ちょうどススキの手前に、おあつらえ向きの場所があった。

 

なかば腐りかけた・枯草の堆積の中に踏みこんだ。大型のススキを左側に入れて、かなりしつこく撮った。要するに、この辺りがベストポジションなのだ。とはいえ、逆光。空の色が飛んでいる。写真にはならない。でもまあ、今この瞬間、自分が灯台と対面しているという雰囲気は出ている。写真の良しあしは、さほど気にならなかった。

 

コンクリ通路に戻り、撮り歩きしながら、さらに灯台に近づいた。根元まで行き、灯台に沿って、まさに<灯台の正面>に出た。目の前には、海が広がっていた。ただし、しつこいようだが、逆光なので、海の青さは感じられず、眩しすぎて、長くは見ていられない。すぐに引き返した。今度は、戻りながら、二、三歩行っては立ち止り、ふり返ってシャッターを押した。いわば、撮り歩きの復路だ。

 

ちょうど、灯台の頭に、太陽が来ている。これは都合がいい。つまり、太陽を灯台の頭で隠すことができる。多少減光することができるので、同じ逆光でも、またちょっとニュアンスが違う。ま、それでも、空の色は飛んでしまっている。写真的には無理だろう。だが、逆光の中で見る灯台、このタッチは好きなのだ。

 

背の高い植え込みまで、戻ってきた。写真はこれまで。すたすたとそのままコンクリ通路を歩いて、東屋に着いた。横に、ステンパイプの大きなハートがある。正面にまわって、ハート形に区切られた空間の中を、ちょっと腰をかがめて覗く。なるほど、背景に灯台がきちんとおさまっている。記念撮影のスポット、であるわけだ。一応、ハート形とその向こうに見える灯台をスナップした。灯台若い人たちにアピールするための、あれやこれやの方策の一つで、おじさんには関係のないことだが、別に悪い感じはしなかった。

 

奥にある、もう一つの東屋へ行った。岬の上の灯台を撮るなら、どちらかといえば、ここからのほうが、写真的にはいい。おそらく、ここが二つ目の撮影ポイントだろう。ただし、手前の柵が邪魔で、何となく気に入らない。それよりも南西方向の海の中にある、神子元島=みこもとじま灯台が気になった。まさか見えるとは思っていなかったので、少し気持ちがざわついた。

 

下田湾からは、約10キロ先の海上にある、この白黒の灯台にはチャーター船を仕立てて上陸するほかない。いまの自分にとっては、近づくことのできない灯台の一つだ。ささっと三脚を組み立て、望遠カメラをセットした。最大400㎜の望遠でも、全然とどかない。豆粒のようだ。最低でも1000㎜は必要だろう。そんなレンズは100万円以上する。慎重に構図を決め、レンズ側のVRをオンにして、手で三脚を押さえつけ、指でゆっくりシャッターボタンを押した。要するに、海風が強くて、三脚が揺れる。ミラーアップのリモート撮影だと、逆にぶれるのだ。

 

海は少し荒れていた。ところどころに白波が見える。白黒の灯台は、茶色い岩礁の上で凛として動かない。一瞬、自分がプロのカメラマンなら、100万以上するレンズを買うかもしれないと思った。撮った写真がカネにつながるわけだからな。でも今は、この豆粒大の灯台で十分だ。けっして、近づくことができないということに、満足していた。灯台だけじゃない、手の届かぬものは山とある。だが、手にした瞬間、指の間からこぼれ落ちてしまうことだってあり得るのだ。ならば、じたばたしないで、静かに見ているほうが、悲しいことではあるが、幸せなのではないか。強風で青い海の表面が逆立っていた。写真がぶれないように、三脚とカメラをぐっと押さえつけ、またシャッターを切った。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#3 石廊埼灯台撮影

 

次の撮影場所、石廊埼灯台には<10:45>前には到着していたことになる。というのも、駐車場の端から撮った、一枚目の石廊埼灯台の写真に<10:45>と記録されているからだ。ちなみに、爪木埼灯台の、午前中最後の写真には<9:56>とあった。

 

爪木崎から、どこをどう走って、石廊崎まで来たのかは、よく覚えていない。ナビに従って走っていたわけだけれども、何か考え事でもしていたのだろうか。それすら思い出せない。記憶にあるのは、道路左側に見えた<石廊崎灯台入り口>と書かれた案内板だ。ナビは無言だった。道を間違えたのか?そう思ったが、ナビに従った。そのうち何やら、工事中っぽい道へと大きく左折されられた。そこにも大きな看板があった。

 

今調べると<石廊崎オーシャンパーク>と書かれていたようだ。石廊埼灯台、という名称がないことに、一瞬首をかしげた。だが、すぐに、マップシュミレーションした光景が目の前に広がってきた。左手の、背の高い植え込みの向こうには、おそらく無料の駐車場がある筈だ。案内板もあった。と、視界が開けて、大きな駐車場が見えた。ガラガラといった感じではない。そこそこ車が止まっている。

 

スピードを落として入っていくと、料金所が見えた。前に一台車がいて、係のおばさんが窓越しに何か話している。運転手が、なかなか金を出さない。バックウィンドー越しに、後部座席の人間が、何やら、財布などを取り出している様子が見える。灰色のくたびれた乗用車で、たしか剥げかけた紅葉マークがついていた。<私が払う、いやいや自分が払う>とかなんとか、小銭を払うのに大騒ぎしているんだ。そのうち、その車は駐車場には入らないで、脇に寄った。すかさず、係のおばさんが自分のところに来た。駐車料金¥500を払って、先に進んだ。

 

適当なところに車を止め、外へ出た。陽が出てきて暑かった。何と言うか、残暑だな。カメラバックを背負い、歩き出そうとしたとき、大型バスが駐車場に入ってきた。要するに、ここは観光地になっているわけだ。そうそう、さっき、係のおばさんが言っていた。灯台へ行くには、そばにある、きれいなレストランのような建物を通り抜けていくようなのだ。目端の利く開発業者のやりそうなことだ。石廊崎周辺を灯台もひっくるめて観光地化したのだ。

 

ま、あとで気づいたことではあるが、来るとき道路で見た案内板<石廊崎灯台入り口>というのが元々のルートで、これは、急な坂道を15分ほど登らなければならないようだ。そんなんじゃ、今日日、観光客なんか来ないだろう。というわけで、灯台までの平場な道を造成し、ついでに、広い駐車場やフードコートも併設して、儲けちゃおう、いうわけだ。少し荒れ果てた所に、寂しく佇む灯台が好き!という者にとっては、ややありがたくないことだ。だが、急な坂道を登らなくて済む、という恩恵は受けたいわけで、なんとも複雑な心境である。

 

しゃれた、今流行りの広いフードコートのようなところを通り抜けて、灯台へ向かった。なんだか大きな石の鳥居があり、そばに神社があった。興味を示さず、直進。すぐに、灯台が見えてきた。といっても、全景じゃない。そうそう、石廊埼灯台は、灯台50選に選ばれている。だが、ロケーションがよくない。ネットでも、同じような書き込みがあった。まあ、撮影ポイントは、おそらく二か所しかない。そのうちの一か所は、立ち入り禁止の場所だ。むろん、周りに誰もいなければ、<立禁>なんか関係ない。自己責任で行けるところまで行くつもりだ。

 

もう一か所は、今自分が立っている通路上で、灯台と海が同時に見える場所だ。ただ、左側の土留めコンクリが邪魔。それに通路が坂になっていて、人間がたくさん行き来しているのが見える。つまり、実際に来てみると撮影ポイントというほどの場所ではなかった。となれば、左の土留めコンクリの上、すなわち<立ち入り禁止>の場所しかない。そこには、小さめな鉄塔と、白い灯台のようなものが立っている。

 

今調べました。<石廊崎指向灯>という名前で、灯台の機能を備えていました。つまり、東京方面から下田湾に入ってくる船舶に、三種類の光源を向けて、航行の安全に寄与しているのだ。すなわち、真ん中の白い光は航路、赤い光は右舷危険側、緑の光は左舷危険側を表示している。なるほど、赤と緑は、防波堤灯台と同じだ。あの時は、ちょっと<モアイ>に似ているなと思った。失礼しました。

 

それはともかく、その<指向灯>のある高台が、石廊埼灯台を正面?から見下ろせるベストポジションなのだ。誰もいなければ、柵を乗り越えて登って行くこともできるだろう。だが、この混雑だ。そうもいくまい。と、中国人っぽい若い男が、通路左側、土留め塀の上、なにかのコンクリの残骸のようなところに登っている。立ち入り禁止のロープをくぐって、行けるところまで行って、灯台スマホ向けている。それも結構長い間。ちょっと迷ったが、若い男の後に続いた。だが、さほど良いポジションではなかった。何しろ、画面の真ん中にブロック塀が映り込んできて、邪魔なんだ。

 

残骸から下りて、灯台の敷地に入った。ここも、実によろしくない。引きがないうえに、左側の縁が、灯台と自分との線上にある。しかも低木が密集した岩で盛り上がっているので、左側の視界が遮られている。地面は灰色のコンクリで覆われていて、そこに人間が出たり入ったりしている。まあ~写真にはならない。

 

だが頑張って、何とかその中での最高のポジションを見つけた。すなわち、左側の縁が尽きる所に、肩の高さほどのコンクリの残骸がある。その上に登れないまでも、三十センチほどの高さに少し窪みがあるので、そこに踵(かかと)をかけ、壁に背中を押し付けるようにして、へばりついたのである。これで、多少目線は高くなる。中途半端な、不安定な姿勢ではあるが、ま、そこで粘った。

 

その間、これでもかこれでもかと、観光客が押しかけて来る。灯台周りには必ず人影が動いているし、左手の縁にも、すぐに人がたまってしまう。伸びあがってみると、眼下にすばらしい景色が広がっているのだ。スマホで写したり、しばらく眺めていたりで、カメラを構えたおじさんのことなど、まったく関係ない。ま、しようがない。かなりその場で粘っていたが、いっこうに人間がいなくならないので、思い切って移動することにした。灯台の写真を撮りに行くんじゃない。この先に<石廊崎>という断崖絶壁があり、神社などもある。太平洋を一望できる絶景で、灯台より、むしろ、そっちの方が、観光客のお目当てだ。

 

観光気分になって、灯台脇の細い道を、観光客の後について歩いて行った。といっても、例のソウシャルデスタンスは取っている。だが、岬の先端に近づくにつれ、ものすごい強風。しかも、通路は狭い階段となり、急角度で曲がっている。そこに、身動きできず立ち往生している年配の男女がいる。こっちは完全装備で軽登山靴を履いている。なんなく、彼らの横をすりぬけ、階段を下りた。

 

と、そこは、神社の一角で、お守りなどがずらっと並べられている。おみくじなどもある。よくある神社の物品販売所だ。ふと思って、並べられたお守りを一つ一つ吟味した。いちばん高い、といっても¥1000だが、<塩守>をお土産に買った。

 

<塩守>?初めて見る文字だったので、販売所の奥に仏頂面して、突っ立ってる神主に、ちょっと訊ねた。<塩守>ってどういうものなんですか?神主は、めんどくさそうに、お守りの一般的効用をぶつぶつ言っている。だから、<塩守>の特徴的な効用を聞いているんだ、と大きな声で問いただしたい衝動に駆られた。あの神主は、バイトだろう。<天ぷら学生>ならぬ<天ぷら神主>に違いない。

 

ちなみに、この<塩守>は勾玉(まがたま)の形をしていて、その中に本物の塩が入っている。塩は身を清めるという意味があるらしい。ま、そんなことはどうでもいい。まずもって、神仏の御利益など信じていないこの自分が、お守りを買った理由はほかにある。そのうち、誰かにあげるため、とだけ言っておこう。ただし、その希望も、帰宅後幾日もたたないうちに潰えた。したがって、この<塩守>は、お蔵入りになった。自分が死んだ後には、ほかの遺品ともども、黒いゴミ袋の中へ放り込まれてしまうだろう。いやその前に、なぜ<塩守>を買ったのか、思い出せなくなってしまうだろう。それでいいのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#4

移動~爪木埼灯台撮影1

 

神社の物品販売所のすぐ横が通路になっている。五、六歩行くと賽銭箱がある。奥は神殿だ。色の褪めた太い紐が二本垂れさがっていて、視線を上に向けると、変色した大きな鈴が見える。財布を出し、中にあった一円玉と五円玉を投げ入れた。紐をひっぱって鈴を鳴らそうとしたが、うまくいかず、間抜けな音しかしなかった。

 

ところで、この神社のロケーションについて一言だけ記述しておこう。何と言うか、絶壁の途中の、大きな窪みの中に建っている。いわば、巨大な岩の中に象嵌されている。見た目、なんでわざわざ、と思ったが、深くは考えなかった。というのも、絶壁とか岩の窪みとかにある神社は、これまで何回か写真で見ているし、実際に見たこともある。もっとも場所や名前は正確に思い出せないが。とにかく、信心の薄い者にとっては、野次馬的興味があるだけで、由来や謂れを頭に刻み付けておこうとまでは思わないのだ。今回もそうだ。むろん記念写真は撮った。撮るには撮ったが、やはり感動の薄い事物に対しては、案の定、写真もおざなりだった。

 

神社を後にして、まさに<観音崎>の先端の岩場に来た。断崖絶壁で強風。まあ、ゆっくり太平洋を眺めるというわけには行かなかった。それに、観光客が次から次に来るので落ち着かない。岩場を一周する通路も狭くて、立ち止まっていると邪魔。まじめに写真を撮る気にはなれない。気のないシャッターを数回切って、急き立てられるように岩場を後にした。

 

また、灯台の敷地に戻ってきた。ベストポジションは、コンクリの残骸に背中をべったり付けて立つ、中途半端な所だ。幸い、人波みは去って、敷地内の人影はまばらになった。そうか、さっきの混雑は、あの大型バスの観光客だったんだ、と思った。無駄なシャッターを切りながら、人影が完全に消える瞬間を待った。その時が訪れた。気合が入って集中して、連続的に何枚も撮った。写真的にはイマイチな構図ではあるが、この瞬間にベストを尽くしたことに満足した。

 

大きな石の鳥居をくぐった。正面にフードコートの建物が見えた。テラス越しに行けば、中を通らなくてもいいことに気づいた。でも、半自動ドアのタッチスイッチ?を手の甲でチョンと押して中に入った。ソフトクリームでも食べたい気分だったのだ。カウンターの横を通りながら、メニューなどをちらっと見た。だが、シンプルなソフトクリームはなく、何かごてごてと飾り付けたスイーツまがいのものばかりだった。食べるのをやめて、出入口付近の案内コーナーに立ち寄った。ざっと見まわした。見るべきものもないので、置いてあるパンフレットなどをちらっと見て、車に戻った。

 

駐車場を出た。突き当りを大きく右折した。その後、どこをどう走ったのか、ほとんど記憶にない。記憶が戻るのは、ナビの指示で、国道の信号を左折して、<爪木崎>に入ったあたりからだ。坂を登った。途中に介護施設があったような気がする。視界が開けて、目の前に駐車場の料金所が見えた。助手席に置いてあった、先ほどもらった<駐車場整理券>なる紙切れを手に取った。

 

料金所に横づけすると、例の土産物屋の主人が、いや、顔の濃い係の男性の上半身が見えた。手にした紙きれを、彼に見える位置でひらひらさせながら、こう言った。<朝来たんだけど、また払わなくちゃまずいかな?><いいですよ>と土産物屋の主人は言った。が、その声音には、しょうがない、といったニュアンスも含まれていた。朝の時と比べて、声がちょっとうわずっていたからな。

 

駐車場には、ほとんど車がなかった。ただ、端の方に、青みがかった軽のバンが止まっていた。朝来た時にもあったから、<土産物屋の主人>のものだろう。車から出て、カメラバックを背負った。暗緑色の岬の上に、白い爪木埼灯台が、ちょこんと飛び出ている。お、陽が当たっている!灯台の胴体、縦半分くらいが真っ白だ。時間は、<13:07>、と午後一発目の爪木埼灯台の写真に記録されていた。ちなみに、午前中最後の石廊埼灯台の写真は<12:12>だった。ま、どうでもいいか。

 

灯台へ向かった。通路沿い群生している、大柄な<アロエ>さんたちに、ちょっと目配せしながら、今回は、浜へは行かないで、岬へと、いきなり登る道を選んだ。多少急だ。だが、週三回ジムへ行っている。この程度では息も切れない。これは年寄り発言で、自分が爺だと認めたようなものだ。

 

撮るべき撮影ポイントは、ほぼ把握していた。灯台正面のススキの横、それに、東屋付近の柵の辺だろう。この二か所を、そうだな、距離にして100メートルくらいかな、三、四十分おきに、行ったり来たりしながら、午後の撮影を楽しんだ。何しろ、狙い通り、右横から、灯台に陽が当たっている。見た目で言えば、胴体の右半分が真っ白で、左半分が少し暗くなっている。

 

と、今思えば、この午後の時間に、灯台の胴体に陽が当たっていることには、何の疑問も持たなかった。というのも、午後はトップライトになるわけで、おそらく見た目では、灯台のてっぺん辺りにだけしか陽が当たらず、胴体は暗いのだ。<犬吠埼灯台>しかり、<観音埼灯台>しかり、<鼠ヶ関灯台>しかりだ。だから、午後は休憩して、三時ころまで待って、太陽が傾き始めてから、また撮りだしていたのだ。

 

その貴重な経験が、いい意味で反故になっている。要するに、自然的条件により、灯台にあたる陽の具合は、日々刻々と変化しているのである。つまり、太陽の位置だ。夏場は高く、冬場は低い。また、日の出、日の入りの時間も影響している。さらには、人為的条件、すなわち、灯台の立地場所、撮影場所も、大きな要因になるだろう。だから一概に、午後はダメ、とは言えないのだ。

 

極端な話、同じ時刻であっても、365日、灯台にあたる陽の具合は違うのだ。灯台一つ一つに、撮影のベストポジションがあるように、明かりのベスト時間?もあるわけで、こう考えると、一つの灯台に、一年間張り付いていないと、文字通りのベストな写真は撮れないわけだ。いや、太陽の光には、地球温暖化とか、その他の気象条件も影響しているのだから、一年単位じゃない。十年、いや~百年単位で考えねばなるまい。なるほど、一つの灯台に、100年間張り付いて、写真を撮り続ければ、ベストな写真が撮れるかもしれない。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#5 爪木埼灯台撮影2

 

話しを戻そう。灯台前の通路と東屋の間を行ったり来たりしながら、灯台にあたる陽の具合を観察していた。陽が西に傾くにつれ、見た目、灯台は、全体的に白くなっていった。それでも、純白の灯台は、岬全体を俯瞰する風景の中で際立っていた。いわゆる、灯台写真というよりは、灯台の見える風景、といった感じだ。風景の中に溶け込んでいる灯台も、自分的にはそれなりに好きなのだ。

 

雲が出てきて、照ったり陰ったり、少し暗くなってきた。午後の灯台は、ほぼ見終わったな。と思ったら、とたんに気持ちが緩んだ。この場所にいるのが、すこし飽きてきた。ところが、時計を見のだろうか、四時過ぎだった。落日は五時半頃だろうな。宿が近いということもあって、そうだ、夕日に赤く染まる灯台を撮ろう、という野心?が出てしまった。

 

西の空を眺めた。まだら雲が一面にあって、太陽を遮っている。う~ん、きれいな夕日にはならないだろう。と思いつつ、粘っていた。と、何やら、あちこち、スマホでこまめに写真を撮っている若い女性がいる。目で追っていると、東屋だとか看板だとか、そういった設備的な所が主だ。紺のポロシャツだったか、その腕にオレンジの腕章があった。<下田市>。あ、市の職員ね。設備の確認だろうな。でも、かなりしつこく撮っている。時々スマホで誰かと話している。上司にでも報告しているのだろうか。生真面目な感じ、頭の良さが表情から読み取れる。だが、若いのに色香がない。能面のような面相は、内なる<女性>を抑圧しているからだろうか。いまの仕事がストレスになっているのかもしれない。

 

ところで、午後一番で来てから、もうかなり長い時間たつ。だが、灯台を訪れた人は、数えるほどしかいなかった。石廊埼灯台の、あの混雑と比べると、なにかウソのようだ。むろん、こっちの方が好きだ。印象に残っているのは、黒ずくめの若いカップルで、灯台の根本あたりでキスをしていた。あとは、中高年のくたびれたアマチュアカメラマンだな。一人は白髪交じりの猫背で、格子の長そでシャツを着ていた。安っぽいカメラで、かなり粘って撮っていた。SNSにでもあげるのだろう。もう一人は、剥げた爺さん。犬を連れた若い夫婦や、同じく太ったおばさんもいた。いま思うに、うんち袋を持っていなかったぞ。それにしても、今日日、観光地に犬を連れた人が多い。それも、ま、みな血統証付きのいいワンコだ。あの方たちの気持ちはなかなか理解できない。世の中には犬の嫌いな人だっているだろうに。

 

時計を見た。四時四十五分。依然として、西の空には雲がかかっている。粘りに粘ったが、辺りはうす暗くなり始めた。なんだか帰りたくなった。夕日に染まる灯台はあきらめよう。またの機会、と自分の気持ちをなだめながら、三脚をたたんだ。すたすたと、脇目もせずに、駐車場に戻った。

 

今日の撮影終わり。軽登山靴と靴下を脱いで、素足でサンダル履きになった。車を出入り口へと向けて、少し走りだした。左手の汚いトイレが目に入り、気が変わり、車を止めた。用を足しに、トイレに行った。古いが、わりときれいで、臭いも気にならなかった。そばに、大きな案内板があり、その剥げかけた絵地図をちらっと見た。横に赤い自販機があったので、なかば衝動的に缶コーラを買った。ボトル入りがなかったのだ。

 

車に戻った。と、一台のバイクが、料金所を覗き、係員がいないのを確かめてから、駐車場の先端の方へ行って、バイクを止めた。なんでこんな時間に来たんだ、と思って何気なく見ていた。黒い格好の、髪の少し長い若い男だったような気もする。スマホだったか、小さなカメラだったか、とにかく、岬の灯台に向けて撮っている。灯台をじっと見た。え!何と、ほんのり、オレンジ色に染まっている。西側を見た。夕日は岬の下に落ちて見えない。だが、そのあたりが茜色に染まっている。その柔らかい、優しい光が灯台に反射している。

 

一瞬、焦った。望遠カメラと三脚を持ち出して、駐車場の先端に急いだ。三脚を広げ、カメラをセットし、構図を決めた。だが、残念なことに、遠目過ぎる。後悔先に立たず、か!最後の三十分が我慢できなかったばかりに、この体たらくだ。一時から四時半過ぎまで粘ったのに、千載一遇の機会を逸したのだ。

 

装備を整え、灯台へ向かう気力は、もうなかった。ただ、あきらめきれず、その場で、無駄なシャッターを切りながら、かすかにオレンジに染まったり、うす暗くなったりする灯台を眺めるだけだった。その間にも、何人かの男たちが、バイクや車でやってきて、灯台へ向かって行った。あきらかに、この<ゴールデンタイム>に合わせて、つまり、夕日に染まる灯台を撮りに来たのだ。

 

その装備から見て、みなアマチュアで、インスタにでもあげるのだろう。だが、その彼らの方が、<ハイアマチュア>を自認している自分より、一枚上手だったわけだ。なにか、自尊心を傷つけられたようで、気分がよくなかった。と、脇を見ると、なぜかおまわりがいた。なんで、こんな時間に、こんなところにおまわりがいるんだ。一瞬、先ほどの<下田市>の女職員が、灯台に不審者がいる、と通報したのではない、と思ったりもした。だが、これは過剰反応だろう。デカいカメラで、写真を撮っているのが一目瞭然で、不審者に見えるはずはない。二、三メートル離れている、横のおまわりをちらっと見た。尋問してくる気配はない。当たり前だろう。この際、おまわりチャンなんか、シカとだよ。

 

西の空を、何回も振り向いた。岬の下に落ちた夕日が、今度は水平線に沈んでいったのだろう。かなり暗くなって来て、もの悲しい雰囲気が漂っている。灯台も心もとない感じだ。男たちが、岬から下りてきた。浜の公園の通路を歩いて、三々五々、こちらに向かってくる。まったく、そうまでして、夕日に染まる灯台が撮りたいのか。ほとんどカネにもならない、意味もないことに時間と金を費やしている連中だ。自分のことは棚に上げて、なかばあきれ、なかば感心しながら、三脚をたたんだ。

 

駐車場を出た。灯台の、どてっぱらがオレンジ色に染まるのを、ちょっとだけ夢想したのかもしれない。正直言って、撮り損ねたわけで、くやしかった。自分もまた、意味のないことに人生を費やしている。駄目だ、暗くなってくると、どうも頭の中も暗くなってきてしまう。

 

と、前方右側、道路端におまわりだ。肩の肉付き具合からして、駐車場にいたおまわりに間違いない。歩いている。なんでこんな所を?その瞬間、すべてを了解した。おまわりチャンは、すぐ近くの無料の駐車場にバイクを止めて、夕方の見回りに来たんだ。バイクで来なかったのは、あそこは一応有料駐車場だから、遠慮したんだろう。それ以上はもう考えたくなかった。やや猫背気味、坂を上っていく、中年のおまわりチャンをすれ違いざまにちらっと見た。こっちが車だからだろうか、意味不明の優越感を感じた。心の中で<ご苦労様>と言ったかもしれない。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#6 海沿いのホテル

 

岬を下りて、国道の信号に出た。左折して、坂を下ると下田湾東端に出る。少し行くと、道が広くなる。片側二車線、立派な中央分離帯がある。海岸沿いが整備されていて、公園になっている。宿は、右側の道路沿いにたっている。したがって、どこかでUターンしなければならない。だが、交通量が少ないので、中央分離帯の切れたところで、ある意味強引に回転した。

 

ホテルの前、道路沿いに何台か駐車できる。幸い空いている。切り返して、建物に対して垂直に車を止めた。そばにおじさんがいて、駐車場の案内をしているようだ。ホテルの従業員というよりは、小料理屋の大将、といった感じだ。車の中の荷物を整理して、いつものようにカメラバックを背負い、手にトートバックを持った。ちょっと会釈して、ホテルの中に入った。

 

透明なビニールで仕切られた、受付カウンターにいたのは、これまたホテルの受付というよりは、さびれた民宿の爺さん、といった感じの老人だった。手の甲で検温を受け、その後は、館内使用について、息を切らしながらの一生懸命な説明を聞いた。はいはいと受け流して、手渡されたコロナ関連の書面に署名した。最後にコロナ対策の<地域クーポン券¥2000>を受け取った。これは予期していたことが、ラッキーだった。ただし、どこの店で使えるかと尋ねると、爺さんの答えはあやふやだった。これが張ってあるところ、と指さす方を見ると、青っぽいステッカーに<地域共通クーポン 取扱店>とあった。

 

そういえば、署名するときに、身分証の提示は求められなかった。もっとも、楽天トラベルで<Gotoクーポン>をゲットして予約したのだから、身元はそこから割れるわけだ。あるいは、爺さんが忘れていたのかもしれない。

 

例の、プラ棒についている鍵を受け取り、エレベーターで四階まで行った。廊下は広く、余裕のある作りだ。だが、ひと昔、いや、ふた昔以上の前の、まさに、昭和のホテルで、古色蒼然としている。何よりも気になったのは、廊下に敷きつめられた絨毯だ。趣味の悪い赤い柄で、なんだか汚らしい。

 

廊下の先に五、六段の階段があり、それを下りた。これは明らかに、建物を継ぎ足したことによるものだ。事実、自分の泊まった部屋は<新館>らしい。部屋に入ってまず気がついたのは、がらんとした感じの十畳間に白い布団が一組敷いてあったことだ。床は畳でも板張りでも、フローリングでもなくて、何と言うか、表面がつるつるの、少し柔らかい、厚手のビニールとでも言っておこうか。今日日、お目にかからない代物だ。素足でぺたぺた歩くのが、やや憚れる。トートバックの中から靴下を取り出して、穿いた。もっとも、そのうちには、この床材にも慣れて、素足で歩き回っていたのだが。

 

むろん、値段相応で、不満はない。自分的には、古いよりも、汚いことが気になるのだ。まあ~、古くて汚いのは最悪だが、新しくて汚いよりは、古くてきれいな方がいい、とさえ思っている。幸い、この部屋は、古いが、汚くはない。それに、いわゆる<オーシャンビュー>で、道路越しに、下田湾が一望できる。前回の<南房総旅>で泊まったホテルも、海は見えたが、視界の三分の一だった。それに比べ、ここは、視界のほぼ100%が海景だ。

 

重いサッシ窓を開けてみた。たしかに、道路沿いだから、車の騒音がする。だが、視点を無限大にすると、湾の向こうに、水平線が見える。静かな、柔らかい海風が心地よい。ごきげんになった。ささっと荷物の整理をして、浴衣に着替えた。さて、温泉に行くか、と思ったが、その前に、食料を仕入れてくるのが先でしょ。そうだろう、温泉の後は、すぐに冷たいビールと夕食だ。

 

いま袖を通したばかりの浴衣を、敷いてある布団の上に、脱ぎ捨てた。ハンガー掛けしたジーンズやパーカを、鴨居からはずして、ささっと着替えた。貴重品の入っているポーチを肩にかけ、鍵を持って、部屋の外に出た。シーンとしている。人の気配がない。まあ、コロナ禍の平日、客がいなんだろうと思った。

 

受付には、爺さんがいた。なにか下を向いて、あたふたしている。出てきますと言って鍵を渡した。小料理屋の大将も、駐車場の前でうろうろしていた。ちらっと見て、左の方へ行った。コンビニとファミレスが至近距離にあるのが、このホテルの<うり>で、オヤジのひとり旅には好都合だ。食料を調達する手間が省ける。まず、<すき家>へ行って牛丼の特盛を頼んだ。むろんテイクアウトだ。注文の仕方や支払いが、すべて機械なので、ちょっと戸惑ったが、店員が親切に教えてくれた。一応、<地域クーポン券>を見せて、使えるか聞いてみた。使えないとのこと、ま、そうだろうな。

 

店を出て、ホテルの方へ戻った。駐車場のあたりでは、依然として、小料理屋の大将がうろうろしている。ついでに、ホテル一階のジムを見た。そう、道路側に面していて、ランニングマシーンなどが見えるのだ。ほとんど人がいなかった。ホテルを通り越していくと、ファミレスがあり、その先にコンビニがあった。朝食用の牛乳とか菓子パンなどを買った。レジのおばさんに、性懲りもなく<地域クーポン券>のことを聞いた。まだ準備中なんです、手続きが複雑で、と申し訳なさそうに答えてくれた。

 

レジ袋を二つぶら下げて、部屋に戻った。温泉に行こう。浴衣に着替えた。備え付けのバスタオルとアメニティのペラペラな手ぬぐいを肩にかけた、つもりだった。というのも、脱衣場に着いた時には手ぬぐいしかもっていなかったのだ。あと、貴重品を金庫の中に入れて、鍵をかけた。そのちゃっちい鍵を、部屋の鍵がついているプラ棒に絡めた。用心深いというか、小心というのか、これも身に染み付いた習性の一つなのだろう。

 

エレベーターで二階へ行った。男湯、と染め抜かれた紺の暖簾をくぐって、脱衣場に入った。タタキに館内用のツッカケが、一つ二つある。先客がいるようだ。ツッカケを、足で横に寄せ、上に上がった。横長だが、けっこう広い。それに裏返された脱衣籠がロッカーの上に整然と並んでいる。設備、内装はむろん<昭和>だが、きれいに掃除されている。

 

貴重品を入れるロッカーを見つけて、プラ棒をなかに入れた。鍵を抜いた。念のため、いま一度開けてみて、壊れていないか確かめた。前回の旅で、鍵の調子がおかしくなって焦ったことがある。まったく、念には念を、というわけか。

 

前も隠さず堂々と、浴室に入った。意外と広いし、きれいだ。それに何よりも正面に海が見える。ま、ガラスが少し曇ってはいたが。自分より年配のおじさんが二人いた。一人は、洗い場、鏡の前に腰かけて頭を洗っていた。もう一人は、六畳ほどの湯船の端でくつろいでいる。自分も、たしか頭を洗ったような気がする。火木土は、ジムへ行ってそのあと風呂で頭を洗うようにしている。二日あけると、頭がくさい!この日は、洗髪日の火曜日だったわけだ。

 

日常を非日常=旅に持ち込んでいるのだが、そんなゴタクはたくさんだ。ちゃんちゃらおかしい。旅に思い入れなんてない。日常も非日常もない。待っている時間が、死ぬほど退屈だから、気分転換に来てるだけさ。

 

手拭いを頭の上に、ちょこんと乗せて、湯船に入った。まじ、癖のない<いい湯>だった。温度も、自分にはぴったりで、湯の中の段差?に腰かけて、くつろいだ。三メートルほど離れたところに、おじさんもいたが、ほとんど気にならなかった。立ち上がり、湯船の中を少し歩いて、窓際へ行った。手でガラスをふいてみた。海は、といっても下田湾だが、水滴で優しくぼやけていた。素っ裸で突っ立ったまま、そのあやふやな光景をしばらく眺めていた。

 

部屋に戻った。外はもう暗くなっていた。と、海の中に緑と赤の点滅が見える。なになになに、と思って、サッシ窓を開けた。なるほど、防波堤灯台があるんだ。いかにも、間抜けな感想だ。下田湾に防波堤灯台があることを、思いもしなかったのだから。と、その緑の点滅の向こう、漆黒の海の中から、ぴかっと何か光った。それも二回。一回目はかなり明るく、すぐ続く二回目はやや弱い光だった。

 

はじめは石廊埼灯台かと思った。とっさに、三脚を部屋に持ってこなかったことを悔いた。明日は持って来よう、とその気持ちをなだめた。その後は、冷たいビールを楽しんで、<牛丼特盛>を食した。テレビはつけていたが、見る気にもなれず、食休み方々、撮影画像のモニターなどをした。いや、その前に受け付けの爺さんからもらった<地域クーポン券>を詳細に眺めた。なるほど、どこで使えるかは表示されていないし、使用期間は旅の最終日まで、静岡県限定だ。

 

ふと思って、スマホで天気予報を見た。なんと!明日は朝から曇り、しかも午後には雨が降りそうだ。おいおいおい、勘弁してくれよ。来る前の予報では、午前中には晴れマークがついていたんだぜ。お手上げだ。撮影は無理だろう、明日は下田観光だな。ちょうど、目の前には防波堤灯台もあるし。爺さんにもらった、下田湾周辺の観光案内のパンフを見た。これといった所もないが、<黒船遊覧船>が、ちょっと気になった。

 

明日は下田観光か!と立ち上がって、窓際へ行ったのかもしれない。前後のいきさつは思い出せない。おそらく、いきなりだと思う。正面でほぼ十四秒ごとに、ぴかっと光っている光が<神子元灯台>のものだと気がついた。これは、かなりの驚きで、自分の迂闊さを忘れて、少し興奮した。

 

神子元灯台は、離れ小島の岩礁の上に立つ、白黒の灯台だ。今日の昼間、望遠カメラでようやくその姿が確認できた。自分には、ほとんど近づくこともできない、手の届かない灯台だと思った。それゆえだろうか、何か特別な気持ちがしないでもなかった。その灯台の光が、これほど明るく、身近に感じられることに感動したのだろう。

 

しばらくの間、うっとりと夜の海を眺めていた。灯台たちの光だけが点滅している。赤、緑、オレンジっぽいのもあるぞ。それに何と言っても主役は、真正面の白色のピカリだ。たしか、陸地からは、10キロほど離れているはずだ。細長い座卓に押し込まれていた、木製の座椅子を、窓際へ向けた。そこに座って、この奇跡的とでもいうべき光景を、じっくり楽しんだ。何とまあ、このホテルは、下田湾をはさんで、神子元灯台と一直線に結ばれていたのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#7 下田観光1

 

夕食の後は、少し眠気がさしてきた。朝早かったからね。横になると、すぐに寝てしまったようだ。目が覚めたのは、夜の八時過ぎだろう。真っ暗な部屋の中、窓際へ行き、海を見た。灯台たちの灯りが気になったのだ。緑、赤、オレンジ、そして、少し間があって、沖の方でぴかっと光った。サッシ窓を開けて、手前の道路や浜沿いの公園も眺めた。シーンとしている。そんなことにはお構いなしに、暗い海の中、灯台たちは、規則正しい光の点滅を続けている。少しうれしいような、安心したような、微かな感情が流れた。

 

その後、部屋の電気をつけ、テレビもつけ、何かお菓子類を食べたのかもしれない。もう一度、明日の予定を頭の中で考え、観光案内のパンフで道順などを確認したような気もする。小一時間して、眠くはなかったが、やることもないので、また横になった。物音はなく、驚くほど静かだ。何か考えたのかもしれない。この瞬間、自分のいる場所は自分しか知らない、小気味よかった。

 

いつものように、一、二時間おきに、夜間トイレに起きた。そのたびごとに、いや朝方は行かなかったかもしれないが、窓際へ行って、灯台たちの灯りを確認した。緑、赤、オレンジ、ピカリ、問題なし。ちょうど、死の床についていた父や母、ニャンコの表情を、夜中にそっと覗き見た時のようだった。ちょっと大げさかな。

 二日目。

<8時起床>。窓際へ行って、厚手のカーテンを開けた。曇り空。どんよりしている。これじゃ~、写真は無理かな。ただ、灰色の雲が層をなしていたので、一縷の望みを持った。同じ曇り空でも、写真的には、空の部分が空白か、灰色の雲かの違いは、かなり大きい。要するに、空白は<不可>、灰色の雲は<可>なのだ。

 

朝の支度などの、細かいことは省こう。というのも、少し書き方を変えたのだ。つまり、印象に残っていることを中心に書いた方が、時間の節約になるし、文章的にも、よいのではないかと思ったのだ。あまりにも<旅日誌>に時間がとられるので、次の旅へなかなか出られない。それに、ベケットの<朗読>を再開したいという気持ちも出てきたので、そちらの方にも時間を割きたいわけだ。

 

時間軸にそって、のべったりの記述をしていきながら、印象した事柄にぶつかる、という記述方法も、嫌いではない。だが、まあ、冗長にならざるを得ない。書くことしか、残されていないのなら、そういった<ディスクール>を楽しむこともできる。だが、まだ、<旅>と<朗読>という楽しみが残っている。あれかこれかは、本意ではないが、背に腹は代えられぬ、という心境だ。

 

それはともかく、下田観光に話を移そう。身支度を整えて、エレベーターで下に下りた。受付の爺さんに、ふと思って、入り口付近で展示販売されている土産物を見ながら、<あれはクーポン券使えるの>と聞いた。<もちろん使えます>と爺さんは答えた。<どこで使えるのかわかんないからね>と言い足すと、聞かれもしないのに<書類の申請が複雑でね>と愚痴っぽく言った。なるほど、年寄りには大変な仕事だったのね。コロナ関係の申請書類が、この地域クーポンに限らず、複雑怪奇なことは、テレビ報道などで知っていた。悪事を警戒してのことなのだろうが、それでも、実際に<不正受給>が横行している。いつの世も真面目な?国民が損をしているわけだ。

 

車に乗った。ナビはセットしなかった。海岸沿いの道を伊豆急下田駅の方へ向かい、市街地の大きな信号を左折すればいいのだ。と、思って走り出した。行くべきところは、昨晩宿から見た、緑と赤の点滅を繰り返していた、二つの防波堤灯台だ。下田駅が右手に見えた。トンネルの前だったかな、信号を左折。ところが、なんだか、細い寂しい道だ。そろそろ行くと、なにかオブジェのようなものが左手に見えた。右手は狭い有料駐車場。その奥にも駐車場があり、そっちは広くてきれいだ。

 

右折して入っていくと、料金所から係の女性が出てきた。窓をあけると、¥600です、と言われた。ちょっと疑問に思ったので、訊ねた。<灯台を撮りに来たんだけど、ここでいいのかな?>女性は、すぐに合点したようで、<もう少し先に車をとめられるところがあります>と丁寧に教えてくれた。Uターンして、元の道に戻った。

 

やや行くと、左手にフェリー乗り場があり、どこかで見たような感じの船が止まっていた。ちなみに、ここから伊豆七島へ行くことができる。その斜め前が駐車場になっている。見ると、クレーン車が、背の高い椰子の木の上の方で、作業をしている。大きな葉が、強風にあおられている。いまにも降り出しそうな空模様。ちょっと危ないなと思った。作業車が何台か止まっていたが、運よく駐車できた。下田市管轄の無料の駐車場だ。ケチな話、¥600、得したわけだ。

 

季節は夏から完全に秋になっていた。ヒートテックのタイツをジーンズの下にはいてきた。シャツのほうは汗をかくのでTシャツにした。むろん替えを持ってきている。そして、長袖シャツの上に厚手のパーカを着た。フードもかぶって、きっちりひもで結んだ。これでサングラス、マススをしていたのだから、コンビニ強盗に間違われても、文句は言えないだろう。ただし、大きなカメラバックを背負い、デカいカメラを首から下げている。写真を撮りに来たことは一目瞭然で、怪しまれることはあるまい、と本人は思っている。

 

少し行くと、駐車場の女性が教えてくれた通り、海の中に防波堤が伸びている。その先には小島があり、どてっぱらがトンネルになっていて、向こうに抜けられる。位置関係からして、あの向こうに昨夜一晩中、というか、毎晩緑の点滅を繰り返している、白い防波堤灯台がある筈だ。

 

道沿い、防波堤の入り口に、なぜか、白いペンキで塗りたくった掘立小屋があって、そこに、三、四人、風体のよろしくない爺が座りこんでいる。ま、人のことは言えないが、防波堤は釣り場らしく、カネを取っているのかもしれない。たしかに、柵のような、バリケードのようなものがあって、爺たちの前を抜けて行かないと、防波堤には入れない。ちらっと見て、ま、いい、先に赤い灯台を見、に行こう。そう思って海沿いの狭い道を歩き出した。ところが、地形が湾曲しているので、当然道もそれに沿って曲がっているわけで、すぐ近くだと思ったのが大間違い、結構歩いてしまった。天気も良くないのに、とんだ朝の散歩だ。

 

結局、赤い防波堤灯台の近くまではいけなかった。というか、陸地から一番近いところへすら行けなかった。いや、それが、どこなのかもわからないまま、引き返した。まったくの無駄足だ。来るときにも思ったのだが、なぜか、ポツンと一軒、海沿いの道に料理屋があり、その脇に、つり橋があった。その先には小さな島がある。あそこから、赤い灯台が撮れるかな、無駄足を挽回しようとして、つり橋を渡った。

 

小島は、というよりは、極小の小島だ。周囲ほぼ20m。平らなところはほとんどない。朽ち果てたコンクリの手すりなどはあるが、逆に危なくて、つかむこともできない。日陰に、真新しい、小さなお地蔵様が三体、深紅の前掛けをつけている。それぞれの前に御影石の台があり、色鮮やかな手向け花だ。といっても造花だが。

 

右に下れば、赤い灯台に対面できそうだ。だが、先客がいる。釣り人だ。狭い場所だろうから、釣り人と顔を突き合わせることになる。気おくれした。わざわざ行くこともないだろう。となれば、左に下りるしかない。狭い崖っぷちの悪路で、その辺の岩につかまりながら、慎重に下りた。ところが、下り立ったところが、猫の額ほどの平場で、目の前、というか足の先がすぐ海だった。強風にあおられていた。落ちたら大変だ。へっぴり腰で、うしろの岩に手を付いて、体を支えた。長居は無用。写真はおろか、辺りの景色を眺めることもなく、来た道を戻った。

 

来た時は、変な感じがした三体のお地蔵さまたちだったが、少し陽が差してきたからだろうか、こっちの気持ちが軟化した。記念にと、一枚だけ、撮らせてもらった。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#8 下田観光2

 

朝から、無駄足の二連荘だ。海の中の赤い灯台は、ま、ほぼ諦めかけた。となれば、白い防波堤灯台だ。このまま素通りするわけには行かないだろう。掘っ立て小屋の前で、がやがやしている爺たちの前に歩み寄った。一瞬、爺たちが静かになった。サングラスを外しながらこう言った。<灯台を撮りに来たんですが、通ってもいいですか>。とたんに爺たちががやがやし始めて、その中のリーダー格?が、<そりゃあ~、いいですが、一応立ち入り禁止なので、自己責任ということで>というようなことを言った。

 

<はい、わかりました、どうも>と軽く会釈して、爺たちの前を通り、バリケート?の隙間から、防波堤に入った。ふと見ると、たしかに、行政の立ち入り禁止の看板がある。あとでわかったことなのだが、掘立小屋で、入場料というか、入漁料を払う、ということではない。釣り餌とか、ちょっとした食べ物を、まあ、釣り人相手に商っているのだ。小屋は閉まっていたのだから、爺たちの中にその主人はいなかったのだろう。おそらく、爺たちは、近所の知り合いで、暇にまかせて毎日集まり騒いでいるのだ。だとすれば、爺たちに、挨拶を入れる必要もなかったわけだ、と後になって少し悔いた。

 

そうそう、自分が、爺たちと話をしているときに、後ろにワイシャツ姿の初老の男性がいたらしい。というのも、話がついて、いざバリケートをくぐる際に、小声で<私も、ちょっと、灯台を>とかなんとかいう声が後ろで聞こえたのだ。あれっと思って、振り向くと、手にスマホを持った定年退職したばかりのような男性がいた。尻馬に乗りやがったな。なんなんだ!あえて無視して、防波堤へ向かった。

 

海の中に伸びる、およそ100mくらいだろうか(今調べたら330mほどあるようだ)、防波堤には、釣り人が二人いた。ちょうど胸の高さくらいで、意外に低い。幅が狭いので、強風の中、その上を歩くのは、いかにも危険だ。だが、堤防の陸地側が、幅三十センチほどの通路?になっていて、小島まで安全に歩くことができる。釣り人たちも、そこに陣取って、堤防越しに糸を垂らしている。

進んでいけば、当然、釣り人にぶつかるわけで、一言掛けて少し脇に寄ってもらわねばならない。もっとも、通路?の左側には平場のコンクリ護岸がある。強風であおられた波が、ちゃぱちゃぱしている。一人目の釣り人に関しては、たまたま、その平場のコンクリ護岸に波が届いていない部分があったので、そのままうしろを通過した。

 

二人目の釣り人は、防波堤のほぼ真ん中辺りにいた。見ると、こっちは、コンクリ護岸の全面に波が押し寄せている。ま、軽登山靴だから、無理して、波の中を突き進むこともできたのだが、いかにも滑りそうなのでやめた。ちょっと頭を下げて小声で<すいません>と言った。赤いジャンパーの愛想のない爺が黙って立ちあがった。横をすり抜けた。

 

小島は目前だ。ちなみに、この小島は<犬走=いぬばし島>という。今調べると、ネットにはこの島の情報がたくさん載っている。有名な所なのだろう。上陸!した。ちょっと冒険気分になっていた。ふと、うしろを見ると、例の定年退職したばかりの?初老の男性が、危なっかしい足取りで、堤防の下を歩いているではないか。あきらかに、島に上陸するつもりだ。

 

ま、いい。小島のどてっぱらには大きな風穴があいていた。いや、トンネルなのだが、小さな島なのに、トンネルの穴が、不釣り合いなほど大きいのだ。なぜだかわからない。洞窟のようなものもあり、覗くと、向こう側に海が見える。撮り歩きしながら、トンネルをくぐった。脇に大きな照明塔などもあり、垂れ下がっている木々の枝なども入れて、遠目に灯台をスナップした。

 

さらに、防波堤の先端にある白い、例のとっくり型をした灯台に近づいていった。と、ふり返った。トンネルを出たあたりに、初老の男性がいて、こちらにスマホを向けている。灯台を撮っているのかと思って、脇によけた。すると、男性から<そのままで>というような声が聞こえた。灯台と一緒に俺も撮られているのかな?向き直って<灯台を撮りに来たのですか?>と尋ねた。その声が聞こえなかったのか、男性は、依然として、スマホをこちらに向けて撮っている。

 

ま、いいや。背中を向けて、さらに、灯台の根本に近づいた。だが、あまりに近づきすぎて、写真にならない。少し引いて、何枚か撮った。いや、かなりしつこく撮ったのだろう、撮影写真の枚数でわかる。もっとも、いくら撮っても、ロケーションは良くないし、曇り空だ。ここまで来て、残念ではあるが、モノにはなるまい。

 

例の初老の男性は、灯台の根本までは近づいてこなかった。再再度振り返ったときには、灰色のズボンや白いワイシャツ、白髪交じりの頭の毛が、強風にあおられ、元の形態をとどめていなかった。体感的に、これ以上この場に留まるのは無理、という感じだった。

 

来た道を戻った。釣り人の赤いジャンパーの爺は、こちらが会釈をする前に立ち上がって、道をあけてくれた。掘っ立て小屋の前は無人になっていた。やはり、あの爺たちの中に、小屋の主人はいなかったんだと思った。白いペンキで塗りたくられた板壁には、拙い文字の張り紙がべたべた貼ってあった。なかには、<観光案内します>というようなものもあった。

 

小屋の前の狭い道路際に、ちょっとした駐車スペースがある。むろん来た時にも見たのだが、黄色の線で区切られていて、何台分かは、手前に赤い<カラーコーン>なども置かれていた。そこへ、いきなり灰色の車が来て、<カラーコーン>をどけて、バックで駐車しようとしていた。この五、六台止められる駐車スペースが有料駐車場なのか、それとも、賃貸駐車場なのか、にわかには判断できなかった。灰色の車の中から、釣り竿などを持った男が出てきた。この堤防で釣りをする気なのか?いまにも降り出しそうな空模様。それに、強風。海沿いの道をぶらぶら歩き始めた。

 

フェリー乗り場の見える駐車場に戻ってきた。クレーン車は、クレーンをたたんで、駐車場に止まっていた。背の高い椰子の木を見上げた。てっぺん辺りの大きな葉が、ぐらぐら揺れている。たしか作業していたようだが、何の作業だったのか?見た目全く変化がなかった。あるいは、強風で、その後作業を中止したのかもしれない。

 

と、その前に、横にあったトイレで用を足し、そばにあった、崩れかけたベンチに腰をおろしたのだ。その一角が、休憩所のようになっていて、たしか藤棚?があったような気がする。とにかく、その塗装が全く剥げて、白っぽくなった、地面に沈みかけたプラスチック製のベンチに、カメラバックを置き、用心しながら座りこんだのだ。休憩だな。ちょうど、幼稚園の小さな椅子に腰かけたような視界だった。

 

左手にフェリー乗り場。正面は下田湾。右手には、そうだ、<海保>の巡視艇が係留されていた。といっても、全体的に見れば、雑然たる風景で、写真など撮る気になれない。その上、空は鉛色で、灰色の雲が動き回っている。ただ、妙に静かだった。あたりに人の気配がしない。強風だったはずだが、風の音も聞こえなかった。というか、気にならなかったのだろうか。

 

曇り空で、写真にはならない。とわかりきっていた防波堤灯台の撮影は、予想通り、まったくの無駄足だった。しかも、赤い灯台には、近づくこともできなかった。この後の予定を考えたのかもしれない。下田観光!といっても、記念館とかには行く気もしなかった。やはり、気になっていたのは灯台なのだろう。

 

午後からは雨だ。灯台の正面に回り込んでみよう、と思ったのだろう。立ち上がった。一応、目の前に広がっている、何ということもない光景を写真に撮った。写真にでも撮っておかなければ、もう二度と思いだすこともない風景なのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#9

下田観光3<黒船遊覧船>

 

来た道を戻った。だが、気まぐれを起こし、途中で右折して、下田市の市街地<ペリーロード>などのある一角を抜けて行った。そろそろ走りながら、たしか<黒船遊覧船>の乗り場あたりに、海を臨めるところがあったはずだと思った。

 

海沿いの広い道に出て、そのまま、宿の方へ向かって走った。と右側に<遊覧船>の乗り場らしきところが見える。その隣にも、なにやら大きな施設ある。右折。なんだろうとおもって、施設の方へさらに右折。駐車場の入り口がなかなか見つからない。施設の切れたところに、看板があり、右折。ちょうど、施設の下が駐車場になっている。ゆるゆる走りながら、様子をうかがう。要するに、こ洒落た土産物店を集積した施設なのだ。ま、用はない。そのまま駐車場を出た。

 

今度は、<黒船遊覧船>の乗り場へ車を回した。駐車場には、意外にもたくさんの車が止まっていた。しかも、岸壁際は、ワンボックスカーなどが横付け、占領している。家族旅行だろう、子供がちょろちょろ、ガタイのいい若い父親は、釣り竿などを振り回している。防波堤灯台を見るには、あそこが一番いいとこなんだけどな。仕様がない、スペースを見つけて車を止めた。

 

とたんに、ぽつぽつ来た。おいおい、雨マークは三時過ぎからだろう。時計を見たのだろうか、今調べると、まだ午前中、十一時前だった。今日の予定としては、天気予報を信用して、雨の降る前に、つまり、三時前には宿へ戻るつもりでいた。なのに、雨かよ!再び、車の中に戻って、この後どうしようかと思案した。と、アナウンスが聞こえた。<黒船遊覧船>だ。あと五分で出航らしい。

 

<黒船遊覧船>など、乗るつもりはなかったのだ。だが、その時は、気持ちが一気に高揚して、バタバタと、乗船券売り場に駆け込んだ。料金は¥1250。意外に安いなと思った。それよりも、あわてていたので、マスクを忘れた。窓口の若者に、その旨告げると、脇から真新しい箱を取り出し、中から一枚くれた。しかも無料で。折りしも、アナウンスが、乗船をせかせている。もらったマスクをつけながら、船着き場へ急いだ。出航寸前で、乗客の姿は見えず、係員が四、五名、陸と船にいて、なにか仕方なく、自分を待っているかのようだった。

 

よくいるよな~、こういう奴!それが自分だった。船に乗り移った瞬間、即、出航と相成った。ふと見まわすと、一階には自分のほか客は誰もいない。その辺にいた係の若者に、灯台を撮りたいのだが、どの位置がいいのか、訊ねた。体格のいい若者は、右側かな、と人の顔も見ないでそっけなく言い放った。不愛想な奴だ、たぶん学生のバイトだろう。

 

自分が位置していたのは、今思えば、一階の船尾だ。二階?に上がることもできただろうが、これは、即座に却下した。一階の方が、目線が灯台と同じになる。動き始めてから、ふと思って、船の前の方へ行ってみた。座席が並んでいる。が、横にガラス窓がはまっている。これはだめだ。さらにその先、船首へ行こうとした。だが、ドアがあり、何となく行けないような感じ。そばに係員でもいたら、聞くこともできたろうが、船内に人影はない。その時は、乗客や係員はどこへ行ったのだろう、と疑問に思わなかった。

 

先ほど、この<遊覧船>のHPを見た。船の写真を見ると、二階が展望デッキになっていて、白い手すり柵の手前に観光客がたくさん乗っていた。そうだよな、みんな、眺めのいい二階へ行くのはあたり前のことだ。それと、この黒船の名前は<サスケハナ>という。現地で、船の横っ腹にあったこの文字を見た時は、なんかの冗談かと思った。無知より怖いものない!<サスケハナ>とは、ペリー来航時の旗艦船の名前で、アメリカ原住民の言葉で<広く深い川>という意味だそうだ。以上、ウィキペディアより。

 

船が出発した。たしかに、さっきの無愛想な若造の言っていた通り、船尾の右側が、灯台を見るには好位置だ。というのも、船は、下田湾を左回り、すなわち、時計の針とは反対の方向で航行し、湾をぐるっと一周して戻ってくる。要するに、灯台は、沖へ向かって、右側に位置していたのである。

 

白い防波堤灯台が、目の前に見えてきた。だが、背景がよろしくない。<犬走島>がバックになっている。しかも、空に色がない。とはいえ、海上からの眺めも一興で、これはこれで面白かった。カモメもいっぱい飛んでいたしね。

 

白い灯台の脇を通り過ぎ、沖へ向かっていく。が、今度は、赤い防波堤灯台の手前で、左に急カーブだ。これは、思いもかけないことで、まったく近寄ることができなかった、赤灯台を間近に見ることができた。もっとも、いまにも降り出しそうな空模様で、空も海も鉛色だ。写真的には、モノにはなるまい。と思いつつも、かなりしつこく、かつ慎重に撮った。赤灯台のフォルムと海の中にたたずむ姿が気に入ったのだ。

 

船が左旋回したので、船尾の右側から、真ん中辺に移動して、だんだん小さくなっていく、赤灯台を撮り続けた。尾を引く波しぶきに目を落とした瞬間、<モロイ>の一節を思い出しかけた。だが、正確には思い出せなかった。赤灯台はとうとう豆粒になり、もう判別できなくなっていた。もう一度、天気の良い日に、<黒船>に乗りに来る必要があるな。とはいえ、必ず来るぞ、という強い気持ちにはならなかった。もう来られないかもしれないと思ったような気もする。

 

<黒船>は、さらに左旋回を続け、陸へ向かった。低い山並みの下に、泊まっているホテルも見えた。その白い建物の四階あたりをじっと見た。あのあたりから、昨晩、漆黒の海に点滅する、緑や赤の光を見たのだ。かなり遠いなと思った。係船岸壁につけるために、船が陸と並行の位置になった。大きな貨物船が見えた。こいつは、湾の中に、昨日からずっと止まっていて、動かない。横を通るときに何枚か撮った。船の形が面白いのだ。まあ、この種の趣味趣向は、男児の残滓なのかもしれない。

 

およそ20分のクルージングだった、ようだ。船が岸壁にしっかり固定された後、係員が先導して、乗客が下りた。幾人もいなかった。一階に誰もいないのは当たり前だと思った。広めの岸壁に下り立った。と、向かいに<海保>の巡視艇が係船されていた。<黒船>に乗るときは、バタバタしていたからだろう、気づかなかった。ここにもあるのか?というのは、先ほど、ちょっと休憩したところにも同じくらいの大きさの巡視艇があったからだ。船全体を真横から撮った。横っ腹に<海上保安庁>の文字が目立つ。記念写真だよ。

 

雨がぽつぽつ落ちてきた。急いで、車に戻った。アナウンスが、午前中最後の乗船を告げていた。今度の出航は十一時半らしい。そうか、俺は十一時に乗ったわけだ。三十分おきの出航、採算が合うのか?などと余計なことを思った。雨じゃあ~、もう撮れないな。運転席に座って、これからの予定を考えた。雨でにじんだフロントガラス越しに、岸壁に依然として横付けされている家族連れのワンボックスカーが見えた。よちよち歩きの女の子を追いかけて、若い母親が走りまわっている。褐色に焼けていて、サンダル履きのラフな格好。海辺でよく見る、さばけた感じの女性だった。

 

時計を見たのだろうな。宿に戻るにはまだ早すぎた。そうだ、あの公園へ行こう。広い駐車場があり、正面に下田湾が見渡せる。車の中でひと寝入りしてもよし、空模様次第では、望遠で防波堤灯台が狙えるかもしれない。その整備された海沿いの公園は、ちょうど泊まっているホテルの真ん前だった。近すぎて、まだ行っていなかった。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#10

下田観光4<まどが海遊公園>

 

<まどが浜海遊公園>に着いた時には雨が降っていた、と思う。広い駐車場には、五、六台の車が止まっていた。まだお昼前だったような気がする。いくら何でもホテルに戻るには早すぎるだろう。一応、窓にシールドを張った。後ろの仮眠スペースに移動して、肘枕して少し横になった。だが、さして眠くない。じきに起き上がって、カメラを引き寄せ、撮影画像のモニターなどをした。<黒船>から撮った写真の数が多い。だが、そのほとんどが写真の体をなしていない。記念写真だよ、自分に言い訳をした。

  

また横になった。少しそのままでいたが、眠くならない。起き上がって、お菓子などを食べたりもした。退屈だ。シールド越しに外を見た。空が少し明るくなっていて、雨はやんでいた。気分転換!車から出て、装備を整え、海際の柵まで行った。三脚を広げ、望遠カメラをセットした。<犬走島>を貫通した防波堤の先端に、白い灯台が見える。左側にも小島があり、赤い鳥居が小さく見える。沖には、さらに小さく、真一文字の防波堤が海の中にあり、その右先端に赤い灯台が見える。

 

海上10キロ先の、自分にとっては、まさに伝説的な<神子元灯台>は、と言えば、視線の延長上にあるわけだが、残念ながら、その影がうっすら見える程度だった。天気が良くないのだ。しつこいようだが、空も海も灰色だった。それでも、この瞬間、眼前に広がる光景を写真におさめようと、少しは努力した。鉛色の雲が垂れ込める中、水平線の近くが若干明るかったからだ。

 

二、三枚撮って、モニターした。こりゃだめだな。写真は非情で、思い込みを写し撮ってはくれないのだ。だが、引き上げる気にもなれず、しばらく、柵に寄りかかったり、そばのベンチに腰掛けたりして、下田湾や、水平線の辺りを眺めていた。そのうち、空は、鉛色の雲すら霧散して、白っぽい、ただの空白になった。三脚から望遠カメラを外し、たたんだ。望遠と標準、二台のカメラをバックの中にきっちりおさめ、三脚をバッグの背中にしっかり固定した。南伊豆旅での撮影が終わったのだ。

 

車に戻った。時計を見たのだろう。まだ早いような気がしたが、宿に戻ることにした。と、ふと左手の方にあるトイレを見た。自販機も二台ほどある。ということは、ゴミ箱もあるわけで、空き缶などを捨てて行こうと思った。トイレに一番近いところまで車を移動して、外に出た。ゴミ箱の横には、たしか、ゴミは持ち込まないでください、とかなんとか書いてあった。ま、空き缶二つくらいいいだろう。

 

ついでに、トイレに入って、用を足した。このトイレはほとんど印象にない。ということは、臭くも汚くもなく、特別きれいでもなく、要するに、普通だったのだろう。雨はやんでいた。ふと気まぐれだ。時間に余裕があったし、オブジェのようなものもあったので、公園内をちょっと見物しようというわけだ。

 

三つほど、見て回った。一つは、海に向かう<坂本龍馬>の立像だ。なんで、ここに<竜馬>が?と思って、案内板を斜め読みした。ほとんど頭に入らなくて、勝海舟の名前と<龍馬>が下田に立ち寄ったことだけが頭に残った。…今その詳細をネットで検索したが、煩わしいので省略しよう。

 

二つ目は、大きな<錨>だ。また<錨>だ!というのも、灯台巡りの旅を始めてから、海沿いの公園などに、この本物の<錨>がオブジェとして鎮座している姿をよく目にするからだ。見るたびに、なんでこんなところに<錨>があるんだと思った。だが、今回はその疑問がすぐにとけた。台座だったかな、案内板に<横須賀海上自衛隊寄贈>とあったような気がする。さらに案内文には、すぐ目の前の海に、ペリーの艦船が、おそらく旗艦船<サスケハナ>だろう、<錨>を下したらしいのだ。なるほど、<錨>つながりか。それにしてもと、目の前の海を見た。こんなに近いところに停泊したのか!ちなみに、ペリーの旗艦船は、全長80メートル弱の大型フリゲート船だった。自分が乗った遊覧船<黒船サスケハナ>は35メートルで、その倍以上の大きさだったのだ。

 

三つ目は、何と<足湯>だ。公園内に、いくつかあるしゃれた東屋の一つが、車座に十人ほど腰かけられるようになっている。近寄って、ちょっと手を浸してみた。あったかい、ちょうどいい湯加減だ。足の甲に湿疹ができていなければ、間違いなく、軽登山靴を脱いで、腰かけたと思う。足を拭くためのタオルを車に取りに行く、という煩わしさも克服しただろう。まあ、次回だな。ただし、<次回>があるのかないのか、その辺は深く考えなかった。

 

さあ、本当に引き上げよう。雨は降っていなかったような気がする。歩いて、道路の反対側のコンビニへ寄って、朝食用の菓子パンとおにぎりを買った。そのあと、駐車場を出て、信号を右折。ホテル前の駐車場スペースに車を止めた。整理係の<小料理屋の大将>はいなかった。まだ三時前で、チェックイン前だ。

 

車から降り、歩いて<すき家>へ行った。今日は、機械での注文に迷うこともなかった。なんとなく、カレーが食べたいような気がして、<オム牛カレー>の大盛りを注文した。¥1000ほどだ。ちょっと高いような気もしたが、そんなもんでしょ。少し待たされた。きっと、オムレツの調理に手間取ってるんだ。レジカウンターに店員が出てきた。レジ袋に入った<オム牛カレー大盛り>を受け取り、カンターに置いてあった箸とか紅ショウガの小袋とかを取って、出ようとした。と、その若い店員が<スプーンはいいんですか>と声をかけてきた。なるほど、カレーを食べんるんだ。<お、忘れていたよ>と少し表情を崩して、袋の中に入れた。<すき家>で、これまでで一番愛想のよい店員だった。

 

駐車場に戻った。トートバックの中に、飲料水などを入れ、カメラバックを背負って、ホテルに入った。一階ロビーは薄暗かった。ふと思って、陳列してあった、土産物を眺めた。<地域クーポン券>¥2000で買ってしまおうというわけだ。受付の卓上ベル=呼び鈴を押すと、隣の部屋から爺がすぐに出てきた。財布から<地域クーポン券>を取り出し、その旨を言って爺に渡した。

 

爺を待たせて、陳列台の土産物を選んだ。ロクなものはなかったが、ま、なるべく日持ちするものがいい。などと、あれやこれや迷ってしまい、思いのほか、時間がかかった。ふと見ると、爺が、所在なげに、いや、ちょっとイラついた感じでカウンターの中に突っ立っている。

 

もう、どうでもよくなって、とりあえず¥2000分の土産物を手にして、カンターへ行った。それを、爺は電卓で律儀に計算した。¥2000、ちょうどにはならない。土産物の価格設定が、ちょうどにはならないようになっている。したがって、おつり分\180くらい、損したことになる。ケチケチしたこと書くなよ。ちなみに、買ったのは、<金目鯛スープ12食入り>を二袋、<漁師のふりかけ>一袋、それから、カツオの一口大のおつまみ、これは今手にないので正式な商品名はわからない。というのも、翌日、爺に無理を言って値段の同じ<漁師のふりかけ>と交換してしまったからだ。びっしりと袋に詰まった、こげ茶の、サイコロ型のおつまみは、いくら眺めても、固くて、まずそうだったのだ。

 

エレベーターで四階に上がった。ひとの気配は全くない。時間的には午後三時前だったと思う。ドアノブに、白いレジ袋がかかっていた。部屋に入った後で、中に入っているものを取り出した。浴衣とシーツとバスタオルとアメニティ類だった。シーツは、面倒なので交換しなかった。すぐに着替えた。糊のきいた浴衣にそでを通し、部屋を出た。貴重品のポーチは、金庫に入れたが、めんどうなので鍵は、部屋のどこかに隠した。どこに隠したのか、今となってはもう思い出せない。

 

温泉は、昨日にまして最高だった。というのも、一番風呂というやつで、誰もいない。広々した洗い場も湯船も、きれいに清掃されていて気持ちがいい。それに、ちょうどいい湯加減で、自分としては、これほど長時間、温泉につかって、くつろいだことはない。温泉めぐりも悪くないなと思ったほどだ。昨日と同じように、湯船の中を歩いて、窓際へ行き、窓ガラスを手でこすって、外の景色を眺めた。雨が降り出していた。それもかなり強い。風も強い。台風の影響だろうか。五回目の旅で、初めて雨に遭遇した。いままで、運が良すぎたのだ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#11 ホテル宿泊

 

温泉から戻ってきた。さあ、ビールだ。と、その前に、窓の外の下田湾を眺めた。ざあ~ざあ~雨が降っていて、ぼやけている。風も強くて、道路沿いの背の高い椰子の木がぐらぐら揺れている。早めに引き上げてよかったよ。ビールは冷えていた。初日に、備え付けの小型冷蔵庫を確認したら、当たり前のことだが、ちゃんと冷蔵できそうだ。とはいえ、真夏と違い、冷えたビールは、それほどありがたくなかった。この時は、むしろ、冷たすぎるなと感じたほどだ。

 

たしか、午後の三時過ぎだ。メモによると<14:30宿~温泉15:00>とある。夕食にはまだ早い。と思ったが、目の前のすき家のレジ袋から<オム牛カレー>を取り出した。ビールのつまみに、ちょっと食べたいような気がしたのだ。と、その時、袋の下に何かある。金庫のカギだった。隠したところを絶対に忘れない場所だ。いや、たとえ忘れたとしても絶対大丈夫な場所だろう、と思いついたのが<オム牛カレー>の下だったのだ。ただし、自分で隠した場所をすっかり忘れてしまい、鍵を見た時に<こんなところに!>とちょっと驚いたわけで、これはもう、トンマの極みだ。歳は取りたくないものだ。

 

<牛>も<カレー>も、まずくはない。だが、いつもの味だ。ただ、<オム(レツ)>だけが手作りの味がした。<つまみ>のつもりが、腹が空いていたのだろうか、半分くらい食べてしまった。そのまま、全部食べることも、もちろんできた。が、そこは少し自制した。夕食に取っておこう。しっかりふたを閉めた。いや、なかなかしっかりとは閉まらないので、少し手間取った。やや食い足りない感じがして、座卓の上に並べてある、お菓子類をなにか食べたような気もする。食べ終えると、少し眠くなってきた。取り立てて、やることもない。部屋の明かりとテレビを消して、布団に横になり、そのまま寝てしまったようだ。

 

<17:00>に起きた。部屋の中はもちろんのこと、窓の外もかなり暗くなっていた。近寄って、重いサッシ窓を開けた。雨が少しふきこんできたのかもしれない。あるいは、風が強かったのか、すぐに窓を閉めた。うす暗くなった海の中に、緑の点滅が鮮やかだった。それに比べ、少し沖の赤の点滅は、昨晩より弱々しい感じがした。周辺にあるオレンジの点滅にいたっては、ほとんど色が見えないほどだった。

 

ま、問題は<神子元灯台>の明かりだ。そのピカリの明かりを撮ろうと、今日は三脚を部屋まで持ってきているのだ。ところが、強い雨のせいなのだろうか<ピカリ>が、なんだか心もとない。光がこちらに届かないのだ。十数秒待って、今一度、じっと光の方向を見た。オレンジ色っぽく、にじんでいる。雨に打たれた裸電球のようだった。

 

だから!と、後悔した。昨晩、面倒でも、車に三脚を取りに行けばよかったんだ。いや~、もう一人の天邪鬼が言った。あんな弱い光じゃ、撮れっこないよ。ま、そうだ。前回の南房総旅で経験している。広大な夜の海、その中で点滅する、豆粒大の灯台の光。たとえ写ったとしても、写真にはならないのだ。そう納得して、三脚は広げなかった。

 

座卓の前に座って、残り半分の<オム牛カレー>を食べた。食い足りない感がして、コンビニで買った赤飯握りを一個食べたかも知れない。そのあと、ノートに、ざっとメモ書きした。文字を書くことがほとんどないわけで、まさに、ミミズが、のたくったような字だ。ま、自分が読めればいいのだ。

 

それにしても、字はへたくそだ。子供の頃に、字の書き方をちゃんと覚えなかったからだろう。そのことが、後々、人生に過大な影響を与えるとは、思ってもみなかった。つまり、字が下手な故に、はがきや手紙などが億劫になり、人との交通をないがしろにしてしまったのだ。いや、そうとばかりともいえない。たとえ、字が人並みに書けたとしても、はがきや手紙を、好んで人に出すことはしなかったろう。何しろ、<文章>はもっと苦手だったのだ。

 

ワープロ、パソコンのおかげで、下手な<字>で、恥をかくことはなくなった。だが<文章>は依然として、うまく書けない。いや、ついついウソを書いてしまう。そのことが、一番やりきれない。

 

立ち上がって、窓際へ行った。窓ガラスに雨がふきつけている。海は真っ暗だった。かろうじて、手前の緑の点滅だけが見える。赤やオレンジの点滅は、ほとんど見えない。十数秒おきの<神子元灯台>からの<ピカリの明かり>も、海上の強い風雨にさえぎられ、ほとんど見えなくなっていた。これといった、感慨もない。気持ちも動かなかった。厚手のカーテンを閉めた。おそらく、その後、テレビでもちょっと見たのだろう。そして、部屋の電気を消し、テレビも消して、寝てしまった。雨風の音は、ほとんど気にならなかった。

 

夜間トイレで、一、二時間おきに起きたはずだ。そう、たしか、一回だけ、窓際へ行き、カーテンをちょっとめくって、海を見たような覚えがある。依然として、雨風が強い。台風が、西日本に近づいている。その影響だろう。かろうじて元気だった緑の点滅も、心もとない。明日の帰路<天城越え>がちょっと気になった。

 三日目

<7:00起床>。まずテレビをつけ、洗面、朝食、排便。排便は、ほとんど出なかったような気がする。着替え、ざっと部屋の整頓。布団は敷きっぱなしのまま、掛け布団を半分めくっておいた。その上に、枕と、ざっとたたんだ浴衣をおいた。

 

そうそう、昨晩のことで書き忘れたことがあった。コップの水を、座卓の上の長細い敷物にこぼしてしまった。ティッシュですぐに拭いたが、なにか、茶色くなっている。座卓本体の塗装の色ではない。敷物から浸み出したものだ。今朝見ると、そのあたりが、少し茶色くなっている。まずかったな。といっても申告するほどのことじゃないだろう。すぐに頭から流した。

 

身支度など、すべてを終えて、カメラバックまで背負った。と、そうだ、宿泊した室内の写真を撮るのを忘れていた。バックをおろし、中からカメラを取り出した。丹念に、室内を撮った。これらの記念写真は、後々、いや、帰宅後に見た時ですら、なにがしかの感情を呼び覚ます。何と言うか、もう二度と訪れることもない、生涯に一度の空間と時間。人間的郷愁、とでも言っておこう。

 

廊下に出た。鍵はかけなかった。エレベーターに乗って、一階に下りた。と、大きな掃除機で、おばさんがロビーを掃除している。そのホースをまたいで、受付へ向かった。おばさんが、元気のよい声で<大丈夫ですか、すいません>と声に出した。<大丈夫、大丈夫>とおばさんの方へ顔を向けながら答えた。やけに愛想がいいなと思った。むろん、嫌な感じはしない。むしろ好ましく感じた。

 

受付カウンターには、爺がいたような気がする。精算を、と言って、ポーチから財布を取り出した。爺は、なにらや、下でごそごそしながら、書類を探し出し、計算した。たしか<Goto割りで>と言ったような気もする。一万円札を出して、お釣りをもらった。そのあと、前に書いたように、<カツオのつまみ>を<漁師のふりかけ>にかえてもらった。<値段は同じですよね>と、爺は自分に言い聞かせるように言った。嫌な顔一つしなかった。

 

精算を終えて<お世話さま>と声に出して、出入り口へ向かった。どこからともなく<小料理屋の大将>も現れて、<ありがとうございました>と会釈された。外に出た、雨がざあ~ざあ~降っている。急ぎ足で車へ向かった。トートバックとカメラバックをさっと車に積み込み、運転席に滑り込んだ。一応、ナビを自宅にセットした。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#12 帰路

 

まいったな。雨の中を走り出した。時間は<8時 出発>とメモにある。左方向へハンドルを切る。見覚えのある、爪木埼灯台入口の信号を通過。一気に急な坂道。雨が強いので、運転に慎重になった。と、バックミラーに、灰色っぽい<軽>がぴたりとついている。別にあおっているわけではないのだろう。だが、なんだか、嫌な感じだ。車間距離を詰めすぎだろうが!

 

気になって、チラチラ、ミラー類を見ながら走った。下り坂のカーブになったとき、<軽>の後ろにも、びっしり車が連なっているのが見えた。自分がネックになっている。ちぇ!ちょうど通勤時間帯だ。地元の人間だろう。毎日通っている道で慣れている。多少の雨だが、いつもの調子で走っていたら、前に白い車、県外ナンバーが行く手をふさいでいる、というわけか。

 

朝っぱらから、疲れるな。このまま、一般道で自動車レースをしていてもしょうがない。ちょうど、坂の下に、コンビニらしきものがあった。退避した。バックミラーで、あおってきた<軽>をちらっと見た。かなりのスピードで走り去っていった。イライラしてたのね。すぐに、コンビニの駐車場で回転して、再び道に戻った。

 

その後は、市街地走行、道は平たんになり、車の数も減ったように感じた。が、いくらもしないうちに、上り坂になった。<天城越え>だ。雨がじゃんじゃん降っている。最悪の展開だった。と、前に、高くした荷台に、荷物を満載した二トン車が、よろよろ走っている。これは歓迎だった。あとについていけばいい。こっちは全然急いでいない。風雨の強まる中、むしろゆっくり走りたいのだ。

 

しばらくは、ある程度の車間をあけて、あとについて行った。だが、山道が、次第に険しくなる。かなり急坂になってきた。カーブを曲がるたびに、二トン車のスピードが落ちる。いきおい、自分の車が、二トン車に接近してしまう。この繰り返した。ミラーで後ろを見ると、車列ができている。しょうがないだろう、前に危なっかしいトラックが走っているんだ。

 

俺はあおったつもりはない。だが、先ほど、灰色っぽい<軽>にあおられたと思ったように、二トン車の運転手も、白い車にあおられたと思ったに違いない。というのも、急坂の途中、ちょっとした路肩に、トラックが退避したからだ。あきらかに、道を譲っている。いや~、こちらとしては、譲ってほしくはなかったのだ。

 

ほぼ、暴風雨の山道。いまだに難所の<天城越え>、その登り坂で、車列の先頭に立ってしまった。悪夢が再び訪れた。今度は、同じ<軽>でも、白っぽいバンだ。おそらく仕事車だろう。バックミラーで急接近を確認。だが、どうしようもない。これ以上は早く走れないのだ。とはいえ、年甲斐もなく、上等だ!と、少し熱くなって、軽バンを引き離しにかかった。車の性能は、明らかにこっちの方が上だ。

 

カーブを曲がり切ったところで、アクセルを踏みこんで、軽バンを引き離す。だが、運転技術、土地勘、度胸で負けていた。軽バンも加速して、すぐに接近してくる。その都度、バックミラーで確認する。と、ほとんど追突されるのではないかと思えるほど、ぴったり後ろについている。これの繰り返しだ。狭い急な上り坂、退避場所を目で探したが、見つからない。

 

暴風雨の天城山中で、自動車レースに巻き込まれるとは、予想だにしなかった。が、その時、ふと思った。軽バンは、あおっているんじゃない。前の車についていこうとしているだけかもしれないじゃないか。だとすれば、こちらがスピードを上げれば上げるほど、たぶん、奴もスピード上げてくるわけだ。まさに、いたちごっこ!なのだ。

 

緊張して、いい加減、疲れた頃、幸運なことに、頂上が見えた。そこは大きな駐車場になっていて、土産物店やレストランなどがある。退避!ハンドルを切った。ミラーで確認すると、軽バンは無論のこと、あとに続く車列が、猛スピードで通り過ぎていった。ふ~~~、トイレ休憩しよう。ところが、比喩でなく、バケツをひっくり返したような土砂降りだ。ちょっとドアを開けたが、外に出るのは無理だと思った。

 

おしっこ缶を取り出して、車内で用と足したのだろうか。はっきりしない。だが、一息入れて、またすぐ山道に戻った。ここからは下り坂で、多少、道が広くなっている。カーブもそれほどきつくない。ある程度のスピードが出ていたので、後続車を気にせず、マイペースで走った。暴風雨の<天城越え>!あおり、あおられの<いたちごっこ>が脳裏から消えて、今度は、<伊豆縦貫道>へ間違いなく入ることに注意が向かった。だが、情けないことに、最初の入り口をやり過ごしてしまった。次は絶対見落とすまいと、自分にプレッシャーをかけ、注意深く、辺りを見回しながら走った。その甲斐あって?無事、<伊豆縦貫道>へ入った。

 

ナビは古いので、といっても五年前のものだが、<圏央道>同様、<伊豆縦貫道>の案内に関しても信用していなかった。何しろ、来た時には、別のルートを、それも遠回りのルートを教えられたのだから。

 

<伊豆縦貫道>に入ってから後のことは、あまりよく思い出せない。たしか二か所で料金を払ったような気がする。有料道路の区間が、まだ統一されていないのだろう。それと、雨は小降りになっていたようだ。要するに、天城山中だけが、極端に降っていたのだ。よくあることだ。

 

<12:30 自宅着 片付け>とメモにある。そうだ、帰宅した時には、ほとんど降っていなかった。いや、ぽつぽつだな。それで一気に、荷物をアトリエの中へ入れたんだ。旅疲れ、運転疲れということもなかったと思う。二階の部屋に入る時には、<ただいま>と声に出した。一応、ニャンコに言ったつもりだったが、ニャンコの顔は思い浮かばなかった。誰もいないのが、当たり前になった。気持ちは平静だった。

 

<南伊豆旅>2020-10-6(火)7(水)8(木) 収支。

 

宿泊費二泊 ¥8198(Goto割) 高速 ¥8770 

ガソリン 総距離500K÷20K=25L×¥125=¥3130

飲食 ¥3000 その他 ¥3300

合計¥26400

 

今回も妥当な金額だ。いや、これだけ楽しんで、三万円でおつりがくる。金額的にも、内容的にも、不満はない。土砂降りの<天城越え>ですら、今となっては、良い思い出だ。

 

灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#1~#12

2020-10-26 終了。