<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

<灯台紀行・旅日誌>2020版

<灯台紀行・旅日誌>2020 三浦半島編

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灯台紀行・旅日誌2020 三浦半島編 #1~#14

 見出し

#1 プロローグ1 #2 プロローグ2  #3 往路
#4 安房灯台撮影

#5 城ケ島灯台撮影

#6 剱埼灯台撮影

#7 間口港灯台撮影

#8 ビジネスホテル宿泊  #9 観音崎へ向かう #10 観音崎公園

#11 観音埼灯台撮影

#12 戦争遺跡1  #13 戦争遺跡2

#14 復路~エピローグ

灯台紀行・旅日誌>2020#1 プロローグ1

 2020/07/29(水)小雨。降ったりやんだり。涼しい。先日の、犬吠埼灯台旅から、ほぼ二か月たった。その間、何をしていたのか、少し書き記しておく。

 …犬吠埼から帰ってきたのが、ちょうど六月の頭。まず、旅の後片付け。車から、持ち物や装備品をおろし、整理してアトリエに収納。そのあとは、ほぼ千枚撮った灯台写真の整理。これが、思いのほか大変だった。それから、第一回目の<旅日誌>を書いた。これも大変だった。調子に乗って、あることないこと、とにかく、書きまくった。気づくと、原稿用紙で100枚くらいになっていた。

 写真の補正に飽きると<旅日誌>を書き、書くことに飽きたら、また写真の補正。これの繰り返しで、あっという間に一か月過ぎてしまった。というか、とにかく、一か月で終わらせようとした。作業自体は楽しかった。だが、インターバル撮影したものを、ほぼすべて補正しなければならず、その膨大な量に、後半は、かなり疲れた。

一番参ったのは、犬吠埼灯台編でも書いたが、灯台の垂直と海の水平線が、なかなか出せずに、何回も作業を繰り返したことだ。しかも、いちおう、これでOKと思ったものが、見直してみると、ほとんどがダメ。最初からやり直し!とはいえ、これはさすがに無理で、妥協した。

 つまり、インターバル写真を使って動画を作るのは、今すぐというわけでもない。ならば、すべてを補正しなおすこともない。とりあえずは、ブログなどにアップする写真だけ、補正すればいい。午前午後が丸三日で、六セクション。ほかに、飯岡灯台とか銚子タワーとかで、三セクションほど。そこから、最良の写真を五枚ずつピックアップして、補正し直すことにした。

だが、また、灯台の垂直を出すのに苦労した。しまいには、垂直なのか、傾いているのか、自分の判断に自信が持てなくなった。というのも、これで良し、と思ったものが、翌日見ると傾いているのだ。自分の目と頭を疑った。

 たしかに、目はおかしいのだ。左目は全然ダメだが、右目は、今でも裸眼で0.8くらいはある。とはいえ、以前、もう17年以上診てもらっている先生に言われたことがある。右目にも後遺症があり、ちゃんと見えていない、らしいのだ。

 自分の感覚では、右目は正常に見えているから、先生の診断は聞き流していた。先生、ちゃんと見えていますよ、って。だが、やはり、ちゃんとは見えていないのかもしれない、と今回、自分の感覚を疑い始めた。そう、頭が、実際には傾いているものを、真っすぐに修正してしまうのではないか?いや、これなら、翌日見直したものも、真っすぐに見えるはずだ。

真っすぐに補正したもの、それも確信をもって、それが翌日になると傾いている!どうもよくわからない。10年使った画像編集ソフトを買え替えた。もう少し、精度の高い補正をする必要があると思ったのだ。新しいソフトは、確かに、こと、レンズ補正に関する限り、格段に、性能がアップしていた。コンマ0.1の間隔で、傾きが補正できる。これならと思ったが、やはり、翌日になると傾いている!

 お手上げだ。ついにはこう考えて、これ以上深く考えることをやめた。つまり、垂直、水平というのは、関係概念であり、補正する際、その写真内における水平を基準にして垂直を感覚しているのだから、水平の基準が変われば、例えば、PC画面の水平を基準にすれば、写真内水平を基準にした、垂直も傾くわけだ。

 要約すると、補正しているときは、写真内水平を基準にしているが、翌日は、画面内水平を基準にして見ているのだから、微妙に、垂直が、灯台が傾いてしまった、のではないか?そういうことにしておこう。ま、ついでに言うと、垂直も水平も、絶対概念ではないということだ。…この世に<絶対>などということは、ありえないのかもしれない。

 先に進もう。とにかく、犬吠埼灯台の写真補正と<旅日誌>を六月中に終わらせた。七月になった。だが、何となく疲れてしまい、即、次の旅に出る気にもなれなかった。おりしも、梅雨だ。

 それでも、十日間天気予報などを毎日チェックして、下田のビジネスホテルを予約した。爪木崎灯台へ行こうというわけだ。グーグルマップでの、現地シュミレーションも終わり、楽しみにしていた。が、五日くらい前になって、自分の旅期間に、雨マークがついてしまった。あとで知ったが、一週間以上先の天気予報は、確率が低いらしい。

 当然ながら、ホテルはキャンセル。ま、梅雨だからね、と思って、次の機会を狙った。だが、その後、ずうっと雨マーク、ないしは曇りマーク。しかも、夏休みが近いせいか、ホテルの値段が、日を追って上がっていく。

 それならば、ということで、今度は、新潟の角田岬灯台に照準を合わせて、旅の機会をうかがっていた。例年なら、七月二十日前後には梅雨が明けて、かっと暑くなる。だが、いつまでたっても、雨マークと曇りマーク。グルーグルのマップシュミレーションも終わり、予約するホテルも決まり、あとは、車に携帯品を積み込むだけというのに、予約を再三キャンセルして待ち続けている。

 だが、今日になって、ウソかホントか、八月の三日、四日に晴れマークがついている。早速ネットで予約した。このビジネスホテルは、二日前までなら、キャンセル料をとらない。ぎりぎり、あさっての金曜日まで様子を見て、晴れマークなら、ゴーだ!でも、なんか、いやな予感がするんだよね。

 灯台紀行・旅日誌>2020#2 プロローグ2

唐突だが、今は、2020/08/06だ。八月四日の火曜日に、二泊三日の、三浦半島灯台巡りの旅から戻ってきた。旅の後片付けをして、写真の選択、補正も終わり、これから<旅日誌>を書くつもりだ。

 …時間を戻そう。八月三日、四日に、新潟県の角田岬灯台へ行くつもりで、ホテルを予約した。キャンセル可能日、ぎりぎりまで待って、当日が晴れマークなら、ほぼ二か月ぶりの、第二回目の灯台旅に出るはずだった。

 ところが、それまでずっと晴れマークがついていた三日の日に、急に曇りマークがつき、24時間晴れマークだった四日の日にも、曇りマークがついた。270キロ走って、二泊して、晴れの時間帯が、四日の午後しかない。行ってもしょうがないだろう。角田岬灯台旅の延期を決断した。

 とはいえ、すでに二日前に、車への持ち物、装備の積み込みは終わっているわけで、気持ちが宙ぶらりん。急遽、リストアップしてあった、日立灯台、爪木埼灯台安房灯台の、宿と天気の情報を集めた。

 結果、八月二日、三日に晴れマークのついている、三浦半島安房灯台へ行くことにした。ホテルは、通常より少し高くなっていたが、と言っても¥7000前後だが、予約できた。それが、前日の八月一日の日だった。要するに、明日出発だ。一応、娘に、ホテルの住所と電話番号を伝えた。

三浦半島安房灯台までは、およそ160キロ。三時間もあれば着くだろう。自宅からもっとも近い灯台といってもいい。近くに、城ケ島灯台、諸磯埼灯台、剱埼灯台灯台、観音埼灯台などもある。だが、下調べした段階では、この四つの灯台の絵面は、あまりよくない。粘るなら、波打ち際の岩場に立つ、小ぶりだが、安房灯台だろう。…波しぶきを浴びている灯台の画像が、ネットにアップされている。あわよくば、自分も撮りたいものだ。

 現地の、グーグルマップシュミレーションは、ほぼ二か月前に終わっていて、完璧。ただ、道順だけを、もう一度、検索、確認した。圏央道から東名・町田、新保土ヶ谷バイパスから横横線に入って、衣笠で降りる。そのあと、三浦縦貫道で現地まで走る。要するに、ほぼ高速道路だけだ。圏央道、青梅付近からの、断続的に続く長いトンネルが、ちょっと嫌だと思った。が、これならナビがなくても行けるだろう。

 朝四時起きして、五時出発。現地に遅くとも九時までに入る。今回は、インターバル撮影はしない。というのも、前回の犬吠埼灯台の撮影でわかったことなのだが、五分間隔で撮った写真をスライドショーにすると、かなり飽きる。

 当初意図していた、雲の流れとか、陽の傾き加減とか、そうした、たゆたうとした時間などは、ほとんど感じられなかった。したがって、実験失敗というか、インターバル撮影をする意味がなくなった。それに、一枚一枚の写真が、すべて良いというわけでもなく、むしろ、写真としては、さほど良くないものもある。

それから、インターバル撮影は、肉体的にも精神的にも、思いのほか大変で、かなりきつい。そのことも、この計画から、あっさり撤退した理由の一つだ。思いついたことは、すぐにやってみないと気が済まない。が、うまくいかないと、すぐにあきらめてしまう、そういう性質なんだ。セキネという奴は!

 ま、いい、先に進もう。朝四時起きするには、前の日、夜の八時に寝ればいい。八時間、眠ることができる。などと、さしたる根拠もないことを考えていたからだろうか、ドジな話、夕方、サッシ窓の間に、左親指を挟んでしまった。かなり痛かった。

 ちょうど、爪の月の部分が<爪半月=そうはんげつ>というらしい、内出血したのだろう、青くなっている。押すとかなり痛い。耐えられないほどではないが、ジンジンしている。明日、四時起きして、二か月ぶりの旅に出るというその前の日に、なんということだ!

 幸い、旅の準備は、すべて完了していた。あとは夕食とその片付けだけだ。とはいえ、左親指をかばっているから、行動が何となくぎくしゃくしていて、普段と勝手が違う。嫌な予感がしたし、気分が少し重くなった。

 案の定、消燈したら、ジンジン痛んできた。耐えられないほどではない。だが、気になって眠れない。しかし、明日は、四時起きだ。何としても、眠らねば!こういう時には、奥の手を使う。<数息>だ。数を数えながら、息を吸ったり吐いたりする方法で<催眠法>ないしは<自律訓練法>の一種だ。若いころ書物を読んで習得した技術で、神経が高ぶって眠れないときや、痛みがあるときなどに、この<数息>を実践してきた。むろん、一定の効果があった。

 ちなみに、いまにして思えば狭心症の発作だったのだが、それも二回も!息ができなくなったとき、この<数息>を、一回目は八時間、二回目は五時間実践して、命拾いしたことがある。心臓の<ステント>手術の後に、担当医が、一度詰まったことがあるな、とふともらした。その一度詰まった冠状動脈を、八時間の<数息>で微かに流れるようにしたのだと思う。

 要するに、<数息>は自分にとっては、奥の手だ。おそらく、死ぬときにも実践するだろう。痛みを軽減するために。その<数息>を今回も実践した。おそらく20くらい数えたと思う。少し寝た。目が覚めたのは夜の十時半だった。

 目が覚めるのが早すぎる。とはいえ、何となく、頭がすっきりしてしまい、起き上がって、なかば無意識のうちに、お菓子を食らい、テレビをつけた。…ところで、親指の痛みは、というと、さほど気にならない。たぶん、テレビとか、そういったことで紛れているのだろう。

 ぼうっと、見たくもないテレビを見ていた。ふと時計を見ると、夜中の十二時を過ぎていた。親指を押してみた。やはり痛い。といっても、四時に起きなければならない。あと四時間しかない。寝よう。電気を消して、ベッドに横たわった。なんだか、さっきより、親指がジンジンしている。早速<数息>をやった。20数えても、全然眠くならない。むしろ、目が、というか頭がさえてしまった。

 そう、中途半端な時間、例えば、夕方の遅い時間に昼寝などをすると、夜中の十二時過ぎても眠くならないことがよくある。今回も、それだ。しかも、久しぶりの旅、早起きするという気持ちも合わさっている。ますます眠れない。…まるで遠足の前の晩みたいだ。

 頼みの<数息>も、なんだかうやむやになってしまい、とりとめのない考えやイメージが、眼前の暗がりの中に、あとからあとから湧いてくる。想念の中を漂っているわけだ。…しかとは思い出せないが、何か、気が重くなるような、暗くなるような、深刻なことを考えていたような気もする。

 ふと、目覚まし時計を見た。午前二時だった。どう考えても四時に起きることはできないだろう。目覚ましを五時半にセットしなおした。親指の痛みは、少し軽減したような気もする。とにかくあと三時間、寝よう。

 灯台紀行・旅日誌>2020#3 往路

一日目

八月二日の朝は、四時半に目が覚めた。いくらも寝てないのに、眠い感じではない。予定変更で、目覚ましを五時半にセットし直したのだから、もう一寝入りしようか、などとも考えた。が、完全に目覚めている。起きるしかないだろう。

 親指は、少し良くなったようにも感じた。とはいえ、旅が始まるのに、と自分のドジさ加減を悔いた。身支度をした。今回は、ホワイトジーンを穿いていくことにした。太めの黒のベルトも通した。上は濃いベージュのTシャツ。現地に着いたら、ロンTに着替えるつもりだ。何しろ、真夏の海岸縁へ行くのだ。白系統が一番涼しいのは<入間川歩行>で経験済みだった。

 そのあと、洗面して軽く食事。ベーコンと豆腐を入れた、お茶漬け。それに牛乳。むろん、食欲などない。ただ、何か腹に入れれば、便意を催すことがある。だが今回は、目論見が外れて、ほとんど出なかった。ま、それでも、ほんの少しは出たので、良しとした。

 枕と目覚まし時計、シェーバー、保冷剤入りのバックに500mmペットボトルの水二本、そのバックを二個、茶色のトートバックに詰めこんだ。玄関に向かった。ふと思って、行ってきます、とニャンコに呼びかけた。そう、ニャンコが死んで、ほぼ四か月たっていた。最近は、死ぬ前に苦しんだニャンコの姿を、思い出すことも少なくなった。罪の意識、自分を責める気持ちも、ぼんやりしてきて、以前ほど、辛い、悲しい気持ちになることもなくなった。

 車に乗った。城ケ島公園とナビに入力した。出てきた道順は、環八経由で第三京浜、横横線。つまり、距離は近いが、都内を縦断するコースだ。これはいただけない。若い頃に生活費を稼いだ、軽トラの運転手の経験からして、これは最悪のコースで、というか、あの当時は、横須賀方面へ行くには、これしかなかったが、とにかく、環八が混むんだ。このコースは、意地でも通らない。

 ナビが古いから、圏央道経由の道順は出てこない。いいさ、ナビなんかなくたって、高速だけなんだから、東名・海老名のパーキングまで行って、そこで<城ケ島公園>とナビに読み込ませよう。朝の五時四十分、最寄りのインターへ向けて出発した。

 日曜日の早朝だというのに、圏央道は、思いのほかにぎやかだった。ま、乗用車は、遊び車だろう。だが、大型トラックは予想外だった。日曜日だから、休みなのではないか?いや、曜日は関係ないのかもしれない、などと思っているうちに、狭山パーキングに入った。

 混んでいる、というほどでもない。車がそこそこ止まっている。ベージュの薄手のロンTに着替え、手の甲と指全体、あとは、念入りに、顔に日焼け止め塗った。日焼け止めは、なんか、べたべたする感じで好きではない。とはいえ、前回の旅の教訓だ。塗らないとまた、露出した部分が赤く焼けてしまう。しょうがないだろう。

 その後は、青梅辺りから、断続的に長いトンネル走行。これが、いやだった。というのも、2016年の御前崎灯台旅の際、かなり難儀したからだ。当時は、車を買え替えたばかりで<自動ライト点灯>という機能を知らず、トンネルのたびに、前照灯を点けたり切ったりしていた。しかも、その際、暗かったり眩しかったりで、サングラスを外したり掛けたりと、非常に疲れた。

 それでなくても、トンネル走行は気を使うのにと、あの時の経験が、少しトラウマになっていた。が、今回は、ライトの点滅は自動だし、サングラスは、その都度、ちょっと下げたり上げたりするだけで、用が足りた。難所と思っていた箇所を克服できたわけで、多少気が楽になった。

 とはいえ、やはり、トンネル走行は疲れる。幾つトンネルをくぐらねばならないのか、はじめは少し数えていた。そのうち、運転に集中してしまい、何本のトンネルを走り抜けたのか、よくわからない。青梅から八王子、さらに高尾山の看板を確かめながら、80キロ前後で、走行車線を慎重に走った。

 視界が開けたのは、相模原の看板が見えた頃からだった。左手に、文字通り真っ青な稲田が広がっていた。ほっとした。世界に出てきたことを実感した。じきに、厚木パーキングの看板がみえた。やり過ごして、分岐を左、東名上りに入った。

 すぐに、海老名のパーキング。給油のできるSAで、車がたくさん止まっていた。時間は、七時四十分、約二時間走ったわけだ。一息入れよう。トイレで用を足し、日陰へ行き、少し体を屈伸させた。自販機でカフェオレの小ボトルを買って飲んだ。まだ、全然疲れていない。見回すと、ほとんどの人間がマスクを着けていた。

走り出すと、すぐに町田インター。東名を降りて、新保土ヶ谷バイパスに入る。そのまま、ずうっと、ほぼ道なりで、横横線に入る。道幅も広いし、大型車がほとんどいないせいか、走りやすい。あっという間に、衣笠インター。横横線を降りて、三浦縦貫道に乗る。と、料金所。¥310取られた。すぐに一般道に突きあたったので、ちょっと高いなと思った。ま、家を出てからここまで、ほとんど渋滞なし、気分は良かった。

 一般道に入り、城ケ島方面へ向かう。車は走っているものの、渋滞はしていない。比較的すいすいと進み、見たことのある光景が目の前に広がってきた。城ケ島へ渡る橋の付近だ。このあたりからは、マップシュミレーションしている。

 橋を渡りながら、左右の海辺の景色をちらちら眺めた。ナビに従ってそのまま直進した。が、どうも行き過ぎたようだ。Uターンして、橋のたもとを左折、城ケ島公園に到着した。たしか九時前だった。約三時間かかったわけだ。

 駐車場に入る前に¥450、係のおじさんに取られた。とはいえ、黄色の駐車券は、ほかの駐車場にも使えるとのこと。ちょっとピンとこなかったが、すぐに、近くの城ケ島灯台に行くときに役立つかもしれないと思った。灯台付近に駐車場がいくつもあったのを思い出したのだ。

 駐車場は、さして広くはない。時間がまだ早いせいか車は少ない。外に出た。暑い!梅雨明け十日、という言葉があるようだ。まさにそれだ。車のリアドアを開けて、装備を確かめ、カメラバックを背負った。大げさでなく、これだけで汗だく!トイレに入り、案内板を眺めて、灯台の方へ向かった。

 灯台紀行・旅日誌>2020#4 安房灯台撮影

 城ケ島公園、よく手入れされた気持ちのいい場所だ。遊歩道の両側にはアジサイ花壇があり、むろんアジサイは時季外れで枯れているが、松だったかな?木立もあり、そこそこ日陰になっている。といっても、暑い!

 すぐに視界が開ける。正面は芝生の広場。右手に、コンクリの四角い展望台。迷わず、階段を登ると、一階なのだろうか?日陰になっている。ひんやり涼しい。さらに上がると二階だろうな、海風が吹き抜けていく。気持ちがいい。四辺に木のベンチが置いてあり、360度の景観。

 南側が海、ま、太平洋だな。沖合に、船やヨットが点在している。空も海も真っ青。いいね!東側は、ほぼ逆光でよく見えない。西側は、城ケ島灯台方面で、風景的にはイマイチ。北側は三崎港。渡ってきた城ケ島大橋が左隅、中央には、防波堤灯台が見える。撮るには望遠が必要。帰りに撮ろう。展望台をぐるりと一周して、また海側に戻り、ゆっくり写真を撮った。

 展望台をおりた。芝生広場を突っ切ると、遊歩道は二股に分かれる。両側にアジサイ花壇、さっきと違い、木立がまばらなのか、日ざしがきつい。右側の道を行く。と、正面に、とんがりのデザイン灯台。はは~ん、これが新しい灯台なのか。ちなみに、この時点では、波際の安房灯台がまだ健在だと思っていた。

 とんがり灯台に近づきながら、カメラを構えた。が、どうもよろしくない。逆光、しかも、両脇がスカスカだ。灯台手前の、さっきより、ひとまわり小ぶりな展望台に登った。とんがり灯台はすぐ目の前、全景は撮れない。が、北東側に回り、海を背景にして、真ん中辺から、逆光の中、なんとか撮った。…灯台写真には、どうしても海が必要なのだ。ま、個人的な思い込みにすぎないが。

 展望台を下りて、いやその前に南側の海を気分良く撮ったとおもう。ともかく、とんがり君の周りを360度ぐるっと回って、絵になりそうなポジションを選んだ。それは、お決まりではあるけれども、灯台の正面だった。したがって、自分は海を背にしている。背景に海は入らない。だが、空は真っ青だ。

 ところで、このあたりから、いやな予感がしてきた。とんがり君の広場からは、安房灯台が立っている岩場が、遠目に見える。だが、そこに、あの白い特徴的な形の、小ぶりな灯台が見えないのだ。しかも、グーグルマップには<旧安房灯台跡>と記されていたような気もする。

 とはいえ、ここまで来た以上、前に進むしかない。広場先端の、浜へ下りる階段を下った。階段自体は、幅も広く、しっかりしている。だが、周りは鬱蒼としていて、しかも、ひどく暑い!…ここに着いた時から、暑い暑いの連発だが、本当に暑かったのだ!

 視界が開けた。そこは、歩きづらい、ごつごつした岩場で、三々五々、浜遊びの家族連れなどでにぎわっていた。正面を見た。灯台らしきものはない。あれ、岩場の下にあるのかな?とまだ、安房灯台が健在なものと思い込んでいる。転んだり、滑ったりしないように岩場を渡り、先端に近づいた。

 何やら、立ち入り禁止のロープが張ってある。その向こうに、肌色の土嚢袋が山と積まれている。ここで初めて、事の次第を了解した。わかるのが遅すぎるだろう。安房灯台は解体されてしまった!その破片が袋に入れられ、撤去されずに残っている、というわけだ。

…今、ネットで<安房灯台 解体 理由>を検索。要するに老朽化だって!とはいえ、何で、このコロナの時期に解体作業をしたのか、いや、半世紀もたつ、特徴的なフォルムの、美しい灯台と美しい景観と美しい思い出を<老朽化>という理由で解体してしまうとは、なんとまあ~愚かなことを!

 公募された二代目の安房灯台、とんがり君にケチをつけるつもりは毛頭ないけれども、やはりね~、初代の安房灯台の方が、クールでしょ!古いものが好きなのは、おじさんの習性だ。

 未練がましく、立禁ロープの直前まで行って、岩場の先端に山と積まれた肌色の袋を、海と空を背景にして、しつこく撮った。どうみたって、写真としてアップできるような代物ではない。が、なんだか、撮らずにはいられないような気がした。

 撮り終わって、ひと息入れた。暑い!カメラバックをおろした。ロンTの背中が汗びっしょり。その場で脱いで、予備のものに着替えた。岩場に座りこみ、海を眺めた。たしかに、左の方に陸地が見える。房総半島だろう。三浦半島の先端にあるのに<安房灯台>というのは、彼方に、房総半島=安房国が臨めるからだそうだ。目を細めて、その陸地の先端を見た。あそこが、犬吠埼だろう。二か月前に、行ったところだ。

注釈(<犬吠埼>は、完全なる勘違い。実際は館山あたりだろう。2020-10-27 記)

 さ、引き上げだ。岩場の先端から、幅三十センチほどのコンクリの小道が、岬のてっぺんまで、そう、とんがり君をめがけて、うねうねと岩場を這っている。解体工事用に造った道なのか、それとも、観光客用の道だったのか、よくわからない。ただ、自然の岩場に引かれた、灰色のくねくねした小道に、違和感を覚えた。ぼんやりと、あの上を、肌色の袋たちが、台車に載せられ運ばれていくのか、と思ったような気もする。

 そのコンクリの小道をたどりながら、岬に戻ろうとした。が、途中で、巨大な岩を、垂直に登らざるを得なかった。小道が、そうなっているのだ。手を突きながら、危なっかしい足取りで、なんとか登りあがった。少し高くなったところで、岩場全体が見下ろせた。息が切れた。立ち止まり、解体されてしまった、灯台の方を眺めた。なんということもない光景だ。だが、少し名残惜しいような気もした。

 巨大な岩から、これまた、危なっかしい足取りでおりた。振り向くと、解体現場は死角になり、もう見えなかった。向き直ると、前の方に、岬に登る階段が見えた。あ~なるほど、さっきの展望台の横にあった階段だな。そう思いながら、岩場をそろりそろり歩いて近づいた。岬のてっぺんを見上げて、大した距離でもないと思った。だが、その階段が急で、しかもけっこう長い。息切れがした。いや、疲れていたのだろう。とにかく、登りきったところで、立ち止まり、一休みした。

 暑い!信じられないほど暑い!とはいえ、今一度、とんがり君をベストポジションの正面から何枚か撮った。先ほどとは、明かりの具合が変わっている。念のためだ。これで一応、撮影は終わり。あっさりしたもんだ。展望台で一息入れよう。

 展望台の階段を登ると、すぐに木のベンチが目に入った。四角形の建物だから、東西南北、それぞれ一辺ずつに同じベンチが一つ置いてある。階段口は東側、できれば海側の南側の方がいい。何しろ、涼しい海風が来るからね。と思って、首を伸ばして見てみると、オヤジが座っている。それも、ちょっと休憩というよりは、じっくり腰を据えてスマホをいじっている。こりゃだめだな。

 階段口のベンチに腰掛け、着替え、給水、靴下も脱いだ。ま、ここも日陰で、涼しい風が来る。と、なんだか、急に疲れた。眠くなってきた。かまわず、木のベンチにあおむけに寝転がった。少し眠ろうか。ところが、背中が痛い。今度は横向きになり、肘を枕にして、目をつぶった。

灯台紀行・旅日誌>2020#5 城ケ島灯台撮影

 観光客が何組か、階段を登ってきた。話し声がうるさい、と思いながらも目をつぶっていた。そのうち、一瞬、静寂。体の緊張が解けて、うとうとしたのかもしれない。腕時計を見ると、十一時を過ぎていた。三十分ほどたったようだ。あと三十分寝ていようかな、だが、頭がはっきりしてきた。もう寝ていられない。

 身支度をして、展望台を下りた。目の前のトイレに入り、自販機でスポーツ飲料を買って飲んだ。とんがり君のそばに寄り、案内板を見た。なるほど、<三浦大根>をイメージした、デザインだったんだ。下部の緑色のハチマキは、そういう意味だったのね。

 駐車場の方へ戻りながら、ふり返って、とんがり君を、二、三枚撮った。ま、これはこれで、かわいい。あとは、北側の柵沿いを歩いた。三崎港にある防波堤灯台を狙ったが、遠目過ぎる。それに手前の枯れ木が邪魔で、写真にならない。ついでだ、大きい方の展望台に再度登って、望遠で狙ってみた。なんだか、あまりぱっとしない。散文的な港の風景だ。どうということもない。ほとんど粘りもせず、望遠をカメラバックにもどした。

 炎天下の、危険な暑さの中、駐車場に戻ってきた。車が満杯だ。だろうな、いい天気だ。それにしても、コロナ問題はどうなんだ。ほとんどの人間が、一応マスクはしているが、関係ないような感じだ。もっとも、自分も、コロナのことなど、ほとんど考慮していない。人と接触しないし、移動はすべて車。大丈夫だろうと思っている。楽観しすぎかもしれないな。

 蒸し風呂、いや、焼けるような車内に入った。すぐにエアコン全開。ナビを、城ケ島灯台付近のパーキングにセットした。見ると、鉄パイプのやぐらの上に、係のおじさんが立っている。車の出入りとか、誘導をしているのだろう。たいして広くもない駐車場なのに、大仰な感じがしないでもない。だが、ある意味、ちゃんと考えて管理運営しているわけだ。

おじさんに、せかされているような気がして、むろん、そんなことはないのだが、すぐに車を出した。驚いたことに、出入り口には、駐車待ちの車が何台か並んでいた。それを横目で見ながら、坂を下って、一般道に突き当たる。右折して、ぐるっと回りこむような形で三崎港に下りる。とすぐに、道沿い右側にパーキング。例の<ワンデーパス>駐車券を機械に飲ませ、駐車。灯台に一番遠い駐車場だから、空いているのだろう。

 真夏の十二時頃だったのだろうか、車外に出ると、いやはや、暑いのなんのって、話にならん!重いカメラバックを背負うのが億劫。せめて、望遠カメラだけでも、車内に置いていくわけにはいかないのか。無理だな。炎天下の車内に、精密機械を置き去りにはできないし、盗難も気になる。何しろ小心なのだ。

 土産物屋が左右に並ぶ、少し広い道を歩いて、灯台へ向かった。途中、何か飲食店の前で、行列している。ほとんどが若い人たちだ。この暑さの中、並んでまで食べる価値のある店なのだろうか?ま、余計なお世話だな。

 灯台への入り口は、この辺もマップシュミレーションしているので初めて見る光景ではないが、急に道幅が狭くなる。ちょうど、人がすれちがえる程度。そして、両側には土産物屋が並んでいる。どこかで見た感じ。いわゆる、昭和の観光地にありがちな設定だ。ま、たしかに、城ケ島、と言えば、昭和の夏場の観光地だ。東京に住んでいる人間なら、行ったことはなくても、知らない人はいない。もっとも、自分が子供の頃には、そこに、灯台があったとは記憶していない。ガキの頃から、灯台なんかに興味があったら、逆に変でしょう。

 ちなみに、時代が二つ変わっているにもかかわらず、夏場の城ケ島に遊びに来る若者たちは、<昭和>そのものだった。いわゆる、遊び人風で、赤黒く日焼けして、男も女も派手なアロハ、短パンにサンダル。そこかしこにたむろしている。<昭和>に乗りそこね、<昭和>をやり過ごしたおじさんとしては、なんとも複雑な気分だった。

 灯台へ登る階段は、その、軒を連ねた土産物店が切れたところにあった。注意していないと、見落としてしまう。なんとまあ、あからさまな商魂なのだろう。とはいえ、階段は、補修してあり、少し広めで、急なものの歩きづらくはなかった。すぐに、灯台下の公園に着いた。

 三浦半島の先端部には、城ケ島灯台安房灯台、諸磯埼灯台、剱埼灯台と、至近距離に四つの灯台がある。片道160キロくらいなので、自宅から最も近い灯台たちである。はじめは、城ケ島のホテルに三泊して、これらの灯台を撮ろうと思った。だが、そのうち考えが変わった。

 というのも、ネットの掲載写真を見る限り、安房灯台以外は、さしたる景観が期待できない。要するに、たんなる観光記念写真になってしまう可能性が大である。写真としてモノにはなるまい、と思ったのだ。したがって、安房灯台以外は、時間があったら撮りに行こうかな、という考えに落ち着いた。

 ところがだ、粘って、いい写真を撮ろうと思った、その安房灯台は、跡形もなく解体されていた。しかも、二代目のとんがり君は、ロケーションにしても、フォルムにしても、粘って撮ろうという気にはなれなかった。要するに、今回の撮影旅の主題が霧散してしまい、気分的に宙ぶらりんな感じになってしまった。

 ま、幸いなことに、付近にはいくつも灯台がある。気分を変えて、観光気分で灯台をめぐってみるのも一興だ。とまあ、節操もなく、自分に都合よく考えて、城ケ島灯台、剱埼灯台を巡ることにした。その城ケ島灯台だが、マップシュミレーションした限り、撮影ポイントは三つしかない。しかも、残念なことに、三つとも、大したことない。

 その一つ目が、灯台下の公園からのショットだ。左右に動いたり、近寄ったり引いたり、何枚も撮った。とはいえ、何しろ、灯台の形ははっきり見えないし、手前は階段、両脇には植木、背景は空だけ。ま、勝負にならならなかった。

 階段を登って、灯台のすぐ下へ行った。むろん、写真などは撮れない。近すぎる!灯台に沿って歩くと、何か落書きのようなものが。いや違った、よく見ると、ハート形をあしらった<ラッピング>らしい。…今、ネットで調べた。なるほど、灯台本体にも、海の向こうに富士山が見える落書き、いや違った<ラッピング>があった。これらは、<インスタ映え>するようにと、観光協会が企画、制作したものらしい。

 あの時は、てっきり、趣味の悪いいたずらだと思って、よく見なかった。が、最初のハートマーク二つは、ペア灯台の、安房灯台と城ケ島灯台の所在地らしい。富士山の方は、よく見ると、灯台のドアを開けると、海が見えるという趣向になっている。そばに、大きなマグロをくわえた黒猫もいる。まったく気づかなかった。

 二つ目のポイントは、灯台の敷地から、回転柵のようなものを通り抜け、少し海側へ行く。振り返ると、灯台のほぼ全景が見える。右側には木製の遊歩道があり、やや距離感が出せる。ただし、背景は空のみ。海は画面におさまらない。しかも、時期が時期だけに、観光客がひっきりなし。人影が消えるのを待って、何枚か撮った。

 もっとも、遊歩道はすぐに行き止まりで、観光客は、すぐに帰ってしまう。中には、灯台の写真を撮りに来た人たちもいるので、そういう方たちは、かなりの時間滞在する。その間、海の方を見て、やり過ごす。あるいは、暇つぶしに、何度か行き止まりの柵まで行って、下を見下ろした。閉館したホテルと駐車場が見える。つまり、ホテルの敷地から、灯台に上がる階段があり、本来ならば、この立禁の柵がなければ、下に下りられるわけだ。ホテルの閉館は、コロナの影響なのだろうか、などと思った。

 三つ目のポイント。このアングルはほとんどネットに上げられていないが、木製デッキの遊歩道を、来た方向へ戻り、左手の灯台をやり過ごして、さらに少し行ってふり返り、遊歩道上から灯台を撮る位置取りだ。ただし今回は、遊歩道がすれ違い出来ないので、その場で粘ることはできず、振り返りながら撮るという感じになった。ま、スナップショットだな。モノになるかならないか、帰ってからのお楽しみ。

 帰り際、今一度公園に戻り、灯台にカメラを向けた。やはりだめだ。ふっと我に返って、辺りを見回すと、炎天に焼かれているベンチがいくつかある。少し腰かけたのだろうか?どことなく荒れている、その猫の額ほどの公園には、ほかにも、モニュメントのようなものもあった。そばまで行ったはずだが、ろくに目もくれず、港の方を見た。反射的にカメラを向けたものの、全然絵にならない。シャッターすら切らなかった。

 階段を下りた。土産物店の水玉の浮き輪が目に入った。誰も入っていない食堂の前では、イカが焼かれている。雑駁な光景だ。でも、いやではなかった。<昭和の時代>を少し楽しんだ。

灯台紀行・旅日誌>2020#6 剱埼灯台撮影

 駐車場に戻った。車のリアドアを開けて、重いカメラバックをおろし、着替えをした。要するに、バックと背中の間が蒸れて暑いのだろう。そこだけが、汗びっしょりなのだ。濡れたロンTをダッシュボードに広げ、むろん乾かすためだが、一応車にキーをかけて、すぐそばのトイレに寄った。ついでに自販機で、スポーツ飲料を買って飲んだ。ナビを、今度は、剱埼灯台近くの駐車場にセットした。城ケ島か、どことなく昭和の響きだ。暑かったが、まだ全然疲れていなかった。

 ナビに従って、うねうねと、二十分ほど走ったのだろうか。一般道から右折させられ、畑の中の狭い道に入った。どう考えても、すれ違い出来ない。待機する場所すらない。向こうから車が来たら、どうするんだ。ひやひやしながら、ゆっくり走っていくと、あ~、見えました。私設の駐車場だ。

 マップシュミレーションで、下調べはできている。さほど驚きもしなかった。とはいえ、現場はもっと、面白かった!まずもって、入口の家が、崩れかかっている。青いビニールシートもボロボロ。解体?が進んでいる。しかも、道の両側にびっしりと大きめのペットボトルが並んでいる。焼酎のでかいボトルもある。

注釈(家が崩れかかっているのと、ブルーシートは、2019年の台風による被害だったようだ。うかつにも、その時は全く気付かなかった。2020-10-27 記)

 入口で出迎えてくれたのは?白髪まじりひげ面、少しエラの張った、日焼けした、というか、酒焼けかな?茶色い爺だった。窓を開けて、こんちわ、と言うと、いきなり、何時ころまでいるんだ、とじろじろ見ている。灯台を撮りに来たんで、一時間くらいかな、と答えると、それなら¥500でいいや、ぶっきらぼうに呟いている。五百円玉を渡すと、どこから取り出したのか?小さな黒っぽいきんちゃく袋の中に、無造作に放り込んだ。風体は、ま、完全にホームレス仕様だ。

 駐車場は意外に広かった。むろん下は舗装されていないが、仕切り線などもちゃんとしている。もっとも、周辺には廃車もあり、中にごみ袋などがぎっしり詰まっている。ほかにも、ガラクタが、そこここにうず高く積まれている。それにしても、縁にペットボトルがきれいに並べられている。自分にとっては、入間川で見慣れた光景なので、気持ちはほとんど動かない。だが、初見の人は、多少動揺するかもしれない。病んだ野良猫などもいた。

 車から降りて、出かける用意をしていると、何かメモしながら、爺が近寄ってきた。車のナンバーひかえている。ちゃんとカネを払ったかどうか記録している。ところが、それで終わらない。立ち去らず、一方的に、脈絡のないことを話しかけてくる。答えを期待している様子はない。ま、それでも一応、灯台に話題を持っていくと、この前の台風でレンズが壊れたとか、今は暗くなると自然に灯るが、時々故障して点かないときもある。などと、脈絡がない。

 これ以上相手をしていても、ラチがあかない。バックを背負い、車にキーをかけ、出かけるそぶりを見せる。だが、そんなことには頓着せずに、話しかけてくる。何しろ会話にならないんだから、ふんふんと相槌を打って、逃げ出すチャンスをうかがっていた。と、入口に車が来た。爺は、料金徴収のため、そっちへ行く。自分も一緒に歩いていき、やっと解放された。

 剱埼灯台へ向かう、細い畑道の突き当りに、私設駐車場があるのかと思っていた。だが、歩き出して気づいた。道はまだ続いていて、坂になっていた。右手に灯台の登り口があった。ここは柵止めされていて、車は通れない。だが道は、さらに急な下り坂になり、続いている。はは~ん、浜に出られるんだ。その浜にも灯台がある。間口港灯台といって、小ぶりながら、ロケーションはいい。あとで寄ってみよう。そんなことを考えながら、右に曲がり、灯台へと向かう、日陰の、かなり急な、蒸し暑い坂道を登った。少し息が切れた。

 登りきったところに、案内板があり、白い塀に囲まれた剱埼灯台が見えた。左、手前に、灯台より大きなレーダー塔がある。銀色の円盤が回っている。う~ん、正面から撮るには、このレーダー塔と網フェンスが邪魔だ。灯台そのものは、思いのほかレトロな感じで、存在感がある。一目で気に入った。

 こうなると、なんとしても、モノにしたい!暑い中、灯台の敷地を隅から隅まで歩いて、時には塀の外の草むらにまで出て、写真撮影を楽しんだ。幸いなことに、観光客は来なかった。ここは観光灯台ではないし、観光地でもない。どことなく荒れ果て、見捨てられた、真っ白な灯台。それに、真っ青な空、静寂、突き刺さる日射。最高の時間だった。

 ところがだ、やはり、ここにも観光客が来た。もっとも一組だけだったが。老年?のカップルで、女性の方はオレンジ色の派手なワンピースに、青っぽい日傘をさしていた。夫婦かなとも思った。だが、その寄り添う雰囲気が、どうも何か、訳ありだ。灯台の裏に入って、つまり、自分からは見えない場所、この敷地の中の唯一の日陰から、なかなか出てこない。ま、その間は、写真撮影に専念できた。

 たが、やっと出てきたと思ったら、灯台左横の仕切り塀に沿った所で立ち止まり、こちらに背を向け、海を見ている。日傘の相合傘、しかも、かなり長い時間。二人の世界だな!これには参った。灯台の写真を撮っているのだから、どうしても、老年カップが画面に入ってしまう。ま、あとで、修正することもできる。とはいえ、できればいない方がいい。レーダー塔を囲っている網フェンスの、スカスカな日陰にしゃがみこみ、様子をうかがっていた。何としても、粘って、いい写真を撮るつもりだった。

 撮った写真のモニターをしたり、給水したり、少し時間をやり過ごして、また撮りだした。位置取りを、正面から少しずらしたので、カップルの姿は、さほど気にならなくなった。ほどなくして、相合傘の二人は姿を消し、真昼の静寂が戻ってきた。とはいえ、ベストポジションに確信が持てず、今一度、灯台の周りをまわりながら、撮った。暑くて、もう限界だった。引き上げ際、灯台に向き直り、心の中で、また撮りに来よう、と思った。真っ白な灯台が、名残惜しかった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#7 間口港灯台撮影

急な坂を下った。突き当りを右に曲がった。片側は木々が生い茂り、反対側は、ちょっと開けた畑だったような気がする。その日陰の細い坂道を下った。すぐに、浜が見てきた。手前には民家、道を挟んで、仮設の駐車場。砂地の中に二、三台、車が止まっている。出入り口の木々の枝に、デイキャンプと書かれた大きめなカードがぶら下がっていた。なるほど、それ用の駐車スペースというわけか。

 浜には、三々五々、テントがあり、家族が海に入って遊んでいる。岩場の多い浜で、背後には木々があり、少し日陰がある。視界の左方向、波打ち際の岩場に、間口港灯台が見える。ところで、この灯台は、防波堤灯台によく見られる形をしている。この特徴的な形を、なんと形容するべきだろう。比較的小ぶりな、白いタイル張りの灯台なのだ。

 ちなみに、いまネットで調べた。<標準型防波堤灯台>という範疇で、その大きさによって、何種類かある。大雑把に記述してみよう。直方体を縦にして、その上に細長い円筒形がくっついている。そのてっぺんには、円筒形の直径よりやや大きい、平べったい円柱がのっている。つまりそれは台座で、その上に光を出す機械が鎮座しているのだ。

 そして、縦・直方体の一辺には扉があり、細・円筒形には金属の梯子が掛けられている。しかも、すべて五センチ四方くらいの白いタイル張り。納得できる記述ではないが、とにかく、この特徴的な形は、おそらく、誰もが目にしたことがあり、見れば、あ~と納得していただけるだろう。だが、誰もが見知っているこの灯台が、どこの誰によって設計されたかは、今回、ネット検索してもわからなかった。

 ま、機能的ではある。が、すくっと立っているわけでもない。真っ白というわけでもない。多種多型で美しい、大きな沿岸灯台に比べて、やや見劣りする。それに、似たようなものがたくさんあるので、見飽きている。だが、夜の海に光を投げかけて、船舶の安全な航行に寄与している。…今ふと思った。日本全国津々浦々、幾百幾千の防波堤灯台クンたちに、昭和の匂いを感じるのは自分だけだろうか、と。

 この岩場に立つ<標準型防波堤灯台>に、RLE型かな?写真を撮りながら近づいて行った。下は、岩場と砂地で歩きづらい。海水浴客の間を通り抜ける際には、いかにも自分は灯台を撮ってます、といった雰囲気を出したつもりである。というのも、目に眩しい水着姿の女性たちもいるので、盗撮でもしてるんじゃないか、と疑われそうな気がしないでもなかったからだ。だから、ことさら、灯台クンにのみ、カメラを向け続け、周りを見回すようなことはしなかった。小心者なのだ!

 灯台クンに近づくにつれ、その根元付近で釣りをしている若い男の存在が気になってきた。どうしても画面に入ってしまう。どかないかな、と思ったが、なかなか立ち去らない。ま、これは致し方ない。さらに、写真を撮りながら、歩を進めて、灯台クンの正面、さらには、岩場の行き止まりまで行った。

そこは、背後の木々により日陰になっていた。一休みしよう。お決まりのように、ロンTの着替え、給水、靴下も脱いだ。ふと思って、上半身裸のまま、汗ぐっしょりのロンTを目の前の日の当たっている岩場に、かぶせるような感じで広げた。腹の贅肉が気になったが、ここは海だ。

 ところで、旅の前日に痛めた親指のことだ。今朝になっても、さほどの不都合は感じない。爪半月が真っ青に変色しているものの、押しても痛くない。撮影旅でアドレナリンが出ているんだろう。今日の就寝後が少し気になった。それよりも、足の甲だ。両方とも、かゆい!それも、前回の旅で感じたような痒さ、しかも同じ場所。また、日焼けによる湿疹かな。とはいえ、薄手の靴下をはいているのだし、さほど日射を受けた覚えもない。やっぱ、靴が悪いのかな~?ミズノのウォーキングシューズ、本革仕様。革がいけないのだろうか?対処の仕方がわからない。

 と、目の前を、黒っぽいオヤジが通り過ぎていく。手にはカメラを持っていたような気もする。目で追っていくと、岩場の奥にあった階段を登って、漁港の方へ消えた。この灯台クンは、剱埼灯台の向かい側の漁港に車を止めて、近づくものだと思っていた。剱埼灯台からのルートなど、頭になかった。ま、そういった意味では、この酷暑の中、手間が省けたわけで、ラッキーだった。

 さ、引き上げだ。身支度をした。辺りがやや赤みがかっている。時計を見ると、三時過ぎていた。今一度、灯台クンに近づき、そして遠ざかりながら、写真を撮った。幸運なことに、一瞬、若い釣り男の姿が消えた。真っ青な空と海、岩場に灯台クンだけの写真が、何枚か撮れた。

 浜からの細い急な坂道を上った。途中、立木の葉を指さしながら、何か話している中年の男女が目に入った。二人とも黒っぽい服装。女性の方は大柄で、目鼻立ちがはっきりしていたような気もする。そばに、緑色の大きなバイクがあった。ちらっと見ながら、さらに、駐車場へと向かう坂を上った。と、後ろから、二人乗りのバイクが追い越していった。黒光りするフルフェイスのメットをかぶった女性が、後ろから男にしがみついている。少し気持ちが動いた。羨ましい、と思ったのかもしれない。

 ごたごたした、それでなくても暑苦しい、私設駐車場に着いた。茶色い爺が入り口で待ち構えていて、早速何か話しかけてきた。ふんふんと聞き流しながら、自分の車のところへ行った。爺もついてくる。とはいえ、今回は、隣に黒いワゴン車が止まっていて、運転手が外にいる。さっそく爺はそっちと話し始める。ま、要するに、誰でもいいわけだ。

 着替えをして、出ようとした。出入り口には、爺のほかに、二人ほど老人がいる。一人は爺と同じような、ホームレス仕様。友達なのかもしれない。もう一人は、痩せた、ワイシャツ姿の控えめな男。いつもうつむいていて、人と目を合わせないタイプだ。そういえば、さっき、下のデイキャンプ用の駐車場で、この老人が何かメモしていた。なるほど、あそこも、爺の稼ぎ場所だったか、と合点した。控えめ老人は、おそらく、この夏の時期だけ、爺にやとわれた、バイトだな。

 窓を開けて、冷やかし半分、爺にたずねた。朝何時からあけているんですか?というのも、この剱埼灯台には、また来たいと思ったからだが、爺は、夜明けから開いている、としごく当たり前のように呟いた。続けて、またしても脈絡なく、台風が近づいている、と何か得意げに言っている。ふんふんと頷いて、窓を閉めた。出口で大きく左折する際、また、崩れかけた家と、ぼろぼろのブルーシートが目に入った。その前に赤い自販機があった。甘いものが飲みたいような気もしたが、買う気にはなれなかった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編 2020#8 ビジネスホテル宿泊

 四時過ぎていた。大げさに言えば、三浦半島の右岸側?を北上している。宿は、京急線の<YRP野比駅>近くのビジネスホテルだ。ここから、およそ15キロ、三十分くらいで着くだろう。時間的には、ちょうどいい。

 ところで、ビジネスホテル、というのは、だいたいは大きな駅の周辺にあるものだ。あるいは観光地だな。ひるがえって、辺鄙な灯台の付近には、民宿とかペンションなどはあるが、あるいは旅館などはあるが、ビジネスホテルはお呼びじゃない。とはいえ、一人旅には、このビジネスホテルが、一番気楽でいい。それに、民宿・ペンションなどより、予約も取りやすい。

 今回の灯台旅で、ビジネスホテルがあるのは、横須賀だ。ただ、撮影地から、あまりに遠すぎる。というので、最初候補にしていたのは、城ケ島のリゾートホテルだった。ここは、地の利がある分、やや高め、しかも、予約が取れなかった。ということで、見っけたのが京急YRP野比駅近くにあるビジネスだった。ちょうど、横須賀と城ケ島の中間あたりだ。

 はじめ、なんでこんなところにビジネスホテルがあるのかと思った。しかも<YRP野比駅>って、なに?駅の名前に、アルファベットが付くって、あまりないでしょ。検索すると、<YRP>とは、横須賀リサーチパークの略。電波・情報通信などの研究開発拠点らしい。なるほど、仕事がらみでビジネスホテルを利用する人がいるわけだ。ところが、マップシュミレーションすると、丘の上には、かなり大きなガラス張りのビルが何棟か建っているものの、まだスカスカな状態。開発途上、というよりは、誘致失敗、途中で見捨てられた感じだ。

 ま、いい。話を戻そう。ナビに従って走っていくと。海岸沿いのにぎやかな道に出た。渋滞している。八月の日曜日だからな、とのんびり構えた。たらたら走っていると、そのうち、弓なりの浜辺が見えた。けっこう人が出ている。はは~ん、これが三浦海岸か。道路左側は、びっしり民宿や旅館、食堂やサーフショップなど、かなりの盛況。右側は、護岸沿いにずうっと駐車場。昔からの、夏の観光地だ。整備されているし、どことなくあか抜けている。

 …湘南、三浦は、東京とはいえ、場末の板橋あたりの中学生が行くところではなかった。その後も、なぜか、敷居が高くて、今に至るまで、行ったことはない。もっとも、泳ぎが苦手ということもあり、海はあまり好きではない。それに、女性の姿態が眩しい海辺の誘惑を、意識的に拒否していた。海へ行くよりは山。禁欲的な山登りの方が好きだった。

 夏、浜辺、女性の水着姿、これらは、十代の記憶、いまだ何者でもなかった頃の記憶を喚起する。なんとなく、甘酸っぱい気分になり、海辺の渋滞を楽しんでいた。が、もう小一時間たっている。そろそろ飽きてきた。と、車が動き出した。渋滞を抜けたようだ。

 宿に着く前に、付近のコンビニで夕食を調達しなければならない。下調べしたコンビニが、思いのほかわかりづらくて、通り過ぎてしまった。さらにもう一軒の方は潰れていた。うかうかと、大きな道から左折してしまい、トンネルをくぐった。ホテルはもう目の前だ。そうだ、一応ホテルの場所を確かめてから、さっき見えた道路沿いの<すき家>で飯を食おう。

 ホテルの前を通り、Uターンして、今来た道を戻った。コロナ禍以前は、吉野家で牛丼などをよく食べていた。<すき家>にも時々は行った。ともかく、久しぶりの外食だ。カウンター越しに、元気のいい中学生のような感じの男の子に、お持ち帰りですか、と聞かれた。いや店内で、と何も考えずに答えた。これが久しぶりの外食での、一つ目の失敗だった。

 席に着いた。カウンターには、左右にアクリル板の仕切りがあり、なんだかせまっ苦しい。中年のおばさんのような、おそらくアルバイトだろう、まるっきり商売慣れしていない女性店員に、<うな牛>を頼んだ。みると、入り口付近には、二、三人客がいた。頼んだものがなかなか出てこないので、暇つぶしに店内を観察した。みなお持ち帰りの客だ。店内に座っているのは、自分一人。外食を少し悔いたわけだ。

 やっとのことで<うな牛>が出てきた。普通の牛丼でもよかったのだが、少し元気をつけようと思って、<うなぎ>入りを頼んだ。テレビの宣伝が頭に残っていたのかもしれない。その<うな牛>の、肝心の<うなぎ>がまずい。タレが辛すぎる。これが、二つ目の失敗だ。<すき家>のウナギがうまいわけないじゃん!さっと食べて、千円札を機械に飲ませ、さっと出た。

Uターンした。またトンネルをくぐり、坂を上って、ホテル裏手の駐車場に到着した。車の外に出た。重いカメラバッグを背負い、着替えや飲食物を詰め込んだトートバックを肩にかけた。意外に重くて、ちょっとうんざり。受付で、チェックインを済ませた。二泊、前払いで¥14000ほど。黒い制服の中年女性の応対が、ぎこちなく、処理が遅い。その間、シールドの向こうにいた、白っぽいワイシャツ、ノーネクタイの中年男性から検温を受けた。例の、額に拳銃を向けられるようなやつ。むろん、平熱だ。ようやく、おつりとカードを渡され、エレベーターに乗った。そのさい、エレベーターの行先ボタンにカードをかざした。これは、初めての体験だった。

 カードキーに、戸惑うこともなく、部屋に入った。ま、普通の広さだ。セミダブルの大きなベッドだけが取り柄だな。というのも、中途半端なリフォームで、風呂場、机などの調度品に統一感がない。色が違っている。ケチって、使えるものは使おうというわけだ。それに後で気づいたが、小型冷蔵庫が、まったくといっていいほど冷えない。これには、クレームをつけようか、少し迷ったほどだ。もっとも、文句を言ったところで、すぐに交換するとも思えない。二泊だから、我慢することにした。

 エアコンをパワフルにして、すぐシャワーを浴びた。湯船の底に尻をつけ、膝を少し曲げた状態で座ると、目線やや上の壁にシャワーの取っ手がある。したがって、この一番楽な姿勢のまま、シャワーを浴びることができる。こういう経験は始めだ。あと、携帯用のアルコール消毒ボトルが机の上にあった。ま、この二つに関しては、イイネをあげたい。

 シャワーから上がり、冷たいビール、といきたいところだ。といってもノンアルビールだが、ビールは持参している。ところが、冷えていない。冷えない冷蔵庫に、三十分くらい入れたところで、生ぬるいことに変わりない。それでも、コップに注いて、アワっぽいビールを飲んだ。全然うまくなかったけれども、気分的には満足だった。朝の四時から、炎天下をフル稼働。夕方には、予定通り、所定の宿に入ったのだから。

 前回の、犬吠埼灯台の旅のような、身も蓋もない疲労感はなかった。撮った写真をモニターしたり、帰宅後に<日誌>をつけるためのメモを書いたり、やや小さめなテレビをぼうっと見たりした。夜の九時前には寝ていたと思う。

今日の出費。高速¥4010、駐車場二か所¥950、飲食¥1300。なぜか、宿代の領収書が、チェックアウト時ということなので、その分は明日だ。幸せなことに、カネ勘定に気持ちがそがれることはなかった。要するに、数万単位の金額は、痛くも痒くもない。これは人生初めての感覚だ。ちなみに、ガキの頃は数十円、数百円、大人になっても長らく、数千円単位のカネ勘定で、日常を生きてきたのだ。

 …目が覚めた。まだ、夜中の十一時過ぎだった。二時間寝たのか。なんとなく、腹が減ったような気がした。夕食が五時だったからな、と思った。起き上がって、備え付けのポットで湯を沸かし、カレー味のカップ麺を食べた。ついでに、お菓子類も食べたのだろうか。そのあと、少しテレビを見て、また寝た。

 だが、寝つきが悪い、ほぼ一時間おきに目が覚め、トイレだ。しかも、十二時過ぎくらいからは、どこからか、断続的に物音がする。気になる。そうだ、親指の怪我はどうした?そっと押してみた。少し痛む。だが、昨晩のようにジンジンした感じではない。その点は良かった。しかし、その後も、物音は午前二時過ぎまで続き、何回も、眠りを妨げられた。どこのどいつなんだ!少し腹が立ったような気もする。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#9 観音崎へ向かう

 二日目

五時半過ぎに目が覚めた。昨晩はほぼ一時間おきに、トイレに起きた。寝足りないな、などと思いながら、ベッドの中でぐずぐずしていた。六時過ぎたころからは、これは明らかに隣だな、ドアを開ける物音などがした。昨晩、夜遅くまでうるさかった部屋の方からも音がする。これは向かいだな。何しろ、ビジネスホテルでは、みな早起きだ。六時過ぎたら、うるさくて眠っていられない。

 というわけで、こっちも、六時半には起きた。サービスの軽朝食は七時からなので、それまでに身支度を整えた。髭剃り、歯磨き、洗面、着替えだ。七時過ぎにエレベーターで下に下りた。チェックインカンターの人影にちょっと目礼して、辺りを見回した。簡易的な、安っぽいテーブルと椅子が、何脚か置いてある。誰も座っていない。が、フロアには、四、五人の人影。それぞれ、微妙な距離を取っている。

 まず、冷蔵棚から、ヨーグルトとパック牛乳を一つずつ、次に、壁際の長い台に、二、三籠載せてある<菓子パン>から、三つ選んで取った。あとは、オレンジジュースと野菜ジュースを機械から抽出した。あらかじめ、ポケットに忍ばせて置いた、白いレジ袋を取りだし、菓子パンなどを入れた。一言、部屋で食べてもいいですか、と受付の女性に断った。むろん、悪いはずはない。コロナ禍、この時期に、他人と一緒の場所で飲食はしたくなかった。手にレジ袋と、大きな紙コップを二つ持って、部屋に戻った。

 さ、貧しい朝食だ。オレンジジュースと野菜ジュースは、ま、こんなもんだろう。別に不満ない。だが<菓子パン>の方は、クロワッサンのような、なかに何も入っていないものはまだしも、あんパンとカツパンは、これはもうNGだった。思わず、消費期限を確かめた。三つとも多少のずれはあったが、ほぼ一か月近くある。ありえない!アンパンの半分、それにカツパンは、即刻ごみ箱行きになった。それにしても、とホテルの良識を疑った。だが、それほど腹は立たなかった。食べなければいいのだ。

 ほとんど便意はないが、出発前に排便を試みた。ほんの少し出た。一応は温水便座で、これはリニューアルしてあったので、気分はいい。七時半、室内を少しきれいにした。つまり、ベッドとかテーブルの上を整頓した。部屋を出て、カードキーでロックし、カードは財布の中にしまった。

 再度エレベーターで下に下り、受付に一言、出てきますと告げた。コーヒーメーカーに寄り、アイスコーヒーを作って、車内に持っていこうとした。ところが、なんというか、失敗だ。というか、やり方がわからなった。普通なら、機械のボタンを押せば、氷が出てきて、その上に温かいコーヒーがふり注ぐ、という形だが、氷が出てこない。しかたなく、黒い液体が半分くらい入っている紙コップを手に持って、受付の女性に、氷が出ないんですけど、と遠慮がちに言った。

 その係の女性は、大柄な、目鼻立ちのしっかりした、ま、美人だった。カウンターからすぐに出てきて、自分が手にしていた紙コップを受け取り、やり方を教えてくれた。要するに、氷だけが出る機械があり、そこでまず、大きめの紙コップに、手動で、お好みに合わせて、四角い氷を何個か入れ、その氷の入った紙コップを、コーヒーメーカーに置く、ということだ。コンビニのアイスコーヒーを常用している者にとっては、なんとも、間の抜けた話だ。

 再度、アイスコーヒーを作り直し、受付の横から、外に出た。昨日は正面玄関から入った。駐車場へ行くには、こっちの方が近い。要するに裏口だ。少し雲が出ているものの、いい天気だ。車の中に入って、観音埼灯台、とナビに打ち込んだ。…アイスコーヒーを飲んだ。さしてうまくもなかった。だが、朝のコーヒーは日課だ。飲まないと、何か忘れ物をしたようで、落ち着かない。

 車を出した。長い坂を下って、トンネルをくぐった。左折。広い道路を走った。朝の通勤時間帯だ。だが、さほど混んでいない。また長い坂を下った。周りは丘で、緑の斜面に小さな家が点在している。いわゆる、横浜・横須賀方面の風景で、埼玉のような平場に住んでいる者にとっては、少し新鮮だ。

 道が、市街地に入ってきた。やや混んでいる。と、大きな交差点。左折待ちしていると、目よりちょっと高い所に、長い歩道橋。その上を、女子高生、いや男子もいるな、ぞろぞろ歩いている。目線を下におとすと、道の向こうの方からも、ぞろぞろ。通学時間帯なのだろう。皆、同じような格好をして、同じ時間に、行儀よく歩いている。むろん強制されている様子もない。ふと、自分の高校生時代を思い出した。最寄りの駅から、やはり、ぞろぞろと、黒い学生服が、歩いている。朝っぱらから学校なんか行きたかねえや、とは思わずに、素直に、行儀良く、学校へ通っていた。いま思えば、かわいいもんだ!

人間は、こうして教育され、大人になっていく。大人になって、そうした目に見えぬ強制力に気づく奴もいる。が、ほとんどが、気づいたとしても、それを否定もせず肯定もせず、生き続ける。長いものには巻かれ、か!自分もその一人だろう。だが、齢七順にもなると、この世とのおさらばが近い。いずれ、この世が霧散してしまうのならば、いったいこの世とは何なのだろうと思う。今はやりの<仮想現実>ととらえることもできそうだ。ならば、この世の規則に従って、営々と生きてきたことが、なんだかばからしい。

 話しが暗くなった。戻そう。さらに、横須賀の市街地を進む。と、信号ごとに止まるようになった。多少混んできたのだ。ふと、歩道を歩いている女子高生に目がいった。黒い大きなリックを、お尻のあたりにまで垂らしている。地味なチェックのスカートにワイシャツ、黒のローファー。だが、その足首のあたりが、鮮やかな緑色だったり、ピンクだったりして、目を引く。カラフルなソックスを少し出しているのだ。なるほど、あれが大人への、規則へのささやかな抵抗、というわけか。もっとも、あの程度の抵抗など歯牙にもかけない、もっともっと巨大な規則が、自分たちを覆っていることには、まだ気づいていないのだろう。いや、気づかないままでいることの方が、幸せかもしれない。

 少しマジなことを考えているうちに、観音埼が近くなってきた。ナビの右折の案内に従った。ところが、一つ手前の信号の、右折ラインに入ってしまった。ありゃ~、バックミラーで後続車がいないことを確認、ゆるりと直線ラインに入った。おまわりに見られたら、違反切符を切られる。幸い、セーフだった。

ナビ通り、突き当りの信号を右折して、海岸沿いの広い道に入った。しかし、護岸が高く、左側の海は見えない。中央分離帯の向こうには、高級住宅街が見える。道路側の家の二階からなら、きっと海が見えるだろう。いいな、と思った。とはいえ、住宅街は、奥が深い。ずうっと続いている。道路際の家はほんの一握りだ。値段が高いだろうし、それに、道路際だからうるさいかもしれない。貧乏人の僻みだな。それでも、いいなと思ったことを取り消した。

 前方に、海に突き出た、深い緑色の観音埼が見えてきた。灯台は間近だ。と、道が片側二車線から一車線になる。その手前に安全地帯がある。ちょうど車一台分くらいのスペース。急遽、ハザードをだして停車した。気になっていた、左側の海を見たかったのだ。脇の階段から、護岸に上がった。なんとなく、雑然とした海。…今ネット検索した。雑然とした海の理由、要するに、その海は東京湾だった。なるほど、灯台旅に出ると、太平洋の方を見ていることが多い。そのせいだ。太平洋に比べれば、東京湾などは、ゴミのようなものだ。二階から海が見える住宅を、ちらっと見た。東京湾じゃしょうがないよな!

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#10 観音崎公園

 観音埼に着いた。周辺は、きっちりマップシュミレーションしている。迷わず、灯台に一番近い駐車場に入った。¥880!高いだろう。案内板を見ると、七月と八月だけが、この値段。ま、浜辺がすぐそこだし、夏場料金だ。駐車場はまだ空いていた。着いたのは八時半頃だったろうか。宿から、小一時間かかったようだ。

炎天下、なるべく日陰に止めたい。誰しもが思うことで、むろん、そんな場所はあいていない。車から出て、サンダルから靴に履き替えた。そう、足の甲が、また前回と同じで、痛痒い。赤くなっている。今日も、直射日光を受けるわけで、ちょっと嫌な感じがした。でも、どうしようない。装備を整え、出発だ。

 駐車場のトイレで用を足した。念のためだ。公衆便所の臭いがした。日本中の公衆便所が、その規模の大小にかかわらず、この特有のくさい臭いを放っているのだろう。ま、控え目に言っても、臭いがしない公衆便所は少ない。

 歩き出した、すぐに浜辺だ。案内板がある。ちらっと見て、海の方へ吸い寄せられた。すぐ目の前の海の中に、変な構造物がある。あきらかに場違いな感じ。ためしに記述してみよう。長辺が五、六メートル、短辺が二、三メートルの、長方形のコンクリの台座が、10本ほどの円柱によって支えられている。円柱はほぼ沈んでいるが、海から一メートルほどだけ見える。その台座のほぼ真ん中に、海中の円柱とほぼ同じ太さの円柱が一本突き出ている。高さ三メートルほどの、その煙突状の胴体には、こちら向きに、白地に黒文字で<危険立入禁止>と書かれている。

 河川敷に立っている鉄塔の台座を想起した。ただし、真ん中に立っている煙突状のモノが理解できない。何ともおかしな、不思議な造形だ。コンクリの劣化状態からして、かなり古いものであることに間違いない。

 …今調べました。<海岸七不思議ー観音崎の自然&あれこれ>https://suzugamo.sakura.ne.jp/7fusigi.html というサイトによれば、

 <私は沖合にある遺構をこれまで”海水浴場の飛び込み台”と決め込んでいたが、今回初心に返り、観音崎園地浜の路傍で、いかにも土地の古老?という感じのお年寄りに、由来をお尋ねしたところ………
 「昭和10年代に旧軍が建造したもので、海中にある飛び込み台のような遺構と、手前の岸壁は桟橋で結ばれ、レールが敷設されていた。桟橋には輸送船が横付けされ、灯台のように見える柱にロープで係船、荷揚げされた弾薬等は、トロッコで陸上の倉庫へと移送された。戦後、海水浴場を開設するにあたり、邪魔な桟橋は撤去されたが、その時のコンクリート製橋脚の残骸が観音崎園地の磯にいまだに放置されている。」 

 ということであった。このサイトの管理人様、事後ではありますが引用をお許しいただきたい。

 とにかく、なんだかおもしろいので、最大限近寄れるところまで、それが<手前の岸壁>の遺構だったのだが、近寄って、かなりしつこく撮った。そのうち、若い女性の二人連れが来たので、場所を譲った。あれ、と思って振り返ると、派手なブラウスを着た、小柄で少し浅黒い、その娘たちから、何か外国語が聞こえた。向き直って、遺構を見るふりをして、彼女たちを見た。スマホで記念写真を撮っている。はは~ん、フィリピン系だな。

 狭い砂浜はキャンプ場になっていた。色とりどりのテントが、今はやりの、ソウシャルディスタンスを取っているのだろうか、三々五々見える。脇目せずに、キャンプ場を抜け、灯台へ向かう遊歩道に入った。このあたりもマップシュミレーション済みだ。多少の日陰。だが、かなり暑い。と、目線の上の方、深い緑の木々に覆われた岬のてっぺんに、白い観音埼灯台の頭が、ちょこんと見えた。

 そこはちょうど、両脇の木立が切れるところで、二、三歩、行きつ戻りつして、灯台が、一番たくさん見えるところで立ち止まり、何枚か撮った。この位置を覚えておこう、と思った。さらに行くと、視界が開けて、炎天下。灯台の頭は岬に隠れてしまった。左側は海、右側に、何かトンネルをふさいだような痕跡、これも戦跡っぽかったが、さほど魅力を感じない。続いて、崖がえぐられた場所があり、観音様が祭られているようだ。案内板には、観音埼の<観音>の由来が書いてあった。斜め読みしたが、行基上人の文字しか頭に入らない。頭に入れる必要もないから、ま、流したのだ。

 と、続いて、少し朱色がかった、長方形の大きな石に、何やら縦書きの文字が連なっている。近づいてみると<燈台へ行く道>という題字が見える。さらに近づいてみてみると<西脇順三郎>と彫り込まれていた。

燈台へ行く道  西脇順三郎

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や
小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのつて
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいつたことを
考えながら歩いた

平易でわかりやすい詩だ。自分にも、何か、わかるような気がした。<西脇順三郎>は難解だと思っていたので、意外だった。それにしても、著名な詩人が、ここに来ていたとは、ちょっと驚きだった。詩碑を、ぱちりと一枚だけ撮った。ちなみに、今ネット検索したら、<詩>の全文が出てきた。詩碑は、その前半である。全文を読むと、あらためて、より感動が深まった。

 やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思つて
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあつた
あかのまんまの力も弱つていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前
「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折つて
そのみどり色の梅のような固い実を割つてみた
ペルシャのじゅうたんのように赤い
種子(たね)がたくさん、心(しん)のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいゝ生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思つた
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかつたのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした

 その先、遊歩道は、先日来の大雨で、通行止めになっていた。だが、幸いなことに、灯台への登り口は、その手前だった。階段を登り始めた。鬱蒼とした緑の木々。日陰だが、風が通らないから、極端に蒸し暑い。静寂。セミの鳴き声が聞こえていたのかもしれない。さっき読んだ<西脇順三郎>の詩碑。詩人の静謐な孤独を思った。世界への、人間への大きな愛を感じた。いい詩だなあ~と思いながら、少し広めの急な階段を、ゆっくり辿っていった。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#11 観音埼灯台撮影

 ふと、目をあげると、坂の上からおじさんがおりてくる。手に小さなカメラを持っていたような気もする。その先に、観音埼灯台が、木々の深い緑の向こうに見えた。灯台敷地より、十メートルほど手前、坂の途中だ。ネットで見た限り、写真はここからがベスト。ベストといっても、灯台の右側には建物があり、左側は、すっからかんの空間、海は見えない。だあ~っとした景観は望むべくもなかった。むろんそれを承知で来ている。

 立ち止まって、しつこく撮った。木々の枝が白い灯台の胴体にかかってしまう。緑の葉っぱだから、まだいいが、それにしても、邪魔は邪魔だ。しかし、その木々を避けて、灯台に近づけば、横の建物がよけい目について、まったく絵にならない。この場所で、最良のショットを撮るしかない。

 粘っていると、お迎えが近い?小柄な老人が目の前を通り過ぎていく。手に小さなカメラを持っている。灯台を撮りに来たのか、と思いながら、よろよろ歩いていく老人の後姿を一枚撮った。さらに見ていると、入り口で、ちょっと立ち止まり、灯台を見上げている。その黒いシルエットが、ちょうど、白い灯台の胴体の中に入り込んで、目立つ。さらに、敷地に入り、建物の方を向いて、入場料を払っているようだ。それが終わると、ゆっくりと灯台の根本に向かって歩いていく。何しろ、ずっと灯台と自分との線上にいるのだ。

 そして、やっとのこと、画面から消えたと思ったら、今度は、その老人が消えたあたりから人影が出てきた。画面越しに見ていると、どんどん近づいてくる。黒い服のおばさんだ。灯台の受付だろうな。とうとう、敷地から出て来た。手にしているのは携帯用の掃除機なのか、入口手前の、コンクリのタタキの隅まで行って、そこにたまった葉っぱなどを吹き飛ばしている。掃除をしているわけだ。その間も、シカとして、灯台を撮っていた。

 おばさんの姿も消えて、静寂が戻ってきた。今一度、人影のない、新緑の枝がかかった白い灯台を撮った。撮れたような気がして、満足だった。ふと我に返ると、小指辺りを蚊に食われたらしい、痒い。そうだ、忘れていた。何しろ蒸し暑くてかなわない!

 受付で¥310払った。その際、おばさんに、隣の資料室は撮影禁止ですから、とややつっけんどんに言われた。悪意を持っているわけではない。顔つきをみて、そういう口の利き方とする人間なんだと了解した。イラっともしなかった。資料室か、帰りに寄ってみよう。その入口の前にベンチが置いてあったような気がする。そこは日陰になっていた。カメラバックをおろし、着替えた。お決まりのように、汗びっしょりだった。上半身裸のまま、給水して、一息入れた。そのあと、海の方を、しばらく眺めていた。

 さてと、灯台に登ってみるか。立ち上がった。灯台の裏側は日陰になっている。そこに腰かけがあるのだろうか、こちらからはよく見えないが、例の老人が座っている。手にしたカメラを沖の方へ向けている。依然として、他人の存在をまるで意識してないかのように。邪魔しないように、反対側に行った。灯台の横。炎天下だ。そこに、何か展示してある。

 一つは、白い大きなラッパが三本、扇方に広がっている。これはすぐに分かった。このラッパから霧笛を出していたんだ。二つ目は、これまた白い、ドーム型の灯台の頭で、中にレンズが入っている。これらはきっと、先代の観音埼灯台の遺品だろう。勝手にそう思って、説明書きなどは読まなかった。そのかわり、ぐるりと一回りして、ベストショットを狙った。この二つの真っ白な遺品は、オブジェとしても、カッコいい。

 と、その隣に、正体不明の物体がある。ちょっとくびれたコンクリの円柱だ。気にかけなかったが、ふと寄って見ると、海図のようなものが表面にある。いや、海図かどうか定かでない。とにかく、灯台の遺品であることに間違いはない。だが、それがなんであるのか、確かめもしなかったし、写真すら撮らなかった。造形的に、魅力を感じなかったのだ。

 ところで、岬の先端部、炎天下の、日陰のない灯台の前は、頭がくらくらするほど暑い。海風が少し吹いているものの、全然涼しくない。とはいえ、ここまで来た以上は、灯台の正面を、写真に収めていくべきだろう。たとえ、それが、写真的にはモノにならないとしても、一応は、ベストを尽くすべきだ。そういうわけで、狭い敷地の端を、少しずつ移動しながら、丹念に灯台を撮った。

 だが、灯台との距離が取れないばかりか、両脇はスカスカで、なんとも間の抜けた構図ばかりだ。24㎜というかなりの広角でも、引きが甘く、おもわず魚眼レンズを買ってみようかとさえ思った。が、これはさすがに自制した。両端がゆがみすぎて、風景写真には不向きなのだ。さらには、禁じ手を破って、縦位置で何枚か撮った。結果は余計悪い。自ら決めた禁じ手をあっさり破ったことを、少し後悔した。

 暑い!を通り越していた。もう限界だ。これ以上は、熱中症の危険がある、と自らを戒めて、撮影を終えた。灯台の裏側に回った。老人が腰かけていたところだ。日陰で、海風が心地よい。給水し、上半身裸になり、汗びっしょりのロンTを二枚、灯台の敷地を囲っている低いコンクリの塀に干した。靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。足の甲が赤くなっている。痛痒い。

 はあ~、一息入れよう。建物の縁に添った木の腰掛だ。正面は海。なんだか船が多い。大小さまざま、行きかっている。それにしてもと思って、ふと気づいた。浦賀水道だ!となれば、向こうに見えるのは房総半島。要するに東京湾への入り口だった。はは~ん、あの老人が、カメラを向けていたのは、この光景か。てっきり灯台を撮りに来たのかと思っていたが、ここに座って、浦賀水道を航行する船を撮っていたんだ。

 カメラバックから、望遠を撮りだした。なるほど、いろいろな形の船があって、面白い。しばらくの間、ゆっくり視界を横切る、おもちゃのような船舶を、断続的に撮った。じきにそれにも飽きた。ロンTが乾くまで少し休憩だ。そう思って、座り姿勢のまま、首をうなだれて目をつぶった。何組か、観光客が目の前を通り過ぎて行った。上半身裸、素足。でも長い綿マフラーを首にかけている。乳首は見えない。それに、両脇に、これ見よがしにデカいカメラを置いてある。写真を撮りに来て休んでいるのか、と誰が見ても納得するだろう。

 そのうち、目をつぶったまま、ふと思った。ロンTを干しているのが、景観を汚している、と不快に思う人がいるかもしれない。さっき通った、親子連れの若い父親が、堂々と干してあるロンTを見て、苦笑していたではないか。かまうものかと、一方で思ったが、比較的目立たない、端の方へ移動した。なんでそんなことにまで、気を使わなくちゃならないんだ。よけいな配慮が多すぎる。

 狭い縁に腰かけただけの、窮屈な姿勢でも、ふっと体の力が抜けたように感じた。三十分くらいたったような気もする。十一時だった。裸足で、塀に掛けてあるロンTを取りに行き、身支度をした。ロンTは生乾きだった。気分が少し良くなっていた。観光気分で、まず灯台に登った。それが狭い螺旋階段で、やや窮屈な思いをした。内側の壁に、全国の灯台の写真が、ずうっと飾ってある。登りながら見る余裕はない。何しろ狭いんだ。

 登りきったところに、これまた狭いドアがあり、腰をかがめて外に出た。グルっと回れるようになっている。ただその通路も狭い。幅五十センチくらいだろうか、人ひとりがやっと通れるほどだ。正面は、日が当たっていて暑い。裏側に回った。日陰で、海風がいい。柵に肘をかけたのだろうか、眼下に、来るときに通った遊歩道が見えた。そこに若者たちが五、六人ぶらぶらしている。豆粒のようだ。向い側に見える、深い緑の丘には、鉄骨の無粋な塔が見える。レーダー塔だろうな。

しばらく、下界を眺めていた。南西方向の海の中に、人工的な構造物がある。何かの遺構だろう。見に行ってみるか。下りようとしたら、さっきから来ている熟年の夫婦連れと、狭い入口のあたりで鉢合わせになった。おばさんの方は、扉の前にいるので、自分が扉から出られない。要するにすれちがいできないのだ。すいませんと言って、彼女をバックさせた。

 いや~ここまで書いてきて、前後の時間を間違えていることがはっきりした。というのも、その後、この熟年夫婦は、腰掛で休憩している自分の横に来て、少し休憩していったのだ。つまり、灯台に登ったのは、腰掛けで休憩する前だったわけだ。熱中症の危険を察知して、撮影を中止した後に、灯台に登ったわけで、灯台の内部は日陰だから大丈夫だろう、と思ったような気もする。どうでもいいことだが、気持ちが悪いので、訂正しておく。

 とにかく、灯台見物は終わり。最後は、受付のある建物、資料室に寄ってみた。<撮影禁止>とおばさんに言われた場所だ。ごたごたといろいろあって、エアコンも効いていない、蒸し暑くて薄暗い部屋だ。ざっと流して出るつもりだった。と、灯台の模型がある。下の方に、手でぐるぐる回す把手がついている。なにかと思って近寄ると、昔の灯台の、発電の実験模型だった。

 何々、昔の灯台守は、日中に200キロ近い重りを手でぐるぐると、何時間もかけて上へ巻き揚げ、夜になると、その重りの落下するエネルギーを使って発電機を回し、灯台を光らせていた。したがって、かなりの重労働だった。わかったような、わからないような感じだ。ま、とにかく、その把手をつかんで、ぐるぐるすると、紐にくっついている黒い重りが、上の方へ巻き上げられた。そのあと、今度は、把手をさっきとは逆向きにぐるぐるする。と、巻き上げられた重りがすこし落下する。その瞬間、模型の灯台の目が光った。昔の灯台守って、そんなことをやっていたのか、となんだか不思議な気がした。...昔の灯台守については、そのうちちゃんと調べてみたい。

 帰り際、受付の奥から、おばさんの声がした。<ありがとうございました>。声の感じが、普通に聞こえた。自分も、顔をちょっと向けて<ありがとうございました>と返した。敷地を出ると、道が二股に分かれる。左に下りて行けば、先ほど灯台の上から見た海中の遺構へたどり着けるだろう、と思った。日陰の山道を下った。少し行って振り返ると、灯台が少し見えた。ほぼ樹木に隠れていている。しかも、裏側からだから、塀ばかり目につく。とはいえ、記念写真だ。何枚か撮った。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#12 戦争遺跡1

 蒸し暑い山道を、さらに行くと、標識があったような気がする。浜辺へ下りる道は、通行止めだった。反対側の道は、山の中へ向かっている。砲台の遺構があるようだ。少し山道を登ると、平場に出る。何やら、レンガのトンネルが見える。辺りは鬱蒼としているが、木洩れ日で明るい。緑の葉っぱがきれいだ。

 …この辺りは、旧日本軍の砲台跡が点在しているようだ。来る前にネットで画像を見た。戦跡に、興味がないわけではない。ただ、写真としては、なかなか難しい。今回もそうだ。あらかじめ知っているから、山の中に残されている、大きなコンクリの構造物が砲台跡とわかるわけで、いくら見回しても、その本来のイメージは浮かんでこない。軍事機密であったのだから、当時の写真などは出回ってないのだろう。

 だが、真夏の蒸し暑い、緑に囲まれた静寂の中で、その雰囲気を楽しんだ。と、後ろから、男の大きな話し声が聞こえた。カップルだ。砲台の台座のようなところに登って、やり過ごす。そばに人がいるにもかかわらず、大柄な男は、この砲台跡のことを、小柄な、地味な彼女に、得意げに話している。そのうち、レンガ造りの短いトンネルの前で立ち止まった。彼女の方が、通り抜けることを少し嫌がったのだ。短いとはいえ狭いトンネル。気味が悪い。

 大柄な男が、彼女を説得している。少し嫌だと言い張ったが、男の勢いに負けて、二人してその短いトンネルを通り抜けていった。トンネルの向こう、明るい緑の中に、手をつないで坂を下りていく二人の姿が見えた。廃墟巡りとか、趣味が同じならともかく、デートコースとしては、どうなんだろう。女の子を連れてくるような場所でないことは確かだった。

 広い、坂道を下った。視界が開けて、一般道に突き当たる。左手には海、右手にはトンネル。あれ~と思って、そばにあった案内板を眺めた。一般道へは出ないで、右手の山道を登っていけば、灯台に戻れそうだ。途中に砲台跡もあるらしい。この暑いのに、せっかく下ってきたのにと思いながら、ゆっくりと、また登った。登り切ったところにも標識があり、その案内に従って、右に行くと、砲台跡に出た。かなり規模が大きい。

 さっきと同じようなレンガ造りのトンネルも見える。ただ、こっちのはかなり長い。しかも、入口に金属製の柵があって、立ち入り禁止。かりに、トンネルを通り抜けられるとしても、いったいどこに出るのか見当もつかない。とはいえ、緑に囲まれたトンネルは、静かで、いい雰囲気だ。

 向き直ると、正面は小高くなっている。視界はない。だが、なるほど、そこに大砲が置いてあったのね、とわかるような感じのコンクリの構造物があった。陽が当たっていたし、足場も悪そうなので、少し興味をそそられたが、登らなかった。登れば、おそらく、眼下に浦賀水道が見えたかもしれない。そんな感じの砲台跡が、距離をあけて、三つくらいあったような気がする。岬の上から、航行する船舶を狙う大砲が、何門も見える。少しイメージがわいてきた。

 砲台跡に沿って、坂を下っていくと、何やら施設に出た。案内板を読むと<東京湾海上交通センター>。先ほど、観音埼灯台から見えた、レーダー塔の下に出たわけだ。…あらためて、今調べてみると、浦賀水道を航行する船舶の管制塔のような役割を果たしている。それにしても、休みなのか、人の気配が全くしない。日陰を見つけて、着替え、給水。とは言え、すぐに蚊に食われた。汗の臭いに寄ってきたのだ。

 ところで、案内板通り、この施設の横から、灯台へと至る山道があった。ところが、ここも通行止め。どうする?今一度標識をまじまじと眺めた。左は今下ってきた道。右は観音崎園?下り道だ。灯台に戻れない以上、どう考えたって、下るしかないでしょう。たとえ、とんでもないところに出たとしても、そのあとは平場を歩くわけで、今来た山道をまた上ったり下りたりするよりはましだ。

 やや疑心暗鬼のまま、山道を下った。と、木々の隙間から、海辺が見えた。少しホッとした。さらに行くと、幸運なことに、浜のキャンプ場に出た。そう、灯台に行くときに通った、あのキャンプ場だ。つまり、駐車場のすぐ近くにおりて来たのだ。関根二等兵帰還!カメラバック=背嚢を背負って、岬を彷徨った、日本兵のような気がしないでもなかった。

 下界は、とんでもなく暑かった!キャンプ場の脇を歩いていくと、赤い自販機があった。思わず、コーラを買ってしまった。ふと見ると、そばに炊事用のやや大きめな流し台があって、排水された水が、砂地に流れ出ている。キャンプ場でよくみられる光景で、ぞっとするほど汚らしい光景だ。排水で、色が変わった砂地を目で追っていくと、キャンプに来た女性が楚々として海を見ている。なんなんだか!そくそくと、その場を後にして、駐車場へ向かった。

 車の中は、蒸し風呂。すぐにエアコン全開、窓にシールドを張った。服を脱いで、横になった。少し眠るつもりで、耳栓もつけた。目をつぶり、この後の予定を考えた。まだ一時過ぎだった。ふと気になって、スマホ大黒ふ頭付近の灯台を調べた。一つ、二つ、撮ってみたい防波堤灯台があった。行ってみようかな。起き上がって、耳栓を抜いて、運転席に移動、ナビで検索した。

 ところが、結構距離があり、時間も一時間以上かかる。是が非でも撮りたい灯台でもない。ま、次回にしよう。例えば、千葉の野島埼灯台を撮りに行くとき、ちょこっと寄ってみるという手もある。高速を、途中の大黒インターで降りればいいんだ。ま、それよりは、さっき見た、海の中にある、正体不明の遺構だな。これも少しスマホで検索した。だが、よくわからなかった。

 そんなこんなで、昼寝はできなかった。時計をみた、一時半だ。さほど眠くもないし、疲れてもいない。身支度して、ナビをセット、出発した。駐車場を出て、左方向。すぐにトンネル。さっき、山道を下りたところにあったトンネルだ。通り抜けると海が見える。左側に博物館の駐車場があった。ガラガラ。¥880!高いなと思いながら、アルバイトだろう、ちょっと尊大な白髪のおじさんにカネを払い、海の中の遺構のことを聞いた。よく知らないらしく、詳しくは聞けなかった。ただ、その辺にあることは間違いないらしい。

 車から、外に出た。午後になって、ますます蒸し暑くなっていた。駐車場背後の階段を登ると、ちょっとした、見晴らし公園になっていた。海が見渡せる。草ぼうぼうの中に、ベンチなどもある。視界の左の方が観音崎。その下に、あったよ!例の遺構だ。海の中に崩れかかったコンクリの円柱が見える。…帰宅後にネット検索すると、<水中聴測所>?と出た。旧日本軍の施設で、潜水艦の音を聞くものらしい。敵の潜水艦が浦賀水道に侵入してくるのを警戒していたのだ。いまは自衛隊の管轄になり、立ち入ることはできない。なるほどね。

 早速写真を撮ろうと、ベストポジションを探しながら移動した。だが、水平線と、円柱の垂直を出すのが、場所的に難しい。それでも、円柱に吸い寄せられるように、縦長の公園の端まで来た。すぐそばのベンチで、おじさんが、この炎天下、本を読んでいる。まあ~、シカとして、腰の高さほどの柵に寄りかかりながら、何枚か撮った。とはいえ、モニターすると、垂直・水平が取れていない。許容範囲を超えている。場所的に無理なんだ。

 しつこくは撮らないで、今度は海の方を眺めた。空の様子がいい。ボニュームのある雲が、対岸の陸地・房総半島に沿って、低くかかっている。狭い青空、太い横一文字の雲、高い青空、という構成の、素晴らしい景色だ。時々大きな船も通り過ぎていく。見える範囲をすべて、アングルを変えながら撮った。

 引き上げる際に、さして広くもない見晴らし公園を見回した。短パンの読書おじさんが本を手に持って立ち上がっていた。もう一人、痩せた、オタクっぽい若者が、端の方で、スマホを海に向けていた。その後姿が暗い。このすばらしい景色とは合わないな、などと思いながら、そうだ、海辺にまわりこんで、今一度あの遺構を撮ってみよう。かなり気になっていたことは確かだ。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#13 戦争遺跡2

 駐車場の隣というか、上はレストランだった。近寄って、中を見た。大きなガラス窓の向こうに海が見える。何か、一度入ったような気がした。遠い記憶がかすかによみがえった。あまり思い出したくない女の顔も思い浮かんだ。赤帽の仕事でこの辺に来た時、不相応にも、一人で寄ったのかもしれない。横須賀の原潜や<軍艦三笠>を見物したことは確かなのだ。あり得ないことじゃない。

 レストランの隣は博物館だった。その間に通路があって、奥に青い芝生が見えた。カラフルな遊具もあった。とはいえ、立ち入り禁止の張り紙。博物館も、閉館しているようで、静まり返っていた。と、視界が開けて、砂浜。海水浴場になっている。人がたくさんいる。向いに、大きな駐車場も見える。ちなみに、この砂浜は<たたら浜>というらしい。

 博物館に沿って、遊歩道があった。見ると、すぐ目の前の海の中に、大きな円柱状の物体が見える。海からの高さは二メートルほどだろうか。その左横に、少し距離を置いて、長さは同じくらいの、細長いコンクリの角柱もある。こちらは杭のような感じ。とはいえ、なんでこんなところにあるのか理解できない。これもまた、遺構なのだろうか?…帰宅後ネット検索。角柱の方は、やっぱり!旧日本軍の研究所?があった頃のもので、船を繋ぐ杭だったらしい。円柱の方は、この場所に、本格的な桟橋でも作ろうとしたのだろうかと、専門家でもよくわからないそうだ。

 海沿いの広い遊歩道を歩いた。左側は高い土留めコンクリ、その上に建っている、レストランや博物館はほぼ見ない。とはいえ、土留めの上は植え込みで、白い花がところどころに見える。青い太い茎の先に咲くハマユウだ。なるほど、この時期、浜辺によく似合う植物だ。さらに行くと、行き止まり。小さな花壇になっていた。結局、遊歩道からは浜辺、というか岩場には下りられなかった。

 その行き止まりの花壇には、先客がいて、大きなカメラをお花に向けていた。白いハマユウとオレンジ色のカンゾウだろうか、海風に揺れている。先客のことは、ほぼ無視して、花壇の一番端に行って、海の中の遺跡を撮った。水平線と、円柱の垂直は、こちらの方が、さっきの見晴らし公園より、多少はマシだった。手前に、ハマユウカンゾウなどの植物を入れた。だが、ピントは遺構に合わせているので、お花たちはボケボケだ。遺構はかなり離れていて小さいし、お花たちとの距離はかなり近い。得意な35㎜のパンフォーカス(手前から無限大までピントを合わせる方法)がきかない。しようがないだろう、主役は海の中の遺跡なのだ。

 この花壇からの、ベストポジションは、おそらくここだろう。柵から体を乗り出して、ベストの写真を撮ろうと、集中した。暑さは感じなかった。巨大な雲が、房総半島の上にかかっている。夏雲だ。大きな貨物船が視界を横切る。ファインダー越し、何もかもがはっきり見える。さらに、望遠を取りだして、遺跡をズームする。と、風化したコンクリの隙間に錆びた鉄筋が見えた。青い海の中、朽ち果てながらも、確たる存在感。どのような目的で作られたのか、この時は皆目見当もつかなかったが、そんなことはどうでもいい。遺跡が目に、頭に焼き付いた。

 望遠カメラを、バッグにおさめた。今度は、地面にそっと置いた、手になじんだ標準ズームを首にかけた。海や雲や青空、房総半島や貨物船などを見ながら、柵沿いに少しずつ移動した。今この瞬間に見える、すべての光景、すべての風景を、カメラに収めた。いちいちモニターなどしなかった。写真に撮れていようがいまいが、この目で、ここ身体でしかと見たのだ。来てよかったと思った。思い切り息を吸い込んだような気もする。

 引き上げよう。海辺の小さな花壇は、少し暗くなり、人の姿もなかった。時間的には、三時半ころだったと思う。コンクリの遊歩道を戻った。ハマユウが塀際に咲いている。<たたら浜>には、まだたくさんの海水浴客がいた。遠目ながら、女性の水着姿が、眩しかった。それと、海から突き出ている、ぶっとい円柱を改めて見た。シュールだなと思った。暑いことは暑いが、耐えられないほどでもなかった。陽が陰ってきた。

 駐車場に戻り、車のバックドアを開けて、着替えた。またまた、汗びっしょりだった。カメラバックを背負う以上、背中に汗をかくのは、ま、致し方ないとしても、足の甲の日焼け湿疹は、やはり、灰色の皮革ウォーキングシューズのせいだろう。どうしようか、白い靴に変えればよいのか、よくわからなかった。

 ちなみに、帰宅後、面白い知見を、テレビから教授された。それは、今現在、甲子園で行われている高校野球の球児たちのスパイクことだ。これまでは、黒と決められていた。が、今回からは、全員が白いスパイクをはいている。理由は、靴の中の温度が、十度以上違う。むろん、白い方が低い。やはりな、と思って、白い靴をネット検索した。当然のことながら、みなスニーカーばかりだ。

 平場やアスファルトの上を歩いたり走ったりするスニーカーに、用はない。撮影用の靴は、軽登山靴か、あるいは、比較的底のしっかりした、滑らないウォーキングシューズだ。ま、どう考えても、どちらにも白はないだろう。仕方ない。愛用の軽登山靴を、次回は炎天下で試してみよう。以前、入間川を歩いていた時、軽登山靴を履いていて、足の甲に日焼け湿疹ができたことは一度もないのだから。

 サンダル履きになった。足の甲が赤くなっていて、かなり痒い。駐車場の敷地外にある、構えのちょっと立派なトイレで用を足し、自販機でスポーツ飲料を買って歩き飲みした。ナビを宿にセットして、車を出した。出るとき、例のやや尊大な白髪のおじさんが、愛想よく<ありがとうございました>と首を下に振った。自分も、ちょっと振り向いて<ありがとうございました>と言葉を送った。

 エアコンの吹き出しを、顔と足元にしたので、足の甲に涼しい風が来る。気持ちよかった。ナビに従って、朝来た道を戻った。途中、朝、高校生たちの行列を見た歩道橋の前で、信号待ちした。今度は、目線の上の方に、横一文字の歩道橋が見える。二、三人、女子高生が歩いている。腰から下は、アクリルだろう、不透明な目隠しがついている。下からのぞいても、女子高生のパンツは見えない、というわけだ。そういった配慮を、どこの誰が陳情したり、実行したりしているのだろう。いや、それよりも、見えるものなら見てしまうという、スケベな男がゴマンといるわけだ。オヤジの自分でさえ、そうなんだ。ま、生きている証拠かな。

 ほどなく、見覚えのある広い道路に出た。すぐ先、左側に<すき家>が見える。昨日の店内飲食で懲りていた。今日は、お持ち帰りにしよう。牛丼の大盛を頼んだ。さほど待たされることもなく、¥490払って、すぐに店を出た。宿は、目の前に見えるトンネルを登れば、すぐだった。

 宿の駐車場に着いた。五時、とメモには記してある。たしか、ロビーで、オレンジジュースとアイスコーヒーを抽出して、部屋に持ち帰ったような気がする。すぐにシャワーを浴びた。頭も洗った。風呂上がりのビール!と気分良く言いたいところだが、ぬるくてがっかりした。塗装が変色している小型冷蔵庫、冷えないんだ。

 テレビをつけて、その前で食事。牛丼は、まだ少し暖かくて、意外にうまかった。牛丼のお持ち帰りは、汁が御飯に浸み込んで、ふやけてしまい、食えたもんじゃない、という経験をしている。それに<すき家>の牛肉は<吉野家>に比べると、味が落ちる。この二つの持論が覆った。ご飯は多少ふやけていたが、まずくはなかった。上に載っている牛肉も、ま、いい味だ。大盛だから、それなりのボリュームもあり、満足した。この歳で旅に出て、夕食が、五百円程度の牛丼!だが、みじめだとは思わなかったし、貧しいとも思わなかった。

 二日目の出費。駐車場代¥880×2、灯台参観料¥310、飲食¥800、宿二泊¥13150。合計は、帰宅後だ。

 灯台紀行・旅日誌>三浦半島編2020#14 復路~エピローグ

 早めに、たぶん九時には寝ていたのだろう。夜間トイレが二、三回あったものの、昨晩のような物音に煩わされることもなく、比較的よく眠れた。

 三日目

六時過ぎに起きた、と思う。洗面、身支度、整頓。七時過ぎまで待って、ロビーに下りた。思いのほか、人がいる。牛乳、ヨーグルト、クロワッサンもどきの菓子パン二個、オレンジジュースと野菜ジュースをゲットして、すぐに部屋へ戻った。

 食欲もなかったけれど、菓子パンはまずくて、一個しか食べなかった。で、もう一個は、トートバックに放り込んだ。便意はなかったものの、頑張って、少し排便した。それと、歯ブラシ、ブラシ、髭剃りなどの<アメニティ>は、いただいた。もっとも、家に持ち帰っても、使う予定はない。いや、小さなチューブの歯磨き粉だけは、旅用に使うつもりだ。無駄な行為ではあったが、使わずに置いていくのも、なんだかもったいないような気がした。

 今一度、整頓して、忘れ物がないか確かめた。一応、冷蔵庫をあけた。おっと、ビールがひと缶奥の方に隠れていた。ま、ビールが冷えないこと以外は、さほど不快なこともなかったな。一日目の、夜中の物音は、ホテル側の責任じゃない。それに、二日目戻ったときには、バスタオル類は、新しいものに交換されていたし、ベッドメイキングもしてあった。不満はない。

 ロビーに下りた。受付には誰もいなかった。カードキーを返すつもりだったのだ。ま、いい。アイスコーヒーを機械から抽出した。正確に言えば、製氷機に紙コップを置いて、その中に手動で四角い氷を何個か入れ、その紙カップをコーヒーメーカーに置いたわけだ。と、隣に、ホテルの女性が来て、菓子パンの補充などをしている。ついでなので、カードキーを財布から取りだして手渡した。その後、砂糖などを入れていると、後ろの受付カウンターの中から、先ほどの女性の声がした。<チェックアウトでよろしいですね>だったかな?トンチンカンな質問だと思ったものの、そうですと答えた。

 アイスコーヒーに蓋をちゃんとして、というのも、昨日、蓋をちゃんと閉めてなかったので、車のドアを開ける時に少しこぼしてしまったからだ。受付の前を通り過ぎると、なかから<ありがとうございました>という声がした。<お世話さま>と首をちょっと傾けて応答した。どうも、このホテルの従業員は、おばさんばっかしだな、と思ったような気がする。別に、若い女性がいい、というわけでもないが。

 アイスコーヒーは、むろん車の中で飲むつもりだった。ナビを、あれ、どこに設定したのか、おそらく、海老名の下りパーキングだろう。出発した。いい天気だ。とはいえ、昨日よりは少し雲が多い。一般道に出る時に、上を見上げた。丘の上に大きなビルが、二、三棟建ってはいる。だが、ほとんどが、空き地だ。と、坂の下から、数人、人が歩いてくる。出社というわけか。それにしても、人数が少ない。ちなみに、ホテルの隣のビルも空いていた。

 ナビに従って、横横線に入った。来る時よりは、混んでいる。ま、平日の通勤時間帯だ。そう、宿を出たのは、七時四十分だった。メモに記してある。とはいえ、さしたる渋滞もなく、新保土ヶ谷バイパスに入った。じきに東名との分岐、町田インターだろう、と思っていたら、渋滞の表示が見えた。要するに、東名に入るところで、渋滞しているのだ。急にスピードがおち、左側をのろのろ、そのうち、ぐるぐるのインターチェンジをゆっくり、三十分くらいかかった。

 町田インターの料金所渋滞を過ぎると、視界が開けた。スピードは一気に90キロ。あっというまに海老名の下りパーキングエリアに着いた。コロナなど関係ないという感じで、普通に混んでいる。トイレで用を足し、長居は無用、すぐに出発。圏央道に入った。快調に走っていると、またもや渋滞表示。それも、青梅辺りのトンネルで故障車らしい。通過に一時間!おいおい、ウソだろう?

きっちり一時間、渋滞にはまった。途中、何度もトンネル内で、止まったり走ったりした。いやな感じだった。避難口を横目で眺めながら、以前テレビで見たのであろう、トンネル火災の大惨事の映像が、脳裏をよぎったりした。むろん、大丈夫だろうとは思っていたが。

 いい加減飽きて疲れた頃、左に車線変更してくる車が急に多くなった。あれ~と思いながら、横からの車に注意しながら運転していると、目の前に、トンネルの出口がみえた。明るくなっている。と、右手に、大きなというか、巨大なトラックが止まっている。まさに、トンネルの出口を、半分ふさいでいるかのようだ。横を通り過ぎる際、高い運転席がちらっと見えた。若そうな男が、ふてくされたような、開きなおたような感じで座っている。そのシルエットがちらっと見えた。

 ふざけた野郎だ!何百台何千台の車に迷惑をかけているのに、高いところで、エアコンをかけてのうのうと座っている。ま、そういうふうに見えたわけだ。一体全体、この渋滞の責任を、どう取るというのだ。むろん、渋滞の責任など、トラックの運ちゃんに取れるはずもないし、そんな責任も追及されないだろう。たまたま、運悪く、車が故障したのだ。ま、自分の車だって、高速道路上で故障しないという保証はどこにもないのだ。

 スピードがあっという間に100キロ。それとともに、渋滞のことは忘れてしまった。時間は、十一時半ころだったろうか?今青梅だから、小一時間で自宅に着く。着いたら、持ち物・荷物をアトリエに入れ、ついでに洗濯もしてしまおう。前回の犬吠埼旅とちがって、二泊ということもあり、また、撮影方法を変えたので楽だった。ほとんど疲れていない。元気だ。むろん、眠くもない。ま、それにしても、最後まで気を抜かず、無事に帰ろう。座りなおして、ハンドルを両手で、八の字に持った。目の前には、梅雨明けした、夏空が広がっていた。

 エピローグ

自宅には十二時過ぎに着いた。三浦半島に比べれば、ずっと内陸だから、暑さの質が違っていた。蒸し暑さが不快だった。とはいえ、すぐに、荷物・装備を車から室内へ移動して、整理、後片付けをした。より分けた洗濯物などを抱えて、二階に上がり、ドアを開けた時、一応、<帰ってきたよ>と声に出した。むろん、ニャンコに呼び掛けたつもりだった。だが、前回のような切なさは感じなかった。姿は見えないが、部屋の空気の中に魂が溶け込んでいる。そう思いたかった。

 エアコンを全開にした。パンツ一丁になり、洗濯機を回した。冷蔵庫の冷えたノンアルビールを、グラス注いで飲んだ。深いため息をついた。ほぼ全て予定通り、無事に帰宅したのだ。

 三日目の出費。高速\3660、飲食\130。

 今回の三浦半島旅の収支。

高速¥7600

ガソリン・総距離324k÷燃費16.3k=20リットル×¥130=¥2600

宿泊¥13150

その他食事等¥5200

 二泊三日で、総合計¥29000。妥当な金額だと思った。

 翌日からだと思う、いや、帰ってきた当日、あと片付けを終えて、ひと寝入りした後だったろうか?とにかく、画像の整理を始めた。

今回は、600枚ほど撮った。どれもみな、一発勝負の写真だから、良否を判定するのが、比較的楽だった。つまり、使えそうな写真で、なおかつ、各灯台、各ショットの中から、ベストショットを見つければよい。念のため、次点も選択した。

 前回苦労した、画像の補正作業は、枚数が少ないうえに、灯台の垂直水平に関する補正も、前回の多少の経験が役に立ち、何回もやり直すことはなかった。帰宅後三日ほどで、画像に関する作業は終了してしまった。

 心づもりとしては、二週間後には、また次の旅に出たいと思っていた。だが、お盆が間に入っている。混んでるし、まだ暑いし、無理でしょう。その間は控えようと思った。だから、次の旅は八月のお盆明けだ。したがって<日誌>を書く時間は、二週間ほどある。二泊三日の<旅日誌>だし、前回に比べれば、枚数も少なくなるはずだ。ま、ゆるゆる書き始めよう。

<梅雨明け十日>過ぎれは、暑さもひと段落するだろう、とさしたる根拠もなく考えていた。ところが、その十日が過ぎても、暑さはおさまらなかった。それどころか、八月の連休を過ぎたあたりから、さらに暑くなり、しかも、コロナの第二波がやってきた。お盆前後は、まさに暑さの天井で、終日、ほぼ24時間エアコンつけっぱなし!浜松では歴代一位タイの41.1度を記録した。

 ゆっくり構えすぎたのか、暑さのせいか<旅日誌>の方は、なかなか先に進まなくなった。よけいなことを書きすぎる、ということもあるが、それだけでもあるまい。つまり、やや、欲が出てきた。どういうことなのか、<旅日誌>の内実を、紀行文ないしはエッセーとして、もう少し自分の感じたことや考えたことを、正確に書いてみよう、ということだ。ふと、カフカの<城>を敷衍して、灯台巡りを、小説っぽくすることもできるかもしれない、などとも思った。

 ま、いずれにしても、文章の内実、質を上げようというわけだ。いや、文章を書くという行為が、今の自分には合っている。というのは、数時間、あっという間に過ぎてしまうし、退屈な思いをしなくて済む。たいして疲れもしないし、飽きもしないで、充足した時間が過ごせる。いまのところ、ライフワークの<ベケットの朗読>より、面白い。だから<朗読>は休止しているのだが。

 もっとも、<灯台巡り>とか<旅>とか、そういったキーワード≒主題があるから、モノを書く気にもなるのだろう。ただ漫然とパソコンの前に向かって、何か書こうという気にはなれないのだ。それに、<モロイ朗読>で文章の書き方を<ベケット安藤元雄>から学んだことが大きい。いや、低次元でマネしているだけだが、それでも、イメージを言葉で掬い上げていくことや、事物や事柄を正確に記述することなど、それ自体が面白い。

 話がそれた、戻そう。<三浦半島旅日誌>は、時間的に余裕があったので<旅日誌>という主題から、しばしば脱線した。気の向くまま、ある事ないことを書き込んだ。同じ暇つぶしでも、写真を撮りに行ったり、チャリで入間川の土手を走ったり、といった野外活動は、この炎天下、全然やる気にはなれない。さりとて<モロイ朗読>に戻る気もしなかった。あと三話で終了だというのに、最大限の集中を求められる<朗読>は気が重かった。

 目の前のカレンダーを眺めながら、<旅日誌>は盆明け翌週の前半までに書き上げればいい、と思った。それからは、週二日のジム通い以外は、エアコンのきいた自室で、毎日、三、四時間ほどパソコンに向かった。書くのに飽きたら昼寝。夕方からは<プライムビデオ>で、比較的新しい外国映画の話題作を見て楽しんだ。ほとんど、人とは話さなかった。話す必要もなかったし、話したいとも思わなかった。

 もっとも、一日おきに<花写真>や<旅日誌>などをSNSにアップしていた。<イイネ>に対しての<お返しイイネ>が、人恋しさを和らげ、人類と関わっているような気にさせてくれる。それはそれでいいだろう。さほど、煩わしくはないのだから。いやそれどころか、未知なる人の言葉や画像を見ることが、こちらにとっては、よい意味での気分転換になっている、のだから。

追加 左親指の顛末。

 爪の怪我は、旅の初日こそ、少し気になったものの、二日目には、押しても、それほど痛くなかったような気がする。よかった、と思った覚えがある。ちなみに、今現在、親指の爪は、<月>の部分が真っ黒になっている。その黒が、爪の先の方へと、少しずつ拡大している。強く押しても全く痛くないが、見た目には、どことなく痛々しい感じである。

 <灯台紀行・旅日誌>三浦半島編、終了。